Monday, January 12, 2009

同志たちよ、あの偉大なるカタログがウェブサイトですべて公開されましたよ

Access to Tools and Ideas

microphoneこれがもっと大きな話題にならないのは、ぼくの前の世代があまりインターネットに主体的に参加していないからなのかと、少なからず考え込んでしまった。早晩いつか必ずこれが実現する日がくるだろうとは考えていたが、思ったよりも早く実現したと言うべきか、あるいは「遅すぎるよ」と文句のひとつでも言うべきか悩むところだが、でもひとつ気を取り直してこのニュースを伝えておかなくてはならない。

同志たちよ! 頭に栄養は足りていますか?

60年代後期から70年代をとおして、そして80年代も90年代すら、そしておそらくは21世紀になった今も、時代がまるごとその影響下にあり続ける偉大なカタログである「 Whole Earth Catalog 」の最初の68年秋号、69年春号、69年秋号、70年春号、70年9月号、71年1月号、71年6月の The Last Whole Earth Catalogとその補遺号、74年5月の The Last Whole Earth Catalog 改訂新版、74年10月 Whole Earth Epilog、80年春の THE ESSENTIAL Whole Earth Catalog、80年9月の THE NEXT Whole Earth Catalog、94年の THE MILLENIUM WHOLE EARTH CATALOG、98年冬の創刊30周年記念号の全部、およびそのファミリーマガジンのすべてが(完全にではないものの全体が!)デジタル化され、紙の呪縛から解放されてこのほど公開された。

おそらくインターネットの歴史のなかにおいても、これはもっと特筆されてしかるべきニュースにちがいない。80年代からインターネットの宇宙を旅してきた人間の一人として言わせてもらえば、少なくともぼくにとっては、これほど「暇つぶしと頭の訓練」に役に立つウェブサイトはインターネットのどこを探してもこれまで見つけることはできなかった。最近流行している自己啓発ノウハウサイトなどこのウェブサイトを見たあとでは完全に色あせてしまうだろう。 Whole Earth Catalog は一貫して「 Access to Tools 」というサブタイトルを掲げてきたが、ウェブサイトとして公開されるにあたって「 Access to Tools and Ideas 」と「道具」だけでなく「考え方」への「入口もしくは通過点」という言葉がそこに付け加えられている。

このままでいくとインターネットの世界もまたテレビ・メディアのように時と共に「悪貨が良貨を駆逐して」知性のレベルの低下もしくは、ニューエイジが辿ったような低次元での均一化はまぬがれないと思い込みかけていたのだけれど、有意義に時間をつぶせるウェブサイトがようやくひとつぼくのブックマークのなかに追加された。このサイトと共に地球の旅を続けるためにぼくがノートパソコンを手に入れるための資金集めをはじめる理由のひとつになるかもしれない。空から一台MacBookが降ってこないか知らん。\(^O^)/

最後に「全地球カタログ」のデジタル化を可能にしてくれたテクノロジーの進化とスタッフたちの献身的なエネルギーにひれ伏して感謝したい。

arrow2 Whole Earth Catalog: Access to Tools and Ideas

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Wednesday, December 31, 2008

汝口にするもののことを知れ

Native Cookingなぜ煙草をまったく吸わない人も肺がんにかかるのかについて、興味深い研究成果の発表が、アメリカで1月に公表される「呼吸器系の救命救急医療についての月報(American Journal of Respiratory and Critical Care Medicine)」にソウル国立大学の研究者によって発表される。無機リン酸塩(リン酸塩 [Na])という化学添加物を含む加工食品を結果として大量に摂取すること、つまり無機リン酸塩を多く食品添加物として含む食事、ハムなどの食肉製品やチーズや飲料やパンといった添加物いっぱいの加工食品が肺がんの生長に拍車をかけている可能性があるという研究発表で、それはつまり肺がんにかかっている人の治療にとっては、また肺がんにかかりたくない人も、そうした食品添加物(化学添加物)を食事から遠ざけることが重要であると言うことです。

まずは自分の食べているもののことをよく知ること。調理に手間のかかるものを食べるようにしよう。そうすれば添加物の入っていない食事が可能になるから。もし危ないと思われるもの食べるのならそれがどういうものかを知って食べること。知らずに食べるのが最も危険。「なにかわからないものを食べ物や飲み物に混入されてそれをそうと知らずに摂取するのは生体に与えるダメージも大きい」と、わたしはかつてメディスンマンに教えられたことがある。これはドラッグも食べ物も同じ。あらかじめ覚悟をしていれば、意識の力で完全にとまでは言えないけれど反応を支配出来ることもないわけではない。


Source:

High Dietary Inorganic Phosphate Increases Lung Tumorigenesis and Alters Akt Signaling

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Sunday, November 23, 2008

サステイナブル・ハピネス——持続可能な幸福を得るための10の方法

どうすれば幸福になれるかを教えてくれる心理学者や研究者ら科学者の提言という記事を「世界を持続可能にすることを目的にした雑誌 yes! マガジン」が、Jen Angel 記者の記事として10項目にまとめて掲載していたのでざっと紹介しておきます。


10 things happiness

・日々うつろう時の1分1分を存分に楽しむ
花の匂いをかいだり、子どもたちの遊ぶところを意識して眺めたり、なんとなくあわただしく過ごしている時間を大切なものとしてじゅうぶんに楽しむ。

・自分とほかの人を比較するのを避ける
自分と他人を比較することは自分を愛する気持ちや幸福に損傷を与える。

・欲しいもののなかでお金の優先順位を下げる
人生においてお金の優先順位の高い人ほど激しく落ちこみ不安に駆られるもの。

・意味のある目標を持つ
人生にたいする夢がない人より大きな夢のある人の方がはるかに幸福を感じる。

・仕事ではすすんで主導権を握る
仕事でどれくらいの主導権をとれるかによって幸せの度合いも変わってくる。

・友達を作り、家族を宝とする
よい関係が大切と言うよりも、理解しあい面倒をみあう一歩踏み込んだ緊密な間柄が必要。

・スマイル! たとえそんな気分でなくてもスマイルを!
自分をハッピーピープルだと世界にむかってみせるような習慣づけが効果大。

・ありがとうを言うときは本気で言う
なにであれありがとうを伝えた人の記録を毎週きちんとつけている人は健康で楽天的である傾向が高い。

・外に出てからだを動かす
心の落ちこみに対処する方法で薬物と同じぐらい効果があるものが運動だったという。

あげること。今すぐ誰かになにかを、あなたの人生の一部を、あげること。
「ヘルパーズ・ハイ」という言葉があります。近所の人の手助けをしたり、ボランティアに参加したり、なにかを寄付したり、イベントに参加したりすることで、運動したり禁煙したりすることに匹敵するぐらい健康的になれるとか。

Source : 10 Things Science Says Will Make You Happy

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Saturday, July 26, 2008

あなたはどこにいるのか

newsアメリカの航空宇宙局(NASA)が「NASA Images」として歴史的な画像やムービーをインターネット上に無料で公開した。今後さらに何百万もの画像や、数千時間分の映像や音声を公開していく予定だという。日本国であればそうした画像や映像などは特定の機関が抱え込んで進んで公開せずに金儲けを考えるのであろうが、世界人類のあり方に貢献するとしたこうした姿勢は、日本国の公共機関を自任する組織は見習うべきものだろう。ともかく百聞は一見にしかずで、地デジなどに踊らされずに、宇宙から撮影された地球の画像や動画をインターネットで見ながら、しばし深く思索しようではないか。

下に掲載した写真は火星の地表からわれわれの星地球を見たところだという。

our_home_planet

arrow2 NASA Images

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Wednesday, March 05, 2008

写真で綴る 萱野茂の生涯 アイヌの魂と文化を求めて

life_of_kayano_shigeru写真で綴る 萱野茂の生涯
アイヌの魂と文化を求めて

萱野 れい子 著
須藤 功 編

定価:2,900円 (本体2,762円、税138円)
ISBNコード:9784540072611
発行日:2008/02
出版社:農文協


■解説(農文協のサイトより)

「独自の言語と文化があれば誇りをもって民族と言える」といい、明治以来の同化政策に異を唱え、日本の先住民族、アイヌの復権と文化の復興にかけた生涯。55年間支えた妻が280余枚の写真から、その思いを回想。

■目次

序言/夫・茂と五五年/二風谷に暮らす/アイヌ文化の教え/映像で記録する/心を結ぶ資料館/一期の国会議員/先住民族アイヌ/文化交流の旅/未来に伝える

going to amazon.co.jp

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Friday, January 25, 2008

「神さまとのインタヴュー」という文書

風邪で寝ていた時、「The Interview With God」という著者不明(author unknown )の文書が届いた。ぼくにははじめて読むものであり、なかなか可愛らしい文章だったし、真実にやさしく迫っていたので、どこかで誰かがもう翻訳しているかもしれないが、ざっと日本語にしてみた。ご笑覧を。

神さまとのインタヴュー      著者不明




神さまにインタヴューしてる夢を見た。

「で、インタヴューをしたいって?」と、神さまがたずねてきた。

「もしお時間がおありなら」とぼく。

「わたしなら時間はある、永遠にね」神さまは微笑んだ。「で、どのような質問があるのかね?」

「種としての人間についていちばん吃驚(びっくり)したところは?」

神さまはこたえた・・・

「子どもであることに退屈して、いそいで大人になろうとしたあげく、もう一度子どもに帰りたいなどと言い出すところ」

「お金を作るために健康を損ない・・・その健康を回復するために、お金を失うところ」

「未来のことを心配するあまり、現在のことを失念し、その結果、現在にも未来にも、生きていないところ」

「まるで自分だけは死なないかのように生き、今までまるで生きていなかったかのごとくして死ぬところ」

そこで神さまがぼくの手を取ったので、ぼくたちはそのまましばらく黙っていた。

しばらくしてぼくはたずねた。「親のひとりとして、あなたは自分の子どもたちにどのような人生のレッスンを学んでもらいたいですか?」

「学ぶべきは、誰にも愛を強制させることなどできない相談だということ。できることはただ、その人たちが愛されるにまかせるだけ」

「学ぶべきは、自分たちと他の人たちとを比べるのはよいことではないということ」

「学ぶべきは、許しを実践しながら許すこと」

「学ぶべきは、愛する人を深く傷つけるのはわずか数秒で、その傷口を癒すには長い年月を必要とするということ」

「学ぶべきは、豊かな人とは最も多く持つ人でなく、必要とするものが最も少ない人だということ」

「学ぶべきは、心から愛してくれる人が、自分の感情を表に出したり、表現したりすることをまだ学んでいないということもありうるのだということ」

「学ぶべきは、同じものを見ているふたりが、まったく違う見方をしていることもあるのだということ」

「学ぶべきは、お互いに許し合うだけでは足りずに、お互いが自分自身を許さなくてはならないこともあるということ」

「貴重なお時間をありがとうございました」とぼくは申し出た。「ほかにまだ、あなたの子どもたちに、これだけは知っておいてもらいたいことがありますか?」

神さまは微笑んで最後にこう言われた。「そうだな、わたしはいつだってここにいると
みんなに知らせてほしい」

-author unknown

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Monday, December 10, 2007

今日は世界人権デーだから「人間としての権利」について確認しておく

人間の権利に関する普遍的宣言の概要(簡略版・世界人権宣言)

  1. 人間は誰もが自由であり、例外なくみな自由な人間として、あつかわれなくてはならない。
  2. 人間は肌の色や宗教や言葉などの違いはあっても、誰もが平等である。
  3. 人間は誰もが自由で安全に生きる権利を持つ。
  4. 誰もあなたを奴隷にする権利など持たないし、あなたも誰かを自分の奴隷にすることはできない。
  5. 誰もあなたを傷つけ、拷問する権利を持たない。
  6. 人間は誰もが法律によって等しく平等に扱われる権利を持つ。
  7. 法律はすべての人に同じものが、同じように適用されなくてはならない。
  8. 人間は誰もが自分の権利の尊重されないときに法的な援助を求める権利を持つ。
  9. 誰もあなたを不当に牢屋に押し込めたり自国から追放する権利を持たない。
  10. 人間は誰もが公開された公正な裁判を受ける権利を持つ。
  11. 人間は誰もその罪が証明されるまでは無実と考えられるべきである。
  12. 人間は誰もが自分の身に危害が加えられそうなときは助けを求める権利を持つが、しかし誰であれ正当な理由もなくあなたの家に押し入ったり、あなたの手紙を開封したり、あなたとあなたの家族を悩ましたりすることはできない。
  13. 人間は誰も望むままに旅をする権利を持つ。
  14. 人間は誰でも、虐げられたり迫害される危険にさらされているのなら、自国以外の国に行き、そこで保護を求める権利を持つ。
  15. 人間は誰でもひとつの国に属する権利を持つ。あなたが望んで他の国に属したいのであれば、誰にもそれを妨げる権利はない。
  16. 人間は誰でも結婚し家庭を築く権利を持つ。
  17. 人間は誰でも土地や財産を所有する権利を持つ。
  18. 人間は誰でも自分の宗教のあらゆる面を実習し、これに従い、また望むなら宗教をかえる権利を持つ。
  19. 人間は誰でも自分の思うところを述べ、情報を与え、また得る権利を持つ。
  20. 人間は誰でも平和的な方法で話し合いや結社に加わる権利を持つ。
  21. 人間は誰でも自国の政府を選ぶ力となりこれに参加する権利を持つ。
  22. 人間は誰でも社会保障および自分の技術を磨く権利を持つ。
  23. 人間は誰でも安全な環境においける適正な賃金のために働き、労働組合に加わる権利を持つ。
  24. 人間は誰でも休息し余暇を楽しむ権利を持つ。
  25. 人間は誰でも標準的な生活を存分におくり、病の時は医学的援助を受ける権利がある。
  26. 人間は誰でも学校に行く権利を持つ。
  27. 人間は誰でも自らのコミュニティーにおける文化的生活を共有する権利を持つ。
  28. 人間は誰でもここに記されたすべての権利が行き渡るのに欠かすことのできない社会秩序を尊重しなければならない。
  29. 人間は誰でも自分以外の人の権利とコミュニティーと公共の財産とを尊重しなければならない。
  30. 誰もこの宣言のなかに記されたどの権利をとりあげる権利を持たない。

arrow2 簡略版ではない公式の日本語版『世界人権宣言』(1948.12.10 第3回国連総会採択)

簡略版・世界人権宣言の英語版はこの下にあります。

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Sunday, November 11, 2007

ノーマン・メイラーが残したものを思いながら

ノーマン・メイラーが急性腎不全で亡くなった。彼はレポーティングのスタイルにおいてぼくが影響を受けた作家のひとりだ。いわゆる「ニュージャーナリズム」とされるもの(目に見えるものも感じるものも報告する書く技術)の枠組みを作りあげるのに貢献した作家のひとりで、ぼくは彼の書いた小説より70年代以降の戦争中毒のアメリカを描いた「なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか?」とか、アポロの月着陸について報告した「月にともる火」、世界ヘビー級チャンピオン、ジョージ・フォアマンとモハメッド・アリとのタイトルマッチを報告した「ザ・ファイト」、911がアメリカ国民にもたらした「狂気」についての考察である「なぜわれわれは戦争をしているのか」といったルポルタージュというか、時代のレポーティングに魅力を感じていた。時代に流されることなく、クールに自分の立つ場所を持ち続けた希有なニューヨーカーだった。享年84歳。

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Monday, April 30, 2007

カチーナが好きなあなたのための本

少々値段が張りますが、カチーナが好きな人にはたまらない写真集を紹介します。ポピやズニの人たちが手作りするカチーナ人形が今風になる以前の、昔からの伝統を引き継いでいた時代の素朴でキュートな、そして不思議な力を持っているカチーナたちと出会うことができます。質素で、そしてスピリチュアルであるとはどういうことかを考えさせてくれます。

下の本の写真やタイトルには Amazon.co.jp の該当ページへのリンクが貼ってあります。同じ本の Amazon.com(アメリカ)のサイトでは、写真集の中身が少しですがのぞけるようになっています。

imagenameClassic Hopi And Zuni Kachina Figures
Barton Wright (著), Andrea Portago (写真)

外貨参考価格: $55.00
価格:¥ 5,789 (税込)
ハードカバー: 173ページ 寸法: 31 x 25.9 x 2.3 cm
出版社: Museum of New Mexico Pr (2006/5/16)
ISBN-10: 0890134839
ISBN-13: 978-0890134832

arrow2 Amazon.co.jp: Classic Hopi And Zuni Kachina Figures
arrow2 Amazon.com: Classic Hopi And Zuni Kachina Figures

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Saturday, April 14, 2007

消費 VS 脱消費 (Updated)

ここの【最新情報とおもしろ情報を30秒で伝えるネットサーフィンメモ】改め【なんだいのネットサーフィンメモ】サイトによれば「電通PR戦略十訓」というものがあるという。労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費・労働・生産・消費と果てしなく続くシステムを動かしているエネルギーを創り出しているものの実態が見えるような「教え」なので、記録しておく。すべてを逆さまにしてみると、コマーシャルに踊らされない「もうひとつの生き方」が見えてくる。

電通PR戦略十訓脱「消費社会」戦略
もっと使わせろもっと使うな
捨てさせろ捨てるな
無駄使いさせろ無駄使いするな
季節を忘れさせろ季節を忘れるな
贈り物させろ贈り物は正しい相手に
組み合わせで買わせろ組み合わせで買うな
きっかけを投じろきっかけに踊らされるな
流行遅れにさせろ流行なんてない
気安く買わせろよく考えて買え
混乱を作り出せ混乱を避けよ

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Friday, April 06, 2007

『アメリカ先住民の宗教』という本をすすめる理由

sheeldこの数ヶ月住居の移転などがあって落ち着いて本を読むこともできなかったが、ようやく少し自分の時間を取り戻しつつあり、本を読むこともできるようになってきた。先月後半に読了した『アメリカ先住民の宗教』(ポーラ・R.ハーツ著、青土社)は、このブログに関心を寄せてくださるひとにぜひともすすめておきたいのでこうして紹介の記事を書くことにした。(shop NATIVE HEART にも入っているので購入の際にはぜひこちらから\(^O^)/)

アメリカ・インディアンを「ひとつの民族」として理解することなど誰にも出来ないことである。なぜなら、それはぼくがローリング・サンダーに言われたように、「日本列島と、朝鮮半島と、台湾と、極東アジア大陸にいた人たちを全部まとめてインディアンと呼ぶに等しいこと」だからだ。

コロンブス到来以前の北米大陸には、最近しばしば言われるように「500」もしくはそれ以上の国々が存在した。それぞれの国には当然それぞれの国人たちが太古から伝えてきた信仰、宗教があった。そして各々の暮らす自然環境や風土に応じてそれぞれの信仰が細部において微妙に異なっているのは当然のことである。

共通しているものをしいてあげるならば、世界を支配するバイアスを持たされたいかなる既成の組織宗教(キリスト教・仏教・イスラム教・ユダヤ教などなど)の影響と支配を受けておらず、自分たちの生存する自然環境(宇宙)との密接なつながりと、自然界の万物に宿るスピリットにたいする無条件の敬意の上に形作られたものということが出来る。

この本は、アメリカ先住民の宗教を分析しそれぞれに共通している要素を紡ぎ出してまとめたもので、地球の上に生きるための道案内の一冊になってくれるものである。アメリカ・インディアンには、「宗教」という概念はもともとなく、それは「人間の生きる道」として認識されていた。この意味では、古代中国から古代の日本列島にまで大きな影響を与えた「道教(タオ)」の考え方が、最もよく似ていると言っていい。老子や荘子の唱えた「道(タオ)」の教えは、極東アジアのネイティブ・ピープルの教えが漢字に書きとめられたものと見る方がよいものなのかもしれない。

『アメリカ先住民の宗教』という本は、「地球に生きる人の道」をトータルに理解し、人間という存在を理解し、自分を理解し、地球のハートを自分のものとした祈りある生き方を自分の環境のなかで実践するための方法を提示してくれるだろう。もちろんこのなかには、儀式のやり方などがことこまかに解説されているものではない。そういうものを期待してこの本を手にとると失望するかもしれない。だがぼくはこの本はぼくたちにとっても重要な、すべての聖なるものを喪失したわれわれがもう一度自然や宇宙との関係を修復するためのテキストとして利用できるものだと思っている。

これは、読む人間をアメリカインディアンにしてしまうたぐいの本ではなく、地球に生きるとはどういうことなのかを、既存の宗教に頼ることなく理解するための道具なのかもしれない。

「ヨーロッパ人との最初の接触から今日まで、先住民諸部族は、彼らの宗教を根絶しようとする外的な力と戦い続けてこなければならなかった。儀式は禁止され、聖地は取りあげられた。彼らが取り組んできた課題とは、白人社会の只中で暮らしながら、自分たちの伝統に誠実に生きる方法を見つけることだった。なんとか、彼らの宗教は生き残った。確かに多くのものが失われてしまったが、それでも今日、アメリカ先住民の宗教的慣習は、活気と力強さを保っている」(同書より)

「アメリカ先住民の宗教の起源は、有史前まで何万年もさかのぼる。それは生の道そのものと同様、終わりのない道なのだ。その道を辿る先住民の人々は、この世界が単なる物質的な場所でないということを理解している。それは数々の聖なる存在と精霊の力とに満ちた霊的な宇宙でもあるのだ。その宇宙の中を彼らは日々歩き、その宇宙が彼らの生を導いてくれる」(同書より)

アメリカ先住民の宗教アメリカ先住民の宗教
ポーラ・R.ハーツ(著)、西本あづさ(翻訳)
価格: ¥2,310(税込)

単行本:204ページ
出版社:青土社 (2003/11)
ISBN-10: 4791760840
ISBN-13: 978-4791760848
商品の寸法: 19.2 x 13.6 x 2.2 cm

目次

  1. 序論—聖なる道
  2. 精霊の世界と聖なる道
  3. 世界の創造—口承の伝統
  4. アメリカ先住民の祭式と儀式
  5. 健全さと癒し
  6. 生の道
  7. アメリカ先住民の宗教とキリスト教
  8. アメリカ先住民の宗教の現在

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Sunday, December 03, 2006

生きていくうえでの注意事項

  1. 大きな愛にも、大きな成果にも、大きな危険がふくまれることを考慮せよ。
  2. 失敗したときにはそこから学ぶことを忘れるな。
  3. 自分を敬い、他を敬い、行動のすべてに責任を取れ。
  4. 欲しいものが手に入らないことが思いもよらぬ幸運につながることを忘れるな。
  5. 規則を知ればいかにしてほどよくそれを破ればよいかもわかる。
  6. ささいな口論で大切な関係を傷つけてはならない。
  7. 自分の失敗に気づいたときはただちに誤ちを正す手を打て。
  8. 毎日ひとりきりで過ごす時間を持つこと。
  9. 変化を受け入れるのはよいが、おのれの価値観までなくすな。
  10. ときには沈黙が最善の回答であることを忘れてはならない。
  11. 充実していて自分を卑しめない生活を送れ。そうすることで、年老いて回想したとき、人生をもう一度楽しむことができる。
  12. 思いやりのあふれた家庭こそ人生の基盤である。
  13. 愛する人との喧嘩はその場で解決せよ。過去はむしかえすな。
  14. 知識は分けあえ。それこそが不滅へいたる道。
  15. 地球は丁寧に扱うべし。
  16. 年に一度は今までに訪れたことのない土地をたずねよ。
  17. 最善の関係とは互いを必要としあう関係を越えて愛しあえるもの。
  18. 成功とは、それを手に入れるためになにをあきらめざるを得なかったかによって判断すべきもの。
  19. 愛と料理にはすべてをなげうつ覚悟で取り組め。

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Wednesday, November 15, 2006

ジャック・ケルアックが散文を書くための覚書として残したクールな文章の試訳と彼の写真を使ったGAPのポスター

Kerouac wore khakis

Kerouac wore khakis (Gap ad)

[上の写真はギャップという服飾メーカーの広告に使われたジャック・ケルアック (1922-69)の写真である。「ケルアックはカーキを着ていた」というコピーがさりげなくつけられている。道の上を住み家としていた彼の姿は今でもまぶしく見える。以下の「現代散文のための信条および技術」はあくまでも個人的な覚書のつもりで翻訳したもので、理解がたりずに誤って翻訳している個所がないともかぎらないが、おそらくケルアックが伝えようとしたことは、すべての文章を書く人、特に新しい時代の文章を書く人——書きたいと熱望する人——にとって役に立つことではないかと思えたので、ここに掲載することにした。そして今後はなんのおことわりもなくバージョンアップがなされる可能性があることも書いておかねばならない。:-) ぼくは第二次世界大戦後のアメリカに登場した「ビート」と呼ばれた一群の人たちは、白いインディアンの先駆けとなった人たちと理解していることを、前もっておことわりしておく。]

BELIEF & TECHNIQUE FOR MODERN PROSE

現代散文のための信条および技術

Jack Kerouac

ジャック・ケルアック 原文 北山耕平 試訳(Version 1.3)

1. Scribbled secret notebooks, and wild typewritten pages, for yr own joy
秘密のノートへの走り書き、適当に打ち込んだ文章、おのれの楽しみのために

2. Submissive to everything, open, listening
あらゆることに対して素直になれ、心を開き、耳を傾けよ

3. Try never get drunk outside yr own house
自分の家の外ではけして酔っぱらわぬように努めよ

4. Be in love with yr life
生きることに恋せよ

5. Something that you feel will find its own form
感じているものはそれなりの形を見つけだす

6. Be crazy dumbsaint of the mind
頭のなかではクレイジーで愚かな聖者たれ

7. Blow as deep as you want to blow
吹きたければ腹の底から思い切り吹け

8. Write what you want bottomless from bottom of the mind
底なしマインドの底にとどくほどのところで欲するものを書け

9. The unspeakable visions of the individual
口にすることができない個人のヴィジョン

10. No time for poetry but exactly what is
ありのままを書くだけで詩まで書く時間はない

11. Visionary tics shivering in the chest
胸の奥でヴィジョンが痙攣し震えて

12. In tranced fixation dreaming upon object before you
自分の前にある物体についてのトランス状態における固定夢のなか

13. Remove literary, grammatical and syntactical inhibition
文藝的、文法的、構文的禁制を排除せよ

14. Like Proust be an old teahead of time
プルーストのごとき、時代の年老いた茶頭たれ

15. Telling the true story of the world in interior monolog
世界の真実の物語を内的な独白で語る

16. The jewel center of interest is the eye within the eye
関心の中心の宝石は目のなかの目にある

17. Write in recollection and amazement for yourself
記憶と驚嘆のなかおのれのために書け

18. Work from pithy middle eye out, swimming in language sea
言語の海で泳ぎながら簡潔な真ん中の目でとことん練り上げる

19. Accept loss forever
損失を永遠に受け入れよ

20. Believe in the holy contour of life
いのちの聖なる輪郭を信ぜよ

21. Struggle to sketch the flow that already exists intact in mind
マインドのなか無傷のまますでにそこに存在する流れをもがいて素描する

22. Dont think of words when you stop but to see picture better
立ち止まったときには言葉を考えずにもっと良く全体を見よ

23. Keep track of every day the date emblazoned in yr morning
お前の朝のなか日付に飾られた毎日を辿れ

24. No fear or shame in the dignity of yr experience, language & knowledge
おのれの経験、言葉、知識の尊厳を恐れたり恥じたりしてはならぬ

25. Write for the world to read and see yr exact pictures of it
お前が見たのとまさに同じものを世界が読んで見るために書け

26. Bookmovie is the movie in words, the visual American form
本映画とは言葉による映画、目に見えるアメリカの形

27. In praise of Character in the Bleak inhuman Loneliness
荒涼たる非人間的な孤独のなかの個性を称えて

28. Composing wild, undisciplined, pure, coming in from under, crazier the better
野性的で、しつけられることなく、純粋で、下よりあらわれし、より狂っていて、より良きものを形作る

29. You're a Genius all the time
お前はいついかなるときにも天才

30. Writer-Director of Earthly movies Sponsored & Angeled in Heaven
天上の支援と加護を受けし地上の映画における作家で監督

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Friday, October 20, 2006

ネイティブ・ヴォイス・ワンという放送局

Native Voice One「ネイティブ・ヴォイス・ワン(Native Voice One )」というラジオが一週間前から放送を開始した。ぼくは最近ここにはまりっぱなしだ。

このラジオ「NV1」は「すべてのネイティブ・アメリカン・ピープルの声を伝える」ことを目的としたもので、ニューメキシコのアルバカーキにあるプエブロ・カルチャー・センターから24時間全米に向けて、またストリーミングで全世界に向けて、放送されているもの。

ニューメキシコにある19のプエブロ・インディアンの部族が30年前から共同で運営しているプエブロ・カルチャー・センターのなかに、この部族の垣根を越えた放送局は設けられた。放送業務に従事しているのは、さまざまな州のそれぞれの地方放送局でネイティブ・アメリカンの放送をになってきたスタッフたちで、オジブウェイ、ノーザン・シャイアン、アシニボイネ、ハンクパパ・スーなどからニューメキシコにやってきた人たちがほとんど。

この放送局が、他のインディアンの地方放送局とコンセプトにおいて異なるのは、もちろんリザベーションに暮らす人たちも対象ではあるのだが、いわゆるリザベーションではなく都会に暮らしているインディアンたちもそのターゲットにふくめているところだろう。インディアンであることをそうした人たちに常に思い出させるためのメディアなのだ。

listen NV1一例をあげれば各地の公共放送をつないでネイティブ・アメリカンの今を伝えていく「ネイティブ・アメリカの呼び声(Native America Calling)」、各部族に伝えられた予言的な話や、ストーリーテリングの真髄などを1時間かけて伝えてくれ、今と昔のネイティブ・アメリカン・ミュージックも聞ける、癒しとメディスンパワーにあふれた「われらのエルダーの知恵(Wisdom of our Elders)」、ネイティブ・アーティストたちのさまざまなジャンルの音楽を堪能できる「地球の歌(Earthsong)」といった興味深いタイトルの番組がそろっていて、音楽もなかなかの選曲である。番組と番組の間のつなぎがうまくなく、沈黙が入ってしまうなど改善すべきところはあるのだろうが、これほど落ち着いて聞けるラジオの放送は終日うるさいだけの日本の放送局にはない。

1年前に、「K-BEAR」というワイオミングのシャイアンからストリーミングで放送している小さな放送局を紹介した(すべてのつながるものたちのための放送局 Wednesday, October 12, 2005)が、この「ネイティブ・ヴォイス・ワン(Native Voice One )」もお気に入りに入れて、ストリーミングで流されている放送に耳を傾けてほしい。

arrow2 Native Voice One

Native American Radio

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Sunday, October 15, 2006

進むべき道を見つける——ウェイファウンディング

「今のお前は、知っておかなければならないことを全て知っている。ただし、それが何なのかを理解するまでに、あと二〇年はかかるだろうな」
ホクレア号のタヒチ到着を祝う会場で、師であるマウ・ピアイルックが
弟子のナイノア・トンプソンに贈った言葉

この2日間かけて『星の航海術をもとめて—ホクレア号の33日』という興味深い本を読んだ。先住ハワイ人の血を引き継ぐナイノア・トンプソンが、海のモンゴロイドといわれる古代ポリネシア人の計器に頼らない星と太陽と月と雲と風と波と対話する航海技術を学んで、身につけていくいく過程を克明に書き記したものである。
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ハワイのネイティブのなかではすでに失われていたポリネシアの伝統的な「大洋のただなかで道を探す(ウェイファウンディング)」ための技法を、もともとは口から耳へと師から弟子へと伝承されてきた世界を知るための知恵を、現代において知識やデータによって自発的に自分の内側に取り戻してゆく作業がどれくらいたいへんであるかを教えてくれると同時に、実際に学び方によってはそれが不可能ではないことを伝える希有な、そして希望に満ちた記録でもある。

ネイティブ・ハワイアンのナイノアにとっての実際の学びと成長は、ホノルルにあるビショップ博物館のプラネタリウムにおける天空を移動する星たちの位置の独自の学習にはじまり、ミクロネシアのカロリン諸島に住む伝統的ナビゲーター(航法師)に師事して海を学ぶこと、「ハワイの直上にひときわ明るく輝く幸福の星」を意味する「ホクレア」という名前を与えられた航海カヌーによる1980年のハワイからタヒチへの実際の道を探しながらの旅——太平洋洋上を赤道を越えていく航海——による経験からもたらされたものだった。このときのホクレアは彼にとっての学校のようなものであり、またその航海はネイティブの人たちが成長するためにはどうしても辿らなければならないヴイジョン・クエストでもあったことが、この本を読むとよくわかる。

『星の航海術をもとめて—ホクレア号の33日』はオリジナルのタイトルを「AN OCEAN IN MIND」という。しいて飜訳すれば「頭のなかにある海」ということで、これはナイノア・トンプソンという、ひとりの太平洋を還るべき家とするネイティブ・ハワイアンが会得した、リアルな知としての地球の表面の半分を覆うひとつの大きな海のことに他ならない。

ぼくたちはこの本で、あらかじめ失われていた伝統をもう一度自分の身につけるためになにをなすべきか、なにからはじめるべきかをうかがい知ることができる。それはなにもいっさいの計器に頼らずに大海原に乗り出す航海術のことだけではなく、地球に生きるためにほんとうは必要でありながら、ここ数百年間の急激な変化のなかでいつしか失われていったいろいろな伝統的な——原理は単純だが実際は複雑で奥の深い——無数の知恵を、今という知識偏重の時代に復活させるための方法の一例でもあるのだろう。地球に生きるネイティブであるとはどういうことかを学ぶための手がかりにあふれた本でもある。

ニュースによれば、来年の1月には、ホクレア号はナビゲーターのナイノアと他のクルーたちを乗せて、ナイノアの師が暮らすマイクロネシアへ[Ku Holo Mau / Sail On, Sail Always, Sail Forever: 2007 Voyage to Micronesia]、そしてそこからさらに太陽(ポリネシア語で「ラ」)の沈む西(コモハナ)の日本列島を目指すことになっている。[Ku Holo La Komohana / Sail On to the Western Sun 2007 Voyage to Japan]ナイノアはこの本に記録されているホクレアによるタヒチへの旅からすでに20年以上の歳月を海の学びに費やしており、冒頭に引用した彼の師の言葉が正しければ彼は「全てを理解している」はずである。だから彼が来年の4月頃にぼくたちの暮らす陽の沈む島々にホクレアとともに運んでくるはずのものに、実はぼくはかなり期待してもいるのだ。

AN OCEAN IN MIND星の航海術をもとめて—ホクレア号の33日
ウィル・クセルク(著)
加藤晃生(翻訳)石川直樹(解説)


単行本: 362ページ
出版社: 青土社 (2006/10)
ASIN: 4791762932

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Thursday, September 21, 2006

ネイティブ・ピープルとアイ・チン(『易経』)

ネイティブ・ピープルの基本的な世界認識に「この世界にある一切すべてのものは網の目のようにつながっている」とするものがある。「オール・マイ・リレーションズ」(わたしにつながるすべてのものたちよ)という祈りのしめくくりの言葉もそこから産まれてきたものだ。東洋においてこの考え方を最もよくあらわしているのが『易経(変化の書)』という書物で、ぼくはもうここ20年間ぐらいいろいろな『易経』の本を読み続けてきた。

実際『易経(I-Ching)』の書物だけで蔵書は数十冊あり、なかには英語のものも多くある。「易」というと多くの人は「占い」だと考えるが、それは正しくもあり、同時に正しくもない。なぜこんなことを書いているかといえば、昨日友人で易の研鑽者と久しぶりに談笑したとき、結局極東アジアでいちばんネイティブのシャーマニズムの精神を色濃く残しているのが『易経』という書物であるという結論で一致したからだ。

『易経』は、シャーマニズムと漢字の出会いが幸運に働いてうまれおちた結晶のようなもので、この書物は「地球のネイティブの世界観を知るために使える数少ない書物」なのである。例えば易の八卦の概念はネイティブ・アメリカンの人たちのメディスン・ホイールという考え方とよく似ているところもある。

易で思い出したが、そういえば、もとビートルで今はなきジョージ・ハリスン(George Harrison)も、歌を作るときのインスピレーションを『易経 I-Ching』に求めるとかつてインタビューで語っていた。より詳しく彼の言葉を引用すると "( I-Ching) seemed to me to be based on the Eastern concept that everything is relative to everything else, as opposed to the Western view that things are merely coincidental." となる。「易というのはあらゆるものがその他のあらゆるものと関係しあっているとする東洋の概念に基づいているようにぼくには思える。それはものごとが起こるのは単なる偶然に過ぎないとする西洋の物の見方と対極にあるものなのだな」と翻訳できる。

まあぼくはさまざまなきっかけや出会いがあって『易経』の本をときどき思いついたように読むようになり、今日に至っているわけだけれど、それは「この宇宙にあるものが網の目のように全部つながりあっていて、そのどこかに影響を与えると、変化は網の目を伝わって宇宙のすべてに影響を与える」ということを瞬間瞬間に確認するためなのだ。

arrow2 Another Way(きもちよく今を生き延びていくために)ここは、友人の Hosokawa"dancing stone"Hirotsugu 氏が毎週の運気を易断して解説してくれるサイト。毎週月曜日に更新。

"While My Guitar Gently Weeps" by George Harrison

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Friday, June 23, 2006

スピリットの乗り物としての言葉

Revised Saturday, June 24, 2006

Eagleくがネイティブ・アメリカンの世界から日本国に帰ってきたのは80年代の初頭のことだった。アメリカ大陸で暮らしているのなら、ネイティブの人たちの動向はさまざまな形でもたらされた。雑誌や、集会の案内や、口伝えや、電話や、手紙や、機関誌などで。しかし大きな海を越えてしまった途端に、そういう情報からぼくは遮断されてしまった。7年間ぐらい日本にいなかったのだから、そのギャップを埋めたり、生活を立て直したりするのでしばらくはあっという間に過ぎた。都会で生活するのが困難で、東京からだいたい百キロぐらい離れたところで生活をはじめた。つてを辿って雑誌の仕事をするときは、1ヶ月に一度東京に出向いて、雑誌社の編集室で原稿を書いたり編集をしたりしていた。インターネットはまだ実験の段階で、一般には開放されていなかったし、開放されていたとしても、ブラウザーでサーフするという具合にはまだいかない時代だった。そのうちワープロが普及しはじめ、パソコン通信が可能になると、ぼくはそれに飛びついた。パソコン通信によってぼくはわざわざ東京に出向くことから解放されたのだ。原稿を書き、カプラーとモデムを使って通信でその原稿を編集部に送ることが可能になった。そしてそのころインターネットがようやく一般の(ぼくの)手に届くようになりつつあった。

たくさんの友との再会

はじめてインターネットを使ってUsenetの世界に入ったときのことは忘れられない。ある意味でそれはパソコン通信のネットワークの会議室などともよく似ていた。今はあのころほどの盛り上がりはなくなっているように思えるものの、すでに当時からさまざまな問題を扱う部屋があり、無数の話題が夜空の星の数ほどもばらまかれていた。このUsenetのなかで、ぼくが入り込んだのが「soc.culture.native」「alt.native」というふたつのネイティブ・ピープルのグループだった。このふたつのインターネットのニュースグループとの出会いがなければ、今のようなことをぼくがやり続けていられたかどうかは疑問である。いくつものローカルなパソコン通信をつなぎあわせたこれらのグループと出会って、ぼくは心底ほっとした。ウェッブの時代はまだ到来していなかったのだが、すでにそのふたつのグループは、大学教育を受けたネイティブ・アメリカンの人たちがはじめていたメーリング・リストと共に、ネイティブ・アメリカンの人たちの情報交換の場として機能していた。

ネットの中のネイティブ・ピーブル

今も当時も、インターネットを最も精力的に活用しようとしてきたひとつの勢力が、それ以前には長いこと——文字による歴史のはじまったときから——自分たちの声を奪われ続けていた少数民族やエスニックの集団であることは想像に難くない。パソコンを手に入れることで彼らは自分たちの声を外の世界に伝えるためのメディアをはじめて獲得しようとしていた。この20年間で、現存するほとんどのネイティブ・アメリカンの部族が自分たちのウェブサイトを持つようになっているし、ネイティブ・アメリカンのための雑誌や新聞や放送局やオンラインマガジンやネイティブであることを学びあうためのサイトがいくつも立ちあがってきた。

もちろん情報格差は厳然として存在する。すべてのネイティブ・ピープル・ピーブルがコンピュータを手に入れられているわけでもないし、すべての若者に高等教育の機会がさしのべられているわけでもない。それを買う金があれば救われるいのちもまだたくさんある。大学教育を受けるためには、まずその前にアメリカ兵として戦場に赴いて生き延び、奨学金を得なければならない。しかしそれでも、情報によってネイティブ・ピーブルの意識をつないでいこうという動きは衰えることもなく今なおその底辺を広げつつあるのだ。

ウォタンギング・イクチェ?

Usenetというインターネットのひとつの側面の中でネイティブの人たちのグルーブの会議室に足を踏み入れたことで、ぼくのネイティブについての学習は続けることが可能になった。そこには必要な情報がいくらでもあった。わからないことは尋ねれば教えてくれる存在がいた。いくつものメールマガジンを購読し、教わった書籍を買い、時には旅行で相手に会いに行ったりもした。

nanews急速に進化を遂げるインターネットの中、そうしたUsenetの会議室の中から、いくつもの先駆的なメディアが立ちあがってくるのをぼくは目撃した。その中でひとつを取り出すとするなら、"Night Owl(夜のフクロウ)"ことゲーリー・スミス(Gary Smith)というひとりのネイティブ・アメリカン(チェロキー)の大学生がはじめたWOTANGING IKCHE--NATIVE AMERICAN NEWS をはずすことはできない。さまざまなローカルなネットに出ているニュースの中からより多くの兄弟姉妹と分けあうに値するもの、すべてのネイティブ・ピープルに影響を与えうるニュースを一週間ごとに集め直して整理編集したニュース・コレクションで、1993年に記念すべき第1号が発信された週刊のニュースレターであり、ウェブが花開いた今でもなおぼくが定期的に購読し続けている唯一の(ASCII文字だけを使用した)ニュースレターである。このニュースレターは現在そのアーカイブ・サイトで創刊号から最新号までをダウンロードできるようになっている。

20世紀末にはすでにネイティブ・アメリカンの世界では自分がどこの部族に属しているのかすら定かでない世代が数多くいたわけだが、そうした目に見えないけれどなお部族的なハートとマインドの連帯を求める兄弟や姉妹たちのためにさまざまな情報を伝えあい、スピリットを共有しあうためのメディアとして、この「WOTANGING IKCHE」は21世紀の目には見えないネイティブの部族を超えた情報共同体を切り開いてきた。

「WOTANGING IKCHE」はラコタ語で、しいて「News of the People(人々のニュース)」を表現すればこうなるというフレーズであり、創設者のナイト・オウル自身はラコタではなかったものの、ネイティブの言語世界では大きな勢力であるラコタ語的な発音の言葉をタイトルにしている。現在はWOTANGING IKCHEのなかの「ここの」サイトに、さまざまな部族の言葉で「人々のためのニュース」を表現したものが掲載されているので興味ある人はご覧あれ。地球に生きる人のためのニュースに興味がある人で、英語が苦にならないのであれば、この週刊ニュースレターの購読をぼくはおすすめする。

さてここからが本題

なぜ「WOTANGING IKCHE」というニュースレターの話をこれまでえんえんとしてきたかというと、このニュースレターに非常に早い時期から、正確には1994年の6月4日号(通巻第2巻23号)のハワイの先住民族を特集した号以来、(数ヶ月飛んでいるときもあったが)今日まで10年以上も繰り返して——週に7編ずつ——連載され続けてきた「A Hawai'i Book of Days」という366の短詩(1日にひとつの短い詩をネイティブ・アメリカンの血を引き、ハワイ島に暮らすひとりの女性の詩人のデブラ・サンダースが書きつづった、アロハ・スピリットを伝える美しい言葉)を、今回すべて飜訳して本にしたからだ。それはアメリカでもまだ書籍化されていない。

邦題を『日々是布哇(ひびこれハワイ)——アロハ・スピリットを伝える言葉』(D・F・サンダース著 北山耕平飜訳 太田出版刊行)とした書は「WOTANGING IKCHE」から生まれた最初の日本語の本である。ハワイ群島の先住民は当然ネイティブ・アメリカンの範疇にふくまれる人々であり、その思考法や感性や世界観には他の多くの地球に生きる人たちと共通するものを持っている。そしてその多くを、われわれ日本列島に生まれたものたちとも共有できることを、日本列島の精神をかろうじて受け継ぐ兄弟姉妹たちに知ってもらいたいとぼくは考えてきた。ネイティブ・アメリカンと、太平洋諸民族と、ぼくたちの血の中に姿を隠して見えなくなってしまった日本列島の先住の民をつなぐスピリットの有り様を、ぜひこの本によって体験してください。スピリットの乗り物としての言葉、ぼくたちにとっては日本語を逆手に使って、もう一度見えなくされている人たちの地球とつながっている精神に呼びかけたいと思う。これが多くの人の手に渡ることを願っている。


Hawai'i Book of Days日々是布哇(ひびこれはわい)
アロハ・スピリットを伝える言葉

デブラ・F・サンダース (著)

北山 耕平 (翻訳)
長崎 訓子 (イラスト)
有山達也+飯塚文子(アリヤマデザインストア)装幀

価格: ¥1,554 (税込)

* 単行本: 四六変形版
* 出版社: 太田出版

ISBN: 4778310225 ; (2006/06/22)

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Saturday, June 10, 2006

わたしを見つめる彼女のまなざし

thewomen素敵な写真集を紹介したい。タイトルは「The Women」という。日本語にすれば「女たち」となる。写真を撮影したのは、このブログの読者には、右サイドバーの Peace な巻頭写真でおなじみのエドワード・S・カーティスという19世紀末から20世紀初頭にかけての消えつつあるフロンティアの残照を撮影した写真家である。

The Women」の編集者は、中西部ミネアポリス市在住クリストファー・カルドーゾ(Christopher Cardozo)氏で、この人は時代が大きく変わろうとしていた19世紀から20世紀の転換点においてカーティスが撮影したアメリカ・インディアンたちの写真の大コレクターとしてずば抜けて著名な人。今回およそ1000枚にのぼる収蔵写真のなかからこの本のために特別なセピア調のものを100枚選び出して全体を構成したという。

この「The Women」がこれまでのネイティブ・アメリカンの写真集と一線を画しているのは、表題どおりネイティブの女性たちと、ほとんどが居留地のなかで撮影されたにもかかわらず、当時の——時代が大きく変わろうとしていたころ、そして前の世界の生き方がかろうじてまだわずかながらに可能だったころの——彼女らの日常生活を撮影したものに絞ってあるところだ。はしがきを書いたこれもミネアポリス市在住の詩人で小説家のルイス・エルドリッジさんはその美しい文章のなかで「エドワード・カーティスはおそらく自分は消えてゆく文化を記録していると信じていたのだろうが、ここに集められたつつましやかなアートのなかで、ネイティブの人たちの文化の持つ力は確かに生き続けている」と記している。

いちごをつむ女性の姿、赤ん坊をあやす姿など自然な感じのポートレイトもないわけではないが、選ばれている写真のほとんどが真正面からカメラを見つめているポートレートで、ストイックな表情ではあるがそこには本質的な強さと個性が、時には悲しみが写し出されていて、最後まで彼女たちの透明なまなざしが印象に残るお薦めのパワフルな写真集である。20世紀の初めにインディアンの、それも女性であるとは、いかなるものだったのかを、ぜひ確かめていただきたい。いつまでも手元に置いておきたい写真集であります。

arrow2 Frontier Photographer: Edward S. Curtis (Smithsonian Institution Libraries)

thewomensEdward S. Curtis: The Women
Christopher Cardozo (編),
Louise Erdrich (はしがき),
Anne Makepeace (序論)

ハードカバー: 128 p
出版社と価格: Bulfinch Press ; $35
ISBN: 0821228951 ; (2005/04/19)

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Monday, February 20, 2006

杖のメディスン・パワー

staff2「杖道(じょうどう)」という武道がある。「杖(じょう)」と呼ばれるものを使う武術で、その昔は「杖術」といったらしい。「杖(じょう)」とは「棒」であり「つえ」のことである。まずこれだけをとりだして武道と呼んでよいのかわからないけれど、ぼくはそれを武道のひとつとして認識している。今調べてみたら「東京都杖道連盟公式ホームページ」というのがあるし、そこでは「神道夢想流杖術(しんとうむそうりゅうじょうじゅつ)」を学べるようになっていた。そして「武道に縁のない人々にはまったく知られていないのが実状」と嘆きともとれる言葉が記されていた。

さまざまな武道といわれるもののなかにこの「杖」が武具として使われているが、この「杖」がシャーマニズムとかなり密接に関係していることはあまり知られていない。ここに掲載したさまざまな図版(達磨大師から指輪物語の魔法使いまで)はいろんなところから拾ってきたものだが、みんな手に杖を持っていることに注目して欲しい。

staff3  staff4

最近たまたまその一部抜粋を読む機会があった「Vital Breath of the DAO: Chinese Shamanic Tiger Qigong」という、正確には「老虎功」という「気功」についての新刊本の中に「古代中国のシャーマニズムでは杖は宇宙の力をあらわすものだった」という記述がある。この本の中で著者のウ老師(Master Zhongxian Wu)はさらに「杖を手にしたシャーマンは万能の知を他に受け渡す力を持つのだ。時を経ていわゆる学校の教師とされる人たちがシャーマンの仕事の一部をとりあげた以降、教師たちはシャーマンのように短い棒をつねに手に持って生徒を教えるようになっている」と書いている。

シャーマンと杖について思い出すのは、ぼくがネバダの沙漠で出会ったメディスンマンのローリング・サンダーが杖をもちいたまるで武道のようなものを教えていたことである。同時に彼はぼくに、「ウエシバモリヘイ」という人物について熱く語ってくれた。サンフランシスコで、その人物の武道の演技を収録したビデオを見せられて、ひどく感心したようだった。「彼の動き方はアメリカ・インディアンの動きそのものだ」と彼は言っていた。何年かしてぼくはアメリカから帰国して、「ウエシバモリヘイ」という人物が合気道の開祖の「植芝盛平」翁であることを知るのである。残念ながら彼の道場を訪ねたときには彼はすでに亡くなっていた。

next 百科事典ウィキペディア 植芝盛平の項

staff1「天地人和合の道」を唱えたこの偉大な人物については、単に合気道という武道の観点からではなく、日本列島のスピリットを受け継ぐ存在としての観点から理解されなくてはならないし、いずれそうなるだろうと思っている。生前の植芝翁についての話はいろいろな本やサイトに書かれているので興味ある方はお読みになってください。

ぼくがすすめるのは植芝盛平翁が生前作られて残してくれた「道歌」を集めて掲載してくれている合気道多田塾のサイトである。「道歌」とはさまざまな教えを「和歌」にしたもので、植芝翁の合気道の奥義を伝える道歌には、彼のスピリットがそのままこめられていて、折に触れてひとつの歌を繰り返し読んだりすると、彼がどのくらいシャーマン的存在だったかも伝わってきます。

next 植芝盛平道歌のサイト

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Sunday, February 12, 2006

ダンスがいのちとつながっている理由を探して

ネイティブ・アメリカンのダンスについて調べているうちに、なぜかダンスそのものにも興味を持つようになり、偶然手に入れた本の中でつぎのような表現を見つけた。この本の著者のアンナ・ハルプリンという人は、『癒しの技術としてのダンス(Dance As a Healing Art: Returning to Health Through Movement & Imagery )』とか『いのちにむかう動き(Moving Toward Life: 5 Decades of Transformational Dance )』といった書物をこれまでに出版していて、残念ながら日本語としてはまだ紹介されていないらしいのだが、彼女は癌やエイズ(AIDS)やその他の生命を脅かす病とされるものにダンスなどのからだの動きやイメージを使ってたちむかう方法を指導してきたこの世界の第一人者であり、サンフランシスコ・ダンサーズ・ワークショップの創設者でもあり、それよりもなによりもアメリカで最も影響力のあるダンサーとされるその世界では知らぬ人のいない同時代を生きる偉大な人物だ。彼女はこう書いている。

(ダンスを)教え続けているうちに、ひとつあきらかになったことは、なにかの動きをからだで体験することは、長いことこころの奥に埋められたままになっていた未知の感情やイメージを想起させる思いにつながっているということでした。そうした感情やイメージがからだの動きをとおして、ダンスをとおして、表現されたとき、そしてそうしたダンスが、わたしたちのいのちとつながったとき、劇的なまでの解放感をもたらし、それはわたしたちの生きる意思を変化させるのです。


「ダンスと動きとイメージで健康に還る」
Returning to Health: With Dance, Movement and Imagery
Anna Halprin (著)

ペーパーバック: サイズ(cm):
出版社: Liferhythm ; ISBN: 0940795221 ; (2002/10/07)

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Tuesday, January 10, 2006

生物学的年齢を逆回転させる10のステップ

リバース・エイジング(若返り)の技術
  1. ものの見方を変える
  2. 深い休息と落ち着いた知覚と安らかな睡眠を堪能する
  3. 健康な食物をつうじて体をいたわる
  4. 栄養補助食品は賢く用いる
  5. 呼吸法、ヨガ、太極拳、気功、合気道などで、心と体の統合を高める
  6. 規則正しい運動 筋力運動と有酸素運動で体調を整える
  7. 暮らしから毒素を取り除く
  8. 柔軟性を培い、創造的意識を養う
  9. 互いを思いやる関係を維持し、他に向かう愛を育む
  10. 頭を若々しく保つ
ReverseAging若返ること、長く生きること リバース・エイジングの10のステップ』より
ディーパク・チョプラ(医学博士)、デイビッド・サイモン(医学博士)共著 ハーモニー・ブックス刊行 2001年 ニューヨーク 未訳
Grow Younger, Live Longer: Ten Steps to Reverse Aging.
By Deepak Chopra, M.D., and David Simon, M.D.. New York, Harmony Books, 2001. Index, references, p. 64. ISBN: 0609600796.

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Thursday, July 21, 2005

ネイティブ・ジャパニーズを探して

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Tuesday, November 23, 2004

ケルアックの俳句集

今日は本当にひさしぶりに東京の六本木というところに行き、東京ランダムウォーク と再オープンしたABC(青山ブックセンター)のふたつの書店をはしごした。途中の神社で新嘗祭にでくわし参拝後つきたてのからみ餅などいただく。東京ランダムウォークは、店内空間も広すぎず狭すぎず、なかなかに居心地のよい本屋さんで、それなりのセレクションだったが、土地柄かグラフィック系が多く、神田神保町店のほうが本の選び方では自分の好みには合うようだ。ABCは、心配をよそに相変わらずABCをしていて、一度倒れて再び立ちあがったリングの上のボクサーよろしく相応の健在ぶりはうかがえて、古い友だちと会ったような安らいだ気分だったが、六本木という街全体がなんだか影が薄くなってきているような気がした。これ見よがしのビルは建ってはいるのだが、印象はあまりよくない。もっともこんなときに20年も前の思い出に浸ったところで意味はないのだが。暮れなずむ六本木の町を「エブリバディ・マスト・ゲット・ストーンド」と歌いながら歩き回った日々よ。Aha!

東京ランダムウォークで1時間ほど粘ったあげくジャック・ケルアックの俳句の本をかみさんに買ってもらった。それはペンギン文庫の詩集にはいっていた。

014200264X.01.MZZZZZZZ.jpgJACK KEROUAC
BOOK OF HaiKUS

EDITED AND WITH AN INTRODUCTION BY
REGINA WEINREICH

PENGUIN POETS
ISBN 0-14-200264-X



ケルアックは自分でも俳句の本を編集するつもりでいたらしいが、結局その本は作られることはなかった。編者であるレジナ・ウェインライヒはケルアックの書き残したさまざまな手紙やメモなどの中から彼が書き残した俳句(俳句というよりハイクと書いた方がいい。ケルアック自身はアメリカン・ポップと呼んでいる三行詩)を選び出してこの本を編集した。で、この本を買いたくなった理由はただひとつしかない。本文ではなく、ケルアックが友人のローレンス・ファーリンゲテイ(Lawrence Ferlinghetti)に宛てた1961年11月手紙の中で「自分の最高傑作だと思う」と書いているハイクが忘れられなくなってしまったからなのだ。それは次のようなものである。日本語は北山による試訳。

Chief Crazy Horse looks
  North with tearful eyes---
The first snow flurry

チーフ・クレイジー・ホースの
  北を望む目に涙
初雪の舞う

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Tuesday, November 02, 2004

ズニ・エニグマ

Updated Thursday, November 04, 2004

ズニ族の謎』(ナンシー・Y・デーヴィス 著 吉田禎吾+白川琢磨 訳 筑摩書房 ちくま学芸文庫)という本を読んだ。原題は「THE ZUNI ENIGMA」という。「エニグマ」である。エニグマという言葉でまずわたしが思い出すのはピンク・フロイドというプログレッシブ・ロック・バンドだが、それもまた謎としておいておくことにして、「エニグマ」という単語は意味としては「不可解なるもの」をあらわす。ズニ(Pueblo of Zuni)は、ネイティブ・アメリカンの一部族であり、北米大陸南西部現在のニューメキシコのとてつもなく美しい沙漠の中——大陸分水嶺近くの「宇宙の中心」——で暮らすプエブロと呼ばれる農耕定住の民で、精神的にはホピときわめて近いところに位置し、ホピと同じぐらい、もしかしたらホピに輪をかけて謎めいた人たちである。

わたしは一度彼らの冬至の頃のシャラコの祭りの時にたまたまリザベーションの中に旅行者としていたことがあるのだが、神秘的な黒い瞳のまなざしに面食らったことを昨日のことのように覚えている。この本『ズニの謎』は、「ズニの人たちは日本人と親戚であって12世紀頃に太平洋を船で渡った百人前後の日本人がズニの中に入っている」という驚くべきかつ多くの人には耳を疑うような主張をしている本であり、当然ながら人によっては「とんでもない本」の分類に入れるたぐいのものかもしれない。

たとえばフランク・ウォーターズの書いた古典の『ホピの書』に「宇宙からの聖書」というタイトルをつけて発売した徳間書店などが、「ズニ族になった日本人の謎」のようなおどろおどろしいこけおどし的タイトルで、巻末の参考文献リストなどはずして出版すれば、それなりに好事家の間で話題になった本なのだろうと推測される。後付を見ると、この本は今年の9月に第一刷りが発行されている。出版の世界の慣行からすれば、8月には書店の棚に並べられていたであろう本書は、これまで二ヶ月近くもどこかの新聞の書評に取りあげられることも話題になることもなかった。むしろ話題にされることを避け続けていたかのような印象まで受ける。わたしもたまたま書店で筑摩文庫の棚を見ていてこれを見つけて、即購入した。きっとあのとき見つけることがなければ存在すら知ることもなかっただろう。文学系の小説をほとんど読まないわたしは、日頃から書店で文庫の棚は、筑摩学芸文庫と早川ミステリ・SF文庫と講談社学術文庫と気が向けば岩波文庫ぐらいしか巡回しない。たまたまその日そこに一冊だけ『ズニの謎』が入っていたのは何かの偶然だった。余談になるがだいぶ前、小生が歴史の勉強の途上で、野史研究家として名を轟かしていた故八切止夫氏に「ジェロニモは日本人で、もともとは次郎仁左右衛門(ジロニザエモン)といった」というぶっ飛んだ話を聞かされて腰を抜かしそうになった記憶があり、これもそうしたぶっ飛び本かなと最初は考えたりもしたわけだが、読んでいくうちに、おおかたにはおよそ受け入れられることのない仮説を検証するためのまじめな学術的な探求の記録であることを知って、一種そこはかとない感動すら覚えた。

わたしはこの本に書かれていることがなにからなにまで真実であると思いこむような人間ではない。著者でありアラスカにある文化力学研究所に所属する先住民文化研究家のナンシー・Y・デーヴィスは、プエブロ第三期といわれる「紀元1250年から1400年の期間に、ズニ地域の居住形態に大きな変化が起きた」原因を「相当数の日本人の巡礼の到着」によるものとしている。

この本の著者もわたしも、方法論こそ違うが、今まで誰もが考えてこなかったかのようなやり方で「日本列島人とアメリカのネイティブ・ピープルのつながり」をこれまで考えてきた人間である。ズニの人たちと日本人がどれくらい似ているかは、それを実際に細かく検証して見せたこの本を手にとって確認していただきたい。わたしは著者の主張を全面的に受け入れるものではないが、それでもなお13世紀に日本列島から太平洋の向こう側の亀の島に渡っていった「日本列島人」の存在については、あながちないことではないと考えている。その人たちが「日本人」であるかないかはともかくとして。

1250年頃、13世紀半ばといえば、日本列島はモンゴル帝国の脅威にさらされていた頃である。日本は鎌倉時代となり武士の時代になっていた。鎌倉時代というのは、朝廷の命令を受けて蝦夷征伐をなしとげて東国に居を構えた武士が軍事政権として実質的な権力を握ったころだ。重要なのは、平安末期から鎌倉初頭までの日本列島東北部における蝦夷軍事征伐の熾烈さである。北海道は当然ながらまだ日本国の枠組みには組み込まれていなくて、アイヌやウィルタなどの少数民族たちが、これも同じようにモンゴルからの圧力に少しおびえつつ暮らしていた。フロンティアの移動とともに日本列島東北部に追いつめられていて大和朝廷を構成する「日本人」から同族とは見なされず、「蝦夷(えみし)」と呼ばれていた人たちは、先住民的な生き方と考え方を持って広く日本列島に暮らして日本人となることを最後まで拒絶したために滅ぼされたか、占領捕虜として被差別階級に組み込まれていったかした人たちだ。圧倒的な軍事力に対抗して四百年間近く、あるいはそれ以上の長きにわたって武力で戦った人たちは、そののち、いったいどこに消えてしまったのか? わたしが日本列島の歴史の中で、『ネイティブ・タイム』の本なかでもっとも気にかける存在がこの人たちである。北方の少数民族を頼って船で北に逃れた人たちも多かったと推測されるだろう。わたしは、この人たちが、太平洋を陸に沿って航海し北回りで亀の島に渡っていった可能性を否定しない。この人たちが、アメリカのネイティブ・ピープルの中に消えたとしても、おそらく誰もそれを日本人だなどと認識しなかったに違いない。部族が部族ごと移住して安住の土地を求めるのは不思議でもなんでもなかっただろうから。沙漠に暮らすホピやズニの人たちの言い伝えの中に、船で大きな水をわたって移住してきた言い伝えが残されていることも妙に気になるところだ。


 【参考】

青森県八戸市の平安時代後期の集落跡・林ノ前遺跡(十〜十一世紀)から、前例のない数の鉄のやじりと縛られた人骨などが出土。激しい戦いの跡で、蝦夷(えみし)の地とされた本州島北東北から北海道島南部の集落は、近年の発掘でこの時期百数十年にわたり、平地を避けて山頂や環濠(かんごう)の中に作られていたことが判明しているが、今回の発見によって、この特異な集落形態が大和中央政府軍の組織的武力攻撃に備えたものだったことがほぼ確定的になった。出土したやじりは約二百点あり、遺跡全域でまんべんなく見つかっている。人骨は十体見つかったが、埋葬されたものはなかった。両手と両足を縛られた全身骨一体と、頭骨だけが三個も見つかった住居もあった。明らかに激しい戦いの末に放棄された集落だと思われる。調査終了後、遺跡のうえに県道が開通し、遺跡は周辺の一部を除いて残されることはなかった。

「ネイティブ・タイム」Version 4 の2004年の項目より一部引用


本書の著者は、ズニの中に入ったのを「巡礼の旅に出た日本人の仏教徒」としているが、わたしはもし12世紀末から13世紀の初めに太平洋を渡っていったことが事実であるのなら、それは「日本人」ではなく、「日本列島の先住民」であったのではないかと考えている。いうならば日本の権力によって歴史から消されてしまった「最後まで日本という国を受け入れることがなかった人たち」である。

ともあれ、「日本人」と「アメリカ・インディアン」のつながりについて関心のある人なら、この本は興味深く読み進むことができるだろう。無理矢理ズニと日本人をくっつけようとする強引な箇所がかなりあるのもご愛敬かもしれないが、惜しむらくは著者がズニの成り立ちと同じくらいもう少し「日本人の成り立ち」と「日本が単一民族から構成されてなどいないことを日本列島に暮らす人たちが知っていた時代」の歴史について知識や関心を持っていてくれれば、この本はもっと光り輝いたことだろうに、まことに残念に思われてならない。

4480088342.09.MZZZZZZZ.jpgズニ族の謎 ちくま学芸文庫

N・Y・デイビス (著),
吉田 禎吾 (翻訳), 白川 琢磨 (翻訳)

価格: ¥1,575 (税込)

● 文庫: 476 p ; サイズ(cm): 15 x 11
● 出版社: 筑摩書房 ; ISBN: 4480088342 ; (2004/09/09)

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Friday, September 17, 2004

エデンの彼方

狩猟採集民・農耕民・人類の歴史


「狩猟採集民の神話伝説には、善と悪、真面目と冗談を画する一線がない」
-----同書236ページ 「第5章 農耕民の神、狩猟採集民の神」より 池央耿訳


ひさしぶりに目からうろこが落ちるぐらい刺激的な本を読んだので紹介したい。ヒュー・ブロディ著、池央耿訳になる『エデンの彼方(狩猟採集民・農耕民・人類の歴史)』は80年代以降に出版されたネイティブ・ピープル(亀の島・北米大陸のオリジナルな住民のみならず地球のネイティブ・ピープル)について書かれた本のなかで、すくなくてもわたしにとってはもっとも重要な一冊になるかもしれない。仕事の合間や、交通機関での移動の時間に読んでいたので、読むのに2ヶ月ほどかかったが、その間最後までこの本の存在を忘れることがなかった。普通つまらない本だと忘れてしまうのだけれどね。

「狩猟採集民の生き方で注目すべきは、個人の意思を大いに尊重することである。どの集団にも、指導者というよりは技量において崇敬を集める狩りの名人がいる。しかし、その指示や助言に従うかどうかは、あくまでも個人の選択である。狩りの先達は命令を強要しない。自分の意志は明らかにするが、それにどう対応するかは個々の判断に任される。社会的な倫理規範は厳格ながら、上意下逹や集団による制裁によってこれを強制する考えはない。人間の行為が霊界におよぼす影響は、祟りに対する恐れを伴って理解されている。動物を正当に敬わず、禁忌をないがしろにすれば、報いは飢えと病であり、そのことは部族の神話伝説に語られているし、現実に厄災に見舞われた場合、長老やシャーマンもこの考えに立って現状を分析し、対応を検討する。狩猟採集民の社会にあって、個人と霊界の結びつきは何にもまして重要であり、その媒介は夢や、瞑想、直観、とさまざまだが、選択の自由は各人にあって、社会的階層、序列に制約されることはない」
-----同書116ページ 「第3章 時空を翔ける」より 池央耿訳


ふつう農耕民と狩猟採集民とでは、農耕民の方が大地に根ざしていると思われがちだが、著者はこれを真っ向から否定する。農耕文化の歴史は「定住、大家族、移動」と三点セットであり、これが「容赦ない植民地開拓」と結びつく傾向があるからだ。カナダ北方のファースト・ネーションズ・ビープル(カナダ・インデイアンとは言わない)を題材に、狩猟採集民とは何かを細部にわたって追求検証した記録だが、これを読むと、自分の知っているさまざまな部族のアメリカ・インディアンたちが「狩猟採集民的なもの」をリザベーション暮らしの中でだいぶ失いつつある現実に気がつかされる。同時に、自分たちのなかにもほんの少しかもしれないが狩猟採集民的なものが残っている可能性にも気がつかされる。なぜなら「今から1万2000年前には人類はみな狩猟採集民だった」からだ。日本列島における狩猟採集民(遊動民)と農耕民(定住民)との出会いがもたらした植民地国家の表と裏とをわたしは『ネイティブ・タイム』(地湧社刊)という厚さ5センチもある年表の中で考察したし、ライフワークとしてその作業は今も続いているのだが、この本はその作業に厚みを与えてくれることは間違いない。アメリカ・インディアンに限らず、地球の先住民文化、狩猟採集文化、シャーマニズムなどに関心のある人はお読みになれば必ず得るものがあるだろう。地球には文字に記されることなく続いて来たもうひとつの「歴史」があり、その中で形作られて来た狩猟採集の民の世界認識は、彼らの言葉とともに失われつつある。1万2000年という時間が長いのか短いのかわからないが、明らかに今、地球から、そしてわたしたちの遠い記憶の中から、狩猟採集民的なるものが永遠に失われようとしている。われわれにできることはなにもないのだろうか? この本の最後は次のような言葉で締めくられている。

「狩猟採集民と農耕民の遭遇は、一方にとっては喪失、他方にとっては利得の歴史だった。狩猟採集民が失ったものは取り返す術もない。だが、狩猟採集民とは、いったい何者か、彼らがどれだけ大地に根付いた生き方をしているか、農耕民との出会いが何をもたらしたか、そうしたことを世界中がきちんと知れば、いささかなりとも埋め合わせの望みがなくもない。狩猟採集民の達成もさることながら、彼らが語り継いで来た歴史にこそ、人類の未来を切り開く道がある。狩猟採集民がいなければ、悲しいかな人類の存在価値は逓減する。狩猟採集民がいることで、我々は円満な全人たりうるのである」
----同書291ページ 「第6章 狩猟採集民と人類の歴史」より 池央耿訳


4794212682.09.MZZZZZZZ.jpgエデンの彼方
狩猟採集民・農耕民・人類の歴史

ヒュー・ブロディ著 池央耿訳

The Other Side of Eden
Hunter-gatherers, Farmers and the Shaping of the World

●単行本: 310 p ; サイズ(cm): 19 x 13 ¥2,310 (税込)
●出版社: 草思社 ; ISBN: 4794212682 ; (2003/12/10)


内容(Amazon.co.jp「MARC」データベースより)
人類学者・記録映画作家としての30余年のフィールドワークを踏まえて、狩猟採集民の社会・文化の特質を農耕民のそれと対比しながら、進歩史観を排して人類の歴史を根本から捉え直す。


目次
第1章 イヌイット語を学ぶ
第2章 天地創造
第3章 時空を翔ける
第4章 言葉を奪われて
第5章 農耕民の神、狩猟採集民の神
第6章 狩猟採集民と人類の歴史

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Wednesday, July 28, 2004

本屋に読みたい本がないとお嘆きのあなたに

去る16日の青山ブックセンター(ABC)の突然の倒産による閉店は、悲しい出来事でした。わたしにとってABCは六本木の麻布警察のそばの店が最も思い出深い場所です。昔、十数年前、東京の南青山で、友人の長野真とフライコミュニケーションズという会社をやっていたことがあり、会社から一番近くて深夜まで営業しているABCに、開店して間もないころのABCに、よく出かけました。

ネイティブ・マインド---アメリカ・インディアンの目で世界を見る』(地湧社刊 1988)という本をだした当時、ネイティブ・ピープルについての本はそれほど多くもなくて、まだまとまって陳列されることもなく、ばらばらに歴史や文化や文学の棚に埋没していました。『ネイテイブ・マインド』をわたしが知るかぎりよく目立つところにおいてくれて、のちに「ネイティブ関連の書籍」の棚を最初に作ってくれたのが、他ならぬABCでした。今ではかなりの---とはいっても少ないことに変わりはないのですが---そこそこの数の書店が、アメリカ・インディアンの書籍の棚を設けてくれるようになってはいます。

書店にとって必要なのは、旧態依然たる分類に基づいた陳列ではなく、その店独自の判断に準拠した分類ではないかとの思いを強くわたしはもっています。たとえば今はまだ小さいかもしれないけれど、「TOKYO RANDOM WALK」という書店が、神田神保町、赤坂などにありますが、ここは次世代の書店になる可能性が伝わってくる珍しい店で、今のところ東京を散歩するときのお気にいりではあります。普通の街の書店に入る楽しみがなくなってしまったのは、きっとどの店もおなじような本----漫画、三文小説、ベストセラー、雑誌----を同じように並べて売っているように思えてしまうからでしょうか。

最近は「面白い本が見つからない」という嘆きの声をよく耳にします。わたしにとって本は常になにかの「道具」でしたし、これからもそうでしょう。でそこでわたしがこれまでに手にした本という道具のなかで、みんなにすすめたいと思ったものを、今回は第一弾ということで、かなりまとめてリストアップしてみました。これらの本は多分普通の町の書店では棚にもはいっていない本たちばかりだと思われますが、すくなくてもこのBLOGを読みにきてくれている兄弟や姉妹たちには、読まれれば得るものが多いだろうし、あるいはすでになかの幾冊かはお持ちになっているものがあるかもしれません。夏休みで時間がたくさんとれる時などに、自分の頭と心を耕すために読んでみてください。おすすめです。

▼本屋には読みたい本がないとお嘆きのあなたのためのブック・リスト #01

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