Friday, May 09, 2008

NATIVE TALK : Spectator interview with Kohei Kitayama(北山耕平インタヴュー完全収録)

昨年の夏に刊行された雑誌のスペクテイター vol.17 特集「日本放浪旅〜VAGABONDING IN JAPAN〜」所収の小生のインタビューを、あらためて同誌編集長の青野氏に許可を得ることができたので、当ブログが4年目の今月に100万アクセスを通過した記念として、ここに全文をそのまま一挙掲載しておきます。長文ですので、覚悟を決めて時間があるときにでもお読みくだされば幸いです。なおすでにお読みの方はスルーしてください。

関連する過去記事:
reddot 長い旅の話をさせてください(Native Heart, Thursday, May 24, 2007)

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spectator #17地球の上で生きるとは
取材・構成/青野利光(スペクテイター編集部

 日本国内を長い時間をかけて旅しながら、行く先々の土地のことを理解しようと考えるなら、地図と一緒に携えていくべき欠かせないもののひとつに「歴史に対する認識」が挙げられる。たどりついた先で出会った人々の暮らしや建物が、どのような時間や経緯を経て、その地に存在するに至ったか。それを知るのと知らないのとでは、旅の中味も景色の見え方さえも違ってくるし思うからだ。ところが、学校で習った日本史を手がかりに日本を理解しようとしても、わからないことだらけなのは何故だろう?

 今回、九州を車で旅してみて改めて実感したことの一つが、この国には創世にまつわる異なる神話というものが存在し、そのいずれかが日本の起源という仮定のもとに国家というものが存在しているという事実だった。僕たちは、自分たちが暮すこの国の起源については極めて曖昧な情報しか持たされていないのだ。

 あらゆるものや情報の移動が容易に可能となり、全ての局面において地球規模での思考が求められる時代に生きる僕たちは、新しい枠組みで国家や世界というものを捉え直していかなければならない。「グローバルに思考し、ローカルに活動する」というのは、バックミンスター・フラーの教えだが、その第一歩として、まずは一切の偏見やコダワリを捨て、足下に広がる「日本と呼ばれる土地」の成り立ちについて理解することから、新しい旅を始めるべきではないか? 願わくば僕たちを真実へと導いてくれる賢者の教えを携えながら…。そう思いたって、真っ先に頭に浮かんできたのが北山耕平さんだった。

 ロングセラーとなった『ネイティブ・マインド』、『ネイティブ・タイム』(ともに地湧社刊)をはじめ『虹の戦士』(河出書房新社刊)『ローリング・サンダー』(平河出版社刊)『自然のレッスン』(太田出版刊)など、数多くの著書や訳書を持ち、先住民族の文化や歴史を口承で伝えるストーリーテラーとしても活動されている北山さんの名前を知る読者も少なくないだろう。

 北山耕平さんは1949年、神奈川県生まれ。大学在学中に片岡義男氏との出会いをきっかけに雑誌『ワンダーランド』に編集部員として参加、75年からは約1年半に渡り『宝島』四代目編集長を歴任され、その後は『別冊宝島』『GORO』、『Bepal』、『写楽』、『ポパイ』など、日本のサブカルチャー史を語るうえで欠かせない数多くの雑誌に編集や執筆というかたちで参加されている。
76年に渡米し、その旅の途上でチェロキー出身のメディスンマンであるローリング・サンダーと出会ったのをきっかけに、環太平洋の先住民族とその精神世界の探求を現在も続けられている。

 最近の活動は三年以上に渡って日々更新され続けているブログに詳しい。「NATIVE HEART」と名付けられたこのブログは、ネイティブ・ピープルとその文化にまつわる情報を体系的に網羅した、いわば電子版『ホールアース・カタログ』とでも言うべきもので、地球の上でバランスを保って生きるための知恵と心構えを授けてくれる貴重な情報源として目を通すのが僕の日課になっている。

 僕が北山耕平さんの存在を強く意識するようになったのは、今から10年ほど前、たまたま古本で入手したペーパーバック・サイズの『宝島』という雑誌に掲載された『ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ』という記事がきっかけだった。サリンジャーというアメリカの作家が書いた小説『ライ麦畑でつかまえて』とビートルズを題材に書かれた、シティ・ボーイ世代によるマニフェストとも言える独白調の文章に、僕の脳ミソは大きく揺さぶられた。

「平凡な人間」とは、ぼくに限っていうならば、けっしてその時代にそうなるのがあたりまえであったように、一流の大学を出て、一流企業につとめ、五年後には課長になり、家庭的な嫁さんをもらい、子供は二人、狭くてもマイホームを、といった、安っぽい〈マイ・ペース〉主義であろうはずがなく、それらの価値観をいっさい無視したうえでより人間的なものを求める人生が、ぼくにとっての、「普通」で「平凡」な「あたりまえ」の、だからこそより「人間的な」人生なのだった。
(『宝島』1975年1月号「シティ・ボーイ」)

 まるで楽器を奏でるように繰り出される言葉の数々は、文字によるロックンロールとでも形容したくなるようなパワーと魅力に満ちあふれ、メッセージが直接ハートに突き刺さってくる感じがした。それからというもの、暇を見つけては古本屋へ通い、中古レコードを掘り当てるような感覚で北山さんが様々な雑誌に書かれた原稿を読みふける日々を過ごすとになった。

無目的で、しかも楽しい作業に没入しているときは、しかし意識だけははっきりと目覚めている。はっきりと目覚めた意識は、ぼくもここで生きて生活しているのだということを教えてくれるのだ!
(『ポパイ』1977年7月号「フリスビーは時間を静止させるための小さな道具だ!」)
生活を遊びにすること、ぼくはそのなかからしか新しい文化は生まれないと思います。なによりもそれをはじめようではありませんか。
(『宝島』1976年3月号 「ビューティフルアメリカ」編集後記)
日常はハイではないのか? そんなことはない。いつのまにか、得体の知れないなにものかによって、ハイではないものにされてしまったのだ。
(『宝島』1975年12月「君は石である」)
統合国家(政府+大企業)は、自らの言葉と肉体を持った人間を恐れるあまり、さまざまな手段をもちいて押しつぶしにかかるだろう.逃げてはならない。なぜなら、ぼくたちは、個人的な力の王国をつくりつつあるのだから。
(『宝島』1975年3月号「全都市カタログ」)
法律がいけないといっているものすべてが悪だときめてかかることほど、恐ろしいことはありません。なぜなら、本文中でミスタ・ナチュラルも言っていますように、法律が人間を縛るべきものではなく、人間が法律を縛るべきものだからです。
(『宝島』1975年10月号「マリワナについて陽気に考えようーーー」編集後記)
平均的人間が最高であるといった、まったく誤った考え方に支配されてしまっていると,やりたいことをやりたいようにやるひとは、異端というレッテルをべたりと貼られて、仲間はずれにされてしまう。もしも、時代を動かす基本理念として、平均的人間の創造があるのだとしたら、ぼくはそんなところからは逃げ出してやる!
(『宝島』1975年1月「気楽にいこうよ」)

 圧倒的な文章力も去ることながら、何よりも驚かされたのは書かれてから30年もの時を経ているにも関わらず、微塵も古さを感じられなかったことだ。その理由をボクなりに分析してみた結果、どれもが「地球人としての感覚」をもとに発せられた言葉だからではないかという結論に達した。それは例えば、有人宇宙船のカメラがとらえた地球の映像をテレビで見たときの印象について書かれた、こんな一文を読んでみても明らかだ。

地球は一個の生命体であるとの確信はそのときぼくの内部に生まれた。地球が生きているからこそ、いっさいの生物は生命を保ち続けることができるのであって、生物が存在するから地球が生きているのではない。人間が地球を支配しているのでは断じてなく、およそ人間では考えられないなにものかによって地球と呼ばれる惑星は生命を吹き込まれ、その生命を維持するという同じ目的をもたされてバランスよく生物が創り出されてきたにすぎないのではないだろうか、とぼくは考えるようになった。
(『宝島』1976年5月号「日本のなかで育つには」)

 インターネットやグーグル・アースのようなメディアの出現によって世界をダイレクトに、より身近に感じられようになった今の時代を予見していたかのごとく、30年以上も前から「地球に生きる人」としての意識の重要さを問い続けてこられた北山さんなら、正しい感覚を持って日本を旅するための視座を与えてくれるに違いない。

 そんな確信を持って僕たちは、ある晴れた春の日に、インタビューにのぞんだ。

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Tuesday, March 04, 2008

どのように生きたかが、どのように死ぬかを決める

「団塊パンチ」(飛鳥新社刊)という雑誌から「サクセスフルエイジング」の特集をするので「生き方と死に方」についての3つの質問にたいするアンケートを求めるメールが送られてきたのはひと月程前のことだった。そのアンケートになにを書いたのは、今となつてはもうあまりよく覚えていないので、3月18日に雑誌の4月号が書店に並んだ時にでも読んでほしい。「サクセスフルエイジング」がなにを意味するのかぼくには良く理解できなかったがそれが「自分が望んだとおりの年齢の取り方」のことであることぐらいは推測ができた。

これまでぼくは生きることに夢中で自分の死に方について考えたことがあまりなかったのだが、どのように生きるかは、最終的にどのようにして死ぬかということであると、ずいぶん昔に聞かされた覚えがある。かつてこのブログでも「戦士として生きるとはどういうことか?」というアーティクルのなかで、テクムシェという偉大な戦士の「死にたいする恐怖を、けして自分の心に入らせないようにして、生きるべし」という言葉を紹介した。

一時ぼくがアメリカ南西部の沙漠を旅していたころの愛読書だったカスタネダの書いた一連の「ドン・ファンの物語」に登場するファン・マテウスという呪術師は「死はどこにでもある」といっていた。死は遠くにあるものではなく、恐れようが恐れまいが、つねに自分の近くにいて、一緒に旅をしていると。二十代、三十代、四十代と、いつ死んでもいいやと思えたことも何回かあったが、そのつどぼくは生き延びることを選択して今日に至る。地球に生まれてきた人間はこの地球でやるべきことをすべてやり終えるまでは地球の旅を終えることができないと、ローリング・サンダーというエルダーに言われたことがあるからだ。やらなくてはならないことをやり残すとまたこの地球に戻らなくてはならないらしい。それもつらいよな。やるべきことを全部やり終えると人間の体を脱ぎ捨ててスピリットの世界に帰れるのだ。Lame Deer人間のサイドから見るとそれは死なのだろうが、スピリットにとっては世界が変わるだけのことにすぎない。ネイティブのエルダーたちが昔からずっと「スピリットに死はない」と言い続けているのにはきっと理由があるのだろうとぼくは考えている。ラコタの偉大なメディスンマンだった先代のレイム・デイアー(ジョン・ファイアー)翁(写真)は、亡くなる時に息子のアーチー・ファイアー・レイム・ディアーにつぎのように語り残していた。

みんなには泣かないように伝えてほしい。悲しむ必要はないと。

わしらのエルダーたちは世界がふたつあることを知っている。形のある世界と、スピリットの世界のふたつだ。わしらがスピリットの世界に渡る前に、それこそ何度も、わしらの知人や親戚がわしらよりもまえにあちらの世界に入っていっている。その人たちが出迎えに来て、力を貸してくれるだろう。スピリットの世界は、エルダーたちにいわせれば、たいそう良いところだそうで、みんなハッピーで、調和がとれていると聞いた。われわれにとって死ぬことは、別の世界に入る程度の意味しかない。われわれはまたそこで、みんなともう一度会うことができるのだ。

ジョン・ファイアー・レイム・デイアー、ラコタ

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Friday, February 29, 2008

ぼくはなぜラコータ共和国を注視しているのか

featherインディアン活動家のラッセル・ミーンズら自由ラコタを名乗る何人かの人たちが、合衆国政府とスー族がこれまでに交わした一連の条約からすべて撤退して「ラコータ共和国」の独立を宣言して以来、その顛末と今の状況を伝えるニュースを克明にとまではいかないが、気になったものを紹介してきている。

ぼく自身とラコタ、ナコタ、ダコタのひとたちとのつきあいはそんなに深いものではない。とりわけメディスンマンだったジョン・ファイアー・レイム・ディアーとその息子であるアーチー・ファイアー・レイム・ディアーがスピリットの世界に赴かれて以来、つながりはうとくなってきていた。しかし、70年代のネイティブ・アメリカンの権利回復と精神復興運動に少なからず関わりを持った身として、ラッセル・ミーンズらがやむにやまれぬインディアン魂で、今回の挙に出たことについては、ぼくにはその心情はわからないでもない。

このニュースをブログで拾うようになって、何人の方からメールで「米国サウスダコタ州のインディアン居留地に嫁いだ Jakota Woman さん」のサイトの存在を教えられた。「Jakota Woman」とは「ジャパニーズ+ラコタ」からの彼女の造語だ。ジャコタ・ウーマンさんが嫁いだ相手のラコタの男性は、その記事を読むとぼくとほとんど同世代であることがわかる。自分と同世代のラコタの男性が、ボーディングスクールを生き延びて70年代のあの「闘うインディアンの出現」と「オグララで起きた事変」をどのような気持ちで体験して今日に至るのか興味あるところである。ジャコタ・ウーマンさんの日記ならぬ週記には、現実に今この瞬間にリザベーションに暮らす噂好きのラコタの人たちの日常がたんたんと綴られていて共感を覚える部分も多々ある。

そのいちばん新しい「週記」に、共和国の話が出てくる。その部分を引用するが、できれば全文を通読されて、リザベーションで生きるとはどういうことかをあわせて感じてほしい。

reddot jakota woman 〈153〉

 ラッセル・ミーンズ氏が「今までアメリカ政府とラコタが結んだ契約を全部破棄して、ラコタ共和国を造る」と宣言されました。このニュースの扱われ方が、まさに現代の情報の伝わり方の歪な事を証明しています。地元のRapid City Journalなどでは、「ミーンズ氏は、如何なる部族の政府も代表していない」と説明していますが、USA TODAYなどでそういう説明なしに取り上げられ、それが海外で大きく取り上げられたようです。ローズバット居留地の議会長ロドニー・ボルドー氏とシャイアンリバー居留地の議会長ジョー・ブリングス・プランティー氏は、ラコタ・ダコタ居留地の代表者で作っているスー会議は、ミーンズ氏を支持しないとはっきり表明しています。こういう選挙でちゃんと選ばれた人達が地道にアメリカ政府と交渉しているのに、派手な事をおやりになる方だけが注目を浴びる状況を私はとても残念に思います。ボルドー氏は、「この“ラコタ共和国”のウエブサイトは、一週間で100万回以上のヒットがあるというが、彼らが一体どれくらいの寄付金を集めているのか想像し難い、その寄付金はラコタの人々には、縁のないものだ」とコメントしています。ネイティブアメリカンの人達の世界では、白人が教えたとは言え、横領、着服は日常茶飯事ですから、寄付をされる時はよく調べられた方がいいかと思います。

と記されていた。この文章は、150年間植民地化を押しつけられてきたラコタの人たちの置かれた現実の一面を映し出している。ラコタの人たちのみならず、ほとんどのアメリカの先住民の部族や国で、部族会議の意向に従うことを受け入れた(受け入れざるを得なかったか進んで受け入れたかはともかく生き方において)プログレッシブな人たちと、その部族会議そのものの存在を認めないか相手にしない(生き方において)トラディショナルあるいはラディカルな人たちと、態度をはっきりさせずどっちつかずで様子見をきめこんで、あっちにいったりこっちにきたりしている人たちに勢力の分布が色分けされているからだ。

彼女が上の引用のなかで言う「ローズバット居留地の議会長ロドニー・ボルドー氏、シャイアンリバー居留地の議会長ジョー・ブリングス・プランティー氏、ラコタ・ダコタ居留地の代表者で作っているスー会議」は、ラッセル・ミーンズらのサイドに言わせればそもそもアメリカ合衆国の傀儡政府(操り人形)そのものの人たちであり組織である。ジャコタ・ウーマンさんの言葉を借りれば、「白人が教えた」選挙というやり方で選ばれた人たちが、自分たちの存在を認めるわけもないラッセルらの動きを支持することは絶対にない。選挙で選ばれた部族政府は、アメリカ合衆国の意向をラコタのリザベーション内に広めることで経済的にもなり立っている組織だという見方もできる。それはちょうど、日本列島のなかに存在する米軍基地の問題について選挙で選ばれた自民党政府が「地道に」アメリカ政府と交渉しているようなもので、最終的には植民地主義を貫くアメリカ政府のやり方ですべてが動いていき、本質的な解決はなにひとつもたらされないというのと同じ構造である。

ぼくがラコータ共和国独立で関心があるのは、70年代に部族会議派の人たちのことを弱虫だとか腰抜けだと言っていたエルダーやメディスンマンや精神的指導者たちの動向と影響であり、彼らに学んだ世代が今後どのような手を打ち、知恵を出してくるかである。だからぼくはその動きをいささかでも見つけようとヴィジョンとしての独立運動を注視し続ける。

next 新生ラコータ共和国が世界に向けて出した嘆願書

なお「寄付金」については、ラッセル・ミーンズ本人が自分の手紙としてウェブサイトに「寄付金を送りたいという人は、ラコータ共和国銀行といったものがきちんと立ちあがり操業をはじめたらおくってくれ。現在似たような名前をかたって寄付金を求めるものたちがいるがそれらはニセモノであるので気をつけてほしい」と注意を喚起している。そういえばラコータ共和国のウェブサイトのホームページについ最近モハンダス・ガンディー(マハトマ・ガンジー)の言葉が新たに書き加えられていた。それはつぎのようなものだ。

「First they ignore you, then they laugh at you, then they fight you, then you win. (最初、彼らはあなたを無視する。それから彼らはあなたを笑いものにする。それから彼らはあなたと闘う。それからあなたが勝利する)」

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Tuesday, January 29, 2008

ロンゲスト・ウォークに旅立つ君に贈るポスター

Longest Walk 2008

ロンゲスト・ウォークがけして終わっていないものもいる

Longest Walk 2 - February 11, 2008 - July 11, 2008 - 4,400mi

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Tuesday, January 01, 2008

I Wish You A Happy New Year

tipi_night

It is time to speak your truth.

Kitayama Kohei

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Saturday, December 08, 2007

in the spirit of John Lennon



IMAGINE PEACE

in the spirit of John Lennon


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Saturday, December 01, 2007

チーフ・アーボルが出した最も新しいメッセージを解読する

Kenahkihine 2006
カナキヘン(2006/12)
Kenahkihine & Mother
カナキヘンと母親(2007/10)
Black Buffalo with white legs
足先が白毛の黒バッファロー
Kenahkihine & Black Baffalo
カナキヘンと黒バッファロー

whitebuffaloンシルバニア州ファーミントンにあるウッドランド・ズーという名前の民間の小さな私設動物園で昨年12月にバッファローの白い赤ちゃんが生まれたことはすでにお知らせしてある。その土地の先住民たちから彼らの言葉で白いバッファローは「カナキヘン(Kenahkihine)」と名づけられた。「われらをお見守りください(Watch Over Us)」という意味だそうだ。その後の「カナキヘン」について断片的に情報が届けられるだけだったが、ほぼ一年たってようやく事実と共にその意味も明らかになってきている。

事実経過をはっきりさせておくと、昨2006年5月にまずその動物園で連れてこられたばかりの二頭のバッファローのうち一頭から普通の茶色いバッファローの赤ん坊が誕生した。普通の出産だった。バッファローは以後それら二頭の雌しかいないところで飼われていた。その出産からわずか6ヶ月後の11月12日に、5月に子供を産んだのと同じバッファローからまた赤ん坊が生まれた。普通のバッファローの妊娠期間は9ヶ月である。しかしその赤ん坊は母親の胎内で完全に育ってから生まれてきた。そしてその雄の赤ん坊は全身が白い毛で覆われていたのだ。彼が「カナキヘン」である。

ラコタ、ナコタ、ダコタの人たちから自分たちの予言の確認の意味で、ラコタの精神的指導者のひとりであるデイビッド・スワローが今年2007年の4月に動物園を訪れて確認をし儀式を執りおこなった。さらに今年の6月、ラコタの精神的指導者たちからの要請を受けて、動物園の近くに暮らすホリカチュクとショウニーの混血であるホーク・マイケル・スピサク(Hawk Michael Spisak)とそのパートナーで東部チェロキーの血を引くタムラ・ブレナン(Tamra Brennan)のふたりが定期的に動物園を訪れて祈りの儀式を執りおこなうようになった。

ところが今年の7月28日の日に再び特筆すべき異変が起きた。カナキヘンとその母親のバッファローのふたりとともにひとつの囲いの中に入れられていたもうひとりの別のバッファローが、実際いかなる雄のバッファローも雄牛もそばに近づいたことがなかったと証明されている雌のバッファローが、誰も想像していなかったその日に出産したのだ。生まれたのは女の子のバッファローで、全身が黒い毛で覆われていたが、4本の脚の下半分が白毛だった。処女懐胎としか言いようのない出来事だった。

動物園のオーナーは、母親バッファローが他の雄の近づけない環境にいたことが証明されると驚きを隠せず、人工授精などの可能性も調査したもののすべてが否定された。この不思議な出来事が、スピサクとタムラによって全米各地の先住民の指導者に報告された。そしてスピリチュアルリーダーのすべてがこれは全人類にとって重要な出来事であることを確認し、それ以後くだんの動物園の問題の三頭がいる囲いの前ではさまざまな儀式が断続的に続けられているという。

そこまでをのみこんだ上で、アーボル・ルッキング・ホースが11月12日月曜日に世界中の心ある人に向けて発信したメッセージをお読みください。飜訳はあわただしいなか小生があわててやっつけたので今後間違いがあれば手を入れていくことをあらかじめご了承ください。

ミタクエ オヤシン
(わたしにつながるすべてものたちに)

またひとつ偉大なるメッセージが動物の国からわれわれの元に届けられた。このたびの報せは、今までにもまして急を要するものだ! かねてより別の白いバッファローが誕生したというニュースをわたしは気にしていたのだが、このたびの報せは、今までのいかなる御しるしとも大きく異なっている。

地球の温暖化が世界に向けて発表されたのと同じ1994年以来、この地球の上に、少なくとも4年から6年の間隔を置いて、聖なる白いバッファローの仔たちがお立ちになられた。バッファローはわれわれにとてつもない緊急事態が起こっていることをその御しるしによって示されてきただけでなく、他の世界の多くでも動物の国が、この神聖な色のさまざまな動物を誕生させてきた。その色は「南」を表す。そして南は、われわれがスピリットの世界へ行くときに、ひとつの輪を完成させるときに通り抜ける方角である。この解釈は、わたしが大切に守り続けてきた包み、白いバッファローの仔牛の娘からの予言を今に伝える神器の収められた包みと関係する。かつて彼女はこう語られた。彼女のスピリットがこの大地のうえにたつとき、それは偉大なる変化がわれわれのすべてにまさに起ころうとしていることを伝えるためであると。そのときには、二本の脚を持つものたちは、自分たちが作り出した地球の傷を癒すためにその進む道を変えることになる。いのちとスピリットとを敬うという境界線が、おそらくそのときには破られていることだろうと。

今回の白いバッファローの誕生もそうした御しるしのひとつであり、事態が切迫しつつあることの自覚をうながしている。今回の新しい白いバッファローの生誕には、ふたりの雌のバッファローしか関係していない。彼女たちは隔離されていた。雄のバッファローの姿は影も形もなかった。とても信じられないことかもしれない。しかもこのたびはバッファローたちが飼育されているところの人たちも、雌のバッファローに人工授精を施したとして非難を受けたくないがために、ひたすら沈黙を守っている。過去にも、白いバッファローの仔牛を所有することを宣伝材料にしていると非難を浴びるような事例があったからだ。

ペンシルバニア州ファーミントン市にあるウッドランド動物園が自分たちの施設に2頭の雌のバッファローを運び込むことにきめた。バッファローたちが連れてこられたとき、一頭の雌は妊娠していた。やがて彼女は仔牛を出産した。その仔牛は売られていった。そして6ヶ月後、同じ彼女が再び別の仔牛を産み落としたのだ。今度は白いバッファローの仔だった。普通バッファローは人間と同じように出産までに9ヶ月を要する。彼女と一緒に連れてこられて、同じところで飼育されていた別の雌のバッファローは、その白いバッファローの仔が地球に立たれてから9ヶ月後に、黒いバッファローの仔を産んだ。そして今度もまた雄のバッファローの存在はまったくなかった。

わたしがこの事実に着目したのはそれからまもなくのことだ。一連の儀式が終わり、真相やメッセージを理解できるようになるまで、わたしは発言を控えるようにしてきた。

1994年以来、何度かこの種類の御しるしがもたらされた。だが人びとはその御しるしに耳を傾けることも、動物の国からメッセージとして送られてくる大切ななにかを受けとめることも、どちらもしたくはないようだった。これは信仰の問題とも大いに関係する。

メッセージが伝えているのは次のようなことである。われわれは今たいへんに危険なときにいる! 偉大なる曾祖母の地球(Unc’i Maka)のうえにいる人びとは頭のなかで、地球という大きな共同体のなかで暮らすわれわれすべてを痛めつけている新しい生き方に焦点を合わせることを選択している。この生き方は戦争を選択し、物理的に、あるいは言葉を用いて、互いに傷つけあい、自分たちが真に必要とする以上の資源を奪い去ることで曾祖母の地球を(Unc’i Maka)を冒涜し続けている。こうした選択はただわれわれ人間だけを傷つけるのではなく、われわれが受け入れた生き方によって無数の動物の国々を死に追いやり絶滅させていっている。偉大なる曾祖母の地球(Unc’i Maka)は、すべてのいのちに食べるものを与え続けるために、過酷なときを送ることになるだろう。こうした選択は出来うる限りすみやかに、ひとりひとりが、すべての人の手の中で変えていかなくてはならない。いのちのスピリットを敬う心が取り戻され、しかるべきところに境界線が引き直されて、すべての人たちの生活のなかに信仰が戻らなくてはならない。

われわれにはこの声に耳を傾ける以外の選択はない!

地球に平和が広く行き渡らんことを!
聖なるいのちの輪のなか、
そこには終わりもなければ、はじまりもなし!


チーフ・アーボル・ルッキング・ホース
 聖なる白いバッファローの仔牛のパイプの第19代目守り人

next グレイト・スビリットは急いでおられるのか(December 11, 2006)

next 白いバッファローと虹(December 13, 2006)

next いつまでも見守ってくれるといいのだが(December 25, 2006)

reddot WHITE BUFFALO CALF WOMAN STORY As told by John (Fire) Lame Deer ホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマンの言い伝え 北山耕平訳

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Monday, October 15, 2007

ネイティブ・ピーブルの環境にたいする考え方

mita'kuye oya'sin

「環境はそのなかに暮らす人の心と頭の中身の投影である」ということをかねてからぼくは伝えようとしている。これはいうならばネイティブ・サイエンスの中核にある認識の仕方で、わかりやすい例をあげれば、「あなたの着ているものはあなたを投影し」ているし、「あなたのマインドはあなたの暮らしている部屋と相似象」なわけだし、「あなたの家の中のありさまはあなたの家族の状況を投影している」し、「あなたがその一部の共同体のゴミの状況を見ればその共同体を構成してる人たちの頭と心の状態もわかる」し、「ひとつの国の周辺の自然の汚れ方などを見れば、その国民のマインドの程度が見える」し、「地球のありさまは今の世界の写し鏡」ということでもある。ひいてはこれは「心が汚れている人が作り出すものは必ず公害をまき散らす」(ローリング・サンダー)といった表現ともつながってくる。

もうすこし自然界を広くとらえた表現をすれば「環境とはそのなかに暮らすすべてのいのちあるものの意識の投影である」といったほうがより正確かもしれない。熊や狸やハクビシンや犬やネコといった四つ足の生きものや、羽根をもつ生きもの、地を這う生きもの、物言わぬ木々や草花、石、土、川、山、湖、海、月、星、太陽の考えていることも、当然環境には投影されてくるからだ。自然が撤退をはじめた都市などでは、そこに暮らす人たちの心が環境を支配しはじめる。

当然、どんな色のものを身につけるか、家の中や周囲をどのように飾り付けるか、そういったプロセスのひとつひとつが、環境と自分の関係を常に思い出させるように働いている。

心と環境の関係を考えるのに、覚えていてほしいのがネイティブ・アメリカンのラコタの人たちがしばしば口にする「ミタクェ・オヤシン(Mitakuye oyasin)」という言葉である。この言葉は、ラコタの人たちのみならず、すべての地球に生きるネイティブの人たちの世界の認識の仕方を象徴する言葉と考えることができる。

「ミタクェ・オヤシン(Mitakuye oyasin)」は、ラコタ語辞典的に表記すれば「mita'kuye oya'sin」となり、「mita'(わたしの)」「taku'ye(親戚・つながる)」「oya'sin(すべて)」の3つの言葉から構成されている。「ミィ・タア・クゥ・ヤァ オー・ヤ・シン」と発音される。

もちろん心がこもっていなければただの言葉のひとつだが、心がともなうとそれは死生観や存在の仕方といったおそろしく深い意味を持つようになる。エルダーのなかにはこの言葉はきわめて神聖なために過度に口にすべきものではないという人もいたりするので、声に出して言うときには注意を要する。

ラコタのメディスンマンのレイム・デイアーの語りおろしをぼくが翻訳した際には「わたしにつながるすべてのものたちよ」と日本語化した。「われわれはみなつながっている」と翻訳することもできる。

これはそのまま彼らの伝統的な思考法であり、自然の、環境の、共同体の、国の、世界の、宇宙の受けとめ方でもある。目に見えるものもめに見えないものもすべてが網の目のようにつながりあっていて、わたしたちは意識という触手で相互に影響を与えあっているのである。そしてあなたがなにかをするということは、そのすることによって他のすべてに影響を与えることになる。

さて、今日はゴミを出すついでに、ぼくの暮らしている地区のゴミの集積場をつぶさに見てくるとしよう。そこは見事なまでに共同体の心のありさまを映しだしているにちがいない。

HO!

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Wednesday, October 10, 2007

あえて「スピリットは売り物ではない」とこのあたりで言っておこう

end of trail近は mixi を見るたびに憂鬱になる。mixi がおこなった外装の化粧直しもその理由のひとつなのだが、じつはそれはぼくにとっては大きな問題ではない。もともとそれほど熱心にかかわりを持ってきたわけではないし。

憂鬱の種は、mixi にいくと「アメリカ・インディアン」関係の会議室のトピックのタイトルが目に飛び込んでくるからだ。自分のブログのアクセス解析の過程で、いきなり mixi の会議室に連れて行かれることもあり、そういうときはなるべくそのコミュニティーに参加する手続きをしてきた。今を生きるネイティブ・アメリカンのことを日本の若い世代に伝えようと考えてアメリカより帰国し、本を書いたりしはじめたのが1980年代の初めだったから、それ以後今日までに育ってきた人たちの発言にはそれなりに興味も関心もある。自分が彼らになにを伝えてきたのかを確認する意味でも、その世代の声を聞くことは重要な気がしてきた。ブログをはじめた理由のひとつもそこにある。

20年前に比べたらずいぶんネイティブ・アメリカンに対する関心も高まり知識も増えた。ぼくなんかより特定の部族についての知識を持つ人も今では少なくない。書物も、情報もたくさんある。ある意味で自分が望み夢見たように、関心も高まっているし、情報を受けとめて育ってきた彼らの見方にも大きな変化が見られる。昔からインディアンに対する関心の持ち方にはいくつかのタイプがあった。アウトドアライフやサバイバル・テクニークの延長から興味を持ってくる人、過酷な歴史を生き延びる少数民族として関心を持つ人、彼らが残したシンプルで力強い言葉に惹かれる人、そのプリミティブな社会構造に関心を持つ人、精神性の高さに惹かれる人などなど。

これまでぼくは一貫して「日本列島で日本人をやらされているわれわれがネイティブ・アメリカンになる必要は少しもないこと」を伝えようとしてきた。自分のなかで眠り込まされている「ネイティブ・ピープル」の部分の目を覚まさせるだけでよいのだと。そうすれば「日本人という目に見えない牢獄」から解き放たれて世界のネイティブ・ピープルから学べることはたくさんあるのだと。

最近気になっていることは、そうしたネイティブの人たちについて、現代日本人をやっている若い好奇心旺盛な世代の発言のなかに、「自分は心がインディアンだ」とか「前世がインディアンだった」とかいう言葉が目立ちはじめていることがある。それらはまったく、ぼくが70年代末から80年代にアメリカのヤッピーたちのあいだでよく聞いたようなせりふなのだ。ぼくはその人の前世がなにであるのかにあまり関心を持たない。人間が今の地球に生まれてきたのは、やるべきことをやらされるためであると信じてはいるけれど。そして、いやしかし、こういう、ある意味で偏った、インディアンにたいする過度なあこがれに満ちた発言の多くは、ネイティブ・アメリカンの精神性だけにしか関心を持たない人たちの登場を示している。これは危険な徴候であるようにぼくには思える。

鬱になるのには、そうした精神性にこだわる発言が目立つようになったのにつれて、このところにわかに「ネイティブ・アメリカンの儀式やセレモニーを売り物にする広告」もしくは「来日するネイティブのメディスンマンやシャーマンが個人的なヒーリングをおこなったりカウンセリングをしたりするお知らせ」「〇〇族のエルダーが来日」などという記事が目立つようになってきたことがある。「個人セッション 4万円、メディスン・ヒーリング 5万円」などというものまであった。

ぼくはこれまでもしばしばそうしたイベントに行こうかと思うのだがという相談を受けた。スエットロッジの儀式で数万円というものもあった。いわゆるスビリチュアル・コンベンションに集うようなニューエイジな人たちが、このての話題に群がるのを多く目撃してきた。実際にアメリカにいき、アリゾナのセドナなどでそうした儀式に参加したという人たちとも多くであった。もちろん話題としてどうということなくスルーできるものもたくさんあるのだが、このところ度を超したものも散見するようになってきた。どうしてもここらでひとつ書いておかなくてはならない。それがまた自分には憂鬱なのだ。

イティブ・アメリカン・スピリチュアリティーなるものがアメリカの人びとの口にのぼるようになったのは80年代のことである。「インディアンであること」が70年代の価値転換運動の結果「ひとつの価値」とみなされるようになったために、当時のネイティブのエルダーたちにいわせれば「無知(イノセント)で愚か(フール)」な、瞬時の癒し(インスタント・ヒーリング)を求める白人を相手にした「ネイティブ・ウィズダム・ビジネス」「メディスンマン・ビジネス」「インディアン・ヒーリング・ビジネス」がまんえんしはじめた。プラスティックなメディスンマンたちや、自らを精神的指導者と名のり人びとや追従者を集める人たちが増加するようになると、ぼくが知るかぎり、当時まだ健在だった伝統派インディアンのエルダーたちはそうした傾向、スピリットを売り物にすることに対して警鐘を鳴らし続けた。

たとえば、アメリカ大陸北西部太平洋沿岸の先住民の部族であるテュラリップ・ネーションで、漁業権問題で長いことアメリカ政府と戦い続けたジャネット・マクラウドというエルダーの女性はその当時こういっていた。

imagenamestart_quote白人たちはやって来るとすぐにわたしたちから湖や川や水をとりあげた。そしてつぎは湖や川で穫れる魚たちをとりあげた。さらにその後にはわたしたちの土地の鉱物資源をほしがり、それをとりあげ、わたしたちの自治をとりあげた。最近では宗教をとりあげたがっている。そんなときいきなり、わたしたちのまわりを恥知らずな馬鹿者たちが自分たちはメディスンピープルだなどと口走りながら走りまわりはじめた。この連中はスエット・ロッジの儀式をあなたがたに50ドルで売り渡したりするでしょう。それは正しいことではないだけでなく、反吐が出るほど腹立たしいことでもあるのです。そもそもインディアンは、自分の精神性を誰かに売り渡したりはしないもの。相手が誰であれ、また値段がいくらであれ、そんなことはしません。精神性をお金に替えることは、インディアンの人たちからなにもかも奪い去るという長い泥棒の歴史のひとこまにすぎませんが、しかし泥棒の歴史のなかでも最悪なものですend_quote

こうしたエルダーたちからの抗議や声が高まると、にわか仕立てのメディスンマンやメディスンウーマンは、ターゲットをまずはヨーロッパに定めた。90年代のヨーロッパで最もホットな話題のひとつがネイティブ・アメリカン・スピリチュアリティーであり、ドイツやフランスや北欧の国々にそうしたユダヤ人でありながら書物や映画やセミナーで学んでメディスンマンとなり儀式をお金に替える人たちや、ビジネスマインドを獲得したネイティブ・ピープルのなかからも金儲けに走った人たちや、ただの女好きで女性に貢がせるのを目的とした急場仕込みのネイティブ・シャーマンと名乗る詐欺まがいの連中がなだれ込むことになった。

ヨーロッパではその後20年くらいかかって啓蒙運動が進み、聖なるものを売り買いすることに対してネイティブの人たちの抱えている怒りや悲しみを学ぼうとする人たちも増えつつあると聞いた。そのひとつの成果として、今年の秋『売り物にされたスピリット(Spirits for Sale)』というタイトルのドキュメンタリー映画がスエーデンで公開される。その紹介のコピーには次のように書かれている。

Spirits for Saleヨーロッパにおけるネイティブ・アメリカンやネイティブ・カナディアンに関する情報の多くはしばしばファンタジー(空想)と嘘で満ちあふれています。一般の人たちは、アメリカ大陸先住民のほとんど知らず、知っていることは西部劇映画やスポーツ競技のマスコットなどからつくられたステレオタイプな知識がもとになっています。「インディアンなどもはや存在しない」と信じている人たちですらいたりします。と同時に、ヨーロッパではいわゆる「ネイティブ・アメリカン・スビリチュアリティー」にたいする興味の高まりを見てとることができます。聖なるさまざまなものを用いた儀式やセレモニーがウエブサイトやフリーペーパーなどで値段をつけて売られています。誰もが週末の講座を受ければ「インディアンのシャーマン」や「メディスンピープル」になれるようなことを謳うカルトまがいのものや組織まであります。情報があまりに乏しいために、ほんとうの先住民の人たちの声はほとんど、あるいはまったくといっていいほど伝わっては来ません。そうした売り物にされる儀式のほとんどは平原インディアンと呼ばれる人たちのものであり、詐欺師まがいの人たちは情報がないことをいいことに彼らの精神性をもてあそび相当な額のお金を稼ぎ出しているのです。

arrow2 Spirits for Sale

イティブ・アメリカンの精神性をお金に替えることでおいしい目を見たプラスティック・メディスン・ピープルたちが、ここへきてターゲットを「イノセントで愚かな」中産階級の日本に絞ったのではないかと思われることをしばしば目撃したり耳にしたりするようになったことは、ぼくには見過ごすことができない問題でもある。少なくともぼくが80年代の前半にアメリカで出会い、教えを乞うた、その生涯をメディスンマンとして生き抜いてスピリットの世界に旅立たれた人の誰もが、教えを求めたぼくにお金を払うように求めてきたことはただの一度もない。彼らは、スピリットに値札をつけたとたんに、精神世界は物質世界へと転換し、目に見えないで存在していた世界は崩壊することを知る人たちだった。

日本国は「すべてのものに値札をつける」ことを文字に書かれた歴史がはじまったときから推し進めてきたために、聖なる穀物を捨ててお金としての稲作を選んだその帰結として、今では「一切の聖なるものが失われ」てしまっている。このあたりのことは『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版)という本に書いたので詳しくはそちらをお読みいただきたい。そうした日本という牢屋のなかで「あらゆるものに値札をつけることに麻痺した人たち」は「ネイティブ・アメリカンの精神性」に対して値段をつけることだっておそらく平気でおこなえるのかもしれない。だが、なんの偶然なのか「まったくお金というものが存在しない世界」の片鱗を半ば強制的に垣間見せられたもののひとりとして、お金の必要ない世界を夢見るもののひとりとして、それでもぼくは「ネイティブ・ピープルのスピリットは売り物ではない」と言わせてもらう。

start_quoteこの世界を創られた存在は今なにが起こっていて、なにが正しいことで、なにがリアルなのかをわかっておられる。そうした「シャーマンたち」はほんとうの自分以外のものになりすまそうとしているのかもしれないが、この連中も、創造主の前ではふりをつづけることなどできない。end_quote
マシュー・キング オグララ・ラコタのエルダー 1980年

インディアンの精神性を売り物にする人たちに尋ねるべき4つの質問

1) いかなる国、部族を、その人物は代表しているか?

2) 氏族(クラン)あるいは結社(ソサエティ)はなにか?

3) 誰の指導のもと、どこで学ばれたか?

4) 現在の住所はどこか?

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Thursday, August 16, 2007

50th Anniversary of On the Road

*以下の文章はワールドフォトプレス社刊の雑誌「トム・ソーヤー」2007年6月号のために書きおろしたものである。同社編集部の許可を得てここに再録する。

五〇年目のオン・ザ・ロード

「・・・世界がリュックサックの放浪者で、ダルマ・バムスで、あふれていると考えてほしい。生産されたものを消費するというよくある要求にこたえることを拒絶し、それがために、冷蔵庫やテレビ機器や自動車、少なくともこぎれいな新車や、ある種のヘアオイルやデオドラント、たいてい一週間後にはゴミの仲間入りをしているよくあるくだらないもの、労働・生産・消費・労働・生産・消費と続くシステムにとりこまれている一切すべてのものを拒絶するという特権のために働かなくてはならないものたちであふれている世界を・・・」

「・・・ぼくは、偉大なリュックサック革命というヴイジョンを見る。何千、いや、何万という数の若きアメリカ人たちが、リュックサックと共に放浪している姿をだ。山の頂に登っては祈りをあげ、子どもたちを笑わせ、年寄りたちを喜ばせ、若き女の子たちを幸せにし、若くないおばさんたちをより幸せにさせていく。みなことごとくがゼン(禅)にのめりこんでいるものたちで、理由もなくいきなりたちあらわれる詩をせっせと書きとめ、そしてまた親切から、それも予想もしない奇妙な行為で、万民とすべての生きとし生けるものたちのために永遠の自由というヴィジョンを与え続けるのさ・・・」

——ジャック・ケルアックの小説『達磨の放浪者[ダルマ・バムス]』のなかで
ジャフィー・ライダーという登場人物が口にする言葉(北山訳)
Imagename

1947年の冬にケルアックがたどった旅のルート地図。彼のノートに描き込まれた本人の直筆。

ートの小説家で、詩人でもあったジャック・ケルアックが、それらの言葉を書きとめたのは一九五八年のことだった。彼はその前年の五七年に、代表作となる『路上』[オン・ザ・ロード]を発表し、ビート・ジェネレーションの登場を世界に向けて宣言したのである。(註・実際のオン・ザ・ロードの旅は第二次世界大戦が終わった直後の1947年から48年にかけての冬におこなわれたものだった。右下の表紙写真は初版本のカバー)

当時はまだ街にしゃれたアウトドアショップなどはなく、いわゆる山屋やスキー屋が、新しい旅人たちにとって旅の道具[ギア]の供給場所となっていた。ビート世代が夢に見た「リュックサック革命」は、その後七〇年代の「バックパッキング・ムーブメント」に引き継がれ、街にはアウトドアショップが増えていく。

多くの若者たちが、丈夫で長持ちする、そして可能な限り重量を抑えた必要最低限の道具をそろえて、世界を旅しはじめた。インド、南北アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、日本列島の各地でも、バックパックを背負って旅をする新しい世代の姿を多く見かけたものだった。

しかしそうしたバックパッカーの多くが、二〇世紀末になるまでに労働・生産・消費・労働・生産・消費と限りなく続くシステムに結局のところ取り込まれていってしまう。二一世紀にはいった今、バックパッカーの姿を見かけることはまれになり、前世紀から比べると人々の旅のスタイルも劇的に変化した。

リュックサック革命は不発に終わったのだろうか? いや、ぼくはそうは思わない。バックパックに引き継がれたこの革命は、人生そのものを旅ととらえる認識の広まりと共に、今、新しい段階に入ろうとしているようにも思える。

ビート世代がヴィジョンしたリュックサック革命は、当然のことながらアウトドア産業のためのものなどではなかった。彼らはできるだけたくさんの人たちと会い、その人たちを幸せにする必要性を感じていた。できるだけたくさんの人と出会う心豊かな旅して成長していく旅の道具の象徴が、リュックサックだったのだ。リュックサックがバックパックになることが「革命」だったわけではない。

もちろん軽くて丈夫で使いやすい優れた道具があるに越したことはないのだけれど。「旅においては目的地に到着することよりも希望を持って旅することの方が大切だ」という言い伝えがあるではないか。

管理された社会において絶望がはびこり、人生という旅において希望を求める人たちが急増している今、ケルアックの言葉を借りれば、永遠の自由を言葉や詩で伝えて、年寄りや女性や子供たちを幸せにしつつ旅を続ける世代が生まれ出でようとしているように思えてならない。

imagename今年は、ビート世代が道の上に出て、文化のあり方にパラダイムシフトをもたらしてからちょうど五〇年目の節目にあたっている。そろそろ、自分にとってほんとうに大切な、最低限の道具とはなにかを確認するためにも、そして精神的に「さらに成長する」ために、人と人とのつながりを確認するために、信頼がさらなる信頼をはぐくむことを知るために、新しい世代は路上に出てほしい。

ケルアックが半世紀前に書き残した冒頭の言葉は、今もなお、静かに、そして力強く、ほんとうのことを訴え続けている。

next 関連記事:ジャック・ケルアックが散文を書くための覚書として残したクールな文章の試訳と彼の写真を使ったGAPのポスター

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Monday, July 09, 2007

先週末の2日間を振り返って

feather7日8日と、南房総の山奥であたりを見下ろしながらたっている大きなくすの木の下で、蝶々たちや蛇たちやリスたちや虫たちや無数の鳥たち、花たちとともに泊まりがけの風をひらくワークショップがあり、遠くは愛媛や広島といった遠方から駆けつけてくれた人たちもふくむ30名ほどの聞く耳の準備ができた人たちの前でお話しをしてきた。7日の午後に風をひらき、その夜は深夜までさまざまな話をした。話したことはその場に居合わせた人だけの秘密となった。:-)

予報では天気は下り坂とのことで、途中一瞬雨がぱらついたが、一夜明けてみると嘘のように良い天気となっていて、樹齢800年ほどのくすの巨木が空に大きく両手を広げて——さながらインディアンの祈りの姿勢のごとくの体勢で——笑っておられた。昨日のあの吹き抜ける風が気持ちよい嘘のような天気が、今回の集まりへの偉大なる精霊からの答であることを誰もが確信したはすだ。

一転して関東平野の今日はまた空梅雨の空。朝から7日の日に地球をまるごと包んで行われた無数の小さな祈りの集会の報告を読み、大がかりなライブ・アースのコンサートの各地の様子を記録したビデオクリップをいくつか見た。

liveearthlogoぼくが見たのはアメリカの首府ワシントンDCのスミソニアン国立アメリカン・インディアン博物館の中庭で行われた「マザーアース」という先住民文化の側からのコンサートの中継だ。このコンサートは、おそらく、日本をふくむ地球のほかのどの地域で行われたライブアースのコンサートとも違っていたはずだ。なぜなら、コンサートと言うよりもそれは、先住民的な観点からの世界の見方を学び、それに耳を傾けるための、母なる地球に思いを馳せる新しい時代の夜明けを招聘する祈りに満ちたコンサートになっていたからだ。いつまで掲載されているかわからないが興味があればぜひ一部をご覧ください。会場で紹介されていた印象的な言葉のひとつを書きとめておく。イコロイ族・オノンダガ国、オレン・ライオンズからのメッセージで、それは

start_quote自然界を「資源」としてではなく、「たくさんの親戚たちに満ちあふれた世界」と見ることで、たくさんのよいことが起きるだろうend_quote.gif

というものだ。くすの木の下でぼくたちが感じた不思議に満ちた世界もきっとそのたくさんの親戚であふれた世界だったのだろう。それにしても、あの聖老人のくすの木はただものではありませんでした。

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Saturday, June 30, 2007

北山耕平、東京エフエムのスタジオに行く

microphoneインディアンは笑う』という本の発売日の28日に、緑なす皇居を眼下に見下ろす東京エフエムの ENTERMAX という番組のスタジオで、パーソナリティーの坂上みきさんと話をさせていただいた。午後4時過ぎから時間にして30分程度。そのなかで、お気に入りのジョークを聞かせてと言われて、本に収録していないものを話した。それが以下のジョーク。(ジョークだぜ!)

イラク戦争の時、世論の動向を調査するために、イラクからアメリカ軍が撤兵すべきかどうかの聞き取りが行われた。調査は数あるネイティブアメリカンの居留地の中でも行われた。結果は、全インディアンの15%がアメリカの軍隊は即座にイラクから撤兵すべきだと回答した。そして、残りの85%は、次のようにこたえた。アメリカ軍はただちにアメリカ大陸から撤退すべきだと。

前もってこの話をするという打合せはなにもなかった。スタジオに行って手渡された台本に、お好きなジョークをと書かれていたので、とっさに最近自分が笑った話をした。話を終えた瞬間、世界が静まりかえったような気がぼくにはした。番組にそぐわなかったかもしれないと思ったが後の祭り。番組自体は実になめらかに続いてぼくの短い出演は終わった。あとで振り返ると、東京エフエムで話をしたのは今回が3回目。一番最初は宝島の編集長をしていた二十代のころに、竹村健一先生の番組で、おそれも知らぬままビートルズの「Let It Be」について話した。次はアメリカから帰国して「自然のレッスン」の本を出してしばらくして大貫妙子さんの番組。そして今回。政治的に正しい用語に気を使うパーソナリティーの坂上さんが、必死に「ネイティブ・アメリカン」「ネイティブ・アメリカン」と表現しているなか、ぼくは「インディアン」という言葉を連発した。きっと困っていたかもしれない。\(^O^)/

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Sunday, June 24, 2007

わたしにつながるすべてのものたちに感謝を

富士山の北側にある西湖という湖に面したキャンプ場で、夜を通しておこなわれたWPPD2007から帰ってきた。われわれの冨士を回るメディスンホイールの旅も今年は節目の4回目を迎えて、夏至の時間に焦点を当てたために、闇のなかの焚き火とキャンドルナイトとなったが、平日にもかかわらず100名を超す人たちが自発的に参集し、立ちのぼる煙と頭上の星と流れる雲と静けさに包まれて祈りと瞑想の時間を共有し、共に無事に美と平和のなか夜明けを迎えることができた。心をつくして調理された穀物と野菜のおいしいおじやをみんなでわけあったあと、ぼくはほとんど夢うつつだったが、富士山の上三分の1ほどが見える西湖の湖畔にて「ジャンピング・マウスの物語」も、スピリットがその頂に立つ富士の御山に奉納された。冬至の日に山から下りて来られた神々が、夏至の日にはまたそれぞれの聖なる山に帰られるという。献身的にこのギャザリングの成功のために力をおしまなかったそれぞれのスタッフのみなさんとそのスピリットたちに、あらためてお礼を言います。そのまま眠い目をこすりながら山を下りたが、中央道を八王子あたりまで来たときに雨が降り出した。きっとそれは祝福の雨であったにちがいない。富士山の力が自分のすぐ近くにあり続けることをあらためて確認でき、そして新しい夜明けをもたらすなど、今回のギャザリング可能にしてくれた自分につながるすべてのものの存在をすぐ身近に感じることができたことはなににも代え難い喜びだった。
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その日ぼくは泥のように眠り、平和な眠りから覚めた翌日に『インディアンは笑う』という28日に発売される自分の最新の本の見本刷りが届けられた。
この偶然はすごいや!

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Tuesday, June 05, 2007

アメージング・グレイス(チェローキー語)

next Native Heart: 驚嘆すべき恩寵

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Friday, April 20, 2007

人間にとって歩くことは祈りの形のひとつ

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*3月21日春分の日に島根県の島根原発を出発して6月22日夏至に六ヶ所村に到達するピースウオークが石川県に到達しようとしています。熊本デアンナプルナ農園を営む正木高志さんが提唱してはじまりました。木を植えながら、おむすびを食べながら、日本海側を北上中。憲法9条の精神と六ヶ所の事を伝えようという祈りの巡礼です。[スタジオ・リーフ/人間家族編集室からの情報]

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Thursday, April 12, 2007

環境にたいするホロコーストを終わらせるために

Haida Gwaiiこのブログで以前にも何回か紹介したが、カナダのブリティッシュ・コロンビアの北西部沿岸に位置するクイーン・シャーロット島で暮らすハイダの長老の言葉に、「力をあわせれば、われわれは環境にたいするホロコーストに終止符を打つことができる」というものがある。「ホロコースト」は、普通第二次世界大戦において推定600万人のヨーロッパのユダヤ人がアドルフ・ヒトラーに率いられた国家社会主義者(ナチ)による絶滅計画によって大虐殺されたことをいう。このホロコーストという言葉を耳にすると、現実を受けれる能力を持った人は、頭を深くたれて、胸を痛め、二度とそのようなことが起こってはならないと心に誓う。ところが先のハイダの長老の言葉は、われわれの環境にたいする「絶滅計画」が今もなお実行に移されていることを教えている。人間が地球にたいして、環境にたいして、おこなっている——おこない続けている——ことをひとつひとつ本気で精査する必要があるのかもしれない。これまでにたくさんの種が絶滅させられてきたし、われわれが力をあわせてこの行為を止めることが出来なければ、これから10年のあいだにさらに多くの種が絶滅していくことになる。われわれはなにも深く考えることなく多くの生命を消し去ってきた。失われたものは二度と返ることはない。すべてが手遅れになる前に、必ずややれることがまだ残されているはずなのだ。

next 平成18年12月22日に環境省が発表した資料−鳥類、爬虫類、両生類及びその他無脊椎動物のレッドリストの見直しについて

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Sunday, February 25, 2007

7つの雷の予言

eaglefthr.gif7つの雷の予言は、そういうものがあるというふうに受けとめてもらえるとありがたいものです。できるだけそのまま、要点のみを伝えるようにします。なにも隠さず、なにも付け加えることなく。だから、ここにある以上の説明を求めないでください。ぼくには答はありません。予言を一読すれば、これが「アストラン」の人たち(アメリカ合衆国南西部の、ショショーニ、ユート、ホピをふくむプエブロの人たちから、国境の南のメソアメリカのアステカやトルテク、オルメカ、マヤなどの影響を色濃く残しているタマユマラ、ラカンドンなどユト・アステカン語族の先住民たち)と関係があるらしいことはわかりま