大いなる謎 #001
大いなる謎(偉大なる神秘)の崇拝とは、沈黙であり、ひとりきりであり、一切の利己的なるものから自由であることだった。なぜ沈黙かと言えば、声を用いた話はなんであれやむを得ぬとはいえ弱々しく不完全であるからであり、それがゆえにわが遠祖たちは、無言の崇拝のうちに神の元へのぼられた。なにゆえにひとりきりかと言えば、ひとりでいるときには彼がそばにいてくださると信じられたからであり、人間と人間を創られしものとのあいだにはいかなる司祭といえどもわりこむことなどできなかったからである。勧誘や、告白や、また自分以外のひとの宗教的体験に干渉することは、なにであれすべきではない。われわれにとっては、人間はみな神の子として創られたもので、その神性を意識しつつまっすぐに立つものとされた。われらの信仰は教義として説明されることもなく、また強制されるようなものでもなかった。オヒエサ(チャールズ・アレクサンダー・イーストマン)[1858-1939]ラコタ一族 『インディアンの心の奥底』〔The Soul of the Indian, 1911〕 第1章 大いなる謎 より
オヒエサことチャールズ・アレクサンダー・イーストマン(写真)はネイティブ・アメリカンの作家のなかでも異彩を放つ存在だ。ウッドランド・スーの祖母の元で1858年から1874年まで伝統的なラコタとして育てられ、ほんらいのネイティブとしての生き方、言葉、文化、口承の歴史を身につけた。その後、父親の強い勧めで白人の教育を受けることになり、ダートマスとボストンの医科大学に進学。西洋スタイルの高等教育を受けた医師として、また唯一のネイティブの医者として1890年のウーンデッドニーの虐殺事件のときには被害者たちの看護にあたっている。彼と同世代のインディアンの作家たちのほとんどが、白人化教育しか受けておらず、いっさいの伝統的な知識を与えられることなく育ったのと比べると、あらかじめ彼が少年時代の15年間ほどを伝統的な生活のなかで過ごして学んで身につけたことは、文化人類学者などの資料から学んだ知識ではなく、よけいなフィルターが入っていないことから、きわめて信憑性の高い貴重な第一次情報になっている。当 Native Heart Blog ではこれから半年ほどかけて彼の代表作である『インディアンの心の奥底』を、少しずつ、不定期に紹介していこうと考えている。
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