Wednesday, October 03, 2007

虹が出るようになった理由 ラコタ(スー)

rainbow over tipi

よく晴れたとある夏の日のことだった。

花たちが、みなそろいもそろって、おもてでやさしい風に吹かれて、さきほどからしきりと、頭の上げ下げを繰り返しながら、さも自慢そうにそれぞれのたくさんの美しい色を、あたりに見せつけていた。

そんなとき、大いなるスピリットは、年老いた花たちがこんなことを語りあっているのを耳にした。

「いったいわたしたちはどこへ行くのだろう? 冬が来たら、みんな死ななくてはならない。わたしたちはこの地球を暮らすのに美しい場所にするために力を分けあっているではないか。こんなに不公平なことはない。そんなわたしたちが自分たちの幸福な狩り場に行けないなんて、どこかおかしくないか?」

大いなるスピリットはそのことを考えた。そして花たちを、冬が来ても死なないようにすることにしたのだ。

というわけで、その後は、いのちをよみがえらせるような雨が降ったあと、空を見あげると、この1年に咲いた色とりどりの花たちが美しい虹となって天国に渡っていくのが見れるようになった。

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Wednesday, September 19, 2007

犬が逃げていった道 チェロキー一族のおはなし

Milky Way

昔、世界がまだ若かったころ、空には星があまりありませんでした。

当時の人びとは日々の食料のすべてをトウモロコシに頼り切っていました。乾燥させられたトウモロコシが大きな木の臼のなかで、これも長い木の杵でつかれてコーンミールになるのです。コーンミールは大きなカゴのなかに蓄えられました。冬になると挽かれたトウモロコシの粉は、パンやおかゆへと姿を変えたものです。

ある朝のこと、年老いた夫婦が貯蔵用のカゴのところにコーンミールを取りに行きました。そしてなにものかが夜のうちに大切なコーンミールをカゴから持ち去っていたことを発見したのです。ふたりはたいそう腹を立てました。こともあろうにチェロキーの村に泥棒が出没したのかもしれません。

しかしふたりは気がつきました。カゴのまわりの地面のあちこちに、コーンミールが散らばっているではありませんか。ぶちまけられたようなコーンミールのまん中のところには、とても大きな犬の足跡が残されていました。犬にしてはとても巨大な足跡です。老人と老婆は、その犬がおよそ普通の犬ではないことに気がついていました。

ふたりは大あわてで村中の人たちに知らせて回ります。その犬は別の世界から来たスピリットの犬であるにちがいないと村人たちは信じました。村では誰もスピリットの犬の訪れをのぞんだりはしません。

村の人たちは頭を寄せあって考え、スピリットの犬を追い出す算段をしました。とことん怖がらせてやれば、犬は二度と帰ってくるはずはないと。その晩、人びとは村中の太鼓と、亀の甲羅からできたガラガラを集めると、コーンミールの貯蔵用カゴを置いてある場所の周囲に隠れて息をひそめました。

その晩の夜更け。たくさんの鳥たちがいっせいに翼を羽ばたくような物音が空から聞こえました。村人たちが顔を上げて夜空を見あげると、一匹の巨大な犬が彼方から急降下してくるではありませんか。やがて犬はバスケットの近くに着地をするや、口いっぱいにコーンミールをほおばり、ムシャムシャと食べはじめました。

そのときをねらったかのように、手に手に太鼓やガラガラを持ち、けたたましい音をたてながら、村人たちがいっせいに物陰から飛び出してきました。いやその音のものすごいことと言ったら、まるで雷が落ちたかのようです。

巨大な犬は音のする方を見ると大あわて、一目散に細い道を走りはじめました。ここぞとばかり村人たちはさらに思い切り大きな音をたてながらその逃げる犬の後を追いかけます。犬はそのまま近くの山に一気に駈けのぼり、そこから空に飛び出しました。犬が口いっぱいにほおばっていたコーンミールが、そのとき夜空にばーっとまきちらかされたのです。

大きな犬は暗い夜空を逃げに逃げてやがてその姿も見えなくなりました。でも彼の口の端からこぼれ落ちたコーンミールが、犬の消えた方に向かって、夜空を横切ってどこまでもどこまでも続いていました。コーンミールの一粒一粒が星になったのです。

天の川はこのようにしてできました。チェロキーの人たちはだから、天の川のことを、「犬の走り去った道」と今も呼んでいます。

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Saturday, April 07, 2007

蝶々はなぜつくられたのか? (部族不明)

る日のこと、すべてを作られるお方は座ったまま子どもたちが、元気に、喜びと若さをあふれさせて、遊ぶのを見ておられた。あたりは美と木や花たちの良い香りに包まれていた。鳥たちは幸せそうに歌い、空はどこまでも青かった。彼には女たちがトウモロコシを粉に摺りおろす光景も見えた。女たちは誰も彼もみな美しく、それぞれの黒髪には日の光が輝いていた。なんと良い光景だろうか!

しかし、すべてを作られるお方は見抜かれていたのだ、そうしたものはみなことごとく変わってしまうことを。子どもたちはやがて大人になり、年寄りになって、その肌は皺だらけになるだろう。美しい女たちも、いつかは太って醜くなり、美しい黒髪も白くなってしまうにちがいない。木々の葉は茶色く色が変わって死んで落ちてしまう。今は美しい花の良い香りも、いずれはあせてしまうことだろう。すべてを作られるお方はハートを曇らせ、不安をつのらせた。時は秋であり、すべてを作られるお方にはじきに野生の動物たちも姿を消すことがわかっていた。青々としている木々の葉も、いずれみななくなって、厳しい季節がおとずれるのだ。

たちがトウモロコシを挽いて粉にするのをうかがいながら、すべてを作られるお方は、今そこで自分の目に見えているたとえようもなく素晴らしいもののいくつかを、なんとか美しさを保ったままにとどめておこうと考えられた。後で誰が見ても楽しめるようななにかを、心とスピリットを踊らせるようなものを、ここはひとつ作っておくのがよいだろうと。そこですべてを作られるお方は「創造の袋」をとりだして、そのなかにいろいろなものを集めはじめられた。

butterflies空の青を少しと、トウモロコシの粉の白を少し。それから日の光に輝く場所の明るさを少しと、女たちの美しい黒髪の黒を少し。木の枝から落ちた葉の黄色を少しと、松の木のとがった葉の緑を少し。すべてを作られるお方はさらに、花たちのなかから、赤色と、紫色と、オレンジ色も少しずつ集められた。すべてを作られるお方はそうしたものをすべてすこしずつ創造の袋のなかにしまわれた。それから最後に、鳥たちのさえずる歌のいくつかも、集めてその袋のなかにしまわれた。

そうしたものを集める作業が一通り終わると、すべてを作られるお方はつぎに子どもたちを呼び集められた。そしてその袋を開けてみなさいと言われた。驚くようなものが入っているだろうと。

われるまま子どもたちが袋の口を開けると、何百、何千という数の、それはそれは美しい蝶々が、袋の中からいっせいに飛び出してきたのだった! 歓声をあげた子どもたちの周囲を、蝶々たちはその頭を輝かせて飛び回っている。蝶々たちは羽ばたきながら花々の間を飛び渡り、歌いながら甘い蜜を吸ってまわった。それを見ていた子どもたちの心だけでなく、大人たちの心までもが、蝶々と一緒に空を飛び回った。それまでまだ誰も、これほどまでに美しく人の気持ちを幸せにさせてくれるようなものを見たことがなかった。蝶々たちが空を舞うのにあわせて、みなは歌を口ずさみはじめた。

ところが、鳥たちの中にやっかみ屋の鳥が一羽いた。やっこさんはすべてを作られるお方の肩に降り立ち、声を荒げて叱るように歌った。「そのように美しいものたちにわたしたちの歌を与えるなんて良いことではありません! わたしたち鳥をお作りになられたとき、あなたさまは、それぞれに異なる歌を授けると、おっしゃいました。あの美しきものたちにはすでに虹の七色のすべてが与えられているのに、そのうえにわたしたちの歌まで取りあげて授けるのですか」

すべてを作られるお方は「それももっともだ」とうなづかれた。「わしは鳥のひとつひとつに異なる歌を授けたのだった。そうだそうだ、その歌を取りあげてはならなかったのだ」

そのようなことがあったために、結局、蝶々から歌は取りあげられることになった。だから蝶たちはそのとき以来、今日まで押し黙ったまま、空を飛ぶのである。しかしそのかわりに蝶は、人々の日々を明るくし、心のなかの歌を呼び覚ましてくれるのだ。

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Saturday, February 24, 2007

世界で最初の物語は地面に開いた穴のなかから聞こえてきた

ルナペ(デラウエア)一族に伝わるお話し

男が狩りから戻ると、地面に奇妙な穴がひとつ開いていた。不思議そうに穴の中をのぞきこんでいると、その穴のなかから誰かが話しかけてきた。

いったいあなたさまはどなたですかと、狩人はたずねた。

その問いにたいする返事はなかった。自分はグランドファーザーだと穴のなかでその人はなのると

「もし物語を聞きたいものがあれば、ここにやってきて、煙草か食べるものをほんの少し包んで投げ入れるがよい。そうすればお話しを聞かせてあげよう」

ということで、人々が集まるようになった。そしてそれが、ほんとうか嘘かわからないお話しの、はじまりだった。

グランドファーザーは村人たちにこう戒めていた。春になって暖かくりはじめたら、もう絶対にお話を語ってはいけないと。

「まんがいちこの約束を破ったら、蛇や虫などのありとあらゆる小さな生き物たちが、お前を追い回すようになるだろう」

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Friday, November 10, 2006

なぜ冬がくるのだろうか?

再話・太陽と月を盗み出したコヨーテと鷲のお話し

ズニ一族 北米大陸南西部


るか昔、まだ空に光がなく一年中暗闇のなかにいた頃の話だ。

世界は真っ暗だった。しかもただ暗いだけでなく、一年をとおして夏のように暑かった。

コヨーテは毎日のように狩りに出ていた。

でもコヨーテには獲物がまったくなかった。

コヨーテは暗がりの中ではあまり目が見えないからだ。

闇の世界ではコヨーテは最低の狩人だった。

鷲が自分では食べきれないぐらいの兎をやすやすと捕まえて食事にしているのをコヨーテは時々目の隅で見ていた。


るとき、コヨーテは鷲にむかってこう声をかけた。

「友よ、どうにもこうにも目が見えなくて自分にはなにひとつ捕まえることができない。どこかで少し光を手に入れられるところを知らないか?」

「そういうことなら」と鷲がこたえた。「西の方にならなにかあるかもしれん。一緒に探してみよう」

そしてコヨーテと鷲のふたりは連れだって旅に出た。

西の方になら太陽も月もあるかもしれない。

しばらく旅を続けたところでふたりの行く手に大きな赤い川があらわれた。

鷲は軽々と川のうえを飛び越えて対岸に渡った。

コヨーテは泳いで渡ろうとしてたらふく水を飲んで危うくおぼれかけた。

泥まみれになって川からはいあがってきたコヨーテに鷲が、

「なぜ空を飛ばない?」とたずねた。

「お前には羽根があるが、俺には毛しかない。羽根がなければ空は飛べんのだよ」


Zia (zuni symbol)



うこう旅を続けるうちに、ふたりはとある村にやってきた。

村の広場ではたまたまカチーナたちが踊りを踊っていた。

カチーナたちはコヨーテと鷲を暖かく迎え入れ、火のそばに座って聖なる踊りを見るようにすすめた。そして食べものも与えてくれた。

その村のカチーナたちはみなたいへんな力を持つひとびとだった。

しばらく踊りを見た後で鷲が口を開いた。

「この人たちだったら必ず光を持っているはずだ」

コヨーテはあたりをきょろきょろ見まわした。

そしてふたつある箱に目をつけた。

ひとつは大きな箱で、もうひとつは小さな箱だった。

見ているとカチーナたちは、光が必要になるといつでもとどちらかの箱のふたを開けているではないか。

たくさんの光が必要なときには大きな箱のふたを開けていた。

大きな箱には太陽が入っていた。

わずかの光が必要なときには小さな箱のふたを開けていた。

小さな箱には月が収められていた。

コヨーテは鷲の肩を突っついた。

「友よ、あれを見たかね? 大きい箱の方に、わしらが必要とする光が全部はいっているじゃないか。盗み出そうぜ」

「お前はいつだって盗むことしか考えていないのだな。どうせなら、少し借りるっていうのはどうかね」

「俺たちに貸してくれるわけがなかろうが」

「それもそうだな」鷲がうなづいた。「踊りが終わるまでおとなしく待って、それから盗み出すとするか」


ばらくして、聖なる踊りが終わり、カチーナたちがそれぞれの家に入って眠りについた頃、二匹の動物はその箱を盗みにかかった。

箱のところでなにかしていた鷲が、いきなり大きな箱をくわえて空に舞いあがった。

コヨーテはあわてて鷲の後を追った。追いかけても追いかけても、空を飛ぶ鷲に追いつくことはできない。

コヨーテの心臓は今にも破裂しそうだった。長い舌をつきだしてぜいぜい言いながら、コヨーテは空の鷲にむかって叫んだ。

「ホゥ! 友よ、箱を持つのを代わらないか?」

「いやなこった。なにをされるかわかったものじゃない」

そういうと鷲はさらに飛び続けた。コヨーテはけんめいに鷲の後に続いた。


たしばらくしてコヨーテは鷲にむかって叫んだ。

「友よ、あなたは偉い! 俺はあんたをチーフにする! チーフがそんなものをはこんでいたらさまにならんぞ。おつきの俺のことを、きっとみんなはナマケモノとさげすむだろう。だからどうか荷物は俺に持たせてくれ」

「おことわりだね。そんなことをさせたら、ろくな結果にならない」

そういうと鷲はさらに飛び続けた。コヨーテは必死に後を追いかけた。

しばらくして空が大きく開けたところに出たところで、コヨーテがまた声を張り上げた。

「ホゥ。友よ! あんたは荷物運びなんてするべきじゃないんだ! いったいみんなはあんたと俺のことをどう見ると思う?」

「どう思われようが、知ったことか。箱はわたしが運ぶ」

そしてさらに鷲は空を飛び続け、コヨーテは死に物狂いでその後を追いかけて走った。

そして四度目の正直で、コヨーテは今度はひたすら頼みこむ作戦に出た。

「頼むよ、頼みますよ、鷲さん、おい、チーフ。あんたこそチーフだ。おいらはただのコヨーテさ。だからお頼みしますよ。どうか、どうか、その箱を、おいらに持たせてください。頼む。頼みます。どうか、どうか、ぜひ」

さしもの鷲もこのときばかりは折れてやることにした。なにしろ四度目の正直だ。コヨーテは四回もお願いしてきた。四は神聖な数で、もし誰かに四回頼まれたら、その声にこたえてあげるべきなのだ。鷲がこたえた。

「そこまでいうからには、まさかわたしのことをだましたりはしないだろうな。しかたがない。持たせてあげよう。ほんの少しのあいだだけだぞ。ただし絶対に箱のふたを開けないようにな」

「もちろんでさ。ありがとうございます。お約束しますよ」


たりはそこからまた移動を開始した。今度はコヨーテが箱を抱えていた。

身軽になった鷲は軽々とひとっ飛びで遠くまで飛んだ。

箱を抱えたコヨーテは大きく後れを取ることになったが、それは彼の作戦だったのかもしれない。鷲の姿が見えなくなったことを確認して、コヨーテは頭のなかで良からぬ事を考えた。

「いったい光とはどんなものなのだろう? ちらっと中をのぞいてみても悪くはあるまい。あれほど鷲が見てはいけないというぐらいだから、光以外にもお宝が箱のなかに入っているかもしれない。あいつは、そういうやつだからな」

なかを見てみたい一心でコヨーテが箱のふたをすこし開けた途端、いきなり太陽と月がひゅーっと飛び出して、空に逃げ出した。なかには太陽だけではなく、月も入っていたのだ。鷲が、ふたつを一度に運ぶのはたいへんだからと、小さい箱のなかの月を大きな箱の中に一緒に入れてあったのだった。


くして大地は光を獲得した。しかし、そうやって大地に光を与えることは、同時にたいへんに熱を奪うことでもあった。あれよあれよという間にありとあらゆる植物が一瞬にして干からびたようになって茶色に変色した。木々の葉もたちまち全部散って落ちてしまった。そして世界は冬になった。

なんとか月だけでも捕まえて箱に戻そうとコヨーテは月の後を追いかけたものの、月はするりと彼の伸ばした手から逃げていった。

そうこうしているうちにも、太陽は高く中天に駈けのぼり、それにつれて桃も、スカッシュも、メロンも、全部寒さのせいで傷んでいった。

しばらくして鷲がもどってきた。あまりにコヨーテのくるのが遅いので、なにがあったのか確認しにきたのだ。

coyote moon「このまぬけめ! いわんこっちゃない。太陽と月を逃がしたために、寒さがやってきてしまったではないか」

確かにその通りだった。世界には雪が降りはじめていた。

コヨーテはがたがたと震えた。鷲がコヨーテに声をかけた。

「寒さで歯ががちがちいっているが、お前が寒さをこの世界に持ち込んだのだから、それもしかたがなかろうよ」

そうなのだ、コヨーテの好奇心がそんなに強くなくて、もう少しましな判断ができていたなら、この世界に冬という季節はなかったかもしれないのだ。そうすれば、いつまでも夏を楽しみ続けることもできたはずなのに。

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Tuesday, October 24, 2006

太陽を射る

アタヤル(註)一族に伝わる言い伝え

 アタヤルは、歴史がはじまる前から台湾島にいた10の部族の先住民のひとつ(台湾島のネイティブ・ピープルについては下の地図を参照のこと)

The 10 tribes of Taiwan

昔、空には太陽がふたつあった。ふたつの太陽のうちのひとつが、今の太陽よりもはるかに大きかったので、気候は今に比べるとおそろしく暑く、草も木々もみな縮んでいて、川の水はことごとく干上がり、作物などなにひとつ育たなかった。そればかりではない。ふたつの太陽が入れ替わり空にあがってくるものだから、昼と夜の区別など全くなく、人びとは哀れを絵に描いたような暮らしを送っていた。

人びとは額をつきあわせて会議をし、太陽がふたつあり続ける限り、子供らは生き延びていけないという結論に達した。ここはひとつ、なにがあっても片方の太陽を弓矢で射落とさねばなるまいと。われこそが太陽を射落さんと、その会議の場でさっそく3人の戦士が名乗りをあげた。3人の戦士たちは、それぞれ携帯用の乾燥食物など旅の用意を調えると、みなそろって同じ日に旅だった。各々の戦士はみな背中にひとりずつ子供を背負っていた。

太陽への旅は容易なものではなかった。旅には長い長い時間を要した。男たちは太陽へ向かう道すがら、道沿いのいろいろなところにみかんの種を植えていった。帰る頃には大きな木になって実をつけていることだろう。

そうやって旅は果てしなく続いた。

毎日がそのようにして過ぎ、いつしか数年数十年が経ていた。太陽の場所にたどりつかないうちに、当然ながら3人の戦士たちも年老いて体力が衰え、と同時に一緒に連れてきた子供たちは立派に成長した。年老いたものたちが旅の途中で死ぬと、その子供が引き継いで、さらに旅は続いた。

ある日のことだった。

3人はついに太陽の場所にたどりついた。その地で一休みしながら、二つめの太陽が昇ってくるのを待ちかまえた。3人は二つめの太陽を射落とすつもりだった。3人は大きな渓谷のとっつきで太陽が昇ってくるのを今や遅しと待ちかまえた。

やがて太陽がその姿をあらわしはじめた。3人はそれを見るとすぐに弓に矢をつがえて引き絞った。そしていっせいに矢を放った。

ひょうと空を飛んだそれぞれの矢は太陽に命中した。傷ついた太陽からは煮えたぎった血が流れ出した。戦士のひとりはその流れ出した血を頭から浴びてその場で息絶えた。残ったふたりも大きな火傷をこうむったものの、なんとかその場を逃げ出して帰途についた。

帰る道すがら、ふたりは自分の父親が道のそこかしこに植えたみかんの木が大きく成長してたくさんの実をならせているのを発見した。

ようやくにして、ふるさとの村に帰り着いたとき、ふたりはすでに年老いて、頭も白くなり、背中も曲がっていた。

しかしそれ以来、空に太陽はただひとつとなって、昼と夜とがはっきりと区別されるようになったのである。そして夜の空に見えるあの月は、そのときに殺されたもうひとつの太陽の死体だと伝えられている。

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Saturday, October 07, 2006

100まで数える (オマハに伝わる教えの物語)

ここに紹介するのはオマハ一族に伝えられたティーチング・ストーリーのひとつである。オマハとは「風に逆らい、流れに逆らって進む人たち」の意味だという。スーの人たちと境界を接した中部大平原のネブラスカに暮らし、トウモロコシ、豆、スカッシュ、メロンなどを栽培していた。


るところにひとりの若者がいた。

その若者は、みなの尊敬を一身に集める立派なエルダーになりたいと願っていた。彼の部族にはそういうエルダーたちが集まってつくられている「白い貝殻の会」という講(ソサエティ)があった。エルダーのひとりが若者に向かってこう諭した。

「おまえさんは100まで数えることを学ばねばならん」

「100まで?」と若者は思った。「簡単なことですよ」


で、ある日のことだった。

ホームレスのおばあさんがひとり、若者の暮らす町にやってきた。汚れて、やせこけていて、足を引きずっていた。

町の人たちの大半はこのおばあさんの姿をちらと見ただけで、そそくさと姿を消した。なかにはその姿を上から下までじろじろとながめたあげく、背後から心ない言葉を吐き捨てるものもいた。

あのときのエルダーがそのホームレスのおばあさんに憐れみを感じて

「偉大なる曾祖母よ、うちに入って一休みしなされ」と声をかけた。

そしておばあさんのやせ細ったからだに腕を回し、抱きかかえるようにして、家のなかに案内した。じいさまはそのホームレスのばあさまを心から歓迎した。そして飲み水を与えた。

ホームレスのばあさまは一息ついて水を飲んだ。

つぎにじいさまは彼女に温かいスープを与えた。

じいさまは自分の女房と娘たちを呼び集めた。そしてこう告げた。

「おまえたち、こちらのグランマザーを、風呂に入れてあげてくれ。それから着替えをひとそろいあげてほしい。わしがギブ・アウェイのためにビーズで飾りをつけたバックスキンのドレスがあっただろう。あれを着ていただいて、ここにある新しいモカシンを履かせてあげてくれないか」

じいさまの女房と娘たちは、その年寄りのおばあさんを風呂に入れてやり、髪の毛をきれいに洗い、櫛をとおしてから、編みあげた。そして真新しいドレスを着せた。おばあさんは別人のように見えた。

それからおじいさんの家族はそのおばあさんに、どこにも行く当てがないのなら一緒にここで暮らしてはどうかと声をかけた。おばあさんは心を動かされてそのままその家の家族のひとりに加わった。


るとき、くだんの若者が新しい家族と楽しそうにしているおばあさんを見つけて、エルダーにたずねた。

「あの方は、例のホームレスのおばあさんですよね? だれがこんなことをしてあげたのです?」

エルダーがこたえた。

「よいか、こうやって数字を増やしていくのだ」


ギブ・アウェイ いろいろな人に自分の持っているものを分け与えること。あるいはそのための祭礼。嬉しいにつけ悲しいにつけ、冠婚葬祭のあらゆる時に、ネイティブ・ピープルはたいてい盛大に贈り物をしあう。

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Wednesday, July 26, 2006

トウモロコシの起源を伝える話

Corn maiden

むかし、むかし。人間たちが最初に創られた当時、最初のインディアンもたったひとりで暮らしていた。

まだ火を使うことを知らなかったので、食べるものと言えば、木の根や皮や木の実だけ。最初のインディアンは次第にさみしくなり、心細くなって、仲間を求めるようになっていった。木の根っこを掘ることにも疲れて、やがて食欲もなくなり、男は昼間から地面にころがって、太陽の光を浴びながら、ぼんやりと夢を見ていた。

あるとき目を覚ますと、すぐ近くに人が立っているのに気がついた。あまりに突然だったので男は腰を抜かしそうになり、ふるえあがった。

そのとき声が聞こえた。そしてその声を聞いたとき、男はなぜだかほっとして嬉しくなり、思わず声の主を上から下までながめた。それは長い髪をしたひとりのとても美しい女性だった。

「ここにおいでよ」と男はささやいた。でも彼女はじっとしたまま動かなかった。立ちあがって彼女に近づこうとすると、彼女はさっと遠のいてしまう。男は一計を案じて、自分のさみしさを託した歌をうたい、どこにも行かないでと彼女にこころのうちを伝えた。

ようやく彼女が口を開いた。「あなたがわたしの言うとおりにしてくれるのなら、わたしもあなたの元にとどまりましょう」

男は、できる限りのことはするからと約束をした。すると彼女は彼の手を取り、乾いた草の生えている場所に連れて行った。「乾いた木の棒を二本手にとったら、草のなかでその二本の棒をできるだけ早くこすりあわせなさい」

男が言われたとおりにすると、じきに火が燃えあがった。枯れ草は火をつかまえ、矢が飛ぶよりも早くあたりに燃え広がった。大地は黒く焼けこげた。

するとその美しい女性がまた口を開いた。「太陽が沈んだら、わたしのこの髪の毛をつかんで、この焼焦げた地面の上を引きずりまわしてください」

「ええ、そんなまねはしたくありません」思わず男が叫んだ。

「いいえ、してもらいます。わたしが言ったようにしてもらわなくてはなりません。わたしを引きずり回したあとには、じきに草のようなものが生えてきます。その草の葉と葉のあいだに髪の毛のようなものが見えているはずです。やがてそこに実がなり、いろいろ使うことができるでしょう」

男は結局その美しい女性の命令にしたがうことにしたのだ。

それ以後、われわれインディアンはトウモロコシの絹糸(けんし)を見るたびに、あの美しい女性が自分たちのことを忘れていないことを確認するのさ。

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Saturday, January 29, 2005

はんぶんの毛布(再話)

THE OTHER HALF OF THE BLANKET

モホーク族に伝えられたおはなし

モホーク族●ナイアガラの滝をくだってニューヨークまで流れてくるハドソン川の流域の森で暮らす人たちです。アメリカとカナダの国境にまたがるように独立した自分たちの国を持っています。


かし あるところに とてもとしをとったちちおやと くらしている おとこが いました。おくさんと こどもがひとりいて、ちいさな こやで よにんで くらしていました。

でも じぶんの ちちおやとはいえ としおいていく じいさまの せわをすることに おとこは だんだん つかれてきました。

じいさまは としを とりすぎていて からだも よわくなり はたらくことも できません。おとこは かんがえました。

「こんな やくたたずが そばに いても あしでまといに なるだけじゃないか」

そこで あるひのこと おとこは としをとりすぎた じぶんの ちちおやを どこかに すててしまう ことにきめたのです。

おとこは うまれてから まだ はちかいしか ふゆを しらない おさない むすこを よびつけると じいさまを すててくる しごとを いいつけました。

「いいか、じいさまを どこかもりのおくの とおいところまで つれていって そこに おきざりに してこい」

おとこは それから いちまいの もうふを てに とると それを しょうねんに てわたして、

「もりのなかで じいさまと わかれるとき この もうふを じいさまの かたに かけてやれ」

wearing_blanketしょうねんは なにも いわずに もうふを つかむと じいさまの てをとり もりのなかへ ふたりで はいっていきました。



りの おくで、しょうねんは じいさまを あめやかぜの あたらないところに すわらせると、そこで もってきた もうふを はんぶんに きりさきました。

きりさいたもうふの はんぶんで じいさまのかたを つつむと、しょうねんは もうはんぶんの もうふを もって いえに かえりました。

むすこが もうふの はんぶんを てにして こやにはいってきたのをみて おとこが いいました。

「なんで もうふの はんぶん なんか もって かえってきたのだ?」

しょうねんは こたえました。

「とうさんが としを とって ぼくが もりの おくに つれていったときに これを かたに かけてあげようと おもって」

おとこには ことばもありませんでした。しばらく かんがえてから こういったそうです。

「たしかに そうだったな、むすこよ。わたしが わるかった。もういちど もりのおくへいって じいさまを いえにつれて かえってこい」

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Monday, January 24, 2005

世界はいつ終わるか

1967年にサウスダコタにあるホワイトリバー/ローズバッド居留地において
ジェニー・リーディング・クラウドによって語られた「世界の終わり」についての話


badlandッドランドというのはラコタの人が「マコ・シカ」と呼ぶとてつもなく荒涼とした美しい大地だ。「マコ・シカ」というラコタの言葉は、そのまま「悪い大地」という意味をなす。そこは間違いなく地球の聖地のひとつであり、秘められているエネルギーは計り知れない。このバッドランドと大平原が接するところに、まだ誰にも知られていない秘密の洞窟があるのだと長く言い伝えられてきた。すぐ近くを州間ハイウエイ90が通り、車に乗った観光客が大挙してやってくるようになった今でも、その洞窟の場所はあきらかにされてはいない。

洞窟には老婆がひとりで暮らしているという。年齢は誰にもわからない。かたいクルミの表面のような深いしわが彼女の顔には刻まれている。白人がやってくる以前のラコタの人たちが着ていたような革のドレスをまとっていて、千年かあるいはそれ以上の長きにわたって、彼女はそこにじっと座り続けたまま、自分のバッファローのローブにつける細長い板布のような刺繍をこしらえているのだ。

白人の交易商人たちが亀の大陸にビーズなるものを持ち込む以前のご先祖さまたちがそうしていたように、色をつけたヤマアラシの棘を織りこみつつ細長い板状のものを作る。かたわらにはつねにシュンカ・サパが、大きな黒い犬が一匹ひかえていて、自分の手をなめたりしながら、じっと老婆を、ヤマアラシの棘をあまりにもたくさん噛みしめてきたためにすり減って歯がほとんどなくなりかけているその顔を、見つめている。その黒くて大きな犬は、けして視線を老婆からはなすことはない。

老婆が腰をおろしてキルトを作る針作業をする場所から数歩ほど離れたところでは、大きな火が燃え続けていた。千年かあるいはもっと以前に、彼女がその火をおこしたのだ。火はそれ以来一度も消されたことはなかった。燃えさかる炎のうえには、白人が鉄の鍋ややかんを持ち込む以前にインディアンたちが使っていたような大きな土鍋がひとつかけられている。土鍋の中では、赤くて、甘くて、おいしいイチゴのスープのウォジャピが、しきりにぐつぐつと音を立てて煮えていた。長い長い時間、さよう、最初にその火がおこされて以来ずっと、そのスープは土鍋の中で煮込まれ続けてきた。

老婆はときおり腰をあげて大きな土鍋の中で煮えているウォジャピをかきまぜた。寄る年波で体力もかなり衰えているから、腰をあげてよぼよぼと火のところまで歩くのも一仕事だった。そして老婆がスープをかき混ぜようと黒くて大きな犬に背中を向けるやいなや、その巨大な黒犬はいきなり彼女の目を盗むように老婆がせっかく作った板布からヤマアラシの棘を引き抜きはじめるのだ。そのために老婆の手作業はとんとはかどらず、いつまでたっても終わることがない。

ラコタの人たちはよくこんなことを言う。その老婆が板布を全部作り終えたそのときに、最後のヤマアラシの棘に糸が通されて布のパターンが全部完成したときに、この世界にも終わりが訪れるのだと。

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Wednesday, January 19, 2005

アイスマンの伝説

風の中にいる雪のスピリット

部族名不明


かしむかし、秋も押し詰まったある日、あるところでたき火をしていたら、燃えさかる火がそばのポプラの林に燃え移ってしまったそうだ。

村人が総出で、いくら消そうとしても一度燃えあがった火はなかなか消えてくれない。いつまでも激しく音を立てて燃え続けて、やがては地面からでている部分だけでなく、地面の下に隠れていた根っこのところまでもがくすぶったうえに燃えていき、地面には大きな焼けこげた穴ができていた。

しかしそれでも燃えさかる炎の勢いは衰えず、地面の黒こげの穴は以後もどんどんと広がり続けた。手をこまねいて見守るだけだった人びともやがて不安な気持ちに襲われるようになった。このままでは世界が全部燃えてしまうのではないだろうか? 

montanafireなんとか力をあわせて火を消し止めようとはしたのだが、そのときにはすでに火は地面にできた穴の奥深くまでたっしていて、どうにも手がつけられなくなっていた。

「そういえば」と誰かが口を開いた。「北の方へずっと行ったところの氷の家に住む男ならこの火が消せるかもしれないな」

そこでさっそく使者が送られた。

使者は長い距離を歩いて、ようやく氷の家を見つけ出した。その家には氷男のアイスマンが暮らしていた。思いのほか小柄な男で、地面まで届きそうな長い髪をふたつに分けて編みあげにしている。

使者がたっての願いを伝えると、アイスマンはその場で承諾した。

「よっしゃ、ひとつ力になってやるとするか」

と言いざま、男は編みあげていた自分の長髪をほぐしだした。バラバラになった髪の一部を片手でつかみ、それで残りの髪の毛の束を打ちあわせるような仕草をしたとたん、使者は頬にどこからか風が吹きつけてくるのを感じた。

さらにもう一度アイスマンがつかんだ髪の毛をもう片方の手に打ちつけると、こんどはぱらぱらと小雨が降り出したではないか。さらに三度目、アイスマンが同じようにつかんだ髪の毛であいている手を打ちつけたところ、こんどは空から落ちてくる雨粒にみぞれが混じりはじめたのだ。そして次の四度目、アイスマンが髪の毛であいた手を打ちつけると、なんとそのみぞれが大粒のひょうとなって、バラバラバラっと地面を叩きだした。

使者は目を丸くした。まるで雨やみぞれやひょうが、アイスマンの髪の毛の毛先から飛び出してくるようなのだ。

「これでいい。もう帰りなされ」アイスマンが使者に伝えた。「明日になったらわしはお前たちのところに行くだろう」

さっそく使者は一族の人たちのもとへととって返した。

村へたどり着いてみると、あいかわらずひとびとは燃え盛る巨大な穴の脇でなすすべもなく呆然としていた。

翌日、村人がみなで火の様子をうかがっていると、いきなりビューっと北風が吹いてきた。ひとびとは恐ろしさのあまり震えあがった。その風がアイスマンから送られてきたものであることがわかったからだ。しかしその北からの風を受けると、かえって穴の中の火はいっそう大きく燃えあがり、大きな炎が吹き出してきた。

すると次には空から小雨が降りはじめた。しかしそのぐらいの雨粒では炎の力はまったく静まる様子も見せなかった。やがて小雨は大粒の雨と変わり、それが次第にざーざーと流れるような本降りとなって、そのなかにみぞれやひょうが混ざるようになったころ、次第に火の勢いが衰えはじめる様子を見せ、やがて火も消え、穴の底で炭火がくすぶるだけとなり、蒸気と煙の混ざった雲のようなものが赤く燃える炭火から立ちのぼるようになった。

人ごとは雨や風やみぞれやひょうをさけるためにそれぞれの家に逃げ込んだ。つむじ風にあおられた激しい雨やあられや大粒のひょうが、さながら嵐のように、燃えてできた地面の割れ目という割れ目の中に入り込み、そこでくすぶっていた残り火に襲いかかった。やがて火という火もすっかり消えさり、煙すら立ちのぼらなくなった。

天に穴が開いたかのように思えた雨もやがてやんで、人びとがおそるおそる家から表に出て、例の大きな穴のところまで行ってみると、そこには大きな湖ができていた。そして耳を澄ますと、湖の水の底ではまだあの火の残り火がぱちぱちとくすぶるような音が聞こえていたという。

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Tuesday, January 18, 2005

なぜ人びとの言葉は違ってしまったのか?

※このお話は2004年の6月から7月にかけて「そしてひとびとは違う言葉を話すようになった」というタイトルのもとに10回に分けて連載したものをまとめたものである。今回全体をひとつにするに当たって再度手を加えたほか、過去に分載した記事を当ログより削除したことをお断りしておく。

これからお聞かせするのはイロコイ六か国連合を構成するセネカ(SENECA)のと呼ばれる国の人たちに伝えられた「ゴダショーの伝説」の一部である。「ゴダショー」とは「有名な女性のチーフ」の名前で、この物語を最初に文字に書きとどめたのはJ・N・B・ヒューウィット(J.N.B.Hewitt)という同じイロコイ六か国連合のなかのタスカローラ出身の人類学者で、1896年に出版された『セネカの物語と神話と伝説』(ジェレマイアー・カーティンとJ・N・B・ヒューウィットの共編著)という本のなかにこのティーチング・ストーリー(教えの物語)も収録されている。その後もこの話はセネカの人たちのあいだでは口頭伝承によって語り継がれて、細部においては最初に書きとめられたものとはだいぶ変わってきているようだ。今回のほん訳においては、ほんとうに伝えたかった物語のコアの部分以外は、わかりやすくするためにすこし手を加えた。

※セネカは五大湖のひとつであるエリー湖から流れ出す川に沿ってかつては定住していた。「セネカ」とは「石のひとびと」「石のある土地のひとびと」を意味するのだといわれている。

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るかなる昔、地球がまだ若かったころ、ひとびとはみなただひとつの言語を用いて話をしていた。その当時のひとびとの暮らしは平和そのものであり、調和も保たれていた。ひとびとは持っているものをなにからなにまでみなで分けあっていたし、必要なものは必ず誰かが持っていた。ひとびとはみなの畑でトウモロコシと豆とスカッシュを育てていた。森に分け入ってはみなのために獲物を狩猟した。ひとびとは母なる地球に、食物を与えてくれる植物たちや動物たちに、そして自分たちをふくむそうしたものたち一切をお創りになり、しかも豊かな恵みを与えてくださる偉大な存在にたいして、常に感謝を忘れることもなかった。

そんなある日のこと、川幅の広い川の川辺にあったとある大きな村での話だ。その村のチーフはひとりの女性だった。賢く、寛大な心の持ち主で、彼女は自分の一族の者たちが、平和で調和のとれた暮らしを営むために必要なことはいやがらずになんでもやってきた。彼女に従うひとびとの数はいや増しに増してゆき、やがて村も幅の広い大きな川の両岸にまたがるぐらい大きくなっていた。しかしその当時は、ひとびとはまだ舟というものの存在も使い方も知らなかった。だから人の往来にはみなで作った丈夫な橋を使っていた。木々や、木の枝などを大量に集めてきてはそれらを組みあわせ、織りあわせたりしたもので作りあげたつり橋で、ひとびとはそのうえを歩いて東岸から西岸の村へ、また西の岸から東岸の村へと自由に行き来をしていた。

もともとは大きな川の東岸にできた村だったが、人口が増えて西岸にもひとびとが暮らすようになり、とくにその西岸の村で毎晩のようにダンスがおこなわれるようになってからは、橋を使って行き来するひとびとの数も増えた。ダンスがおこなわれてひとびとが集まるようになると、当然市もたつようになる。その頃はまだ物々交換で、森から収穫した毛皮やさまざまな薬草などを持ちよるものもあれば、畑でとれたトウモロコシを乾燥させたものや集めた野いちごを持ちよるものもいた。

ひとびとは誰かにあげたり交換したいと思うものを思い思いに持ちよった。しかしみながみな交換できるようななにかを持ちよれるとは限らなかったのである。たまたま市のなかで自分の欲しいものを見つけたのに、交換できるようなものを何一つ持っていない時には、ひとびとはただひとこと

「兄弟、わたしにはそいつが必要なのだ」

とか

「姉さん、それをすこしわたしに分けてくれませんか」

と言いさへすればよかった。そうすれば欲しいものはなんであれ自分のものにすることができたのだった。


る日のこと----そうまたある日のことである----なにかが、起きたのだ。(なにかが起きるのは、ずうっと昔からある日のことときまっている)その当時、ひとびとは犬をたくさん飼っていた。女チーフのゴダショーも、家に白い小柄な犬を飼っていた。チーフの家は大きな川の西岸にあり、その白くて小さな犬はお母さんとして仔犬を生んだばかりだった。飼犬に子供たちが産まれると、その仔犬たちも当然ながら母犬の属する家族の一員として扱われる。もし家族以外のものがそうした生まれたばかりの仔犬たちのあどけない姿を見て、ひと目で気に入り、譲り受けたくなったときには、普通はそのように申し出ればよいことになっていた。

だがしかし、このときにはなにかが違っていたのだ。枯れ草や葉っぱを敷き詰めた仔犬たち用の寝箱をのぞきこむと、仔犬たちが全部で四匹。すべてが雄で、みな母さん犬のようにまっ白な毛をしていたのだが、なかの一匹が他の兄弟たちとは際だって様子が違っていた。その一匹だけ、なぜか両方の目のうえに黒い斑点がひとつずつあった。右左の目のうえに、まるでもうひとつずつ黒い目があるかのように見えた。

四つの眼を持つ犬は古来から賢くて、できが良いと昔から言い伝えられていた。普通の目のうえにあるもう一対の黒い斑点が目となって世界をはっきりと見てとれるので、そういう犬は優れた猟犬となり、生まれついて犬たちのリーダーになる運命にあると信じられていた。その四つの眼を持つ仔犬があまりに特別な存在だったので、女チーフのゴダショーも、その犬だけば自分で飼う腹づもりでいた。そしてそのことがトラブルを運んできた。

大きな川の西岸に住む人たちが、自分たちのチーフが家で飼っているその特別な犬について、あることないこと自慢そうに声高に話すようになったのは、それから間もなくのことだった。

「あれだけの犬はどこにもいないよな」

みなは口々に言いあった。

「そうよ、東岸の家になんか、われわれのチーフの家にいるような特別な犬を飼っている人間など、いるわけがない」

人々は鼻高々で自慢した。

川をまたいで両岸に生まれつつあったその大きな村落で、そうした自慢話が広まるのはそれがはじめてのことだった。じきにその大きな村落の人々のなかに、別のあるものが見られるようになった。そのあるものとは「ねたみ」「嫉妬」「羨望(せんぼう)」であった。川の東岸に暮らす人々のあいだに、その特別な犬と暮らせる川向こうの姉妹たちや兄弟たちをねたむ気持ちがじょじょにだが広まりはじめていた。


チーフのゴダショーはなるほどとても賢い人物ではあったのだけれど、はじめのうちはいったいなにが起きているのか見当もつかなかった。しかしある日のこと、同じ西岸に暮らす何人かの人たちがまとまって彼女のもとを訪れてこういった。

「実はたいへんに気がかりなことがありまして。川向こうの悪い連中がわたしたちの四つ目犬のことでよからぬ話をしているのです。むこうへさらっていく計画があるとかないとか。わたしたちの犬を守るためには、戦いの準備をしなくてはなりません!」

ゴダショーはショックを受けた。自分の一族の者たちがふたてに別れて戦いをするだなんて、いったいなんでそんなとんでもないことが起きてしまったのか。だが女チーフがそう考えたときには、すべてはもう手遅れだった。

すでにひとびとのあいだには、関係の修復ができないぐらい決定的な溝がうまれていた。彼女は東岸の人たちに四つ目犬を連れていくようにと差し出すことすらも考えたほどだった。だがそうすると今度は、西岸の人たちのあいだで嫉妬やねたみが沸騰することになるだろう。どう考えても、それは間違いのないことだった。

大きな川の両岸の村では、互いに相手の動きをにらみながら武器の製作がはじまっていた。女チーフは決断の時がきていることを知っていた。動かねばならない。彼女は西岸に暮らす人たちを一堂に集めた。

ひとびとの顔を眺め回してから女チーフがおもむろに口を開いた。

「橋を壊しなさい」

ひとびとは彼女にいわれるまま火を放って橋を焼きおとした。目の前の橋がなくなることで、ひとびとははっきりと西と東の二手に分断されてしまうことになった。だがゴダショーには、いずれまた別の橋がつくられて、争いが再発するだろうことがわかっていた。

「われわれはこの土地を離れなくてはなりません」

樹や枝が燃えながら大きな川に落ちて水面を流れ去ってゆくのを見つめていた女チーフが、なにかを思いついたのか、顔を起こしてそう言い放った。彼女はひとびとに樺の木から大きめの樹皮をたくさん集めてくるように伝えた。一族の者たちはそれまでも樺の木の樹皮を縫い合わせて籠(バスケット)を作ったり、料理にもちいる鍋を作ったりしてきた。

canoe樹皮が集められると、それらをバスケットや鍋と同じように縫い合わせるように命じられた。さらに、水がはいらないように、念を入れて縫い目には樹脂が塗りこめられた。そしてそうやって最初のカヌーができあがった。ひとびとはいくつもの小さなカヌーを作りあげたばかりか、さらには特別に大きなカヌーも二艇完成させた。西岸に暮らす人たち全員がひとり残らず乗り込めるだけのカヌーがかくしてそろえられた。

準備はちゃくちゃくと進められた。平和と調和を求めて新しい土地を探す川の旅がはじまろうとしていた。だがひとびとがカヌーに乗りはじめるとすぐ、また別の問題が降りかかってきた。自分たちのチーフと四つ目のお犬さまに乗っていただくお召しカヌーをどれにしたらよいかで、ひとびとのあいだでけんけんごうごうの口論がわきあがったのである!

いさかいはいつ果てるともなく続いた。

やれやれ、このような言い争いはいつまでたっても終るわけがない。コダショーはうんざりした。いいかげんにしてくれという思いだった。疲れがおそってきたばかりか、悲しさまでも込みあげてきた。だが、彼女はそこであることを思いついた。

「横に並べた二艇の大きなカヌーのあいだに長い苗木を幾本も渡して縛りあげなさい。そうしたら、カヌーとカヌーのあいだにわたしと犬が乗れるだけの台ができます。それならばわたしたちはどのカヌーに乗ることにもならないのですから、誰も焼き餅をやくこともなくなるでしょう」


いうわけでカヌーの船団は出発にこぎつけた。平和と調和を求めて。だが、なんとかうまくことが運んだのは、しばらくのあいだだけだった。平和と調和も、川の流れの行く手がふたつに別れている地点までしか続かなかった。流れが二手に別れる分岐点で、再び、ひどびとがけんけんがくがくの口論をはじめた。左右に並んでつなぎあわされた二艇のカヌーのうち、右側のカヌーに乗る人たちは東にむかう流れを進みたがった。ところが左側のカヌーに乗っていた人たちは、もう片方の西側に向かう水路をとることをかたくなに主張してゆずらなかった。

ゴダショーはカヌーどうしのいさかいを止めようとしたが、どちらのカヌーの人たちもまったく耳を貸そうとはしなかった。それぞれのカヌーの人たちはめいめいが勝手に自分たちの行きたい水路に舳先(へさき)をむけて漕ぎはじめた。女チーフとその犬の乗る台を間にのせた二艇のカヌーは、それぞれ先頭の漕ぎ手が他の漕ぎ手に大きな声をかけながら、一艘は東に、もう一艘は西にむかって懸命に進みはじめた。二艇のカヌーが押しあいへしあいしつつ競いあって、一方が他方をしたがわせようと必死になっているうちに、やがてゴダショーと犬を乗せた台がきしみはじめた。やがてバリバリバリバリッと音をたてて、二艇の大型カヌーをつないでいた木々がはずれ、あれよあれよというまにゴダショーと犬はそのまま川の流れに落ちた。

ひとびとはそれぞれのカヌーから身をのりだして川の中を探し求めた。だがいくら川のなかをのぞき込んでも、自分たちのチーフとあの犬の姿はどこにも見つけることができなかった。チーフと犬がいるはずのところには大きなチョウザメが一匹と、小さな白い魚が一匹いるだけだった。ひとびとが驚いたように息をのんで見守るなか、チョウザメと白い小魚は体をひるがえして、いずこへかと泳ぎさってしまった。

やがてひとびとがわれをとりもどし、口々になにがおこったのかを話しはじめた。

だがそのときにはもう、それぞれがなにを話しているのか、互いを理解できなくなっていたのだ。右のカヌーの人たちは、左のカヌーの人たちの話す言葉を理解できず、左のカヌーの人たちは右のカヌーの人たちが話している言葉ができなかった。ねたみと口論がひとびとのあいだを切り裂いてしまっていた。同じカヌーに乗っているもののあいだではかろうじて話しは通じるものの、別のカヌーのものたちとは言葉がまったく違ってしまっていた。

さよう、ひとびとはまさにあそこではなればなれとなり、それぞれがそれぞれのカヌーに乗って旅を続けるようになった。以後、川の行く手がふたつに別れているところまで来るたびに、ひとびとは分裂を繰り返し、そのたびにこの世界には新しい言葉が増えていった。そしてその川の旅は今もなお続いている。

 (おわり) 

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※追記○セネカは伝統的にストーリーテリングの豊かさで知られている部族で、彼らの物語には印象に残るものがいくつもあります。インターネットで探してもたくさん見つかるはずです。もともと口から耳へと伝えられたそうした物語は、語るたびに少しずつ新しい要素が加えられたりして、いくつものおなじような物語が広まっていきます。今回紹介したゴダショーと四つ目犬のお話も、この話の別のバージョンが以下の「ネイティブ・アメリカンの神話」というサイトに、出典不明として「女チーフのゴダショー(Godasiyo the Woman Chief)」というタイトルで掲載されていました。やさしい英文で、状況の説明がもう少しこまごまとくわしいので、興味ある人はあわせて比較してお読みください。こちらの方では、北米インディアンがいくつもの部族に別れて、それぞれがみんなことなる言葉を話すようになった理由として、この話がしめくくられているのですが、わたしは、これはそのまま「地球に生きる人たちの物語」だと理解しています。今もなおひとびとは平和と調和を求めながら分裂をくり返しているのですから。

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Thursday, December 02, 2004

コヨーテと草の人たち

テクテクテク、テクテクテク、テクテクテクテクテクテクテク、テクテクテク、テクテクテク、テクテクテクテクテクテクテク、テクテクテク、テクテクテク、テクテクテクテクテクテクテク、テクテクテク、テクテクテク、テクテクテクテクテクテクテクーー

その日もいつものようにコヨーテが歩いています。どこまでも広がる大平原、行けども行けども続く草の海です。晴れ渡った空、白い雲。思わず歌いたくなるぐらい良い気分でした。コヨーテはその日何となく自分が一回りも二回りも偉くなったような気分でした。まるで川に鮭を呼び戻してやったのは俺さまだ!みたいな。どうだ、おいらが怪獣をやっつけてやったんだぞ、みたいな。とても自分が特別に思えるような、そんな一日でした。

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Saturday, August 07, 2004

クマのしっぽはなぜみじかいか (小話)

ディネ(ナバホ)族につたわるおはなし
再話 北山耕平


これは ちきゅうが わかかったころの おはなしです。

キツネが かわで さかなを つっていました。

つりあげた さかなが 10ぴきに なると キツネは さかなを まとめて せなかに せおい もりの みちを いえに むかって あるきだしました。

てくてくてく。

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Friday, August 06, 2004

イヌがいるのはなんのためか? (物語)

ホピ族につたわるおはなし

再話 北山耕平(きたやまこうへい)

アメリカ・インディアンのくらすところには かならず イヌが います。インディアンのひとたちと イヌたちは とてもなかのよい ともだちなのです。でも このおはなしは まだ イヌたちが アメリカ・インディアンのひとたちと ともだちになっていなかったころの おはなしです。


ちきゅうが まだ わかかったころ、あるむらに ひとりの しょうねんが いました。

しょうねんの くらすむらでは むらびとたちが かおをあわせれば いつでも おたがいにわるぐちをいいあったり ののしりあったり けんかをしたり していたそうです。

みんなが もっと なかよく できればいいのに と しょうねんは むねを いためていました。

ぼくが かならず みんなの けんかを やめさせてやる と しょうねんは まいにち じぶんに いいきかせていました。


あるひ しょうねんが たびにでる けっしんをしました。

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Thursday, August 05, 2004

カメの背中のうえの大地 (物語)

オノンダガ族につたわるおはなし

再話 北山耕平

※オノンダガ族 アメリカ大陸の東部森林地帯の北部をテリトリーにする部族で、モホーク、オネイダ、カユガ、セネカ、タスカローラなどの同じように長い家に暮らす人たちとイロコイ連合(長い家に暮らす人たちの連合)を構成していた。オノンダガ族というのは、自らを呼ぶときに使うもので、「丘に暮らす人びと」の意味。


むかし むかしの そのまた むかし、ちきゅうが うまれて まだまもないころの これは おはなしです。

せかいはいちめんの みずにおおわれて いました。

どっちを みても、みず みず みず。

どこまでも みずがつづいて います。

とりたちも どうぶつたちもみんな みずの なかをおよぎまわって いました。

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Wednesday, August 04, 2004

小さな兄弟 (物語)

アニシナベ(オジブウェイ)族につたわるおはなし
再話 北山耕平

※「アニシナベ」とは「はじめの人」「最初の人間」あるいは「もとからいた人間」という意味。北アメリカ大陸の五大湖の北側からカナダにかけてもともと暮らしており、オジブエイ族とかチペア族という名前でも知られている人びと。アルゴンキン語族に属する。樹の皮で作ったカヌーを足のかわりに使って水のうえを旅し、雪のうえはスノーシューズをはいて歩いた。ワイルドライスを「スピリット・ギバー・グレイン」として大切にし、魚や肉と一緒に食べた。この「オジブエイ」とか「チペア」という名前は、オリジナルの名前ではなく、ここ数百年ほどの間にひろく使われるようになって定着したもの。「オジブエイ」は近隣部族による呼び名で「絵文字をのこす人びと」という意味であるともいわれているが、同時に彼らが日常的にはいていたモカシンという革製の靴のスタイルから「前にしわを寄せる」という意味もあるとか。「チペア」は「オジブエイ」とほぼ同じ意味と言っていい。アニシナベ族は、アメリカとカナダに現在16万人ほどが暮らしており、アメリカの先住民の中では最大級の---正確には2番目に大きな---グループ。


これは むかし、むかしの、そのまた むかし ちきゅうが うまれて まだ まもないころの おはなしです。

あるあさ まだくらいうちに いつものように おひさまが ゆっくりと のぼり はじめました。

ところが そのひは いつもとは ちがって いたのです。

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Tuesday, August 03, 2004

にひきのねずみ (物語)

ラコタ(スー)族につたわるものがたり
再話 北山耕平


どこまでもひろがるくさのうみです。

だいへいげんとよばれる このみどりいろのうみに、にひきの のねずみが くらしていました。

いっぴきは はたらきもので、あさはやくから のにでて、へびのぬけがらで つくったふくろに まめをせっせとあつめては、ずっしりつまったふくろを はでくわえて、いえまでひきずってかえります。

もういっぴきは、うまれついてのおきらくな なまけもので、いつも たきびのまわりでおどり、よるおそくまでぺちゃくちゃしゃべりっぱなし。あさになると、すっかりつかれはてて、まめあつめどころではありません。

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