Saturday, January 29, 2011

ストーリーテリング・ストーンと教え

むかしむかし、地球がまだ若く、この世界が出来てまだ間もない頃の人々の暮らしぶりは、たいそうきついものだった。なかでも最悪だったのは、冬と呼ばれた年寄りが仲間の北風を連れてやってきて、人々の頭のうえにどっかりと座り込み、何日も何日もたくさんの雪を降り積もらした季節だった。

どんなに雪が深くても、その雪をかき分けて狩りに出かけなければ、食べるものが底をつき、一族が飢えてしまうことは、みんながわかっていた。

一族のなかにひとりのよくできた少年がいた。いつでもエルダーたちには十分すぎるほど敬意を払う若者で、心優しくて、それに常にほんとうのことを話した。ある日少年は一族のために狩りに出かけた。

狩人の腕もたいそう良く、いつでもなにかの獲物を欠かさず持ち帰った。ある日、深い雪のなかを歩いて家に帰る途中、少年は疲労感に襲われて、ちょうどそこにあったたいそう大きな岩に寄りかかるように腰をおろした。

それは少年が今までに見たこともないような形をした岩だった。まるで人間の顔というか、頭というか、地面から首が突き出しているように見えた。

「これからお前に話を聞かせてやろう」いきなり深いところからそう言う声が聞こえて、若者は飛びあがった。

誰かにからかわれているのではないかと考えて辺りを見まわしてみたのだが、周囲に人の気配はなく世界は静まりかえっていた。「そう言うあなたはどなたですか? どこにおられるのですか?」少年は声に出してたずねた。

「これからひとつ物語を話して聞かせよう」

少年はこたえた。「わかりました」

すると石がこう言った。「ならば最初になにかをもらわなくてはならない」

少年はその日の獲物である何羽かの鳥をその岩の上にのせた。すると岩が話をはじめた。

岩はまずこの地球がどのようにしてできたかの話をした。とても長い話だったけれど、引き込まれるぐらい面白かった。

長い話が終わると若者はその岩に感謝を述べた。さっそくこれから一族の所に戻り、今聞かせていただいた話をみんなに聞かせますと伝えた。そしてまた明日ここに来ますと彼は岩に話した。

雪のなかを歩いて家に帰りながら、あの岩が話をしているのを聞いているときには、まったく寒さを忘れていたことに少年は気がついた。ぜんぜん寒くはなかったのだ。雪などどこかに消えていたようにさへ思えた。

少年は家のなかに走り込んだ。晴れ晴れとした幸せな気分だった。なにごとかと一族の人たちがあまりにうれしそうな少年のまわりに集まってきた。少年はあの偉大な岩が少年に伝えた物語をみんなに話して聞かせた。

その夜は、少年の話した物語のおかげで人々は寒さを感じることもなく、幸福感に包まれて寝床に入り、よい夢を見ることができた。

翌日、若者はまた別の獲物の鳥たちを持ってあの岩のところにおもむいた。岩はまた別の話をして聞かせてくれた。その日の話もたとえようもなく素晴らしく心躍る話だった。

そうやって来る日も来る日も、どんなに寒い雪が降り積もり、冷たい風が肌を切りつけるように吹いても、若者はあの岩のところに通い続け、たくさんの素晴らしく面白い話に耳を傾け続けた。

岩の話した物語はただ人々を楽しませることだけが目的のお話ではなかった。それは正しい生き方を伝え、どのように生きていけばよいかを伝えるきわめて一族にとって大切なお話ばかりだった。

春が訪れたある日、若者はいつものように獲物を持って岩のところに行った。しかし、岩はもう何も話をしなかった。

若者は話をしてくださいと岩に語りかけた。「どうしてお話しを聞かせてくださらないのですか?」すると岩がこたえた。

「私は自分の知っている話はすべてお前さんに話して聞かせた。それをしたのは、お前さんに物語をおぼえさせ、一族の者たちに語ってきかせてもらうためだった。お前さんがそれらの話を心に焼きつけ、次の世代、次の次の世代と共有することができるなら、人々はこれからもずっと正しい生き方を忘れるようなことはないだろう。お前がその生き方を続けておれば、物語は向こうからやって来るだろう。それを又、みなと分けあうがよい。そうすればすべての人が正しい生き方のことを知り、心に焼きつけるだろう」

若者は自分の知った物語のすべてを人々と分けあった。話を聞いた人たちは幸福感を味わい、誰もが彼に感謝をした。そして次に自分から話をしはじめたものは、みな等しく善なるものを知り、善なるものとともに生きたという。

おしまい。


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Friday, January 01, 2010

ジャンピング・マウスの物語(全文)

Last Modified Friday, January 1, 2010


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ヘェメヨースツ・ストーム他 述・著    
再話 北山耕平    


Japanese text version 4.0.1    



かし、あるところに、一匹の野ネズミがいた。

とてもいそがしがり屋のネズミで、長いひげをひくつかせ、かさこそかさこそと、草むらをかきわけては、あちらこちらと、いつもなにかを探しまわったり、食料にする種をあちらからこちらへと移させたり、こちらからあちらへと運んだり、とにかくひとつの場所にすこしもじっとしていることがなかった。

まあ、ネズミにもネズミのやることがあり、ネズミというものはだいたいがそういうものではあるわけで、ごたぶんにもれず彼も、そういうネズミたちの一匹ではあったのである。

しかし、でも、しかし−−。

そうやって、たえずいそがしくしている彼ではあったが、ときおり、さよう、ごくたまにではあるけれど、頭を宙にもたげ、まるでなにかをさぐるように、長いひげをひくひくさせて、ひとり遠くの見えないものを見つめるかのごとく目を細めては、しばし、物思いにふけることがあった。

topo

で、あるときのことだ。

仲間のネズミのもとに、息せききってかけよると、彼がたずねた。

「ねえ、兄弟、あのゴーゴーいう音だけれど、きみの耳にも聞こえるよね?」

「なにい? 音だって? いいや、そんなものは聞こえないね」

相手のネズミは、鼻の先でいそがしく地面をまさぐりながら、顔をあげようともせずに、こたえた。「いまはいそがしいから、話かけないでくれないかな」

しかたなく彼は、別のネズミに、声をかけた。

「ねえねえ、兄弟、きみになら、あのゴーゴーいう音が、聞こえるよね?」

そう聞かれたネズミは、いぶかしそうに彼を見返して、

「おいおまえ、頭でもおかしいんじゃないか? しっかりしろよ。どこにそんな音がしてるっていうんだい? くだらないことを言ってる暇があるなら、さっさとやることをやれよ」

と、いうがはやいか、地面にたおれていたコットンウッドの木の穴に、そそくさと姿をかき消した。

しかたがない。ひげをすくめると、彼は、いつものいそがしい自分にもどることにした。そして聞こえている音のことなど、もう二度と気にすることはやめようと、あらためて自分にいいきかせるのだった。

nastro

topiniころが、しばらくするとまた、あのゴーゴーいう音が、聞こえているではないか。遠くの方から、かすかに、ではあったけれど、確かに、その音は聞こえてきていた!

ゴー、ゴー、ゴー、ゴー。

彼は、今度こそ決心をした。ようし、あの音のことを、もうすこし確かめてみるぞ。

例によっていそがしそうに振る舞っているほかのネズミたちをしり目に、彼は、音のする方へ小走りに向かった。

おそるおそる森のなかの草むらをぬけ、さらにしばらく行ったところでたちどまって、あらためてもういちど、耳をかたむけてみる。

ゴー、ゴー、ゴー、ゴー。

やはり、そうだ、確かに、音は、聞こえている!


nastro

も暮れかけたころ、われを忘れて、彼が、一心に耳をかたむけていると、いきなり、何者かが暗がりから声をかけてきた。

「こんにちわ、小さな兄弟」

声は、たしかに、そういった。

いや、びっくりしたのなんのって。

思わず彼はとびあがった。あまりに勢いよくジャンプをしたので、皮だけをのこして、中身がとびだしてしまうのではないかと思えた。あわてて背中としっぽをまるめて、逃げようとしたほどだった。そのとき彼は母親から言われた「まずは自分から名乗ること」という忠告を思い出した。

小ネズミは暗がりに向かってたとたどしく声をかけた。

「ぼくはネズミ、小さなネズミ、リトル・マウスです」

「こんにちわ、ブラザー・マウス」

また、暗がりのなかで声がした。

「ぼくだよ、きみの兄弟で、洗い屋のアライグマさ」

araiguma

近づいて声の主を確かめると、なるほど、アライグマだ。

「いったいぜんたい、こんなところにひとりぽっちで、なにをしているのかね、小さな兄弟?」

アライグマに、そうたずねられると、はずかしさから顔を真っ赤にして、小さなネズミは、鼻先を地面におしつけたまま、こたえた。

「夜がきれいだったから、散歩でもしようかと思って」

「そうだね、いい夜だ。死ぬにしても、学ぶにしても」

「じつは耳のなかで、ずっとゴーゴーいう音が聞こえていて、だから、それがなんだか知りたくて、さがしていたんです」

おずおずと、自信なさげに、小ネズミがいうと、

「耳のなかの、ゴーゴーいう音だって?」

アライグマが、となりに腰をおろしながら、こたえた。

「小さな兄弟、それならわたしが力になれるかもしれないぞ。きみの耳に聞こえているその吠えるような音は、偉大な川からやってくるものだよ。わたしは毎朝そこに食べものを洗いに行くんだ」

「かわ?」

小さなネズミは、神妙(しんみょう)な面持ちでたずねた。

「かわとは、いったいどんなものですか?」

すると、アライグマが、立ちあがっていった。

「ついてきたまえ。もし望むのなら、きみに川を見せてあげよう」

nastro

たんに小ネズミは、おじけづいた。うれしい反面、それがとてもおそろしいことのように思えたのだ。しかしどうしても、音の正体を、彼は自分の目で、確かめたかった。

ネズミは頭のなかで考えた。

「その『かわ』というのがなんであるのかわかったら、もういちど、いつもの暮らしにもどればいい。それに、そのことを知ることが、探したり、集めたりする、日ごろの自分の生活にも、なにかの役にたつかもしれないじゃないか。そんな音なんてしていないと、さんざんいいはっていた兄弟たちみんなにも、きっとわかってもらえる。ひょっとしたら『かわ』の一部だって持ち帰れるかもしれない。それに、このアライグマさんを連れて一緒にかえれば、嘘じゃないことを証明してくれるだろうし」

「おねがいします、兄弟」ネズミは口を開いた。「どうかその『かわ』とやらへつれていってください。ついていきます」

小さなネズミは、アライグマの後ろを歩いた。小さい心臓が、胸元ではれつしそうなほど、ドキドキと大きな音をたてた。アライグマは、小ネズミがいちども通ったことのない道を、奥へ奥へと進んでいった。

これまでにその道を通りすぎたであろう、さまざまなものたちの匂いが、あちこちでした。おそろしさに、小ネズミは、何度となく後ろをふりかえっては、そのまま引き返そうかと思った。しかしそれにもまして夜の新しい世界は、さまざまな色や動きや香りに満ちていて美しかったのだ。

歩きすすむに連れて小ネズミの耳のなかの音はとてつもなく大きなものになった。これが偉大なる川の偉大なる音なのか。やがて、周囲の空気がなんとなくひんやりしてきて、どうにかこうにか、ふたりは、川べりまでたどりついた。

川だ!

それは、すぐには声にならないぐらい、とてつもなく大きくて、力強いものだった。あるところは深くて、透明で、ほかのところは渦を巻いていたり、暗く、よどんで、謎めいていた。おそろしく大きなはばの広い川で、小さなネズミには、闇のなかの向こう岸など、およそ見ることもできなかった。

流れはゴーゴーとうなり声をあげ、歌い、さけび、雷鳴のごとく鳴りひびいた。生まれてこの方こんな経験はしたことがなかった。水面を流れに運ばれていく、世界の無数のかけらを、小ネズミは目で追いかけた。大きいものもあれば、小さなものもあった。これほどまで力のあるものを彼は今までに見たことがなかった。

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「なんて、とてつもない、力なんだ!」

彼には、それだけいうのが、やっとだった。なにしろそれまでに見たことがある水といえば、雨粒か夜露ぐらいのものでしかない。小ネズミは、水辺(みずべ)に近づいて、おそるおそる川のなかをのぞきこんで思わず後ずさりした。困惑して、おびえたような顔をした一匹の野ネズミが水のなかから自分を見ていたのだ。野ネズミはそのときまでなにかに写しだされた自分の姿を見たことがなかった。

「偉大な川はきみが感じていることや考えていることをそのまま写しだすのさ。きみが恐れていればその恐れを、喜んでいれば喜びをね。でも写しだされたものは、たいていゆがんでいる。間延びしていたり、つねに動いたりしていて、ほんとうの姿がそのまま見えるわけじゃないんだ。ほんとうの自分を見ることは、聖なる山を見るぐらい大変なことさ」

「聖なる山って、なんのことですか?」

「さあな。わたしにはわからない。どうせなら食べもののことでも聞いてくれないかな。自分は食べものを洗いながらよく川のなかに写るものを見て勉強してるからね」

「なぜ食べものを洗うのですか?」

「さあ、知るわけないだろ、そんなこと。あそこにいるアンティロープがどこでおしっこするのか、きみだってしらないだろうが」

アライグマはなんとかして岸辺で川の水の流れのなかに小ネズミの手を浸させようとした。そうすれば自分で水の味を確かめることもできるはずだった。でも小ネズミは川岸にあった小さな岩のうえにかたくなに腰を落ち着けたまま、夜通し朝が来るまで偉大なる川を眺め続けた。

nastro

朝、彼は川辺に生い茂る丈の長い草の先にたまった水滴が、きらきらと輝きながら川のなかに落ちていくのを見ていた。小ネズミには世界が違って見えた。ゆっくりと大きくなって、草の先端を離れて川の水の中に落ちてゆく水滴が歌を歌うのを、小ネズミは確かに聞いた。


  濡れた、小さな、水の粒
  陽の光のなか きらきらと
  川のなかへと 落ちてゆき
  家に帰るよ 母のもとへ


「もう水滴が見えないや。全部同じ水に見えるもの」

小ネズミは水の中から水滴が「母さんにはわかるのさ」とこたえるのを聞いた。

ネズミは自分の耳を疑った。ぼくはほんとうに一粒の水滴が歌う歌を聞いたのだろうか? 偉大なる川の偉大なる音は、想像できないぐらいの数の水滴たちの歌う歌が混ざりあっているものだというのか。そんなことを考えただけで小ネズミの小さな頭ははち切れそうになり、くらくらとめまいがしたほどだった。小ネズミは回らない頭でアライグマに水滴のことを聞いてみたが、あいにく真剣に聞いていなかったのでなにを聞いたのか覚えてはいない。アライグマは水滴には三つの種類があるとこたえたのだった。家に帰ることを知っているものと、家に帰るのだろうなと想像しているもの、そしてほんとうに家に帰れるのだろうかと疑っているものの三つだと。リトル・マウスはアライグマがせっせと川の水で食べものを洗うところを見ていた。

「そこに集めてきた葉っぱを洗うのを手伝いましょうか?」

「いやけっこう。こう見えてもわたしは食べものの味にはうるさいんでね」そしてアライグマの兄弟は続けた。「さらに何事かを学びたいのなら、きみはもっと心を開かなくてはならないぞ。かたくなに心を閉じたままでいると、この石ころのように、いくら長い年月を川のなかで過ごしたとしても、知恵の影響を受けることもなく、乾いたままの心でいなくてはならないよ」

こうしてアライグマは自分に教えられるだけのものを小ネズミに教えた。

「リトル・マウス、わたしはきみと一緒に帰ることはできない。わたしは友だちではあるがきみの証人になれるようなものではないからな。どうしてもきみが川のことをきみの一族に伝えたいのなら、それにふさわしい人物やものを見つけなくてはならない。ついてはひとつきみに、わたしよりもずっと偉大な川のことを知っている友だちに引きあわせよう。わたしは川で食べものを洗うだけだが、彼は偉大な川のなかで暮らしているんだ」

ふたりはしばらく堤を歩いた。あるところで、川の縁に目をやると、流れのおだやかな、浅瀬の水たまりに、あかるい緑色をした一枚の水蓮の葉がういていた。そしてその葉のうえに、葉とほとんどおなじ緑色をした大きなカエルが、すわっていたのだ。カエルの腹だけが、やけに白く見えた。

「こんにちわ、兄弟」

リトル・マウスがまず声をかけた。

「やあ、小さな兄弟。川に、ようこそ」

カエルが口を開いた。

「それじゃあ、わたしは、そろそろいとまごいでもするかな」アライグマが口をはさんだ。「なあに、心配はご無用だ、小さな兄弟よ。この先はこのカエルさんが、きみの面倒をみてくれるから」

そんな言葉をのこすと、アライグマは、洗って食べられるものをさがしさがし、きょろきょろしながら、そそくさと堤から姿を消した。

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さなネズミは、水辺(みずべ)に近づいて、おそるおそる川のなかをのぞきこんだ。川の水が、おびえたようすの一匹の野ネズミの姿をまた写しだした。

「きみは、誰?」

小ネズミは、水に写った自分にむかって問いかけた。

「こんなにとてつもなく大きな川のなかにいるのに、こわくはないのかい?」

frog「いいや」答えたのはカエルだった。「ちっともこわくなどないぞ。わしは生まれながらに、川のなかでも、川のそとでも、どちらでも生きていける力をさずかっているからな。冬将軍がやってきて、この不思議な力を凍らせてしまうと、わしはどこからも見えなくなってしまうのだがな」

そこでしばし間をおいて、カエルは言葉をつづけた。

「しかし、そのいっぽうで、サンダーバードが空を飛びまわっている季節なら、わしはいつだってここにおる。だから、わしに会いたければ、世界が緑に包まれているときに、ここに来なくてはならない。よいかな、わしの兄弟よ、このわしは、ダイアモンドのごとく光り輝く水の守り人なのだ」

「すごいなあ!」小さなネズミは感嘆した。カエルの生き方がとても素晴らしいもののように思えたのだ。「アライグマの兄弟は、あなたは水のうえを歩けるといっていましたが、ほんとうですか?」

「もちろん夢のなかではな。わしにはちょっとした力があるのさ。どうだね、おまえさんにも、この不思議な力、メディスン・パワーを、すこし分けてしんぜようか?」

カエルにいわれて、小ネズミは、聞き返した。

「メディスン・パワーを? ぼくに、ですか? すごいや。はい! お願いです、できることなら、ぜひ」

「ならば、よく聞くのだ。できるだけその体を小さくかがめて、それから思いっきり高く、できるだけ高く、そこでジャンプをしてごらん。そうすれば、メディスン・パワーがおまえさんにもたらされよう」

カエルにいわれるまま、小ネズミは体を小さくかがめると、その場で、思いきり高く飛びはねた。

自分の体が空中高くに浮かんだまさにそのとき、彼は目の片隅で聖なる山の姿をとらえていた。小ネズミには、自分の見たものが信じられない思いがした。しかし、山は、たしかに、そこに存在したのだ!


nastro

が、つかのま宙にあった小ネズミの体は、突然、次の瞬間には一転して、本来あるはずの地面にではなく、まっさかさまに川のなかへ落下した。水しぶきが盛大にあがった。

ザブーン!

いやはや、肝をひやしたのなんのって。小ネズミはおそれおののき、大あわて、いまにも死にそうな形相で、ずぶ濡れのまま、命からがら岸へとはいあがってきた。

「だましたな、ぼくを!」小ネズミは、ものすごい顔で、カエルにむかって大声をはりあげた。「なにが力なもんか!」

「まあ、待て」とカエルは、さとすように、いった。「べつに傷ついたわけでもなかろう。それにわしは飛べとはいったが落ちろとはいわなかったぞ。おまえは空気がお前をつかまえてくれるとでも思っていたのか」

「ぼくは水に落ちたんだぞ」

「恐れと怒りにまかせて、自分を見うしなったままでいてはならない。そんなものはほうっておけ。おまえさんは、飛びあがったときに、いったいなにを、見たんだ?」

「ぼくは」ネズミは口ごもった。「ぼくは、あの、その、聖なる山を、見ました!」

「な、そうじゃろ、おまえはもう、ただの小ネズミなどではないのだ。おまえには新しい名前がある。よいか、今から、おまえは、ジャンピング・マウスと名のるがいい」

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「ありがとう、ほんとうに、ありがとうごさいます」ジャンピング・マウスは、自分がずぶ濡れであることもかまわず、いくたびもカエルに礼をのべた。怒りも、恐れも、もうすっかりどこかへ消えていた。「さっそくこれから一族のところへとって返し、自分の身に起きたことと、自分の見たものについて、話して聞かせたいと思います」

ネズミのなかでなにかが変化していた。これまでの彼だったら、仲間のネズミたちに会ったとたん興奮のあまり「ざまをみろ、ちゃんと川はあったじゃないか」などとこれ見よがしに相手をののしっていたかもしれないのに、聖なる山のヴィジョンを見た今は、興奮はしているものの、自分の見たものを一族のものたちと分けあいたいと感じていたのだ。カエルから教えを受けた今、彼は知らないことは知らないと正直に言えるようになっていた。

「ならば、はやくゆけ」カエルは答えた。「一族のもとへ帰るがよい。仲間を見つけるのはたやすいことじゃろう。ゴーゴーいうこの川の魔法の音を背中で聞くようにしながら、ただひたすら進めばよいのだ。そうすれば、兄弟たちにも、出会えよう」

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のネズミたちがみなそうであるように、もともと近くのところしか見れず、まっすぐに進むのを苦手としていたジャンピング・マウスは、体から水がしたたり落ちるのもおかまいなしで、今度は背中の方で確かに聞こえているあの魔法の音だけを唯一の頼りに、歌でも歌いたいような気分で意気ようようと、ネズミたちの暮らすいつもの世界にもどっていったのだ。だが、そこで彼を待ちかまえていたものは、あろうことか「失望」の二文字でしかなかったのである。

アライグマの兄弟に連れられて川までたどり着いた話も、川辺で水滴が歌う唄を聞いた話も、そこで聖なる山を見せてくれた魔法使いのようなカエルの話をしても、ただただみんなは沈黙するばかり。じきに彼の話に耳を貸そうとするものは一人もいなくなってしまった。しかもそれだけではない。雨など降った気配もまったくないのに、なぜか文字通り「濡れネズミ」でいきなりふらりと帰ってきて、しかもろくに筋の通った説明もできないでいる彼のことを仲間はずれにして、他のネズミたちは、遠くからこわいものを見るような目つきで見はじめた。

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ジャンピング・マウスの全身がびしょびしょに濡れているのは、食べられるすんぜんに、なにかのけものの口からよだれまみれになってはきだされたからなのだと、みんなは勝手に思いこんでいた。つまり、そのけものがあえて彼を食べなかったということは、彼そのものに毒があるからに違いなく、その毒は、おそらく自分たちにとってもよいものではないのだと、他のネズミたちは判断したのだ。

だから川のことも、そのはるか向こうにあった聖なる山の話なども、もはや誰も聞こうとさへもしなかった。そしていつしか彼のことはみんなの記憶の彼方へと消え去った。

ジャンピング・マウスは意気消沈していた。それでも、しばらくのあいだは、以前の仲間たちと「普通にいそがしく」暮らして過ごした。彼らはみな自分の一族だったからだ。だが、あのとき目に焼きついた聖なる山の姿だけは、どうしても忘れることができなかった。自分の目に見えたものだからといって、それがそのまま他のものたちの目にも見えるとはかぎらないのだ。

それはヴィジョンであり、自分の頭と心にすりこまれた消すことのできない記憶だった。ジャンピング・マウスはみんなと分けあいたいものをたくさん持っていたが、友だちはみな彼といるのをいやがった。

業をにやしたジャンピング・マウスは、あるとき仲間たちの前で宣言した。こうなれば自分一人ででもあの聖なる山まで行くまでだと。すると友だちはみなあきれ顔で口々に、

「おい、おまえどうかしてるぞ? そんなことはできっこないじゃないか。空のあの黒い点々を見てみろ。常識あるネズミなら、そんなことをしたらあのワシたちが舞い降りてきて、あっというまにエサにされてしまうことぐらいみんな知ってる。そんな馬鹿なことはやめるんだな」

と言うのだった。

しかしそういうネズミたちも実は、自分たちの話に出てくるワシというものがいかなるものなのか、ほんとうはまったく知らないのだ。あまりにも空の高いところを飛んでいるために、ネズミたちの目にはそれは空にあるただの黒い点々にしか見えていなかった。自分の周囲の地面にあるものならなんであれ見分けることができたが、はるか空の彼方では、それは単なる動く黒い点にすぎないのだ。おまけにワシの方はワシの方で、あまり地上に近づきすぎると見えているものがにじんでぼやけてしまうのだが、むろんネズミたちにはそんなことは知るよしもなかった。

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してある日、あの記憶にさそわれるまま、ジャンピング・マウスは気がつくと、長いひげをひくつかせながら、また例の川のある土地への境界まで、足をのばしていた。

そこはネズミ領のはずれだった。その先には、どこまでも続く大草原が広がっていた。ジャンピング・マウスは、野ネズミを餌にするワシの姿がないかどうかを確かめるために、顔をあげて空を見た。見あげた空は、無数の黒い点で、あふれかえっている。それらの黒い点のひとつひとつが、ワシ、イーグルなのだ。

しかし、そのときすでに、自分はなんとしても聖なる山のあるところまで行くのだ、とジャンピング・マウスは心にかたくきめていた。後を振り返ることもなく、ありったけの勇気をふるいおこすと、わき目もふらずに、彼はそのまま全速力で草原を走りはじめた。

大草原は大きな動物たちが遠くまで旅をして出会うところで、小さなネズミが旅をするような場所ではない。そんなことはわかりきっていた。小さな心臓が、興奮と恐れで、今にもはりさけそうに高鳴った。

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のまま一気に走れるだけ走って、彼はとあるスウィート・セージの茂みに駆けこんだ。そこなら空の黒い点々から身を隠すこともできた。ふうと一息ついて、呼吸を整えようとしたそのとき、ジャンピング・マウスは、いきなり老ネズミと遭遇(そうぐう)したのである。

そこは、その老マウスの、すみかだった。

セージの茂みのなかにあったその場所は、ネズミにとってはまさしく天国のようなところで、食べものになる種はふんだんにあり、巣を作るための材料や、いそがしくするにはうってつけのものが、ところせましとあふれかえっていた。

coyote「よくきた」と、老ネズミが口を開いた。「ほんとうに、よくきた」

ジャンピング・マウスは眼をまるくした。こんなところに、しかもネズミまで暮らしていたなんて。

「グランドファーザー、あなたはネズミの鑑(かがみ)そのものです」ジャンピング・マウスは、ありったけの尊敬の念をこめて、言葉を選んだ。「これほど素晴らしい場所も、まず、よそにはないでしょう。ここなら、空のワシたちに見つかる心配も、まったくいりません」

ジャンピング・マウスがいうと、老ネズミがこたえた。

「おうよ。しかも、ここからなら、大草原の生きものたちだって、すべて見渡せる。バッファローだって、アンテロープだって、ウサギだって、コヨーテだって、なんだって見える。おまけにここからなら、それらのすべてを見て、しかもそれらの名前まで知ることができるのだぞ。おまえさんはなにを求めてここまできた? まあセージのお茶でも一服しなさい。わしが若かったころの話を聞かせよう」

「なんとありがたいことでしょう」ジャンピング・マウスはいった。「じつはわたしはごーごーとうなる音を聞いて偉大な川まで行ってきたのです」

「そうか、おまえさんもか」老ネズミはうなづきながら続けた。「わしもな、昔あの音を聞いて偉大な川のところまで行ってきたことがある」

ジャンピング・マウスは興奮した。はじめて自分と経験を共有できるネズミと出会えたのだ。うれしくないわけがない。ふたりは偉大なる川について、さらにはふたりが知っていることについて、いっそう饒舌に語りあった。

「聞いてください。ぼくはあそこで師のカエルと巡り会い、空高くジャンプしろといわれて、言われるまま飛びあがり、そこで聖なる山を見たのです」

ジャンピング・マウスがそう言うと、会話がとぎれた。長いこと老ネズミは押し黙ったまま沈黙していた。それからおもむろに口を開いた。

「息子の息子よ」すべてをわかっているかのような口調で、老ネズミが続けた。「偉大なる川があることは、わしも知っておる。わしも川まで行き、おまえさんと同じようにその水を口にしたことがあるのだ。だが、偉大なる山となると、残念なことではあるが、話はまたべつで、そんなものは耳に心地よく響く伝説にすぎん。よいか、そんなものはこの世には存在せんのだ。偉大な山をなんとしても見たいという気持ちなど、おまえさんも、このさいすっぱりと忘れて、わしとここにとどまるがよい。ここには、ほしいものがすべてある。こんなに恵まれた場所は、他にはまず見つからんぞ」

nastro

ャンピング・マウスはいきなり冷や水をさされた気分だった。がっかりした。「なぜこの人はそんなことを断言できるのだろう?」彼は考えた。「聖なる山の不思議な力は、おいそれとは忘れられないものなのに。きっとこの人は咲いている花よりも高くは飛ばなかったのだ。もしかしたらまったくジャンプなんかしていないのかもしれない。ジャンプをしてさへいれば、今頃こんな大平原の真ん中になんて住んでいるわけがない」

「さてと、おじいさん、お茶までごちそうになったばかりか、この素晴らしい家で休ませていただいて、御恩は忘れません」とジャンピング・マウスは、切り出した。「でも、ぼくは、その山をさがしにいかなくてはならないのです」

「なんと! ここを出ていくとは、おまえもよほど愚かなネズミよのう。よいか、大草原は危険なところじゃぞ! 顔をあげてあれを見てみい!」老ネズミはさらにさらに確信にみちた声でいった。「あの黒い点々が見えるじゃろ! よいか、そのひとつひとつが、ワシ、イーグルなんだぞ。連中は、おまえを、とっつかまえようと待ち構えとるんだ!」

もちろん、そこから出ていくことが、どれほど大変なことなのかは、ジャンピング・マウスにも、痛いほどわかっていた。背中に黒い影が近づくのを感じることもできた。地面は焼けたように熱くごつごつと荒れていた。しかし、いかねばならない。彼は、意を決して、再び全力で走りはじめた。

nastro

つ果てるともなくどこまでも続くでこぼこだらけの地面。それでも、彼は走りに走った。ひげをやたらひくひくさせ、長い尻尾を弓なりにして、力のかぎり、走った、走った。

そうやって走りながらも、彼は、空の黒い点々の投げかける影の存在を、背中に痛いほど感じていた。空にあふれかえる黒い点々。命からがら、彼は、どうにかこうにか大平原の真ん中に、そこだけぽつんとあった群生するチョークチェリー(北米産の山桜)の茂みのひとつに走りこんだ。このサクランボは食べるとなかなかおいしいのだが、あとでものすごく喉が渇いてくるのが難点なのだ。

すごいや! ジャンピング・マウスは、自分の目をうたぐった。なんとそこは、ひんやりと涼しくて、広々としていただけでなく、水も、甘酸っぱいサクランボも、さまざまな種までもそろっていたのだ。飲みものや、食べるものだけでなく、おあつらえむきに寝床を作るために集めるのにちょうどいい草まであり、おまけに探検できそうな穴もいくつもあって、ネズミとしていそがしくするにはこのうえないほどのものがならんでいた。しかも、そればかりでなくて、その気になって集めようとすれば、なんだって、いくらでも、集めてこれそうな場所なのである。

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うやってジャンピング・マウスが、新しい自分の縄張りをあちらこちら探索(たんさく)しているときのことだった。どこからともなく、ぜーぜーいう重苦しい息づかいと、さらに大きなため息が聞こえてきた。

彼は、そくざにその音の調査に取りかかり、ほどなくして音の発信元をつきとめた。音は、黒々とした山のような毛のかたまりから発せられていた。しかもそのもじゃもじゃな、巨大な黒い毛のかたまりからは、巨大な黒い角も二本、ぬっとつきだしている。前足と後ろ足は巨大な体の下で折りたたみ、頭を地面にのせるようにしていた。それはなんと、とてつもなく大きな体をしたバッファローだったのだ。

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ジャンピング・マウスは、自分の目の前に存在するバッファローの横たわった体躯(たいく)の、あまりの偉大さに圧倒された。自分なら、この巨大な片方の角のうえにでも、はいあがれるのではないかと、思えた。

「なんとまあ、壮大な生きものであることか!」

ジャンピング・マウスは、そっとにじりよりながら、思わずため息をついた。そして声をかけた。

「こんにちは、大きな兄弟」

「やあ、こんにちは、小さな兄弟」バッファローが応じた。「たずねてきてくれてありがとう」

「偉大な存在よ」ジャンピング・マウスがたずねた。「どうしてあなたはここに横たわっておられるのですか?」

「わたしは病んでいて、ろくに食べるものもなく、もうじき死ぬ身なのだ」バッファローがいった。

その言葉を聞いたとたん、悲しみがジャンピング・マウスに襲いかかってきた。今、出会ったばかりだというのに、目の前で偉大な存在は死のうとしていたのだ。

「ぼくになにかできることがありますか? 薬になるものを探してきましょうか?」

ジャンピング・マウスが言うとバッファローがこたえた。

「この病を癒せるものは、ネズミの目のなかにある火だと聞いたことがあるのだが、小さな兄弟よ、ネズミなどというようなものなんて、どうせこの世にはいやしないのさ」

ガツンと頭をなぐられたぐらい、ジャンピング・マウスはショックをうけた。「ぼくの目だって!?」彼は思った。「このぼくの、ちっぽけな目玉のひとつだって」

あわてて彼は、例の群生するチョークチェリーの茂みのひとつに、逃げかえった。まだ心臓がドキドキしていた。それはぼくだってできるならあげたいさ。ほかのもので代わりになるようなものがあればいいのに。よりによってぼくの片方の目だなんて。

nastro

が、そうこうしているうちにも、バッファローの息づかいは、さらに苦しげに、そして次第にゆっくりとしたものに、かわっていった。

「こうして自分が安全なところでのうのうとしているときにも、あのヒトは死のうとしている」と、ジャンピング・マウスは考えた。「ぼくが自分の片方の目をあげないからだ。このまま、死なせていいものだろうか? あんなに偉大な存在を」

長い尻尾を引かれる思いでジャンピング・マウスはバッファローが横たわる場所にもう一度かろうじてとって返すと、話しかけた。

「お話があります。ネズミというのは実在の動物でして、じつはわたしがそのネズミなのです」ふるえる声で彼は告げた。

「そうかいありがとうよ、小さな兄弟。ネズミがほんとうにいるということがわかっただけでも自分は幸せに死んでいける。そのうえおまえさんに片方の目をくれなんて言ったらそれこそ罰が当たるというものだ」

「でも、大きな兄弟よ、偉大なる存在よ、わたしはあなたを、このまま死なせるわけにはいきません。わたしには目がふたつありますから、これであなたが元気になれるのなら、そのひとつをさしあげましょう」

その言葉が終わるいなや、いきなりジャンピング・マウスの片方の目玉が顔から飛び出したかと思うと、ほどなくしてバッファローは健康な体をとりもどしていた。ジャンピング・マウスにとっての全世界、その世界をのせた大地をごう然とふるわせながら、バッファローが、にわかに力強く立ちあがった。

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「ありがとう、わが小さな兄弟のジャンピング・マウスよ」バッファローがいった。「じつは、おまえさんの名前も、おまえさんが聖なる山に行こうとしていることも、それから、あの川まで行ってきたことも、わたしには全部わかっている。おまえさんはわたしの命の恩人だ。おまえさんが片方の目を与えてくれたおかげで、わたしも人びとに、この肉体のすべてを与えることができる。われわれは、永遠の兄弟だ。ここからは、わたしのしたを走ればいい。わたしがおまえさんを、聖なる山のふもとまで、かならず連れていこう。もう、空の黒い点々など、心配しなくてよい。わたしの影のなかを走っているかぎり、空のワシたちにはおまえさんの姿は見えん。あの連中に見えるのは、バッファローの背中だけだ。だが、大平原に生きる運命のわたしにできることは、そこまででしかない。わたしは、山には登れない。山に登ろうとして脚を滑らせて転びでもしたら、それこそ倒れておまえさんを、押しつぶしてしまいかねんからな」

自信たっぷりのバッファローの言葉をいくら聞いても、ジャンピング・マウスはすこし心配だった。なにしろまだ朝が早いにもかかわらず、偉大なバッファローはもう出発の準備を整えているのだ。明るい時間に旅をつづけると聞いただけで不安になった。しかも話を聞けば、これから通り抜けなくてはならないところはかなりの高原だとか。心配顔のネズミにバッファローが話しかけてきた。

「ジャンピング・マウスよ、きみはこれまで、暗い時を選んで、月あかりのなかを旅してきた。もしまだ聖なる山を見つける気持ちが変わらないのなら、これからは太陽の光のなかを旅することが必要になるだろう。この先しばらく行くと、小さな川の流れる場所に出る。おそらくそのあたりで激しい雷雨に遭遇するかもしれん。だがあの人たちはこの私の走る姿を見ただけで退散しよう。用意はできたかな?」

ジャンピング・マウスはその時はじめてそのバッファローの足首から下が白いことに気がついた。彼の四本の脚の下半分が白い毛で覆われていたのだ。普通のバッファローは脚が茶色か黒ときまっていた。いつだったか母親に聞かされた伝説に出てくる白い脚のバッファローのことをジャンピング・マウスは思い出した。

チョークチェリーの茂みは深い絶壁のはずれに位置していた。崖を下ったその先にはほとんど水の涸れた川の川底がむき出しになっている。意を決したようにバッファローが動き出した。深い崖の縁を越えて、ふたりは重なるような体勢で、急な長い坂を下りはじめた。

そうやって、小さなネズミは、それからは偉大なバッファローに守られながら、空の黒い点々をおそれることもなく、走りつづけることができた。もちろん、目が片方しかないわけだから、いくらバッファローの腹のしたにいれば安全だとはいえ、まったくおそろしくなかったといえばうそになる。バッファローの巨大なひづめが、自分のまわりで一足進むごとに、盛大に土ぼこりが舞いあがり、全世界をびりびりとふるわせた。

「今はとりあえず安心していられるけれど、どちらかが足の踏み場を間違えたとたんに、それでもう終わりじゃないか」とジャンピング・マウスがひとりごちた。

やがて太陽が雲の後ろにかくれ、辺りが暗くなってきた。空気を切り裂くように不気味な光が走った。さほど離れていないところでいきなり雷が大地を直撃したのだ。気がついた時にはふたりは草原の雷雲のただ中にいた。雷雨の下をバッファローが走り、バッファローの下ではジャンピング・マウスが必死に走っていた。右や左のあちこちで立て続けに稲妻が立木を切り裂いていく。雷が地面を激しく撃ちつけるたびに頭上の雷雲のうえが一瞬赤く輝いた。

こんなことってありなのか? 小ネズミは考えた。なんてことになったのだろう? バッファローばかりかそこに稲妻までもがやってくるだなんて。どうせならもっとのんびり歩いて聖なる山を目指せればよかったのになあ。

そのときまるでジャンピング・マウスの心を読んだかのように、ゆっくりと雷雲が遠ざかりはじめた。果てしなく続く乾ききった広大な草原が一瞬にして水に洗われて潤っていた。

そうやって、ふたりの大平原を越えていく波乱に富んだ旅はつづき、そしてあるとき、偉大なバッファローがついに足をとめる場所まで、やってきた。ジャンピング・マウスはへとへとに疲れ切っていた。生きているだけでありがたいと思えた。とっくに激しい雷雨はおさまったのに、心臓が電気を受けたように激しく鼓動を打っていた。それはそれはきつい旅だった。バッファローが、おもむろに口を開いた。

「小さな兄弟、ここでお別れだ」

「かさねがさねありがとうございます、ほんとうに」ジャンピング・マウスは息も絶え絶えに礼をいった。「じつは、あなたも感づいていたと思いますけれど、ひとつしかない目で、あなたのしたを走るのは、とてもこわいことでした。大地をとどろかせるあなたの偉大なひづめが、おそろしくておそろしくて、わたしは、びくびくのしっぱなしでした」

「そのような心配は、はじめから無用だった」バッファローがこたえた。「なぜなら、わたしの足の運びは、サンダンスの足の運び方とおなじものだからだ。おまえがどこにいるかも、自分のひづめが大地のどこを踏みしめるのかも、わたしにはつねにわかっていたのだ」

「ではあの嵐と稲妻の襲来は?」

「嵐だと? 稲妻だと? さあてそんなものはあったかな。蛍が飛んでいたことは覚えているがね。さあ、兄弟よ、わたしはここから草原にもどらなくてはならない。おまえさんは、そこでなら、いつでもこのわたしを見つけることができるだろう」

そう言葉を残してバッファローは草の海のなかに姿を消した。

nastro

大なバッファローはそうやって片方の目のないネズミを聖なる山の麓に一人残して大平原に帰っていった。ジャンピング・マウスは、すぐさま自分の新しい環境を検分しはじめた。

そこには他のどこよりもたくさんのものがあった。いかにもネズミの好きそうな場所で、こまごましたものがつぎからつぎとでてきて、時間がいくらあってもたりそうにない。ありあまるほどの種だけでなく、ほかにもネズミの気をひくようなものが山ほどもあった。ここにあるものを持って帰るだけで一財産作れるなと、彼は思わず考えたりした。そうやって彼があわただしく周辺の調査をしているときのことである。

wolf冷気を感じた瞬間、いきなりジャンピング・マウスは、美しい灰色毛をしたオオカミとでくわした。かたわらには木の皮を編んで作られた籠がひとつ置いてあり、なかには陽に干した魚が入れてあった。そのグレイ・ウルフは、まったくなにをするでもなく、ただそこで妙な笑いを浮かべたまま、ぼーっと座っていた。

「こんにちわ、オオカミの兄弟」ジャンピング・マウスが声をかけた。

オオカミの両耳がぴくりと動き、そのときだけ目が光った。

「オオカミ! オオカミだと! そうか、そうだった! わしは、オオカミなのだ!」

だが、つぎの瞬間には、頭のなかにふたたび靄(もや)でもかかりはじめるのか、自分が誰だったのかすらもすっかり忘れて、ただそこに座っているだけの状態にもどっていた。

「こんにちわ、オオカミの兄弟」ジャンピング・マウスがもう一度声をかけた。

「オオカミ? オオカミだと! そうか、そうだった! わしは、オオカミなのだ!」

そうやってジャンピング・マウスが声をかけて、彼に、彼が誰であるかを思い出させると、そのときにはいっときだけ、その言葉に心を高ぶらせるオオカミではあったけれども、すぐにまた、彼は自分が誰なのかを忘れてしまうのだ。

「せっかくこんなに偉大な存在なのに」とジャンピング・マウスは考えた。「自分が誰だかもわからなくなっているなんて」


nastro

ャンピング・マウスは、新しい場所の中心に移動すると、そこでしばし押し黙ったまま、自分の心臓の鼓動に耳を傾けた。まるで自分の内側に太鼓でもあるかのように大きな音が聞こえた。そしてその音が彼にあのバッファローのことを思い出させた。きっとぼくの目の玉には病気を治す不思議な力があるに違いない。それから急に意を決したかのように、オオカミが座っていたところへもどると、「オオカミの兄弟よ」と話しかけた。

「オオカミ! オオカミだぞ」と、グレイ・ウルフが反応した。

「オオカミの兄弟よ」とジャンピング・マウスはつづけた。「おねがいです、話を聞いてください。わたしに力になれることがありますか?」

「さあどうかな。悲しみは増すばかり、頭はおかしくなるばかりで、あとは飢えて死ぬばかり」

「なにを言っているのです。すぐそこに干し魚がたくさんあるじゃありませんか」

「なんだと? それはまことか? ここにあるものが魚に見えるとは、さてはおまえはネズミだな。わたしには自分が誰か思い出せないのさ。なにを食べればよいのかもわからない。おまえさんが干した魚だというものも、わたしには川底の土にしか見えない。食べるものか」

「お困りでしょう。もうなにを食べればよいのかもわからなくなってるのですね。なにがあったのですか?」

「自分を美しいものに造りかえようとして力の使い方を誤ったために、無駄に時間を使い、病気にもなって、最悪なことに今は自分が誰かもわからなくなった」

「わたしはあなたの病気を治せるものを知っています。それは、わたしのこの目のなかの火です。目はあとひとつしかないけれど、お役に立てるのなら、あなたにさしあげましょう。わたしにくらべたらあなたはあまりにも偉大な存在です。わたしはたかだかネズミにすぎません。どうぞこの目をおうけとりください」

ジャンピング・マウスが話すのをとめたとたん、彼の残されたただひとつの目玉がポンと飛び出して、オオカミの病は、うそのように消えていた。

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オカミの頬を幾筋もの涙が伝わっておちるのを、オオカミの小さな兄弟は、もはや見ることができなかった。すでに両目をうしない、彼は、盲目になっていたのだ。

「おまえこそが偉大な兄弟だ」とオオカミが口を開いた。「わたしはオオカミ。おかげで記憶をとりもどせたが、おまえはこれから盲目で生きていかねばならない。もともとわたしは聖なる山の案内人だ。おまえがジャンピング・マウスという名前であることも知っている。偉大なる川におもむき、カエルの兄弟から聖なる山を見せてもらい、偉大なバッファローとともに大平原を越えてやってきた。だからもしここから先まだ旅をつづけるつもりなら、わたしがおまえさんをそこへお連れしよう。山の頂には、不思議な力の湖がある。この世で最も美しい偉大な湖だ。世界のすべてがそこには写しだされている。すべての生きてあるものも、大草原も、空も、なにもかも」

「どうかわたしをそこまでお連れください」両方の目が見えなくなったジャンピング・マウスはいった。もはや彼には長いひげとふたつの耳があるだけだった。触れたり聞いたりして世界を理解することはできても、彼は自分を差し出した結果、世界を見る力を失っていた。

グレイ・ウルフは山麓の松林のなかをぬうようにして、より高く、さらに高いところへと、そんな彼を森林限界線を超えたところにある、神秘の湖まで導いた。魔法の湖の周囲にはもはや樹もなく灌木もなく、ネズミの体をかくしてくれるようなものはなにひとつとしてなかった。ふたりが湖の畔にたどり着いたとき、世界は平安に包まれて静まりかえっていた。

ジャンピング・マウスは手を差し伸べて湖の水を口に含んだ。それはそれはおいしい水だった。心の底から感動した。オオカミが隣に座って、湖の美しさを、彼にもわかるように、話して聞かせてくれた。この湖にはすべての人びとの姿が、空を飛ぶすべての鳥たちが、山々のスピリットたちが、そして大平原に生きるすべての生き物の姿が写しだされていると。そしてまたこの湖には世界のなにからなにまでもが、そしてその上を覆うように果てしなく広がる色塗られた美しい空が全部写しだされていると。

「わたしはここにおまえさんを残していかなくてはならない」オオカミがいった。「聖なる山の案内人として、他にも、案内しなくてはならない人たちがわたしを待っているからだが、しかしおまえさんが望むなら、望むだけは一緒にここにとどまろう」

「兄弟よ、ありがとう」ジャンピング・マウスはこたえた。「わたしにとって、ひとりぼっちになるのは、とてもとても、おそろしいことではありますけれど、いずれにしてもあなたは行かなくてはなりません。あなたには、この場所への道を、他の人たちに示す、おつとめがあります」

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ャンピング・マウスは、おそろしさに震えながら、その場にうずくまったまま、とにかくじっとしていた。すでに両方の目をうしなってしまった今となっては、やみくもにいくら走ったところで、それはまったく意味のないことだった。

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彼にはわかっていた。案内をしてくれたオオカミがこの場を去れば、いずれ一羽のワシが、ここにいる彼の姿を見つけることになるのは時間の問題だろう。はたせるかなしばらくすると、背後に、黒い影が迫ってくるのを、彼は感じた。そして物音。ワシのたてる羽根の音が、すぐ近くで聞こえた。

くるぞ。

身構えた瞬間、いきなり一羽のワシが彼に体当たりをしてきた! ふいの一撃をまともにくらって、ジャンピング・マウスは意識を失い深い眠りにおちた。

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あ、それから、どのくらいたったのだろうか? 彼は眼を覚ましつつあった。どこか遠くで師であるカエルの声が「メディスン・パワーがほしくはないかね?」と言うのを彼は聞いたような気がした。

まだ、生きている! それは、たいへんな驚きだった。だが驚いたのはそれだけではない。目が、見えるようになっていたのだ! なにもかもが、ぼんやりとしてはいたが、あざやかな光りの色彩が飛び込んできた。

「見える! 目が、見える!」

ジャンピング・マウスは、何回も何回も、同じ言葉を繰り返した。ぼんやりとしたひとつの影が、緑色と白い色をしたなにかが、ジャンピング・マウスにむかってやってきた。しかし、いくらいっしょうけんめい目をこらして見ても、そのかたちはぼんやりとしたままさだまらない。

「元気かね、兄弟」と、緑と白のものがいった。「メディスン・パワーを、すこしお分けしようかな?」

「メディスン・パワーを、分けてくれる、ですって?」ジャンピング・マウスはつづけた。「ぜひ、ぜひお願いします!」

「ようし、それならば、その場所で、いちどできるだけ体を小さくかがめて、それから思いきり高くとびあがるがよい」

小さなネズミは、教えられたようにやった。

できるだけ低く身をかがめ、ありったけの力で、思いきり高くジャンプしたのだ! 高くとびあがったとたん、一陣の風が、彼をとらえた。そしてその風は、より高いところへと、見る見る彼を運んでいった。

あの声が、下の方でまた彼に呼びかけた。

「恐れるんじゃないぞ。しっかりと風にしがみついて、すべてを風にまかせるんだ。信じよ!」

ジャンピング・マウスは、言われるままにした。眼を閉じて、風にその身をまかせ、広げたふたつの手で風をしっかりとつかまえた。風は、彼をさらにさらに、空高く、運んでいった。

高く、高く。

ジャンピング・マウスは、目を開いた。世界が隅々までよく見えるではないか。より高いところに昇れば昇るほど、世界がいっそうはっきりと見えはじめた! なにからなにまでくっきりと見えるのだ。偉大なるもののすべてが、大いなる草原が、そこにいるバッファローが、山の岩のうえの灰色オオカミが見えた。

はるか下界に目を移せば、そこには、たとえようもなく美しい湖が、神秘の力を持つ湖が、広がっていた。そして魔法の力を秘めたその湖には、水蓮の葉が一枚浮かんでいて、そのうえに、ちょこんと、あのなつかしい師の姿が見えた。

それは、あのカエルだった。

「おまえに新しい名前をさずける!」

師の叫ぶ声を彼は聞いた。

「イーグル、それがおまえの新しい名だ! おまえは、ワシになったのだ!」


《おしまい》


THE JUMPING MOUSE, a story from Seven Arrows copyright © 1972,2004 by Hyemeyohsts Storm. Retold for Japanese young people copyright © 2005,2010 by Kohei Kitayama. All rights reserved.

line of animals

あわせてお読みください:

単行本「ジャンピング・マウス」(太田出版刊)のまえがき 再録

ジャンピング・マウスの物語の全文を新しい年のはじめに公開することについての弁

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Friday, October 30, 2009

サーモン・ボーイ(鮭だった少年)の教え

カナダの北西部太平洋沿岸のブリティッシュ・コロンビアの先住民にハイダ(アイダ)と名のるヒトたちがいる。「日本にいる相田さんはみなわしらの兄弟さ」という冗談とも本気ともつかないことを、彼らに昔いわれたことがある。姿格好はとにかくわれわれととてもよく似ていた。このハイダの国に、鮭とわたしたちの関係を知る上で重要な言い伝えが残されている。ハイダのヒトたちだけでなく、北西太平洋沿岸のヒトたちは、食べるものはことごとく海からやって来ると信じていて、当然ながら海が汚れることに警戒心を持つ人たちでもある。ハイダの国に伝わる鮭の話は、われわれがすべての生きものをなぜ敬わなくてはならないか、とりわけ食べ物にする生きものを大切にしなくてはならないかを、教えてくれている。同時に、なぜ縄文時代の鮭の骨の化石があまり残っていないかの理由もわかるだろう。

鮭の少年の物語
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昔、ハイダの村に、腹をすかしているひとりの男の子がいた。お腹が減ったよと母親にいうと、母親は魚の切れ端を一切れ少年に与えた。「ほれ、これをお食べ」

魚を受け取った少年はその魚をちらっと見ただけで「こんなものは嫌だ」と言った。「腐ったような臭いがするもの」

そうはいったものの結局なにか腹にたまるものは口にしたのだろう、少し腹も落ち着いたので少年は、他の子どもたちと遊びにでた。子どもたちは村の近くの川でみんなで泳いでいた。少年も子どもたちの泳ぎの仲間に加わったが、気がつくと川の速い流れにのまれて遠くまで押し流されてしまいにおぼれてしまった。鮭のなかのヒトたちが少年の魂をつかまえて、海の下にある鮭のなかのヒトたちの国へ連れて行ったのだ。

鮭のなかのヒトたちの国では、みんな人間と同じかたちに戻って暮らしている。男の子が見たその村は男の子の暮らしていた村とほとんどかわらなかった。子どもたちは近くの川で泳いでいた。アメリカ・インディアンの神話ではたいてい、動物たちの暮らす村とインディアンの暮らす村との相似性は、どこもみんな似たようなものだ。彼ら、彼女たちは、大人も子どもも、われわれが見たことのない彼らの国では、人間のかたちをして人間のように生活している。

少年がそこで「お腹がすいた」というと、川のなかで泳いでいる子どもをひとり取ってきて、それを料理して食べるようにと言われた。しかしそのときにはひとつだけ守らなくてはならないことがあるとも。それは、食べた後は、骨も、ウロコも、どんな食べ残しも、全部なにからなにまで、きちんと川の流れに帰さなくてはならないということだった。

少年が食べ終えた後、子どもの泣く声が聞こえてきた。子どもは母親に目が痛いと訴えていた。鮭のヒトが、食事を終えたばかりの男の子に、魚の食べ残しは全部なにもかも川にかえしたか確認するように伝えた。少年が川の堤を細かく見て歩くと、彼が食べ残した目の玉が落ちているのを見つけた。彼がその目の玉を川の流れにかえすと、子どもは泣き止んだ。

翌年の春になって、鮭のなかのヒトたちはブリティッシュ・コロンビアのあの川にみんなで帰ってきた。あの少年も鮭のなかのヒトたちと一緒だった。そして彼は自分のほんとうのお母さんに捕まえられた。鮭の中にいた少年がつけていた首飾りを母親は見逃さなかったからだ。母親はとりあげた魚をとりわけてじっと見続けた。すると、一日か二日すると、置いておいた鮭の口から少年の頭が姿をあらわし、さらに数日すると身体も全部そこから出てきた。そしてあとには鮭の皮だけがまるごと残された。

このようにしてもとの村に還ってきた少年は、やがて立派なメディスンマンになって、村のヒトたちに鮭の生き方、鮭の道について教えることになった。

その鮭だった少年は、いつかその日がきて、自分が死んだときには、遺体はそのまま川にかえしてくれるよう言い続けたという。自分は川から来たので、その川に帰るのだと。それからずいぶんと冬を数えて、彼が年老いたときのことだった。彼は川で奇妙な魚をつかまえた。つかまえて取りあげたとき、彼にはそれが他ならぬ自分の魂であることを理解した。魚にナイフを刺したその瞬間、彼は絶命していた。魂の生まれかわりを信じる村の人たちは彼に言われたことを守り、彼の遺骸を川にかえした。

川のものはすべて川にかえし、山のものは山にかえすというのが、古来ネイティブ・ピープルの考え方の中心にあった。わたしたちは自分たちの食べるものにことごとく責任を持たなくてはならない。つまりそれは、そのいのちの生きている環境のことをじゅうぶん考えて行動しなくてはならないと言うことでもある。

あわせてお読みください

長野県で縄文時代の鮭の骨が大量に発見されたことの意味するもの

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Thursday, February 12, 2009

北海道の釧路川に野生のラッコが出現したという

北海道の釧路川に野生のラッコが姿を現したというニュースを読んだ。部分的に引用する。

北海道釧路市の中心部を流れる釧路川に11日、野生のラッコが姿を見せ、盛んに好物のツブ貝を食べている。

道内にラッコは生息しておらず、独立行政法人水産総合研究センターの服部薫研究員は「好奇心の強い若いラッコが北方4島方面から餌を求めて流れてきたのでは」。

Source : 釧路川に野生のラッコ出現、性別不明で名前どうなる?
(2009年2月12日02時44分 読売新聞)

ラッコについてはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』日本語版の「ラッコ」にはこう記されている個所がある。写真と図版は英語版のWikipediaから。

Sea-otter-map.jpgラッコ(猟虎、海獺、Enhydra lutris、英称:Sea otter)はネコ目(食肉目) イタチ科 カワウソ亜科に属する哺乳類の一種である。体長は55-130cm、体重も40kgを越すことがあり、イタチ科では最も大型の種である。千島列島、アラスカ、カリフォルニア州などの北太平洋沿岸に生息している。分布の北限は北極海の氷域であり、南限はカリフォルニアの「ジャイアントケルプ」の分布の南限と一致している。「ラッコ」の名はアイヌ語の "rakko" に由来する。

地図を見るとわかるように、ラッコの分布は実に興味深いことを伝えている。北部太平洋のなかの、ひとつの大きな文化圏と重なっていることに驚く。ネイティブ・ジャパニーズとネイティブ・アメリカンのある部分をつないでいるのが、この文化圏であり、そこに暮らす人々なのではないかと、ぼくは考えている。おそらく共通の信仰でつながっているはずだ。

ウィキペディアは「日本人とラッコの関係」について次のようにまとめている。

日本では平安時代には独犴の皮が陸奥国の交易雑物とされており、この独犴がラッコのことではないかと言われている。陸奥国で獲れたのか、北海道方面から得たのかは不明である。江戸時代の地誌には、気仙の海島に海獺が出るというものと、見たことがないというものとがあり、当時三陸海岸に希少ながら出没していた可能性がある。

かつて北海道の襟裳岬周辺などにはラッコが生息していたが、明治時代の乱獲によってほぼ絶滅してしまった。このため、明治時代には珍しい動物保護法「臘虎膃肭獣猟獲取締法(明治四十五年四月二十二日法律第二十一号)」が施行されている。現在でも時折、千島列島などから来遊してくるラッコが北海道東岸で目撃されることがあるが、定着するまでには至っていない。2003年頃から襟裳岬近海に一匹定着しているがウニなどを大量に食すので漁業被害が問題になっている。

「ラッコ」というのはアイヌ語なのだね。アイヌとある部分共通する文化を持つ北西太平洋沿岸部のネイティブの人たちの所には、当然ながらたくさんラッコのお話が伝えられている。たとえばアレウト(アリュート)の人たちによれば——

昔、地球がまだ若かったころ、若く美しいひとりの娘がいた。娘には献身的な弟がひとり。ふたりは海のそばの村のはずれ、海を見おろす崖のすぐちかくで暮らしていた。その崖は北の鳥のスピリットの住まうところでもあった。そしてその北の鳥のスピリットの力は強力だった。

ある日、その鳥のスピリットが娘の前に現れた。スピリットは娘を妻にするために言葉巧みに巣へと連れ帰った。娘はどこにも逃げることができず、ひとりぼっちで恐怖におびえる日を送っていたが、ある晩、夜陰に乗じて娘の弟がやってきて彼女を救い出し、家に連れて帰った。

娘が姿を消したことでスピリットは怒りに怒った。北の鳥のスピリットがとてつもない地吹雪を作り出して娘の暮らす村の家々をことごとく破壊しつくそうとしたので、村人たちは恐怖に駆られて、姉と弟のふたりを嵐の中へ追放した。

姉と弟はなんとか隠れる場所を見つけようと海岸にむかったのだが、そこへ巨大な波が押し寄せてきて、一瞬のうちにふたりを海へと引きずり込んだ。海の女神がふたりを憐れむことがなければ、姉と弟のふたりはそのままおぼれ死んでいたにちがいない。

Sea_otter_cropped.jpg

女神はふたりを優雅な海の生きものに変えた。そして氷の海のなかでも寒くならないようにと、すべての動物のなかでも最も厚く暖かな毛皮をお与えになった。

こうしてラッコが誕生することになった。姉は東へと向かってそこでわれわれがラッコ一族として知っているクラン(氏族)を興した。弟は西へ向かいシベリアのラッコたちを率いることになった。

もしカヤックを漕いでいるときに、目の前にラッコが姿をあらわして、その愛くるしい輝く瞳で、お前の顔をのぞきこんで挨拶をしてくるようなことがあれば、それは厚い毛皮にくるまれた、海で暮らすお前の兄弟か姉妹のひとりだということを、覚えておくように。

——ということになる。言い伝えによれば、村を地吹雪から救うために人身御供とされたふたりが、ラッコになったのだ。今回、釧路川にやってきた好奇心の強い彼女か彼のラッコは、いったいなにを伝えにきたのだろうか?

釧路川に現れた愛くるしい --- というか、なにかを必死に訴えかけているような顔つきの --- ラッコの写真は、もとのニュース記事にあります。

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Thursday, February 05, 2009

百まで数えることを学ぶには オマハ一族の話

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いていのネイティブ・アメリカンの社会にはいくつもの結社がある。それは部族全体に影響を与える組織で、オマハを代表する結社は白い貝殻結社と呼ばれ、一族の者たちから尊敬されるものだけが加盟を許された。そしてその若者はなんとかして一族の者から尊敬を得られる人間になって結社の一員になりたいと願っていた。

エルダーのひとりが青年にむかってこう言った。

「そのためにはな、お前は百まで数えることを学ばねばならない」

それを聞いて青年は思った。「なんだ、簡単じゃないか」


る日、薄汚れたひとりのホームレスの年寄りが町に入ってきた。老婆は見るからに痩せこけていた。町人のなかには彼女の姿を見ただけで追い立てるものもいた。冷たい眼差しで老婆の背中をにらみつけてなにごとかをつぶやくものもあった。

そうしたなか老婆に同情を寄せたのは例のエルダーだった。老人が声をかけた。

「そこのおばあさん、そう、あんただ。うちへ来て休んでいくといい」

彼はそういうと老婆の肩に手をかけてやさしく彼女を自らの家に案内した。

「さあさあ、どうぞ」

老人は老婆をキッチンに招き入れて椅子に腰掛けさせると、喉が渇いているだろうと水を入れたコップを差し出した。老婆はその水を飲み干してほっと一息ついた。それを見て彼は次に鍋からスープを皿に取ってそれを老婆に食べさせた。

それから老人は自分の妻と娘たちを呼び寄せた。

「このおばあさんに風呂を浴びさせてあげなさい。着替えには、先だってわしがギブ・アウェイのためにビーズ細工を施したバックスキンのドレスを着せてな。あとここにある新しいモカシンも履かせてあげておくれ」

娘たちは力をあわせて老婆に湯浴みをさせ、髪を洗い、櫛をあて、新しい服に着替えさせた。そしてそれが住むと、老人の家族は彼女を一家の住人として共に暮らすことを受け入れた。


れからしばらくしてからのことだった。

くだんの若者がその家の新しい住人となった年寄りのおばあさんを見つけた。

「あの人、ホームレスだった人だよね? 誰がこんなことをしたんだい?」

それを聞いてエルダーがこたえた。

「これが、ひとつだ」


このお話の別バージョン:

100まで数える (オマハに伝わる教えの物語)

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Wednesday, October 01, 2008

トゥンカ・シラ 偉大なる祖父の岩

Sweat Lodge lakotaラコタの人たちの言い伝えによれば、すべてのもののはじまりはワカンタンカの思いの中にあったことになっている。のちに形あるものとしてなりませるものはことごとくみなスピリットとしてのみ存在した。スピリットたちは自ら形あるものとして顕現する場所を探して宇宙を移動した。そしてスピリットたちの旅は彼らを太陽に導いた。だが太陽は万物が創世される場所としてはあまりにも暑すぎた。結局彼らは旅を続けて地球に訪れた。地球はことごとくが水に覆われて生命などはどこにもなかった。いのちが暮らしていけるような乾いた大地がどこにもなかったのだ。しかしそのときのことだった。いきなり一面の水が裂けて中から燃えたぎる偉大な岩(インヤン)があらわれた。その燃えたぎる岩は乾いた大地を作り出し、煮えたぎる水からは蒸気がもうもうとわきあがり、それはやがていくつもの雲にかたちを変えた。そして地球はあらゆるいのちのはじまりうるところとなった。だからこそ最初に水のなかから現れた偉大な石は、最も古い存在であるがために「偉大なる祖父の岩」を意味する「トゥンカ・シラ」と呼ばれる。

参考記事:

地球最年長の岩が「発見」されたというニュースから思い出されたこと

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Wednesday, June 11, 2008

なぜインディアンにはこんなにたくさんの部族があるのだろうと思っている人のためのお話 部族不明

maze

いくつもの月をさかのぼった昔のこと。あまりに遠い昔のことなので、それからどのくらいすぎたのかも誰にも思い出せないぐらい遠い遠い昔のこと。そのとき人間は動物たちと一緒にみな地底の暗闇のなかで暮らしていた。

動物たちのなかにはたいそう勇敢なものがいて、その代表がモグラだった。あるときモグラはわしら人間を後に残して地面のなかをぐいぐい這いながら土を押しのけ押しのけ、遠くへ遠くへ、上へ上へとどこまでも進んでいった。

やがて世界がうっすらと明るくなってきた。モグラは辿るべき穴を見つけたのだ。光は穴の先からもれてきているらしかった。光のくる方に向かって穴のなかをモグラはさらに上へ上へとよじ登った。そしてその穴の出口で、まばゆいばかりの光に包まれた。穴から外に出てみると世界は光にあふれていた。青々と木々が茂り、川には水が流れ、そして見あげると空があった! どちらを見ても美しいものばかりで、世界は光に満ちていた。

モグラは自分の見たものを人間に伝えようと、あの穴を伝ってもと来たところに大急ぎでとって返した。ようやく人間たちのいるところに戻ると、モグラは自分が見た驚くほどの光があふれる世界の話をして聞かせた。だがそのときにはすでに、一度にたくさんの光を見てしまったモグラの目は見えなくなっていた。あれからずっと今日に至るまでモグラは目が見えない。

モグラから話を聞かされて人間たちは興奮した。上の世界には光があるらしい! モグラの目がつぶれるぐらい美しいらしい! 人間たちはいたたまれなくなってわれ先に地上をめざしてモグラが開通させた穴を登りだした。

そう、人々はそれぞれが待ちきれなくなって他を押しのけるように狭い穴をのぼりはじめ、もはや誰にもそれを止めることはできず、インディアンはひとりまたひとりと穴のなかに姿を消した。

かくして人間はその穴を通ってこの世界に辿り着き、その美しいありさまをはじめて自分の目で確認することになった。後から後から、続々とインディアンが穴のなかから這いだしてきた。

だがそれからしばらくしておそろしいことが起こった。ひとりのとても太ったインディアンが、穴につかえてその穴から抜け出れなくなってしまったのだ。人間たちは声をかけあいながら、必死に下から押し上げたり、上から引っ張ったりしたのだが、よほどしっかりとはまっているらしく、押しても引いてもびくともせず、とてもらちがあかなかった。そのふとっちょのインディアンはそれぐらいしっかりと穴を塞いでしまっていた。

地底にいるものたちはそのまま暗闇のなかに取り残されることになった。幸運にもその太ったインディアンが穴を塞ぐ前に地上に登ることができたインディアンたちは、光あふれる世界のなかをどこまでもすすんでいった。

やがてひとびとは大きな川に前進をはばまれた。すると一羽の美しい鳥がその羽根を三度大きく羽ばたかせたかとおもうと、川の水が大きくふたつに分かれて大地があらわれた。その水の消えて乾いた大地を人々は歩いて川の向こう岸へ渡ることができた。

そのようにして無事に川を渡れたものはかなりの数にのぼった。だがしばらくしてその美しい鳥が空に舞いあがっていずこかへと姿を消すと、ふたつに分かれていた川にまた水が戻り、かなりの数の人たちがそのまま取り残されることになった。

それからいくつもの月が巡り、前進を続けたわれわれの進む道を、あるときとてつもなく大きく雄大な岩山がはばんだ。すると親切にも一匹の鹿が岩場を登る道案内をかってでてくれた。そうやってかなりの数の人たちが岩山をかわすことができたのだが、あるとき行きなり空のどこからか鷲たちの集団がやってきて、その道案内の鹿を追いやってしまうという事件が起きた。この結果わたしたちのなかからその山をかわすことのできなくなって取り残されるものたちも数多くあらわれた。

無事に山をかわしてなんとか峠を越えた人々は、ほっとするまもなく、今度はおそろしく深い森のなかにいる自分たちを発見することになった。うっそうと茂った大きな木がぎっしりとどこまでも続き、森のなかはどこからも光が入らずに暗く、われわれは互いの顔すら見ることができなかった。われわれはなんとか離ればなれにならないようにしていたのだが、しかしその望みはかなえられなかった。結果としてわれわれのなかの何人かが集団から脱落していった。

このようにしてわれわれは世界のあちこちに散らばってきた。今日この日にいたっても、われわれがみんな別々の場所に暮らしているのは、だからそのようなことがあったからなのだ。

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Wednesday, October 03, 2007

虹が出るようになった理由 ラコタ(スー)

rainbow over tipi

よく晴れたとある夏の日のことだった。

花たちが、みなそろいもそろって、おもてでやさしい風に吹かれて、さきほどからしきりと、頭の上げ下げを繰り返しながら、さも自慢そうにそれぞれのたくさんの美しい色を、あたりに見せつけていた。

そんなとき、大いなるスピリットは、年老いた花たちがこんなことを語りあっているのを耳にした。

「いったいわたしたちはどこへ行くのだろう? 冬が来たら、みんな死ななくてはならない。わたしたちはこの地球を暮らすのに美しい場所にするために力を分けあっているではないか。こんなに不公平なことはない。そんなわたしたちが自分たちの幸福な狩り場に行けないなんて、どこかおかしくないか?」

大いなるスピリットはそのことを考えた。そして花たちを、冬が来ても死なないようにすることにしたのだ。

というわけで、その後は、いのちをよみがえらせるような雨が降ったあと、空を見あげると、この1年に咲いた色とりどりの花たちが美しい虹となって天国に渡っていくのが見れるようになった。

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Wednesday, September 19, 2007

犬が逃げていった道 チェロキー一族のおはなし

Milky Way

昔、世界がまだ若かったころ、空には星があまりありませんでした。

当時の人びとは日々の食料のすべてをトウモロコシに頼り切っていました。乾燥させられたトウモロコシが大きな木の臼のなかで、これも長い木の杵でつかれてコーンミールになるのです。コーンミールは大きなカゴのなかに蓄えられました。冬になると挽かれたトウモロコシの粉は、パンやおかゆへと姿を変えたものです。

ある朝のこと、年老いた夫婦が貯蔵用のカゴのところにコーンミールを取りに行きました。そしてなにものかが夜のうちに大切なコーンミールをカゴから持ち去っていたことを発見したのです。ふたりはたいそう腹を立てました。こともあろうにチェロキーの村に泥棒が出没したのかもしれません。

しかしふたりは気がつきました。カゴのまわりの地面のあちこちに、コーンミールが散らばっているではありませんか。ぶちまけられたようなコーンミールのまん中のところには、とても大きな犬の足跡が残されていました。犬にしてはとても巨大な足跡です。老人と老婆は、その犬がおよそ普通の犬ではないことに気がついていました。

ふたりは大あわてで村中の人たちに知らせて回ります。その犬は別の世界から来たスピリットの犬であるにちがいないと村人たちは信じました。村では誰もスピリットの犬の訪れをのぞんだりはしません。

村の人たちは頭を寄せあって考え、スピリットの犬を追い出す算段をしました。とことん怖がらせてやれば、犬は二度と帰ってくるはずはないと。その晩、人びとは村中の太鼓と、亀の甲羅からできたガラガラを集めると、コーンミールの貯蔵用カゴを置いてある場所の周囲に隠れて息をひそめました。

その晩の夜更け。たくさんの鳥たちがいっせいに翼を羽ばたくような物音が空から聞こえました。村人たちが顔を上げて夜空を見あげると、一匹の巨大な犬が彼方から急降下してくるではありませんか。やがて犬はバスケットの近くに着地をするや、口いっぱいにコーンミールをほおばり、ムシャムシャと食べはじめました。

そのときをねらったかのように、手に手に太鼓やガラガラを持ち、けたたましい音をたてながら、村人たちがいっせいに物陰から飛び出してきました。いやその音のものすごいことと言ったら、まるで雷が落ちたかのようです。

巨大な犬は音のする方を見ると大あわて、一目散に細い道を走りはじめました。ここぞとばかり村人たちはさらに思い切り大きな音をたてながらその逃げる犬の後を追いかけます。犬はそのまま近くの山に一気に駈けのぼり、そこから空に飛び出しました。犬が口いっぱいにほおばっていたコーンミールが、そのとき夜空にばーっとまきちらかされたのです。

大きな犬は暗い夜空を逃げに逃げてやがてその姿も見えなくなりました。でも彼の口の端からこぼれ落ちたコーンミールが、犬の消えた方に向かって、夜空を横切ってどこまでもどこまでも続いていました。コーンミールの一粒一粒が星になったのです。

天の川はこのようにしてできました。チェロキーの人たちはだから、天の川のことを、「犬の走り去った道」と今も呼んでいます。

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Saturday, April 07, 2007

蝶々はなぜつくられたのか? (部族不明)

る日のこと、すべてを作られるお方は座ったまま子どもたちが、元気に、喜びと若さをあふれさせて、遊ぶのを見ておられた。あたりは美と木や花たちの良い香りに包まれていた。鳥たちは幸せそうに歌い、空はどこまでも青かった。彼には女たちがトウモロコシを粉に摺りおろす光景も見えた。女たちは誰も彼もみな美しく、それぞれの黒髪には日の光が輝いていた。なんと良い光景だろうか!

しかし、すべてを作られるお方は見抜かれていたのだ、そうしたものはみなことごとく変わってしまうことを。子どもたちはやがて大人になり、年寄りになって、その肌は皺だらけになるだろう。美しい女たちも、いつかは太って醜くなり、美しい黒髪も白くなってしまうにちがいない。木々の葉は茶色く色が変わって死んで落ちてしまう。今は美しい花の良い香りも、いずれはあせてしまうことだろう。すべてを作られるお方はハートを曇らせ、不安をつのらせた。時は秋であり、すべてを作られるお方にはじきに野生の動物たちも姿を消すことがわかっていた。青々としている木々の葉も、いずれみななくなって、厳しい季節がおとずれるのだ。

たちがトウモロコシを挽いて粉にするのをうかがいながら、すべてを作られるお方は、今そこで自分の目に見えているたとえようもなく素晴らしいもののいくつかを、なんとか美しさを保ったままにとどめておこうと考えられた。後で誰が見ても楽しめるようななにかを、心とスピリットを踊らせるようなものを、ここはひとつ作っておくのがよいだろうと。そこですべてを作られるお方は「創造の袋」をとりだして、そのなかにいろいろなものを集めはじめられた。

butterflies空の青を少しと、トウモロコシの粉の白を少し。それから日の光に輝く場所の明るさを少しと、女たちの美しい黒髪の黒を少し。木の枝から落ちた葉の黄色を少しと、松の木のとがった葉の緑を少し。すべてを作られるお方はさらに、花たちのなかから、赤色と、紫色と、オレンジ色も少しずつ集められた。すべてを作られるお方はそうしたものをすべてすこしずつ創造の袋のなかにしまわれた。それから最後に、鳥たちのさえずる歌のいくつかも、集めてその袋のなかにしまわれた。

そうしたものを集める作業が一通り終わると、すべてを作られるお方はつぎに子どもたちを呼び集められた。そしてその袋を開けてみなさいと言われた。驚くようなものが入っているだろうと。

われるまま子どもたちが袋の口を開けると、何百、何千という数の、それはそれは美しい蝶々が、袋の中からいっせいに飛び出してきたのだった! 歓声をあげた子どもたちの周囲を、蝶々たちはその頭を輝かせて飛び回っている。蝶々たちは羽ばたきながら花々の間を飛び渡り、歌いながら甘い蜜を吸ってまわった。それを見ていた子どもたちの心だけでなく、大人たちの心までもが、蝶々と一緒に空を飛び回った。それまでまだ誰も、これほどまでに美しく人の気持ちを幸せにさせてくれるようなものを見たことがなかった。蝶々たちが空を舞うのにあわせて、みなは歌を口ずさみはじめた。

ところが、鳥たちの中にやっかみ屋の鳥が一羽いた。やっこさんはすべてを作られるお方の肩に降り立ち、声を荒げて叱るように歌った。「そのように美しいものたちにわたしたちの歌を与えるなんて良いことではありません! わたしたち鳥をお作りになられたとき、あなたさまは、それぞれに異なる歌を授けると、おっしゃいました。あの美しきものたちにはすでに虹の七色のすべてが与えられているのに、そのうえにわたしたちの歌まで取りあげて授けるのですか」

すべてを作られるお方は「それももっともだ」とうなづかれた。「わしは鳥のひとつひとつに異なる歌を授けたのだった。そうだそうだ、その歌を取りあげてはならなかったのだ」

そのようなことがあったために、結局、蝶々から歌は取りあげられることになった。だから蝶たちはそのとき以来、今日まで押し黙ったまま、空を飛ぶのである。しかしそのかわりに蝶は、人々の日々を明るくし、心のなかの歌を呼び覚ましてくれるのだ。

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