Sunday, March 02, 2008

人は考えていることにも責任を持たなくてはならない

人間は自分の考えていることに責任を持たなくてはならない。だから人間は自分の考えることをコントロールすることを学ばねばならないのだ。それは簡単なことではないかもしれないが、やってやれないことではない。
ローリング・サンダー、チェロキー

自分に向かって話しかけることをコントロールすることで、われわれは思考をコントロールできるということを、ぼくは教わった。人間というのはいつも自分に向かってさまざまに−−声に出すこともあれば声に出さないまでも−−話しかけているものなのだな。考えていることというのはたいていそれぞれに感情がつきまとっていて、気がつくとその感情と感情が対立しあう結果を生んでいたりする。

だから感情がおもいきり高ぶって、どうしても自分の手に負えなくなり、ああこのままでは危ないなと思えた時には、自分に向かっていい加減にそれを止めるように伝えることもできるのだ。深呼吸を何度かして気分を静め、万物を創られた存在にむかって、正しい思考、正しい決定、正しい行動を求めてみるのもひとつの手だろう。これをことあるごとに繰り返すようにしていくうちに、自分の考え方も違ってくるはずだ。毎朝目を覚ました時に、偉大なる存在に自分の考えることを導いてくれるように求めてみるのも効き目があると聞いた。目に見えない不思議な存在は、さまざまな形でわれわれに力を与えてくれるものなのだ。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Sunday, September 09, 2007

この大地をどうすればクリーニングできるか?

この大地から汚れをきれいになくすためには、われわれはまずその前に自分たちのスピリットの汚れを落とすことからはじめなくてはならない。

——ローリング・サンダー(チェロキー出身のメディスンマン)晩年の言葉

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, September 02, 2007

人は自分がなるべきものを知る、少なくともその人間がインディアンであるのなら

Rolling Thunder

あるインタヴューで、ローリング・サンダーが、「自分はメディスンマンになるために生まれてきたとあなたはおっしゃられたことがありますが、自分の持って生まれたその使命にどうやって気づかれたのでしょうか?」とたずねられてこたえた言葉の一部。

メディスンマンであることが生まれたときからの定めであることに嘘偽りはない。何冊かの教科書を読んだり、あるいは特殊な学校に行ったりすれば、この仕事に就けて、なんとなくやっていけるようなものではないのだ。そのようなことでメディスンマンになれるものではない。人は自分がなるべきものを知る、少なくともその人間がインディアンであるのなら、その人間にはわかるようになってる。

これまでもたくさんのものが、お前さんと同じようなことを、わたしにたずねてきた。どうやってメディスンマンになることを人は知るのですか、と。そうだな、ある部分それは本能的なものともいえなくもないが、またある部分ではそれは、慎重の上に慎重を重ねた探求の結果ともいえるだろう。

たいていの場合インディアンの若者は、12歳か13歳のころに、その人間の人生の目的を見つけだすことになっている。そのぐらいの年齢になると、若者は高い山の頂に登ったり、あるいは同じような人里離れた特別に聖なる場所で、付き添いの老人を遠くに待たせたまま、少なくともまる3日間の長きにわたって、たったひとりで過ごすことになる。

探求者はなにひとつ食べるものを持たず、身につけるものは毛布が一枚のみで、その時間を断食と祈りのなかでおくる。するとなるようになってヴィジョンがやってくるのだ。そのヴイジョンのなかで、その少年が、あるいは少女が、人生においてなにをなすべきかが明らかにされている。

ほとんど眠れないその探求から戻ってくると、若者は自分に告げられたものを、待機していた賢いエルダーにことこまかに説明する。そしてそれがすんだなら、今度は二人してメディスンマンのもとを訪れて、そのメディスンマンがふたりに若者の見たものの意味を解説することになる。それが終わると、一族は部族をあげての大きな儀式を執りおこない、その若者に公式な名前を授け、彼もしくは彼女が生涯をかけてつとめるべき使命が明らかにされるのだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, July 23, 2007

そして皆、スピリットの世界へと旅立たれた

eaglefthr.gifグランドファーザーのデイビツド・マニャンギ(ホピ)、クランマザーのスポッテッド・フォーン(ウェスターン・ショショーニ)、インター・トライバルなメディスンマンであるジョン・ポウプ・ローリング・サンダー(チェロキー)、ジョン・ファイアーとその息子のアーチー・ファイアーというふたりのメディスンマンのレイム・ディアー(ラコタ)、そして先日スピリットの世界に旅立たれた精神的指導者でメディスンマンのコービン・ハーネィ(ウェスターン・ショショーニ)。70年代から今日までぼくがなんらかのかたちで教えを請うたネイティブ・アメリカンの偉大なエルダーたちが、これでとうとう全員が帰らぬ人となってしまった。

Rolling Thunder Lives三十数年という時の流れを感じざるを得ない。これらの人たちをつないでいた目に見えないものは、アメリカ・インディアンのなかでも特殊なメディスンマンと呼ばれる職能の人たちのネットワークであった。ぼくにとってこれらの人たちの存在はすべてがローリング・サンダーその人(図版)を基点としてつながりあっている。デイビツド・マニャンギ翁はローリング・サンダーの無二の親友であったし、スポッテッド・フォーンはローリング・サンダーの奥方であると同時にぼくの背中を押してくれた恩人であるし、レイム・ディアー親子とはメディスンマンのネットワークとアメリカ・インディアンの権利回復と精神復興の運動を通じて、コービン・ハーネィとはヴイジョンを共にしてコロンブス到来ではじまった長い戦争を戦い続ける同志としてのつながりでかたくむすびつけられていた。コービンはローリング・サンダーとスポッテッド・フォーンのふたりの息子夫婦であるマーラとスカイがオレゴンで立ちあげたネイティブの教えを世界に広げていく新しい動きの後見人でもあった。

それらの人たちに共通していたのは、「前の世界」と「今の世界」のふたつの世界をきわめて巧みに往き来しつつ生きる技を習得して、前の世界から伝えられたソフトでリズミカルな言語と、ハイで詩的な英語とを巧みに操ることで人びとを教育し、そのふたつの世界の橋渡しをし続けたところにある。

Rolling Thunderぼくにとっては彼らと共にあることがそのまま希望だった。彼らと一緒にいて、共に第二外国語である英語で話していると、自分たちはアメリカのなかにあった別の国にいるのだと言うことが痛いほど確認できた。この人たちはアメリカという国のなかで生活をしていたにもかかわらず、アメリカの国が人びとに押しつける法律のもとではなく、グレイト・スピリットの法とでも言うべきものに従い、耳を傾け、正直に1日1日を生き、生涯を終えた。彼らが従っていたグレイト・スビリットの法については、もともとが口から耳へと伝えられてきたものであるがゆえに、ひとつの形あるものとして残されたものは少ない。

ぼくが教えを請うたエルダーたちの全員が旅立たれた今、もう一度初心にかえって、彼らが伝えようとした偉大な精霊の法について、ぼくはこの夏さまざまな機会に考え直してみるつもりでいる。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

Friday, March 09, 2007

カラダの浄化とアタマの浄化

はじめは浄化だ。それが最初のステップになる。そしてここでいう浄化とは肉体的な浄化だけでなく、頭の浄化も意味する。頭のなかを浄化することなくして、肉体の浄化などできるわけもない。物事はそういうふうになっているのだ。
ローリング・サンダー チェロキー

悪い考えが、毒のような思考が、もしも頭のなかにあるとしたら、当然のことながらそれは体にもあらわれる。どんなあらわれ方をするかはケースバイケース。頭痛、痛み、胃がきりきりするなど症状はさまざまだろう。われわれの体というのはそうやって連動するようにできている。だからわれわれが成長する段階になったり、ネイティブ・ピープルの道を歩きはじめたりするときには、まず自分の頭のなかの浄化、さまざまな思考ひとつひとつの洗濯からはじめるべきではないか。そのようにして自分たちの体にたいして敬意を表すところからスタートするしかない。祈りと瞑想によって頭のなかを浄化するところから手をつける。それから体の方の浄化に取りかかる。必要なだけの量の睡眠を与えてやり、食事を良いものにあらためてやる。毎日自分はよい考えを頭のなかに持っているかを観察するようにしておきたいものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, January 25, 2007

正しい時と場所を生きる

Portrait of RT

Portrait of RT, at the Meta Tantay community
in Carlin, Nevada.
Painting by Hank Greb


"We say there is a right time and place for everything. It's easy to say, but hard to understand. You have to live it to understand it."
-- Rolling Thunder, CHEROKEE


ローリング・サンダーの命日である今日は、彼がインディアンの精神と権利の復興のために最も精力的に活動していた1945年から1965年までの20年間を『ネイティブ・タイム』(補遺)として時系列を追って見ていくことにした。ホピとローリング・サンダーの出会いが、ヨーロッパによる征服以来眠り続けたネイティブのスピリットにいかに目覚めをもたらし、また21世紀の今にもつながる南北アメリカの先住民のルネサンス(正義と平和と自由と調和と自然のよみがえりを求める潮流)や汎インディアン運動といった時代の動きに、どのようにかかわっていったのかの一部でも、読者に理解されれば幸いである。

ホピの国でコヨーテが話した
核爆弾が日本列島の2個所で人間の暮らしている土地に投下されて全世界が原子力時代の入口におかれた1945年はまた、南北アメリカ大陸の先住民にとっては忘れられない年でもある。この年、インカ帝国滅亡後412年目にしてはじめてインディアン会議がボリビアで招集され、1500人の代表が顔をそろえた。その2年後の47年、ホピ国のコヨーテ氏族のキクモングイ(長)が「天から灰のつまったヒョウタンが落ち、海を煮えたぎらせ、大地を焼き、それに続く何年も植物が育たない」ことが起こるまで秘密にするように指示されていた教えと預言をホピの他の指導者たちにはじめてあきらかにした。この預言があきらかにされると、ホピの国では「コヨーテが話すまでは語るな」と指示されていたという教えがつぎつぎとあきらかにされていく。

ホピの教えを世界に広めよ
1948年、ホピの国で、「灰の詰まったひょうたん(原爆と水爆)が二つ大地に落とされる」という予言の実現を受けて、各氏族の精神的指導者たちおよび長老たちの正式な集会が開かれ、ホピの教えを世界の人たちに広く知らしめることの重要性についてはじめて話し合われ、ホピの教えを世界に伝えるための通詞四人が選び出される。これが21世紀までつながるインディアン再生運動のはじまりを告げる出来事だった。まずはその年、ホピの国から貨物列車で預言の確認のことでトーマス・バンヤッカという名前の、外の世界にたいするスポークスマン兼通詞をふくむ使者たちが、東のイロコイ6ヵ国連合に派遣された。ホビの国の人たちはミシシッピ川の東側のインディアンたちは絶滅させられたと思っていたのだが、第二次世界大戦で戦地におもむいた若者のなかにニューヨークから来たインディアンと出会ったというものがいたことから、あらためて使者が派遣されることになったものだ。

ホピ、すべてのインディアンに呼びかける
翌1949年、ホピ・インディアンの三つの村の祖先以来のチーフたちが合議のうえで、「ホピ・インディアン帝国」から合衆国大統領とすべてのアメリカ・インディアンたちに宛てた親書を送り、そのなかで「なにがあなたたちの宗教のもとになっているのか?」と問いかけた。南米のペルーで大きな地震が起こり、クスコという町の近くに建っていたある修道院の地下の地面がふたつに破れて、そこから黄金で作られた古代インカの寺院が姿を現わした。南北アメリカの先住民の国々を代表するエルダーたちが正装でニューヨークにある国際連合のビルの正門前に訪れて議会での発言を求めたが拒絶されている。そして50年にはラコタの聖者だったブラック・エルクが87年の生涯を終えた[ちなみに、この年の暮れにぼくは生まれてる。^^;]

ショショーニの土地に核実験場
1951年にアメリカ政府は「インディアン都市移住計画」を開始する。土地利用問題解決を目的としてホピ国で有名無実化していた部族議会が復活。アメリカ政府が先住民である西ショショーニの人たちから取り上げて軍用地にしたネバダの砂漠にネバダ核実験場の施設を作りはじめた。52年、イギリスがオーストラリア西岸のモンテベロ島で最初の大気圏核実験をおこない、アメリカは大平洋で水爆の実験。53年にはソ連が水爆の実験をセミパラチンスクで成功させ、アメリカ合衆国の大統領が国連で「原子力の平和利用——アトム・フォー・ピース」をぶちあげた。また同じアメリカではこの年に「部族廃止法」が制定されて、特定の部族と合衆国政府間の信託関係が廃止されている。54年には世界で最初の工業用原子力発電所がソ連で稼働しはじめる。

ホピ、ローリング・サンダーらに呼びかける
1955年、アメリカが南ベトナムの軍事政権に肩入れする形でベトナム戦争がはじまった年、それまで人里離れたところでおこなわれていた核実験が、ストロンチウム九○の濃度というかたちで、めぐりめぐって、地球上のすべての人たちに影響を与えていることがわかりはじめる。イギリスが水爆製造計画を公開し、フランスが原爆製造計画を発表したこの年、イロコイ(タスカローラ)のマッド・ベア・アンダーソン、チェロキーのジョン・ポープ・ローリング・サンダー、チュマッシュのシム・ワウーテといったインディアンのメディスンマンやスポークスマンたちに、ホピの国で開催されるインディアン統一運動への支援が呼びかけられた。

グレイトスビリットの道へ戻れ
1956年、詩人のアレン・ギンズバーグが「吠える」を発表し、アメリカに最初の白いインディアンであるビート族があらわれたこの年、前年の呼びかけを受けて、ホピ国のホテビラ村において宗教者会議が開かれ、インディアンの国々の代表や白人の心ある人たちが出席して、「ホピの預言」がはじめて英語化されて世に出た。席上「グレイトスピリットの道に戻れ」とする呼びかけが出されて、これがのちのインディアン統一運動へとつながっていくことになる。タスカローラのマッド・ベア・アンダーソン、チェロキーとショショーニのローリング・サンダー、チュマッシュのシム・ワウーテといったネイティブのメディスンマンやカフナで、それぞれがインディアン世界のスポークスマンだった人たちにホビの国があらためて支援を要請。この年、アメリカが日本にウランを貸し与えることを認めるかたちで、日本がアメリカの原子力(経済)政策に組み込まれていく。

日本列島に原子力の火が
1957年、日本国の茨城県の東海村に、国策で建造された原子力研究所の実験炉が臨界に達し、日本列島に最初の原子の火がともる。日本国の各地方の電力会社が原子力発電計画を作りはじめる。ジャック・ケルアックが『オン・ザ・ロード(日本語タイトルは「路上」)』を著したこの年、アメリカがネバダ州の沙漠の核実験場で初めての地下核実験をおこなう。イギリスがハワイ島の南に位置するクリスマス島で最初の核実験。ソ連ウラル地方の核工場で核廃棄物の爆発事故が起きたが、その事実は20年間封印された。

ホピ、国連を目指す
1959年、アラスカがアメリカ合衆国の49番目の、ハワイ諸島が50番目の州にされた年、アメリカ南西部の高原沙漠で生き残っていた伝統派のホピの国の人たちが、古代から伝わる伝承に基づき、自分たちの母なる国土の東のはずれに建つ雲母の家(国連ビル)に赴く時だと判断して、代表者6人をはるばるニューヨークの国連に派遣している。ホピに伝わる伝承では、「国土の東のはずれにたてられた雲母の家には困っている人たちを助けるために世界各地から偉大な指導者たちが集まっている」ことになっていた。翌60年、ホピの国で歴史上はじめて女性のキクモングイ(長)が誕生し、聖なる石版が彼女にゆだねられることになった。

次世代を導く使者にえらばれた4人のカリスマ
そして1961年、アメリカ合衆国政府がこれまでとり続けてきた先住民族絶滅と強制移住政策に終止符を打つべく、いくつものインディアンの青年たちの戦闘隊がアメリカ国内で組織された。ホピの国がインディアンの若者だけでなく白人でインディアンの心を理解する世代を導き社会を有益な方向へと組織化し次世代を先導させるための使者として、ローリング・サンダー(チェロキー・ショショーニ)、シム・ワウーテ(チュマッシュ)、クレイグ・カーペンター(オジブエ)、デイビッド・ブレイ(ハワイのカフナ)の4人のカリスマたちを正式に指名した。全米の64の部族から700人を超えるインディアンたちがシカゴに集まり、自分たちの置かれている現状や今後の課題を討議し、自分たちの主張を宣言にまとめた。

サイレント・スプリング(沈黙の春)の衝撃
1962年、日本国が初めて製造した原子炉が臨界にたっし、アメリカ人作家のレイチェル・カーソンが『沈黙の春』を書いた年。ホピのキクモングイらの反対にもかかわらず、ホピの居留地の主要な部分を、ナバホとの共同利用区域に指定するというアメリカ政府の行政命令が出された。そしてこの共同利用区域には、ブラックメサの露天鉱の借地権がふくまれていた。このためにホピの土地とナバホの土地を分割すべしとの声がホピの部族会議のなかで高まる。

権利回復と価値転換のはじまり
1963年、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で金錫亨【キムソクヒョン】という名前の歴史学者が「歴史科学」という雑誌に「三韓三国の日本列島内分国について」という論文を発表し、明治以後の日本ではあたりまえとされていた「古代の朝鮮半島にあった百済・新羅・任那(伽羅)を支配していたのは日本である」という「日本中心主義歴史観」を全面的にひっくり返し「古代にはそれらの諸国が日本列島内に分国を配置して支配と経営をしていた」と主張した。同じ年、黒人やマイノリティの権利回復運動が高まりはじめたアメリカで、ジョージ・ウォレスという右翼の政治家が「今日も差別、明日も差別、永遠に差別!」と公然と主張した。この演説の草稿を書いたのは実はウォレス本人ではなく、「エース・カーター」ことアサ・アール・カーターが本名の、当時過激な活動を展開していた極右白人優越主義者団体KKK(クー・クラックス・クラン)のメンバーの男といわれ、このカーターはのちに「フォレスト・カーター」を名乗って西部劇を書く小説家となり、かの有名なインディアン小説の『リトル・トゥリーの教育』(邦題『リトル・ツリー』)を発表することになる。ハーバード大学の教授のティモシー・レアリー博士がマジック・マッシュルームの成分であるシロシビンの研究をおこない、その結果を「チベットの死者の書」と対比させながら「サイケデリック体験」をポジティブに使うための手引書として出版した。

アメリカ・インディアンが動く
1964年、アラスカをマグニチュード8という桁はずれに巨大な地震が襲った。伝統的な部族の衣装を身にまとった5人のアメリカ先住民に伴われて、偉大なるスーの国の一員であり、アメリカ・インディアン会議のベイエリア地域支部長が、サンフランシスコ湾のまん中にある岩でできた小さな島に降り立ち、丘の斜面にアメリカの国旗を立てて儀式を行ったあと記者会見を開き、1868年のララミー砦における条約に基づき、この「岩」がインディアンのものであると宣言した。巨大な岩の塊はアルカトラツ島と呼ばれ、脱走がむずかしい島としてアメリカ合衆国が連邦刑務所を設けていたが、その頃にはもう空になっていたのである。やがてひとりのメディスンマンがパイプに火をつけ、白い煙がたちのぼると、国立公園のレンジャーがやってきて、インディアンたちを退去させるという事件が起きた。ホピとナバホの国でアメリカ政府と企業(世界最大の炭坑企業)の意向を受けた部族議会が、ブラックメサの地下に眠る石炭の採掘権を承認した。この年、東京オリンピックが開催され、陸上トラックの1万メートル競技で、ひとりのアメリカ・インディアン(ラコタ族パイン・リッジ・リザベーション)出身の26才の青年が優勝した。青年は名前を「ビリー・ミルズ」といい、アメリカ陸上チームに選ばれた最初でただひとりのスー・インディアンの青年だった。

日本列島と南米のつながり
1965年、産軍複合体にコントロールされるかのようにアメリカがベトナムで地上戦に突入し、世界各地でベトナム反戦運動の気運が高まった。アメリカの先住民で徴兵されてアメリカ軍の兵士としてベトナムに派兵された者は42500人を数えた。アメリカの大統領が日本国の首相に核武装を示唆。アメリカ人の考古学者であり国立スミソニアン研究所のエバンスとメガースの両教授が、南米エクアドルのバルディビア遺跡を調査し、そこから発掘される土器群が、様式や年代において日本の「縄文」土器と明確な対応を示していると発表した。二人は「日本から南米への土器文化の伝播」もありうるのではないかと指摘した。この年、日本国東海村に設置されていた原子力発電所が初めて臨界に達した。


| | Comments (2) | TrackBack (0)

Saturday, September 10, 2005

今日はローリング・サンダーの誕生日

rollingthunderじつは今日、9月10日は、わたしにネイティブの道を指し示してくれたRTことローリング・サンダーの誕生日である。だから彼の人生について、これまでほとんど明らかにされなかったことを少し書くことにする。

彼が生まれたのはアーカンサス州のスタンプスという町だ。今回ハリケーン・カトリーナの被害を被ったルイジアナのすぐ北の州になる。そのアーカンサス州のほぼまんなかにスタンプスという町はある。

今ではアーカンサスとして知られる州のあるところは、ネイティブ・アメリカンの文化区分でいうと広大な南東部森林地帯文化の南の一角にあたる。もともとこのあたりにどの部族が暮らしていたのか明らかではない。徹底した虐殺など、あまりにいろいろなことがありすぎた土地なのだ。マスコーギー、チカソー、チョクトー、オセージ、アーカンサス、カドゥーらの部族は足跡をたどれるが、ラコタの本流は白人到来以前にこの南東部エリアからミシシッピ川をさかのぼって大平原にはいっていった。今もアーカンサスの北のはずれに「チェロキー・ヴィレッジ」という小さな町があることからもわかるように、すぐ北のアパラチア山脈の南端にはもともと山の民であるチェロキー・インディアンの人たちの大きな国もあった。ネイティブ・ピープルのライフスタイルは農耕と狩猟採集であり、イロコイなどの東部森林地帯の人たちと平原の民とのほぼ折衷したものといってよい。

ローリング・サンダーの生まれた町であるスタンプスに行くには、いちばんわかりやすいのがテネシー州のメンフィスからはいるのがよい。メンフィスからリトル・ロックまで行き、そこで州間高速道路30号線にはいってテキサスに向かうと「ホープ(Hope)」という町が出てくる。そうしたらフリーウエイをはずれて南に向かう田舎道を、地図上では鉄道の線路を左に見るようにしながらえんえんと下っていく。線路と道路はじつはかなり離れているが、スタンプスという町は、彼が地球における旅を終えたネバダのカーリンという町と同じように、鉄道の分岐点となっているのである。希望という名前の町からおよそ半日ほどのドライブでルイスヴィル(Lewisville)の町に着くからそこで州道82号線で東に向かうと、次の町がスタンプスである。衛星写真で上空から見下ろすと、きれいな緑色のグラデーションがデジタルに連なっている。

1916年の9月10日、チェロキーの母親のもとローリング・サンダーは誕生した。父親はケージャンだった。ケージャンというのはフランス系の人たちで、ウィキペディア百科事典日本語版には「"Acadianの訛りで、アカディア(カナダのノヴァスコシア州とニューブランズウィック州)に居住していたフランス語系の人々のこと。アカディアのフランス系住民はフレンチ・インディアン戦争中、イギリス国王に対する忠誠表明を拒否したため強制追放され、フランス植民地でスペイン領となったルイジアナに分散して移住した。ルイジアナ州のニューオリンズに定着した集団がよく知られている。1990年の国勢調査ではケイジャン人口はルイジアナ州で43万人、米国全土で60万人であった」と記されている。あのケイジャン料理のケイジャンであり、ブラック・アメリカン同様今回のハリケーンで大きな被害を受けたのもこの人たちの子孫である。RTはハーフブリード゜(混血)としてこの世界に生を受けた。ちなみに1916年は、北米大陸最後の野生のインディアンととして20世紀に紛れ込み8年間だけ鉄文明時代を生きたヤヒ族のイシが「あなたは居なさい、ぼくは行く」の言葉を残して地球の旅を終えた年であり、日本では大正5年にあたっている。

そのアーカンサス州の西隣のオクラホマ州南東部、ちょうど州境あたりにキアミチ連峰という大きな山の連なりがあり、一帯はオークとヒッコリーの森が続く山の中に湖があって、きれいな川が流れていたりする絵に描いたような風光明媚で自然豊かな土地だが、ローリング・サンダーはこの山の中で母親とともに幼年期から少年期を過ごすことになる。15歳の時には独力でその山のなかに山小屋を造り、そこの森のなかで一人っきりで数年間を過ごす経験をした。ひとりきりで静けさに耳を傾けながら過ごしたもはや誰にもかなわないような少年時代の経験が、ローリング・サンダーの人格や性格やスピリットに与えている影響は計り知れないものがある。彼はそれを自分のヴィジョン・クエストだと語っていた。

彼のことをしばしば「インタートライバルな——部族の枠を超えた——メディスンマン」という人たちがいるし、ぼくもその表現を使うことがあるけれど、彼自身がそう名乗ったわけではない。メディスンマンというのは、部族もしくは共同体があって初めて成立する職能ではあるけれど、スピリットにおいては、はじめから部族というものを超えた存在でもある。部族のネットワークとは別にメディスンマンのネットワークというものも確かに存在するのだ。ローリング・サンダーはさまざまな部族のメディスン・ピープルからメディスンについて学んで育った。チェロキーには彼の薬草の師となるアモネータ・セコイヤ(Amoneeta Sequoyah)という名だたるメディスンマンがいたし、彼の同志、助言者、指導者にはタスカローラのメディスンマンであるマッド・ベア・アンダーソンとか、ホピの予言でおなじみかと思うがホピ伝統派長老だったグランドファーザー・デイビッド・マニャンギ翁がいた。もちろん部族のなかでメディスン・ピープルとなっていく人もいるのだが、彼のように部族の枠を超えてさまざまな師や同志たちに教えを請いながら自分について来る人たちのためにメディスンの道を進んでいる人は今だっている(はずだ)。

ローリング・サンダーは、メディスンについて話すときは実に注意深く言葉を選んだ。たとえばこんなふうに。「わたしのことをメディスンマンだという人たちは確かにいる。わたしは自分としては自分が何者であるかをあえて言挙げはしない」と。しかし彼はたくさんの人たちにとっては確かに信頼に足るメディスンマンであり、賢者であり、知者であった。ぼくもそのことを疑う人間ではない。自分としては、あのときあの場所で彼と出会えたことを幸せだと思う。後々わかったことだが、当時のローリング・サンダーはおそらくいちばん怒っていた時期であり、彼が怒りの嵐にとりつかれると数日は誰もそばに近寄らないようにしていたといわれるころだった。たまたま訪れた日の翌朝早くに、まだ壮健で機嫌のよいメディスンマンとしてのエネルギーにみちた彼と直接顔をあわせる経験が出来たことを、ぼくはほんとうに感謝している。

彼はよく「死んだあとも自分は影響を与えることが出来る」と語っていたが、ぼくの記憶のなかに時々あらわれるローリング・サンダーは、80年半ばの車椅子姿の彼ではなく、奥さんでショショーニのクランマザーであったスポッテッド・フォーンが健在だった1979年当時の、彼が63歳の頃のままなのだ。以前、書いた記事につけられたコメントのなかで、グレイトフルデッドと彼についてのおもしろい話しはないかと聞かれたことがあるが、ぼくが彼と出会ったのは、60年代後半から続いていた熱狂があらかた終息しつつあった頃であり、彼は白人文明が行き着いた地点としてヒッピーたちが産み出した文化なるものにある部分絶望をしていた。それだけ彼はこの世代に期待もしていたのだと思う。彼はその当時の話をほとんど口にしなくなっていたというのが実情だ。

話の締めくくりとして、彼はそれほど完ぺきな人間なのかということについて書いておくと、彼にももちろん完ぺきじゃない部分もあった。「完ぺきなものなんてこの世には存在しない。そこにあるのは完ぺきにむかおうとする力だ」と彼はしばしば口にした。ぼくが彼のことをすごいと思うのは、自分の失敗を否定したりごまかそうとしたり絶対にしなかったことにある。それに彼は「グル」のように扱われるのをおそろしくいやがってもいた。

じつは彼の最後の本である『ローリング・サンダー・スピークス 亀の島への伝言("Rolling Thunder Speaks: A Message for Turtle Island")』(Clear Light Books 1999)という本について、彼の息子(マーラ・スポテッド・イーグル・ポープ)(Mala Spotted Eagle Pope)の息子で、RTの孫にあたるショショーニのレッド・ウォルフ・ポープ(Red Wolf Pope)が、「自分の祖父がブッダかなにかのようにまつりあげられていることに」危険な匂いを感じ、同書の信憑性に疑問を投げかける公開文書をサンタフェの版元に送った。この本を翻訳したり人に勧めたりしないようにしてくれという手紙を今年の夏のはじめに読んで、翻訳しようという熱意が幾分冷めてしまった。ぼくは晩年のローリング・サンダー自身の口から「オレゴンの大学生に自分の原稿を預けている」「それで本を作ろうと考えている」という話を聞いたことがあるのだが、その元原稿となったものが、ローリング・サンダーの最期ををみとって、それ以降ポープ姓を名乗っているカーメン・サン・ライジング・ポープ(Carmen "Sun Rising" Pope)という女性が編集した本になったのかどうかわからない。ぼくはRTの最後の奥さんとなってネバダのカーリンにある家を引き継いだ彼女とは残念ながら面識がないのだ。できるならいちど彼女にもあってきちんとした話をしたいと思っている。

補遺 図版はあの時代のサンフランシスコのベイエリアのおもむきを十二分に伝える『Rolling Thunder』という1972年にリリースされたミッキー・ハートの最初のソロアルバムのジャケット。アルバムの冒頭に、一曲目としてローリング・サンダー本人が発しているスピリットの降臨を求める召命の雄叫び[Rolling Thunder (Shoshone Invocation)]三連発がおさめられている。グレイトフル・デッドのメンバーのなかで最もRTと親交の厚かったのがミッキー・ハートで、ふたりの関係は彼の著書である『ドラム・マジック—リズム宇宙への旅』(ミッキー ハート 著 佐々木 薫 翻訳 工作舎刊 1994年)に詳しい。余談だが、ジャケットをクリックするとアマゾンの該当ページに飛ぶが、そこではそのローリング・サンダーの鋭い叫び声を「試聴用サンプル」として聞くことができる。ぜひお聞きあれ。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Monday, February 21, 2005

真実


「努力すれば、必ず真実は見える」


        印象に残っているローリング・サンダーの言葉

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, February 14, 2005

黒魔術


「黒魔術を使うことは確実に地獄への道につうじている」

        印象に残っているローリング・サンダーの言葉

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, February 07, 2005

大丈夫


「たとえ死んだ後でも、わしなら自分の一族の力になれる」

         印象に残っているローリング・サンダーの言葉

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, December 15, 2004

学ぶということ

回の「インディアンはニート」の論考において「職業訓練と教育と生き方はみっつでひとつ」と書いた。失われつつある前の世界においてネイティブ・アメリカンとして生まれた子供がどのように育ったのかについては『アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点』(エベリン・ウォルフソン著 北山耕平訳 アスペクト刊 2003年)にわかりやすく詳しく書かれているので参考にしてほしい。わたしは前の論考を書き進めながら、「学ぶこと」とは何かについて考えざるを得なかった。

自分が20年ほど前に今は亡きローリング・サンダーになにを学んだのかというと、ある意味でそれはとても簡単なことではなかったかと思う。簡単な教えというのは、「楽にできる」という意味ではなく、「シンプル」という意味である。シンプルであるがゆえに難しいことだって世界にはたくさんあるのだから。たとえば「真実を知ること」と「真実の意味を知ること」との違いのようなもの。このふたつは本来同じことでなくてはならない。真実の意味することが真実なのだ。

学びについて思い出すエピソードはこんなものだ。あるとき何人かと一緒に野営地で食事を終えて、彼が火のそばでこう言ったことがある。手にはわれわれが集めてきた薪の中のひとつを持っていた。「これは、なんだと思う?」と彼が聞いてきた。「薪です」とこたえると、彼はことさらに悲しそうな顔をして、がっくりと肩を落として黙り込んだ。そのまま薪を手にして火をのぞき込んでいる。こっちももう少し考えてみて「木の枝です。木の一部」とつけくわえた。彼は少し顔を明るくした。「だいぶいい答えになった。ではいったいなんの木だ?」と重ねて聞いてきた。自分にはそのときにはそれが何の木なのか名前を知らなかったので黙っているしかなかった。その晩遅く、彼はみんなを前にしてこのような話をした。

「自然のなかには同じものはひとつとして存在しない。同じように見えるかもしれないが、同じ葉は二枚として存在しない。それぞれの葉が違うものとして認識できるようになったとき、人は木そのものを見ることができる。そして木そのものの本来の姿が見えるようになったとき、その人間の目には木のスピリットが見えるようになる。さらに木のスピリットが見えるようになれば、その人間は見えているスピリットに向かって話しかけられるようにもなり、そしておそらくその時になってはじめて、彼はなにごとかかを学びはじめるのだ。今夜はよく寝るように」

当然のことながらわたしはまんじりともしないで寝袋の中で満天の星空を見つめて夜を過ごした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, October 31, 2004

浄化 #03

母なる地球はこれまで酷使され続けてきた。地球は、われわれと同じように生身の肉体である。われわれの間ではこう言われている。地球は泡のうえにのっかっているのだと。それは水のうえにのっている油のようなものだ。水が油をしたで支えている。母なる地球はどろどろに溶けた岩からできた核のうえにのったまま、漂い、あぶなっかしく浮いている。だからこそ地震や他の自然現象も引き起こされる。地球ののっている泡とはまた地球の内部にある水そのものであり、湖であり、川の流れであって、この水が人間のみならず他のすべてのいのちあるものたちを養う。そうした水は、地球の隅々にまでネットワークされているのである。

    ——ローリング・サンダーの遺書となつた本
    『ローリング・サンダーは語る——亀の島への伝言』
     第3章「浄化」から

Continue reading "浄化 #03"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, October 30, 2004

浄化 #02

そうした大変動は、母なる地球の使い方を誤ち、条約を破棄し続けてきた結果である。オクラホマを襲ったただならぬあの砂塵あらしも、ネオショー条約を破ったことでもたらされた。水が流れ、草が生える限りいつまでもインディアン領が州に組み込まれることはないと、あの条約は述べていた。自らの言葉で約束を交わしたにもかかわらず、その自らの言葉を裏切ることで、白人は自ら罰を招くことになった。(1861年にネオショー郡においてアメリカ南部連合国とチェロキー国の間で締結された友好条約は、1907年に一方的に破棄されてオクラホマは州となった。そして1930年代になるとこの土地一帯をダスト・ボウルとする、土埃のたまり場とするほどの極端な干ばつが襲い、乾燥した砂嵐が吹き荒れることになる)
われわれに残されたいくつもの予言が、土地と空気と水の汚染は40年間という長期にわたって続くと伝えている。汚染はあまりにもひどく、生き残るものはわずかでしかない。われわれはこの期間のことを「浄化の日々」と呼んでいるが、これは多くの白人にとっては「裁きの日々」となるだろう。どちらであれ、おなじことであり、その周期はすでにはじまっている。破壊と、自然災害と、社会的崩壊が40年間続く。安全な場所はわずかしかなくなり、われわれが現代社会として知っているものは終わることになる。

    ——ローリング・サンダーの遺書となつた本
    『ローリング・サンダーは語る——亀の島への伝言』
     第3章「浄化」から

Continue reading "浄化 #02"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, October 29, 2004

浄化 #01

もしもわれわれがこの惑星を癒さなければ、グレイト・スピリットが、あるいはそれを「神」と呼んでもよいし、「エホバ」でも、「アラー」でもよいのだが、なんであれわれわれみなをここに置かれた偉大な存在が、そのときにはわれわれのかわりに悪いものを一掃する作業を行うことになる。人びとが太古の教えを尊守することを学び、母なる地球に礼を尽くして接し、調和のとれた生き方をして、もう一度いかに祈るかを学び直すことがなければ、とてつもない大変動がいくつももたらされることだろう。

    ——ローリング・サンダーの遺書となつた本
    『ローリング・サンダーは語る——亀の島への伝言』
     第3章「浄化」から



1574160265.01.MZZZZZZZ.jpgRolling Thunder Speaks: A Message for Turtle Island
Rolling Thunder +Carmen Sun Rising Pope (著)

U.S. 定価: $14.95
価格: ¥1,460 (税込)

● ペーパーバック: 249 p ; サイズ(cm):
● 出版社: Clear Light Pub ; ISBN: 1574160265 ; (1999/02/01)

| | Comments (0) | TrackBack (0)