Wednesday, April 09, 2008

悟りはどこに隠されているのだろう ラコタ一族のお話 作者不明


造主が、自らのお創りになられたものすべてを呼び集めてこう言われた。

「実は準備ができるまで人間たちから大切なものを取りあげて隠しておこうと思うのだ。それは自分たちのリアリティを創りだしているのは他ならぬ自分たちなのだというサトリなのだが」

「わたしにおまかせを。ひとっ飛びしてそれを月まで運びましょう」

鷲が言うと創造主がおこたえになった。

「それはいかん。あのものたちはいずれ月に行ってそれを見つけるだろう」

「では、わたしが海の底まで運んで埋めてきます」

鮭が言った。

「それもだめだ」と創造主。「連中は海の底へだっていくだろう」

つぎにバッファローが口を開いた。

「大草原のいずこかにわたしが埋めてきましょう」

「人間たちが母なる地球の皮膚を切り刻んで、どこに埋めたところで、いずれ見つけだすにきまっている」

偉大なる祖母であるモグラのおばあさんが言った。モグラのおばあさんは母なる地球の胸の奥、深いところで暮らしていたから、顔についたふたつの目は見えなくなっているものの、スピリチュアルな目はよく見えた。おばあさんはこう言った。

「あの人たちのなかに隠しておくというのではどうかな」

それを聞いて創造主はこたえた。

「それできまりだ」

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Friday, November 16, 2007

ハチドリに生まれかわった若き戦士の話 アパッチ

hummingbirdウインド・ダンサー、「風の踊り手」という名の、ひとりの若き戦士のことを、今に語り継ぐ、アパッチ一族の伝説について、お話ししよう。

ウインド・ダンサーは生まれたときから耳が聞こえなかった。しかし彼には言葉にならない魔法の歌をうたえるという才能が与えられていた。彼がその魔法の歌をうたうと、病が癒され、晴れの天気がもたらされた。

ウインド・ダンサーは、「輝く雨」、ブライト・レインという名前の女性と結ばれた。ブライト・レインは若くて麗しい女性だった。彼女が一匹の狼に襲われそうになったとき、彼女のいのちを救ったのが風の踊り手、ウインド・ダンサーだったというのがなれそめだ。

ウインド・ダンサーはそうやって多くの人を救い出したが、しかしあるとき自ら身を賭し危険にあるいのちを救おうとして彼は殺されてしまった。一族の誰もが彼の死によってひどく寒い、死ぬほどの冷える冬の到来を予感した。そして実際刺すような寒さが到来しかけた。

ところがある日不思議なことに、いきなりその寒さが終わってしまったのだ。それはブライト・レインがたったひとりで、ぶらりといずこかへと散歩に出かけた直後の出来事だった。

一族の長老たちはウインド・ダンサーが彼女のもとへ、いちわのハチドリとなって帰ってきたことを知ることになった。そのハチドリは、彼が儀式の際に身につけるのと同じ衣装をまとい、同じ戦の化粧をほどこしていた。

春の花たちが咲きほこる草原で、いちわのハチドリとなったウインド・ダンサーはブライト・レインに近づき、彼女の耳元であの魔法の歌をささやきかけた。そしてその魔法の歌が、彼女に平和と喜びをもたらしたのだった。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Wednesday, November 07, 2007

雲の人

clouds子供のころから雲を見るのが好きだった。アメリカの沙漠に通い始めてからいっそうその思いを強くした。大気中の湿気が少ないぶんだけ、雲が非常にくっきりと形作られるからである。雲の形とそれを見る人間の意識とが連動しているらしいと気がついたのは、十代の終わりのころだったろうか。雲の形を変えたり消したりするのは自分にとっては意識の集中のトレーニングみたいなものだった。今でも雲を見ているといくらでも時間を過ごすことができる。

ネイティブ・ピープルの世界では、雲の中には人が住んでいるとされている。雲が人間の形になることがしばしばあるからかもしれない。誰かの横顔にそっくりな雲をあなたも見たことがあるだろう。雲のなかの人は「クラウド・ピープル」と名づけられている。

そこでひとりの雲を見る少年の話をしておこう。

その小さな少年は、父親が矢を何本も作り終えるのを待つあいだ、かたわらにひとりで立ったまま空の移り変わりを見つめていた。

あるとき少年が口を開いた。

「ねえ父さん、雲に人の顔が見えることがあっても、すぐ別のものに姿を変えてしまうのはなぜなのかな?」

「それはな、息子よ、クラウド・ピープルはお前に物語を聞かせてくれているのだ。一緒に空を見て、空の国が今日お前に教えようとしている不思議な力の物語を、雲の動きを見て聞かせてくれないか?」

ふたりが空を見ていると、雲が形を変えてやがて大きな巨人の横顔が浮かびあがった。巨人はまるで口笛でも吹くかのように口をすぼめていた。しばらくするとそれは姿を変えて、気流に乗った一羽の鷲が羽根を広げている姿をしばし見せた。そしてそのあとでまた姿を変えたかと思うと、今度はひとりのインディアンの戦士の姿になった。天空を横切るように飛ぶ一本の雲の矢をその戦士は手を伸ばしてつかまえようとしていた。つぎの瞬間、その矢が一本の鷲の羽根に形を変えて、ゆっくりと遠ざかっていった。

そうした一連の絵のつながりを見終えたあと、少年は父親に、自分は風のチーフがその吐き出す息で鷲の羽根を持ちあげるのを見たと説明した。大地に立っていたひとりの戦士が頭よりたかいところにある真実の矢をつかまえようとしたところ、その戦士は鷲の兄弟に姿を変えて、偉大なる神秘が天空の国からおくってくださったスピリチュアルなメッセージとしての真実を理解したのだと。

話を聞き終えると、父親は息子がおのれとつながるもののひとつの声を聞くことを学んだことを理解して、にっこりと微笑んだのだった。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

Thursday, September 13, 2007

「美しい国」は誰が創られたのだろうか?

Cheyenne Warriors

ここにお聞かせするのは、シャイアンの人たちが歴史をどのように伝えているのかを知るために参考になる話である。19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカの人類学の重鎮だったジョージ・A・ドージィ George A. Dorsey の1905年の報告に記録されている「シャイアンの創世記 グレイト・メディスンが美しい国を創られた」を個人的に興味があって翻訳してみたものだ。十数年程前に、おなじシャイアンの人たちに伝えられたメディスン・ストーリー(不思議な力の物語)である『ジャンピング・マウス』のできる限りオリジナルに近いものを探しているときに出会った話のひとつだ。

話は17世紀後半に、おそらくはすでに渡来のフランス人から火器を手にしていたオジブエの人たちから追われるようにして、シャイアンの人たちが自分たちが狩り場としていたアメリカ大陸北中央部から出ることを余儀なくされたときの状況を、象徴的には伝えているものだろうと推測される。しかしそれだけでなく、この話は、18世紀から19世紀にかけてのシャイアン一族の分裂も伝えているらしい。いずれにせよ、文字を持たなかった人たちの歴史は、たくさんのシンボルが散りばめられたこのようなお話しとして伝えられてきた。文字を持たされてしまったわれわれには、文字を得たのとひき換えに、象徴的に歴史を見る目を永遠に奪われてしまったのだった。

北山耕平 記


Imagename

グレイト・メディスンが美しい国を創られた


すべてのはじまりにさいして、グレイト・メディスンは大地をお創りになられた。そして大地のうえに水を創られた。次に太陽を、月を、そして星たちを創られた。それらができあがると、グレイト・メディスンははるか北の外れのところに美しい国をひとつお作りになった。

そこには冬はなく、氷も、雪が降ることも、凍てつく寒さもなかった。気候は常に春。そこかしこに野生のさまざまな果物やベリーが実り、いくつもの巨木の投げかける影が、大地を縫うように流れる清らかな水の流れを覆っていた。

この美しき国に、グレイト・メディスンはありとあらゆる動物たちや、鳥たち、虫たち、魚たちを置かれた。そしてそれから彼は人間をお作りになり、ほかの生き物たちとともに暮らすようにした。動物たちはすべて、大きいものも小さいものも、鳥たちもすべて、大きいのも小さいのも、魚たちもすべて、そして虫たちもすべて、人間と話ができ、その言葉を理解できた。人間たちも互いに理解し合えた。なぜならみな共通の言葉を話し仲良く暮らしていたから。

彼らはあえて身を隠すものをまとう必要もなく裸で暮らし、野生の果実やハチミツを食べて、ただの一度も飢えることはなかった。人間たちは野生の動物たちとともにあちらこちらと歩き回り、夜になって疲れると、みなはつめたい草の上にごろりと横になって眠りについた。仲のよい友だち同士だったので、陽があるうちはほかの動物たちともよく語りあった。

グレイト・メディスンは3種類の人間を創られた。まず最初に創られたのは、全身が毛で覆われた毛むくじゃらの人間だった。2番目に創られたのは、頭と顔とそれぞれの脚に毛が密生した白い人を創られた。3番目には赤い人を創られた。赤い人は頭にだけ長い髪をはやしていた。

毛むくじゃらの人間たちは力があり活動的だった。顔に長い髭を蓄えた白い人たちは狼たちと同類だった。なぜならこの美しき国においては、白い人も狼も、とにかく他を抜いて狡猾でずる賢い生き物だったから。赤い人たちはみな、走るのが得意だった。身のこなしが軽やかで、動きが速かったから、まだ誰も人間が肉を食べることなど知らなかったときに、グレイト・メディスンはこの人たちに魚を捕まえて食べることをお教えになられた。

それからしばらくして、毛むくじゃらの人たちが北の国を離れて、荒れ果てた大地の続く南を目指した。それに続いて赤い人たちも彼らの後を追って南に向かう準備をはじめた。しかし赤い人たちが美しき国を離れる前、グレイト・メディスンはみなを呼び集められた。赤い人たちが一堂に会するのはそれがはじめてのことだった。

グレイト・メディスンは彼らを祝福したあと、ずっと眠ったままでいた赤い人の頭を覚醒させるために、なにがしかのメディスン・スピリットを授けられた。このことがあって以来、赤い人たちは頭を使うようになり、自分たちがなにをすべきかを理解するようになった。グレイト・メディスンはなかのひとりにとくに白羽の矢を立て、一族の者たちに教えをほどこして集団としてひとつにまとめるようにと、このものに命じられた。結果、ひとり残らず全員が働くようになり、裸の身体にもパンサーや熊や鹿の毛皮をまとうようになった。

グレイト・メディスンは彼らに力をお与えになり、さまざまな石を好きな形に切り出したり、大きな岩のかたまりから火打ち石を切り取ったり、矢尻や槍の穂先や石のコップや鍋や斧などができるようにされた。そしてそれ以後赤い人たちがばらばらになることはただの一度もなかった。

やがて赤い人たちも美しき国を離れ、毛むくじゃらの人たちが辿った道を使って南の同じ方角を目指した。毛むくじゃらの人間たちはあいかわらず裸のままで暮らしていたが、グレイト・メディスンの教えがあったので、すでに着るものを身につけるようになっていた。

赤い人たちが南に着いたとき、先にきていた毛むくじゃらの人たちは、散り散りばらばらになって、めいめいが勝手に丘の影や山々のなかの洞窟に家を構えていた。赤い人たちはめったに毛むくじゃらな人たちの姿も見ることはなかった。赤い人たちがやってきたときには、毛むくじゃらな人たちはそれぞれの洞窟のなかに隠れるようにして外に出ることを恐れていたからだ。毛むくじゃらの人たちも赤い人たちと同じような土器を作り火打ち石を使い、洞窟のなかに木々の葉や動物の毛皮を使って作った寝台で夜は寝ていた。

なんらかの理由で、毛むくじゃらな人たちは数を減らしていき、最後には全員がことごとく姿を消した。この人たちにいったいなにが起きたのかは、今となっては赤い人たちにも皆目わからない。

赤い人たちが南の地についてしばらくたったころ、グレイト・メディスンは彼らに、南の荒れ地が洪水に覆われることになるからという理由で、いま一度北の国に帰ってくるように命じられた。赤い人たちが北のあの美しい大地に戻りついてみると、かつてそこにいた白い肌の人たちと、髭の長い人たちと、野生の動物たちの何種類かがいずこへともなく姿を消しており、人びとはすでに動物たちと話をすることができなくなっていた。

しかし話はできなくなっていたが、そのときには人間はありとあらゆる生き物たちを支配しており、パンサーや熊や同様の猛獣たちにも、望むままに餌を得られるように猟の仕方を教えていた。猛獣たちは数を増やしており、体も、大きく、強く、活動的になっていた。

またしばし時が流れ、再び赤い人たちが美しい大地を離れて南へ向かうときが訪れた。大地を覆っていた水はすでに引いていて、草や木々が生い茂り、荒れ果てていた大地は北の国のように美しく姿を変えていた。しかしその土地に暮らしているあいだ、まだ幾度か洪水が襲ってきて、赤い人たちはその結果、四方八方にばらばらになってしまった。たとえようもない洪水の水がやっと引き、大地が再び乾きあがっても、しかし赤い人たちが昔のようにひとつに集まることはなかった。赤い人たちは、グレイト・メディスンからひとつにまとまるようにと命じられる以前の、あのはじまりのときにそうだったように、それぞれ小さな集団を形作って旅をしていた。

洪水はありとあらゆるものを破壊しつくしていた。人びとは餓死する寸前だった。彼らはもう一度また、三々五々、前のときのように、北のあの故郷に戻りはじめた。だが、人びとが北の大地になんとか辿り着いてみると、そのときには世界が一変していた。美しかった大地がどこも荒れ果てていたのだ。木々が一本もなくなっていた。生きている動物たちは姿を消していた。川には魚一匹泳いでいなかった。かつてはあれほど美しかったふるさとの大地の無残な姿を眺めながら、男たちは声をあげて泣いた。女たちも、子どもたちも、すすり泣いた。これとおなじことが、グレイト・メディスンがわれわれを創られたあのはじまりのときにも起きていたことだった。人びとは再び南の地へ戻り、わずかながら良い年もあったものの、ほとんどの年はひどい状態で、それでもなんとか生き続けた。

それから何百年も過ぎた。そしてまた新しい冬が巡ってくる直前のことだった。大地が激しく震えた。高い山々で火事が起こり煙が立ちのぼった。その冬は再びとてつもない洪水が襲ってきた。冬は長く、またことのほか寒くて、人びとは毛皮を身につけねばならず、洞窟での生活も余儀なくされた。寒い冬は木という木を枯れ死させたが、それでも春の訪れと共に新たな成長が見られた。赤い人たちは大変な被害をこうむり腹をすかせた。

グレイト・メディスンは赤い人たちをたいへんに哀れんで、トウモロコシを授けてこれを地面に植えさせ、バッファローを与えて肉を食べられるようにした。そしてそれからというもの、洪水もなくなり、飢えることもなくなった。人びとは南の地で暮らし続け、成長し、数を増やした。たくさんのそれぞれに異なる集団が生まれたが、話す言葉はみな全部違っていて、2番目の大洪水のあとは、もはや赤い人たちがひとつになるようなことはなかったのだった。

もともとのシャイアンの子孫のなかには、超自然的な知恵を持つマジシャンたちがいたのだ。この人たちは一族の者たちを惹きつけただけでなく、生き延びていた動物たちの心もとらえた。いかにどう猛で、荒れ狂っていたとしても、この人たちの前ではみな手のひらを返したように穏やかになり、言うことを素直に聞いた。この魔法の知識は、遠い北の国からやってきたあのいちばんはじめのシャイアンの人たちから伝えられたものだった。今ではその太古からの儀式を理解できているのはブッシー・ヘッド(「もじゃもじゃの頭」が名前の人物)ただひとりで、シャイアン一族では彼を、神器たるメディスン・アローの守護者とその助手たちと同格に位置づけて考えている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, July 16, 2007

病を癒す儀式の起源(アパッチ一族の言い伝え)

病気の人を癒すための儀式がどのようにしてはじまったかをお話ししましょう。

昔々のそのまたむかし、この地球が創られました。

この地球を創られたお方は、地球をお創りになられたとき、そこに生きるひとりひとりの人が自分の土地として暮らしていけるように、すべての人に小さな土地をお与えになる計画をお持ちでした。

われわれの一族もそうした土地のひとつで暮らしていたのですが、なぜかみなはその土地のことがどうしても好きになれませんでした。そのことを察した地球を創られたお方は、わたしたち一族に別の場所に移るように申しつけられたのです。人びとは別の場所に移住しました。新しい場所ではぐっすりと眠れるし、みなはそこを気に入って、以後良い生き方を続けました。

one_who_made_earth

ところがあるとき、一族のなかの男がふたり、なにかの病気にかかって、日に日に体力が衰えていくようになったのです。一族の人たちには打つ手がありません。ただ手をこまねいて見ているだけです。なぜなら、そのときまで、病気などと言うものを人びとは知ることもなく、ましてやその治療法などは必要もしなかったのですから。

地球を創られたお方が言いました。

「なぜお前たちはそのふたりのためになにもしてやらないのだ? ふたりに言葉のひとつもかけてあげてもよいではないか?」

そうはいわれたものの、みんなは病気を癒すための儀式のことなどなにひとつ知りません。どうすればよいのかもまったくわからなかったのです。

一族のなかの4人が、たまたまそのとき、ひとりは東に向いて、ひとりは南に向いて、ひとりは西に向いて、ひとりは北に向いて立っていました。地球を創られたお方はその4人のなかのひとりに声をかけられました。

「地球の上にあるものにはすべて、それぞれに独自の病や独自の問題を引き起こすだけの力が宿っている。だからそうしたものにはすべて、それらを癒すための方法があるのだ」

その瞬間、声をかけられた男は、その病を癒す知識を自分が理解したことを悟りました。4人はそのままその場に立ちつくします。

最初の日の夜、東側に立つ男が誰に言われたわけでもなく一連の祈りの詠唱をはじめていました。2日目の夜、南側に立つ男が太鼓を鳴らして稲妻の歌を歌い出します。3日目の夜には、西側に立つ男が一連の祈りを唱えだしたのです。4日目の夜、北側に立つ男が太鼓を鳴らして稲妻の歌を歌いだしました。

このときの順番は、ただ彼らがその場で思いついたものではありません。それは地球を創られたお方によって授けられたものでした。そうした知識は、外側からもたらされたものなのです。

地球を創られたお方はそのあとでこう言われました。

「ふたりの病んでいる者たちのところへ行き、優しい言葉をかけて、その者たちを元気づけてみてはどうかな」

言われるまま4人の男たちが、病気を患っていた男たちのところへ行って声をかけると、たちまちにしてふたりの病は癒されていました。

そのことがあって以後、アパッチ一族は、病気を癒す儀式と、さまざまなものによって引き起こされる無数の病気についての知識とを手に入れました。そして病を癒すためのあらゆる儀式がはじまることになったのです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, July 04, 2007

人生という教え (部族不明)

pear treeそのインディアンのチーフには息子が4人いた。彼は息子たちに物事を簡単に判断しないことを学んで欲しいと考えたすえ、4人の息子をひとりずつ、順番に、はるか遠方にある一本の梨の木のところまででかけて、その樹の世話をしてくるように言いつけて送り出すことにした。

長男は冬に出かけた。次男は春に、三男は夏に、末の息子は秋に、それぞれ梨の木の世話に出かけた。

1年後、4人の息子が全員顔をそろえた。チーフは4人の息子になにを見てきたのかたずねた。

長男は、梨の木は見るに堪えないほど醜かったとこたえた。苦しそうに折れ曲がりねじれていたと。

次男はその答を否定した。梨の木の枝のあちこちに緑のつぼみがついていて、先が楽しみだったと。

三男はその見解にも異を唱えた。木の枝にはたくさんの花が咲いていて、甘い香りが漂い、たいそう美しく見えた。あれほど優美なものを自分はこれまでに見たことがなかったと。

末の息子は兄たちの意見のいずれもを否定した。梨の木には実がたわわになり、たくさんの実の重さで枝が垂れ下がっていた。実のひとつひとつが次の世代約束しており、達成感に満ちあふれていたと。

それぞれの話を聞いた後でチーフが口を開いた。兄弟4人ががそれぞれに見てきたものそのひとつひとつはなるほど間違っていない。だが、お前たちが見てきたのは、梨の木の一生におけるただひとつの季節の姿に過ぎない。

チーフは言葉を続けた。相手が一本の梨の木であれ、またひとりの人間であれ、ひとつの季節の姿を見ただけでそのすべてを判断してはならない。相手がなにものであるか、その生涯にもたらされる喜びや満足や愛といった肝心なものは、季節がことごとく巡った後になるまでは推し量ることもできないのだ。

冬だけの姿を見てあきらめてしまえば、春の希望も、夏の美しさも、秋の実りも、ことごとくすべてを逃してしまうことになるのだぞ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, June 10, 2007

働くことが目的で働く人たち

『ソノラ沙漠で教えを広めて——1755年から1767年までのイエズス会宣教師ジョセフ・オークの出張報告』という文書のなかで、ジョセフ宣教師はネイティブ・アメリカンが農業を嫌う理由を、自らの人種的偏見を正当化するようにこう書き記している。

「生まれついてインディアンは大変な怠け者であり、働くことを目の敵にしている。土地を耕して疲れるぐらいなら、まだ飢えた方がましだと考えるものたちだ。であるがゆえに、上のものが強制してあのものたちにそれをやらせなくてはならない。勤勉なヨーロッパ人が6人もいれば、一日でインディアン50人分以上の働きができる」

Chief Sitting Bull幼名を「スロン・ヘ」と、ラコタの言葉で「愚図(スロー)」といった19世紀のラコタの偉大なチーフ・シッティング・ブルは、自ら工業化社会で仕事をする人たちのありさまを観察した結果、伝統的狩猟採集民の心情を見事に次のように語っている。

「白人は食べ物のために地面を掘るのを好む。わが一族の者は自分たちの父親がそうしたようにバッファローを狩るのを好む。白人はひとつの場所にとどまるのを好む。わが一族の者は自分たちのティピをその都度狩り場にあわせて移動させるのを好む。白人の暮らしは奴隷のものである。白人は町の奴隷であり、農場の奴隷である。わが一族の暮らしは自由そのものだ。家であれ、鉄道であれ、着るものであれ、食べ物であれ、それがなんであれ、広々とした土地を自由に動き回り、自分たちの流儀で暮らす権利ほどよいものを、わたしはいまだかつて知らない。白人はなるほどわれわれが欲しかったものをたくさん持ってはいるが、白人はわれわれが最も好むただひとつのもの、自由だけは、持っていなかったことがわかる。たとえ獲物がわずかで、肉が口にはいるほどなかろうと、自由なインディアンとしての特権を放棄するぐらいなら、白人の持つものことごとくすべてを持てたとしても、ティピで暮らすことの方を自分は望む」

そこでぼくが気に入っている小咄をひとつ。これはネイティブ・アメリカンの笑い話ではなく、メキシコのある漁師の話なのだが、と枕をふっておいて、興味ある人は続きをお読みください。

Continue reading "働くことが目的で働く人たち"

| | Comments (5) | TrackBack (3)

Friday, March 30, 2007

グレイトスピリットと火の関係

choctaw sealミシシッピ川の中流域から下流にかけての土地で暮らしていたチョクトーの人たちの言葉では「偉大なる精霊グレイトスピリット」のことを「ハシタリ」という。その意味は「真昼の太陽」である。太陽は一族の人たちの生と死を司る力を持っていると、彼らは信じていたので、真昼の太陽がそのままグレイトスピリットを指し示す言葉になった。

で、ハシタリと、いわゆる「火」が友だちであるという教えが彼らにはある。ハシタリと火は常に緊密に連絡を取りあっていると、もっぱら信じられてきたし、子どもたちにはそのように教え込まれる。火は、自分が地球で見たこと聞いたことを、逐一ハシタリに伝えているのだと。とくに、人間の悪いおこないについては、火はことさらに詳しくハシタリに報告する。チョクトーの人たちは、だから、火が燃えているそばでなにかいけないことをすると、その悪さは太陽に筒抜けになっていることを知っているのだ。small fire

チョクトーの子どもたちがみんな火の周りではよい子なのはそうした理由による。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, February 25, 2007

7つの雷の予言

eaglefthr.gif7つの雷の予言は、そういうものがあるというふうに受けとめてもらえるとありがたいものです。できるだけそのまま、要点のみを伝えるようにします。なにも隠さず、なにも付け加えることなく。だから、ここにある以上の説明を求めないでください。ぼくには答はありません。予言を一読すれば、これが「アストラン」の人たち(アメリカ合衆国南西部の、ショショーニ、ユート、ホピをふくむプエブロの人たちから、国境の南のメソアメリカのアステカやトルテク、オルメカ、マヤなどの影響を色濃く残しているタマユマラ、ラカンドンなどユト・アステカン語族の先住民たち)と関係があるらしいことはわかります。ともかく「セブン・サンダーの予言」として伝えられているものの要旨は、以下のようなものです。ハートでお読みくだされば幸いです。

Image of Aztlan
  1. 大規模な飢餓と病気と住む家を失うようなことを世界が経験するだろう。
  2. 空が病にかかり潰瘍のような穴がいくつも開くだろう。これらの穴を通して細菌が水に入りこむだろう。われわれの肉体や現実の次元に影響が出てくるだろう。
  3. 新しい種が生まれたり突然変異が起こったりするだろう。人間の突然変異も起こりはじめるだろう。
  4. ふたつの、双子の彗星が空に表れる。ひとつは北極を守り、ひとつは南極を守るだろう。このふたつの双子の彗星が地軸を転換させ、われわれのリアリティにも転換が起こるだろう。今まで知られることのなかったものが大地から発掘され、失われていた都市が発見されるだろう。悪魔の風が吹き、地球は自らの毒素を一掃するだろう。4人の偉大な女性が非業な死を迎えるのを合図に、7つの雷への答として7つの輪がはじまるだろう。
  5. 空気がもはや自ら回復することができなくなるだろう。われわれが感じている時間やリアリティがシフトするだろう。善と悪とがはっきりあらわれるだろう。人間が大地で実験をしたことが引き金となりメキシコで火山が噴火し、地震の連鎖反応がカスケード山脈を駈けのぼるだろう。
  6. 星々からの人たちがわれわれを助けるために帰還するだろう。地球は自らを破壊しようとしている人々の意識を拾い上げている。
  7. 浄化するものがくる。12番目の惑星が地球のそばを通過して太陽を隠し、暗闇が丸3日とさらに半日続くだろう。地球を守護するピラミッドの時計は太陽の光で動いている。闇が去った後、われわれは5番目の世界へと入るだろう。


| | Comments (0) | TrackBack (1)

Thursday, November 02, 2006

母グマが子グマたちに聞かせた歌(ツァラギ、チェロキー)

They are friends

ある日、ひとりの猟師が森のなかを歩いていると、近くの洞穴から歌が聞こえてきた。そっと近づいて穴の中をうかがってみれば、それは母グマが子グマたちに、猟師に追いかけられたときの注意を歌にして聞かせている歌だった。母グマが子グマたちにこう諭す声が聞こえた。

「川を下ってくる猟師の足音が聞こえたら——」

 川上へ、川上へ、お逃げなさい
 川上へ、川上へ、お逃げなさい

でも子供たちよ、それが川を上ってくる足音だったら——

 川下へ、川下へ、お逃げなさい
 川下へ、川下へ、お逃げなさい

別の日、森のなかで別の猟師が、母親が赤ん坊に歌を聞かせている声を耳にした。猟師が歌の聞こえるほうに進むと、小枝の陰に隠れるようにほらあながひとつあり、そっとなかをうかがえば、子グマを抱いた母グマが、大きな手で子供をあやしながら歌を聞かせていた。その歌は、彼らが熊に変身する前に覚えた歌だった。

 わたしがあなたをおぶいましょう
 わたしがあなたをおぶいましょう
 わたしがあなたをおぶいましょう
 わたしがあなたをおぶいましょう
 日当たりのいい背中で おやすみ おやすみ
 日当たりのいい背中で おやすみ おやすみ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, April 08, 2006

絶望のなかで希望を見つける小話

Littlebirdこれは昔ラコタの人に聞いたお話しです。絶望のなかの希望について語るには、今のわたしたちの状況はふさわしいかも知れません。

ひとりの少女があるときあるところで奇妙な小鳥と出会ったそうです。

その小鳥は地面にあおむけにひっくり返り、両方の羽根を大きく広げて上に向けて、両足を空に向かって思い切り突き上げていました。

へんな鳥だなぁと少女は思い、もしかしたら死んでいるのかもと考えて、その場から逃げ出したくなるぐらい不安とおそれを感じたそうです。

でもおそるおそる近づいてよく見てみると、小鳥は死んでなどいません。

それどころか全身に力がはいり、目はしっかりと見開かれ、生気がみなぎっているではありませんか。

少女はその不思議な格好をしている小鳥にたずねました。

「小鳥さん、なんでそんな奇妙なことをしているのですか?」

すると小鳥がこたえたそうです。

「なに、空が落ちてくるという話を聞いたものでね」

少女ははたと納得しました。小鳥はそこであおむけになって、両方の羽根と両脚で落ちてくる空を必死に支えようとしていたのです。

「でも」と少女は、そこでうんうんとうなって空を支えようとしている小鳥にたずねました。「できるわけがないことをするためになんでそんなに一生懸命になっているのですか、小鳥さん」

すると小鳥がこたえました。

「君も君にできることをしろよ」

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Friday, March 31, 2006

インディアンは楽園から追放されなかった

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Thursday, February 16, 2006

冬の北斗七星と夏の北斗七星

テンという動物がいます。知ってますか? 日本列島にもいるのですよ。イタチに似ているのですが、イタチよりも大きいのです。乱獲がたたって、残念ながら今では動物園以外では滅多に出会うことはなくなっていますけれど。

このテン、地球の北半球に暮らすネイティブの人たちは、テンのことをたいてい「偉大な狩人」として認識しています。オジブエと呼ばれることもある亀の島のアニシナベの人たちも、この自然の狩人のことを長く尊敬の目で見つめてきました。こんな物語が彼らに語り継がれています。

昔、それはおそらくまだ人間がこの星にやってくる以前の話です。ある日、あまりの寒さにテンが震えながら仲間のカワウソとオオヤマネコとクズリの3人に向かって「この星がいちばん空の国に近いところに行ってみようじゃないか」と話しかけました。「空の国はいつでもぽかぽかと暖かいのだから、そこからなら暖かさを寒い地球まで持ち帰れるはずさ」

冬空のテン
wintersky
4人は連れ添って旅に出ました。高い山をどこまでも登り、だんだん空の国に近づいてゆきます。いちばん高く空の国に近づいたところで、テンがいいました。

「ぼくらはここが高く飛びあがり、空の割れ目から向こう側の国に入らなければならない」

まずカワウソがジャンプしました。ところが頭を空にいやというほどぶつけて山の頂に落ちてきました。オオヤマネコが続いて飛びあがりました。オオヤマネコも頭を空にぶつけて意識を失って落ちてきました。クズリは石頭でしたから、何度も何度も飛びあがっては空に体当たりを試み、何度か試すうちにようやく空に小さな裂け目ができました。テンは割れ目ができたのを見るとクズリに続いてジャンプをしてかろうじてその裂け目をくぐり抜けて空の国に入り込みました。

そこはたとえようもなく美しいところでした。しかもぽかぽかと暖かいのです。空の国から無数の鳥たちがその割れ目を通って下の国へ舞い降りました。暖かさが割れ目から地球に流れ込み、大地をおおっていた雪を溶かしました。

ところが暖かさが漏れだしていることに気づいたスカイ・ピープルが大きな声を出しました。

「泥棒だぞー!」

クズリはなんとか割れ目から逃げだすことができましたが、なんとかその割れ目を押し広げようとしていたテンは、スカイ・ピープルの射た矢にうたれて死んでしまいました。

夏空のテン
summersky
これを遠くから見ていた偉大なる精霊はけなげなテンを憐れみ、彼を生き返らせ、永遠に空の国に住まわせることにしたのです。

テンはわたしたちが「北斗七星」として知っている星座になりました。今でも毎年秋になると、空のテンは地球に向かって落ちてくるような姿を見せます。スカイ・ピープルがなんとか割れ目を閉じようとするから、冬が訪れるのです。そして夏になると、空のテンは再び空にのぼる姿となり、空の割れ目を開いてくれて、暖かさが返ってくるというわけなのです。

arrow2 岩手県立博物館でテンの解説を見る

arrow2 ももんちょ・らんどのアニマルギャラリー クズリ

arrow2 ももんちょ・らんどのアニマルギャラリー オオヤマネコ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, January 01, 2006

犬たちの選挙の話

さらだけれど、昨年の選挙の結果は衝撃的だった。思い切り落胆した知りあいが何人もいる。選挙って言うのはこわいものだということがよくわかった。ぼくたちは小さいときから選挙というものに馴らされている。小学校のクラス委員選挙あたりから。何でもかんでも選挙、選挙、選挙だものね。これがありがたい民主主義だと思っている。

なんで選挙のことを書いているかというと、アメリカ・インディアンの年寄りのなかに選挙に文句を言う人が結構いたからなのだ。アメリカは選挙でできている国みたいなもので、なにかというと投票になる。「自分たちのところでは2500年間ぐらい選挙なんてしないでやってきたのだ」とラコタのエルダーだったレイム・ディアー爺さまも言っていた。「なかったのは選挙だけじゃない。牢屋も、酒場も、銀行も、狂ったような教会も、裁判所も、税金も、弁護士も、判事も、電話も、そんなものはなにひとつなくてもやってこれた。ところが白人さんたちは、わしらのそういうシステムをもっと改善できると思いこんでいた。そう、選挙という手段を使えばな。一昔前のフル・ブラッドのじいさんたちだったら、まずそんなうまい話には乗らなかった。乗るわけがない。ワシントンにある白人の政府がわしらインディアンのためになにか良いことをするとはとても思えなかったし、その白人政府が傀儡として作りあげた部族会議だって似たようなもので信ずるに値しないからな。もともとわしらは数千年にわたって自分たちを聖なるしきたりにならってひとつにまとめあげてきていたのだ。あの連中にはわからんのだろうが、わしらにはそのやり方がわかっていた。別に誰の力を借りる必要もないのだ」そういうと彼は、犬たちの選挙についてのちょっとした話を聞かせてくれた。ちょうど犬の年のはじまりなので、この話をしておこう。



昔むかし、犬たちが大統領を選ぶために選挙をすることになった。犬たちの代表が集まって大きな会議が開かれ、なかのひとりがこう発言した。

「ブルドッグを大統領に推薦する。ブルドッグは強くて、いざというときには戦えるからな」

「でもあいつは足がのろいぞ」別の犬が言った。「あんなにのろまなくせに、ほんとうに戦えるのだろうか? あれでは敵にみんな逃げられてしまうに決まっている」

すると別の犬が勢いよく立ちあがって言った。「大統領にするならグレイハウンドがよい。彼の足は折り紙付きだ。その足の速さは半端ではないぞ」

ところがそれを聞いた犬という犬がこぞって不満そうな声を張り上げた。「だめだめ。足が速いのは認めるが、グレイハウンドでは戦いにならない。いくじなしだからな。敵を追いかけておいついたはいいが、その後でどうなると思うのさ。捕まえたつもりが逆に捕まってこっぴどく打ちつけられちまうにきまってる。その程度のやつだからな」

ケンケンガクガクと会議は続いた。あるとき見てくれのよくない小さな雑種の犬が発言を求めた。「わたしは、尻尾の付け根の裏側の匂いがよい犬を大統領にすべきだと提案します」

すると別の雑種の犬が勢いよく立ちあがって「賛成! それがいい!」と声をあげた。

さあそうなると犬たちはいっせいに色めき立って、あちこちでみな勝手に近くにいる犬の尻尾の付け根の裏側の匂いをくんくんとかぎはじめた。

「く、くせえなぁ、おまえ!」

「あいつの臭いはひどいや」

「や、こいつもたまらん臭いだ」

「くさいぞ、くさい。ひどい臭いだなあ、キミは」

「こんなくさいやつが大統領だなんてとんでもない!」

「われわれ人民はこんなにひどい臭いの持ち主を望んではいない!」

「なんておまえはケツの付け根の臭いがくさいんだ」

「こんな臭いの候補者なんてまっぴらさ」

というわけで、散歩の途中で犬たちと出会ったらよく観察してみるといい。あいつらはいまだに自分たちの指導者をきめかねている。尻尾の付け根の裏側がよいにおいのする犬を、今も必死に探し続けているのだ。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Tuesday, December 27, 2005

スピリットチャイルド

アステカ・インディアンが残したキリスト降誕の祭文

一族の滅亡と共に忘れ去られていた聖なる歌

Japanese Text Version 2.0.4 Kitayama Kohei

アステカ語から英語への翻訳 ジョン・ビアホースト
英語から日本語への試訳 北山耕平

  覚書

スピリット・チャイルドの祭文(祭りの時に唄われる祝詞)は、もともとはアステカの詠唱者たちが「ウエウエトゥル(huehuetl)」と呼ばれる立てて使う皮製の太鼓と、「テポナツリ(teponaztli)」と呼ばれるふたつの音色を奏でる木製の長い打楽器に合わせて暗唱したものです。作詞作曲はサーグン(メキシコの古い町)のフレイ・ベルナディオという修道士で、彼はアステカ人の詩人を助手に使っていました。歌は、聖書のなかのお話と、西洋の中世伝説、伝統的なアステカの説話のみっつを混ぜ合わせたもので、素材とされたもののうちではっきりとわかるものは「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」です。悪魔の描写とか、キリスト生誕の夜におきたさまざまな奇跡の伝え方などには、ヨーロッパの民話の影響が見られます。しかし物語そのものの展開のしかた、短い文を積み重ねていく技法、掛け合いの部分、主な登場人物のけれんのないまっすぐな描写など、そうした部分にはたぶんにアステカ族の影響が見て取れます。とりわけ、天使たちが羊飼いたちに向かって唄う歌詞の部分などには、アステカの人たちの演説のしかたを彷彿とさせるものがあります。この物語は、「サーグンのパサルモディア・クリスチアーナ」(1583年 メキシコ)という本に収められています。すべてがアステカの言葉で記された本で、新世界において刊行された最も古い書物のひとつです。今まで現代語に翻訳されたことはありません。英語訳に際しては、ブラウン大学のジョン・カーター・ブラウン図書館収蔵のマイクロフィルムに撮影された原本を用いました。
追記

わたしはキリスト教徒ではありません。ネイティブ・アメリカンの信仰に関心があるひとりの人間としてこれを訳出しました。おそらく新世界で最も古いキリストの物語でしょう。キリスト教がどのような形で新世界に入っていったのかを伝える貴重な資料でもあるし、クリスマス・ウィークのことでもあり、よい機会なのでお読みください。

(北山耕平)



界がはじまったのち、五千年もの長きのあいだ、悪魔が王として君臨した。高慢で底意地の悪い王で、地球上の誰ひとりとて、わたしたちを彼の手から救うことはできなかった。

力があり、頭もよくて、正しい生き方をした人たちも数多く生まれはしたのだが、しかしその人たちには、悪魔の手から自分を救う力も、そして他人を救う力も、与えられることはなかった。

悪魔はとにかく悪賢かった。わたしたちが地球で生きているときには、のちのちどれくらいひどいことをするつもりかなどということは、まったくおくびにも見せないでいる。笑いながら悪魔は、わたしたちの目を閉じさせて、二度と目を開けさせなくしてしまうのだ。それから、わたしたちを死者の国に連れて行く。

死者の国にあるものといえば、絶えざるひもじさと、果てることなき議論、そしていくつもの病気と、つらい労働だけ。

だが「イエス」という名前は、世界がはじまる前に、すでに存在していた。それは常に彼の名前だった。たとえ生まれる前でも、彼の名は「イエス」だった。地球にやってきて彼がおこなったのは、悪魔の手から人びとを救い出すこと。イエスとは「人びとを救う者」を意味する言葉だ。彼はまさしくその名前のとおりのことをおこなった。

スピリットよ、御子よ、あなたは燃える炎、全能なる父のきらめき。御子よ、遠い昔にいかに生まれしかを、思い出したまえ。



つてヨセフという、賢く、善良な心を持つ男がいた。ヨセフはひとりのうら若き女と所帯を持った。その相手こそ、誰あろうスピリットの母親となることが定められし女性だった。ふたりは夫婦になったけれど、それでもなお、彼女はひとりの若い処女としての生活を続けた。ヨセフもまた、共に生活をはじめたものの、それでもなお、彼はひとりの少年であることをけしてやめるようなことはなかった。

ヨセフとマリアが、かくも奇跡的なやり方でひとつになったさい、主である神は使者として天使ガブリエルをお遣わしになった。彼が降りたのは、ガリラヤの国のナザレスと呼ばれる町。

その若き女の暮らす家を見つけると、ガブリエルは家の中に入り、かたわらに立って、神聖な言葉を告げた。「よくやりましたね、マリア、喜びなさい。神はあなたとともにおられます。あなたほど運のよい女性はありません。神はあなたを気にいられました。神はあなたの魂をいのちの力でみたしました。そしてそれがために、あなたは世界中でほめたたえられることになるのです」

しかしこの言葉を聞いてマリアは顔を曇らせた。自分は天使の挨拶を受けるに値しないと考えていたから。おとなしすぎて意気地がない人間だと。天使の言葉を考えているうちに気持ちが滅入ってきた。そして口を開いた。「こんなわたしに話しかけてくれたりする人なんておりません。それがどうしてほめられたりするでしょうか?」

天使ガブリエルの顔が明るくなった。太陽がすべてのものを照らし出したかのように。背中の羽根が光を放ちはじめ、やがてきらきらと輝いた。緑の羽根はいちだんと長くなり、カザリキヌバネドリ(ケツァール鳥)の羽根よりもいっそうきらきらと緑色に輝いた。

そして天使が告げた。「マリアよ、おそれることはありません。神の目のなかであなたは讃えられているのです」

「お聞きなさい! これからわたしが偉大なる神秘の話をします。やがてあなたはおなかにひとりの子供を宿すことになるでしょう。あなたは身ごもります。おなかの子供は『イエス』と呼ばれることになるでしょう」

「あなたが生むことになるその少年のイエスは、いずれ大変に偉大な存在となられます。タビデの王国を統治されて、その支配は永遠に終わることがありません」



ころが天使の話を聞くと、レディはおもむろに「そんなことがあるはずもありません。だいいちわたしは男性を知りもしないのですから」とこたえた。

「神の御力、神聖なるスピリットが、あなたのなかにおはいりになるのです」天使はつづけた。「だからこそ、その御子は一点の非の打ち所もなくお育ちになるでしょう。御子はいずれ『神の子』と呼ばれることになります」

「いまここにいるわたしは」マリアがつづけた。「主のしもべです。お召しのまま、いわれるままに、すべてをおまかせしましょう」

この瞬間、われらが主なる神、神の息子が、マリアの、完全なる若きレディの子宮のなかで、ひとりの人間となられた。その瞬間、レディのマリアは神の母となられた。

ヨセフのもとにあらわれた天使が口を開いた。「ヨセフよ、これよりあなたに秘密をお話しします。マリアは精霊の働きでその胎内に御子を宿らされました。おそれることはありません。彼女のそばを離れてはなりません。彼女はこの世を救われる方をお産みになるのですから」

それからのヨセフはマリアの護衛となった。どこへ行くときも彼女を連れて出かけた。その身をかばい、常にかたわらに居つづけた。ふたりは共に暮らし、一心同体だった。

父なる神はそのヨセフを彼の子供の守護者に選ばれた。なぜならヨセフはこの世界の誰よりもよき心の持ち主だったから。こうしてヨセフは神のしもべとなり、神の御子の世話をまかされた。

皇帝の命を受けてベツレヘムにおもむかなくてはならなくなったときも、ヨセフはマリアを同行させていた。そして月日が満ち、いよいよマリアが赤ん坊を産む日がやってきた。

スピリット・チャイルドよ! 世界のすべての人たちがあなたを待っています。囚人として鎖につながれているわたしたちを、御身ならお救いくださるはず。暗闇のなかにいるわたしたちにはあなたは光。さあはやく、はやくこちらにこられよ。そして約束をお果たしください。

エルサレムの神聖なる王よ。聖なる皇太子よ。高貴なる御子よ。目を覚まされよ! 生きてくだされ! 大空は喜び、大地は踊るでしょう。



リアがヨセフと共にベツレヘムにたどり着いたとき、ちょうど十月十日の日が満ちて、彼女に最初の赤ん坊が生まれた。

赤子が生まれると、彼女はその子を布に包み、牛たちが干し草を食べるかいば桶のなかに寝かせた。

わたしたちの救世主が寝床として必要にされたのは、ほんのわずかな干し草だけ。かいば桶のなかで寝かされることもいやがらず、ごくごくわずかな量の食べものだけでも心は満たされていた。

王たるイエスが生まれたのは、夜のこと。なれど、若き女性のマリアは、赤ん坊を抱いたまま、空に太陽がしろしめすのを見た。それから彼女は膝をついて、うやうやしくその赤子を崇拝した。なぜならそれは、ひとりの偉大な王が地球にやってきたことを伝える御しるしだったから。

主イエス・キリストが誕生したとき、世界のいたるところで、無数の奇跡が相次いでおきた。

イエスがあらわれたその夜に、空に出た太陽は、じつはみっつあった。ひとびとはそれを見て驚愕した。しばらくするとそのみっつの太陽が合体してひとつになった。

スピリット・チャイルドのイエスが生まれたのは真夜中のこと。だがそのとき世界の隅々までが光に包まれた。

わたしたちの主であるイエスが生まれたとき、ローマには甘い油の泉が出現した。偶像や偽りの神を崇拝していたすべての人たちが許されるという御しるしだった。

わたしたちの統治者であるイエスが生まれたとき、エルサレムのエンゲディと呼ばれる場所では不思議なこともあるもので、ブドウの木にいっせいに花が咲いた。それは悪魔の教えが葬り去られるという御しるしだった。

わたしたちの支配者である高貴な子供のイエスが生まれたとき、平和の王が召されて到着し、いきなり世界中が平和になった。



てもベツレヘムの町のはずれでは、羊飼いたちが夜通し羊の見張りをしていた。その彼らのもとに、空からひとすじの偉大なる光が降りてきて、天使ガブリエルが姿をあらわした。

「友よ、わたしはみなさんに大切な知らせを伝えに来ました」天使がいった。「今日、ベツレヘムで、救世主がお生まれになりました。そのお名前は『イエス』です」

「さあベツレヘムに行きなさい。彼なら見つかるでしょう。ダビデの都市のなかにおられます。アレルヤ、アレルヤ」

その瞬間、たくさんの天使たちがあらわれた。王として生まれたその子供を讃える「アレルヤ」という不思議な言葉を口々に歌いながら。

羊飼いたちは、わたしたちに話しかける。あなたは、彼と会ったのですか、と。

「たしかにわたしたちはそのお姿を見ました」

いかにして彼を見つけたのですか?

「天使たちの歌声が聞こえていました」

空から鳥のごとく天使たちが降りてきた。歌声は鈴の音のごとく。響きはさながら横笛のごとく。「天におられる神を讃えなされ、アレルヤ」

天使たちは空から舞い降りてきた。口々に「地上に平和を、アレルヤ」と歌いながら。

甘い香りのする歌の花がいたるところにまき散らされ、黄金の雨となって地上に降り注いだ。「さあ、共にこれら黄金の花をまきましょう、アレルヤ」

しずくで重そうな花、花、花。それらしずくは光にあふれ、ベツレヘムのなかで、さながら宝石のごとく輝く。「アレルヤ」

ハートの形をした花、花、花。スモモの形をした鈴のような花、花、花。赤い杯のような花、花、花。

数えきれぬほどの花が暁の光のなか、ひとつひとつ輝きを放ち、黄金のごとく光り輝いて。「アレルヤ」

無数のエメラルドが、真珠が、赤い水晶が、光をたたえて、おのずと輝く、夜明けのとき。「アレルヤ」

ベツレヘムの町なかにまきちらかされる宝石が、つぎからつぎへと地上に落ちてゆく。「アレルヤ」



エスがベツレヘムで生まれたとき、空に新しき星があらわれた。かねてよりヤコブから星が生まれるだろうと予言されていて、ひとびとはそのときを長く待ち続けてきた。予言者は述べた。「男がひとり世にあらわれる。彼はイスラエルから生まれるであろう。ひとりの救世主がユダヤの地に誕生する。そのとき、新しき星がひとつ目撃されるだろう」

ひとびとは空を見つづけた。そして新しき星を確認すると、みなはそれぞれの王に伝えた。さらにはそこに、東方より三人の王がやってきた。彼らは星に導かれて、ベツレヘムに向かって旅をしてきた。

香り高きミルラとお香と黄金とを三人は運んできた。「ユダヤの王にお生まれしその御方はいずこにありや?」と彼らは尋ねた。

エルサレムにたどり着いたとき、三人はひとびとにただした。「統治者はいずこにおられる? 王はどちらに?」

ユダヤの統治者であったヘロデは、ひとびとが新しい王を探していることを耳にして、ねたましさを覚えた。エルサレムの司祭の長らを呼びつけて尋ねた。「王はどこにおるのか? みなのものたちが待ち望んでいるこのキリストとやらは?」

長たちがこたえた。「ベツレヘムでございます。ユダヤの国の一部であるところの」

ヘロデはその知らせを聞くと、ひそかに三人の王を呼び集め、最初にその星を見たのはいつのことかなど、くだんの星について根掘り葉掘り質問した。

三人の王はすべてを話して聞かせた。するとヘロデはこたえた。「このままベツレヘムへ行くがよい。その子供を見つけたときには、もういちどここに戻り、話を聞かせてくれ。わしもその御方を礼拝したいから」

しかしヘロデは腹では別のことを考えていた。ずるそうに彼は三人の王にこう伝えた。「もちろんこのわしとて、真の王が地上に降りられたのなら、自ら出向いてあがめ奉るのもやぶさかではない。こちらから出向いて、その御方をわしの神にしよう」だが、実のところヘロデは、幼いイエスをなきものにしようと、いのちを狙っているだけだった。

ヘロデに話したいだけ話させると、三人の王はその足で、ベツレヘムにまっすぐおもむいた。

するとそこにもまた、あの星が出ていた。三人が以前にも見た星だった。星が三人を照らし出してくれたので、彼らは喜んだ。なぜなら彼らがエルサレムに足を踏み入れたときには、町の城壁にさえぎられてその星が見えなかったから。

ふたたびあの星が彼らを導いた。王たちはその星を頼りに長い旅を続けてきた。三人がベツレヘムにたどりつくと、一軒の馬小屋の上空にその星がとどまっていた。幼子はその中に寝かされている。



うこうするうちにも、三人は建物に足を踏み入れた。そしてひたすら星を追いかけてきた彼らの旅も、ついにそこで終わりを迎えた。一目見て三人には彼がわかった。彼はそこにいた。これ以上動き回ることも、旅を続ける必要もなくなった。三人は馬小屋に入り、そこで幼子のイエスと、そのかけがえのない母親である聖なるマリアと対面した。

彼らはその場にひれ伏して、幼子を礼拝した。信仰するものとしてその三人の偉大な王たちは地面にひざまづき、彼を礼拝した。彼らにはその幼子が誰なのかよくわかっていた。なぜならその幼子は、スピリットであり、最強の力であり、天の所有者であり、地の所有者であったから。

彼らは櫃を開き、貴重品の箱を開けた。そして中から自らの主となった幼子への贈り物を取り出して、うやうやしく並べた。

三人からの貢ぎ物は、黄金、香り高きミルラ、そしてお香だった。

そのことがあってからさらに数日、三人は幼子の元にとどまって、たくさんの不思議がおこるのを目撃した。そして眠りのなかにいるとき、彼らはその場を立ち去るように命じられた。三人はそれぞれの眠りのなかでスピリット・チャイルドと出会った。夢のなかにあらわれたその御方は、三人をそのままふるさとに直接送り届けた。

三人の王がヘロデのところに戻ることはなかった。なぜなら、スピリット・チャイルドにはヘロデのたくらみがわかっていたから。

おお、悪の化身ヘロデよ! 全能なるものをだませるとでもお考えか? まだ幼子にすぎないかもしれぬが、赤子のイエスにはすべてがお見通し。なぜなら、彼は神なのだから。


彼にそなわる神聖さと神秘は、父なる神その存在そのものにそなわる神聖さと神秘と、まさしく同じもの。人間となられ、わたしたちのなかに混ざって生きるためにやってこられしもの、そは父なる神。


彼はわたしたちの救世主になるためにやってこられた。人間は誰もが許されうるのだ。もはや悪魔には、イエスの手からただひとりの人間をつかまえて取り返すだけの力もない。


そのときすでに妙なる平和が地に満ちあふれた。世界のいたるところに、美しき雨が、素晴らしき雨が降り注いでいる。あまりにも不思議な雨が地球のうえをおおいつくしていた。


まさしく今日はは救いの日。長く待ちこがれた癒しの日。救済は頭上より降り注ぎ、わたしたちに道を指し示す。


(完)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, October 27, 2005

チェロキーに伝えられた予言 #08

物事の動きがスピードを増していくのを見るようになるとき、地球のうえで生きる人たちの動きもいや増しにましていくことだろう。孫たちの世代はもう祖父母になる時間はないかもしれない。男子も女子も親にはなれても子供たちを持つ時間はないかもしれない。時間の流れがさらにさらに速まるように見える。エルダーたちはわれわれに警告を与えた。物事の速度が早くなっていくようなときには、おまえたちはスローダウンしなくてはならぬと。時代が早く動けば動くほど、われわれはスピードを落とさなくてはならない。物事の動きが速くなるときには、この地球が三回目に揺すられようとしているのであるから。グレイトスピリットはこれまでに二回この地球を揺すられた。第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、われわれがひとつの人間家族であることを、われわれひとりひとりが兄弟であり、姉妹として、互いに挨拶を交わすべきだったことを思い出させるためのものだった。地球が揺さぶられた後、ともにより集まって輪になるチャンスが、過去に二回われわれには与えられたのだが、われわれはその機会をミスしてしまった。

空の家
spacestations
今エルダーたちは地球が三回目に揺すられるときの御しるしについて話しておられる。あの人たちはエルダーたちの言葉で言うなら「空の家」となるものをこれから造るらしい。1950年代にすでにその話を耳にした。彼らは家を造り、その家を空に放り投げると。人間が空に永住するようになるのを見たら、グレイトスピリットが地球をまさにつかもうとしていることをあなたがたは知るときである。そしてそのときにはグレイトスピリットは、これまでのように片手ではなく、両手で地球をつかんで揺さぶることになるだろう。

今度、つまり三度目にグレイトスピリットが地球を揺さぶるときには、その空の家から下の地球に向かって「灰のつまったヒョウタン」が落とされるのだ。

エルダーたちによれば、そのころにはこの大地のうえにあまりにも広大でどこまで続いているかはとても見渡せないぐらいの大きな村ができていることになっている。そしてさまざまな予言によればその広大な村は「石の村」とか「石の平原」と呼ばれている。

それらの石は大地から空に向かってのびていて、それぞれの石があまりにも高くそびえているために、村から遠くまではとても見渡せないのだそうだ。

そうした村という村のそれぞれの中心には、ネイティブ・ピーブルがいるだろう。彼らは石の平原のうえをそれぞれがさながら「実のない貝殻」のごとくに歩いている。

エルダーたちは「実のない貝殻」「貝の抜け殻」と確かに言った。それはネイティブ・ピープルたちが自分たちの伝統にたいする理解をすっかり失って、内側が空っぽになってしまっているということなのだ。

彼らはこう言った。イーグルが月に舞い降りた後、石の大平原のなかに暮らす人たちのなかから、その石の平原を離れて、昔ながらの生き方を学び、自分を生まれかわらせようとするものたちが現れはじめるだろう。なぜならそうやって新しい一日がはじまるのだから。

だがそこまでするのはほんの限られた数の人間に過ぎない。多くはそのまま石の平原にとどまるだろう。

skyline

エルダーたちが言うには、やがてそのときが来る。朝日が昇ってきたときにはそこに確かにあった石の村が、夕方には大地からのぼりくる蒸気に包まれているだろう。

それは立ちのぼる蒸気としてやって来る。多くの石の村の中心地が、瞬時にして蒸気に姿を変える。そのとき町に残っていたネイティブ・ピープルたちも、目を覚まして石の村から出て行かなかったがために、一瞬のうちに蒸気になってしまうだろう。

エルダーたちは地球が三回目に揺さぶられるときはそうなるのだと言っている。あまり見たくないような光景ではあるが、それでも生き残るものは生き残る。われわれはそれを生き延びるだろう。

そしてそれを生き抜いた後、そのときにもまた地球のうえに生きる人たちの間で輪を作ろうという試みが起こる。そして今度は、ネイティブ・ピープルも仲間に加わるために請願する必要はなく、はじめから輪に加わるように招聘されることだろう。エルダーたちに言わせると、そのときまでには人びとのわれわれに対する態度も一変しているというのだ。

人びとはわれわれをその輪の中に入れてくれるだろう。四つの方向に分かれていた四つの色の人たちが互いの知恵を分けあうこともでき、地球にも平和が訪れる。

そのときが今迫りつつあるのだ。

予言というのはどんなものであれ絶対的なものではない。いつも可能性は常に残されている。1565年のときにみんなで集まることだってできたし、そうすれば偉大な文明を今ごろは築いていたかもしれないのだが、われわれはそうはしなかった。

いつだってわれわれは、こうした予言の筋道にそって、ひとつに繋がることができた。これからだって、まだできるはずだ。われわれが人種や宗教に基づく不協和音をしずめることができるのなら、われわれもこの第三回目の揺さぶりを体験しないでもすむかもしれない。

エルダーたちは言っている。その可能性はほんのわずかなものであるだろうと。このわたしの目から見ても、可能性は限りなく小さい。だが、もはやなすすべがないかというとそうではない。エルダーたちに言わせれば、われわれにできることは、その衝撃を和らげることであり、そうすれば被害はそれほどにはひどいものにならないだろうという。ではそのために、われわれになにができるのか? それが、われわれをもう一度ひとつにつなぐための教えを分けあうことなのである。(了)