Wednesday, August 15, 2007

いったいぼくたちのトーテム・フードはなにだろう?

Totem Foods’ of North America

北米大陸各地の土地に基づいた伝統的食べ物地図

地球のどこにでもそれぞれの土地に深く根を生やした伝統的な食べ物がある。そうした伝統的な食べ物のことを「トーテム・フード」と呼んだりする。ある意味ではその土地に独自の食べ物がその土地を規定しているのである。そうした食べ物は単に共同体の儀式や祭りや伝統的な祈りや歌や物語に登場する生活必需品であるだけでなく、その風土に暮らす人たちにとっては栄養的にも重要なものだといえるだろう。

この北アリゾナ大学の持続可能環境研究センターが作成した北米地図をよく読むと、北米大陸は「鮭の国」「ヘラジカの国」「メープルシロップの国」「焼ハマグリの国」「ワイルドライスの国」「バイソンの国」「ピンニョンナッツの国」「アワビの国」「チリペッパーの国」「コーンブレッドとバーベキューの国」「ワニの国」の10色に色分けされている。

仮にこうしたトーテム・フードの地図を日本列島でつくることができるなら、いくつぐらいの色にわかれるのだろう? 「鮭の国」「アワの国」「ヒエの国」「栗の国」「鹿の国」「いもの国」「アワビとサザエの国」「ライスの国」などいろいろ考えられる。もしライス一色に塗られている列島だったなら、それはおそらく持続可能な環境とはほど遠いかもしれない。

arrow2 Renewing America's Food Traditions - RAFT

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Saturday, August 26, 2006

「作物を育てることは幸せなこと」というホピの聖なる教え

今年のはじめのころに「ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考」という文章を5回にわたって掲載した。

しかしこれだけでホピの人たちの農耕と生き方の関係をじゅうぶんに伝えきれたとはとても思えない。今回はアメリカの公共放送(PBS)で70年代末に放映された「あるひとりのホピの哲学的意見——A Hopi Philosophical Statement 」という番組(1978年制作)が Google Video で無料で公開されているのがわかって、改めて見直してみたところこのドキュメンタリーがホピの農耕と毎年繰り返される儀式のあり方と生きるための哲学——「作物を育てることは幸せなこと」というホピの人たちの聖なる教え——の理解に役立つものであることを確信したので紹介しておく。

おそらくホピの農耕をホピ語によって解説がつけられている映像としてみることはめったにないことだろう。このなかではホピのセレモニアル・リーダーのひとりジョージ・ナソフティが全編にわたってホピの言葉で農耕のあり方と一年のサイクルについて語っていて、それぞれのホピの言葉には、シンプルな英語の字幕がついているので、理解しようと思えばなんとか理解できる。英語が理解できなくても、ホピの言葉のリズム感を聞くことはきっと頭によい刺激になるだろうし、「種植え棒(プランティングスティック)」とブルドーザーの両方が現実に使われているホビの現代農耕のありさまを見ることだけでも、一見の価値があるだろう。自分で自給するための農耕をしている人には参考になる考え方や役に立つ道具とのつきあい方もたくさんあるはずだ。本来であれば言葉の解説をひとつずつつけておきたいとも考えるのだが、それだけの時間的余裕が今のぼくにはないので、興味ある人がご覧になってください。そして映像を見たあと小生が書いた「ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考」を改めて読んでいただければ幸いである。(26分17秒の作品)

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Tuesday, February 28, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 5

の光が強烈な夏の間は、少年を含めて男たちがほとんどの畑の作物の管理をしているようだ。女性たちはなにもしていないかというとそうではなく、彼女たちも必要とあらば村にほど近いところにある畑の定期的な水やりなどはしている。

男たちの中には毎日の畑仕事、とくにトウモロコシの畑の作業をするために沙漠の熱波のなかを何マイルも徒歩で出かけるものも少なくない。聞いた話では昔のじいさんたちはみんな駆け足で遠くの畑に出向くのが普通だったという。伝統的に彼らは走ることが好きなのは間違いない。いまだに走ることはホピの伝統的な生き方の一部となっている。

hopiplantingstick大地を生身の女性として認識しているホピの人たちにとっての最初の農具は、大地に負荷を極力かけないプランティングスティックという先をとがらせた木製の棒で、これで苗を植えるための穴を地面に穿つ。(左の写真を参照。1918年にアリゾナのポラッカというところで撮影されたもの。コーン・プランティングスティックは最初に創造主から与えられた農具とされる。)またホピの人たちは畑の雑草を処理するためには柄のついた鍬も使う。鍬の刃は昔は石で作られていたそうだ。木製の鍬もあったという話も聞く。だが今では鉄製の鍬を使うのがあたりまえのようになっている。

鉄の鍬をホピにもたらしたのはスペイン人との遭遇だった。スペインの工業製品やメキシコの鍛冶屋が鉄の刃の鍬をホピにもたらした。便利なものの導入にきわめて用心深かったホピの人たちが農具としてつぎに発見したのが缶詰用のブリキの缶で、これの上下をくりぬいたもので苗を囲うようにして鼠などに食べられるのを防いだり、沙漠の風で倒されたりしないようにした。また彼らはかかしも作った。

ホピの人たちが沙漠の畑で育てているトウモロコシはわれわれが知っているようにそう背が高く育たない。せいぜい1メートル50センチぐらいの高さである。しかし種はかなり深いところに埋めるので、そのトウモロコシは地中深いところにまでしっかりと根をはって水脈を探し求めている。

季節がよくなって成長をはじめると、その穂の多くはまだ若く緑色のうちに収穫されて乾燥される。実の色に応じて残されるものがきめられていき、それらが収穫されるのはさやに収まってからということになる。

そうやって実になる前に摘まれた穂は、乾燥されて室内にきちんと山のように積まれて薪にされることになる。冬になると時々その乾燥された若い穂の山は戸外の風通しのよいところに持ち出されてほこりを払われて虫干しをされている。このスイートコーンの若い小さな穂は、収穫の季節となり、ホピの人たちが畑に掘った穴でトウモロコシを蒸し焼きにするとき、穴のなかであらかじめ焚かれる燃料にされる。

1年分の収穫されたトウモロコシは、ファーザー・コーンと呼ばれる種となるトウモロコシをのぞいて、残りは一度にほとんどが畑の側に掘られた穴の自然のオーブンのなかで2日から3日をかけて皮付きのままじっくり蒸し焼きにされる。

そうやって蒸し焼きにされて取り出された最初のトウモロコシは一族のなかの最年長の女性に食べてもらうことになっていて、マザー・コーンと呼ばれる。

トウモロコシが蒸されてから数日は全員がトウモロコシを食べる宴が続く。犬も猫もトウモロコシを食べる。その宴が終わると、残ったトウモロコシは皮をむかれて紐に結わかれて太陽光のなかで日干しにされて冬の食料などになる。

普通は実がばらばらにされることはなく、トウモロコシは一本一本が乾燥されたまま家の中につるされて貯蔵される。ホピの人たちはいろいろな色のトウモロコシをつくっているが、食料の基本になるのは白いつぶつぶのトウモロコシであり、この白い粒のトウモロコシは単に食料にされるばかりでなく、轢いて粉にしたものが、ホピのありとあらゆる儀式において神聖な清めの粉として用いられる。

hopicorn白い粒のトウモロコシは5月か6月になるまで定植されることはなく、収穫も10月まではおこなわれない。ホピの人たちは他にも青や赤や紫やピンクや黄色などの各種のトウモロコシを栽培している。しかし21世になった今では、ホピの人たちも苦労の多い食料生産としてのトウモロコシ栽培を放棄して、儀式に必要なわずかな量のトウモロコシしか栽培しない人たちも増えたという記事がつい最近のアリゾナの新聞に出ていた。ホピは変わり、世界も又それにつれて変わりつつある。

ホピの人たちがトウモロコシから離れると、いったいなにが起きるのだろうか? 

20世紀初めにある文化人類学者が次のように書き記した。

「トウモロコシは実際にそれを食料にすることによって人びとの暮らしを支えているという意味でも彼らの母親なのです。種となるトウモロコシの世話をする仕事にかかわることは一族のたいへんな誉れとされ、氏族の長がこの役につきました。ホピの子供たちはひとり残らず自分用のトウモロコシの穂を、母親を象徴するものとしてひとつ持って育ちます。子供たちが大人になって、各人が自分の宗教的な秘密結社に、自分を母親のようにやさしく包み込んでくれる組織に加わるとき、通過儀礼としてそれまで大事にしてきた自分のトウモロコシの穂を聖壇にささげて、社会の一員になるのです」

ホピはトウモロコシと共にこの母なる大地の世話をすることを定められた人たちであり、ホピの人たちがトウモロコシと共にあり続けている間は、地球は大丈夫だという話を聞かされたことがあるのだが。(おわり)

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Wednesday, February 22, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 4

hopi_rattleウモロコシ、スカッシュ、豆、メロン、そうした作物の他にホピの人たちが長年にわたって栽培してきた植物で忘れてはならないものに「瓢(ひさご)」がある。いわゆるヒョウタンだ。

これは世界で最も古くから地球に生きる人たちに栽培されていた作物で、アフリカ原産のうり科の夕顔の一種とされる。人間が道具を使う動物であることを証明するように、日本列島でも今から五千年以上もまえに、ネイティブ・ジャパニーズによって栽培されていたことが明らかになっている。

gourdホピの人たちもはるか大昔からこれを栽培し続けてきた。大きさも大小色々自在に作れたし、熟すると皮が固くなるので、なかの果肉をとりだして、さらに乾燥させてさまざまな容器としたり、カップや、スプーン、しゃもじ、ひしゃく、水筒(右写真)、種入れ、薬入れ、いろいろな笛、ガラガラなど、さまざまな目的の道具として活用した。

ホピの人たちは必用とする道具の大きさに合わせてヒョウタンの種をまく土を選んだという。良く肥えた土に播けば大きいヒョウタンが作れるし、やせた土壌では小振りなものが作れた。

またホピの人たちが栽培する主要な作物のひとつとに果物の桃がある。「イート・ア・ピーチ」の「ピーチ」だ。桃はたくさん栽培されているし、他にも果樹は、りんご、アプリコット、洋なし、ブドウ、サクランボなどが作り続けられている。

ホピの人たちはご存知のように「卓上台地」「メサ」と名づけられた、急峻な崖の上の平らな土地に村をつくって生活しているわけで、ごつごつした岩だらけのメサの崖のしたにはアメリカ南西部の沙漠がどこまでも広がっているのだが、果樹の大半はそうした崖下にある砂地か砂丘に植えられている。

現代ではそうした果樹の苗木のほとんどが種苗会社から購入されたものだ。しかし、環境が厳しいだけにどんな作物も収穫は常に不安定だと言っていい。遅霜にやられたり、雹の嵐にうたれたりで全滅してしまうことも珍しいことではない。それでも収穫があるときには、果実は新鮮なうちに口にはいるか、あるいは大量にあまれば天日で干されてドライフルーツとして保存される。彼らは桃の実もなかを開いて太陽光で乾燥させてドライフルーツに加工するのだ。

またわずかでも水を使える畑では、チリ・ペッパーが栽培されることが多い。どんなものであれ栽培される作物は、普通室内の苗床で育てられ、霜のおそれがなくなってから戸外の畑に定植される。

chilliペッパーは夏になると熟しはじめ、熟す先からシーズンをとおして収穫され続ける。そして秋の最初の霜がおりると、畑で残っていたペッパーはひとつのこらずすべてが収穫され、紐にとおされて家のドアの前にずらっとつり下げられることになる。これは収穫の秋のホピの村々の風物詩みたいなものだ。

今ではたくさんの種類のペッパーが各地から導入され、比較的皮の厚めのペッパーが人気をはくしているようだが、収穫されたペッパーは一度なかを開かれて種を全部取り出してから紐にとおされて乾燥されることになっている。

もともと農耕に長けていたホピの人たちのなかには、最近、自分たちの泉の近くに小さいながらも畑を作る人たちが少なからずいて、その人たちはビーツ、にんじん、キュウリ、レタス、トマトといった作物を栽培している。またその絞り汁が甘味料になる稲科の作物の砂糖モロコシ(スイートソルガム)を人びとに提供するために栽培している人もいる。(つづく)

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Friday, February 17, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 3

床の準備が整ったら、いよいよ植えつけである。植えつけに際しても、動力機械を使うことはない。彼らにとって農業は徹頭徹尾、機械でするものではないのである。

主に使う道具は、コーン・プランティング・スティックという棒である。またの名を「穴掘り棒」ともいう。樫のような硬質な木でつくった棒である。棒の一方は円く磨かれ、他方は先がとがっていたり、くさび形にされていたりする。この先のとがった方で地面に穴をあけるのだ。穴の深さは30から40センチほど。そうやって開けたひとつの穴に芽を出しているトウモロコシの種を6つから10ぐらいいれて土をかぶせる。

もともと水分の少ないアメリカ南西部の沙漠でトウモロコシを育てる人たちは、他の土地でトウモロコシを栽培する人たちとは違って、背の高いものをつくることよりも、地面のなかに根をしっかりとはってちょっとやそっとの風には負けないような背の低いものを育てる工夫をしてきた。

ホピの人たちの慣習では、この種植の作業は夫婦の共同作業で行うことになっている。お父さんが地面に穴をあけ、お母さんがその穴に種をいれて、足で土をかけていくのだ。

トウモロコシは畝で育てられる(神戸で映画『ホピの予言』を広める活動をしているランド・アンド・ライフのサイトの表紙にホピのトウモロコシ畑の写真がある)。トウモロコシの畑の畝と畝のあいだには、豆が植えられる。これは南米や中米でも長くおこなわれてきたやり方で、ホピの人たちは豆だけでなくさやも食べられるサヤインゲンのような豆類を植えることが多い。伝統的にはムラサキインゲンが育てられていたようだ。

そうやって作られた豆は天日で丸ごと乾燥され、保存食料となる。トウモロコシの畝と畝のあいだで育てられる可能性のある他の作物には、カボチャの一種であるスカッシュ、メロン、ヒョウタンなどもある。とくにスカッシュと豆とトウモロコシは、おそらくすべての農耕するインディアンたちにとっての定番の作物で、俗に「三姉妹(スリー・シスターズ)」と呼ばれて、この3つをコンパニオン・プランツとして一緒に育てることで違いに助け合って丈夫な作物が出来るのだとされる(この効果は近年ようやく科学的にも証明された)。しかしホピの人たちの場合だと、豆以外の作物は、彼らが暮らすメサと呼ばれる卓状台地のうえの村落の近くで育てられるケースが多い。トウモロコシは水分にセンシティブなためにメサの崖の下、村落から離れた畑で育てられるのだが。

paatangホピの人たちが好んで栽培するスカッシュは、縞のはいったヘチマカボチャといわれる種類である。5月下旬から6月の上旬にかけて植えつけがおこなわれて、秋遅く霜が降りたあとで収穫される。カボチャの肉果は茹であげられたり焼かれたりして食用となる。大部分は天日に干されて冬のあいだの貴重な食料となるのだ。まずは厚い皮の部分が取り払われて、小さく分けられたものが、長い紐に通されて太陽に干されてから保存される。(左の写真は昨年夏に日本で公開されたホルスト・アンテス氏所蔵のカチーナたちのひとつ、ヘチマカボチャのカチーナ)

またホピの人たちはメロンが大好きだ。ホピの人たちでなくてもメロンはみんな大好きだが、とくにホピの人たちはメロンを愛する。だからトウモロコシと同じように、いくつもの種類の異なるメロンを栽培してきた。そうしたなかからとくに味の良かったメロンの種を選んで保存してメロンを栽培し続けてきた。しかし最近のホピの人たちが育てているメロンは、近年になって導入されたおいしいメロンなのだが、これらは昔のメロンに比べると味はよいものの悪くなるのも早いという。

昔栽培していたようなメロンは保存がきいて、翌年の2月になる頃までは食べられたらしい。メロンやスカッシュの種も食用になった。そうした種は水分が完全になくなるまで火であぶられてローストされた。かりかりになった種はそのまま食べられたり、さらにはそれをつぶしてそこから少量の油をとり、そうやって集められた油はのちにトウモロコシの粉をつかって「ピキ」と呼ばれる紙のように薄いパンを焼く際に、焼いた石版のうえで用いられたのだった。(つづく)

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Wednesday, February 15, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 2

ピの人たちのトウモロコシ栽培は、2月の畑の準備からはじまる。彼らは地球を母なる大地と、一人の生きている女性と見ているので、農作業に際しては、その母親の肉体をはなはだしく傷つけるような鉄製の農機具などは一切使わない。耕耘機などはもってのほかなのである。

だからまずは畑となるひとつの区画の灌木やよけいな草が、くま手によってきれいにはらわれることになる。くま手はジャニパーと呼ばれる硬質な木の、先が3つに分かれている枝からつくられる。枝の皮をむき、それぞれの枝の長さを整え、その三本の枝に別のまっすぐな枝を渡して根本でしっかりと結わえて丈夫なくま手をつくる。これが、かれらの「伝統的なやり方」なのだという。

RitCal6トウモロコシの植えつけは、ホピの儀式のカレンダーに基づいて春の大祭が行われる4月におこなわれる。(掲載したのはホピの儀式の暦であり、左回りに見るようになっている。クリックで拡大)

すでに冬至が終わって新しい年のカチーナの季節もはじまっているが、この植えつけに先だって、ホピの人たちの暦では2月に「ポワム(ポワムヤ)」と呼ばれる浄化のための例祭がにぎにぎしく行われる。ポワムとは「聖なる豆の祭り」という意味である。

この儀式のためにホピの人たちはあらかじめ自分たちがこの年に植える豆とトウモロコシを発芽させた苗床を用意しておくことになっている。彼らの暮らす高原沙漠は、太陽の光があふれる沙漠とはいえ冬はマイナスになるぐらい寒く、ときには雪も降り積もる。トウモロコシや豆の苗床は、ホピの人が「キバ」と呼ぶ、地中につくられた聖なる空間のなか、小分けされたいくつもの小さな箱を用いて発芽させられる。

キバは地面の下につくられているし、その中心ではいつだって聖なる火が焚かれているから、キバのなかはほんのりと温かく、トウモロコシや豆たちが目を覚まして発芽するには理想的な環境になっているのである。ひとびとはこのキバでの発芽の状態から、この年のトウモロコシや豆の出来具合を判断するのだ。(つづく)

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Monday, February 13, 2006

ホピ・ファーミング 地球に生きる人たちの農耕技術考 1

日本で唯一の雑穀文化専門の雑誌である『つぶつぶ』(大谷ゆみこ責任編集・季刊)にぼくは毎号連載させてもらっている。そこに昨年の後半に2回にわたって書いたホピの人たちの農耕についての文章を、このブログにすこしずつ不定期に(ほかに書くことが見つからなかったり、生き抜くための仕事が立て込んでいたりするときに)掲載していこうと考えた。掲載にあたっては、若干手を加えてアップデートしてある。

hopimesahomesピはアメリカ南西部の過酷で美しい高原沙漠に暮らし続けてきた人たちであり、アメリカ・インディアンのなかで最も神秘的とされ、その精神力の強さから全インディアンの部族や国人から一目置かれている人たちである。「ホピ」とは「平和な人」を意味し、彼らはけっして武器を取って争わないことで知られてきた。沙漠という強烈な太陽と極端に水の少ない大地に、千数百年前から自らの意志で定住して、トウモロコシを中心にした農耕生活を送り続けている。背が小さく、小柄で、髪も目も黒く、われわれと同じモンゴロイドであり、「日本人」などとも背格好が良く似ている人たちである。

ものの記録によるとアメリカ合衆国のなかでもっとも長く人が住み続けている村はホピの国(ホピ・インディアン・リザベーション)のなかにある。彼らの暮らす土地はどこからも遠く隔絶していて、それがために長いこと西欧文明の流入を防いできたとも言える。もちろん現代では事情は様変わりしていて、日本人同様に人びとの生活スタイルは西洋スタイルになってはいるが、いずれにしてもアメリカのなかで最も隔絶した——「世界のどこからも遠いところ」と表現する人もいれば、「どこだかわからないところの真ん中」という人もいる——ところで暮らしていることはまちがいない。しかし彼らは自分たちの暮らす沙漠を「地球の中心」「宇宙の中心」と信じて、そのおそろしくかつ美しい大地で「今の世界がはじまった時に偉大なる精霊から教わった質素でスピリチュアルなな生き方」を実践してきた。ホピの国は地球のバランスを保つための重要な場所なのであり、そこで起こっていることは世界で起こっていることの縮図なのだと彼らは信じている。

その農地は沙漠である。沙漠というのは、海がそのまま干上がったような景観をしている。極端に水分が少ないから、晴れている時には永遠までもが見えるといわれるぐらいに遠くまでが見える。木々や草などは沙漠に対応したものをのぞいてほとんど見あたらない。山は大地がむき出しのままであり、ときに雨が降ると枯れていた大地に一気に水が流れて表土を押し流すこともある。

ホピの人たちは被害を最小にするためにそうやって押し流される大地から少しはずれた縁や切り立った崖の下などのところにトウモロコシの畑を作ってきた。彼らはトウモロコシが自ら水を探すことをよく知っているのだ。トウモロコシの身になって彼らが根で湿り気を探しやすい場所を畑に選ぶ知恵を、彼らはいまだに失っていないのである。(つづく)

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Saturday, July 24, 2004

スリー・シスターズ #05

「スリー・シスターズ #04」で紹介したニューヨーク州立博物館バーチャル・イロコイ展示館ジオラマをご覧になりましたか? その時代に生きていたわけではないので確証はないのですが、雰囲気はよく出ていると思います。右側にずっとスクロールしていくと木の台があって上に子どもがいますが、これは畑の監視台です。たいてい子どもがその台のうえにはのぼらされて、歌を唄うことになっているのです。そうやって自分の存在を歌で教えることで、カラスや、カササギや他の作物を狙ってくる動物たちを追い払うのが仕事なのです。同時に、そこで子どもが唄う歌が作物をより元気に成長させてくれるのだと、ネイティブ・ピープルは信じていました。

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Friday, July 23, 2004

スリー・シスターズ #04

もともとトウモロコシと、トウモロコシの茎につるを巻きつけて育つインゲン豆と、スカッシュやカボチャを「創造主から授けられた三人の姉妹」と呼んで物理的かつ精神的に大切にしてきたのは、イロコイという名前で知られたハウデノショウネ(長い家の人々)の女性たちです。コロンブスが到来する300年ぐらい前にはこのライフスタイルが確立していて、イロコイの女性たちにとって大地と植物をつなぐ「農」は、女性に与えられた特権と思われていました。(余談ですが、畑を整えるのは男性の仕事です。女性が種を植えて収穫するのです。新しいいのちをもたらす力が女性にはあると信じられていたからなのです。)

ニューヨーク州立博物館が、ヨーロッパからの渡来人文明以前の、収穫月を目前にひかえた夏の終わりのある日のイロコイの人たちの畑の様子を、ジオラマで作ったものを写真で公開しているので、一度ゆっくり見てください。

 AN IROQUOIS AGRICULTURAL FIELD at the NEW YORK STATE MUSEUM

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Thursday, July 22, 2004

農といのちの輪

農耕をするネイティブ・ピープルにとって自分たちの庭や畑の世話をすることは、ただ食べるものを生産するということにとどまりません。庭も畑も、食べ物を生産する工場ではないのです。庭や畑の世話をすることは、人間が「偉大なるいのちの輪(あらゆるいのちは、生き残るために互いに依存しあっているとする自然観)」の一部になるためにどうしても欠かすことのできない営みのひとつでした。種を植えるとき、土にたい肥をいれるとき、種を埋めた土のうえに水をやるとき、余計な草を手でむしるとき、なににつけても彼らは植物たち(根のある人たち)にむかってやさしく話しかけたり歌を唄いかけたりして「感謝の意」を伝えて、花の咲くことを願い、捧げものをしました。なぜそうしたのかというと、おそらくそうすることで、人間は、植物たちから知識と、心の平安と、肉体を強くする食べ物とをもらいうけ、自分からすすんで与える精神を育み、今このときを精一杯生きているという感覚を得ていたからだと思います。そのとき彼らがどういう歌を根をもつ人たちにむかって唄いかけていたのかは、小生がほん訳した『聖なる言の葉—ネイティブ・アメリカンに伝えられた祈りと願い』(マーブルブックス 発売・中央公論新社)のなかにいくつか収録されていますので、ぜひそれらを参考にされて、自分が植物たちに話しかけるときの言葉を、「偉大なるいのちの輪」にはいるための言葉を、新たに創造されんことを。

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