Monday, January 12, 2009

同志たちよ、あの偉大なるカタログがウェブサイトですべて公開されましたよ

Access to Tools and Ideas

microphoneこれがもっと大きな話題にならないのは、ぼくの前の世代があまりインターネットに主体的に参加していないからなのかと、少なからず考え込んでしまった。早晩いつか必ずこれが実現する日がくるだろうとは考えていたが、思ったよりも早く実現したと言うべきか、あるいは「遅すぎるよ」と文句のひとつでも言うべきか悩むところだが、でもひとつ気を取り直してこのニュースを伝えておかなくてはならない。

同志たちよ! 頭に栄養は足りていますか?

60年代後期から70年代をとおして、そして80年代も90年代すら、そしておそらくは21世紀になった今も、時代がまるごとその影響下にあり続ける偉大なカタログである「 Whole Earth Catalog 」の最初の68年秋号、69年春号、69年秋号、70年春号、70年9月号、71年1月号、71年6月の The Last Whole Earth Catalogとその補遺号、74年5月の The Last Whole Earth Catalog 改訂新版、74年10月 Whole Earth Epilog、80年春の THE ESSENTIAL Whole Earth Catalog、80年9月の THE NEXT Whole Earth Catalog、94年の THE MILLENIUM WHOLE EARTH CATALOG、98年冬の創刊30周年記念号の全部、およびそのファミリーマガジンのすべてが(完全にではないものの全体が!)デジタル化され、紙の呪縛から解放されてこのほど公開された。

おそらくインターネットの歴史のなかにおいても、これはもっと特筆されてしかるべきニュースにちがいない。80年代からインターネットの宇宙を旅してきた人間の一人として言わせてもらえば、少なくともぼくにとっては、これほど「暇つぶしと頭の訓練」に役に立つウェブサイトはインターネットのどこを探してもこれまで見つけることはできなかった。最近流行している自己啓発ノウハウサイトなどこのウェブサイトを見たあとでは完全に色あせてしまうだろう。 Whole Earth Catalog は一貫して「 Access to Tools 」というサブタイトルを掲げてきたが、ウェブサイトとして公開されるにあたって「 Access to Tools and Ideas 」と「道具」だけでなく「考え方」への「入口もしくは通過点」という言葉がそこに付け加えられている。

このままでいくとインターネットの世界もまたテレビ・メディアのように時と共に「悪貨が良貨を駆逐して」知性のレベルの低下もしくは、ニューエイジが辿ったような低次元での均一化はまぬがれないと思い込みかけていたのだけれど、有意義に時間をつぶせるウェブサイトがようやくひとつぼくのブックマークのなかに追加された。このサイトと共に地球の旅を続けるためにぼくがノートパソコンを手に入れるための資金集めをはじめる理由のひとつになるかもしれない。空から一台MacBookが降ってこないか知らん。\(^O^)/

最後に「全地球カタログ」のデジタル化を可能にしてくれたテクノロジーの進化とスタッフたちの献身的なエネルギーにひれ伏して感謝したい。

arrow2 Whole Earth Catalog: Access to Tools and Ideas

| | Comments (6) | TrackBack (2)

Friday, October 03, 2008

トキたちがネイティブとして生き抜いていけるのなら

eaglefthr.gif日本列島から絶滅した(絶滅させられた)トキを、もう一度野生化させられるかという実験が新潟県の佐渡島のトキ保護センターでおこなわれている。以前から日本列島のトキについては興味を持っていたので、ぼくはこの結果を毎日息をのんで見つめている。だから試験放鳥されたトキを追跡する「放鳥トキ情報」は、ぼくが毎日チェックするサイトのひとつになった。佐渡島のどこでトキが目撃され、そのヒトがなにをしていたのかが、写真と共に報告されているだけのシンプルなページだ。昨日はこう書かれている。

toki_081002a

10月2日 放鳥トキ情報

6時前
畑野山中からNo.13が西方向へ飛翔.

6時ごろ
久知川流域で,No.15が飛翔し,旋回.

7時ごろ
久知川流域で,No.11が水田のあぜで20分ほど探餌,捕食.その後,北方向へ飛翔.

7:30ごろ
久知川流域で,No.01が旋回し,南西方向へ飛翔.

8時過ぎ
河崎山中でNo.11が飛翔.

11時ごろ
市民が,田野沢近くで1羽が飛翔し,その後潟上方向へ飛翔したのを確認.

12時ごろ
河崎山中で1羽が飛翔.

12:30過ぎ
市民が,真野山中で1羽が刈り取り後の水田のあぜから飛び立つのを確認.

もしトキが、みんなが望むように野生化されるのなら、つまりネイティブとして生きる道を獲得できるのなら、おそらく奴隷化した人間ももう一度ネイティブとして日本列島で自由に生きていける道を見つけうるかもしれないではないか。

「日本」という国の絨毯が敷き詰められた土地のなかで、もう一度ネイティブとしての生き方を確立していく道は、おそらくとてつもなく厳しいものがあるだろう。トキたちのように環境が与えられて大切にされているわけではないのだから。

かつてローリング・サンダーというメディスンマンと話をしたなかで「白人は何世代生まれかわってもこの大陸のネイティブにはなれない」という厳しい言葉を聞いたことがある。それはぼくには衝撃だった。その土地で生まれた人はみんなネイティブという考え方を、彼は否定したのだ。

その言葉はそっくりそのままわれわれにもあてはまる。言葉を奪われ物語を消し去られて大地から根っこを切り離して「日本人」となった人々には、日本国建国以来1000年以上たっても、日本列島のネイティブにはなれないまま、ネイティブとしての生き方も哲学も世界観も歴史も回復されることはなかった。

事が簡単に進むような話ではないことはわかりきっている。一度失われたものを取り戻すのは、並大抵のことではないだろう。であるからこそ、佐渡島で保護センターという居留地から実験的に放鳥された、居留地生まれのトキのなかのヒトたちが、世代を重ねて自由なネイティブとして生き抜いていくことは、ぼくにとっては希望のひとつなのである。

arrow2 放鳥トキ情報

| | Comments (1) | TrackBack (1)

Wednesday, February 20, 2008

髪の毛を切ることの意味

eaglefthr.gifアメリカ・インディアンのことを学んだり研究したりする「日本人」が増えたことに驚いたり喜んだりする最近である。60年代から70年代にこの世界に生まれた人たちが多い。この人たちはほとんど偏見も、恐れも持たずに、ネイティブ・ピープルの世界に飛び込んでいけるからだ。

あまりニュースにならないのだが、出版状況は非常に厳しいにもかかわらず、アメリカ・インディアンについて書かれたり翻訳されて、出版される日本語の本は、この30年間一貫して増え続けている。書店にもよるが、インディアン関係の棚を用意しているところも増えてきた。

またネイティブの世界との交流や探求や研究について、自分の視点から書き綴っている原則日本語で記されたブログも、とても全体を把握しているわけではないのだが、かなりの数にのぼるようだ。そうしたもののほとんどが、60年代から70年代にこの世界に生まれた人たちによって公開されているといっていい。

きっと、彼や彼女たちが、ネイティブ・ピープルの存在の仕方について、過去の研究者などが見失っていたものを再評価して、日本列島に暮らしてなにも疑問を持たずに「日本人」をやっているわれわれの内側の深いところで眠らされているネイティブの精神を揺り起こしてくれることだろう。

ネイティブアメリカン研究奮闘記at UCDavis」というブログも、そのひとつだ。著者はカリフォルニア大学デイビス校という「インディアン研究の本丸」でネイティブアメリカン研究(歴史学、現代インディアン史、カリフォルニア・インディアン史)に従事する女性。その2月20日の記事に、1902年1月15日に、連邦インディアン局からだされた「インディアンの長髪を禁止する」一枚の通達なるものがさりげなく紹介されている。この通達が出された背景や、なぜ今のインディアン学を教える先生たちが長髪であるのかなどは、該当ブログをぜひ読まれるといい。

boarding school

この記事のなかに「夢のような60年、70年代の運動を経て、インディアンは、そしてインディアンの知識人は、今度は自らの意志で、『髪』を伸ばしはじめる」という記述がある。ボーディング・スクール・サバイバーと言われる「寄宿舎学校を生き延びた者」たちによってネイティブ・アメリカンのルネッサンスがどのようにして起こったのか、そこにおいて各部族の伝統派やメディスン・ピープルや精神的指導者がどんな働きをしていたのかについて、ぼくもまたできうる限り自分の知り得たことを伝えていきたいと考えている。

[写真は同一人物。寄宿舎学校に入れられると、左の人が右のようになる。学生服を着せられるのも、寄宿舎学校の慣習。いわゆる詰め襟学ランのルーツもインディアン矯正施設であったここにある。]

reddot ネイティブアメリカン研究奮闘記at UCDavis

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, January 03, 2008

ホビ伝統派最後の長老はなぜ秘密とされてきた聖なる教えを公開しはじめたのだろうか?

Grandfather Martin holding a *replica* of one of the Sacred Stone TabletsThe Dream Masters(TDM)」というサイトがある。一見すると、NewAge 的な雰囲気に満ちあふれたサイトであるが、そのなかでひときわ異彩を放っているのが、ホピの伝統派のおそらくは最後の長老で、グランドファザーであって、火一族の聖なる石版の守護者であるマーチン・ガシュウェスウマ(Martin Gashweseoma)氏のページである。余談だがグランドファーザーのマーチン・ガシュウェスウマは911の起こる5年前にこのような事件が起きることを予言していたとされる人物だ。

で、今回紹介するページは、北アリゾナのサードメサでつましく簡素な生活を送っている、1922年12月7日生まれで先月に85歳になったそのマーチン氏自らの手で送られてくる英語の原稿をそのまま〔なにも手を加えることなく〕毎月一度掲載する目的でつい先ごろ設置されたもので、TDM はインターネット上にその場を提供しているに過ぎないという但し書きがある。

したがってサイトは常に工事中の状態であり、そこに展開されるグランドファザーからのメッセージはホピに残されたいくつもの予言の解釈から解読、石版に描かれているメッセージ、実物ではないがその「石版そのものの複製」の写真(上写真)や図版、浄化の時代を生き抜くための教えと多岐にわたり、その量も驚ほど膨大なものになっている。

ここから読み解けるものは実にさまざまにあるのだが、ひとつはっきりしていることは、ホピの伝統派の世界で「ただならないなにか」が起こっているということであるだろう。いや、ただならないことが起きているのはホピのなかでだけではなく、われわれの暮らす世界でただならないことが、偉大なるサイクルの終わりが近づいているのかもしれない。おそらく、こうした古くから伝統を守る人たちのなかで伝え守られてきた神聖な予言に耳を貸す人たちの数が、ホピの部族のなかにおいてすら激減してしまったことが考えられる。(ホピで起こることは世界で起こるのだ)

インターネットの上にこうしてグランドファーザーがあえて自分の場所を確保して、そこに一族に残されてきた「神聖な知識」を公開することなど、かつては絶対になかったことなのである。グランドファーザー・マーチン・ガシュウェスウマは、その教えに耳を傾ける伝統派のホピの人たちが「ほんとうのホピ」と呼んでいた人たちのために、彼の頭のなかを公開しはじめたと見るべきだろう。

すべての人がこれを読む資格があるのかどうかぼくにはわからないが、こういう場所がインターネットの上にあることだけは「あなた」に伝えておかなくてはならないと感じた。おそらく、これだけの短い情報だけでも、心ある人はそのページの重要性に気がつくにちがいない。こうした情報を心から求めている人は、敬意を払いつつときどき訪ねてその中身を少しずつ読み進まれると良いと思う。

きわめて重要なことが公開されているのだが、しかしその重要性にすべての人が気づくとは限らない。

註:「Martin Gashweseoma」の読み方としては「マーチン・ゲスリスウマ」と書かれるときもあるが、ここでは「マーチン・ガシュウェスウマ」とした。「グランドファーザー・マーチン」だけでもいいと思うのだが。

arrow2 The Dream Masters - Grandfather Martin Gashweseoma

| | Comments (5) | TrackBack (0)

Tuesday, October 09, 2007

オマハ・インディアンが受け継いできたもの

Omaha Indian Heritage今週から「リンク・オブ・ザ・ウィーク(Link of the Week)」という企画をはじめようと思う。ネイティブ・アメリカンのことを知るときに参考になったり役に立ったりするサイトを週にひとつずつ紹介していくつもりだ。そこでコロンブスの日の今週は、「オマハ・インディアンが受け継いできたもの(Omaha Indian Heritage)」というサイトを紹介する。

「オマハ」というのは「流れに逆らう人びと」という意味だと聞いたことがある。平原インディアンの部族のひとつだが、大平原に南から馬がもたらされた以後も、それ以前の農耕的暮らし方を色濃く残し続けてきた。アースロッジという家の作り方で有名。バッファローの肉と、トウモロコシ、豆、スカッシュなどを合わせて調理をして食べる。19世紀にヨーロッパ人が持ち込んださまざまな病気で多くのいのちが失われ、生き残ったものたちが現在はネブラスカ州の北東にリザベーションを持っている。

「オマハ・インディアンが受け継いできたもの(Omaha Indian Heritage)」はネブラスカ州立大学(UNSM)のトーマス・P・メイヤーズ(Thomas P. Myers)教授が、UNSMが保存している古いライブラリーから写真や図版などを発掘し構成をして公開をしているもの。オマハ一族、あるいはオマハの周辺の平原インディアンにかんする古い資料のeTextはもちろん、1850年以降、19世紀、20世紀前半のオマハの人たちの写真などが豊富に掲載されているので、見ていて飽きることがない。『ブラック・エルクは語る』という本を著して有名になったナイハルト(Neihardt, John G.)が書き残した「 THE FADING OF SHADOW FLOWER(消えゆく影の花)」と「The Last Thunder Song(最後の雷の歌)」というオマハを題材とした物語(英文)も読むことができる。

arrow2 Omaha Indian Heritage

| | Comments (0) | TrackBack (0)