Tuesday, July 28, 2009

われわれをとりまいているすべての生きものたちとの聖なる関係についてブラック・エルクはつぎのように語っていた

Black Elk family photo

start_quote相手がどんなに小さくて、のそのそ動き回るものであろうと、そうした生きものだって、われわれに貴重なレッスンを学ばせてくれることがないわけではない。ほんとうに小さな蟻たちですら、人間になにごとかを伝えたがっているかもしれないのだ。end_quote.gif

start_quoteイクトミ(蜘蛛)はおおむかしはヒトだった。いまのわれわれと同じような人間だ。彼はこの世界で最も早く成熟し一人前となった。だから抜け目のなさでは人間はとても彼におよばない。すべての人と動物に名前を与えたのはイクトミであり、話術を最初に自分のものとしたのも彼だった。end_quote.gif

start_quoteすべての生きものたちのなかで最も重要なのは翼を持つものたちである。なぜなら、翼を持つものたちはいちばん天に近いところにいるからだ。翼を持つものたちは、四つ足たちのような地を這い回る小さなヒトたちのように、大地に縛られることはない。あの連中の宗教はわれわれのものと同じだ。彼らは地球で起こることのすべてを見、餌としてつかまえるものを絶対に見逃さない。end_quote.gif

ヘハカ・サパ(ブラック・エルク) 1863年12月ワイオミングのリトルパウダーリバーに生まれ、1950年8月にサウスダコタのパインリッジで没。キリスト教の伝教者となった時代の写真を借りてきたウィキペディアの英語版にはつぎのように書かれている。

【要約】オグララ・ラコタの有名な聖者(ホーリーマン)であり、メディスンマンであり、ヘヨカ(道化)であり、チーフ・クレイジー・ホースの2番目のいとこ。1892年に最初の奥さんとなるケイティ・ウォー・ボンネットと結婚。彼女は敬虔なクリスチャンだったために、もうけた3人の子どもたちも洗礼を受けた。ケイティが亡くなった1903年、彼も洗礼を受けて、伝教者としてニコラス・ブラック・エルクという名前になる。キリスト教の教えと部族の伝統的な信仰の間に矛盾をまったく感じていなかった節がある。1905年にふたりの娘のいる未亡人のアンナ・ブリングス・ホワイトと再婚し、さらに3人の子供をもうける。2番目の奥さんのアンナは1941年に亡くなる。晩年にジョン・ナイハルトならびにジョセフ・エプス・ブラウンのふたりの作家や教育者が彼の言葉をまとめて何冊かの本を残した。

ここに今回紹介したのは、われわれ人間をとりまいているすべての生きものたちとの聖なる関係の一端をうかがわせるもので、モンタナ大学宗教学部教授として2000年に亡くなったジョセフ・エプス・ブラウンが聞き書きしたものから。どうでもいいインディアン関係の本の翻訳が増えるなか、彼についての本が『ブラック・エルクは語る』しか今はまだ日本語で読めないのは実に悲しいことであります。

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Saturday, July 25, 2009

なぜインディアンはいつも盛装を心がけたのか?

Wooden-Leg-Cheyenne-1913
Wooden Leg - Cheyenne 1913

start_quote戦闘においてインディアンが常に盛装を心がけたのは、そうやって着飾ることで戦闘能力が高まると信じていたからではない。盛装を心がけるのは、いつ戦闘に巻き込まれて死んでしまうかもわからないからなのだ。誰であれインディアンはみな、偉大なる精霊と逢うときには身なりを最高にきめていたいと願っている。だから、死が差し迫っている戦いにおいても、また平和時における病気や怪我の時でも、彼もしくは彼女は、常に最高の衣服を身にまとうようにするのである。end_quote.gif

カハマゼヴェオタヘ [ウーデン・レッグ(木でできた脚)]( 1858 – 1940 )の言葉 写真は1913年に撮影されたもの。北部シャイアンに属しリトルビッグホーンの戦いでカスターと闘った。幼名 手で食べる子(イーツ・フロム・ヒズ・ハンド)。「木でできた脚」という名前は、いくら歩いても歩き疲れない木でできた丈夫な脚の持ち主という意味。

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Saturday, June 13, 2009

「いいわよ、個人的な質問でもなんでも聞いてちょうだい」という詩を紹介させてください

ダイアン・バーンズ(Diane Burns)という詩人がいる。いやいたというべきか。いや、詩人は言葉のなかに生き続けるから、いるでいいだろう。彼女は「ひとつ目玉のフォードに乗って(Riding the One-eyed Ford.)」という1981年に刊行された最初の詩集がギンズバークらに認められて世に出た。正直でユーモラスな作風にファンは多かった。ニューヨークのローワーイーストサイドを拠点に活躍するネイティブアメリカンの若い女性詩人として将来を期待されていたが、2006年に娘を一人残して病でスピリットの世界に旅だってしまった。享年50歳。1957年にチエマウェヴィ一族の父と、アニシナベ一族の母の間にカンザス州で生まれた。チエマウェヴィはアメリカ・インディアンのなかでは豊かな部族で、カリフォルニアのパームスプリングスという高級リゾート地は彼らの部族の土地に含まれている。とはいえネイティブの習慣に従って彼女は自らのつながりを母方のアニシナベの方に強く感じていた。彼女は聞かれるといつも自分はアニシナベだと応えていた。以下に紹介する「いいわよ、個人的な質問でもなんでも聞いてちょうだい」は彼女が一般のアメリカ市民からさまざまな質問をされてそれに日常の言葉で応えるというスタイルをとっている。読んでいくと、質問のやりとりが手にとるように想像できる。彼女はこの詩でインディアンという概念にあるステレオタイプを破壊しようとしたのだ。彼女の詩の正直さと面白さが少しでも伝わればと思う。もし伝わらなければそれはぼくの文才のなせるわざであり、スピリットの国にいる彼女に責任はありません。

Diane Burns

いいわよ、個人的な質問でもなんでも聞いてちょうだい

ダイアン・バーンズ(1957 ー 2006)

はじめまして
いえ、わたしは中国人ではありません
いえ、スパニッシュ系でもありません
いいえ、 わたしはアメリカン・インデ・・じゃなく
ネイティブ・アメリカンです

いえ、インド出身ではありません
いえ、アパッチでもありません
いえ、ナバホでもありません
いえ、スーでもありません
いいえ、わたしたちは絶滅などしていません
そうです、インディアンです

あらそう?
だからあなたの頬骨はそんなに高いわけ?
なるほどあなたのおばあさまのおばあさまが、へえ?
インディアンのお姫様だった、へえ?
そんなに髪の毛が長かったの?
いいからわたしにあてさせて
きっとチェロキーじゃない?

あらそう、インディアンの友だちがいる?
そんなに親しいの?

あらそう、あなたの恋人がインディアンなの?
そんなにしっかり結ばれてる?

あらそう、あなたにはインディアンの召使いがいるの?
そんなにたくさん?

はい、あなたがたがわたしたちにしたことは
それはそれはひどいものでした
謝ってくれるのは、それはそれでたいへん結構なことです
いいえ、あなたがどこで
ペヨーテを手に入れられるかは知りません
いいえ、あなたがどこで
ナバホの絨毯を格安で買えるかは知りません
いいえ、これはわたしが作ったものではありません
ブルーミングデールで買いました

ありがとう。わたしもあなたの髪型が好きですよ
いいえ知りません、シェールがほんとうにインディアンかどうかなんて
いいえ、今夜は雨を降らせたりはしません

はいはい、あっはーん、スピリチュアリティーね
あっはーん、ええ、スピリチュアリティー ええ、ええ
マザーアースが、ええ、ああ、ふーん、スピリチュアリティー

いいえ、わたしは弓は下手です
ええ、お酒を飲み過ぎる人はたくさんいます
なかにはじゅうぶん飲めない人もいます

別に無表情な顔をしているわけじゃありません
これがわたしの顔なんです

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Thursday, April 16, 2009

この40年間を笑い飛ばすリーマン・ブライトマンの痛快なお話

LehmanBrightmanリーマン・ブライトマンによる、昨年の11月にサンフランシスコで開催されたAIMの40周年の「同窓会」におけるお話。重要でおかしいので英語がわかる人はぜひ読むといいと思う。全体が5部に別れて YouTube に3日程前に掲載された。デニス・バンクスやラッセル・ミーンズがみんなまだ若者だったころを知りたい人はぜひ。インディアンについて学ぶことはどのようにはじまったのか。インディアン運動がどのようにして起こり、全米に拡大していったかを語っている。当然だがここに掲載してある彼のモノクロの写真は30年前ほどのもの。現在彼は78歳。どういう歳の取り方をしたかはビデオを観ればわかる。お話もうまいよ。彼の一番若い息子はコマンチの最後のヒーローで、ペヨーテの信仰を守りとおした(白人との混血の)「クアナ・パーカー」という名前になっているんだね。

Lehman Brightman @ AIM 40th Anniversary in San Francisco
Video by Mary Ellen Churchill.

Professor Lehman Brightman: President of United Native Americans,Inc - part 1 of 5

Professor Lehman Brightman: President of United Native Americans,Inc - part 2 of 5

Professor Lehman Brightman: President of United Native Americans,Inc - part 3 of 5

Professor Lehman Brightman: President of United Native Americans,Inc - part 4 of 5

Professor Lehman Brightman: President of United Native Americans,Inc - part 5 of 5

あわせて見たいかも:

*70年代初頭のインディアン運動 ラシュモア山を占拠した当時のリーマン・ブライトマンは短髪でアメリカのワーキングクラスのように見えた。 Indians Invade Mount Rushmore-1970

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Wednesday, April 01, 2009

結婚の祝いの言葉    部族不明


Sons of the Sky

Sons of the Sky
Virginia Stroud


願わくば太陽があなた方に日々新たな力をもたらしますように

願わくば月が夜ごとあなた方を元通りに回復させますように

願わくば雨があなた方の悲しみを洗い流しますように

そして優しい風があなた方に新たな力を与え

あなた方の日々の生活を豊かにし

願わくばあなた方が世界を優しく歩いて渡り

世界の美しさとあなた方の美しさを理解しますように

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Saturday, March 07, 2009

地球の旅のはじまりにわれわれが創造主から教えられたこと

はじめに導きがあった。その導きは、良き道を生きることと、あらゆる人とあらゆるものを尊重せよというものだった。

ヴィッキー・ダウニー テワ(テスクエ・フエブロ)

遠い遠い昔、この世界がはじまったとき、創造主はあらゆる人とあらゆるものに、調和のうちに生きるための智慧をお与えになった。そうした教えのことを、「もともとの導き」とか「原初の教え」とか「偉大な法」と呼ぶ部族がある。自然界にあるものは、ことごとく今もなおその教えに従ってかろうじて生き延びている。現代という混乱の極みの時代にあって、人間もまたその教えを探し求めているようだ。自分たちの所にこそそれらの教えが残されていると、さまざまな宗教や権威が声高に主張する。ほんとうにそれだけなのだろうか? 最初の導きは、われわれのハートに書き込まれているのではないのか。

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Tuesday, February 24, 2009

ジャーニー・トゥ・ザ・スピリット・ワールド

The journey to the Spirit World

The journey to the Spirit World

スピリットの世界への道のりはとにかく長いのだ、友よ。死がその旅の終わりではないことは、おまえが死んだときにわかるだろう。

バディ・レッド・ボゥ ラコタのカントリーミュージシャン
故フロイド・ウエスターマンと並んでネイティブの人たちに
その歌で多大な影響を与えてきた。1949年生まれ。

ネイティブ・アメリカンのエルダーたちはしばしば「もうひとつの次元」の話をする。彼らはそれを「スピリット・ワールド」と表現した。スピリットの世界だ。スピリットをなんという日本語に置き換えるかは悩むところなのだが、これはそのまま「スピリット」として理解したほうがいい。地球に生きているいのちであるわれわれは、みな自分の身体の中にスピリットを宿しており、われわれが死んでもそのスピリットは生き続ける。死というのは、目と頭がそう考えているものに過ぎないらしい。ネイティブの人たちの儀式のなかには、その儀式を通してスピリットの世界を垣間見させてくれるものがいくつもある。死というのは、生きるという過程のごく一部に過ぎないのだな。われわれは死を通してスピリットの世界へと移行するのだ。そしてエルダーたちは口を揃えて言う、いのちのたどる旅には喜びがあふれていると。

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Tuesday, January 06, 2009

ヨーコ・オノからの2009年最初のメッセージ

Imagin Peace

*なおヨーコさんは「IMAGINE PEACE」の日本語として公式には
平和な世界を想像してごらん」という日本語訳を採用しています :-)

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Saturday, September 27, 2008

チーフ・クレイジー・ホースが殺される4日前に残した言葉

守られなかった約束、身勝手な行い、ひとびとの離散・・・いま世界はそうしたものであふれている。世界は再び光を待ち望んでいる。わたしの目には見える。あらゆる肌の色の人々が、聖なる樹のもとに集い、全地球がいま一度ひとつの輪につながる7世代後の時代が。その日が訪れたあかつきには、人びとのあいだにラコタの者たちがいるだろう。その者たちは、すべての生きとし生けるものの間をひとつにまとめあげる理解と知識を運んでいる。若い白人たちがそうしたわが一族の者たちのところを訪れてこの知恵を求めるだろう。わたしは、全世界を写し出すあなたの瞳の内側に宿る光に、敬意をあらわそう。あなたがあなたの内側にある世界の中心にいて、わたしがわたしの内側にある同じ場所にいるなら、われわれはひとつになれるから。

チーフ・クレイジー・ホース オグララ・ラコタ 暗殺される
4日前にシッティング・ブルと最後に座して聖なるパイプを交
わしつつ煙草を吸っていたときにふと彼がもらした言葉より。

* クレイジー・ホースは1842年ごろに生まれ、1877年9月5日に殺された。1877年は日本では明治10年のことである。

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Wednesday, September 10, 2008

真実の言葉は人のハートの奥底にとどまる

わたしはワシントンに白人の偉大な父(大統領)を訪ねたことがある。白人に混ざって食事もしてきた。あの人たちの食事の仕方はわれわれのそれとは異なる。われわれは沈黙のなかで食事をし、静かにパイプをくゆらし、そして別れる。そのようにしてわれわれは客人をもてなす。しかし白人のやり方はそうではない。食事を食べ終えると、その場にいるものは馬鹿なことを話すのを求められる。そのくだらない話で、もてなす側も満足するのだ。白人のやり方の多くがわれわれの理解を超えているが、一端われわれが白人の食卓について食事をした以上、われわれもまた白人のしきたりにならってもてなされ、もてなす側に敬意を表すことは間違ってはいまい。

ワシントンの主人は実にたくさんの書き付けを用意していた。連中がわれわれの土地を訪れた際にわれわれの父たちが話したことがそこには書いてあった。それが白人のやり方だ。連中はとにかく字を書くことを大切にする。そしてそこには必ず紙がある。ところが、ワシントンにはもっと多くの紙があり、なかにはわれわれが自分たちの土地を売り渡す承諾の書かれたものまであるのだが、その紙の場所のありかがわからなくなっていると教えられた。

きっと白人は紙に神秘的な力が宿っていると考えているに違いない。その力がこの世界で自分たちを助けてくれるはずだと。インディアンには書いたものは必要ない。真実の言葉は人のハートの最も深いところに沈んで、そこにとどまる。インディアンはけしてそれを忘れることがない。ところが白人ときたら、紙がなくなればたちまちその力を失ってしまうのだ。

フォー・ガンズ(Four Guns)の言葉。
オグララ・ラコタのチーフ 1891年
に彼と、別の2人のチーフ、パイン・ト
ゥリーとランニング・ウルフの3人が、
クラーク・ウィスラーという人類学者に
食事に招かれた際の食後の会話記録から

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