Wednesday, May 14, 2008

この惑星におけるわたしたちの生き方を改めること

技術的に進んだ文化はどれも先住民による貢献を拒絶してしまう。自分は、われわれ先住民がこの惑星に暮らすあらゆる人の生き方を劇的に変えることに貢献できると信じるものだ。世の人々がネイティブ・ピープルと彼らの属する別の社会のもうひとつのリアリティを理解することは急務である。

ダグラス・カーディナル( Douglas Cardinal )1934年生まれ。
カナダ先住民ブラックフットとオジブワの血を受け継ぐ著名な建 
築家、作家、芸術家。カナダ文明博物館、カナダ・ファーストネ 
ーションズ大学など、彼が設計した建築物は多い。アメリカ合衆 
国のワシントンDCに先年開館した国立スミソニアン・インディ 
アン博物館も、もともとは彼のデザインによるものだったが、建 
設途中で協会と意見の対立を見て計画から降りているが、国立イ 
ンディアン博物館は建築設計家として彼の名前をいまだに掲げて 
いる。彼は自分の設計した建物を人々が空間を使いやすい「生命 
体」として考えるように一族のエルダーたちから言われたという。

少なくとも自分の人生に照らし合わせてみるかぎり、ここに引用したダグラス・カーディナルの言葉は真実である。北米大陸のさまざまな部族の先住民の人たちとつきあうことで、ぼくの生き方も人生も劇的に変化した。それ以前とそれ以後はまるで別の人生を生きているように思えることもある。彼らのリアリティを学ぶことで、ぼくは自分のものの見方(見え方)がそれ前に比較して問題にならないぐらい広がったと思う。それまでは思いもよらなかったような視点から世界が見れるようになったし、自分が日ごろ考えていたり、行っていたり、話していたりすることが、物理的精神的に生きることや働くことのすべてに影響を与えていることも気がついている。だがそうしたもうひとつのセパレート・リアリティを学ぶことは、結局のところ終わりのない道であり、ぼくはまだその入口あたりをうろうろしているにすぎないのだ。ようやく聞く準備が出来たといったところだろうか。

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Saturday, May 10, 2008

スピリットの家(スピリット・ホーム)

Chief Joseph

グレイトスピリットは見たり聞いたりされたことをけしてお忘れになることはないと、われわれは信じるように教え込まれてきた。であるから、来世においては、グレイトスピリットはすべての人にその生前の行いに応じてスピリットの家をお与えになるのだと。良き人間には良き家を、悪しき人間には悪しき家をおあたえになるのだ。わたしはこれを信じ、わが一族のものたちもみなおなじことを信じている。

チーフ・ジョセフ(1840−1904)
ネスパースのチーフ 本名は「山々を転げ落ちる雷」

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Monday, April 28, 2008

モホークの祈りの言葉

モホークの祈り
Mohawk Prayer


おお、偉大なる精霊よ

人間を、樹木を、草々を、果実を

そのすべてのものを創られたお方よ

力をお貸しください。

思いやりをおかけください。

どうかこの大地で

幸せに生かさせてください。

どうか子どもたちを

長寿と満ち足りた暮らしへ

わたしたちに導かせてください。

一族のものたちが

互いに愛し合えるように

よき心をなにとぞお与えください。

おお、偉大なる精霊よ

思いやりをおかけください。

一族のものたちに

青々とした木々や、緑の草々

咲きほこる花々、たわわな果実など

恩恵をなにとぞお与えください。

さすればやがてくる春に

われわれ一族は再び

相まみえることでしょう。

おお、偉大なる精霊よ

なにとぞ望みをおかなえください。


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Monday, January 07, 2008

チェロキーのことわざ

昨日のことで今日という日を無駄に使うべからず

チェロキーのことわざ

kotowazabookcovers月に映すあなたの一日』北山耕平編・構成。ネイティブ・アメリカンの豊かな精神世界のなかから選び出した364のことわざが示す今日を生きる指針。1日ひとつのことわざで学ぶ彼らの生き方。黙想のお供に活用されたし。マーブルトロン発行 中央公論新社発売 ブックデザイン グルーヴィジョンズ。ただ今4刷好評発売中

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Wednesday, December 19, 2007

平和に機会を与えるために知っておくべき言葉

「当然だが、普通の人間に戦争が好きなものなどいるわけがない。だが結局、政策を決定するのは国家の指導者であるわけで、民主主義の国であろうと、ファシストの国であろうと、独裁主義の国であろうと、議会制の国であろうと、共産主義独裁政権であろうと、国民を言いなりに引きずり回すのはむずかしいことでもなんでもない。いかなる声があがろうと、またそんな声はなかろうと、国民というのはじつに簡単に指導者の言いなりにすることができる。それは簡単だ。国民に向かって自分たちが攻撃されていると伝え、平和主義者たちを愛国心がかけていて、自国を危険にさらしていると糾弾するだけ、ただそれだけでいい。これはいかなる国においても通用することだ」

ヘルマン・ゲーリング ヒトラーの第三帝国元帥
第二次大戦後のニュルンベルク国際軍事法廷での陳述

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Monday, December 10, 2007

歴史

お話しのなかに兵隊が出てくると、いきなりそのお話しは「歴史」と呼ばれることに、わたしは気がついていた。兵隊が姿をあらわすまでは、そのお話は「神話」とか、「民話」とか、「伝説」とか、「おとぎ話」とか、「口承歌謡」とか「民族誌」などと呼ばれている。兵隊たちが登場したあとは、それは「歴史」と呼ばれるのだ。

ポーラ・ガン・アレン 小説家 ラグナ・プエブロ/スー(1939 - )

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Friday, November 30, 2007

イン・ザ・サークル

ripple

輪(サークル)は癒しの力を持つ。輪のなかにおいては、われわれはみな平等である。輪のなかにいるとき、あなたは誰かの背中を見ることはない。輪のなかにいるとき、あなたの後ろには誰もいない。輪のなかにいるとき、あなたの上にも、そしてあなたの下にも、誰もいない。聖なる輪は、人間はみな同じだということをすべての人に理解させるために、考案され創造された。いのちというものもまたひとつの円環を描く。この円環のなかに、ありとあらゆる種のための、あらゆる人種のための、あらゆる木々のための、あらゆる植物のための場所がそなわっているのだ。この惑星において健康をもたらすために、敬はれるべきは、この完ぺきさにある。水面に石を投げ入れたときにつぎつぎと出来るいくつもの波紋のように、あらゆるいのちが互いに理解し合うためには、輪は最初は小さくはじまり、そしてその輪が次第に大きくなって、やがては湖全体にまで広がるようになっている。


デイブ・チーフ オグララ国 ラコタのスピリチュアル・リーダー


世界を創られた存在がそこにあるものをいかに考案したか、そのなかでいかに生きればよいのかを、輪は教えているといわれている。つまり輪は、天地創造の見方を、われわれに教えているのだな。いのちの旅は輪を描く。ネイティブ・ピープルのメディスン・ホイールで示せば、われわれの旅は東側からはじまる。東は赤ん坊を意味する。人生という旅は太陽と同じ巡り方をする。東が過ぎれば南にはいる。南は若者だ。西は成人。北は老人を意味する。そしてこの先は輪はまたもとの振り出しに、母なる地球に還り、再度また新しい旅のはじまりを迎える。われわれは輪の中心にいて、自分を取り囲んでいるものを目をこらして観察している。この観察のなかから、自分なりのものの見方が作りあげられていく。だから自己中心的にならないように、じゅうぶん心して世界を見つめなくてはならない。

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Friday, November 23, 2007

戦士として生きるとはどういうことか?

Tecumsehわれわれの内側にはいくつか「元型」とされる個性が息づいていると心理学者の先生が言っていた。それはたとえば、インナー・チャイルド、内なる母親、内なる父親などだ。こうした元型のなかで、人によって強く顕現したり弱くでたり、ほとんどどこかに隠れてしまっていたりするものが「内なる戦士」とされるもので、この元型としての戦士は、確かにわれわれすべてのなかに存在しているのだが、その部分が未開発のままの人たちもけっこう多い。原因はいくつも考えられる。戦士のめんが強くおもてに出すぎた親の元で成長したとか、あえてそのめんを押し殺しているとか。また戦士の部分が完全に眠りこけたままの両親の元に育ったために、自らその戦士の部分の目を覚まさせるきっかけを見つけることも出来ないまま今日に至っているとか。

これまでにも書いたことがあるけれど、戦士というのは「兵隊」とは180度異なる。兵隊は上官に命令されるまま動く(命令がなければ動けない)が、戦士は男であれ女であれ、自らの意志で、自らの信ずるもののために自発的に行動する。彼あるいは彼女はどのような挑戦も障害も乗り越えて目的を貫く。戦士は彼もしくは彼女が信じていることのために耐える強さをもつ。信じるものを守るために正直に話し行動する。あまりにも弱くて自分では戦えないもののを守るために立ちあがる。内なる戦士がまだじゅうぶん開発されていないときから、たとえなにかを守らなければという熱い思いはいまだ感じられなくても、自分のなかのその部分にうすうす気がつきはじめ、戦士の自分を呼び覚ましたいと思いはじめるひともいる。ある特定の関係のなかで、または特別な状況下において、自分のなにかを守るために立ちあがらなくてはならないときがくるかもしれない。あるいは、夢を実現させようと思いたつとか。それを形あるものにするためには、自分には勇気とか、それを成し遂げるためのエネルギーといった戦士の持つ力が必要になるときがくるだろう。あるいは自分のなかに巣食っている恐れだとか不安だとか無力感に気がついて、内側で眠りこけている盟友としての戦士を奮い立たせることは、あなたが人生を変えるために必要としていたものである可能性もある。

ここまで読んでくれればうすうす気がつかれるかもしれないが、「内側で眠りこけている盟友としての戦士」とは、心理学的な用語などではなく、われわれが日本人化していく過程のなかで眠り込ませざるをえなかった内なる「ネイティブ・ジャパニーズ」の部分でもあると、ぼくは信じている。個人的にはどうあれ、日本人論的に言うならば、われわれは戦士である部分を、弥生的な生き方を受け入れて(国家の奴隷となった)ときから封印し、深いまどろみのなか、それを奮い立たせることなく数千年が過ぎようとしている。

内なる戦士、「インナー・ウォリアー」と心理学者が名づけたものをより大きく育てる最も優れた方法はなんだろうか? それはおそらく自分が望むような勇気、勇敢さ、強さ、生き方(死に方)を体現している役割のモデルを選ぶことである。戦士的な生き方があたりまえだったネイティブの伝統文化を守る共同体においては、そうしたモデルとなる人はそれこそいくらでもいた。そういう人たちがどのような存在だったのかは、その名前と共に長く語り継がれている。名前を聞けばその人がどういう戦士だったのか即座に理解できる偉大な戦士が夜空の星のごとくきらめいていた。国家の奴隷となってしまって長い年月を経た国においては、戦士として名を残している人は限られてしまう。では今を生きるぼくたちが内なる戦士を育てるためにどうすればよいのか?

まずは自分からそのモデルとなる人間を見つけなくてはならない。あなたが称賛する生き方をしている神話や伝説の登場人物、映画や本に描かれたキャラクター、自分がそういう生き方をしたいと願うような特定な「戦士」を選び出すこと。出来うるならば、その人と直接会えるのなら会いに行くか、会えない過去の人の場合は、その人に関するありとあらゆる情報、伝記を読み、言い伝えを調べ、その人に直接であったことのある人の話を聞きき気に入ったりして、とにかくさまざまなあなたにとって価値ある情報を丁寧に集めてそのなかに浸ること。

そのうえで毎日のように黙想してそのなかでその人物と出会い、自分がなぜその人に惹きつけられるのか、そのエネルギーの質を検証する。そのようにして自分の内側にそれと同じ可能性が息づいていることを確認していく。自分がそうしたエネルギーを扱えるだけの器であるかどうかを確かめつつ、自らの内側でくすぶっている勇気の炎をより大きく燃やし続けるようにしていく。これは、もちろんそう簡単なことではない。役割モデルとなる人物のすぐそばにいて、その人の一挙手一投足を目を皿のようにしてみることが出来れば、事情はだいぶ違うのだろうが。しかし、ぼくはそれでもこの方法は有効性を持っていると信じる。

ぼくがこの30年近くネイティブ・ピープルの言葉のなかに探してきているのも、そういうエネルギーを求めてのこと以外のなにものでもない。

今回、戦士の話をしめくくるために、ネイティブ・アメリカンのショウニー国の偉大なチーフだったテクムシェ(Tecumseh)の言葉を紹介しておく。テクムシェは「天駆けるパンサー」という意味で、彼の父親も一族では名をはせた戦士だった。この言葉は彼が1813年10月にアメリカ陸軍との戦闘で命を失う前年、甥のスペニカロウブに戦士としての心構えを伝えるために語った遺言のような言葉である。テクムシェは、その後アメリカの副大統領となった軍人によって射殺されたと言われている。戦闘の終わったあと、彼の遺体は結局見つかることはなかった。図版は1812年の闘いのときのテクムシェの肖像画とされるもの。

なおこの言葉の翻訳は小生がおこなった。つまりこれはぼくのハートには彼の言葉がこのように聞こえたという意味である。ネイティブ・ピープルの言葉は、誰がそれを翻訳したのかによってそこにこめられるエネルギーの質が異なることをご理解いただければと思う。

死にたいする恐怖を、けして自分の心に入らせないようにして、生きるべし。それぞれの宗教のことで、誰とも問題を起こすべからず。おのおのの人間のものの見方を敬い、相手にも自分のものの見方を敬うように求めよ。生きることを愛し、おのれの人生を十全なものとなして、与えられるすべてを、ことごとく美しいものとなせ。出来うる限り長く生き、一族のために奉仕する道を探し求めよ。偉大な分水嶺を超えてゆくその日のために、高貴なる死の歌を用意しておけ。人けのないところで、誰かと出会ったり、すれ違うようなことがあれば、それが友だちであれ、また見ず知らずの他人であれ、常に一声かけるか、声を出さないまでも、仕草で相手に敬意をあらわすべし。すべての人に敬意を態度で示せ。だが誰に対しても卑屈な態度をとるべからず。朝目を覚まして起き上がったときには、食べるものと生きることの喜びに感謝を捧げよ。もし感謝を捧げる理由がおのれのなかに見つけられないときには、その誤ちはひたすらになんじがうちにあることをわきまえよ。誰にたいしても、なににたいしても、虐待をしたり、迷惑をかけたり、おぼれたり、価値を卑しめたりしてはならない。そうした行為は、賢者を愚者にし、ヴィジョンからスビリットを奪いさる。そしていざ、自分に死ぬときがきたら、死ぬことの恐怖に胸を詰まらせ、涙ながらにもう一度、これまでとは違うようにあと少しだけ生き長らえさせてくださいなどと祈ったりするようであってはならない。おまえは自らの死の歌をうたい、英雄が故郷に帰るがごとく、死地に赴け。

ショウニー国チーフ テクムシェの教え

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Monday, November 19, 2007

あなたを小さくするもの

利己的になればなるほど
あなたの世界は狭くなる

利己的であることで
人は自分を小さくする


エドナ・ゴードン、セネカ国のグランマ
ホーデノショーニ、シックス・ネーション、ホーク・クラン

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Tuesday, October 30, 2007

朝早く起きていますか?

ひとりひとりの魂は、それぞれがたったひとりきりで、朝の太陽と、生まれかわった大地と、偉大なる沈黙と、出会わなくてはならない。

オヒエサ(チャールズ・A・イーストマン)、サンテ・スー

日々の暮らしのなかでわれわれがするべき最も大切なことは、朝に祈ることであると、エルダーたちはみな言っていた。朝には、偉大な力が満ちあふれた特別な時間があるのだからと。それは太陽が地平線から顔を出すその瞬間であると、わたしは確信している。太陽が昇ってくる時間には、地球の上で生きるものみなことごとくが目を覚ます。動物たち、植物たち、鳥たち、そして人間たち、そうしたものはみなのぼりくる太陽の光のなかで祝福を受ける。それこそが1日をはじめる準備を整えるための大変に特別な時間である。この特別な時間のなか、わたしたちは世界を創られた存在に今日という日を祝福してくれるように願う。わたしいたちを導き、守り、日々の障害を乗りきる勇気を与えてくださいと祈る。これを日々とどこおりなくおこなうことで、偉大なる存在がいつも自分と共にあることを、われわれは得心することができる。

先日鎌倉の極楽寺でイベントの会場を提供してくださったイースタン・インディアンのアナン氏は、そのイベントを報告する記事にも記したが、毎朝日の出の2時間前に起きて朝日を迎える準備をするとおっしゃっていた。朝早く起きることは地球に生きる人たちにとっては大切この上ないことであることを忘れないようにしたいものである。ちなみに今日の日の出は、わたしの暮らしているところではほぼ午前6時でした。

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Monday, October 22, 2007

人間はみな太陽の子どもたち

sun日の時の輪講座 2007秋 座学——ホクレア 弓の島へ★スピリットの帰還は、穏やかな天気のなか美しい夕日と共につつがなく終了しました。天気を晴らしていただいたことを心より感謝します。ご参集いただいた40名を超えるみなさん、鎌倉極楽寺の広い家と庭を提供してくださったアナンさんご一家、ホクレアについての深い知識を共有していただいた内田正洋氏、ハカを披露し場の空気を整え盛り上げていただくなどした友人たち、会場を作りあげていただいたスタッフのみんなには感謝の言葉もありません。

「カヌーを作ると魂が目覚めます。そして、その魂は故郷を知らなければなりません。カヌーは自分のふるさとを知る必要があるんです。もし、私が鎌倉から旅立ったら、鎌倉だけがカヌーのことを知り、カヌーも鎌倉しか知らずに出発することになります。つまり、カヌーは自分の島を知らぬまま旅をすることになるんです。ですから、カヌーが日本中を廻って触れ合うことが大切なんです。そうすることによって、カヌーに『日本』という島の魂が宿るからなんです。旅はそれからです。このプロジェクトを通して、もしカヌーで沖縄や福岡、北海道を訪れたとき、『僕達もカヌーを作りたい!』と言われたら、私は大喜びで手伝うでしょう。私の望みは日本中を廻ることによって、『カマクラ』と名付けられたこのカヌーが日本のカヌーとしてみんなに認知されることなんです。例えば、ホクレアがハワイのカヌーであるようにね。ここで、みなさんと『カマクラ』という名前の意味を分かち合いたいと思います。ハワイでは『カマ』とは、『子供』。『ク』は『立ち上がる』とか『昇る』。『ラ』は『太陽』という意味があります。つまり、『カマクラ』はハワイでは『CHILD OF A RISING SUN』という意味があるんです。ですから、このプロジェクトには色々な意味があるんです」

タイガー・エスペリ(Tiger Espere)、サーファーでカヌー・ビルダー 1999年

千葉のFMラジオ局Bay FMで毎週日曜日の夜に放送中のネイチャー・プログラム「THE FLINTSTONE」の公式ホームページに掲載されているタイガー・エスペリさんのYEAR 2000 with 田久保雅己さん&内田正洋さんというインタヴューより。

内田正洋さんのホクレアがぼくたちに残していったあらたなそして「日本が過去の痛みから解放され、ひとつの過去を共有し、未来へと進むためのヴィジョン」としての航海カヌー「カマ・ク・ラ号」建造プロジェクトの話を受けて、ぼくは「太陽の子ども」についての話をした。この話をしようとしていたわけではなく、突然その場の空気がぼくにその話をさせたものである。その話を、今日も太陽の光が降り注ぐ良い天気なので、ここでもみんなと共有しておこう。

く日本人は「自分たちは太陽の子どもである」と言う。口に出さないまでも、どこかでそう考えていたりする。なに? 考えたこともないと。いやはや、それならまずそれが問題なのだな。だってそうだろ、なによりも「日本」という言葉が、それを表しているのだから。かつては「倭国」「倭人」と言っていた人たちが、日本列島を自分たちに属するものと認識した時から「太陽が昇る土地」「日の本」として国名をどこからか持ち出してきて、自らを「日本人」と称しはじめた。今では日本国の旗も白い布に赤で印刷された太陽である。

しかし、とここはひとつ大きな声で言いたい。太陽の子どもたちは、ひとり日本人のみに限ったことではない。世界中の少数民族とされる人たちのほとんどが自らを太陽の子どもたちと名乗っている。朝鮮半島の人たちも、台湾島の人たちも、中国大陸も、極東シベリアも、カムチャッカ、アラスカ、北米大陸、南米大陸、ハワイ、ポリネシア、ミクロネシアも、インドも、アフリカも、ほとんどが自分たちを太陽の子どもであるという認識を心の深いところで持っている。

ぼくがそのこと、地球に生きる人間は太陽の子どもであるということ、に気がついたのはアメリカ・インディアンの人たちの文化的な背景を調べていく過程のなかでだった。ラコタの人たちも、赤い丸を太陽の象徴として絵に描いていた。なぜ太陽なのかというと、理由は簡単だ。太陽からは光と暖かさがもたらされるからである。この光と暖かさによってあらゆるいのちは育つからである。

はるかなる古代、まだ地球のどこにも国境線などと言うものが引かれていなかったころ、人びとはみな太陽を敬い畏れながら生きていた。そうした太古の記憶を心の奥深くにもつ現代人は、しかし現代生活によってその事実を忘れるように仕向けられてしまっている。

日本列島においては、自然をではなく人間を神として崇拝するようになって以来ゆっくりと、そして太陽が布に印刷されるようになって広まり始めた明治維新以降決定的に、人びとのあいだからゆっくりと太陽にたいする畏怖が失われていく。

山や、川や、森や、平原や、浜辺や、海を移動し、質素な家を設け、自然のサイクルにあわせて生きていた、真の意味での太陽の子どもたちであるネイティブ・ジャパニーズのなかにだって、つい最近まで太陽を敬い畏れる暮らしを自分たちのものとして、今の世代までその生き方を受け継いできた人びとの一族もある。

ぼくたちはもう一度父なる太陽の子どもとして、母なる地球で生きる方法を学びなおさなくてはならないときにきている。太陽の沈む西を目指したホクレアがわざわざ今はなきタイガー・エスペリのスピリットを顕彰するために、ミクロネシアを経由してはるばるカマクラの七里ヶ浜まで運んできたものは、ひとつのココナツの実と、光りと暖かさであった。ココナツが芽を出して大きく育つまでに、日本列島の眠れる魂に偉大なる目覚めが訪れ、癒しがもたらされんことを、西に沈んでいく太陽と東からのぼってくる太陽に祈るものである。

■ Kama-Ku-Ra カマ・ク・ラ号建造プロジェクト公式ウェブサイト

■ 日本列島を含む太平洋諸地域の航海カヌー文化とその復興運動に関する情報サイト

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Thursday, September 27, 2007

とてつもない重荷

核廃棄物は、われわれの子どもたちに、そしてその子どもたちに、さらにその子どもたちの子どもたち、そのまた子どもたちの子どもたちの子どもたちの子どもたちの、さらにそのまた子どもたちの子どもたちに課せられた、とてつもない重荷である。

ルフィナ・M・ロウズ
メスカレロ・アパッチの活動家の言葉
ルフィナは自分たちの居留地に持ちあがった
核廃棄物処理施設に人間として反対する
HAND「Humans Against Nuclear Waste Dumps」
というグループのディレクター

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Monday, September 10, 2007

命乞いをする地球

John Hollow Hornいずれいつの日にか地球は泣くことだろう。彼女は命乞いをする。それも血の涙を流しながら、どうか助けてほしいと言うだろう。彼女のいのちを救うか、それともそのまま死なせるか、あなたたちはどちらでも選ぶことができるが、彼女が死ぬときにはあなたがたも死ぬのだ。

——ジョン・ホロー・ホーン(中空の角・写真)、オグララ・ラコタ、1932

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Wednesday, July 18, 2007

インディアンの文化に自分を重ね合わせる

Cover of The Rolling Stone 40th Anniversary Issueサンフランシスコで暮らす友人がわざわざ贈ってくれたローリング・ストーンの40周年記念特別号(Rolling Stone -- THE FORTIETH ANNIVERSARY, Issue 1025/1026 May 3-17, 2007)所収のニール・ヤングのインタヴュー[Neil Young Interview by David Fricke]から「インディアン文化」に関する一節だけを抽出して翻訳してみた。このインタヴューにはほかにも興味深いものがたくさんあるので、ニール・ヤングのファンの人は読む価値がある。それにしてもローリング・ストーンは今年で40周年を迎えたのか。40年近く前に、この雑誌にあこがれて雑誌の世界に飛び込んだものとしては、感慨深いものがあるなあ。結局日本のロックマガジンはただの音楽雑誌になるか、わけのわからない中途半端な文化雑誌となって漂流を続けたまま今日に至っている。

Neil Youngあなたの音楽やアートワークにはネイティブ・アメリカンの世界を扱ったものがたくさんあります。どうしてそれほどまでに彼らの文化に自分の姿を重ね合わせることができるのでしょうか?

シンプルなところと自然なところが好きなんだよ。インディアンたちは基本的にはキリスト教徒じゃないところがいい。あの人たちは自然を信じている。神が創ったものであるにせよ、自然そのものが自然を創ったにせよね。自然はぼくにとっては教会なんだ。そこが深い森であれ、どこまでも続く緑の平原であれ、海の水の中であれ。そこには牧師さんなんて必要ない。長いことぼくはこれまで月のサイクルってやつと自分を重ね合わせてみてきた。インディアンの人たちがしてきたようにね。たとえば「自分はここに来ていくつの月を見てきたのだろうか?」とか考える。

大切なのは月のサイクルなんだ。レコーディングに入っていたりするだろ、そういうときにはぼくは月を待つことにしている。そして歌が生まれたときには、カレンダーを見て確認する。「オッケー、オッケー。いいときだ。これはきっとよくなるぞ」とか言ってね。あと3日から4日ほどで満月になるってころの月のサイクルには、いつだってなにかがあるだろ。エネルギーみたいなものがね。月のエネルギーが衰えはじめたら、とたんに焦点が定まらなくなる。そういうときにはぼくは、やっていることを一時休止したりするんだ。一昨日のあのヴァイブはどこいっちまったんだなんて悩む必要もない。そういうときは「チクショー」とか言って、別のことをするだけさ。

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Saturday, June 16, 2007

今日はジェロニモの誕生日なんだよ

Geronimo

Geronimo
わたしは、風が自由に吹き渡り、太陽の光を遮るものなどなにひとつない草原で生まれた。囲いなどというものは、どこにも存在しなかった。
ジェロニモ

1829年6月16日に現在はアリゾナ州になっている、コロラド川支流のチリカウア・アパッチ一族ベドンコヘ・バンドの土地で生まれた。おそらく最も有名なネイティブ・アメリカンの一人。にもかかわらず本名は意外に知られていない。彼の本名は「ゴヤスレイ(Goyathlay)」といい、アパッチの言葉で「あくびをするもの」だという。偉大なチーフであると同時にメディスンマンでもあり、その不思議な力は語り伝えられている。未来を予見する能力があり、足跡を残さずに歩き、身を守るために日の出を遅らせたとされる。37人の戦士たちを従えて、アメリカ軍を相手のレジスタンスを25年以上続けた。自由なアパッチの最後の一人。アメリカ政府の役人は彼を「最悪のインディアン」と呼んだ。投降して捕虜になって以後一度も故郷に帰ることは許されずに、オクラホマ州のアパッチの捕虜収容施設で1909年2月17日に永眠した。

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Tuesday, May 15, 2007

自然という大学で人はなにを学ぶか

ありがたいことにグレイトスピリットは、あなたやわたしに、森や、川や、山や、われわれもそのなかにふくまれている動物たちといった自然の大学で、学ぶ機会を与えてくださっている。
タタンガ・マニ(ウォーキング・バッファロー)
1871ー1967
ストーニー・インディアンの長老の言葉

豊かに生きるにはどのように生きればよいかを考え続けた二宮金治郎(尊徳)という江戸時代後期の農政学者は、儒教と仏教と神道と農耕の実践から学んで「おともなく香もなくつねに天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ」という歌を残してる。ここでいう「天地」という概念は、明治時代になって「自然」と呼ばれることになるもので、彼は自然を「書かざる経典(文字にならない教え)」に例えたわけだ。尊徳が没してから15年後にストーニー一族に生まれたタタンガ・マニ爺さまは、われわれがバランスとか調和とか自然の法を学ぶためには「自然は最高の大学だ」といっている。

しかしその大学が大学として機能するためには、その生きた大学のなかで過ごす時間をわれわれはもたなくてはならない。二宮金次郎尊徳翁は、江戸時代の農耕の実践のなかから、天と地のあいだに書かれている目には見えない経典から、学ぶべきことを学ばれた。近代化以前の自然に近い農耕生活には学ぶべき実例がたくさんあっただろう。それは自然とともに生きるための知恵の実践そのものだったと言っていい。便利なものがまだほとんどなかった時代には、自然は人が学ぶことに力を貸してくれたし、同様に癒しを必要な人に癒しを与えてくれもした。薬を授けてくれるし、知識も、知恵も与えてくれた。ネイティブのエルダーたちが例外なくみな賢くある理由は、彼らが正しい教育を「自然という大学」できちんと受けるシステムをもっていたからに他ならない。

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Sunday, May 13, 2007

石の人の話すことに耳を傾けてごらん

このまわりにある石のひとつひとつ、そのすべてが独自の言葉を持っている。大地にだって、大地の歌があるのだ。
ウォーレス・ブラック・エルク ラコタ

木の一本一本、植物という植物、虫という虫、そうしたものがことごとく話をするということを信じるためには、頭が開いていなくてはならない。頭を開くには、ひとりで自然の中に入り、静かに座ってみる。しばらくして落ち着いてきたら、あたりに転がっている石のどれかをひとつ手にとって、自分の考えていることに耳を傾けてみる。しばらくしたら、その石をもとのところに戻して、別の石を拾いあげてみよう。すると、自分の考えていることも変化することに気がつく。そうやって変化していく自分のなかの声、その声はネイティブの人たちに言わせれば「石の人(ストーン・ピープル)」の声である。声の主には知恵が備わっている。石の人はどれもみなことごとく異なる知恵を持つ。「石のひとつひとつが独自の声を持っている」とウォーレス・ブラック・エルクが言っているのは、そのことである。石の人たちはそれぞれに異なる知恵をわれわれに分けてくださる。石の人のほとんどがみなとてつもない老人であり、賢さもただならないことを、地球とつながって生きる人たちは例外なくよく知っている。

next Native Heart: 「パワー・オブ・ストーン」自著紹介

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Thursday, April 19, 2007

平和(PEACE)

Peace

最初の平和、平和のなかで最も重要な平和は、宇宙と宇宙に備わるすべての力と自己がつながりがあり、それと一体化していることに気がついたとき、そしてその宇宙の中心には、すなわちわれわれひとりひとりすべての内側にある宇宙の中心には、ワカン・タンカが、偉大なる精霊が、お住まいになられていることに気がついたときに、人々の魂の内側におとずれるものである。

この平和こそがほんものの平和であり、その他の平和はみなこの平和の投影に過ぎない。第二の平和は、ふたりの人間の個と個のあいだに形成されるもので、第三の平和は、ふたつの国と国の間で形作られるものだが、しかしなによりもあなたがたは、ひとびとがほんとうの平和を、われわれの魂のなかにあるとわたしが幾度も申しているその平和を知ることなくして、国と国のあいだに平和はけして訪れることがないことを、まずは理解すべきである。

ブラック・エルク オグララ・ラコタ 精神的指導者(1863 - 1950)

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Friday, March 23, 2007

あなたもトーキョー・ドリームを求めるひとりですか?

ネイティブ・アメリカンの指導者であり、活動家であり、教育者のデニス・バンクスが、齢70歳にしてこのたび3月22日付のアメリカの経済専門誌「フォーブス(Forbes)」でアメリカン・ドリームについてのインタヴューを受け、そのなかでつぎのように語っている。

「アメリカン・ドリームというのはとにかくとらえどころがない。これまでわたしは旅をしてきた。日本にも行ってきた。あそこでも人々はアメリカン・ドリームを追いかけている。あそこの人たちはそれを「トーキョー・ドリーム」と呼んでいるが、指し示しているものは同じものだ。欲しいものは大きな車と、その車が二台は入るガレージ。だが、多くのリザベーションでは、そんなものがドリームになることは絶対にない。われわれは、自分たち独自のドリームを持たなくてはならないのだ。ホワイト・アメリカン・ドリームのなかで成功の梯子をのぼることについて心配などする必要はない。もし、そんなものを求めたなら、単なる個人的な人種差別によってではなく、その向こう側の圧倒的な富の力によって、われわれは不当に扱われ、打ちのめされるだろう、われわれがどこまでもそのドリームを探し求めはじめ、自分たちの子どもたちにそれを追いかけるように話したりすれば。われわれが追いかけるべき夢は、われわれの祖先たちの、われわれが遺産として受け継いだ文化的な夢でなくてはならない。」

arrow2 Dennis Banks On The American Dream - Forbes.com

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Wednesday, March 21, 2007

人間はなにものか?

はるか昔、木々はこう考えていた。
自分たちは人であると。

はるか昔、山々はこう考えていた。
自分たちは人であると。

はるか昔、獣たちはこう考えていた。
自分たちは人であると。

いつの日にか、あの人たちはこう言うだろう。
はるか昔、人間は自分たちは人であると考えていたと。


ジョニー・モーゼス(マスター・ストーリーテラー/ノースウエストコースト
/ヌートカ、サニッチ、スノーミッシュ、ドゥアミッシュ、チェハムスの
血を受け継ぐ伝統的ヒーラー)の言葉

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Saturday, March 17, 2007

教育あるものの最大の責務

どの社会も教育を受けた人々を必要としているが、教育を受けた人間の最大の責務は、その共同体に知恵を持ち帰り、他の人たちの暮らしを意味あるものにするために役立てることにある。
ヴァイン・デロリアJr 20世紀後半のネイティブ・アメリカンの
精神復興と権利回復に多大な貢献をした作家・学者

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Friday, March 09, 2007

カラダの浄化とアタマの浄化

はじめは浄化だ。それが最初のステップになる。そしてここでいう浄化とは肉体的な浄化だけでなく、頭の浄化も意味する。頭のなかを浄化することなくして、肉体の浄化などできるわけもない。物事はそういうふうになっているのだ。
ローリング・サンダー チェロキー

悪い考えが、毒のような思考が、もしも頭のなかにあるとしたら、当然のことながらそれは体にもあらわれる。どんなあらわれ方をするかはケースバイケース。頭痛、痛み、胃がきりきりするなど症状はさまざまだろう。われわれの体というのはそうやって連動するようにできている。だからわれわれが成長する段階になったり、ネイティブ・ピープルの道を歩きはじめたりするときには、まず自分の頭のなかの浄化、さまざまな思考ひとつひとつの洗濯からはじめるべきではないか。そのようにして自分たちの体にたいして敬意を表すところからスタートするしかない。祈りと瞑想によって頭のなかを浄化するところから手をつける。それから体の方の浄化に取りかかる。必要なだけの量の睡眠を与えてやり、食事を良いものにあらためてやる。毎日自分はよい考えを頭のなかに持っているかを観察するようにしておきたいものである。

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Wednesday, February 21, 2007

フイチョールの聖なる人は知っている


The Huichol Wise man knows why



地球は病んで死につつある。
フイチョール・インディアンの大地
北西メキシコの人里離れたシエラマドレ山脈
その高地に隠されれている大地が今死につつある。
森は痩せ、水は細り、動物たちが姿を消している。

人類は、地球を世話するものであらねばならない。
そこで暮らすあらゆるものたちのためのヘルパーだ。
すべてのものたちと心をひとつにする必要がある。
人間は、学ばなくてはならない。
あらゆる生き物たちと涙をわけあうことを。
傷ついた動物たちや押しつぶされた草の葉の痛みを
自らのハートで知ることを。
母なる地球はわれらの肉であり、岩は骨である。
川はわれらの血管を流れる血液である。
われわれはみなすべて神の子どもたちなのだ。
伝統は、それを学ぶことを望むすべての人に開かれている。

フイチョール一族の賢者であり、グランド・シャーマンの言葉

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Sunday, February 18, 2007

メディスンマンのつとめ

メディスンマンは山にはいるか、力の集まる場所におもむくかして、自らの一族のものたちのために祈りをあげなくてはならない。それは彼のつとめだ。わたしは力とつながり、山から聖なる踊りのところにまで一気にその力を引き下ろす。それはまるで光りの線か、電気のようでもある。そのために癒しの力は高められるし、ダンサーたちに力ももたらされる。わたしは、はるか昔のはじまりの時にわれらの御先祖さまがそうしたように、山のスピリットが儀式の場にわれわれと共にご光臨たまわるようにお願いする。
チャーリー・トム カルク族 メディスンマン

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Saturday, February 17, 2007

太陽が昇るかぎり、もう永遠に戦わない

Chief Joseph
わたしは戦うことに疲れた。わが一族のチーフたちはみな殺された。ルッキング・グラスも死んだ。フー・フー・シュートも死んだ。年寄りたちはみな死んでしまった。今なにかをきめているのは若い連中だ。その若者たちを導いていたものは死んでしまった。今の季節は寒く、われわれには毛布もない。幼子たちはみな凍え死んでいく。わが一族の者のなかには、毛布もなく、食べるものも一切ないまま、山々のなかに逃げ込んだものたちもいる。今彼らがどこにいるのか誰にもわからない。おそらくみな凍え死んだのだろう。わたしは自分の子どもたちを探す時間がほしい。なるべくたくさんの子どもたちを助けたい。死者のなかに混ざってまだ生きている子供たちがいるかもしれない。どうかわたしの言うことを聞いてほしい。わたしは疲れ果てた。わたしのハートは病んで哀しい。今後、太陽が昇るかぎり、わたしは永遠に戦うことはないだろう。

「ロフテイアー山の高いところを旅して渡る雷(Thunder Traveling to the Loftier Mountain Heights)」という名前でネスパース族のものたちには知られていたチーフ・ジョセフ(写真)が、1877年10月5日にアメリカ陸軍に降伏した際、ハワード将軍にむかって伝えた言葉として記録されているものの一節。チーフ・ジョセフは一族の者を率いて白人移住者からオレゴン領の自分たちの土地を守るべく抵抗運動を続け、いったんは停戦に合意して居留地に入る寸前までいったものの、一族の人間がまとまって入植者に殺されたことで再び戦の道を進み、一族の者たちとともにオレゴン、ワシントン、アイダホ、モンタナ、そして国境を越えてカナダまで自由の地を求めて逃げたのだが、結局最後はアメリカ軍に拘束された。

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Friday, February 16, 2007

穏やかさは学んで身につけるもの

人間として学んで身につける必要がある大切な特性のひとつが「おだやかさ」である。おだやかであるということは、すなわち「心が静まっている」ということだ。朝な夕なに瞑想や祈りにすっと入っていけるように。
ラリー・P・エイキン、チペア イタスカ・コミュニティ・カレッジ教授

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