Monday, March 27, 2006

われわれはみな



nativemessage


われわれはみな

詩文 北山耕平 (転載を禁ず)

人間は 特別な存在 なのだろうか?
地球のうえにあ る動物、植物、鉱物、
そのすべてを 作られた存在は
人間と草を 優劣をつけて
人間と木を 優劣をつけて
人間と蛇を 優劣をつけて
人間と鳥を 優劣をつけて
人間と熊を 優劣をつけて
人間と石を 優劣をつけて
はたして ご覧になるのだろうか?

人間は 時として 自分が 宇宙の中心だ と考える。
わたしたちは 時として 自分のなかに あるものが
動物や植物や鉱物の なかの人たち よりも
優れていたり 上位にある と考える。
しかし 偉大なる精霊が あらかじめ 設定された法
あるいは掟、原理や原則では あらゆるものが
等しく 生きて 存在することを 認めている。
あらゆる存在が 等しく 同じ法のもとで 生きている。

わたしたちの からだを 構成している 原子と
一本の木を かたちづくっている 原子は 同じもの。
その原子の 中心にある「生きる力」は
どちらも 偉大なる神秘によって 与えられたもの。
この力は すべてに 等しく 与えられている。
この世界を 創られた存在から 見れば
われわれは みなことごとく すべて 等しい。

Beadline.jpg
冒頭の図版はチーフ・シッティング・ブルをあしらったポスター。メッセージは「地球はわれわれの所有物ではない。われわれが地球の所有物なのである」「大地はわれわれのものではない。われわれが大地のものなのである」といった意味のことが書かれてある。

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Saturday, March 25, 2006

スピリチュアル



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スピリチュアル

詩文 北山耕平 (転載を禁ず)


スピリチュアルという言葉が一人歩きしている。
ある人たちにはそれは金儲けの手段だったりする。
またある人たちにはそれは支配の道具だったりする。
いまだかつてスピリチュアルという言葉が
これほどまでに軽く扱われる時代があったろうか?

スピリチュアルというのは言葉で説明できるものではない。
スピリチュアルがなにかを完全に理解するには
スピリチュアルなものとひとつにならなければならないから。

わたしたちがなにかを知るということは
その対象とひとつになることを意味する。

花の匂いを知るためには
その花の匂いをかがなくてはならない。
実際にその花の匂いをかぐまでは
われわれはその花の匂いを知ったことにはならない。
だから花のそばに鼻を近づけて
目を閉じてその香りを体験してみる。

世界にはふたつあるとエルダーたちがいう。
目に見える世界と目に見えない世界だ。
目に見える世界を体験するのなら
実際にその鼻を手に取りあげて自分の鼻に近づけてみればよい。
目に見えない世界を体験するためには、ではどうするか?

「目に見えない世界を知るためには」とエルダーがいった。
「おまえはまず宇宙の原理、原則、価値を知らねばならない」
「自分の感覚や頭がたとえなにをおまえさんに告げてきていても
われわれはその原理原則に基づいて決断し行動しなくてはならない」

「もし誰かがわれわれにたいして
よくないことをしかけてきたとしよう。
われわれはその人間のために、あるいは
その人間が実りある豊かな人生を送れるように
みなで祈らなければならない。
なんらかのかたちで報復に出たり
あるいは仕返しを計ったりするのは
絶対にしてはならないことである」

そしてエルダーはこの話をこうしめくくった。
「もしわれわれがスピリチュアルなことを理解できるとしたら
道はそれしかない」

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Friday, March 24, 2006

セレモニー

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セレモニー

詩文 北山耕平 (転載を禁ず)


その老人はこのように語った。
もしも奇跡が起こるとしたら
欠かせないものがふたつある。
ひとつが、正しい時であり
もうひとつが、正しい場所であると。

そして老人は続けた。
だからこそ、われわれは
儀式を大事にするのだと。

なんであれ儀式は、すべて
一定の決まりに従っておこなわれる。
このあらかじめ定められた手順により
正しい時と正しい場所への扉が開かれる。
スピリチュアルな世界への扉は
そのときに開くのだ。

われわれは
正しい時と正しい場所で
スピリチュアルな世界に
入ることができる。

われわれは
正しい時と正しい場所で
スピリチュアルな世界に
入ることができる。

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Thursday, March 23, 2006

川の上の生活

canoe

地球という惑星に生まれ落ちてしまった人間は、誰もが自分の旅をしなくてはならない。このことをしばしばカヌーにたとえて話しをするネイティブの人たちと多く出会ってきた。つまり、わたしたちはひとりひとりすべての人間に、人生という川を下るためのカヌーが一艘ずつ与えられているのであると、その人たちはいうのだ。そのカヌーは一人乗りで、カヌーをこぐパドルも一本しかついていない。そして人生からなにかを得ようと思ったら、われわれはそのカヌーに乗り込んで、川を下るためにパドルで水を漕ぎはじめなくてはならないと。

自分の旅がどのようなものであったかを旅の途中でみんなと分けあうことはできる。今はおだやかな流れの川の旅がどんなに冒険にみちたものであったかをおもしろおかしく語ることもできる。どこにどんな障害物が待ちかまえているか、とか、天気と川の流れの関係などの話も、聞けばそれなりに役に立つだろう。だがひとつだけはっきりしているのは、わたしはあなたのカヌーを漕ぐことはできないということである。人は自分のカヌーは自分で漕がなくてはならない。

よい旅を!

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Wednesday, March 22, 2006

お客様は神さまではないとする研究

attachmentドイツの大学の研究者が、楽しくもないのに楽しく振る舞うことをながば強制的に求められると、人間は病気にかかりやすくなると警告を発しているとシドニー・モーニング・ヘラルド紙(Wednesday March 22, 2006)が報じている。こうした危険性のある職業としてあげられているのが、フライトアテンダント、セールスを担当する人、コールセンターのオペレーター、ウェイターやウェイトレスなど、見ず知らずの人たちと一定の時間接触することが仕事の人たちだ。フランクフルト大学の心理学者によると、友だちでもない人間に友だちであるかのような顔を向けていると、ストレスが高まり、免疫系システムの働きを低下させ、へたをするとより重要な病気にかかる可能性が高くなるそうだ。

自分の意思に反して、友だちでもない相手に友だちのような振る舞いをすることは、ストレスのもとであるらしい。そういう職業の人は、意識的に感情にたまったストレスを解放してやるための時間と場所が必要になるだろう。「お客様は神さまです」としばしばいわれるが、実体はとんだ「疫病神」なのかもしれませんねえ。くれぐれも、気をつけたいものではありませんか。

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Saturday, March 11, 2006

シンプルライフ

feather暮らしをもっとシンプルにする生き方を選択するということは、いきなり生活を切りつめたりすることを意味しない。シンプルライフへの第一歩は、自分がなにを目指しているのか、なにを大切に考えているかを見なおして、向かう方向を修正することである。

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Thursday, March 09, 2006

デジタル・ネイティブのための教え

ohanashimark1


    Google が発見した 10 の事実

  1. ユーザーに焦点を絞れば、「結果」は自然に付いてくる。
  2. 1つのことを極めて本当にうまくやるのが一番。
  3. 遅いより速い方がいい。
  4. ウェブでも民主主義は機能する。
  5. 情報を探したくなるのは机に座っているときだけではない。
  6. 悪事を働かなくても金儲けはできる。
  7. 世の中の情報量は絶えず増え続けている。
  8. 情報のニーズはすべての国境を越える。
  9. スーツがなくても真剣に仕事はできる。
    ohanashimark2
  10. すばらしい、では足りない。



日ここに掲載しようと思ったのだけれど、ここでよいのか考え込んでしまったために、結局今日になったのがご覧に入れている「Google が発見した 10 の事実」というもの。Google というのは、そうです、あのグーグルです。ネイティブの世界とまったく関係がないのかもしれないけれど、ぼくらはある意味で地球のデジタル・ネイティブの最初の世代にあたるわけで、これから生きていくうえでこの10の事実は重要なことを指し示しているかもしれないと思えてならず、あえて「自然のレッスン」のカテゴリーにいれさせてもらいました。

それぞれの項目の詳しい解説は Google の会社情報のページに詳しく出ている。検索サイトでよくお世話になっているなら、読んでおいて損はしません。

arrow2 http://www.google.co.jp/intl/ja/corporate/tenthings.html

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Tuesday, March 07, 2006

子どもの道



salishboys
Salish Childhood.
Edward S. Curtis. Copyright 1910.
Prints and Photographs Division, Library of Congress.



こどもの道

詩文 北山耕平 (転載を禁ず)


こころになんのおそれも抱かず
あたまはつねにはっきりしていて
大いなる好奇心と共に一日を送り
砂で城をつくるようなむずかしいことに挑み
木々のなかのリスたちのようにおいかけまわり
友だちと共に 歌い 笑い そして歩く

友だちが自分と違っても気にせず
肌の色も 宗教も 性別も
着るものも 背の高さも 話し方も
そのようなことはまるで気にならない
なぜならもともと人は そうした偏見など
なにひとつ持たずに生まれてきたのだから

子どもたちは友だちと一緒にいるのが好き
彼らは友だちの瞳のなかに自分の姿を見る

なにひとつ見返りを求めず
持っているものをわけあい
遊びのなかでけがをしても
しかえしなどは考えもせず
うらみをつのらせることもない

両親に抱きしめられれば
問題は一瞬のうちに解決し
つぎの瞬間にはきれいに忘れて
友だちが傷つけば共に泣く

なにかひどいことが起こりやしないかと
不安な気持ちで目を覚ますこともなく
子どもたちは日々 素直なハートのまま
今日はどんな素晴らしいことができるかと
毎朝一日への期待とともに目を開く

子どものスピリットに入り込む悪事はすべて
周囲の大人たちがそこに入れたもの
ハートははじめから荒れているわけではない

子どもたちはいつも愛だけを求め
いかなるときにも惜しみなく愛を与える

子どもの道には愛があるだけ

大人たちが子どもの道を歩きはじめれば
世界はきっと素晴らしくなる

Beadline.jpg
巻頭の写真はエドワード・カーティスが1910年に公開したもので「サリッシュの子ども時代」とタイトルがつけられています。サリッシュは現在はカナダのブリティッシュコロンビアと合衆国のモンタナに居留地がありますが、合衆国側ではかつて近隣の部族から呼ばれていた名前の「フラットヘッド」として知られてれています。もともとは川と海の人たちでしたが、馬の到来とともに狩猟のライフスタイルを導入しました。詩文はこの、まるでオーラに包まれているように見えるサリッシュの少年の写真にインスパイアされたものです。

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Sunday, March 05, 2006

より良く、そして長く生きるための心得

tao70年代のアメリカは、文字通り「スピリチュアル・スーパーマーケット」の様相を呈していた。そこには地球上のありとあらゆるスピリチュアルなものが集められていたというイメージが——なんの因果かその現場に立ちあってしまった——ぼくのなかにはある。東洋(ヒンズー、ブディズム、ゼン、ヨーガ、マクロバイオティック、タオ、マーシャルアート)も西洋(古代ギリシャ、ケルト、キリスト教原理主義、ボーンアゲイン・クリスチャン、サイエントロジー、グルジャエフ、トールキンなど)も中近東(イスラム神秘主義、ピラミッドなど)も太平洋(アボリジニ、ポリネシア、フナ、サーフィンなど)も、アフリカも、バハマ諸島も、南米インディオも、北極圏も、亀の島(ネイティブ・アメリカン)も、サイケデリックになんでもござれという感じだった。このときにはじまった「偉大なる覚醒」を求める大きな流れは、おそらく今も伏流水のようになって、アメリカの大地の地下を、そしてインターネツトの網の目のなかを流れているに違いない。

当時はローリング・サンダーのところにも世界からさまざまな人が訪れてきていた。そうしたなかで彼が興味を持ったのが「タオイスト」と言われる人たちだった。このタオイストは「道教徒」の英語訳で、「タオ(道、道なき道・名なき名)」を信仰する人たちの意味である。彼はタオイストの話していることはネイティブ・アメリカンの話していることとほとんど違うところがないと見ていた。タオイストの人たちと一緒にいることが非常に楽しそうだった。

アメリカ・インディアンの人たちの生き方をひとつの言葉で表現するときにしばしば「THE WAY」という英語が使われる。それは「仏の道」でもないし「神の道」でもなく、しいてあげるならばそれは「人の道」なのだが、しかしそれは儒教的な教えではなく、あくまでもただの「道」である。彼らは全生活を「道(過程)」と認識する。「一日24時間が宗教」というのはそういうことである。

タオイズムと呼ばれ、日本ではその源とされる老子と荘子の名前から、「老荘思想」とひとくくりにされている人の生き方が、その究極の目標にかかげてきたものは「不死」への到達だった。この「不死」にはもちろんさまざまな意味がある。永遠の生命、長生、不老、超人的な肉体と能力の開発などだ。

はるか遠い古代に日本という国家を作ったのは大陸渡来の道教徒だという説もあるぐらいで、古代中国の道教徒たちのなかには、東の海のなかにある神仙たちの暮らす蓬莱島とされた現在の九州島や四国島や本州島に「不老不死の仙薬」や「不老不死の秘密を知る神仙たち」を求めてやってきた人たちがたくさんいたようだ。過去には天皇のなかにも道教を信じた人がいた。今に残されている列島各地の伝説のなかで「仙人」とされている人たちは、そのすべてがタオイストのことである。

古来よりタオイストたちはさまざまな方法を用いて不老長生を達成しようとしてきた。ここでは「ReligionFacts」という世界各地の宗教や信仰体系のなかからそれぞれの宗教の根本的知識を抽出している興味深いサイトに見つけた「Taoist Beliefs」というページにまとめられていたタオイストが考えた6つの「より良く、そして長く生きるための心得」を紹介しておく。なにかのお役に立ててください。


yinyangより良く、そして長く生きるための6つの心得


* 食べるものをとおして、運動をとおして、心を満たすことをとおして、すべての意識をからだに集中させること。

* 呼吸(気)を整え、その力を意図的に巡らして、からだの隅々にまで運び届けること。

* 性エネルギーのもたらす力を、とくに射精を押さえ込むことで、全身に満たしてやること。

* 不老不死の薬を発見する目的の錬金術を開発すること。

* 道と調和し、徳にかなったふるまいをすること。

* 不老不死を実現させていて、その秘密を分けあってくれるかもしれない人たちが暮らす夢の島々(蓬莱島)を探索すること。

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Saturday, February 04, 2006

ネイティブ・ピープルにとって学ぶとはどんなことなのか?

伝統的な世界における知というのは、死んだ事実の寄せ集めなどではない。彼らにとって知は生き物なのである。当然それにはスピリットがあり、それに固有の場所に暮らしている。伝統的な知は、見ることや聞くことをとおしてもたらされるが、それもただ見ていたり聞いていたりすれば良しとする学校のようなやり方ではない。知は、歌や儀式を直接に体験し、狩猟や採集などの日常活動をとおして、植物や動物や鉱物から、あるときには夢のなかで、またあるときにはヴィジョンのなかでもたらされる。なにかを学んで知ると言うことは、知のスピリットたちと、植物や動物や鉱物と、生きている夢やヴィジョンと、そして人間のスピリットと網の目のようにつながる世界に、あなたがはいることを意味している。

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Tuesday, January 10, 2006

生物学的年齢を逆回転させる10のステップ

リバース・エイジング(若返り)の技術
  1. ものの見方を変える
  2. 深い休息と落ち着いた知覚と安らかな睡眠を堪能する
  3. 健康な食物をつうじて体をいたわる
  4. 栄養補助食品は賢く用いる
  5. 呼吸法、ヨガ、太極拳、気功、合気道などで、心と体の統合を高める
  6. 規則正しい運動 筋力運動と有酸素運動で体調を整える
  7. 暮らしから毒素を取り除く
  8. 柔軟性を培い、創造的意識を養う
  9. 互いを思いやる関係を維持し、他に向かう愛を育む
  10. 頭を若々しく保つ
ReverseAging若返ること、長く生きること リバース・エイジングの10のステップ』より
ディーパク・チョプラ(医学博士)、デイビッド・サイモン(医学博士)共著 ハーモニー・ブックス刊行 2001年 ニューヨーク 未訳
Grow Younger, Live Longer: Ten Steps to Reverse Aging.
By Deepak Chopra, M.D., and David Simon, M.D.. New York, Harmony Books, 2001. Index, references, p. 64. ISBN: 0609600796.

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Thursday, November 24, 2005

内なる平和の症状

「内なる平和」について書かれたおもしろいコピーを見つけたので書きとめておく。オーガニック・アップル・サイダーや各種のハーブ類などを扱うJ.CROW'S®というネットショップ(SpicedCider.com)のウェブサイトにあったものだ。タイトルは「内的平和の症状」というもの。つまり「内的な平和を得た人間にどんな症状が観察されるか」というもの。原文はそちらでお読み願うとして、ここでは翻訳を掲載しておく。

内なる平和の症状
  1. 過去の経験に基づく恐怖からというよりはむしろ、自分で考えて自発的にふるまう傾向

  2. その瞬間瞬間を楽しむ誰の目にも明らかな能力

  3. 他を裁くことに対する関心の喪失

  4. 己を裁くことに対する関心の喪失

  5. 争うことに対する関心の喪失

  6. 他の行為を解釈することに対する関心の喪失

  7. しばしば引き起こされるただならぬ感謝の発作

  8. しばしばハートの奥から襲ってくる微笑み

  9. 他によって拡大された愛の感受性の増加、および自らもそれを押し広げたいとする制御不能の衝動

  10. 物事の成り行きを、自ら巧妙に操るのではなく、自然にまかせる傾向の増加

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Sunday, November 06, 2005

想像してみよう (Revised)


想像してみよう。子供たちがけっしてぶたれたりしない国を。子供たちがけっして罵声を浴びせられたりしない国を。子供たちがけっして罰せられたりしない国を。

想像してみよう。子供たちと大人が分け隔てなく生きていける国を。大人に対するのと同じ尊敬が子供たちにもはらわれている国を。なにをするときにも両親が子供たちにとって一番良いことはなにかについて考えている国を。

想像してみよう。大人たちがなにかを決定するとき、今を生きている人たちのことだけでなく、未来のまだ生まれていない世代のことまで考えている国を。子供たちが喜びと愛情の源であり、子供たちが幸せに生きていけるためにあらゆる仕組みが機能している国を。

そんな夢のような国がかつてあった。ほんとうに存在したのだ。そのような国には、学校もなければ、孤児院もなく、矯正施設もなく、養老院も、デイケアセンターもなかった。警察もなければ、牢屋もなかった。それが亀の島にあったたくさんのインディアンの国々だった。

想像してみよう。


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Saturday, October 29, 2005

水道のうがいでじゅうぶんだった

風邪予防のために「うがい」を行う日本独特の衛生習慣が、実際に効果があることを京都大保健管理センターの川村孝教授(内科学・疫学)らのグループが実証し28日、発表したと毎日新聞が「うがい:風邪予防に効果 京都大グループが初めて実証(2005年10月29日/鶴谷真記者)」という記事で伝えています。なんでも、これまではうがいの有効性を裏付ける根拠は何もなかったらしくて、世界初の成果だとか。グループは全国で18〜65歳の計約380人のボランティアを、水うがい▽ヨード液うがい▽何もしない、の3群に分けて2カ月間追跡調査。うがいは15秒を2度行い、1日3回以上実施したそうです。その結果、水うがい群は何もしない群に比べて風邪の発症が4割も減ったと記事は言っています。また驚いたことは「ヨード液群にはグループの予想に反し、はっきりした予防効果がみられなかった」こと。一般的な感染予防にうがいが有効と指針を出してきた厚生労働省結核感染症課は「あくまでも通説に従っていた」とコメントしたとか。ヨード液を主成分とする国内シェアトップのうがい薬「イソジン」を製造販売する明治製菓(東京)は「のどを殺菌・消毒・洗浄する治療薬であり、風邪予防の効能はもともとPRしていない」と逃げ腰のようだ。うがいって、日本独自の習慣だったのですね。

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Friday, July 01, 2005

聖地についてのノート

sacredmountainネイティブの信念体系のまんなかに「聖なる土地」という概念が組み込まれている。つまりその場所が「聖なるところ」であるのは、彼らがそこを「聖なる土地」と信じているからというのではないのである。その土地そのものに、そしてその土地のなかにおのずと「神聖さ」がそなわっているのだ。だからわれわれが一人残らず死んでしまった後ですら、その土地は聖なる土地であり続ける。

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Thursday, June 23, 2005

天地創造に際して造化の神よりネイティブ・ピープルに与えられた聖なる申しつけ

SACRED INSTRUCTIONS GIVEN BY THE CREATOR TO NATIVE PEOPLE AT THE TIME OF CREATION

  1. 母なる地球と自分と異なる色をした人びとを大切にしなさい。
  2. この母なる地球と造化の神が創りだされしものを敬いなさい。
  3. すべてのいのちを讃えて、その讃えることの力となりなさい。
  4. すべてのいのちに感謝をしなさい。いのちは生き残りの鍵を握るもの。あらゆるいのちについて造化の神に感謝をしなさい。
  5. 愛して、その愛を表現しなさい。
  6. 謙虚であること。謙遜は智慧と理解の贈り物。
  7. 自分にも他人にも優しくありなさい。
  8. 感情と個人的な関心と関係を、分けあいなさい。
  9. 自分にも他人にも正直でありなさい。以上の神聖な申しつけに責任を持ち、他の国々の人びとと分けあいなさい。

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Sunday, June 19, 2005

わたしたちのスピリットがそこで出会いますように

mtfuji 明日は富士山に行く。夏至の日の朝をそこで過ごすために。太陽が夏の家に入る日、それが夏至である。これまでの六ヶ月間、偉大なる太陽は万物の生育に力を与え続けた。父なる太陽は地球を抱き、母なる地球は太陽に抱かれた。われわれはこの愛の行為の結果を、やがて見ることになるだろう。春にこの惑星に生まれた無数のいのち。大地はめまぐるしく色をかえ、たくさんの花が咲き乱れる。大地を覆いつくされた緑。この惑星のいたるところで、あらゆるいのちが特別な時を過ごす。宇宙に満ちている力を借りて、わたしも生まれかわった自分を確認しに特別な場所にいこう。太陽が夏の家に入られる日。太陽はその家でしばらく過ごされた後、ふたたび天の道を通って冬の家に向かう旅をはじめるのだ。太陽がつかの間の休息にはいるとき、喜びと、生きるエネルギーにあふれた、時を越えた友だちたちに会いに、明日は富士山に行く。わたしたちのスピリットが、そこで出会いますように。

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Friday, May 27, 2005

核戦争を避ける方法

昔読んで記憶に焼きついているメッセージに「核戦争を避ける方法」というものがある。ポール・ウイリアムズ(Paul Williams)というロックとSFの評論家で作家で詩人で「クロウダディ(Crawdaddy!)」というアメリカで最初のロック雑誌(1966年創刊)を17歳の時に自分で創った伝説の編集者が書いたもので、それはつぎのようなものだった。

核戦争を避ける方法

(1)それが起こりうることを認める。

(2)絶対にそれを起こさないと心にきめる。

(3)自分のヴィジョンとエネルギーのありったけを
   (1)のことを忘れるぐらい(2)にそそぎこむ。

なかなかでしょ? 余談だけれど、「クロウダディCRAWDADDY!」は21世紀にはいって「どこにいてもぼくらの生活のなかの音楽と音楽の力とをこころから讃える唯一の雑誌」として復刊している。『アウトローブルース』というロック評論の扉を開いた本、ムロケンこと室矢憲治氏の翻訳で日本語にもなった本を書いた畏友ポール・ウイリアムズが健在なことがうれしい。ムロケンの翻訳したこの本は、昔ぼくが雑誌をやろうというきっかけを作ってくれた本でもある。彼のホームページ「A VISION OF A WORLD THAT WORKS FOR EVERYONE (すべての人の役に立つ世界のヴィジョン)」はここにある。

arrow2 CRAWDADDY!

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Monday, March 28, 2005

チェロキーの祈り

おお、偉大なる精霊よ
いついかなるときにも穏やかに真実が話せますように
他者の話に心を開いて耳を傾けていられますように
静寂のなかで得られる平安を忘れることがないように
どうぞそのお力をお貸しください
チェロキーの祈り

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Tuesday, March 22, 2005

ネイティブ・ピープルによれば世界とは

部分と全体
単独で存在しているものなどない。あらゆるものは関係しあっている。この宇宙のなかにあるものは、すべてがただひとつのあるものの一部である。あらゆるものがそれ以外のすべてとどこかでつながりあっている。あるものを理解することは、そのものがそれ以外のものといかに連動しているかを理解することに他ならない。

サイクルとパターン
変化は周期的にあるパターンに基づいて起こる。不規則でもなければ、偶然でもない。だが、あるひとつの変化がその他のすべてとどのように関係しあっているかは、なかなか理解されるようなものではない。自分の立つ場所によって、変化そのものをどこまではっきりと見れるかに、自ずと限界があるからである。

集合と分裂
変化。天地創造の産物はことごとくが絶えざる変化のただ中にある。なにものもひとつとして同じ状態でとどまっていたりはしない。変わらないものがあるとすれば、そこには周期的に起きる変化があるということだけである。季節は移ろう。人は生まれ、生きて、死に、スピリットの世界にはいる。ことほどさように、あらゆるものが変化する。そして変化にはふたつの種類がある。いろいろなものがひとつにまとまっていく変化(集合)と、いろいろなものがバラバラになっていく変化(分裂)である。これらの二種類の変化は、いずれも必要があって起こるものであり、常に両者は連動している。

物質と精神
見えるものと見えざるものが存在する。物質の世界だけがリアルなのではなく、スピリチュアルの世界も同じようにリアルである。物質も精神も、ひとつの同じリアリティのふたつの顔にすぎない。精神世界の法則を破ることは当然物質世界にも影響を及ぼす。物質世界の法則を破ることは、精神世界に影響を与える。リアリティのこれらのふたつの次元を両方ともしかと受けとめることが、バランスのとれた生き方というものである。

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Monday, March 21, 2005

沈黙の音

ひとりでいることが出来なくなっていたり、ひとりになりたがらなくなっていたり、ひとりのときにはなにか音の出るものがそばにないといられなかったり、気がつくと必ずテレビのスイッチを入れていたり、音楽を聴いていたり、友達に電話をしていたり、ネットの世界にずっぽりと浸っていたりと、沈黙を満たすための音を機械類に常に頼るようになって、つまりひとりで黙ったままなにもしないで静けさにつかっていることが耐えられない精神状態なってきているのなら、それはあなたが個人的にスピリチュアルな成長を必要としていることをメッセージしています。

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Friday, March 18, 2005

瞑想のための場所

祈ったり、瞑想をしたりする場所をまったくもっていない人間、なぜ自分がつくられたのかについて深く自らの内側をのぞき込んだことのない人間、この人生において自分はなにをなすべきかを考えたことのない人間、宇宙のあらゆる存在にたいし導きを求めて耳をそばだてたことのない人間、こうした人間は、未だ飛ぶことを学んでいない鳥のようなものである。鳥として必要なものは全部そろってはいるのだが、それでも大切ななにかが欠けている。地球に生きる人として全体性を獲得するには、肉体、感情、知性、精神のそのすべてにおいて生きていることが求められる。

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Thursday, January 13, 2005

良い朝!

images-4族的な生活を送っている人たちと非部族的な暮らしをしている人たちとの違いの代表的なものは「祈り」の中身であるという話をわたしはよく例えとして話をする。つまり「今日よりも明日がよくなりますように」と祈るのは非部族的な人たちで、現代人の祈りは基本的にこれである。「明日はもっと素晴らしい」というわけ。ところが部族的な暮らしの中にいる人たちは原則的には「今日と同じ日が明日も続きますように」と祈る。「今日という日が素晴らしいので、この素晴らしい日が明日も明後日も続きますように」と。このふたつを比べただけで、心のあり方の違いは歴然としている。ネイティブの人たちの部族的な生活においては、「毎日がビューティフル」なんだな。「今生きてここに存在している」ことは、そのまま「宇宙にある万物を作られた存在からの贈り物」と認識されているわけ。生まれてからずっと周囲の自然環境と密接な関係を持ちつつ育ってくる彼ら(彼女ら)は、はじめから季節の移ろいやありとあらゆる天気の変化が、わたしたちのみならずこの惑星そのものの存続にとって絶対に欠かせないものだと言うことを知りぬいている。

「完璧さ」「裁くこと」「支配するという幻想」といった思考の上になりたっている現代的な(弥生文明的な)文化のなかに長くいると、人はいつしか「自然はコントロールできる」「いつかは他のものたちよりも優れた存在になれる」と思いこむようになっていく。結果としてわたしたちはいつのまにか「自分に与えられた命を作られたのは自分ではない」というきわめて重要な事実を忘れてしまうことになる。部族的な生活を送ってきた人たちにとって、「命は万物を作られた存在からの贈り物」なのだ。そしてわれわれは創造主からの贈り物としての人生を送る可能性も与えられている。

ここで代表的な平原インディアンであるラコタ(スー)の人たちの日々の祈りを聞いてみよう。

このすばらしき日に感謝をしようではないか。
この与えられた命に感謝をしようではないか。
おかげで生きていけるこの水に感謝をしようではないか。
われわれを守護し養ってくれている偉大なる母親の地球に
感謝をしようではないか。
あまりにも当たり前であるがためにかえってわたしたちの目にはよく見えなくなってしまっているものに向かって感謝の気持ちを伝えることから一日をはじめることで、自分もこの惑星も救えるのかもしれません。

グッド・モーニング!

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Tuesday, January 04, 2005

ネイティブ・アメリカンの10の戒め



  1. 大地はわれわれの母親。母親をいたわれ。

  2. おのれにつながるすべてのものを尊べ。

  3. 心と魂を偉大なる精霊に開け。

  4. 命はすべて聖なるもの。命あるものはすべて敬って扱え。

  5. 大地から収穫するときは、必要なものを必要なだけ。

  6. なにかをするのならすべてのものためになることを。

  7. 日々絶えざる感謝を偉大なる精霊に捧げよ。

  8. 真実を口にせよ。ただし、他のものにとって良きことのみを語れ。

  9. 自然のリズムに従え。太陽とともに起き、太陽とともに寝につけ。

  10. 人生という旅を楽しめ。だがなにひとつ跡は残すな。


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Saturday, December 11, 2004

太陽の子供たちへ

katsina_logo至が近づいています。今年は21日、火曜日の、夜の10時(日本標準時)。冬至というのは、おそらく一年で最も重要なときでないかなと、わたしは思っている。ほんとうは新しい一年がこの日にはじまるのではないかと思えるぐらいに大切な日。これまでじょじょに太陽の光が衰えてきており、やがて一年で最も昼が短い日がやってくる。裏を返せばそれは一年で最も夜の長い一日で、気候的にいえば、まさしくその日が本格的な冬のはじまる日となる。

アリゾナの高原沙漠に暮らすホピ・インディアンによれば、毎年12月の冬至の日に、太陽は休む間もなく(おそらくは、だからこそのろのろと)彼の冬の家を離れ、夏の家に向かう旅をはじめることになっている。彼が夏の家にたどり着くのは6月の夏至の日だ。だからホピの人たちは冬至の日に盛大な祭りをする。12月が1年を通して最も聖なる月とされるのは、太陽だけでなく彼らの信仰する神々もまたこの月になると村に帰る道をたどりはじめるとされているからだ。12月はさまざまな物語が語られ、神話と伝説で一族の「はじまりもなければ終わりもない」円環を描く人の道を確認しあう。さまざまな儀式や祈りが9日間にわたって続けられ、瞑想と断食の時間がもたれる。このときの儀式や祈りの力が、太陽の進む道を変更させ、やがて春をもたらし、あらゆる命を成長させるのだとホピの人たちは信じてきた。

これまで何千年間も、ホピだけでなく、おそらく地球に生きる「ネイティブ・ピープル」とされる人たちの多くが、太陽がいつまでも冬の家にとどまっていたりして春の訪れがなくなったりしないように、すみやかに夏の家に向かう旅に出発できるようにと、その日持てる力を太陽に貸し与えようとしてきた。太陽に力を貸すというのは、考えてみれば変な物言いではあるけれど。試しに"winter solstice ceremony"で検索をしてみると、さまざまなグループがこの日に世界各地で祈りの時間を持つことを計画していることがわかるだろう。いずれにせよ冬の冬至の日は再生と復活に象徴される「力の時」であり、地球に生きるすべての心ある精神的な人たちが、太陽の子供たちが、この日から何日間か、瞑想と祈りで、太陽とそのスピリットたちに力を与えてくれることを、太陽の子供たちのひとりとして、わたしも願っている。

 冬至の夜の月が平和と喜びであなたを祝福しますように。
 新しい太陽のサイクルが心正しき人たちに力を与えますように。

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Friday, November 19, 2004

怒りは健康によくない

インディアンの年寄りがよく口にしていた言葉に「頭に血がのぼったり、むかついたり、腹が立ったりしたら、いついかなる時にでも、時を逃さずその場で自分のために祈れ」というのがある。近頃はよく「切れる」という言葉が使われるけれど、「切れてしまってから」ではもう遅いのである。切れる前がいい。腹が立ったら即その場で、自分にたいして祈る。そうすることで癒しのスピリットがどこかに行ってしまうのを防ぐわけである。

どんな状況であれ、頭に血をのぼらせたまま長くいるのはよろしくない。最悪である。そうすると、せっかくの宝物があなたから離れてしまうからだ。一度あなたのもとを去ったスピリットが戻つてくるのには長い時間を必要とする。だから頭にくるようなことがあったら、そのたびにすぐその「怒り」にたずねるようにしなくてはならない。「怒り」はなにかをあなたに教えてくれる存在、いうならば先生のようなもの、いやいや「怒り」だけが先生なのではなく、われわれの感情というものはどれも先生なのである。

怒りの力に向かってお願いしてみる。もっと学びたいことがあるし、自分も変わりたいから、いましばらくおとなしく自分の旅を続けてもらえませんかと。怒りを別のよいものに変えてくれるように頼み込むのもよい。そのことで強くなることだつてできるだろう。いつまでも怒りにしがみついている必要なんてさらさらない。

頭にのぼった怒りの血は、そのまま毒となってあなたの体内を経巡ることになる。怒ることであなたは自らの体を汚し、傷つけていることになるのだ。年寄りたちが「つまらないことでいちいち腹を立てていては割にあわない」というのは、つまりそういうことなのだな。

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Thursday, October 21, 2004

偉大な四つの自然の教え

母なる地球とわたしたちをつなぐもの

Updated Friday, October 22, 2004

土。大地。母なる地球。それはわたしたちに人間であるとはいかなることかを教えてくれる。いのちをもたらし、わたしたちにその恵みをわけあってくださる。その母なる地球からの恵みに対する返礼として、母なる地球のうえで生きるすべてのいのちあるものを保護するのは、わたしたちの責務である。

石。岩。岩石。岩山。それは時代を越えて知恵を運ぶもの。地球上で最高齢の師として尊敬を込めて「曾祖父」と呼ばれるもの。その岩や石から、わたしたちは内なる力と信仰を学ぶ。岩はその動きがあまりにもゆっくりであるために、まるで動くことはないようにも見えるが、しかしそれがひとたび動くときは、全世界が刮目(かつもく)する。

木。樹木。巨木。老木。わたしたちに清らかな心を教えてくれるもの。その根から集めた滋養分を、樹木はおのれの枝葉の隅々にまでもたらすことができる。樹液がその幹のなかを経巡るがごとく、わたしたちもわたしたちのなかを隅々まで、真実を巡らしてゆくすべを学ばねばならない。地球に生きるすべての人間には、必ず自分の木が一本与えられている。もしあなたが、全世界を両肩の上に担いでいるかのような振る舞いをすれば、深く頭を下げてかがみこんでいる木を見ることになるだろう。木のなかには背がずばぬけて高い木もある。いかにもまっすぐで、見た目の良いものもある。だがそうした木だからといって、内側が腐っていないとはかぎらない。人間のなかにも、そういう人間はいる。ねじ曲がった人間は、同じようにねじ曲がった木を見つける。わたしたちは背が高くてまっすぐで、清らかな心を持ち、立派な根を地中にしっかりと広げているような一本の木となるよう、懸命に努力をしなくてはならない。わたしたちのように、一本一本の木が、それぞれ人として独立していてもなお、ひとつの家族の一員であることを理解しなくてはならない。

たとえ踏みつけにされようと、いつでも立ち直り、にこやかにそこに還ってくる緑の草。わたしたち人間も同じように他の人間を踏みつけにしたり、踏みつけにされたりすることがあるだろう。たとえいかなるときにも、自分と自分以外の人に対しての優しさを失うことなく、常に緑の草のごとく立ち直り続けなくてはならない。わたしたちが互いに面倒を見合わなければならないように、同じように緑の草を育て、肥料を与え、世話をする。草の葉の一枚一枚に裏と表があるように、わたしたち人間にもなめらかな面とがさがさしている面とがある。ときには鋭利な葉っぱの縁で手を切ってしまうこともあるだろう。わたしたちはそのことをしっかりと認識し、自分や他人を傷つけたりしないように誰に対しても優しくあらねばならない。

そして動物たち。この人たちはわたしたちにかけがえのない贈り物を与えてくれる。その贈り物とは、わけあうことがいかに大切かという教えである。この人たちがそのいのちを差し出してくれるおかげで、わたしたちは生きてゆけるのである。その昔、はるか大昔、わたしたちの祖先は、天と地を作られし御方に、しばしば祈りを捧げて、一族の者たちを養うための動物を求められた。狩人と動物が心で結びつけられているとき、死ぬ用意のできた動物がそこに姿をお見せになる。狩人たちはその動物をしとめると、いのちを差し出してくれたその動物の心の臓を切りわけてそれぞれが口にし、その一部を必ず、感謝の祈りとともに母なる大地への捧げものとした。ひとりの生きとし生けるものとして、わたしたちは互いにわけあうことを、そしてわけあたえられたいのちの贈り物に感謝することを学ぶ必要がある。

岩と、木と、草たちと、動物たちからもたらされる偉大な四つの教え、「信じること」「心を清らかにすること」「助けあうこと」「分けあうこと」の、これら四つの教えこそが、わたしたちとわたしたちの母なる地球とをつなぎあわせているものなのである。

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Sunday, October 17, 2004

結婚式に際しての祈り(部族不明)

Native American Wedding Prayer

*以下は部族不明ですが、アメリカ・インディアンの人たちの結婚式の祈りの言葉のひとつです。なかなかほほえましいので紹介しておきたくて。

これからはもう雨を感じることもないだろう。
なぜなら互いにかばいあって雨をしのぐことになるから。

これからはもう寒さを感じることもないだろう。
なぜなら互いに暖めあって暖をとることになるのだから。

これからはもう寂しさを感じることもないだろう。
なぜなら互いに生涯の道連れをもつことになるのだから。

これからはもうふたりの別々の人間ではなく、
ただひとつの人生があなた方を待っている。

さあ、自分たちの住み処に行きなさい。
そしてふたりの日々の暮らしをはじめなさい。

願わくばあなた方のこれからの地球の日々が
いつまでも良きものであらんことを。

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Tuesday, July 27, 2004

聖山

「山の頂きの秘密を知るものはすべてを知る」
          --------ユマ族の言い伝え 

以下に紹介するのは、わたしが1986年に書きとめた「詩」のひとつです。今は絶版になっている『セイクリッド・ウエスト--アメリカ西国33か所巡礼の旅』(写真・松沢義明 笠倉書店刊)という、LPサイズの大きな本のなかで発表しました。アメリカのサウスウエストのどこかを旅している途中でで書いたものなのですが、今年の夏至の日に富士山で嵐のなか見も知らぬ人と手をつないでいたときにしきりと頭のなかで思い出されたので、今回、少し手を加えて再録することにしました。

聖 山    北山耕平


聖なる山を歩くときには

ひたすら大地を傷つけないよう気を配る。

ひとびとは皆そうやって生きてきた。

なかには、その山に

足を踏みいれることすら

してはならないひともある。

他の部族のものは連れていかないし

行くときでも

特別なときだけで

その時にはささげものをかかさない。


聖なる山を

生れてからずっと見つづけてきたひとは

こころのなかに

忘れられない山をひとつ

持っていることになる。

例えばどこか遠くにいても

その山の岩のひとつひとつの色を

突然思いだしたりする。

おそらく、そこが

あなたのいるべきところなのだ。

その山こそが、あなたの家かもしれない。

どうかあなたがそこに辿りつきますように。

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Thursday, July 08, 2004

時として人生に大変なことが起る理由

グランドファーザーの教え


ひとりの若者がグランドファーザーにたずねた。

「どうして人生には時として大変なことが起きるのですか?」

その質問を受けて偉大な年寄りがこたえた。


「グランドファーザーはこうおっしゃられる。人生には、悲しみがあるように喜びもある。負けることがあれば勝つこともある。倒れることもあれば、立ったまま動かないこともある。腹が減っているときも、満腹のときもある。悪いこともあるし、良いこともあるだろうと。この言葉を聞いて、なにも落ち込む必要はない。グランドファーザーはそうおっしゃることでおまえさんに現実というものを教えてくださっているのだから。つまり人が生きるということは、光のなかを歩くときもあり、影のなかを進むときもあるということなのだ」

「グランドファーザーはこうおっしゃられる。なるほどおまえさんは誰に生んでくれと頼んだわけでもない。だが今おまえはここにいる。弱さもあれば、強いところもあるだろう。おまえさんにはその両方が備わっている。なぜなら、人生においては、すべてのものにふたつの面があるのだから。おまえさんのなかにだって、勝ちたいと思う意志があるように、負けさせようとする力も働いている。思いやりを感じる心もあれば、偏狭で高慢な部分もあろう。おまえのなかには、人生に正面から立ち向かおうという生き方もあるし、同じように、それから逃げ出してしまいたいという恐怖もある」

「グランドファーザーはこうおっしゃられる。人生はおまえさんに生きる力を与えることもできると。その力は、人生の嵐に立ち向かったとき、負けを知ったとき、悲しみや胸の痛みを知ったとき、深い悲しみと向かいあったときに与えられるだろう。おまえは嵐のただ中でしっかりと立たねばならない。吹きつける風や、寒さや、暗闇から、顔を背けてはならない。吹きつける嵐がひどくなったら、それだけしっかりと立たなくてはならない。なぜなら激しく吹きつけてくる風は、おまえを打ち倒そうとしているのではなく、ほんとうはどうすれば強くなれるのかを、おまえに教えようとしているのだから」

「グランドファーザーはこうおっしゃられる。強い人間というのは、いくら体が疲れていたとしても、山の頂にむかってさらに一歩足を踏みだす者のことを意味する。それはまた悲しみの涙がいつまでもとまらないことをも意味する。どちらをむいても絶望の闇のなかで、それでも答えを探し求めつづけることを意味する。あと一度心臓がビートを刻むことの希望にしがみつき、自分の目で夜明の太陽を見るために、約束された新しい日の到来を確認するために、生きることにしがみつくことを意味する」

「グランドファーザーはこうおっしゃられる。山の頂にむかってさらに一足、昇り来る太陽にむかってさらに一足、希望にむかってさらに一足、そうやって踏み出された一歩は、いかに弱々しいものであろうと、どんなに手強い嵐よりもはるかに力ある一歩であるだろう」

「グランドファーザーはこうおっしゃられる。足をとめることなく、前に進みなさいと」


※ネイティブの世界においては、グランドファーザーは実際の長老を意味すると同時に、「母なる地球・父なる空」の「空であるところの父」をも意味する。

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Tuesday, July 06, 2004

ときどきひとりで考えてみるべき10の項目


  あなたはどこに住んでいるのか?(地理的な説明ではなく)


  あなたのしていることはなにか?


  ひととひととのつながりはどうなっているか?


  あなたは地球と正しい関係状態にあるか?


  あなたの飲んでいる水はどこからきているか?


  自分の畑、庭、とりまいている自然環境を知りなさい。


  あなたの真実を語りなさい。いまはその時。


  互いにやさしくあれ。


  指導者を自分の外側に探し求めてはならない。


  今を良い時にすることは可能である。


※わたしがエルダーたちから学んだ教えで、ときどきひとりで考えてみるようにしているものです。「自然のレッスン II」というカテゴリを立ちあげる最初に、これを多くの人たちと共有したいと思いました。「自然のレッスン I」は、15年ほど前に角川書店より刊行され、長く絶版でしたが、2001年に太田出版より新装ペーパーバックで復刻されています。

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