トンボから日本人とアメリカインディアンのことを考える
アメリカインディアンと我々に共通するもののひとつにトンボにたいするよく似たイメージというのがある。
古代に、九州から大和地方に侵攻した神武天皇が新しい土地を一望して「やまとはなお あきつのとなめせるがごとし」と言ったことから、日本のことは「蜻蛉島(あきつしま)」と呼ばれたされている。「となめ」というのは「臀舐め」と書いて飛びながら交尾をすることだし、「蜻蛉」「秋津」「アキツ」というのは「トンボ」のことだ。トンボが飛びながらセックスをする姿と国土がどのように似ていたのかイメージはつかみにくい。言えるのはその頃からたくさんのトンボたちがここでは群舞していたと言うことだ。
先日信州の友からのメールで田んぼに赤とんぼがたくさん飛びはじめたと伝えられた。8月に安曇野で風をひらいた際にも、沼のまわりを赤とんぼではなかったけれどトンボたちが群れをなして飛んでいた。日本列島がトンボの島々であるという認識は、間違いのない事実であり、それはとりもなおさず日本列島にはきれいな水がたくさんあるところを意味している。
日本列島でもトンボは、前にしか進まないところから古代から江戸時代まで勇気と力をもたらす縁起物とされてきたが、なぜかそこには水のありがたさは出てこない。それにトンボは前にしか進まないというのは観察する能力にもやや欠ける分析ではないか。トンボは、四枚の羽根をばらばらに動かすことで、ホバリングもできるし、前を向いたまま後ろに向かって空中を移動することもできる地球最強の捕食者である。トンボと水の関係が伝えられていないのは、あたりまえに水がたくさんあったからかもしれない。
ウィキペディアの日本語版には世界にはおよそ5000種類のトンボがいて、日本列島にはそのうちの200種類が分布すると書いてある。アメリカのトンボの研究家によれば4950種以上の種類が地球にはいて、北米大陸には450種類が分布しているそうだ。
トンボは北半球の多くのネイティブピープルにとてもありがたいものと見られてきた。ありがたさは、トンボが飛んでいるところの近くには水が存在することに最大の理由があった。北部大平原諸族の中でも、シャイアンとラコタを研究したピーター・J・ダーキンは、このふたつのトライブの人たちが、トンボや蝶々に与えられている意味の広さに着目して論文を書いている。とりわけシャイアンの人たちがトンボを昆虫と認識していないことをとりあげた。
彼らの宇宙観の中では、変態し孵化するトンボも蝶々も「鳥の仲間」と分類わけされていた。最強の捕食者として空中を自在に飛び回り水辺でとりわけ蚊を見つけてこれを捕まえて食べるトンボ。シャイアンの人たちはトンボの群れをなして飛ぶ姿に宗教的な意味を見いだした。トンボの群れは人びとにとってもよいものであり、しばしば敵が近づいていることを警告してくれたり、旅を続けるのによい方角を指し示してくれたりしたという。
平原諸族の戦士たちの多くが自らの身をトンボをイメージして飾っていたことはよく知られている。トンボは身の動きが速く、なかなか捕まりにくく、めったに殺されないだけでなく、地面すれすれを飛ぶときには自らの姿をかき消すかのように羽ばたきによって土ぼこりを巻きあげたりするわざが尊敬されたのだ。災いから身を守るシンボルとしてトンボは使われ、自分たちの乗る馬にもトンボの模様が描き込まれた。ラコタの人たちは、トンボにはあらゆる危険を避ける力が授けられると認識していた。人間も動物も、雷すらも、トンボを撃つことはできないと。
まず、このような「トンボについての知識」は、あるいは他のどんな動物についての知識も、ネイティブの人たちは「それを獲得し得た人の財産」として考えていたようだ。だから特別な相手でなければそれを披露したりはしないものだった。
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