12月18日に発売予定の『地球のレッスン』(太田出版)のまえがきを再録
「地球のレッスン」 北山耕平著 太田出版刊
12月18日発売 定価 本体1200円+税
ISBN978- 4-7783 -1198-8
まえがき
蛙はけして自分の住む池の水を飲み干したりはしない
ここに集めた詩や、考え方や、教えは、この三十年間にぼくの周囲に風に舞って運ばれてきたものです。そうした葉の一枚一枚を、言葉のひとつひとつを、それぞれの教えを、ぼくは意識して集めてきました。時折、季節の変わり目を告げるかのように強い風が吹いて何枚もの葉が飛び散っていきました。それでも自分のすぐ近くに残り続けていた教えの記された葉を、三十年前に『自然のレッスン』という本を作ったときのように、もう一度まとめておくことにしました。
認めてくれる人は少ないかもしれませんが、ぼくの意識のなかでは、こうしたものをどれも詩として受けとめています。詩というのは、ぼくにとっては羽根の生えた言葉です。ここに集められた詩のなかには、最近風に舞って運ばれてきたものも、情報の海に浮いていた瓶の中に閉じ込められていたものもあるし、地球に生きるネイティブの人たちから託されたものもあります。図書館で読んでいた本のなかから形をあらわしたものも、何十年も前に、ぼくがなにかを探して沙漠の中をひとりで歩いているとき、風を切るように円を描いて空を舞っていた鷹から落とされたものも、また何キロも遠くからぼくに向かってまっすぐ歩いてきて、すぐ近くまで来て立ち止まったコヨーテの兄弟から預かったものなどもあります。
こうしたものは、みなすべてなにかの印でしたが、ぼくにとっては教えであり詩でもありました。
ぼくは便利な物が世の中にあふれてくるのを見て育ちました。子供の頃の自分には見たことのなかったものに囲まれて暮らしています。たとえば食べ物。インスタント食品が初めて登場したときのことを忘れません。家族で丼にインスタントラーメンを入れお湯を注いで蓋をして三分間待って食べました。その味は記憶に焼きついています。家族がそろって食べた最初のインスタント食品でした。今ではインスタント食品はひとりで食べるのが基本のようです。
ぼくがアメリカにいた頃はインスタント食品の TVディナーが全盛の頃でした。オーブンに入れて温めればそのまま食べられる夕食のことです。どこのスーパーマーケットでも売られていて、寂しい人たちがテレビを観ながらその簡易食を食べていたのです。ところがぼくはそのアメリカで、人間の意識に食が与える力の大きさについてさまざまに学びました。「なにか胃にたまるもの」と食事は別のものだったのです。米や玄米の炊き方や味噌スープの作り方をきちんと学んだのもアメリカでのことでした。
いつか食にたいする考え方にも大きな変化が来るだろうと、なにが人間の食には重要なのか、そして便利なものの増えていく世界のなかで忘れてはならない規則や原則を、いくつも集めてまわり、のちにぼくは『自然のレッスン』という最初の詩集に書き込みました。
しかしファストフードが世界の隅々にまで普及する時代が来ます。今ではさまざまなファストフードがあふれるようになりました。ファストフードなしで食を考えられない人もたくさんいます。今ではどこのスーパーマーケットでもポテトサラダを売っていますが、この「二四時間以内にお食べください」というシールが貼られたトレイのなかのポテトサラダと、子供の頃に母親がポテトを茹できゅうりなどを刻んで作ってくれていたポテトサラダとでは、決定的になにかが違います。
ファストフードの時代になればなるほど、子どもたちは食べ物がどこからもたらされているのかへの関心を薄めていきます。チェーンのレストランなどでは、食べ物はどこかの工場から送られてくるものを温めるだけのような店までたくさんあります。ポップコーンがトウモロコシから作られ、ポテトチップがジャガイモから作られることを知らない子どもたちだっています。世界がファストフードであふれるようになると、あらゆるものが 便利でお手軽なものを求めるようになっていました。
世界からリアルなものが姿を消していました。インターネットがそれに拍車をかけています。今では街の書店に行けば、簡単になにかがマスターできたり、サルでも理解できるように書き直された入門の本、三日で悟りに行けるようにしてくれたり、簡単にお金が稼げて新しい生き方が自分のものになることを謳うような書籍など、無数の快適な人生を提供する心のファストフードがあふれています。一度読んだら捨てられたり売られたりする本を、木を切り倒してつくる紙に印刷する必要などないのではないか。ぼくはそうした本はリアルな本ではないと考えるようになりました。
ぼくがこれまで書いてきた本はどれも、ちょっとした満腹感を与えるためだけのファストフードではありません。この本にも簡単に成し遂げられることはなにひとつ書かれていません。『自然のレッスン』が体と頭に働きかけたのとおなじことを、この『地球のレッスン』は心と魂に向けて行なおうとしています。人間が辿ることになる最も長い旅路は、頭からハートへと続く道だとのちにぼくは教わりました。この人生でたどり着くことができるのかどうかはわかりませんが、歩き出して、前を見て歩き続ければ、いつか着くだろうと楽観的に考えています。
ぼくは七〇年代の初めに大学生として世界を知り始めました。実際、あのときは大変なことがいっぺんに世界的規模で起こっていました。世界はぐちゃぐちゃになりかけていて、そして急激にぐちゃぐちゃになっていきました。
人間が月に行ったり、月から見た地球の映像が家のテレビに映し出されたり、テレビで実際の戦争が中継されたり、ロックが音楽の枠を越えて政治や人間の生き方に影響を与えたり、今まで作りあげられてきた中産階級的な生き方がほころびを見せはじめたり、バブルがさまざまな形でじわりと広がりはじめたり、持つ者と持たざる者の差別があらわになってきたり、空気や水がどんどん汚れて公害という言葉が使われるようになり、人間の手に負えない病気が広まったり、廃棄物の処理のことなど考えない原子力 発電所が増殖し、自然が少しずつ撤退をはじめて不自然が世界をとりまくようになったり、アメリカ・インディアンがサンフランシスコの海に浮かぶ小さな島を占領して「アメリカはわれわれの土地だ」と宣言し直したり、国境や国家を越えたところで人と人とをつなげようという動きが盛んになったり、人種や民族や宗教の対立がことさらにあおられたり。世界は大きく変わりはじめていました。
やがてベルリンの壁が倒されたり、人びとが愚かな振る舞いを繰り返すようになっていって、資本主義にも限界が見え隠れするようになるわけですが、ぼくはそうしたただならぬ変化がはじまったばかりの世界に向かって旅立ったのです。
二〇代から三〇代にかけて、ぼくは旅を続けました。いろいろな言葉を話すさまざまな人たちと出会い、自分が誰で、なぜこんな事をしているのかについて考え、話を聞いていきました。与えられるハイもローも経験しました。
どういう生き方をすれば生き延びられるのか ? ほんとうにたいせつなこととはなにか ? ぼくは解き放たれた矢のように飛んでいきました。そしてある朝目を覚ましたときにはロサンジェルスのホテル、ホリディ・イン・ハリウッドの部屋にいる自分を発見しました。持ち物はスーツケースひとつだけ。
ぼくはそれから五年間ぐらいかけてアメリカで生き延びながら、自分の生まれた世界についての学びを続けました。人間はその一生をずっとコンクリートのうえだけで、山のようなビル群の作る渓谷のなかだけで過ごすべきではないと知ったのもその頃でした。ほんとうの自然があるところまで行かなければ思い出せないこともあるのです。
その過程でアメリカ・インディアンと呼ばれる人たちの存在に心を奪われ、彼らのなかに入り込み、自分がどこにいてどこへ向かっているのかをあらためて思い出させてもらい、自分に道を指し示してくれた何人かの知者やエルダーと会うことができました。
自分たちのことを「地球に生きる普通の人間」と見ている存在との忘れられない出会い。アメリカではコロンブスが来るまで「いのちの輪の中に正しい場所を得て、地球に生きる普通の人間として魂が旅する時代」が続いていたという偉大な気づきは、ぼくの精神のある部分を地球にしっかりとつなぎ止める働きをしました。ぼくにはこの地球という星でやらなくてはならないことがあったのだ、と。
そしてアメリカでインディアンのことを学べば学ぶほど、自分が誰なのか、日本人というのはなになのか、についての関心も高まっていきました。というより、ぼくたち日本人のなかにある「ネイティブ・アメリカンの人たちとつながる部分」に目を向けなくてはならなくなっていったのです。
同時に「ネイティブ・アメリカンから遠く離れてしまっている自己」とも向き合わねばなりませんでした。あらゆる機会を通じてアメリカ・インディアンとして世界を見る見方を学ぶうちに、自分のなかでさまざまなものが動きはじめました。ぼくたちが現在持っているネイティブの部分と、あらかじめ失ってしまっているネイティブの部分。大地から切り離されていた自分と、大地との関係を修復したがっている自分。地球という太陽系の第三惑星という星で、ネイティブとして生きるとはどういうことなのか?
結局ぼくは、自分が日本列島になぜ生まれたのか、その理由を深く知るためにこの国土に戻されることになりました。自分のなかのなにがこの大地と、本州と呼ばれる小さくて大きな島とつながっているのかを、ひとりの「インディアン」としてあらためて見直すため、そして学びなおすための作業を続けることになるのです。この学びは誰かに言われてする勉強ではなく、自発的なものですから、終わることはありませんでした。
三〇代から四〇代にかけて、ぼくは日本列島のさまざまなところを見て回り、たくさんの人たちと会いました。学びの旅は終わってはいませんでした。アメリカ・インディアンのもとで学んだ世界の見方で、ぼくは日本列島の上にあるものひとつひとつを見直す作業に没頭したのです。
どうして日本列島の自然はこんな風に無残に姿を変えられて、不自然を自然と思い込むに至ったのか ? 日本列島にいたインディアンはなにをきっかけに日本人となり、土地に世界最高の値段をつけて売り買いするまでに至ったのか ? 根の深いところに焼き込まれてトラウマになっている「差別」はどこから来ているのか ? アイヌの人たちのみならず、日本列島にいたであろうさまざまなネイティブ・ピープル、オリジナルの人たちの痕跡と影を追跡する作業に、ぼくはひたすらのめりこみました。右の人たちとも左の人たちとも、上の人たちとも下の人たちとも、危ない人たちとも危なくない人たちとも会いました。世界の見方のバランスを取りながら、どのようにしてぼくたちが「日本人」になるかわりに地球のネイティブとして生きる道を捨てることになったのかを検証していかなくてはならなかったのです。
同時に、たくさんの歴史について書かれた書籍の森のなかの旅もはじめました。あまりにも古いことなので、日本列島で歴史がはじまったときになにが起こったのかを語ってくれる人はもういませんでした。日本列島にいた最初のオリジナルな人たちが、どのようなプロセスを経て「日本人」になっていったのかを、ぼくは知りたいと考えました。ぼくの魂は、日本列島でなにが起こったのかについてのほんとうのことを知りたがっていました。
アメリカ・インディアンの世界の見方を通してぼくは、地球を全体として眺めると、地球のいろいろなところに大地とつながって生きている最初の人たちがいたことを知ることができました。その人たちは天地創造に際してある種の約束を偉大なる存在と交わしたうえで、それぞれの大地を与えられてそこを守る生き方、すべてのいのちが与えられた役割を満足して送る生き方を選択していました。集金組織としての巨大宗教はいまだひとつも存在せず、人びとはあらためてそれと気がつく必要もなく、一日じゅう信仰のなかで生活していました。そうした時代には便利なものなどあまりありません。
やがて人間にとって便利なものが続々と産み出されて、あるとき、大地から切り離された人間だけが中心だと思い込む時代が訪れてしまいます。世界は便利なものであふれかえり、人間は自然を支配できると考える時代が来て、その結果、母なる地球が瀕死の状態に陥り、人びとが自滅に向かう輪を編み出す頃、最終的に、世界平和をタテマエとした宗教戦争が各地で起こるようになると、人びとが愚かな振る舞いを勝手に至るところで行うようになるでしょう。
そのときはじめて、あらゆる権威が崩壊して混乱した価値のなかで、ぼくたちの魂は地球に生きる人間としてほんとうに大切なものを求めはじめます。
地球を母親として見て、その母親をいたわるように生きてきた人たちがなにを知っていたのか、どういう生き方を後の世代に伝えようとしたのかを知ることは、おそらくこの地球で生き残るために最低限必要なことになるはずです。
五〇代になるとぼくは、自分がそれまでに知り得たことを次の世代とわけあうための方法を模索しはじめました。なぜ「地球に生きる普通の人間」と自らを呼ぶ人たちにこだわり続けるのか。その人たちはなにを知っ ているのか ? なぜ彼らのような生き方がもう一度求められるときがくると信じているのか ?
都市のなかで育つことを初めから求められていた世代にとって『自然のレッスン』が少しだけそこから飛び出る勇気を与え、自然についての新しい視点を提示したように、日本人としての自分のことしか考えられなくなって硬直化しつつある人たちのために、そして未来を生きる世代のために、もう一度地球に生きる普通の人に還るための覚書を残しておくことは意味があるでしょう。
ぼくたちの傷ついた魂の歴史もそこからはじまったのですから。そしてその部分を忘れ去ることで「日本人」になってきたのですから。
「日本人」として生きる生き方と、「地球に生きる人間」としての生き方というふたつの世界の間で、自然なるものにたいするいっさいの偏狭な差別を終わらせてバランスをとる方法を、ぼくたちはこれから発見しなくてはなりません。
この本は、そのときに役に立つはずです。しかし、これはあなたの心のファストフードにはなりえません。インスタントな解決策はなにひとつ書かれていません。もう一度自分は「地球に生きる人間」となると、あらためて心を決めた人のための地球の優しい歩き方について書いてあるからです。オリジナルの人と出会うために、これは自分の足で歩いていくための教則本なのです。
ぼくは聖人でもないし、とりたてて清い心を持っているわけでもありません。これまで生きてくるあいだにたくさんの素晴らしい、スピリチュアルな人たちと出会ってはきましたが、みな生身の人間であり、自らを「聖人」などという人とは会ったことがありませんでした。
世の中には自分を聖人だと思い込んでいる人も、思い込まされてる人もいるようですが、みなちゃんと出会ってみれば背中に羽根がついていることもないし、雲に乗っかっているわけでもなく、雲間から音楽と共に光が当たるような存在ではありませんでした。自分がひとりの地球に生きる人間であることを忘れているだけかもしれませんが、そんな人がもしいたとしたら、きっとあまりの退屈さと窮屈さに「大変ですね」のひと言でもかけてあげたくなると思います。
わたしたちはみな役割を与えられて地球に生かされているにすぎません。若いときは、自分がなにをするためにここに生まれてきたのか知るのはむずかしいことです。この世界で起こっているいろいろなことに興味を持つでしょう。セックスの力に翻弄されそうになる自分を体験することもあるでしょう。セックスの誘惑は時としてその強烈な力で遠くを見る目を曇らせてしまうことがあります。その力は、あなたがそれを使うのにふさわしいと思える相手にだけ使うようにしましょう。セックスの力を意識してコントロールする心の使い方を訓練すれば、その他の大切なことやものをミスすることも減って、地球の旅は豊かになります。
体験しなくてはならないことは山のようにあるのです。なんて辛い人生なんだろうと思えることも多いはずです。しかし、その人生という道の所々で、誰かが、なにかが、あなたを引き留めるような気がすることがあるかもしれない。そういうとき、立ち止まって振り返り、辺りを見まわしてみるようにする。自分のやるべきこととはそうしたなかで出会うものです。
そしてそれを見つけたら、それを、自分の進むべき道をしっかりと見続けて、確信と共に歩いて行くことです。人生はいちどだけなどではありません。ぼくの出会った偉大な存在は、自分は四回目の人生を送っている、と語っていました。過去に生きた記憶を持っている人もいるでしょう。過去生の自分は、今回の人生をより良くするための教えなのです。
やるべき事をやり終えるまで、あなたの旅は続き、魂はこの星にとどまり続けるのです。自分に与えられた特別な時間を無駄に使わないようにしてください。
ぼくは、言葉には羽根のついたものがあり、そうした言葉は風に乗って広まると信じています。ほんとうのことを伝える方法を長いこと模索してきましたが、結局は言葉を使うしかないのです。言葉は旅をし、思考も旅をします。ぼくは羽根を生やした言葉となって風に乗って旅を続けるでしょう。
ひとりの地球で生きる人間であることは、本腰を入れて取り組まなくてはならない勤めです。もしわたしたちに地球を破壊しその息を止められるぐらいの力が与えられているのなら、わたしたちはその生き方を改めることで、母なる地球のいのちを救うこともできるのです。
もういちど、あなたと地球に生きる普通の人として会いましょう。
己丑の年、冬、武蔵野にて
北山耕平
*以前当ブログで太田出版刊の『自然のレッスン』のフライヤー用に感想をよせてくださったみなさんのうち、掲載されたコメントをいただいた方には、『地球のレッスン』をプレゼントとしてお送りします。届くのはおそらく年末になります。プレゼントを受け取った方は、なにとぞもう一冊ご購入の上、誰かにプレゼントしてくださればありがたいです。\(^O^)/
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Comments
「自分に与えられた特別な時間を無駄に使わないようにしてください。」ほんとうにそうですね。
変化は自分のために起こるんですよね。
新刊発行おめでとうございます。
mixiの日記で紹介させてくださいね。
Posted by: sennomiya | Thursday, December 03, 2009 10:56 PM
楽しみにしております^^
Posted by: Bash | Monday, December 14, 2009 10:22 AM
北山様 今を去ること20年前に第三書館の澤田さんと修善寺に訪問した者です。現在は中央アート出版社に在籍しています。精神世界やネイティブアメリカンも出しています。病後のお願いで恐縮ですが、「死生観」をテーマに何か書いていただくことは可能でしょうか。但し、初版の著作権料は免除させていただいている現状です。ご検討方よろしくお願い申し上げます。このメールは自宅です。阿久津忠
Posted by: 阿久津忠 | Monday, September 10, 2012 02:12 PM