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Friday, October 30, 2009

長野県で縄文時代の鮭の骨が大量に発見されたことの意味するもの

newsimagename長野県千曲市の屋代遺跡群から採取された縄文時代の土から、「縄文人」と呼ばれている人たちが食べ残したとみられるサケの骨の破片約570個が見つかった(写真は屋代遺跡群で出土したサケの椎骨の化石。1目盛りが1ミリ=奈良文化財研究所埋蔵文化財センター提供のもの)。長野県の縄文遺跡でサケの骨がこれほど大量に見つかったのは初めてのことだ。東日本の「縄文人」の主食をめぐってはこれまで「ドングリ中心論」「ドングリ+サケ・マス論」などいろいろ言われてきているが、「サケ・マス」が物証として出てきたのは初めて。信濃毎日新聞は次のように記している。

縄文遺跡は西日本より東日本で多く見つかっている。サケ・マス論は、縄文時代、西日本ではドングリしか頼る主食がなかったのに対し、東日本では川を遡上(そじょう)するサケやマスも主食にして繁栄できた−とみる説。縄文土器研究の第一人者、故・山内(やまのうち)清男(すがお)博士が提唱し、1940年代から考古学者の間で議論されてきた。

屋代遺跡群は縄文時代から中世の遺跡で、91〜94年に上信越道建設に伴い県埋蔵文化財センター(長野市)が発掘した。調査後、縄文期の炉や住居跡があったとみられる部分の土約210キロを県立歴史館が保管。奈文研が2007年から、この土を「土壌水洗選別法」で調べた。

水に混ぜてふるいにかけ、網に残った粒を選別すると、サケの椎(つい)骨約550個と歯約20個が見つかった。1個の大きさは0・5〜3ミリほど。白みがかっているのは焼いたことを示すという。奈文研埋蔵文化財センターの松井章センター長によると、歯の大きさなどから体長は60〜100センチと大型で、日本海から千曲川を遡上したサケと考えられるという。

同遺跡群は千曲川に近い。縄文期の地層は現在の地表から約4メートル下で、たびたび水害に見舞われてきた地域とみられる。県立歴史館考古資料課の水沢教子・専門主事は「なぜ縄文人が水害に遭いやすい川近くに住んでいたか疑問だった。今回の研究から、サケなどの魚を捕りやすい場所を選んだのではないかと推測できる」と話す。

この記事に出てくる山内清男博士(1970年没)は1964年に「北米のIndianには、サケの溯上する地帯で、これをとって保存食料とする処もある。Salmon Areaといわれる。南はカリフォルニアから北はアラスカに至る。これに対応するアジアの東岸もこれと似ていて、各地の原住民はサケを主食とするといってよい。その南端が北海道アイヌであり、日本の東北部である。カリフォルニアIndianは北部ではサケとドングリの両者を保存食料としている。南半ではドングリが主食である。Acorn Areaといわれている。これと似て繩文式文化圏の西南半は木の実を主食とし、東北半は木の実とサケの二本建になっていたと考えられる」(「日本先史時代概説」『日本原始美術』講談社刊)と書いた。以後博士は、カリフォルニア・インディアンと縄文人の環境がにていることにこだわり続けるが、学問のヒトたちからは考古学に仮説、フィクションは不用として批判をされた。

アイヌやネイティブ・アメリカンのヒトたちの鮭とのつきあい方、とくに鮭の中のヒトとのつきあい方を学ぶことから、より鮮明な「縄文人」と呼ばれているネイティブ・ジャバニーズの姿も浮き上がってくるに違いない。今日からあなたも鮭を食べるときには心して食べてください。

Source : 千曲で縄文サケの骨 県内初大量発見 主食知る貴重資料

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Comments

初めまして、大曽根 優子と申します。「虹の戦士」や「ネイテイブアメリカン ネイテイブジャパニーズ」を読ませて頂いています。

また久々にホピのお話も読ませていただいて、地球のコアを守り続けてくださっている印象を受けたので、今私が御縁を頂いている古代倭人の情報を少しご紹介します。

発起人の方はよく縄文人や能楽の「土蜘蛛」のエピソードを交えながら、いろいろな話をしてくださいます。

黒潮ドームプロジェクト
http://hotpure.eco.to/kurosio1.html

自然から学ぶ会
http://michikusa.eco.to/top.html

こういうグループが現れたことだけでも知って下さると幸いです。

Posted by: 大曽根 優子 | Sunday, September 05, 2010 at 10:51 PM

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