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Friday, October 30, 2009

サーモン・ボーイ(鮭だった少年)の教え

カナダの北西部太平洋沿岸のブリティッシュ・コロンビアの先住民にハイダ(アイダ)と名のるヒトたちがいる。「日本にいる相田さんはみなわしらの兄弟さ」という冗談とも本気ともつかないことを、彼らに昔いわれたことがある。姿格好はとにかくわれわれととてもよく似ていた。このハイダの国に、鮭とわたしたちの関係を知る上で重要な言い伝えが残されている。ハイダのヒトたちだけでなく、北西太平洋沿岸のヒトたちは、食べるものはことごとく海からやって来ると信じていて、当然ながら海が汚れることに警戒心を持つ人たちでもある。ハイダの国に伝わる鮭の話は、われわれがすべての生きものをなぜ敬わなくてはならないか、とりわけ食べ物にする生きものを大切にしなくてはならないかを、教えてくれている。同時に、なぜ縄文時代の鮭の骨の化石があまり残っていないかの理由もわかるだろう。

鮭の少年の物語
salmonboy

昔、ハイダの村に、腹をすかしているひとりの男の子がいた。お腹が減ったよと母親にいうと、母親は魚の切れ端を一切れ少年に与えた。「ほれ、これをお食べ」

魚を受け取った少年はその魚をちらっと見ただけで「こんなものは嫌だ」と言った。「腐ったような臭いがするもの」

そうはいったものの結局なにか腹にたまるものは口にしたのだろう、少し腹も落ち着いたので少年は、他の子どもたちと遊びにでた。子どもたちは村の近くの川でみんなで泳いでいた。少年も子どもたちの泳ぎの仲間に加わったが、気がつくと川の速い流れにのまれて遠くまで押し流されてしまいにおぼれてしまった。鮭のなかのヒトたちが少年の魂をつかまえて、海の下にある鮭のなかのヒトたちの国へ連れて行ったのだ。

鮭のなかのヒトたちの国では、みんな人間と同じかたちに戻って暮らしている。男の子が見たその村は男の子の暮らしていた村とほとんどかわらなかった。子どもたちは近くの川で泳いでいた。アメリカ・インディアンの神話ではたいてい、動物たちの暮らす村とインディアンの暮らす村との相似性は、どこもみんな似たようなものだ。彼ら、彼女たちは、大人も子どもも、われわれが見たことのない彼らの国では、人間のかたちをして人間のように生活している。

少年がそこで「お腹がすいた」というと、川のなかで泳いでいる子どもをひとり取ってきて、それを料理して食べるようにと言われた。しかしそのときにはひとつだけ守らなくてはならないことがあるとも。それは、食べた後は、骨も、ウロコも、どんな食べ残しも、全部なにからなにまで、きちんと川の流れに帰さなくてはならないということだった。

少年が食べ終えた後、子どもの泣く声が聞こえてきた。子どもは母親に目が痛いと訴えていた。鮭のヒトが、食事を終えたばかりの男の子に、魚の食べ残しは全部なにもかも川にかえしたか確認するように伝えた。少年が川の堤を細かく見て歩くと、彼が食べ残した目の玉が落ちているのを見つけた。彼がその目の玉を川の流れにかえすと、子どもは泣き止んだ。

翌年の春になって、鮭のなかのヒトたちはブリティッシュ・コロンビアのあの川にみんなで帰ってきた。あの少年も鮭のなかのヒトたちと一緒だった。そして彼は自分のほんとうのお母さんに捕まえられた。鮭の中にいた少年がつけていた首飾りを母親は見逃さなかったからだ。母親はとりあげた魚をとりわけてじっと見続けた。すると、一日か二日すると、置いておいた鮭の口から少年の頭が姿をあらわし、さらに数日すると身体も全部そこから出てきた。そしてあとには鮭の皮だけがまるごと残された。

このようにしてもとの村に還ってきた少年は、やがて立派なメディスンマンになって、村のヒトたちに鮭の生き方、鮭の道について教えることになった。

その鮭だった少年は、いつかその日がきて、自分が死んだときには、遺体はそのまま川にかえしてくれるよう言い続けたという。自分は川から来たので、その川に帰るのだと。それからずいぶんと冬を数えて、彼が年老いたときのことだった。彼は川で奇妙な魚をつかまえた。つかまえて取りあげたとき、彼にはそれが他ならぬ自分の魂であることを理解した。魚にナイフを刺したその瞬間、彼は絶命していた。魂の生まれかわりを信じる村の人たちは彼に言われたことを守り、彼の遺骸を川にかえした。

川のものはすべて川にかえし、山のものは山にかえすというのが、古来ネイティブ・ピープルの考え方の中心にあった。わたしたちは自分たちの食べるものにことごとく責任を持たなくてはならない。つまりそれは、そのいのちの生きている環境のことをじゅうぶん考えて行動しなくてはならないと言うことでもある。

あわせてお読みください

長野県で縄文時代の鮭の骨が大量に発見されたことの意味するもの

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Comments

どうも、はじめまして
いつも楽しく拝見させていただいています。

サーモンボーイの教えのように
先住民族の言い伝えというのは
今読んでも大変勉強になるものばかりで
地球に住むすべての生き物との付き合い方や
食べ物への考え方
命のサイクル
僕達が日本人になる以前に人間だった事等
考えさせられる物ばかりで
目には見えないけど僕達が絶対に失ってはいけない大変重要な事柄を思い起こさせてくれます。
感謝してます。ありがとうございます

ぶしつけに申し訳ないのですが
僕は音楽を紹介するブログをやっておりまして
少し趣旨が違うかもしれませんが
もし、よろしければNative heartのリンクを
貼らせていただいてもよろしいでしょうか?

Posted by: エヴァ | Tuesday, November 17, 2009 at 06:54 PM

エヴァさま

このサイトへのリンクは歓迎します。やろうとしていることの主旨をわかってリンクしてくれるならなおさらです。

これからもよろしく

Kitayama "Smiling Cloud" Kohei

Posted by: Kitayama Smiling Cloud Kohei | Tuesday, November 17, 2009 at 07:51 PM

お返事ありがとうございます。
さっそく貼らせていただきますね

これからも楽しく拝見させていただきますので
どうぞ、よろしくおねがいします。

Posted by: エヴァ | Wednesday, November 18, 2009 at 08:02 PM

深く感動しました。
かつて、「あなたはあなたの食べた物でできている」という言葉に出会ったことがあります。そして、その言葉は、私の心の奥深くに刻み込まれました。
アメリカンネイティブの人たちは、さらに深く物事や世界を捉えていたんですね。
サーモンは私自身。お米は私自身。
食べ物を通じて、私たちは「母なる大地」とつながっていること、よくわかりました。
ありがとうございます。

Posted by: みつまめ | Saturday, October 08, 2011 at 06:45 AM

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