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Friday, October 30, 2009

サーモン・ボーイ(鮭だった少年)の教え

カナダの北西部太平洋沿岸のブリティッシュ・コロンビアの先住民にハイダ(アイダ)と名のるヒトたちがいる。「日本にいる相田さんはみなわしらの兄弟さ」という冗談とも本気ともつかないことを、彼らに昔いわれたことがある。姿格好はとにかくわれわれととてもよく似ていた。このハイダの国に、鮭とわたしたちの関係を知る上で重要な言い伝えが残されている。ハイダのヒトたちだけでなく、北西太平洋沿岸のヒトたちは、食べるものはことごとく海からやって来ると信じていて、当然ながら海が汚れることに警戒心を持つ人たちでもある。ハイダの国に伝わる鮭の話は、われわれがすべての生きものをなぜ敬わなくてはならないか、とりわけ食べ物にする生きものを大切にしなくてはならないかを、教えてくれている。同時に、なぜ縄文時代の鮭の骨の化石があまり残っていないかの理由もわかるだろう。

鮭の少年の物語
salmonboy

昔、ハイダの村に、腹をすかしているひとりの男の子がいた。お腹が減ったよと母親にいうと、母親は魚の切れ端を一切れ少年に与えた。「ほれ、これをお食べ」

魚を受け取った少年はその魚をちらっと見ただけで「こんなものは嫌だ」と言った。「腐ったような臭いがするもの」

そうはいったものの結局なにか腹にたまるものは口にしたのだろう、少し腹も落ち着いたので少年は、他の子どもたちと遊びにでた。子どもたちは村の近くの川でみんなで泳いでいた。少年も子どもたちの泳ぎの仲間に加わったが、気がつくと川の速い流れにのまれて遠くまで押し流されてしまいにおぼれてしまった。鮭のなかのヒトたちが少年の魂をつかまえて、海の下にある鮭のなかのヒトたちの国へ連れて行ったのだ。

鮭のなかのヒトたちの国では、みんな人間と同じかたちに戻って暮らしている。男の子が見たその村は男の子の暮らしていた村とほとんどかわらなかった。子どもたちは近くの川で泳いでいた。アメリカ・インディアンの神話ではたいてい、動物たちの暮らす村とインディアンの暮らす村との相似性は、どこもみんな似たようなものだ。彼ら、彼女たちは、大人も子どもも、われわれが見たことのない彼らの国では、人間のかたちをして人間のように生活している。

少年がそこで「お腹がすいた」というと、川のなかで泳いでいる子どもをひとり取ってきて、それを料理して食べるようにと言われた。しかしそのときにはひとつだけ守らなくてはならないことがあるとも。それは、食べた後は、骨も、ウロコも、どんな食べ残しも、全部なにからなにまで、きちんと川の流れに帰さなくてはならないということだった。

少年が食べ終えた後、子どもの泣く声が聞こえてきた。子どもは母親に目が痛いと訴えていた。鮭のヒトが、食事を終えたばかりの男の子に、魚の食べ残しは全部なにもかも川にかえしたか確認するように伝えた。少年が川の堤を細かく見て歩くと、彼が食べ残した目の玉が落ちているのを見つけた。彼がその目の玉を川の流れにかえすと、子どもは泣き止んだ。

翌年の春になって、鮭のなかのヒトたちはブリティッシュ・コロンビアのあの川にみんなで帰ってきた。あの少年も鮭のなかのヒトたちと一緒だった。そして彼は自分のほんとうのお母さんに捕まえられた。鮭の中にいた少年がつけていた首飾りを母親は見逃さなかったからだ。母親はとりあげた魚をとりわけてじっと見続けた。すると、一日か二日すると、置いておいた鮭の口から少年の頭が姿をあらわし、さらに数日すると身体も全部そこから出てきた。そしてあとには鮭の皮だけがまるごと残された。

このようにしてもとの村に還ってきた少年は、やがて立派なメディスンマンになって、村のヒトたちに鮭の生き方、鮭の道について教えることになった。

その鮭だった少年は、いつかその日がきて、自分が死んだときには、遺体はそのまま川にかえしてくれるよう言い続けたという。自分は川から来たので、その川に帰るのだと。それからずいぶんと冬を数えて、彼が年老いたときのことだった。彼は川で奇妙な魚をつかまえた。つかまえて取りあげたとき、彼にはそれが他ならぬ自分の魂であることを理解した。魚にナイフを刺したその瞬間、彼は絶命していた。魂の生まれかわりを信じる村の人たちは彼に言われたことを守り、彼の遺骸を川にかえした。

川のものはすべて川にかえし、山のものは山にかえすというのが、古来ネイティブ・ピープルの考え方の中心にあった。わたしたちは自分たちの食べるものにことごとく責任を持たなくてはならない。つまりそれは、そのいのちの生きている環境のことをじゅうぶん考えて行動しなくてはならないと言うことでもある。

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長野県で縄文時代の鮭の骨が大量に発見されたことの意味するもの

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長野県で縄文時代の鮭の骨が大量に発見されたことの意味するもの

newsimagename長野県千曲市の屋代遺跡群から採取された縄文時代の土から、「縄文人」と呼ばれている人たちが食べ残したとみられるサケの骨の破片約570個が見つかった(写真は屋代遺跡群で出土したサケの椎骨の化石。1目盛りが1ミリ=奈良文化財研究所埋蔵文化財センター提供のもの)。長野県の縄文遺跡でサケの骨がこれほど大量に見つかったのは初めてのことだ。東日本の「縄文人」の主食をめぐってはこれまで「ドングリ中心論」「ドングリ+サケ・マス論」などいろいろ言われてきているが、「サケ・マス」が物証として出てきたのは初めて。信濃毎日新聞は次のように記している。

縄文遺跡は西日本より東日本で多く見つかっている。サケ・マス論は、縄文時代、西日本ではドングリしか頼る主食がなかったのに対し、東日本では川を遡上(そじょう)するサケやマスも主食にして繁栄できた−とみる説。縄文土器研究の第一人者、故・山内(やまのうち)清男(すがお)博士が提唱し、1940年代から考古学者の間で議論されてきた。

屋代遺跡群は縄文時代から中世の遺跡で、91〜94年に上信越道建設に伴い県埋蔵文化財センター(長野市)が発掘した。調査後、縄文期の炉や住居跡があったとみられる部分の土約210キロを県立歴史館が保管。奈文研が2007年から、この土を「土壌水洗選別法」で調べた。

水に混ぜてふるいにかけ、網に残った粒を選別すると、サケの椎(つい)骨約550個と歯約20個が見つかった。1個の大きさは0・5〜3ミリほど。白みがかっているのは焼いたことを示すという。奈文研埋蔵文化財センターの松井章センター長によると、歯の大きさなどから体長は60〜100センチと大型で、日本海から千曲川を遡上したサケと考えられるという。

同遺跡群は千曲川に近い。縄文期の地層は現在の地表から約4メートル下で、たびたび水害に見舞われてきた地域とみられる。県立歴史館考古資料課の水沢教子・専門主事は「なぜ縄文人が水害に遭いやすい川近くに住んでいたか疑問だった。今回の研究から、サケなどの魚を捕りやすい場所を選んだのではないかと推測できる」と話す。

この記事に出てくる山内清男博士(1970年没)は1964年に「北米のIndianには、サケの溯上する地帯で、これをとって保存食料とする処もある。Salmon Areaといわれる。南はカリフォルニアから北はアラスカに至る。これに対応するアジアの東岸もこれと似ていて、各地の原住民はサケを主食とするといってよい。その南端が北海道アイヌであり、日本の東北部である。カリフォルニアIndianは北部ではサケとドングリの両者を保存食料としている。南半ではドングリが主食である。Acorn Areaといわれている。これと似て繩文式文化圏の西南半は木の実を主食とし、東北半は木の実とサケの二本建になっていたと考えられる」(「日本先史時代概説」『日本原始美術』講談社刊)と書いた。以後博士は、カリフォルニア・インディアンと縄文人の環境がにていることにこだわり続けるが、学問のヒトたちからは考古学に仮説、フィクションは不用として批判をされた。

アイヌやネイティブ・アメリカンのヒトたちの鮭とのつきあい方、とくに鮭の中のヒトとのつきあい方を学ぶことから、より鮮明な「縄文人」と呼ばれているネイティブ・ジャバニーズの姿も浮き上がってくるに違いない。今日からあなたも鮭を食べるときには心して食べてください。

Source : 千曲で縄文サケの骨 県内初大量発見 主食知る貴重資料

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Wednesday, October 28, 2009

『パワー・オブ・ストーン』という本がほしいと手を挙げてくれたみんなへお詫びを言わなくてはならない

citylights_bookstore今日、新人物往来社という出版社から宅急便で荷物が届いた。『パワー・オブ・ストーン』という3年前に刊行された自分の本だ。刊行した荒地出版という会社が新人物往来社に吸収され、200冊ある在庫を処分すると通告を受けてからもう1カ月以上がたっている。ぼくはなけなしの財布をはたくつもりで40冊を注文した。今日届いたのはわずかに7冊。確認したところ、200冊あると伝えたのは、コンピュータの管理画面上のことで、遠く離れた倉庫には実際にはほとんど残っていなかったので、あるだけ送ったとあっけない返事。在庫の管理ができていなかったのか、あるだけ売ってしまったのか、ぼくにはわからない。この本の製作にかかわつた編集者はすでに退社していた。いちども顔すらあわせたことのない電話の向こうの相手の沈黙の声を理解することはむずかしい。つまり、初版本はあらかた売り切れていたが、3年かかって売りきれるような本をここにきて増刷する余裕は中小出版社側にはもうなく、この機会にコンピュータの上の架空の200冊も全部処理されてしまったということになる。結局、『パワー・オブ・ストーン』は7冊しかない。自分で2冊キープすると、この本をほしいと言ってくれたたくさんのみんなに直接持っていって売れるだけの数が、はじめからないということになる。あやまるしかない。どうかしばらくは古本屋さんで探してください。本というものとは正しい時と場所における出会いが必要なのだ。ぼくとしては絶版になったこの本の精神が生き続け、いつかまた日のあたるところに出る機会がもたらされることを祈るしかないし、ぼくはその道を探すことは約束する(必ず次の時代の出版社があらわれると)。ぼくの作る本はどれもそうだが、数万部が羽の生えたように、パンケーキのごとく売れるものではない。大手出版社はそうした本しかありがたがらない。だから時代を超えられない本だけで書店の棚があふれてしまう。でも、独自のセレクトで時代を超える可能性のある本を売るユニークな書店さんも増えつつあって、おかげでネイティブに関する本は年を追うごとに読んでくれる人の数は増えてきてはいる。最初にぼくか作った『ネイティブ・マインド』の出版社である地湧社のように、余裕のないなかで本を大切に扱ってくれる(くれ続ける)小さな出版社があることは救いである。おかげで、絶版になることもなく、年に数千部が出続けて増刷を繰り返している本は何冊かあるけれど、ほとんどの人は本を好きなだけ購入するほどの余裕があるわけもなく、売れていく速度が余りにもスローな本は、出版不況が叫ばれてから10年以上、どこの出版社も大切な商品とは考えてくれない。それでもものを書くことと話をすることを仕事に選んだぼくは、時代を超えて次の世界が必要とすると信ずる言葉を、これからも編み続ける。

*写真はぼくがずっと好きな書店であるシティライツ・ブックストアー(サンフランシスコ)。時代を超えてきた代表的な本屋さんだ。

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佐渡でトキがバンドをつくった

toki band

トキがバンドをつくったと今朝のアサヒコムニュースが報じている。バンドというのは、ひとつの小さなまとまりのことだ。ただ寄り集まって羽根を休めているのではないと思う。これは生き残るための最初の足がかりかもしれない。トキのなかのヒトたちにとって、仲間がいるというのはとてもいいものだ。写真は昨日の朝に安冨良弘さんが撮影したもの。なかなかのまとまりではありませんか。部族を形作るのもそう遠くないことを祈りたい。

国の特別天然記念物トキの2次放鳥からまもなく1カ月。27日朝、新潟県佐渡島の放鳥場所近くの枯れ木の枝に9羽がそろい、白い羽を休める姿が確認された。

当初は数羽ずつ点在していたが、最近になって昨年放された2羽と合流し、9羽の大きなグループを作った。田んぼに降りてはえさを採り、また木の上に舞い戻る。くちばしを背中の羽に入れて眠る姿もみられた。

Source : トキ9羽、そろって羽休め 佐渡島

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トキたちがネイティブとして生き抜いていけるのなら

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Tuesday, October 27, 2009

日本列島における地球に生きる人の歴史と、学校で教わる日本の歴史はまったくの別物だと、あなたに気がついてほしいから

先日新潟県の越後川口のキャンプサイトで焚き火とロウソクの明かりのなか深夜2時過ぎまで話をしたとき、澄みわたった夜空には流れ星と星の道がずっと見えていました。夜空の中天を抜けていく無数の星の道は、普通は天の川と呼ばれていますが、それは星の道と呼んだ方がふさわしい気がします。星の道は人間の精神とスピリットに触れてゆくものだからです。街に暮らして自然を忘れた人たちの心の中には星の道はもうありません。夜空の星の道は、われわれの祖先が辿って向こう側の世界に向かった道でもあります。われわれもまたいつの日にかその道に足跡を残すことになるでしょう。星の道に見られながら精神の歴史を語ることは、久しぶりに興奮する出来事でした。

どこから来たのか、どこへ向かっているのか、今はどんなときなのか? ぼくたちは新しい学びをはじめなくてはなりません。学校の勉強からきれいに隠されている日本列島における地球に生きる人たちの歴史。われわれのほんとうの歴史とは何なのか? わたしたちの国を見る見方を180度転換することで、今まで見えなかったものが見えてきます。

今週金曜日、4回連続講座「ネイティブ・ピープルのものの見方と考え方・入門編」の最終回『歴史とはなにか』を開催します。これまでの3回はこの4回目のための準備のようなものでした。ぼくの話は最終的には常にこの先祖たちが辿った道の話をすることを目的としていますが、もとより、数千年におよぶ歴史・文化・価値についての話を4回で話すことなど到底不可能です。しかしいずれの場合でも、話し始めないかぎり終わりも見えてきません。ほんらいであれば、いずれの機会も、さまざまな土地を訪れて自分の内側に今までになかった地図を作り出しながら、同時に学問としての歴史ではなく、各人が自分の存在理由を探求するための時空を越える精神の旅を続けるように仕向けてはいます。この講座があなたにとってさらに大きな輪を回すためのものでありますように。そして、電気を使う量が大幅に減って、帝都東京の夜空にももう一度星の道が帰ってきますように。

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ネイティブ・ピープルのものの見方と考え方・入門編 第4回
北山塾 at マーブルトロン(高円寺/東京)

 *第1回  6月26日 (金) 『自然とはなにか』
 *第2回  7月31日 (金) 『祈りとはなにか』
 *第3回  9月25日 (金) 『物語とはなにか』

これまでに以上3回を終えました。東京の外れで行うこのお話会もこの4回目が最終回です。ぼくはこれまでも各地で連続講座を行うときには4回に分けてきました。4は地球に生きる人たちにとって神聖な数だからです。そして4回目におはなしするのは、わたしたちの歴史についてです。これはいわゆる学校で教わる歴史のことではありません。学校では絶対に教わることのない地球に生きるひとりの人間のためのスピリットの歴史について話します。われわれがどこから来たのかを学ばなければ、どこへ向かっているかもわからないままです。この日本列島にしっかりと足をつけて生きていくために、あらかじめ失われていたスピリットをとりもどすために、どうしても知っておいてもらわなくてはならない歴史のさわりをお話ししましょう。

 第4回  10月30日(金) 『歴史とはなにか』

 入場開始 18:45|公演開始 19:00|終了 22:30

 募集人数 50名 現在予約受付中
 参加費 ¥3,500(1ドリンク込み)
 ※当日受付での清算 参加費の一部は当ブログの維持費や北山の活動費に充てさせていただきます。

 会場 『SALON by marbletron』
  東京都杉並区高円寺南2−14−2 2F
  東京メトロ丸の内線 新高円寺駅 徒歩3分

  電話 03−5934−8106(店舗)
    03−5377−1300(オフィス)

 申込サイト http://www.marbleweb.net/salon/indian/

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Friday, October 23, 2009

ニール・ヤングの「ポカホンタス」に感じるネイティブへの思いをきみとわけあうために


  ポカホンタス

             歌 ニール・ヤング
             訳 北山耕平


  オーロラが輝き
  夜の空は凍てついて
  パドルが水を切る
  あわてて飛び乗った長い飛行
  白人の世界から緑の原野に帰る
  そこはいまだ見ることのない故郷

  われわれのティピで行われた惨殺
  切り倒された愛しい女性たち
  残された子どもたちは
  地面の上で泣いていた
  銃声がして、幌馬車がきて
  太陽が沈むと共に夜が訪れた

  バファローの皆殺し
  向かいの土手から斜め撃ち
  踏みつけにされたわが大地
  見るべきものはなにもない
  階段の上の小さな箱のなかには
  敷物(ラグ)とぼくのパイプだけ

  猟師にでもなっていれば
  生皮を何枚でもあげよう
  ポカホンタスと眠れるなら
  そして確かめてみたい
  緑の原野で迎える朝の気持ち
  いまだ見ることのない故郷の朝を

  そこにはマーロン・ブランドもいて
  ぼくたちはまるく火を囲み
  地面に座ってハリウッドの話をする
  お金で借りる良いもののこととか
  アストロドームのこととか
  最初のティピの話とか
  マーロン・ブランドと
  ポカホンタスと
  ぼくの
  三人で

*ポカホンタスは、ニール・ヤングと彼のバンドだったクレイジー・ホースが1979年に発表した「ラスト・ネヴァー・スリープス(Rust Never Sleeps)」に収められている。翻訳は、極力オリジナルのイメージを伝えたくて北山が初めからやり直した。ニール・ヤングの眼を通して見えるネイティブ・ピープルの世界をお楽しみください。英語の歌詞は続きにあります。

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新潟大学の近くに飛来した雌のトキに大学が訪問を祈願して学長の名前で交付したとされる学生証(この女の子のトキは昨年9月に放鳥された)

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Thursday, October 22, 2009

IN MEMORY OF THE GREAT QUAKE 2004

Last Modified Saturday, October 24, 2009

feather富士山に数千人の人が集まって祈りをあげた2004年の6月のWPPDから4カ月後の10月23日 土曜日 17時56分にその地震は起きた。震源地の新潟県北魚沼郡川口町では兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来9年ぶりとなる最大震度の震度7を観測した。日本列島の本州と呼ばれる島のほぼ全域を揺らしたこのふたつの地震は、ぼくが今の人生において知り得たふたつの最も大きな地震である。中越地震ではデータによれば高齢者や子供を中心に68名が死亡、4805名が負傷、避難した住民は最大で約10万3千人を数えた。家屋の全半壊はおよそ1万6千棟だった。平和活動家のキャンドルジュン君がそれまで続けてきた新潟県中越地震復興のために地元の若者たちとキャンドルを灯すイベントを発展させて野外フェス「SONG OF THE EARTH」を雪の中で成功させたのは、昨年の早春のことだった。彼はそれまでもずっと川口町にこだわり続け、ときどきいろいろな場所でて会うたびにその土地の話を聞かせてくれた。そして5年目になる今年「SONG OF THE EARTH」のイベントはさらに大きなものとなって、国内外を問わず様々な被災地の復興に携わっていけるような人と人とをつなぎあわせ、人びとが直面する偉大なる地震にたいする意識を高めるフェスティバルとして、明日から3日間、あの偉大な地震の震源地の川口町に帰ってくる。

ぼくは24日の夜のトークライブに招聘された。大きな野外フェスティバルの夜のトークライブはとてもいい体験を与えてくれるだろう。なにしろ集まってくる人たちはその夜はどこにも帰らなくてもいい人たちばかりなのだから。この夜にどんな話がどんなところまで深くつながっていけるか楽しみにしている。大地のスピリットに祈りを捧げ、われわれが生まれ落ちた母なる日本列島の声に、もう一度耳を傾けたいと思う。

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SONG OF THE EARTH2009

日時
 2009年10月23日(金)10.23追悼式典 17:00〜
 24日(土)、25日(日)Kawaguchi Rhythm Jam 9:00〜

会場 新潟県川口町運動公園(新潟県川口町中山)

アクセス
関越道越後川口Cから車約10分、JR越後川口駅から車約5分
http://www.week.co.jp/reference1/gourmet/00032805a.html

料金
前売/2日通し券:7,000円、1日券:4,000円
当日/2日通し券:9,000円、1日券:5,000円
キャンプサイト券一張り 1,000円 
駐車券一台 1,000円

オフィシャルバスツアーあります!
ツアー詳細/http://www.candlejune.jp/rhythmjam_tour.html

出演者
SPECIAL OTHERS|OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND|toe|GOMA& The Jungle Rhythm Section|Dachambo|OKI DUB AINU BAND|Leyona|ホテルニュートーキョー|DJ QUIETSTORM|DJ BAKU|MASA|REE.K|blues.the-butcher-590213 with Leyona|Yae|NAOITO|AOTA|ラビラビ|HIYOSHI|Jami|Yoshie Ebihara|SAYOKO+OTO|Yo Harding|andmore…!

ART WORK
SAL|gravity free|Mao Simmons

TALK LIVE
テックヮ・イカチ with 北山耕平

ワークショップ
ワイルドツリー and more...

TREE HOUSE
TREE HOUSE CREATIONS(小林崇)

Lighting art
SHINKILOW HIKARI ART LIVE、RGB creation

Sound
MMU、TAGUCHI

Direction
Candle JUNE(ELDNACS)

主催
S.O.T.E実行委員会

企画・運営 ELDNACS

後援 SPACESHOWER TV|新潟日報|BSN新潟放送|UX新潟TV21|FMPORT|FMKENTO|月刊Komachi|WEEK!|(株)ジョイフルタウン

協力 川口町

OFFICIAL INFORMATION

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古代のアボリジニのなかにはウサイン・ボルト選手よりも早く走れた人がいたかもしれない

footprint

newsオーストラリアで有名な人類学者の推測では、古代のアボリジニーには、人類最速と言われるウサイン・ボルトよりも足の速い人がいた可能性があるという。

イギリスの雑誌スコッツマンの報告では、人類学者で『人間学——不完全な現代人の科学』という本の著者であるピーター・マカリスター先生は、筋力や脚力から見れば、古代人にくらべて現代の人間は歴史上最も軟弱な存在だと主張している。

現代人が古代人にくらべて劣っている証拠は、オリンピックの陸上競技の選手を調べればわかると彼は主張する。20000年前のオーストラリアのアボリジニーの足の速さは、化石化して粘土層湖底に保存されていた6人の男のそれぞれの足跡によって計測された。この6人は、駆け足で獲物を追跡しているところだった。

分析の結果、なかのひとりの男の駆け足の速度は、軟らかな土の上で時速37キロにも達していたという。ウサイン・ボルト選手は、北京オリンピックの公式記録では100メートルを9秒69で走り、時速は42キロ。マカリスター先生は、ボルトの記録はグラウンドの上のもので、この古代のアボリジニーがスパイクつきの靴を履いてゴムの使われた公式トラックの上を走った場合、時速45キロは出たはずだと主張する。

「獲物を追いかけて走っているときはおそらく全速力を出していただろう。軟らかい土の上で時速37キロで走れるのなら、その人はウサイン・ボルトの記録を抜く可能性がじゅうぶんある」と。

Source : Ancient aboriginals in Australia may have been faster than a speeding Bolt!

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Tuesday, October 20, 2009

ネイティブ・アメリカン部族国家会議がホワイトハウスで開催される

news2009年11月5日木曜日、オバマ大統領はホワイトハウスにおいて部族国家会議を主催すると、ホワイトハウスが発表した。これはオバマ大統領が続けているアメリカ国民に手をさしのべる活動の一環であり、連邦政府が認めている564の部族の指導者が招集され、大統領および政府高官らと直接交流する場が提供されるもの。564の部族には各部族につき一名の代表が会議に招待される。

オバマ大統領は次のように述べた。「わたしはインディアン諸国の指導者たちの声を直接聞きたいと思っている。わたしの政権が彼らの求めにどれだけ答えられるか、そして彼らと彼らにしたがう人たちの生活を改善するのにどんな手助けができるかをうかがいたい。この会議は、現在進行中でわたしが重んじている大切な協議の一部を勤めるもので、国と国との関係をより強固にするものになるだろう」

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Monday, October 19, 2009

「ニューヨークシティ」の書き方(覚書として)


纽约市           Chinese (Simplified) 中国語 簡体
紐約市           Chinese (Traditional) 中国語 繁体
뉴욕시           Korean 韓国語
ニューヨークシティ     Japanese 日本語

Νέα Υόρκη         Greek ギリシャ語
Нью-Йорк         Russian ロシア語

न्यूयॉर्क शहर          Hindi ヒンズー語

Nua-Eabhrac        Galic ガリシア語


ניו יארק סיטי        Yiddish イーディッシュ語
ניו יורק           Hebrew ヘブライ語
مدينة نيويورك          Arabic アラビア語
شهر نیویورک          Persian  ペルシャ語

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Friday, October 16, 2009

今年ホピのスネーク・ダンスの儀式に非アメリカ・インディアンの見学者の立ち入りが禁止された

newsホピの踊りの儀式のひとつにスネーク・ダンスというものがある。踊りと言うよりは蛇と一緒に執りおこなわれる踊りをともなった雨を呼ぶための儀式で、手順が複雑であってだいたい丸一日たっぷりかかる。普通夏の後半に行われる。

このダンスも例外ではないのだが、これまで基本的にホピはどんなものであれルールを守る人たちにはすべての踊りを公開してきた。ルールは、伝統を敬い、すべての動画撮影、写真撮影、スケッチ、録音は禁止というものだった。ビールなんかを引っかけてよい気分で出かけて、つい興味深いから手持ちの携帯で撮影したりしては絶対にならないと言うことなのだ。そして伝統的なスネークダンスは、ふたつのホピの村であるミションゴヴィ(Mishongnovi)とシュンゴパヴィ(Shungopavi)で、毎年交互に行われてきた。今年スネークダンスを行ったのはミションゴヴィ村だったが、しかし今年スネーク・ダンスにおいては非アメリカ・インディアンの立ち入りが禁止されていた。日本人はどちらにはいっていたのだろう?

ミションゴヴィ村の儀式の運営に携わるロバート・マヘケワJr氏によれば、不法に写真撮影を試みたり、伝統に敬意を払わないおこないが、週末の儀式の場で横行するようになったことが直接の原因だという。

マヘケワ氏は違法な行為があれば、いかなるカメラも、携帯電話も、その他の録音機材も、すべて没収されるという。また食べ物を売ったり、アルコールを飲んで儀式の場にいることも禁止されている。

古いニュースなのだが、ずつと気になっていたので、紹介した。ホピに行きたいという人たちも多いだろうから。

Source : Hopi Snake Dance closed to non-tribal members

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復元された過去1300年の北半球の気温の変化

climatechange_northernhemisphere_1200.jpg


Source: 温暖化の観測・予測及び影響評価統合レポート「日本の気候変動とその影響」の作成について

このたび発表されたものの中で見つけた図版だけれど、ぼくの目をとらえたのが「過去1300年の北半球」というところ。図をクリックすると大きくなるので、下の年代のところとその頃になにが起こっていたのかについての記録を合わせてみてみるとなかなか興味深い。過去1300年というのは、おおざっぱにいうと「日本国が建国されて以来このかた」ということであります。図の左側が対外的に日本が建国された頃で、右端が今。この間ずーっと「日本人としての生き方」には、本質的な変化はなにも起こっていない。本州東北部で蝦夷(エミシ)征伐が推し進められて武士の時代に移行したあたりが気温がかなり上がっていたが、それ以降はしばらく低温状態で、大航海時代が始まって、亀の島がアメリカと呼ばれるあたりから気温がゆっくりと上昇し、アメリカ合衆国の建国以降、日本では文明開化以降になると拍車がかかる。こうした図一枚でも、なかなかおもしろい。はじまりがあるものには必ず終わりがあるというから、われわれは何かの終わりを目撃しているのかもしれない。

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Thursday, October 15, 2009

チーフルッキングホースから WPPD2004 のメーリングリストに届けられたメッセージ(原文のまま) アリゾナのニューエイジ・スウェット・ロッジで起こった悲劇的な事故に関して

As Keeper of our Sacred White Buffalo Calf Pipe Bundle, I am concerned
for the 2 deaths and illnesses of the many people that participated in
a sweat lodge in Sedona, Arizona that brought our sacred rite under
fire in the news. I would like to clarify that this lodge and many
others, are not our ceremonial way of life, because of the way they
are being conducted. My prayers go out for their families and loved
ones for their loss.

Our ceremonies are about life and healing, from the time this ancient
ceremonial rite was given to our people, never has death been a part
of our inikag’a (life within) when conducted properly. Today the
rite is interpreted as a sweat lodge, it is much more then that. So
the term does not fit our real meaning of purification.

Inikag’a is the oldest ceremony brought to us by Wakan Tanka (Great
Spirit).19 generations ago, the Lakota/Dakota/Nakota Oyate (people),
were given seven sacred rites of healing by a Spirit Woman – Pte San
Win (White Buffalo Calf Woman). She brought these rites along with
our sacred C’anupa (pipe) to our People, when our ancestors were
suffering from a difficult time. It was also brought for the future
to help us for much more difficult times to come. They were brought
to help us stay connected to who we are as a traditional cultural
People. The values of conduct are very strict in any of these
ceremonies, because we work with spirit. The way the Creator,Wakan
Tanka told us; that if we stay humble and sincere, we will keep that
connection with the inyan oyate (the stone people), who we call the
Grandfathers, to be able to heal our selves and loved ones. We have
a “gift” of prayer and healing and have to stay humble with our
Unc’i Maka (Grandmother Earth) and with one another. The inikag’a
is used in all of the seven sacred rites to prepare and finish the
ceremonies, along with the sacred eagle feather. The feather
represents the sacred knowledge of our ancestors.

Our First Nations People have to earn the right to pour the mini
wic’oni (water of life) upon the inyan oyate (the stone people) in
creating Inikag’a - by going on the vision quest for four years and
four years Sundance. Then you are put through a ceremony to be painted
- to recognize that you have now earned that right to take care of
someone’s life through purification. They should also be able to
understand our sacred language, to be able to understand the messages
from the Grandfathers, because they are ancient, they are our spirit
ancestors. They walk and teach the values of our culture; in being
humble, wise, caring and compassionate.

What has happened in the news with the make shift sauna called the
sweat lodge is not our ceremonial way of life!

When you do ceremony - you can not have money on your mind. We deal
with the pure sincere energy to create healing that comes from
everyone in that circle of ceremony. The heart and mind must be
connected. When you involve money, it changes the energy of healing.
The person wants to get what they paid for; the Spirit Grandfathers
will not be there, our way of life is now being exploited! You do
more damage then good. No” mention” of monetary energy should
exist in healing, not even with a can of love donations. When that
energy exists, they will not even come. Only ‘after’ the ceremony,
between the person that is being healed and the Intercessor who has
helped connect with the Great Spirit, the energy of money can be
given out of appreciation. That exchange of energy is from the
heart; it is private and does not involve the Grandfathers! Whatever
gift of appreciation the person who received the help, can now give
the Intercessor what ever they feel their healing is worth.

In our Prophesy of the White Buffalo Calf Woman, she told us that
she would return and stand upon the earth when we are having a hard
time. In 1994 this began to happen with the birth of the white
buffalo, not only their nation, but many animal nations began to
show their sacred color, which is white. She predicted that at this
time there would be many changes upon Grandmother Earth. There would
be things that we never experienced or heard of before; climate
changes, earth changes, diseases, disrespect for life and one another
would be shocking and there would be also many false prophets!

My Grandmother that passed the bundle to me said I would be the last
Keeper if the Oyate (people) do not straighten up. The assaults
upon Grandmother Earth are horrendous, the assaults toward one
another was not in our culture, the assaults against our People
(Oyate) have been termed as genocide, and now we are experiencing
spiritual genocide!

Because of the problems that began to arise with our rebirth of being
able to do our ceremonies in the open since the Freedom of Religion
Act of 1978, our Elders began talking to me about the abuses they seen
in our ceremonial way of life, which was once very strict. After many
years of witnessing their warnings, we held a meeting to address this
very issue of lack of protocol in our ceremonies. After reaching an
agreement of addressing the misconduct of our ceremonies and
reminding of the proper protocols, a statement was made in March 2003.
Every effort was made to insure our way of life of who we are as
traditional cultural People was made, because these ways are for our
future and all life upon the Grandmother Earth (Mitakuye Oyasin –
All my relations), so that they may have good health. Because these
atrocities are being mocked and practiced all over the world, there
was even a film we made called “Spirits for Sale”.

The non-native people have a right to seek help from our “First Nation
Intercessors” for good health and well-being, it is up to that Intercessor.
That is a privilege for all People that we gift for being able to have
good health and understand that their protocol is to have respect and
appreciate what we have to share. The First Nations Intercessor has to
earn that right to our ceremonial way of life in the ways I have explained.

At this time, I would like to ask all Nations upon Grandmother Earth to
please respect our sacred ceremonial way of life and stop the exploitation
of our Tunka Oyate (Spiritual Grandfathers).

In a Sacred Hoop of Life, where there is no ending and no beginning!

Namah’u yo (hear my words),

Chief Arvol Looking Horse,
19th Generation Keeper of the Sacred White Buffalo Calf Pipe Bundle.

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北山耕平が出演し・話をするこの秋のイベントとりあえず3つの紹介 I WILL SEE YOU THERE

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【イベント3】

地球の声に耳を澄まして
Talk & Storytelling on Native People 2009

日時:2009年11月7日(土)2:00~7:00pm

会場:アサバアートスクエア
   金沢文庫芸術祭 街角アートラリー情報参照
   
● 北山耕平 トーク ライブ/2:00~4:00pm

  今、われわれは先住民文化から何を学べるのか?

  参加料:予約/一般¥1500・中高大学生¥1000
  当日/¥2000・1500) 定員50名
  +交流パーティー¥500 自由参加 トーク終了後~

● ジャンピングマウス+ひかりえ 公演/5:30~7:00pm

   ストーリーテリング/古屋和子 
   インディアンフルート・太鼓/のなかかつみ
   メディスンアート・ひかりえ/アキ+アスカ
   翻案+総合プロデュース/北山耕平

   北米、シャイアン族に古から伝わるお話、ジャンピングマウス。
   一匹の鼠の魂の旅を通して語られる、
   先住民族の深い智恵が織り込まれたメディスンストーリーです。
   物語から創出された光の絵、「ひかりえ」も公開、
   大きなメディスンホイールが浮かび上がります。

   参加料:ドネイション(寸志)/予約不要


会場への交通アクセス:京浜急行金沢文庫下車 徒歩15分
           称名寺参道より一本右手の小道沿い。

共催/予約先:アース○サークル
earth_circle_access@yahoo.co.jp

アサバアートスクエア
F/045-788-9119
T/045-783-9705

北山耕平/作家・翻訳家・プロデューサー
公式ブログTwitter

古屋和子/ストーリーテラー
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kazshow/index.html

のなか かつみ/ミュージシャン
http://www.h3.dion.ne.jp/~nijinowa

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Tuesday, October 13, 2009

10月12日のコロンブスデーにむけての抗議ポスター

columbus who?

お尋ね者 クリストファー・コロンブス 重窃盗罪 大量虐殺
人種差別 先住民族への強姦、拷問、身体的破損、文化破壊に着手した
大嘘つきの扇動者 500年続く 手前勝手な集団観光事業

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Friday, October 09, 2009

誰の目にも明らかな20世紀の地球温暖化

global-warming

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ところで Twitter をはじめてみました。なにができるか楽しみです

ずいぶん前にアドレスは取得していたのですが、一週間程前から、ついったー(Twitter)で情報を流す実験のようなものをはじめました。興味ある人は、ぜひそちらにもどうぞ。アドレスは「http://twitter.com/smilingcloud」です。まだ手探り状態ですが、お手柔らかに。

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Thursday, October 08, 2009

Long Time No See

shamanここのところいそがしくて落ち着いてブログの更新ができない。書きたいニュースはけっこうあるのに。たとえば、ホピの部族会議が環境グループ(シエラクラブ)にたいして自分たちの所にはもう来ないでくれと伝えたというニュースの裏側から見えるホビの今とか、ブラジルのアマゾンで生き延びてきたアクンツ一族が最長老を失って残りの部族構成人数が5人になってしまった話、今起こっている地球規模の危機の原因は資本主義といったモラレス・ボリビア大統領の最新の国連演説だとか、富士山の地下の深いところで地盤が東京ドーム8個分ほどもふくらんでいる話とか、今年のネイティブアメリカン音楽大賞が日本にも何度か来ているケビン・ロックにきまったとか、それぞれきちんと書けば面白い話なのだが、ぼくは今、今年の暮れに出す本のことと、直接多くの人たちに話をして回ることで手が一杯なのだ。本を巡る状況はあいかわらず良くない。こんな時に本を出すことに意味があるのかと思わなくもないけれど、それでも出す意味のある本はあると自分に言い続けている。たとえば『自然のレッスン』という本は、時代の荒波を越えて今もなお生き延びているように、なにがほんとうに大切なのかを伝える本は必要な人がこれからもいるのだろうと思うからだ。本というものにたいする意識そのものが大きくかわりつつあることは間違いない。今週末はひさしぶりに関西に行き、加古川の遺跡と神戸の風の家と言うところでお話をするし、月曜日には東京の早稲田大学で、煙草という神聖な薬草についての話をするので、この間書き込みは、定期ものだけで、他はほとんどできない。いずれの会場もわざわざ来てくれた人を拒絶することはないので、よければ顔を見に来て、話に耳を傾けてみてください。閑話休題。台風が通り抜けて、空で雲たちが芸をさまざまに見せてくれています。昔、浅井慎平さんという高名なカメラマンから「芸をする雲」の話を聞いたことがあって、「そうか、雲が芸をするのかぁ」と感心したことがあり、いつかこの言葉を使いたいと思っていました。ぼくは空の雲とさまざまに不思議な縁で結ばれていて、今では芸を見せる雲としてときおり「笑雲」を名のることがあります。:-)

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Sunday, October 04, 2009

地球に生きるひとりの人間から日本列島に存在している地球に生きる人たちへ

Earth People
10月10日土曜日大中遺跡公園(加古郡)における講演会のフライヤー


入場無料ですがあらかじめ予約が必要
予約用紙はフライヤーの裏面にあります

フライヤー pdf ダウンロード
予約申込は以下に電話もしくはメールでも可能。
社団法人加古川青年会議所 
電話 079-423-3076 FAX : 079-423-3728
E-mail:master@kakogawa-jc.org

申込予約締切は10月5日です。

*家族で、友人と、恋人といらしてください。
マーク・アキクサさんのインディアンフルートの演奏もあなたのハートを開くでしょう。


参考記事:10月10日を前にして播磨町の大中遺跡についてもっとよく知っておきたい

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Friday, October 02, 2009

インディアンとカウボーイとダライ・ラマ

Dalai Lama 2009 Canadafeatherなかなか可愛いと思いませんか。カウボーイハットをかぶり、右手にはネイティブの小さな国から贈呈されたふわふわの手袋をつけ、左手ではもう片方の手袋と、ネイティブのエルダーから贈られたイーグルの羽根を持っています。着ているものはいつもの緋色と明るい黄色のローブ。もちろんいつもダライ・ラマはこんな格好をしているのではなく、これは先週9月30日水曜日に法王がカナダのカルガリーを訪れたときの記念撮影の写真。かぶっているカウボーイハットは、まずネイティブの人たちからの贈り物をもらった後に、チベットの伝統にしたがって白いスカーフをカルガリー市の市長にあげたあと、次に市長から西洋の伝統にならって尊敬の証として返礼されたもの。カルガリー大学が主催した会議に出席するために2年ぶりにカナダを訪れたときの写真の一枚で、カルガリー市には初めて足を踏み入れたそうです。THE CANADIAN PRESS/Jeff McIntosh

Source : Dalai Lama sports cowboy hat in Calgary By THE CANADIAN PRESS

あわせて読みましょう:

「聖地チベット 〜ポタラ宮と天空の至宝〜」展に関して 日本の皆様へのお願い

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Thursday, October 01, 2009

幻の縄文コレクションが今月末10日間だけ公開される

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弘前大学(遠藤正彦学長)が、青森県内の考古学、郷土史研究に尽力した青森市の故成田彦栄氏の収集品や資料約5200点からなる「成田コレクション」を収蔵する「成田彦栄氏考古資料収蔵展示室」を弘前大学総合教育棟2階に開設した。亀ケ岡文化ならではの表現豊かな美しい文様の土器や遮光器土偶に代表される多様な形状の土偶、装身具と思われるヒスイ大珠など展示される265点のほとんどが初公開。弘大は10月23日から特別展「成田彦栄氏考古資料展」を開き、11月1日までの10日間だけ一般公開する。期間中無休。

うーむ、久しぶりに弘前に行ってみたいな。(写真はイメージ)

弘前大学のアクセスマップはすごいぞ。アクセスマップ

 これまで成田氏の自宅土蔵に保管され、一部の研究者しか目にできないことから「幻のコレクション」とされてきた成田コレクションは、県内考古学の先駆者として知られる弘前市の故佐藤蔀(しとみ)氏と医師だった成田氏の収集品からなる。  約3000年前の縄文晩期を代表する亀ケ岡文化の土偶や漆塗りの土器、佐藤氏の考古資料などを描いたスケッチ、図書、さらに現在、英国の大英博物館に展示中の田子町の野面平遺跡から出土した土偶など全国的にも優れたコレクションだ。

 弘大人文学部付属亀ケ岡文化研究センターの関根達人センター長は「県の考古学を考える上でなくてはならない資料。今後、全貌(ぜんぼう)を整理していくことで価値を高めたい」とした。

Source: 本県考古学発展にと弘大に「幻のコレクション」(陸奥新報 2009/09/25) 

 特に縄文晩期に栄えた亀ケ岡文化期の遺物は、土偶や漆塗りの土器など優れた品が多く見られるという。その中の一つ、「腕組みする土偶」は大英博物館で開催中の土偶展にも出品されており、英国からの帰国後、この展示室に置かれる。

 図書史料では、1879年E・S・モースがまとめた大森貝塚の調査報告書「大森介墟篇」の多色刷り原本などもある。さらに、寄贈品を大学で整理するなかで、彦栄氏がこまめに記録した発掘ノートも多数、見つかった。

 関根准教授は「この記録と収集品を付き合わせれば収集場所も特定できる。成田コレクションの価値を高めるものだ」と強調。彦栄氏が早くから三内丸山の研究に入っていたことなど、青森の考古学研究そのものの歴史を解き明かすカギになるという。

 これらは優れた個人コレクションと評価されるが、1945年の青森空襲で市内が焼け野原になるなか、収集品は同市古川の成田さん方の土蔵で戦火に耐え、奇跡的に焼失を免れた点も見逃せない。

Source: 弘前大に「成田コレクション」展示室(asahi.com|マイタウン|青森 2009/09/30)

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