それでも故郷が水の底に沈まなくてよかったと思える日は必ずくる
Last Modified Thursday, September 24, 2009
今、八ッ場ダムの建設に反対する人たちの声をメディアがまったくとりあげないのはなぜなのだろう? ぼくはつい最近までこのダムをできるならとめたいと言っていた地元の人を知っているけれど、実際に止めようとして新政権が動こうとした途端、とめるなと言う声だけしかメディアにはまったく登場しなくなってしまった。この計画自体が途方もない愚作の上に動きはじめたプロジェクトだとしたら、とりあえず計画は止めて、残された土地や自然ををいかにうまく使うかを考えなくてはならないときなのではないだろうか? やはりこの土地が水の底に沈まなくてよかったとみんなが口々に言えるような肯定的なヴィジョンが早く生まれてこないと。多くの若い世代がその土地を自分の眼で見るために出かけるようになるとよいのだが。
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Comments
建設推進派ばかりが出てきておかしいと感じていました。
みんな工事で利害関係が深い人ばかりで、本当の住民、反対派の人たちの意見が伝えられていないし、肝心なダム自体の必要性の論議がなく、自然保護の立場からの意見も無視されています。
まだ、ダムは建設されておらず、緑も川も大地も残されています。
長い目で見ると、水底に沈めて完全に利用不可能にするより、このままの方が未来のためになると思います。
ダムは、柱だけができているので、それを利用した観光の吊橋を作るといいのではないかと思います。
日本各地に、自称「日本一~世界一?」の吊り橋ができていて、人気スポットになっています。
ダムを中止にして環境を守った村として、有名になって観光客もやってくると思います。
Posted by: YUKI@Free Tibet | Wednesday, September 23, 2009 05:25 PM
このサイトを知っていて良かったと思いました。
なぜ推進派の意見だけが報道されるのだろうと
思っていました。
それでも故郷が水の底に沈まなくてよかったと思える日は必ずくる
このタイトルに、心惹かれました。
木々や川に、山や谷に新しい芽、が
伸びますように。
Posted by: ゆき | Thursday, September 24, 2009 08:26 PM