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Thursday, September 10, 2009

明治時代の日本人はインディアンを見てなにを考えたのだったか

岩倉使節団
岩倉使節団の主要メンバー 左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通

1871年11月に、明治になってつくられた直後の新生日本国が近代化を目指す目的で欧米に大使節団を送り出した。維新で権力を手に入れた岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文といった「明治」の主役たちがみなそろってアメリカを経由してヨーロッパに出かけた。政府の役人や、留学生も含めて、総勢は100人を軽く超えていたという。主役たちの旅は、言うなれば取材旅行を大がかりにしたようなもので、結果として彼らは2年近く世界を旅して回ることになった。これが「岩倉使節団」と俗に言われる一行である。

この岩倉使節団の旅を再現させることを試みた書物『岩倉使節団という冒険』(泉 三郎著)を面白く読んだ。新生日本人が初めて団体でアメリカとヨーロッパを「観光(真の意味での観光だ)」してまわる旅行の再現録を読みながら、ぼくには70年代中ごろに意識革命直後のアメリカに取材を敢行した「Popeye」という雑誌の編集者、カメラマン、イラストレイターら総勢7、8人の取材旅行の一部始終を思い起こしていた。もちろんスケールは小さいものの、世界から学ぼうとする気概は共通して大きかったからだ。そして岩倉使節団は、西海岸のサンフランシスコからアメリカを見るための豪勢な団体旅行をはじめるのだ。

サンフランシスコから大陸横断列車で7昼夜をかけてワシントンDCを目指す。この鉄道は、後にローリング・サンダーがブレーキマンとして勤める鉄道である。サクラメント、シエラネバダの山塊を越え、トラッキーリバー沿いの高原砂漠、ぼくが言うウエスタンショショーニの人たちの国のまんなかを突っ切り、偉大な沙漠の中を進んだという。この途中で、彼らは車窓から、「顔を赤く塗り頭に羽毛をはさんだインディアン」の姿を目撃したとある。その際の、この旅の記録係だった久米邦武と米国通のやり取りが興味深いので引用しておく。

「インディアンは日本人と先祖を同じくするというではないか。今でこそ白人が天下をとってインディアンはまるで居候のように小さくなっているが、もとはといえばインディアンの土地でござろう。そこへ白人が鉄砲をもっと乗り込んできて、いわば乗っ取ったも同然ではござらぬか」

「さよう、その恨みは深く、このあたりでは鉄道工事中よくインディアンが襲ってきて妨害したようだ。鉄道が開通してからも、物陰から毒矢を放って窓を開けていた乗客がやられて死んだこともある」

「文明、文明というが、アメリカ人は結局先住民族の国を蹂躙した乱入者で、原住民たるインディアンはまるで強盗に家財一切を掠奪された上に、その家から追 い出されたようなものではないか」

「いやいや驚くには足らぬ、現実世界は弱肉強食、すべて欧米諸国のやり方はそんなものでござる」


岩倉使節団という冒険岩倉使節団という冒険 (文春新書) (新書)
泉 三郎 (著)
価格: ¥ 735

新書: 221ページ
出版社: 文藝春秋 (2004/07)
ISBN-10: 4166603914
ISBN-13: 978-4166603916
発売日: 2004/07

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Comments

昔高校の図書館で「インディアン日本へ渡る」
というような題名の児童書を見つけ読みました。
インディアンの青年が自分達のルーツが日本に
あると思い憧れ海を渡るという内容で最初に
北海道に着きそこでアイヌの人と出会い感銘を受け~
時代は幕末だったと思います。
この写真を見て思い出しました。
幕末の頃の日本人は素晴らしいなと
感じました。

Posted by: 眞司 | Thursday, September 10, 2009 at 10:30 PM

眞司さん

ぼくもその日本を訪れた最初のインディアンを調べたことがあります。ネイティブ・タイムという本の「1824」年のところに「北アメリカ大陸の北西部太平洋沿岸にあった先住民の国であるチヌーク族王国の最後の国王であり、太平洋側斜面のフラットヘッド族連合国のチーフでもあった人物の娘と、北アメリカ大陸の先住民たちとの交易会社であるハドソン湾会社の幹部、英国人アーチボルド・マクドナルドの間に、一人の男の子が誕生した」とある彼が、のちに捕鯨船でにやってきて、アイヌの人たちに助けられて蝦夷地に上陸し「アイヌはブリティッシュ・コロンビアの海岸インディアンであるハイダ族とベラ・クーラ族に体つきがそっくりだ」と日記に書き記し、のちに江戸幕府にとらえられたとき、幕府の役人に「なんだ日本人じゃないか!」と第一声を言わしめ、いろいろ聞かれて、長崎まで送られた後帰国させられた人物でした。

Posted by: Kitayama Smiling Cloud Kohei | Friday, September 11, 2009 at 08:16 AM

北山さまへ

こんにちは!
有難う御座いました。
アイヌの人に感銘を受けたというのは
本当のことだったのですね。
嬉しくなります。
たしかアメリカへ帰国された後も
日本を愛されていて
亡くなれる時最期に
「さよなら」と言われたと・・
そのように記憶しています。


Posted by: 眞司 | Friday, September 11, 2009 at 04:08 PM

今年4月に放送された、NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー 第1回『アジアの一等国』」を見ました。http://www.nhk.or.jp/japan/about/index.html
150年前に近代国家として世界にデビューした日本は、欧米列強に伍していこうと、アジアでの植民地支配を始めます。

使節団の方たちの見識は人として真っ当で、アメリカ政府のやり口に対して批判的なものの見方をしているのに、国の政策としてそれに倣うことになってしまったのは悲しいと思いました。

Posted by: ramako | Saturday, September 12, 2009 at 12:42 PM

はじめまして。いつも大変興味深く拝見しております。
面白い記事であると思いました。
しかし、江戸後期から明治にかけての蝦夷地開拓=北海道植民地化はアメリカ建国とまったく相似形であると思います。このような感性を持ちながらも、自ら同じようなことをしてしまった、という点で皮肉なものだと思いました。

Posted by: フロッガー | Tuesday, September 15, 2009 at 12:54 AM

フロッガーさま

明治に権力を握つた人たちは「弱肉強食」ということしか見えていなかったのでしょうね。とにかく「力」をもつこと。自分たちが北海道の先住民にたいして行ったのも、弱肉強食こそが正義だと思い込んでのことで、その範としたのがアメリカ合衆国の対先住民政策だったわけで。ネイティブの人たちの側に立つという発想は初めからなかったようです。「名誉白人」と呼ばれて喜んでいた日本人が多くいた(いる?)ことまで通じることです。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Tuesday, September 15, 2009 at 08:01 AM

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