「ソンミ村虐殺事件」で「(命令に)従った自分が愚かだったのだろう」と元中尉が41年ぶりに口を開いた
ネイティブ・ピープルの視点から言うと、戦争というのは大虐殺が移動しながら繰り返されることである。あるアメリカ・インディアンのおばあさんが、アメリカの歴史は「東海岸からはじまった大虐殺が東から西に向かって進み、太平洋岸に到達したあと、その後大虐殺は太平洋を渡り、日本列島(原爆と水爆)、朝鮮半島(朝鮮戦争)、アジア大陸(ベトナム戦争)へと移動した」と語ったことがある。アメリカが戦争中毒といわれるゆえんだが、日本国も、蝦夷征伐の平安時代から、鎌倉時代から始まる侍のほんとうの首切り時代、それに続く西欧化にならった日本帝国の時代と、同じように虐殺を移動させ展開してきたてきたことを忘れてはならない。日本は第二次世界大戦で連合国に敗れて「戦争はしない」という首輪をつけられるまで、戦争中毒だった。いまもアメリカに味方するという理由で戦争に荷担しようとする戦争中毒の禁断症状を見せる勢力がうごめいている。若者たちよ、「戦争とは、上官の命令に従うたくさんの兵士を必要とするある種の人たちにはおいしいビジネス」であることをしっかりと覚えておこう。
ベトナム戦争中の1968年、米陸軍部隊が南ベトナム(当時)の村を襲撃し、ベトナム人の女性や子供ら500人以上を皆殺しにした「ソンミ村虐殺事件」で、部隊を率いたウィリアム・カリー元中尉(66)が、41年の沈黙を破って当時の状況を語り、犠牲者と家族らに謝罪した。 元中尉は、虐殺を指揮したとして終身刑になったが陸軍の働きで懲役10年で保釈されたのだったが、事件について「良心の呵責(かしゃく)を感じなかった日は一日たりともない」と振り返るとともに、犠牲者とその家族、当時の部下らに「大変申し訳ない」と謝罪。「上官の命令に従って殺害した」という当時の説明を繰り返しながら「(命令に)従った自分が愚かだったのだろう」と話したという。ニューヨークから共同通信が伝えた。
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Comments
戦後に生まれ育った私たちに“戦争責任”は無いと思いますが“戦争責任のある国家のなかで生活しているという責任”が有ると思っています。それは世界大戦という戦争にもアイヌモシリ侵略という戦争、蝦夷虐殺、アテルイ・長脛彦たちとの戦争、縄文時代人への侵略、つまり先住民へ戦争を仕掛けた者が作った国家に生きている限り忘れてはならないことだと。
同時に私たちのなかには侵略された先住民の血も絶えることなく生き続いていること。
41年という時の流れに散逸させることなく謝罪の意を公開したことは大きな意味のあることだと思います。
私たちにできることは私たちの住んでいる国を知ること、その国の踏みつけている足元に、大地のものたちを知ること。そのうえで、地球がひとつだと感じられるのではないでしょうか。
Posted by: 山竒 | Wednesday, August 26, 2009 09:28 AM