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Sunday, August 30, 2009

サンダンス・チーフがホワイトハウスの前でレオナルド・ペルティエのためにオバマ大統領との面談を求めて断食に

dreamcatchernewsペルティエの仮釈放が認められなかったことを受けて、オクラホマのチョクトー国のサンダンス・チーフで、社会活動家でもあるベン・カーンズ(Ben Carnes)が、9月5日から12日まで、オバマ大統領との面談が実現されることを期待して一週間にわたる断食をワシントンDCのホワイトハウスの前で行うことを発表した。カーンズは「ペルティエの事件にはまだ答えられていない疑問がある。仮釈放委員会は、ペルティエが次回に委員会が開催される15年後の79歳まで生きられないと踏んで事実上の死刑を宣言したのだ。ペルティエは9月12日がつぎの誕生日で65歳を迎える。もう33年も刑務所に入れられているのだ」と話した。またカーンズは「選挙キャンペーンの間大統領は先住民の国々の人たちといくつも約束をしたはずだ。選挙の結果が出て以来、われわれはまず最初にレオナルド・ペルティエの件をやってくれと言い続けた。大統領がどれくらい本気なのかぜひ見せてもらいたい」とも語った。来たる9月11日に夜を徹しての集いが開かれ、12日間午前8時45分から断食に突入するという。

ベン・カーンズはゴーストダンスの復活を信ずるもののひとりで、かつて「祈りが強くほんものであるのなら、それがわれわれを守ってくれるだろう。そして世界に平和をもたらす道はそれしかない」とその思いを語ったことがある。

レオナルド・ペルティエ防衛援助委員会(The Leonard Peltier Defense Offense Committee)のサイトに今後の経過などが逐一報告されることになっている。

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Saturday, August 29, 2009

8月29日は最後の野生のネイティブ・アメリカンが発見された日

Ishi_1914feather今から98年前の1911年(明治44年)8月29日、アメリカ合衆国カリフォルニアのオロヴィル( Oroville )でその人は発見されて保護された。数千年間その地方をテリトリーとして暮らしてきたヤヒ・インディアンの文字通り最後の生き残りだった。その生涯の大半の部分をヨーロッパ・アメリカ文化の影響を受けることなく生きたという点からも、彼はおそらくアメリカにおける「最後の野生のインディアン」だったろう。その人は男性であり、世界は彼のことを「イシ( Ishi )」という名前で知っている。この「イシ」というのはヤヒの人たちの言葉で「人間」を意味する。ヤヒの社会においては、自分のほんとうの名前を一族以外のものに口にすることが禁じられており、誰ひとり彼のほんとうの名前を口にできるものがもう現存していなかったために、結局彼のほんとうの名前はわからないままになった。だから彼は「人間(イシ)」として世界に知られている。写真は1914年当時のイシ。

ヨーロッパ文化と接触する以前、北カリフォルニアにはおよそ3000人のヤヒの人たちが暮らしていたと推測されている。イシが5歳だった、1865年、ヤヒの人たちが暮らす山岳高原地帯でヨーロッパから移り住んだ人たちによる大虐殺事件が起こった。この大虐殺を生き延びたヤヒの人たちは、わずか30人ほどだったという。虐殺後、そこに牧場をしつらえた牧場経営者たちは生き残ったヤヒの人たちの半数を見つけてつぎつぎと殺害した。この血も凍るような大虐殺を身をもって体験した彼は、母親や数名の仲間たちとともにさらに山奥に隠れ住み、40年間を生き抜いたのだった。やがて母親が亡くなり、仲間たちもひとりまたひとりと亡くなっていった。

オロヴィルの近くで発見されたとき、彼は全身が衰弱していてほとんど病気だった。彼はその地方の保安官によって厚く保護されたのち、サンフランシスコにあるカリフォルニア大学バークレー校の人類学博物館に移送された。そしてその大学の人類学博物館で、5年後の1916年、結核にかかって地球における旅を終えた。カリフォルニア大学の人類学博物館では、アルフレッド・L・クローバーとトーマス・タルボット・ウォーターマンの2人の学者などがことこまかに彼のこととヤヒの人たちのライフスタイルを研究し本を書いている。

イシについて書かれた本

イシ—北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫)

イシ 二つの世界に生きたインディアンの物語(岩波書店刊)

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Friday, August 28, 2009

今年も240日が過ぎました。残り125日です。そろそろ来年のカレンダーのことを考えませんか\(^O^)/

☆Native Earth Calendar 2010☆shop NATIVE HEART」に、恒例の来年のカレンダーページを臨時増設しました。ここで紹介するアマゾンのカレンダーは毎年10月下旬頃にはいいものは売り切れてしまいます。ぼくがたくさんある中から厳選したのは、ネイティブ・アメリカン、ケルト、シャーマニズム、環境、マヤ、地球、アンセル・アダムス、スピリットのおられる大地、森、月、女性のためのカレンダー、世界の魅入られるような自然、野生動物、オオカミ、ビッグ・バッズ、ジョージア・オキーフ、自然アート、心鎮まる水辺の光景、聖なる地球、フクロウ、ハワイイ、ネイティブ・アメリカンの母なる大地、アラスカ、カリフォルニア、コロラド、アイダホ、ワシントン、オレゴン、アリゾナ、ニューメキシコなどインディアン・カントリーの美しい景観などとりあえず57点です。そうした言葉にピンときたら、ショップ・ネイティブハートの「☆Native Earth Calendar 2010☆」まで。まだこれから発表されるものも時期を見て追加する予定。来年のことは考えないという人も、一年間共に過ごすカレンダーの準備はこの機会にしておきましょう。shop NATIVE HEARTのアフリエイトは当ブログの維持運営費になります。

arrowhead_small shop NATIVE HEART☆Native Earth Calendar 2010☆

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動物たちだって良いことと悪いことぐらいはわかってる

bear friends動物の行動を研究している科学者たちは、ネズミから霊長類までの幅広い種で、動物たちが人間と同じように善悪を判断する力を持っているという確信に近づきあるというニュースをこの夏読んだ。動物は人が動物の衣服をまとっているのだとするネイティブ・ピープルの認識からすれば至極当然で、あきれるぐらいのことなのだが、科学がようやくその近くにたどり着きつつあるらしい。

あなたは善悪の判断に自信はありますか?
とかく人間は、自分たちだけが複雑な感情を体験していて、善と悪とを判断する道徳観を持っていると思いこみがちだ。だが英国のテレグラフ紙の科学担当記者のR・グレイによると、アメリカコロラド大学で生態学を教えるマーク・ベコフ(Marc Bekoff)教授は、善悪を判断する能力はあらかじめすべての哺乳動物たちの脳にしっかりと組み込まれており、それが接着剤の働きをして、攻撃的で競い合いがちな動物たちが社会的にもまとまって集団生活を営むことができると信じているという。

ベコフ教授は世界各地から、異なる動物の種が生まれつき公正さを見極める感覚を持っていたり、あわれみを見せたり、困っている他の動物たち助けたりしている証拠を集めた。教授の結論は、動物たちをもっと人道的に扱えと主張する動物保護団体を奮い立たせることになるかもしれないが、当然ながら専門家の一部には、動物たちが複雑な感情や社会的責任をどの程度体験できるのかに懐疑的な人たちもいる。

ベコフ教授はその最新の著書である『野生の正義』のなかに書いているそうだ。「人間に道徳心があり、動物にはそれがないとする信念は、長年の仮説に過ぎない。この仮説がほんとうでないことを示すようないくつもの証拠が続々と集まってきているのだ」と。正し道徳律はそれぞれの種に固有のものなので、それらを人間のものと比較することは困難ではあるらしい。

教授がそうした例として、かつて鮫に襲われようとしている人間をイルカが助けた例や、アンティローブが包囲網から逃れるのを助けた象などをあげたことがある。そのとき彼の考えは科学者の間で論争の的となったが、教授は「種の異なるもの同士の感情移入があるかどうかを知ることはとてもむずかしいが、ないといいきることもなかなか難しい」と発言した。

動物のスピリットが見えない科学者でも
今回の本の中で、彼は書いている。たとえばオオカミは厳格な規則で統率されてまとまっている社会集団で生きている。群れの数が大きくなりすぎると、構成するメンバーたちは密接につながり会うことができなくなり、群れは崩壊してしまう。オオカミはまた公正さを態度で示す。じゃれ合って互いを噛み合うときにでも、優位な地位に立つオオカミは自ら下位にいるオオカミたちにハンディをつけ、あえて為すにまかせて、度を超さない程度であれば噛むにまかせる。ベコフ教授はこうしたことが可能なのは、オオカミたちの行動が道徳律によって支配されているからだと主張する。もしそのとき下位のオオカミが強く噛みつきすぎると、つぎにじゃれ合って噛み合う前には、許しを求めるための「頭を下げる仕草」が求められている。

オオカミと並んで犬のグループにはいる、コヨーテの場合、同じようにじゃれ合って噛み合うが、あまり強く噛む仔はグループの中で次第に仲間はずれにされ、最後には群れから永遠に追放されるという。ベコフ教授らが群れから離れていく子どもたちの死亡率を調べたところ、群れに留まる仔たちにくらべて「4倍から5倍高かった」という。また普通の家庭犬の場合も、2匹飼っている場合、一匹にご飯をあげてもう一匹にご飯をあげないようにすると、犬たちはご飯をわけあうことから、公正さの感覚を持っていることがわかると教授はいう。

そのように彼が今回特に研究対象とした動物は、ほかには象、チンパンジー、ネズミ、コウモリ、クジラなどがある。こうした動物たちの生態を細かく観察して、動物たちが人間と同じようなある種の公平感や、正義感などの道徳を持っているのではないかとするベコフ教授の研究が、公平感や正義感などの道徳律をなくした人間が増えていく中で、これからどうやって発展していくのか興味あるところではありませんか。動物も植物も鉱物もすべてがひとつの輪の中でつながりあっているとする「いのちの輪」に、平和とバランスが回復されるといいですね。


Source : Animals can tell right from wrong (Telegraph.co.uk 23 May 2009)

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Thursday, August 27, 2009

マリフアナ所持は「合法」とアルゼンチン最高裁で判決

きっと世界で日本だけが「常識のない国・バランスを失った国」として世界から見られているのだろうね。元麻薬取締官なる人物が偉そうな顔してワイドショーに出て、おそろしく時代から外れた発言をし、マスコミも自分で判断せずにその御輿に乗っかって深刻な顔してる国は、なんとも恥ずかしいのだが。

アルゼンチン最高裁は25日、個人的な使用目的で少量のマリフアナを隠し持っていたとして薬物所持の罪に問われた被告5人の判決で、「第三者に明確な危害を加えない限り、成人を刑事罰に問うのは憲法違反だ」とし、無罪を言い渡した。スペイン通信などが報じた。

メキシコで先週、少量のマリフアナなどの所持は刑事罰の対象としないとする法令が発効するなど、中南米では刑罰より治療で薬物のまん延を防ぐ政策が採用されつつあり、今回の少量所持「合法」判決はこうした流れに沿ったものだ。

アルゼンチン政府は、薬物中毒に対する治療強化などを盛り込んだ改正法案を年内に国会に提出する方針。5人に対しては高裁でも同様の判決が出ていた。(共同)

next マリフアナ所持は「合法」 アルゼンチン最高裁

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Tuesday, August 25, 2009

ラコタの叡智の守り人 (YouTube Interview)



Lakota Wisdom Keepers

Lakota Wisdom Keepers(ラコタの叡智の守り人)はネイサン・チェイスィング・ホース、デイビッド・スワロー、ウォーレス・ブラック・エルクとの、ほぼ4世代にわたる智者たちとのインタヴューで構成されている。いずれもラコタのなかで大きな影響力を持つ智慧者ばかりである。基本的に英語なので、興味ある人はご覧ください。

Produced and Directed by Nick Halsey, Director of Photography Dave Westin, Editing by Steve Weiss, second editor Rafaela Castellanos

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Monday, August 24, 2009

レオナルド・ペルティエには自由を与えないという回答にオバマ政権にたいするネイティブの人たちの失望が広まっている

Update | 18.54 p.m.

free_peltiernews60年代後半から70年代にかけて、部族の指導者たちが完全にふたつに分裂して、(アメリカ)政府の支援を受けたプログレな部族指導者たちのグループと、伝統派のネイティブ・アメリカンや彼らを支援する若い活動派の間では、文字通り一触即発の戦争状態が続いていた。こうした動きを見せていたのは、伝統派の年寄りたちの力が強かったホピや、ラコタ(スー)の国の周辺地域が顕著だった。1975年6月26日、スー・インディアンのパイン・リッジ居留地(サウスダコタ)で、そうしたときに傀儡部族政府と伝統派支援グループの間で事変が起こった。双方の銃撃が鎮まったあと、二人のFBIのエージェントとネイティブ・アメリカンの活動家の遺体が発見された。アメリカ政府はFBIの人間を処刑のように射殺したとして、しばらくしてひとりの青年インディアン活動家を逮捕した。捕らえられたのがレオナルド・ペルティエというラコタとアニシナベの血を受け継いだネイティブの青年だった。レオナルドは逮捕直後から一貫して誰かを殺すために銃は撃ったことはないと主張し続けた。二人のFBIエージェントを至近距離から射殺などしていないと。しかしアメリカ政府はノースダコタの裁判所でいかがわしい警察の証言だけを元に1977年、彼にふたつの終身刑を命じ、レオナルド・ペルティエは収監された。レオナルドはあれから今年でもう32年間も刑務所で暮らしている。先日も報道したが、今年、15年ぶりに彼の仮釈放を認めるかどうかを決定する公聴会が開催されたが、公聴会のメンバー選定がブッシュ王朝時代の置き土産だとはいえ、先日、オバマ王朝下のアメリカ政府によって結論がだされ、大方の予想を裏切って、反省の色が見られないとして仮保釈は認められなかったために、失望がネイティブ人たちの間に広まっている。

たとえばあのリトル・トゥリーを名のったフォレスト・カーターが「今日も差別、明日も差別、永遠に差別」という有名な人種差別を肯定する演説を書いていた大統領候補のジョージ・ウォレスという有名な政治家を、選挙キャンペーンの最中に銃撃して刑務所に送られたアーサー・H・ブレマーは35年後に仮保釈を認められている。レーガン大統領を殺そうとして銃を発射したヒンクリーは今では仮保釈が認められて、母親のもとを訪れるための運転免許証も与えられて、自分の家から病院へ通っている。チャールズ・マンソンのファミリーの一員で、フォード大統領に銃を向けた「スクイーキー」ことリネツト・フロムも、33年を刑務所で過ごして今年釈放された。大統領や、大統領候補を暗殺しようとして逮捕された人間ですら、今では外を自由に歩けているのに、いまだに無実の人間を刑務所に閉じこめていては、あまりにも正義がないと見られても仕方ない。次回のペルティエの仮保釈を認めるかどうかを決定するヒアリングは2024年、ペルティエが79歳になるまで開かれることはないという。


arrowhead_small レオナルド・ペルティエの仮釈放を認めるかどうかをきめる公聴会がまもなくペンシルバニアで開かれる ペルティエのための正式な公聴会が開かれるのは1993年以来はじめて

arrowhead_small UPDATE! 4時間にわたるペルティエの仮保釈を認めるかどうかの公聴会が終了し、あとはアメリカ政府がどのような答を出すかに注目が集まっている

arrowhead_small ペルティエに自由を![Walk in Beauty Project]

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「ソンミ村虐殺事件」で「(命令に)従った自分が愚かだったのだろう」と元中尉が41年ぶりに口を開いた

ネイティブ・ピープルの視点から言うと、戦争というのは大虐殺が移動しながら繰り返されることである。あるアメリカ・インディアンのおばあさんが、アメリカの歴史は「東海岸からはじまった大虐殺が東から西に向かって進み、太平洋岸に到達したあと、その後大虐殺は太平洋を渡り、日本列島(原爆と水爆)、朝鮮半島(朝鮮戦争)、アジア大陸(ベトナム戦争)へと移動した」と語ったことがある。アメリカが戦争中毒といわれるゆえんだが、日本国も、蝦夷征伐の平安時代から、鎌倉時代から始まる侍のほんとうの首切り時代、それに続く西欧化にならった日本帝国の時代と、同じように虐殺を移動させ展開してきたてきたことを忘れてはならない。日本は第二次世界大戦で連合国に敗れて「戦争はしない」という首輪をつけられるまで、戦争中毒だった。いまもアメリカに味方するという理由で戦争に荷担しようとする戦争中毒の禁断症状を見せる勢力がうごめいている。若者たちよ、「戦争とは、上官の命令に従うたくさんの兵士を必要とするある種の人たちにはおいしいビジネス」であることをしっかりと覚えておこう。

ベトナム戦争中の1968年、米陸軍部隊が南ベトナム(当時)の村を襲撃し、ベトナム人の女性や子供ら500人以上を皆殺しにした「ソンミ村虐殺事件」で、部隊を率いたウィリアム・カリー元中尉(66)が、41年の沈黙を破って当時の状況を語り、犠牲者と家族らに謝罪した。 元中尉は、虐殺を指揮したとして終身刑になったが陸軍の働きで懲役10年で保釈されたのだったが、事件について「良心の呵責(かしゃく)を感じなかった日は一日たりともない」と振り返るとともに、犠牲者とその家族、当時の部下らに「大変申し訳ない」と謝罪。「上官の命令に従って殺害した」という当時の説明を繰り返しながら「(命令に)従った自分が愚かだったのだろう」と話したという。ニューヨークから共同通信が伝えた。

ソンミ村虐殺事件を謝罪 米陸軍元中尉、41年後に

ソンミ村虐殺事件 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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Saturday, August 22, 2009

北山塾の3回目のお知らせ(次回は9月25日金曜日に行います)

praying

7月最終金曜日の北山塾にご参集いただいた50名余のみなさん、お疲れさまでした。エアコンの設備が壊れ、小生の目の前に滝のように水が降ってきたとき、そろそろ今日は終われというメッセージかと思いました\(^O^)/ あの機械の崩壊はなにを伝えようとしていたのか、意味のないことなどない世界で長く暮らしてきたぼくは悩み続けました。聖なるものが、どのようにしてその神聖を外されて、ただの珍しいもの、みんなの慰みものになっていくかのプロセスと聖なるものを聖なるものにとどめる祈りの働きについてあの日はうまく説明できたのだろうかと、結構反省もしました。ようやくあの日のことを文字にする力が還ってきたので、これは塾の3回目のお知らせもかねて、書き綴っています。

次回のマーブルトロンの場を借りて行う北山塾の3回目は、あの日とっさに決めたとおり、今月8月の最終金曜日に関してはお休みします。高円寺阿佐ヶ谷付近がお祭りであるために、とてもそんなことはやっていられないというヒトがおられるかもしれないし、そうした世界のバイブレーションと正面から争うつもりもこちらにはありません。あくまでもピースがよろし。なんだ弱気だなと思われるかもしれませんが、土地の神さまを優先するのが道というものです\(^O^)/ しかも選挙まであるというではありませんか。地震が頻繁に起こっているのは、日本列島そのものがなにかを伝えようとしているからであることは間違いありません。しばらくは人間の声ではなく自然の声ら耳を傾けてください。

ぼくも8月に自由な時間を取れるのはありがたいことで、今年の年末に刊行する予定の「地球のレッスン」という「自然のレッスン」の続編の最終的な編集にはいっています。そういえば以前「自然のレッスン」のフライヤーに掲載する感想文を求める記事を掲載しましたが、先日フライヤーが完成し、応募してくれた人のところには届いたか、じきにに届くと思いますし、掲載された方には約束通り、天変地異が起こらないかぎり「地球のレッスン」を完成次第プレゼントさせてもらいますので、しばらくお待ちを。

次回の「講座 ネイティブ・ピープルのものの見方と考え方・入門編」についてはすでに定員の半分ぐらいの方が予約してくれていますが、次回は9月25日金曜日を予定しています。今回は「物語 ストーリーテリング」についてです。物語の必要と重要性についてはこのブログでも折にふれて伝えてきました。われわれの世界から物語が消えていった背景も探れればいいと思いますし、再生させるべき物語についても考えていきたいと思います。会場に定員があるために予約が必要です。

講座の受講受付はマーブルトロンのネイティブ・ピープルのものの見方と考え方・入門編のページで行っています。

9月、10月は関西地方や九州や関東で有料無料を含めていくつかのトークイベントが予定されています。それぞれ1カ月ぐらい前になったらここで報告します。他にもまだいくつか伝えなくてはならないことがあったような気がしますが、それらはいずれまた。

*ネイティブ・ピープルのものの見方と考え方・入門編講座による収益の一部は
当ブログ Native Heart の維持管理費として活用させていただきます。

reddot 講座 ネイティブ・ピープルのものの見方と考え方・入門編の予約ページ

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「スピリットをきれいに洗おう」とワレラはチェロキー語と英語で歌う


Wash Your Spirit Clean

(sung in Cherokee and English by Walela)

Give away the things you don't need
Let it all go and you'll soon see
And you'll wash your spirit clean

Wash your spirit clean

Go and pray upon a mountain
Go and pray beside the ocean
And you'll wash your spirit clean

Wash Your spirit clean

Be grateful for the struggle
Be thankful for the lessons
And you'll wash your spirit clean
And you'll wash your spirit clean


WALELA

スピリットをきれいに洗おう

歌 ワレラ ( Walela )

チェロキー語と英語で歌っているもので意味は以下に

必要のないものはあげてしまおう
どんどん手放していけばばわかる
そうやって自分のスビリットをきれいにしているのだと

スピリットをきれいに洗おう

山の頂に登り祈りをあげよう
海辺にたたずんで祈りをあげよう
そうすれば自分のスピリットがきれいになるだろう

スピリットをきれいに洗おう

あらそいごとはありがたく思おう
学びのすべてに感謝をしよう
そうすれば自分のスピリットがきれいになるだろう
そうすれば自分のスピリットがきれいになるだろう


*Wash Your Spirit Clean が収められているアルバム「WALELA」。ワレラとはチェロキー語で「ハチドリ」を意味する。1997年に Rita Coolidge と姉の Priscilla Coolidge そしてブリシラの娘の Laura Satterfield の3人で結成された。

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Friday, August 21, 2009

ぼくが8月18日に見た1枚の写真を君と共有しようと考えた理由

badlands_pacholka

新聞のなかに滑り込むかわりにインターネットに浸かるようにして世界を見るようになつてからだいぶたつ。画像や、映像や、動画もそのなかに含まれている。毎日1枚は今日のベスト写真なりを編集者時代の習慣みたいなもので選んでいるが、当然だけれどしばらくすると忘れてしまう。いつまでも覚えているわけにも行かない。たくさん見る写真のうちで当たり外れのないものが、毎日航空宇宙局(米国、NASA)が公開している「Astronomy Picture of the Day (今日の天文写真、略してAPOD)」だが、8月18日の1枚はこのブログで紹介する価値がある。上の写真がそれだけど、きっと小さすぎてなんだかわからないかもしれないが、写真をクリックするとオリジナルへ飛ぶようにしておいた。これ、ラコタの国の聖なる中心にあるバッドランド(サウスダコタ州)から上空の天の川を含む宇宙を撮影したもの。なぜここが世界の中心だとラコタの人たちが言うのかその理由がここには写しだされている。実は以前にも、このAPODで、ぼくがヴィジョンを見た場所そのままの写真が掲載されて腰を抜かすほど驚いたことがあったが、モノクロームの写真だったがゆえにそのときはぐっとこらえて紹介はしなかった。しかしバッドランドの宇宙の写真は、どうしても君にもみてもらいたいと考えた次第。

ラコタの人たちの間には、夜空の美しい星と結婚したいと考えた若い娘たちの話が残されている。彼らはこのような星の世界を毎日のように見ているがゆえに、星の世界と現実の世界を自由に往き来できるのかもしれない。

The Milky Way Over the Badlands [Astronomy Picture of the Day 2009 August 18 ]
Credit & Copyright: Wally Pacholka (AstroPics.com, TWAN)

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アルジャジーラが世界に流したひさしぶりのラコータ共和国ニュース あるいはラッセル・ミーンズおじさんの挑発は今も続いている

ラコータ共和国について最新情報がはいってきたので報告しておく。詳細は以下のラッセル・ミーンズのアルジャジーラによる最新インタヴューを見てほしい。ラコータ共和国を引っ張るラッセル・ミーンズによれば、アメリカ合衆国は現在自分たちのことを「ひたすらに無視しようとしている」と言っている。アメリカに批判的なメディアも成長しつつあるために、世界のかなりの部分がラコータ共和国構想を知り始めているにもかかわらず、アメリカとアメリカに従う国々はその構想を無視し続けている。ラコータ語を話す年寄りは現在平均年齢が六十五歳であり、この人たちがなくなってラコータ語を話すものがいなくなり、みんなが英語を話すようになるとラコータ国も消えてしまいかねないと熱く語る彼の思いが、つたわってくるようなインタヴューだ。

しかし彼の「家父長制(恐怖を基盤にしたもの)」ではなく「現在のアメリカのなかに、母系制(バランスがとれている)に基づいた、すべての人種のための、所得税も固定資産税もない(土地の所有などはじめから出来ないものとする)ラコータ国の独立構想」は、世界が行き詰まっている今こそ耳を傾ける価値はあるとぼくは考えているし、この動きは地球各地の先住民の国々に、インターネットを経由しつつ広まって大きなインパクトを与えつつある。日本国も、あまりに長きにわたって続けてきた家父長システムの国がどうしようもなくデッドエンド状態でもがいているが、どのようにすればもう一度母系制の国造りが出来るのかを真剣に考えるときがきているのかもしれない。ラコータの賢者であったルーサー・スタンディング・ベアは「男というものは、とかく森を恐れると、森を支配したがるものだ。そして支配できないとわかると、森を破壊したくなる」と発言した。家父長制度に基づいた国がなぜ自然を破壊しつくしてきたかを考えると、支配と破壊の関係もわかるだろう。

地図はラコータ共和国の場所を示すもの。そここそがほんとうのアメリカであり、それ以外のアメリカ合衆国とされる土地は、「テロリストたちと不法移住者の暮らす土地」と記されている。(^^;)

republic-of-lakotah_map_new.jpg


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Thursday, August 20, 2009

今日は彼女が奇跡としてこの世界にやってきた日

white_buffalo

8月20日は聖なる白いバッファローとしてこの世界に生まれ「ミラクル」と名づけられた特別な存在の15回目の誕生日に当たる日です。1994年の8月20日に、ウィスコンシン州のハイダ牧場でアルビノではない白いバッファローの子どもとして誕生しました。ラコタ、ダコタ、ナコタの国々の人たちは、自分たちに伝えられていた予言(レイム・デイアー王の語った予言を参照のこと)の成就として彼女を受け入れ、彼女の守護者となり、この報せを世界に広めました。南北アメリカ大陸だけでなく、世界中のネイティブの人たちに大切なメッセージを残したその特別な存在は、その生涯に体の色を4回変えたあと、彼女が10歳になった秋の2004年の9月にスピリットの世界に旅立たれました。ぼくがこのブログをはじめるきっかけのひとつになったものも、彼女の誕生でした。

arrowhead_small Miracle, the Sacred White Buffalo - Janesville, Wisconsin

arrowhead_small ラコタの聖なる人であり、メディスンマンであり、おそらくは「ヘヨカ(へそまがり道化)」でもあった故ジョン・ファイアー・レイム・ディアーが、1967年に語ったホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン(白いバッファローの仔牛の女)についての話 ホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン

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Monday, August 17, 2009

縄文時代の終わりと弥生時代のはじまり ー 日本列島でなにが起こってこんな今になったのかを理解するために

稲作渡来民日本列島の歴史を通観するときに、しばしば「外からやってきたのは文化であって人間ではない」とする考え方が主張される。長いこと縄文時代を築きあげていた縄文人が農耕技術を取り入れて弥生時代を開花させて今の日本の基礎を作ったとする「日本中心主義的歴史観」を展開する学者の人たちも少なくない。最初から日本人が日本列島にいたとしておかないとなり立たない価値観が彼らを背後からバックアップして、今ではそのように信じ込んでいる人も多くない。『稲作渡来民』という本は、そうした考え方を根本的に否定しているようにぼくには読める。久しぶりに面白い歴史の本だった。ぼくは『ネイティブ・タイム』という本を読まれるとわかっていただけるが、かねてから日本列島は米のプランテーションとして開拓されたと主張するものであるが、著者の主張はつぎの一文に象徴されている。「舟を駆使して移動性に富む稲作渡来民が、水田稲作の圧倒的な有利性を背景として、はじめから水田の適地を求めて渡来、移住したもの」

「稲作渡来民」という言葉は、外来作物である稲と、農具としての「舟文化」を持ち込むことで、日本列島に弥生時代をはじめて「日本人の母体」となった人たちをさす著者の用語であり、この本は東アジア大陸から朝鮮半島南部に水田稲作を持ち込んだその人たちの足跡をていねいに追いかけた研究書であると同時に、優れて今的な自分とは誰でどこから来たのかを考えるのに不可欠な視点を与えてくれる良書と言っていい。韓国における稲作文化のはじまりと日本列島の弥生時代のはじまりにおける類似点や違いの分析など、あらためて教えられることもたくさんある。日本列島でそれ以前に数千年間続いた文化が、中国大陸や朝鮮半島で起こっていたことの影響を受けて、どのように変容していったか想像させてくれるという点で、読んでいて刺激を受けた本としては最近では珍しいものである。惜しいのは、稲作によってもたらされる「富」という考え方の部分や、稲にたいする信仰の移り変わりなどの精神的なものからのアプローチがほとんどないところだろうか。しかしねポリネシア、倭人、日本列島の丸木舟文化、当時の航海術などの指摘は大いに参考になるだろうし、人類学的形質を置換するほどの大きな変化を日本列島にもたらしたものの、それ以前からあった言語の基本的な性質に変化を与えなかった理由など、知っておくといい考え方も提示されている。著者はこの本の結論部分にこう書いている。

「稲作渡来民の入植という視点からみることによって、『すでに原始的農耕を行っていた縄文人が稲作を受容して低湿地に進出した』という考え方よりも、容易にいろいろな問題が理解できる。しかしそれは『縄文人が弥生文化を育てて農耕社会を築いた』といった、心の和む話ではない」

稲作渡来民 —「日本人」成立の謎に迫る (講談社選書メチエ)池橋 宏 (著)
価格: ¥ 1,785
単行本: 264ページ
出版社: 講談社 (2008/04)
ISBN-10: 4062584115
ISBN-13: 978-4062584111
発売日: 2008/04

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Sunday, August 16, 2009

「アメリカ・インディアンに髭は生えるのですか?」

cantbelieve「アメリカ・インディアンに髭は生えるのですか?」という質問が、アメリカのミシシッピー州のハッティスバークと言うところの新聞のサイトに掲載されていると教えてくれる人がいたので読んでみた。8月13日の記事にそれがあった。「アメリカン・インディアンに髭なんてことはあり得るのか?」というタイトルだった。フィリップ・ミラノという Y Forum [そこまで聞くのか!? 知りたかったけれどなかなか聞けなかったこんな質問とあんな答え]という、異文化の疑問を探り合うサイトを主催している人がまとめた記事で、面白いので読んでみた。

インディアンの男性に髭は生えるの?

「アメリカン・インディアンの男性に髭は生えるのですか?」という疑問をそのサイトに投書したのは、アイオワ州に暮らす65歳の白人男性のモンティー氏。また同じようにテネシー州のナッシュビルに暮らす33歳の白人男性のチャールズ君も投書していた。「馬鹿げて無知な質問かもしれないけれど、ネイティブ・アメリカン(アメリカン・インディアン)のことで教えてください。ネイティブ・アメリカンの顔の髭や体毛はどうなっているのですか? 最近自分は100パーセントネイティブ・アメリカンだという人物と出会ったのですが、その人は無精髭がもじゃもじゃ生えていて、腕毛もたくさんありました」

この質問にたいする読者からの返事がいくつかまとめられていた。

「あなたに自分を100パーセント・ネイティブ・アメリカンだと言ったその男は100パーセント嘘つき」ワシントン州メリーズヴィルに暮らす37歳のアメリカン・インディアンの女性のスーザンさん。

「遺伝子的にそんなことはありえない。他の人種と混血していないと無理。ハッハ。ぼくは四年間髭を伸ばそうとしてこまめに顔の髭剃りをしたけれど残念ながら結局生えなかったよ」
ニューメキシコ州アルバケルク在住アメリカン・インディアンで22歳のテレンス君。

「生えている人もいれば生えていない人もいる。われわれがアジア人と関係があるのではないかと興味を持っているのならそれはありえない。氷河の橋を越えてきたという考え方から推測されたものだろう。アジア人はアジア人でビューティフルな文化を開花させているし、われわれにはわれわれの文化がある」サウスダコタ州ラピッドシティのネイティブ・アメリカン、サムソン氏。

「ありますよ、彼らには髭も生えているし体毛もあります。でも、ほんの少しですけれど。彼らは少し生えてくると顔から髭をむしり取ってしまうのです」カリフォルニア州ローズヴィル、G・J・J。

「わたしの妻はネイティブ・アメリカンですが、妻に言わせると、ほとんどのネイティブ・アメリカンの体毛は細くて短くて、顔の髭はほとんどないらしいです。もちろん人それぞれではありますが」ニューメキシコ州ロスアラモス在住、白人のジョン・F。

専門家に聞いた意見をまとめると——

12000年から15000年程前の氷河期に、一時的に陸橋となっていたシベリアの狩人たちがそれを渡ってはいってきたとするベーリング陸橋理論が、嘘ねえ?

この問題は、まだ答が出されてはいないといっておいた方がよいかもしれませんよ。めんどくさいDNAテストの指し示すところでは最初のアメリカ人はもしかしたらアジアでないところから舟で来たのかもしれないと主張する研究者もいます。

毛髪については、イースタン・コネチカット州立大学の、アメリカン・インディアンの文化人類学者ジユリアン・ジェニングス先生に言わせると、部族によって頭髪はさまざまに異なっています。顔の髭は、伸ばそうと思えば伸びるにもかかわらず、伸ばさないようにしているのだとか。

1634年に初版が刊行されたウィリアム・ウッズ著の「ニューイングランド探査行」という書物があり、1977年にオールデン・ボーガンの編集で復刊されたのですが、そのなかにこういう記述があるそうです。「顎髭を伸ばしたいなどという希望は認められない。少しでも生えてくると根本から引き抜かれてしまう。彼らにとってそれは役立たずで、煩(わずら)わしいもので、不名誉な副産物と見ていて、髭が少しでも生えていると卑しいイギリス人のまねをしているとまで非難される」

チェルエンハカ(ノットウェイ)部族(「川の流れの人たち」という、同系統のアルゴンキン語を話すタスカローラの言葉から来ている呼び名)の出身であり、「南部ニューイングランドのネイティブ・ピープルの文化の歴史」という書物の共同執筆者であるジェニングス先生は「髭が生えないというのは作られた固定概念にすぎません」と言っています。

「ひとつの例をあげれば、わたしの父親など髪の毛もとても薄かったです。顔の髭のことでなんて、ヨーロッパ人とくらべると、まるで気にしていませんでしたよ」

北山耕平的結論

インディアンに髭は生えないとか、インディアンにはげはいないというのも、ステレオタイプに基づいた意見なのかもしれません。


cantbelieveI Can't Believe You Asked That!: The Ultimate Q&A about Race, Sex, Religion, and Other Terrifying Topics
# ペーパーバック: 288ページ
# 出版社: Perigee Trade; Perigee Trade Pbk. Ed版 (2004/9/7)
# ISBN-10: 0399530169
# ISBN-13: 978-0399530166

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Thursday, August 13, 2009

新しいスタイルの動物園や水族館が生まれているという

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最近の動物園や水族館は大きくその見せ方を変えている。出来るだけ自然に近い姿を見せられるようにしようと人間がようやく考えはじめたからだという。もう何十年も前に、はじめて動物園に行ったときの子供だったぼくの心に与えた衝撃は計り知れないものがあった。いったいここはなんなのだ? 薄汚れて臭い檻に入れられた動物たちを見るところなのか? この時の衝撃はうまく言葉に出来なかったが、のちにネイティブ・アメリカンの文化の洗礼を受けた後は、その衝撃のリアリティがだいぶ見えるようになった。

動物園に収容されている動物たちは、現在地球から姿を消しつつある貴重な動物が多い。先住民の人たちが神の使者としてあがめる神聖な動物たちもたくさんつかまえられて見せ物にされている。そうやってわれわれは知らず知らずのうちに「神聖なもの」がただの「珍奇なもの」におとしめられるのを見ている。それは地球から「聖なるもの」が海の潮が引くように消えていっているのと重なっていた。

「動物というのは、動物の服を着た人々のことなのだ」と語ったのはぼくが尊敬するネイティブ・アメリカンのストーリーテラーであるジョニー・モーゼス氏(師)である。彼はアメリカ北西部太平洋沿岸地域に暮らす先住民族(日本列島の先住民と強い関係にあると想像される)のヌートカなどいくつかの少数民族の血を受け継いでいた。

ネイティブ・アメリカンに伝えられたいくつもの物語を学んでいくうちに、まず気がつくのは、自然界においては人間と動物たち、人間と植物たち、人間と鉱物たちが共通のスピリットを分けあっているという彼らの「世界観」だった。狩人はだから自分の犠牲となる動物のスピリットに絶対的に尊敬を払わなくてはならない。木を切るものはその木のスピリットに尊敬を払わなくてはならない。石を動かすものはその石のスピリットに尊敬を払わなくてはならない。

スピリットの世界と、わたしたちの暮らすこの世界は、おそろしいまでにすぐ近くにある。そのふたつの世界をつなぐための儀式が、昔からさまざまに人間世界にはあり、ぼくが知っているネイティブの人たちはひとり残らずこのふたつをつなぐための儀式や祈りに対してはみな尊敬を払っていた。そうした土地とつながっている先住民のスピリットにたいする知覚は、土地と切り離された渡来系の人たちのスピリットにたいする知覚とは、決定的に違っていたのである。

聖なる動物は、慰みものでも、見せ物でもない。檻の中から世界を見ることがどういうことかを知らないで、動物や植物や鉱物たちのスピリットに尊敬を払うことが、もう一度できるようになるのだろうか? 自然というものとのつきあい方で、地球から切れた人たちが考え出した出来るだけ自然のありさまを見せる動物園も、おそらくはどこかにむかう通過点なのだろう。

写真は歴史がはじまる以前の人が石を少しずつ削ることで作ったクマのスピリット

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Friday, August 07, 2009

毎年8月9日はナガサキの日だけではありません


indigenous_day

毎年の8月9日は、国連が定めた
「世界の先住民の日」でもあります。

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Thursday, August 06, 2009

HIROSHIMA DAY

Update | 1.06 p.m.


Little_boy

1945年8月6日は月曜日だった。上の写真のリトル・ボーイと名づけられたウラン爆弾が日本列島の広島市の上空から、B29爆撃機エノラゲイ号の乗組員たちによって落とされた。この爆弾ひとつで、その瞬間80000人の人が亡くなったとされる。その年が終わるまでに、全体で90000人から140000人が絶命した。広島市に建っていたビルの65バーセントが完全に崩壊した。下の写真は流川教会。奥の右手が広島駅。

日本はその後唯一の被爆国という言葉をたびたび使いはじめるが、核兵器の廃絶ではなく、核そのものの使用停止と廃絶を訴えることを避けてはいけない。ウラニウムを掘り出す作業にあたっていた人やその家族、ウラン鉱山周辺に暮らしてきた人たち、核実験場の周囲でなにも知らされることなく暮らしてきた人たち、核実験場とも知らされることなくその実験場を訪れた人たち、実際に実験に立ちあった兵士たち、人知れず原発の掃除を生活のためにまかされている人たちなど、地球規模でみれば、日本人だけが被爆国民なのではなく、この50年近くの間の核保有国のパワートリップの結果、ウラニウムによる被爆者数は先住民のいくつもの国々を巻き込んで、アメリカ、中国、ロシア(旧ソ連)、南太平洋、オーストラリア、アフリカなど、また世界中の原子力発電所などでも、実体がわからないくらいほんとうは多い。気がつかないようにされている人もたくさんいる。

この日から3日後には九州のナガサキに暮らす人たちの頭上でファットマンと名づけられたプルトニウム爆弾がB29爆撃機ボックスカー号の乗組員たちによって投下される。地球のどこであれ、いっさいの被爆者をこれいじょう作り出さないためにも、核兵器廃絶だけでなく、平和利用という「美名」に隠れず、エネルギー資源と人との関係をあらためて、すべての現存する核を廃絶し、すでに今あるものは医学的なわずかな利用のみに制限し、地球の内部からこれ以上ウラニウムを掘り出さないことを、母なる地球とその大地と水を放射能で汚染させないことを、地球に生きる人間として誓う日が来ますように。

Nagarekawa church

Beadline.jpg

原子力について忘れてはいけない呪文(改訂版)

  • 原子力はクリーンエネルギーじゃない。
  • 原子力は安いエネルギーじゃない。
  • 原子力は地球温暖化への解答じゃない。
  • 原子力は安全なものじゃない。
  • ウラニウム採掘には危険がいっぱい。
  • 核兵器の投げかけた脅威は終わってない。
  • 核廃棄物の問題はずっと未解決のまま。
  • 核施設の誘致はその土地を豊かにしない。

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