アフター・ザ・スリル・イズ・ゴーン
一瞬燃えあがった炎はじきに下火になって
空っぽのページに凍てついたペン
恋人ともいえないし 友だちともいえない君
スリルの去ったいまは もう
——"After The Thrill Is Gone" EAGLES LYRICS 1975
日蝕が通り過ぎた。ぼくが30年前にローリング・サンダーから伝えられた教えのひとつを、インターネットの時代になって今回たくさんの人とわけあうことができてとてもうれしく感じている。まともに生きているかぎり、人は生涯に1度か2度か多くて3回皆既日蝕を体験できるときと場所にあうのだろう。ぼくにとっては今回が3度目にあたる。2度目の日蝕の時に、ぼくはそれを見るのを止められるというたぐいまれな経験をした。そのときの教えは心に刻み込まれた。そして先日3度目の日蝕の体験が可能なときと場所が訪れた。その教えを伝えるときとしてこんなにふさわしい時間と場所はなかった。インターネットとコンピュータが常時接続をして以来、ぼくにとっては初めての経験だった。そしてあの記事「日蝕を見ないでヴィジョンを見ること」を書いた。
送られてくるコメントやメールにはできるだけ返事をしたが、そのすべてに回答や自分の感想を送りとどけることは物理的に無理だった。しかし気持ちだけは伝わっているのではないかと思う。とにかく日蝕までの4日間はものすごい数のメールが届いたし、このブログのアクセス数も日ごろの4倍から5倍、あるいはそれ以上もあった。アクセス解析を見れば、mixi を経由して訪れる人たちの数は、数えきれないほどだった。その多くの人がここを訪れるのははじめてだったようだし、なかにはおもしろ半分の人もいたのかもしれない。そして日蝕がすんで熱興は急速に冷めて、ようやくいつもの日常に近い状態に戻りつつある。
少なくともネイティブ・ピープルの文化のなかには、日常の平安を保つ意味からも「日蝕は見てはならない(とりわけ妊娠中の女性は)」という言い伝えがあることは伝えられたし、当然ながらこれを非科学的だときめつけて笑い捨てることも出来たし、はじめから無視をすることもできた。テレビメディアが狂気のように日蝕を追いかけ回しているのをあとになっていくつかまとめて見たのだが、これはひとつの心の病としか思えない光景を数多く目撃した。30年間、このことをリアリティーをもって次の世代にいつ伝えるかを考えてきたが、そのときが訪れたことをぼくは知っていた。もともと心ある数人の人にその本意が伝わればよいと考えていたし、その深い意味をその人たちが、つぎの世代に伝えてくれるものと信じている。あなたの心に平安がありますように。
金環食が日本列島の太平洋沿岸部を通過する2012年5月21日、また皆既日蝕がつぎに日本列島を通過する2035年9月、タクラマカン砂漠の西からはじまって、朝鮮半島を貫き、北陸、信濃、越後、上野、下野、常陸、武蔵、上総、下総を通過するとき、その人たちの心のどこかにインプリントされた「地球に生きる人たちは日蝕は観ない」という教えをさらに次の世代に語り継いでほしいと心から願う。今回日蝕を見ないことを選択した人たちは、以後長い間そのことを心の中で反芻(はんすう)することになるだろう。
さて、スリルのあとは学ぶ時間だ。いよいよ「講座 ネイティブ・ピープルのものの見方と考え方」の第2回目があと一週間に迫った。毎回完結型のお話会なので、いつでも興味ある人は参加できる。今回日蝕の記憶が生々しいこの時期だから、当然その話はしたいと思っている。7月のテーマは「祈り」。日本列島に生きているわれわれは、自分本来の素直な祈りの言葉を奪われて、すでに何百年もたっている。聖なるものが消え、祈りが消されたいま、もう一度大地や星や、太陽や月や、海や山や、雲や風や雨、木々や、草花や、偉大な動物たちに向かって、直接祈りをあげる言葉を取り戻せるのだろうか?
現在の段階で、あと10名程度の予約受付が可能。スペースの都合で人数に制限があります。だいたい夕方7時から、夜10時(過ぎ)まで。終電までには解放します\(^O^)/ アルコールの影響下にある人の入場はかたくおことわりします。
「To All My Relations」カテゴリの記事
- わたしにつながるすべてのみなさまへ(2010.04.03)
- 一月の二回目の満月が訪れるまでの間のtweets収録(2010.02.08)
- 冬至、クリスマス、新年を間にはさんで月が満ちて欠けて消えるまでのtweetsを公開(2010.01.14)
- 『地球のレッスン』が本日発売されました(2009.12.18)
- ほぼこの1ヵ月の間にぼくがTwitterで公開してきたものなど(2009.12.14)
The comments to this entry are closed.
Comments