◆「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書の概要
◇1・今に至る歴史的経緯
(1)アイヌの人々につながる歴史と文化(旧石器~中世)
・北海道に人類が住み始めたのは旧石器時代であり、その後1万2000年前に縄文文化に入った。人類学的研究によってアイヌの持つ形質や遺伝的な特徴の中には、縄文までさかのぼるものがあることが明らかになっている。
・他の地域が弥生文化の時代であったころ、寒冷な北海道では稲作が広がらず、独自の続縄文文化が6世紀ころまで続いた。
・7世紀に入ると擦文文化が始まったが、この時期に現在に認識されるかたちでのアイヌの文化の原型がみられ、それに続く13~14世紀ころにかけ、狩猟、漁労、採集を中心に一部には農耕を行う生活の中で自然とのかかわりが深く、海を渡った交易を盛んに行うアイヌの文化の特色が形成された。
(2)「異文化びと」と「和人」の接触~交易(中世)
・鎌倉時代以降、和人が北海道との交易を盛んに行うようになり、また、室町時代の書物の中に、言葉の通じない「異文化びと」としてアイヌの人々の記述が見られる。
・15世紀半ばには、渡島半島の沿岸に和人が拠点を築き、先住していたアイヌの人々と交易を行った。交易の拡大に伴い両者の間でコシャマインの戦いなど抗争が続いたが、16世紀半ばには講和した。
(3)過酷な労働生産の場(近世)
・江戸時代に、松前藩がアイヌとの交易の独占権を家臣に与えるようになり(商場知行制)、アイヌの人々の交易は制限された。
・18世紀に入ると商人が場所の交易を請負うようになったが(場所請負制)、利益を増やすために商人自ら漁場を経営し始めた。アイヌの人々は漁業に従事させられ過酷な労働を強いられた。
・こうした中でも、工芸、文芸、思想、宗教的儀礼等独自の文化の伸長が見られた。
(4)アイヌの文化への深刻な打撃(近代)
・明治に入って、北海道の内国化が図られ、大規模な移住により北海道開拓が進展した。
・近代的な土地所有制度の導入により、アイヌの人々は狩猟、漁労・採集などの場を狭められ、さらに狩猟、漁労の禁止も加わり貧窮を余儀なくされた。
・民族独自の文化の制限・禁止やアイヌ語を話す機会の減少は、アイヌの人々の和人への同化を進め、その文化は失われる寸前になった。
・また、圧倒的多数の和人移住者の中で、被支配的な立場に追い込まれ、様々な局面で差別の対象になった。
・現在も大学等で研究資料として保管されているアイヌの人骨の中にはその意に関わらず収集されたものも含まれているとみられている。
・明治32年(1899年)には北海道旧土人保護法が施行されたが、アイヌの人々の窮状を十分改善するには至らなかった。
上記の文章は「1・今に至る歴史的経緯」の引用のみである。願わくば引用先に移られて過去・現在・未来に関係する全文に目を通されんことを。
◇1・今に至る歴史的経緯
◇2・アイヌの人々の現状とアイヌの人々をめぐる最近の動き
◇3・今後のアイヌ政策のあり方
◇おわりに
アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会の構成メンバー
座長 佐藤幸治・京大名誉教授(憲法学)
安藤仁介・(財)世界人権問題研究センター所長
加藤忠・(社)北海道ウタリ協会理事長
佐々木利和・国立民族学博物館教授
佐藤幸治・京都大学名誉教授
高橋はるみ・北海道知事
常本照樹・北海道大学 アイヌ・先住民研究センター長
遠山 敦子・(財)新国立劇場運営財団理事長
山内昌之・東京大学教授
アイヌ民族代表は加藤忠・北海道ウタリ協会理事長
アイヌ有識者懇:報告書の概要 /北海道毎日jp 社会 アーカイブ 7月30日
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