沖縄で「縄文人の墓」が発掘されている
沖縄の摩文仁に縄文時代を通しての遺跡がある。約1万2000~2800年前ごろの遺跡で、2年前にも「約3千年前の縄文時代晩期のほぼ全身の化石人骨」が発見されている。この「摩文仁ハンタ原遺跡」で、今回は縄文人骨27体分が発見された。新聞はつぎのように伝えている。
琉球新報:
糸満市摩文仁の埋葬遺構「摩文仁ハンタ原遺跡」で、縄文時代後期(約4000〜3000年前)の縄文人骨27体分がこのほど見つかった。糸満市教育委員会によると、人骨は最終的に50体分近くになるとみられる。人工遺物も232点出土し、その8割は貝製品。市教委は「この時期の人骨と貝製品がまとまって出土したのは本島南部では初めて。縄文人の生活や死生観を知る上で大変貴重だ」と話している。
今回発見された人骨は2種類の方法で埋葬されていた。地表面近い場所で見つかった人骨は頭骨を石灰岩で取り囲む「石囲墓」と呼ばれる方法で、さらにその下層から発見された人骨は1カ所に集める「集骨」と呼ばれる方法でそれぞれ埋葬されていた。2種類の方法があるため、異なる年代に埋葬されたとみられる。
Source : 摩文仁で縄文後期の人骨27体 貝製品など232点も出土(2009年6月25日)
沖縄タイムス :
琉球大学の池田榮史教授(考古学)は「縄文時代後期の人骨がこれだけまとまって出たことはない。形質人類学的にしっかりとした資料ができ、当時の人々の平均的な姿が明らかになる」と評価した。
人工遺物は約80%(186点)が貝製品。装飾品の一種とみられる「線刻有孔製品」は類例がなく、縄文人の精神活動の一端を知る貴重な手掛かりという。湖城清市教委文化課長は「遺跡周辺でも類似の人骨が出土する可能性もあり、人骨を葬った人々の住居跡などが発見される可能性も高い」と推測する。
Source : 縄文後期の人骨出土/県内初 最多数 形質知る資料に/摩文仁ハンタ原遺跡
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