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Monday, June 08, 2009

バランスの取れた生き方・バランスの取れた食べ方

しばらく外出していたら「これが未来の食べ物だとあなたは自信を持って言えるだろうか」の記事のコメントが盛りあがっていた。これを記事としてとりあげたのはこのブログがテーマとしている「地球での生き方を学びなおす探求」と大きな関係があるからだ。その「地球での生き方を学びなおす」とは、ぼくにこの道を指し示してくれたネイティブ・アメリカンのローリング・サンダー(RS)という人物の口癖で言えば、「いかにバランスをとって地球のうえを歩くかを学べ」ということである。この「バランスの取れた生き方」というのが、なんというか、しばしばネイティブ・アメリカンの精神性を語るときにあたりまえのように使われるのだが、これがとてつもなく難関である。あらゆるいのちが網の目のようにひとつにつながっている世界のなかで調和を保って生きるとはどういうことなのかについて尋ねたとき、RSは「節度」をもつことの重要さを言い、「なにものにも中庸がある(Moderation in all things. )」と応えてくれたものだった。

食べ物は、あたりまえだがいのちにとってきわめて重要である。すべてのいのちはいのちをいただいていのちを長らえさせ、最終的にはおのれのいのちを別のいのちに捧げ出すというライフサイクルのなかに存在している。人間もこれからは逃れることはできないし、人間だけが生き残ればよいと言うものでもない。地球はそんなことを望んではいないだろう。そこにも節度・中庸があるはずだ。多くの狩猟採集の民族が、自ら進んでいのちをさしだしてくれる鹿やクマやバファローの神話を語り継いでいる。農耕民族の多くが穀物はいかに自分たちのところにやってきたのかを伝える物語をもっている。作物を祝福する儀式が数多く伝えられている。作物が生育するときにかたわらで歌う歌をもっている。植物・動物・鉱物のあらかじめ地球が産み出されたすべてのいのちを「心を持つヒト」として見る世界観のなかで、人間はなにを食べて生きてきたか、そしてこれからなにを食べていくか、またなにを食べないかは、ぼくが、そしてこのブログがこれからもこだわり続けるところである。

たとえば南北アメリカの先住民が自らにスピリットを与え続けてくれる作物としてのトウモロコシを最大の神聖な穀物とする世界で、飢えている人たちを横目で見ながら一部の人間がそのトウモロコシからエタノールを作り出して自動車に食べさせることは、バランスの取れた生き方なのだろうか? 詩的な意味において、ぼくは人間は、そしていのちは、食べたものになることを信じるひとりである。自分の食べるものがどこで誰によっていかにして育てられたのか、最低そのぐらいは知っていたいもののひとりである。なぜなら食べ物は、からだの栄養としても重要だが、心の栄養としても同じぐらい重要なものだからだ。

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Comments

初めてコメントします。

人工的に作られる野菜たちについて、野菜のもつ力も大切ですが、私がもしこの技術が普及した時を考えて思ったのは、今汗をかいて耕して野菜を育てている農家の人たちがどうなるんだろうか?ということです。

きっと土地のいらないこの技術が広まったら、みんな農業をやめてしまうんではないでしょうか?
そして誰にも耕されなくなった畑は、どんどん開発されてビルが立つか、死んだ土地になってしまうんじゃないか?

作ってくれた人たちの心も食べているんだと思います。
焼き畑とかも問題だし、世界の人たちを考えると胸が痛みますが、大きな力を持たない私にできることは、食物を買う立場の自分が、何を選んでいくかだとおもいます。

農家の子供として…あの野菜の育て方は間違っていると思います。

長々と失礼しました。

Posted by: odango | Wednesday, June 24, 2009 03:43 PM

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