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Saturday, June 27, 2009

Stay (Just a little bit longer)

またやってしまった。気がついたら会場のコントロールをまかされた彼女が両手を挙げて紙をかざしている。紙に書かれた赤い文字。22:30。ほんとかよ。10時を回っているではないか。現実に突入したあまり、時間の配分のことなど考えていなかったのだ。エアコンが暑いのか寒いのかもわからない。いつもこう言うときは自己嫌悪に陥る。話が本題に近づくと終わりの時間のことなどどうでもよくなってしまう自分がいるのだ。金曜日の夜。みんな家に帰らなくてはいけないのに。あと少し、あと少しととまらなくなって気がつけばこのザマだ。ぼくはみなさんの乾いた精神を癒すことが出来たのだろうか? シテイライフに刺激を送り込むことはできたのだろうか? エンターテインメントとエンライツメントはひとつになったか? お前はマイクを独り占めしてなにをやっているのか? というわけで、4回連続講義の第1回目にして、人々をあきれさせてしまった。苦笑いしか出ない。もっとみんなの話を聞きたい。ようやくこれから本題に入る時間なのに、あと少し長くいたい。会場の時間は準備もいれて5時間。どういう人たちがどこからやってきているのか、ひとりひとりのハートの内を次回はぜひ聞きたい。残りはあと3回、次回は1カ月後、そのときにはもう少しだけ長くいてくれますか。これからは会場に時計を用意しますかとの彼女からのメールに、それでもぼくはきっと「ノー」とこたえるのだろう。時間を止めることができればいいのに。

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Friday, June 26, 2009

ドイツ南西部のシュバーベン・ジュラ山脈にある洞窟(どうくつ)で発見された、3万5000年以上前の、ハゲワシの骨とみられるものでできた人類最古の縦笛(フルート)。長さは約22センチ。

oldest flute

直径は2センチはない。穴は4つ。吹き口は「V」に削られている。音階的には現代のものと近いのではないかとAFPは伝えている。石器時代の人間も、現代の人間と同じように文化的な行動をとっていたことが証明されたのだろう。音が聞いてみたいものです。

Source : 独洞窟に3万5000年前のフルート、世界最古の楽器か
    35,000-year-old flute oldest instrument ever found
    Prehistoric flute in Germany is oldest known

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Thursday, June 25, 2009

沖縄で「縄文人の墓」が発掘されている

沖縄の摩文仁に縄文時代を通しての遺跡がある。約1万2000~2800年前ごろの遺跡で、2年前にも「約3千年前の縄文時代晩期のほぼ全身の化石人骨」が発見されている。この「摩文仁ハンタ原遺跡」で、今回は縄文人骨27体分が発見された。新聞はつぎのように伝えている。

琉球新報:

糸満市摩文仁の埋葬遺構「摩文仁ハンタ原遺跡」で、縄文時代後期(約4000〜3000年前)の縄文人骨27体分がこのほど見つかった。糸満市教育委員会によると、人骨は最終的に50体分近くになるとみられる。人工遺物も232点出土し、その8割は貝製品。市教委は「この時期の人骨と貝製品がまとまって出土したのは本島南部では初めて。縄文人の生活や死生観を知る上で大変貴重だ」と話している。
今回発見された人骨は2種類の方法で埋葬されていた。地表面近い場所で見つかった人骨は頭骨を石灰岩で取り囲む「石囲墓」と呼ばれる方法で、さらにその下層から発見された人骨は1カ所に集める「集骨」と呼ばれる方法でそれぞれ埋葬されていた。2種類の方法があるため、異なる年代に埋葬されたとみられる。

Source : 摩文仁で縄文後期の人骨27体 貝製品など232点も出土(2009年6月25日)


沖縄タイムス :

琉球大学の池田榮史教授(考古学)は「縄文時代後期の人骨がこれだけまとまって出たことはない。形質人類学的にしっかりとした資料ができ、当時の人々の平均的な姿が明らかになる」と評価した。
人工遺物は約80%(186点)が貝製品。装飾品の一種とみられる「線刻有孔製品」は類例がなく、縄文人の精神活動の一端を知る貴重な手掛かりという。湖城清市教委文化課長は「遺跡周辺でも類似の人骨が出土する可能性もあり、人骨を葬った人々の住居跡などが発見される可能性も高い」と推測する。

Source : 縄文後期の人骨出土/県内初 最多数 形質知る資料に/摩文仁ハンタ原遺跡

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Friday, June 19, 2009

まもなく夏至。太陽を祭り、聖地を讃えるためにあなたはなにをはじめていますか

今年も夏至の日が近づいた。信じられないぐらいやさしい台風の中、富士山山麓の朝霧高原でWPPDで3000人近い人たちと手をつないで平和な輪をつくってから5年目になる。それ以後4年間富士山を巡るかたちでWPPDの巡礼がおこなわれ、昨年で無事富士山麓を一周した。今年からは各人が自らの聖なる場所で、聖地を通して母としての地球に思いを馳せることになる。ぼくは少し日をずらすかたちでこの日の体験も含めて、聖なるものの学びと確認のための個人的な塾のようなものを始める。

2009 CandleOdyssey -bodhi druma-

2004年のWPPDをきっかけにして、それ以後もさまざまな姉妹たちや兄弟たちと知りあいになれた。年に何度かいろいろな場所で出会い、共に辿りつつある道を確認しあう友だちも何人かいる。そんな友だちの一人が CandleOdyssey という巡礼の旅を久しく続けている Candle June くんである。その彼が今月12日の「はじまりの樹」というオープニングイベントから19日の「100万人のキャンドルナイト」、そして21日の夏至の日をはさんで28日(ぼくが塾をはじめる日)まで、東京の秋葉原にある炭のギャラリー「COEXIST (ECOART Gallary)」というスペースで「2009 CandleOdyssey -bodhi druma-」を続けている。そしてこの祈りの詰まったイベントにはWPPDのオーガナイズをなさった Yoshie さんをはじめとして、この4年間巡礼の旅を続けてきた兄弟や姉妹たちの多くがさまざまな形で関わりを持っていると聞いた。

27日には「めぐり引き継ぐものたちへ」として宇梶静江さんのアイヌ刺繍のワークショップ・おはなし・うた、自然のはなし・いのちのはなしとしてWPPDでお話をしてくださったタシナ・ワンブリさん、Yoshie Ebihara さんのうたと麻子さんによるポエトリー・リーディングなどが提供されるし、翌28日には、ランド・アンド・ライフが企画してぼくも参加させていただく「再び大地とつながるために」の集いが行われる。定員は60名で、あらかじめ予約が必要です。

2009_candleodyssey_landandlife

●アイヌ・ウポポ(アイヌの唄)/床絵美  ●メディスントーク/北山耕平(翻訳家・作家)●伝統派ホピのメッセージ「テックヮ・イカチ(大地と交わりいのちを祝う)」を語り合う/北山耕平×港敦子×辰巳玲子(ランド・アンド・ライフ代表)  聞 き手: Yoshie Ebihara ●アイヌモシリ 大地の声 ~再び大地とつながるために~/港敦子(ユーカラ)×床絵美(ウポポ)×千葉伸彦(トンコリ)

詳細は2009 CandleOdyssey -bodhi druma-の案内の28日のところをお読みいただき、予約などはランドアンドライフのウェブサイトへ。

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Thursday, June 18, 2009

さらにもうひとつのネイティブ・ジャパニーズの存在

petroglyphオホーツク人と呼ばれる漁撈の民たちがかつて北海道の東の沿岸域に暮らしていた。モヨロ貝塚など遺跡がかなり残されている。ロングハウスと呼んでもいい大きな集合住宅に、おそらくはクランごとにまとまって基本的には暮らしていたらしい。内部は家族ごとに区切られた空間があり、中央に共同作業スペースが設けられていた。クマ信仰があり、食べるものはすべて海から来ると考えるカヌーを自在に操る人たちで、またあらゆる人がアーティストだったこの人たちは、あるときにはアイヌの祖先たちと戦をしたり、またあるときには婚姻関係を結んだりして自分たちの文化的影響を与えあったりした。アイヌの祖先とされる人たちは「擦文土器」を残した人たちのことだが、オホーツク人は最終的に擦文人のなかに姿を消してしまったとされている。日本の歴史書の中では「粛慎(みしはせ)」という名前で呼ばれているともいわれるが確かではない。住居遺跡の周辺にはいくつもの墓が残されていたために、北大はこの人たちの残した墓から骨をとりだして遺伝子の解析をすすめてきた。北海道新聞は6月18日の記事「オホーツク人DNA解読 北大研究グループ アイヌ民族と共通性」でこのことを伝えている。

5〜13世紀にオホーツク海沿岸などで独自の文化を発展させたオホーツク人の遺伝子を解読することに北大の研究グループが成功した。オホーツク人のルーツには諸説があるが、現在の民族ではサハリンなどに暮らすニブヒやアムール川下流のウリチと遺伝的に最も近いことが分かり、北方からの渡来説が有力となった。アイヌ民族との共通性も判明、同グループはアイヌ民族の成り立ちについて「続縄文人・擦文人と、オホーツク人の両者がかかわったと考えられる」と推測している。

彼らが道東・道北やサハリンの遺跡から発掘されたオホーツク人の人骨102体のうち37体から遺伝子の断片を取り出し、DNAを解読した結果、

ニブヒやウリチなど北東アジアの諸民族だけが高い比率で持っているハプログループY遺伝子がオホーツク人にもあり、遺伝子グループ全体の特徴でもニブヒなどと共通性が強いことが分かった。現在、カムチャツカ半島に暮らすイテリメン、コリヤークとの遺伝的つながりも見られた。

一方、縄文人−続縄文人−擦文人の流れをくむとみられるアイヌ民族は、縄文人や現代の和人にはほとんどないハプログループY遺伝子を、20%の比率で持っていることが過去の調査で判明している。どのようにこの遺伝子がもたらされたのかが疑問だったが、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明したことで、増田准教授は「オホーツク人と、同時代の続縄文人ないし擦文人が通婚関係にあり、オホーツク人の遺伝子がそこからアイヌ民族に受け継がれたのでは」と推測している。

Source : オホーツク人DNA解読 北大研究グループ アイヌ民族と共通性 (06/18 09:50)

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今、250人ものメディスンマンたちが南北アメリカからナバホの国に集まっている

Native American Church南北アメリカから総勢でおよそ250人のメディスンマンがナバホの国に集まっている。今日からアリゾナのウインドウロック(ナバホ国の首府)で、北米ネイティブ・アメリカン・チャーチの第60回定例会議が開催されるからだ。ネイティブ・アメリカン・チャーチは15世紀中ごろから興隆したネイティブ・アメリカンの人たちの比較的新しい信仰のひとつで、神との交流や、癒しを与えるために幻覚性サボテンのペヨーテを用いることで知られている。しかしここのところ、儀式における鳥の羽根や薬草や植物の使用にたいする法の適用が厳格化されて、メディスンマンたちも実際にそれを行うためには複雑な手続きが求められるようになってきた。ネイティブ・アメリカン・チャーチのアリゾナ参事会の主任を務めるエマーソン・ジャクソン(Emerson Jackson)氏によれば、今年の総会では連邦政府の代表によって「鷲の羽根や植物や薬草」を含むメディスンマンが用いるもののなにが法によって統制されるかが話されるという。土曜日まで開かれる今回の南北アメリカのメディスンマン会議においては、さまざまな儀式やスウェットロッジなどもおこなわれることになっている。なお図版はネイティブ・アメリカン・チャーチの徽章 Wikipedia E より。


日本語で読める参考資料:

アメリカ先住民と信教の自由 ―ローカルな聖性をめぐって―
by 内田綾子(名古屋大学大学院国際開発研究科助教授)

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オバマ大統領が白羽の矢を立てたチェロキーの女性

Ms.Kim Teehee

オバマ大統領は、アメリカ合衆国政府とそれぞれの部族国家との間に国と国の関係を打ち立てそれを強固にするという大統領選挙戦からの公約通り、ホワイトハウス内政委員会に新たな政策顧問としてチェロキー国出身の女性であるキンベリー・ティーヒーさんを登用することに決定したと、先住民の権利を守るための活動を続ける全米アメリカ・インディアン会議[National Congress of American Indians]の年次総会に、今週月曜日、音声テープによって通達した。

「アメリカ政府が部族国家とのあいだで、国と国の関係を築きそれを強固なものにするために、キム・ティーヒーさんはわれわれのチームにとって大いなる財産となる。彼女は、インディアンの国の優秀な唱道者として認識されており、彼女は、今後の政策決定においてネイティブ・アメリカンの人々の声をわたしの政権の最高レベルへ伝える直接の橋渡しとなってくれるだろう」とオバマ大統領は述べている。

オバマ大統領が選んだミズ・キンベリー・ティーヒーさんは写真の女性。

Source : Obama Names Cherokee as Native Policy Adviser (June 15, 2009)

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Tuesday, June 16, 2009

鮭たちはみなどこに消えたのか? 今、母なる地球になにが起きているのか?

鮭を「神」もしくはその使いだとする信仰は、北太平洋一帯に広がっている。北海道、千島列島、カムチャッカ、アラスカ、カナダ、ワシントン、オレゴン、カリフォルニアの太平洋岸に暮らす先住民は通底する世界観を共有してきた。しかし今年その鮭の世界に異変が起こっている。6月12日の報道ではカリフォルニアからオレゴンにかけての太平洋沿岸で、90パーセントもの鮭が姿を消した。そのために鮭の漁猟シーズンが取り消され、地域経済に壊滅的な打撃を与えつつあるそうだ。姿を消した鮭たちはどこへ行ってしまったのだろうか? すべてはつながっているのだから、北太平洋全域の鮭に影響は出ないわけはないと思えるのだが。

Source : Video: Where have all the salmon gone?

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Saturday, June 13, 2009

「いいわよ、個人的な質問でもなんでも聞いてちょうだい」という詩を紹介させてください

ダイアン・バーンズ(Diane Burns)という詩人がいる。いやいたというべきか。いや、詩人は言葉のなかに生き続けるから、いるでいいだろう。彼女は「ひとつ目玉のフォードに乗って(Riding the One-eyed Ford.)」という1981年に刊行された最初の詩集がギンズバークらに認められて世に出た。正直でユーモラスな作風にファンは多かった。ニューヨークのローワーイーストサイドを拠点に活躍するネイティブアメリカンの若い女性詩人として将来を期待されていたが、2006年に娘を一人残して病でスピリットの世界に旅だってしまった。享年50歳。1957年にチエマウェヴィ一族の父と、アニシナベ一族の母の間にカンザス州で生まれた。チエマウェヴィはアメリカ・インディアンのなかでは豊かな部族で、カリフォルニアのパームスプリングスという高級リゾート地は彼らの部族の土地に含まれている。とはいえネイティブの習慣に従って彼女は自らのつながりを母方のアニシナベの方に強く感じていた。彼女は聞かれるといつも自分はアニシナベだと応えていた。以下に紹介する「いいわよ、個人的な質問でもなんでも聞いてちょうだい」は彼女が一般のアメリカ市民からさまざまな質問をされてそれに日常の言葉で応えるというスタイルをとっている。読んでいくと、質問のやりとりが手にとるように想像できる。彼女はこの詩でインディアンという概念にあるステレオタイプを破壊しようとしたのだ。彼女の詩の正直さと面白さが少しでも伝わればと思う。もし伝わらなければそれはぼくの文才のなせるわざであり、スピリットの国にいる彼女に責任はありません。

Diane Burns

いいわよ、個人的な質問でもなんでも聞いてちょうだい

ダイアン・バーンズ(1957 ー 2006)

はじめまして
いえ、わたしは中国人ではありません
いえ、スパニッシュ系でもありません
いいえ、 わたしはアメリカン・インデ・・じゃなく
ネイティブ・アメリカンです

いえ、インド出身ではありません
いえ、アパッチでもありません
いえ、ナバホでもありません
いえ、スーでもありません
いいえ、わたしたちは絶滅などしていません
そうです、インディアンです

あらそう?
だからあなたの頬骨はそんなに高いわけ?
なるほどあなたのおばあさまのおばあさまが、へえ?
インディアンのお姫様だった、へえ?
そんなに髪の毛が長かったの?
いいからわたしにあてさせて
きっとチェロキーじゃない?

あらそう、インディアンの友だちがいる?
そんなに親しいの?

あらそう、あなたの恋人がインディアンなの?
そんなにしっかり結ばれてる?

あらそう、あなたにはインディアンの召使いがいるの?
そんなにたくさん?

はい、あなたがたがわたしたちにしたことは
それはそれはひどいものでした
謝ってくれるのは、それはそれでたいへん結構なことです
いいえ、あなたがどこで
ペヨーテを手に入れられるかは知りません
いいえ、あなたがどこで
ナバホの絨毯を格安で買えるかは知りません
いいえ、これはわたしが作ったものではありません
ブルーミングデールで買いました

ありがとう。わたしもあなたの髪型が好きですよ
いいえ知りません、シェールがほんとうにインディアンかどうかなんて
いいえ、今夜は雨を降らせたりはしません

はいはい、あっはーん、スピリチュアリティーね
あっはーん、ええ、スピリチュアリティー ええ、ええ
マザーアースが、ええ、ああ、ふーん、スピリチュアリティー

いいえ、わたしは弓は下手です
ええ、お酒を飲み過ぎる人はたくさんいます
なかにはじゅうぶん飲めない人もいます

別に無表情な顔をしているわけじゃありません
これがわたしの顔なんです

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Friday, June 12, 2009

大量の乾し貝は固形スープの素として利用されたのか

ウィキペディアによれば、東京湾周辺は世界一の貝塚密集地帯と言うことになる。また世界的には、日本をはじめ、カナダのブリティシュコロンビアを中心とした北西太平洋沿岸域、北米アメリカ東海岸のメイン州を中心とした大西洋岸、デンマークを中心としたヨーロッパ地域のほぼ同緯度で、氷河期が終わった以降に貝塚がどっと出現している。これまでこの貝殻の堆積については、当時の人たちのライフスタイルがなかなか見えてこなかったために、貝を食べた後のゴミという考え方が普通だった。これに対して縄文時代の貝塚は、貝の身に海水の塩分を濃縮させた「干し貝工場」のごみ捨て場だったと思考を一歩進めた学者がいる。奈良文化財研究所(奈良市)の松井章・埋蔵文化財センター長(動物考古学)で、アフリカ・セネガルで約4000年前から続く貝活用法をヒントにこの説を考えたという。朝日ニュースコムが報じている。

松井さんは08年4月、セネガルの首都・ダカールの南約50キロに広がる貝塚群を調査した。数万平方メートルの広大な貝塚の上にある集落で、約100人が古代と変わらない漁労生活を営んでいた。最古の貝塚はダカール大学の調査で約4100年前から続く。

住民は太古から、カキや巻き貝のむき身を海水で煮込み、水分を蒸発させてから天日干しをして大量の干し貝を作ってきた。身には塩分が濃縮され、そのままでは食用に適さないが、スープの固形だしとして使う。現在は近隣都市の市場で販売され、現金収入源になっている。

松井さんはセネガルの例をもとに「日本でも集落全体で塩分を濃縮した干し貝を生産し、内陸部との交易品としていたのではないか」と考えた。セネガルの干し貝を奈良県工業技術センターで分析したところ、サケやサバの干物の約3倍の塩分が確認された。縄文時代の技術では、海水から塩を作るより、貝のむき身に塩分を濃縮させる方が効率的だったのではと推測。

貝をインスタント固形スープの素として使うという考え方は、新鮮だな。お湯の中に入れることでだしが取れるだけでなく、塩分も取り出せてスープのベースができあがる。内陸の人たちとの交易品にぴったりだったかもしれない。

arrowhead_small 縄文貝塚「干し貝工場のごみ捨て場」 奈良の研究者新説(2009年6月12日8時9分

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Thursday, June 11, 2009

オフビートな宇宙体験


若田さんの宇宙体験をオフビートな感覚でまとめ上げたもの。きぼうのなかでなかなか楽しそうにやっておられます。音楽がいいね。Soundtrack: "Seashell" by Skylab (from the "Skylab#1" CD)だそうです。真面目な実験なのだろうが、笑えます。お暇なときにご覧ください。

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アホウドリ・メディスン  アイヌの伝承

なぜあなたは、家でこの海鳥の頭蓋骨を大切にしなければいけないのか?

信仰の対象としてのアホウドリ、その起源は以下の通り:

Albatross昔々、何年も前のこと、アイヌの間に悪い病気が流行して、たくさんの人々が死んた。当時、善良で名誉あるトキランゲという名前の男がいた。さて、この男が不思議きわまりない夢を見たことがあった。夢のなかで彼は、人々が列をなして集まっている非常に大きな家を見た。列の先頭にはひとりのチーフが立っていた。彼はこう言っていた。「ある日、アイヌの国のなかを通り過ぎようとしていたら、とりたててなにか悪いことが起こるとは思ってもいなかったのだが、多くの家々の前で海の物と思われるある特別な鳥のおそろしい匂いをかいだ。その鳥は『アホウドリ』と呼ばれていた。よいか、みんな、その鳥たちの頭がある家には入ってはならない。そのような家はあなた方のはいるべき家ではないのだ」

夢から目を覚ますと、トキランゲは自分の見た夢のことをもっとよく知りたいと考えた。彼は起き上がってその夢の意味を求めて国中を聞いて廻った。彼が家々のなかの様子をうかがうと、そこの人々はみなアホウドリの首から上をお守りとして大事に家のなかにしまっており、柳の木を削って作るイナウをその前に捧げて、酒を飲んでいた。そのお守りを持っている人たちの様子をうかがうと、この人たちの間に病気はなかったのだが、アホウドリの頭をしまっていない家という家には、からずなかに身体をこわしている者がひとりはいた。これを見て男は自らもアホウドリの頭をひとつ手に入れて、それを信心し、頭蓋骨とくちばしを一部削ってくずを研ぎ出した。削りくずを容器に入れて、お湯を注ぎ、それを煎じて、病気の人々に飲ませたところ、この煎じ薬を服用したものはみなことごとく病から癒えた。

このことがあって以来、その鳥の頭蓋骨はイナウの削り屑に包まれて大事にしまわれて、病人が出るたびに取り出され、お盆のうえに安置されてみなは熱心にそれにむかって祈りをあげた。祈りがすむと、頭蓋骨の粉末は熱いお湯でで煎じられて患者に飲まされた。このように、アイヌははじまりにおいて、アホウドリの頭の価値を知らなかったものの、その男が夢のなかでその事実に気がつかされたおかげで、みんながそのことを知るに至ったのだ。男は、自分が夢のなかで見て、話す声を聞いたそのチーフこそ、病魔そのものであることを知っていたのである。

『アイヌとその民俗学』(ロンドン:宗教路協会刊行、1901)ジョン・バチェラー師著 より抜粋

The Ainu and Their Folklore, by the Rev. John Batchelor
(London: The Religious Tract Society, 1901)

ジョン・バチェラーのこと

*1854年にイギリスで生まれ1877年に横浜にやってきたたジョン・バチェラーは宣教師として北海道に渡り、アイヌの国を訪れた。いちばんの目的は布教。もうひとつは当時の日本人がアイヌの生活や言語や宗教についてまったくの無知だったので、なんとかアイヌという人たちのことを知らせるためという目的もあったようだ。彼はアイヌの人たちのなかで暮らし、アイヌのことを学び、晩年にはアイヌ語をアイヌと同じように話せるようになっていた。「アイヌの父」と呼ばれる彼が記録した民族学的な当時のアイヌの資料は、何冊かの英語の本にまとめられてイギリスで刊行されている。

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Monday, June 08, 2009

正しいHUG(ハグ)の仕方


How to Hug - The 5 Principles

フリー・ハグ・ムーブメントが世界を一巡りしたせいか、近ごろではハグもだいぶ日常的になってきた。冗談か笑いかからかいか、お金をチャージしてスーパーデラックスなハグをおこなうという人すらいたりする($2 Deluxe Hugs)。で、冒頭のビデオに登場する、カナダ人のプロフェッショナル・ストリート・ハガー(街頭でハグをするプロ)のマーチン・ニューフィールド(Martin Neufeld)さんは、もともとフリー・ハグ・ムーブメントをはじめた一人。筋金入りのハガーの彼によるとハグの仕方の原則は以下の5つ。彼は2007年にYMCAカナダによりピースメダルを授与された。

 ●尊敬を持つこと
 ●条件をつけないこと
 ●ハートからすること
 ●感謝をこめること
 ●瞬間を大切にすること

ぼくの知る最高にきまっているハグについてのコメントは、メキシコの先住民のヒーラーのもので、それは

「人は正気を保つために1日に3回のハグがどうしても必要だ」

というもの。

HUG

HO!

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バランスの取れた生き方・バランスの取れた食べ方

しばらく外出していたら「これが未来の食べ物だとあなたは自信を持って言えるだろうか」の記事のコメントが盛りあがっていた。これを記事としてとりあげたのはこのブログがテーマとしている「地球での生き方を学びなおす探求」と大きな関係があるからだ。その「地球での生き方を学びなおす」とは、ぼくにこの道を指し示してくれたネイティブ・アメリカンのローリング・サンダー(RS)という人物の口癖で言えば、「いかにバランスをとって地球のうえを歩くかを学べ」ということである。この「バランスの取れた生き方」というのが、なんというか、しばしばネイティブ・アメリカンの精神性を語るときにあたりまえのように使われるのだが、これがとてつもなく難関である。あらゆるいのちが網の目のようにひとつにつながっている世界のなかで調和を保って生きるとはどういうことなのかについて尋ねたとき、RSは「節度」をもつことの重要さを言い、「なにものにも中庸がある(Moderation in all things. )」と応えてくれたものだった。

食べ物は、あたりまえだがいのちにとってきわめて重要である。すべてのいのちはいのちをいただいていのちを長らえさせ、最終的にはおのれのいのちを別のいのちに捧げ出すというライフサイクルのなかに存在している。人間もこれからは逃れることはできないし、人間だけが生き残ればよいと言うものでもない。地球はそんなことを望んではいないだろう。そこにも節度・中庸があるはずだ。多くの狩猟採集の民族が、自ら進んでいのちをさしだしてくれる鹿やクマやバファローの神話を語り継いでいる。農耕民族の多くが穀物はいかに自分たちのところにやってきたのかを伝える物語をもっている。作物を祝福する儀式が数多く伝えられている。作物が生育するときにかたわらで歌う歌をもっている。植物・動物・鉱物のあらかじめ地球が産み出されたすべてのいのちを「心を持つヒト」として見る世界観のなかで、人間はなにを食べて生きてきたか、そしてこれからなにを食べていくか、またなにを食べないかは、ぼくが、そしてこのブログがこれからもこだわり続けるところである。

たとえば南北アメリカの先住民が自らにスピリットを与え続けてくれる作物としてのトウモロコシを最大の神聖な穀物とする世界で、飢えている人たちを横目で見ながら一部の人間がそのトウモロコシからエタノールを作り出して自動車に食べさせることは、バランスの取れた生き方なのだろうか? 詩的な意味において、ぼくは人間は、そしていのちは、食べたものになることを信じるひとりである。自分の食べるものがどこで誰によっていかにして育てられたのか、最低そのぐらいは知っていたいもののひとりである。なぜなら食べ物は、からだの栄養としても重要だが、心の栄養としても同じぐらい重要なものだからだ。

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魔術的な夜をありがとう

camp_fire滋賀県の奥琵琶湖でおこなわれたピースキャンプで風をひらいてきた。60名ほどの方が参加してくれて、不思議に魔術的な沈黙の時間とお話の時間を共有できた。すぐ目の前で見る琵琶湖は、海のように大きく見えた。琵琶湖はだいだらぼっちという巨人がその昔、富士山を盛り上げる土を掘り出した後に水がたまったものとする言い伝えがあるけれど、日本列島最大の湖はやはりとてつもない大きさだった。高島市新旭水鳥観察センターの奥に設けられたキャンプにはいくつものテントが張られ、火を焚く用意も出来ていた。あらかじめ近江国最古の神社である近くの白鬚神社(しらひげじんしゃ)の奥に鎮座する大きな力の石のなかの聖老人に挨拶をさせていただいたおかげか、当然ながらイベントは決められたスケジュール通りではなかったものの、スタッフとして参加していただいたみなさんの力もあって、実に美しく進行したと報告しておこう。風をひらいた後のおいしい料理、ロウソクと火を囲んでアコースティック・ギター2本によるライブの演奏も、みんなの心をとらえて優しさを心にみたしてくれていた。優しい風の吹き、雲が流れるなか、その後のお話は、最初こそ多くの人たちがいたが、2時間ほどたって一段落も二段落もした頃には、少しずつ眠りにつく人たちもいて、話すことをもってその場にとどまった人たちと最後のお話を終了した午前1時頃には、場は10人ほどになっていた。参加していただいた人たちは、耳の調子も良く、精神もとぎすまされていたので、このままいつまでも話していたい様子だった。そして12時をまわる深夜にはときおり頭上の雲間から満月が姿をあらわしてくれた。6月の満月を琵琶湖の湖畔で火を囲みながら眺めたことは喜び以外のなにものでもない。翌朝の明るい太陽の光のなかで、一面に光り輝く湖面を眺めつつオーガニックコーヒーをいただいて食事をし、たくさんの握手とハグと、再開を誓う言葉を交わして帰路についた。不思議に素敵な時間を共有できたことを白鬚神社の石のなかにおられた聖老人と、タッチインピースの田岡麗さんをはじめとするスタッフ、キャンプに集まってくれたみなさんに感謝します。

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Friday, June 05, 2009

原発のプルサーマル実施計画見直しか

インターナショナル・ビジネス・タイムズが以下のように伝えている。

電気事業連合会(電事連)は4日、原子力発電所で使用済み核燃料を再利用する「プルサーマル」について、実施計画の見直しを検討するよう電力各社に指示した。計画の延期などが検討される。

電力各社は2010年までに原発16−18基でのプルサーマル実施を目標としている。九州電力などが5月にMOX燃料を輸送し、今秋にも国内初のプルサーマル発電が開始される予定だが、現時点で地元の了解を得て、プルサーマル実施の見通しが立っているのは8基にとどまる。2日に開かれた内閣府・原子力委員会においても、計画の見直しが必要との声が上がっており、今回の電事連の指示につながった。

プルサーマルでは、使用済みの核燃料からプルトニウムを取り出し、ウランと混ぜた混合酸化物(MOX)燃料を利用する。ウランの使用量が少量で済むことから、日本の原子力政策に盛り込まれているが、東京電力・関西電力が1999年、海外から輸送したMOX燃料の検査データに不正があることが発覚し、プルサーマルの実施が延期されていた。

Source : 原発のプルサーマル実施計画見直しを指示-電事連(2009年06月05日 02:39)

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原子力について忘れてはいけない呪文(改訂版)

  • 原子力はクリーンエネルギーじゃない。
  • 原子力は安いエネルギーじゃない。
  • 原子力は地球温暖化への解答じゃない。
  • 原子力は安全なものじゃない。
  • ウラニウム採掘には危険がいっぱい。
  • 核兵器の投げかけた脅威は終わってない。
  • 核廃棄物の問題はずっと未解決のまま。
  • 核施設の誘致はその土地を豊かにしない。

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これが未来の食べ物だとあなたは自信を持って言えるだろうか

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デーリー・メールというイギリスの新聞が二日程前に「これが未来の食べ物なのか?」という日本の植物工場の特集記事を掲載した。これはそこに使われている写真の1枚。土も、太陽もなにもない実験室のような植物工場で無菌状態で栽培され続ける植物たちに、いったいどんな力があるのだろうかと、ぼくもよく考える。植物はただ人間の腹を満たすために地球にやってくるのではないだろう。植物や動物を、工場のようなところで生産することに、ぼくは疑問を感じてならない。これはいのちというものを考慮しない食物生産であって「農」の範疇におさまるものではない。自然をこのように扱う日本は、ほんとうに大丈夫なのだろうか? われわれの生き方にバランスは取れているだろうか? ぼくは「土と太陽に幸せに育てられた野菜」を食べたいと思うけど。

追記 記事の後ろにつけられたコメントを読むと、西洋の人たちはみんなこれを「クール!」と言っているのが、なにか恐ろしさすら感じるのです。

Source : Is this the future of food? Japanese 'plant factory' churn out immaculate vegetables

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Thursday, June 04, 2009

新しき人たちへ

William Commanda

七つの火の時代に
新しき人たちが登場する。
この人たちは
以前に人が辿った道を探しだし
その足跡を辿るだろう。

新しき人々は
その道を辿り
エルダーたちのもとに
たどり着く。
そしてエルダーたちに
自分たちの旅の道案内を求めるだろう。

だが、そのとき
多くのエルダーたちは
眠りに落ちているかもしれない。
たとえ目が覚めていても
なにひとつ教えるものを
持たぬものたちもいるだろう。
なかには、恐れを感じて
口をつぐむものもいよう。
また、誰もなにも尋ねてくれないので
黙ったままのものもいる。

新しき人たちは
エルダーに近づくときには
くれぐれも用心しなくてはならない。
新しき人たちのつとめは
たやすいものではないだろう。


グランドファーザー・ウイリアム・コマンダの言葉より
グランドファーザー・ウイリアム・コマンダは1913年生まれ 今年96歳
アルゴンキン一族エルダー アニシナベ・ファースト・ネーションの前チーフ
七つの火の予言を伝えるワンパムという帯の守護者

arrowhead_small 七つの火の予言

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ファーザー・サンにこのところ元気がない件

father_sun_kokopelli
artwork by Robert Montoya : Sun Father Kokopelli

太陽の活動が200年ぶりの低水準にまで落ち込んでいる。これまでのパターンだと再来年には活動の極大期を迎えるはずなのに、活発さの指標となる黒点がほとんど現れない。研究者も「このままだと地球はミニ氷河期に入る可能性がある」と慌て始めた。
太陽活動には数百年周期の変動も知られる。17〜18世紀には約70年間、黒点がほぼ消え、欧州では英国のテムズ川が凍るなど「ミニ氷河期」に陥った。東京大宇宙線研究所の宮原ひろ子特任助教は「ここ1千年でも活動の極小期が5回あり、前回が1800年ごろ。歴史的には、そろそろ次の極小期に入ってもおかしくない」と指摘する。

Asahi.com が昨日流したニュースの一部だ。このところファーザー・サンに元気がない。マザー・アースは息も絶え絶え状態。いったいなにが起きているのか? 北半球においては今月は太陽の力が最もみなぎる時期である。夏至の日には、心ばかりのセージを焚いて、ファーザー・サンにさらなる旅を続けるエネルギーがもたらされ、マザー・アースの聖地にスピリットが還られることを祈ろう。

Source : 弱る太陽 活動200年ぶりの低水準(2009年6月3日14時30分)

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