人々はなぜこんなにも傷ついているのだろう?
いろいろな土地を訪れて、さまざまな人たちと会い、話をしている。そしてたくさんの人とあえば会うほど、人々のなかにとてつもなく深い傷があることにあらためて気がつく。その傷は、人々がそれぞれの存在の源から切り離されてしまったことに起因している。たくさんの人たちが現在では母なる地球から、自分の母親から切り離されてしまっている。母なる地球とつながって生きているとき、あるいは自分がどのような目的でこの惑星を訪れているのかをしっかりと自覚しているときには、われわれはつながりを感じるし、そこには安心感もある。愛だって感じることだろう。ところがいったん母なる地球とのつながりが断たれてしまい、自分が誰なのか、なぜこの星にいるのかもわからなくなると、感じるのは痛みだけになる。さながら小さな子供が実の母親を亡くしたときのように。こゝろの内側が切り裂かれて圧倒的な痛みであふれている。こうしたことが実際に起こると、その人の属する共同体や、その人の属する社会を構成する人々はみな悲しみにくれて道を見失う。空気には死の臭いすらする。そういうときには、自分たちを存在の源と接続するための儀式を行うときであるだろう。人々は母なる地球とあらためてつながる必要がある。そしてそれは祈りのときでもある。
ぼくたちは人間としてスピリチュアルな体験をしているのではなくて、もともとスピリチュアルな存在であるなにかが、この惑星で人間という体験をしているのかもしれないというふうに考えたことはないだろうか。
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Comments
最後に言われていますように肉体は魂の学び舎であって住居ではないのですよね。魂が肉体を包んでいることはオーラが身を包んで存在することから健在意識の中でも想像ができるかもしれません。なぜ「母」との関係が薄れるのか。居住地域でのコミュニティに連帯感がなくなっている今、昔の長屋で見かけた玄関先で長老が近所の子どもたちに、神様のお話を聞かせるようなシーンも見る事は無くなっていますよね。また、生まれた場所・生まれたコミュニティ内で生涯暮らすことも珍しくなっていることから、母なる大地への愛というものも持ちにくい。田舎に帰ったときの安堵感がそれを思い起こさせればいいのでしょうけれど。生まれた土地との縁、水、作物をいただくということは、母の胎内で育まれ、いただいた血や身体であり、母なる大地・地球の海や森や埋蔵物に繋がる。遠く離れた土地に住むなら氏神様へのご挨拶、その土地のものをいただくことが大切。そのようなことは著書でも書かれていることですよね。みなさんが著書を読まれてスピリットを感じ取っていただけるといいですね。
Posted by: ユリッチ。 | Tuesday, March 24, 2009 12:25 PM
harunoshinさんのブログからこさせていただきました。私が日々感じていることを文字に著して下さってありがとうございます。深い傷が癒される日は近いことを信じて、祈りのうちにこの地上の生活を、学びつつ、丁寧に、生きてゆきたいものです。
有り難うございました。またのぞかせていただきます。
Posted by: sala | Thursday, March 26, 2009 10:37 AM
地球の母さんの幸せが私の一番大切な願いですと、天の母さん宇宙の父さん、太陽の父さんに祈るとき、地球の母さんが、わざと自分の幸せを優先してこなかったことに、気がつきます。だから、どうか地球のお母さん、ご自分の幸せを一番にしてねってお祈りします。なぜかいつもそう祈る時、涙がいっぱい出てきます。
Posted by: ありがとう | Tuesday, April 28, 2009 05:29 PM