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Tuesday, March 03, 2009

「メディスン・トーク」の「メディスン」とはなんのことだろうか?

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ぼくは自分の口演を「メディスン・トーク」と位置づけている。より正しく言うなら「グッド・メディスン・トーク」だ。だからよく「メディスン・トーク」の「メディスン」とはなにかと聞かれることがある。その質問にたいする回答をここであらかじめ述べておくことにしよう。

英語では「メディスン」とは「病気を治療するためのもの」「健康を増進させるために用いられるなにか」を意味する。ネイティブ・アメリカンも「メディスン」をそのような意味で使うこともないわけではないが、しかし伝統的なネイティブの文化においては「メディスン」にはそれだけではおさまらないはるかに広い意味が与えられている。

メディスンとは、力のあらわれ、もしくは力そのものを意味することがある。その力を力たらしめるものは、人間であったり、特定の場所であったり、出来事であったり、特別な「物」であったり、特殊な能力を持つ人間の行為だったり、あるいは自然現象であったりとさまざまだ。部族によっては「メディスン」がスピリットや力や神秘的な能力を意味したりもする。

ひとつの例をあげれば、ワイアンドット語(ヒューロン語)においては「アレンディ」もしくは「オレンダ」という言葉がそれにあたり、「霊的な力」「メディスン」を意味する。「メディスンマン」は「アレンディウェイン」と呼ばれ、「ウェイン」が「大きい」とか「図抜けた」を意味することから、全体では「霊的な力が強大な人」となる。メディスンマンにとってのメディスンとは、祈りの言葉であれ、薬草を用いるのであれ、その力は単に病気そのものに働きかけるのではなく、もっとそのおよぼす影響は広いもので、患者の健康状態に調和を回復させ、前向きに人生を考えられるようにするものだ。ただ病気を治療するのではなく、患者の全体性を回復させるためのものと認識されるべき物であるだろう。

メディスンとはまた、われわれにとっての「お守り」にもにている。それを持つことによってそれを持っている人間の健康状態に影響を及ぼす物のことでもある。それを持っているとなぜだか気分がハッピーになる物、それもまたメディスンだ。

また、さらに大切なものとして、正直かつ誠実に他への思いやりをもって生きることで、おのずと身につくスピリチュアルな可能性としてのメディスンもある。またエルダーたちに言わせれば、メディスンによってははじめから持って生まれたタイプのものもある。グレイトスピリットは、いのちとして生まれ落ちる際に、ひとりひとりに特別なメディスンを与えてくださっている。それは、それぞれの人をそれぞれの人たらしめている個性的なスピリチュアルな贈り物なのだ。残念なのは、自分にどんなメディスンが才能として与えられているかを探求することもなく、したがってその力をじゅうぶんに表現するだけの確信を養えていない人たちが多いことである。

そしてメディスンは、それを使ったり、それによって影響を及ぼそうとする人の意志によって、良くもなれば悪くもなる。人によい影響を与えたり、人生を前向きにとらえさせるようにするメディスンは、「グッド・メディスン」であり、人をよこしまな心にしたり、気分を落ち込ませたりするものは「バッド・メディスン」とされる。優しい言葉は、グッド・メディスンだし、中傷や侮辱や傷つけたり気分を不快にさせる言葉はバッド・メディスンになる。思いやりにあふれたヒーラーによって与えられる薬草はグッド・メディスンだが、同じ薬草であっても、怒りに満ちた人によって与えられれば、それはバッド・メディスンになる。ここまででなんとなくおわかりになると思うが、メディスンの善悪を決定づけているのは、それを使う人間の感情であったり、意図するものであったり、文化的な背景だったりする。

例をあげてみよう。アメリカ大陸の北部草原地帯に生きる平原インディアンの人たちにとってフクロウはしばしば「変化や霊的な変容の象徴」と認識されて、グッド・メディスンと考えられているが、東部森林地帯のチェロキーの人たちは、フクロウは「死を呼ぶもの」として絶対にフクロウの羽根などを家のなかに持ち込ませることはない。タバコは、ネイティブ・アメリカンにとって、祈りとともに用いられる時には強力な癒しを与えてくれるヘルパーとなるものだが、肺気腫や癌で愛するものを失った文明世界を生きる人たちにとっては、タバコのことを考えただけで怒りの感情や苦々しい思いが湧きあがる。夢もまたグッド・メディスンにもなるし、バッド・メディスンにもなるものだ。それを見たものに癒しをもたらし、人生を切り抜いていくための助言を与えてくれたりする、美しいイメージに満ちた夢は、グッド・メディスンになる。いわゆる悪夢とされるものであっても、それを見ることによって自己の深いところを知り、また人生に肯定的な変化をもたらすような警告を与えてくれるものであれば、これもグッド・メディスンだろう。しかしながらネイティブ・アメリカンの人たちのなかには悪夢のなかには、悪意あるスピリットたちや、人々や、呪術使いによって影響を与えられたバッド・メディスンであると信じている人たちも少なからずいたりする。

一方、グッド・メディスンには、それを受け取った人たちにつねにある種の神聖さを思い出させ、聖なる力の存在を確信させる力がある。われわれに癒しをもたらすものは、そうしたグッド・メディスンである。

参考記事:死者の饗宴というワイアンドット一族の習慣

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Comments

いつも楽しく読ませていただいています。
このおはなしを読んで思い出したのですが…

先日、有機野菜の農場を訪問しました。
そこの生産者の方が野菜を育てる時に大切なのは、
怒りながら種をまかない事だと仰っていました。

以前、奥様とケンカをしたあと、
怒りながらまいた種は結局芽を出さなかったそうです。
その後は、心を穏やかに慈しみの気持ちで種をまき、
そして丹精こめて育てているとの事でした。

グッド・メディスンによって育まれた野菜達は、
そのままの状態でも味が濃厚で本当に美味しくて、
私の心と身体の栄養になっています。
そういった本当に良い物が、
少しずつでも世の中に広がっていって欲しいと願っています。


Posted by: ”Z ” | Thursday, March 05, 2009 02:40 PM

Zさま

貴重な話をありがとう。これは同様に「料理」についてもあてはまりますね。怒りながら料理されたものはすべて毒になる、という格言もありますから。世界にグッド・メディスンがあふれますように。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Thursday, March 05, 2009 02:49 PM

種の話で思い出したのですが、シベリアの森で自然そのままで暮らしているという(なんとも興味深い!)「アナスタシア」という女性は種を蒔くとき、舌下に入れて自分の情報をインプットしてから土に埋めるそうです。そうすると自分の必要としているエネルギーに溢れた果実や木の実が育つそうです。地産地消の意義とはこういうところにあるのかもしれませんね。

Posted by: rainbow cloud | Sunday, March 08, 2009 04:32 PM

給食で、町内産の白菜を使用する予定がこのところの霜でいたみ、急遽替わりの野菜を探す事となり、朝一で、教頭の目にとまったうちのクラスの畑に植えていたレタスとブロッコリーが、給食に使われました。(なめくじがうようよで、調理員さんは、大変だったそうです。)育てていた子供たちも大喜びでした。作って、それがみんなに喜ばれるおいしい給食になるんですよ。
ちなみにこの町には八百屋は一件しかありません。どこの家も自分の畑で作っているからいらないのです。

Posted by: lucent moon | Friday, March 13, 2009 10:40 PM

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