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Wednesday, March 18, 2009

ぼくは神が誰であろうとかまわない

これまで出会ったネイティブ・ピープルの大半が神が誰であろうとかまわないという考え方をしていた。実際のところ彼らは誰もがみな「どんな神でも神は神」というきわめてオープンな受けとめ方をしていた。彼らはスピリチュアルな人、スピリチュアルな世界に触れている人からなら学ぶことがいくらでもあると信じていた。彼らの信念体系はつねにあらゆる可能性にたいしてひらかれていた。それを「オープン・スピリチュアル・システム」と呼んでもいい。ぼくはその心の姿勢から多くを学んだ。

オープン・スピリチュアル・システムは、最終的にただひとつの偉大なものの存在を認める。すべてを創造された存在がおられると。それはぼくたち誰もの理解を超えているぐらい神秘的であるがゆえに、人間はみなひとりひとりが、必至にそれを手探りで探している。ぼくたちひとりひとりがそれぞれの探しているものをみなでわけあうことができるなら、ぼくたちを創られたものについての理解もより深まるだろう。質素でスピリチュアルな生き方を可能にするためには、狭義の意味の霊的なものにこだわるだけでなく、できうる限り広い精神的な基盤、人間も、動物も、植物も、鉱物も、そのすべてをスピリチュアルなものとして取り込めるような、オープンで広々とした精神的な土台を求めなくてはならない。

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