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Thursday, February 26, 2009

それは30年前の今日のことだった

今からちょうど30年前の今日、1979年2月26日に、今に続くぼくの旅ははじまっている。あれは北米大陸で20世紀最後の日蝕が見える日の前日のことだった。ユタの沙漠で日蝕を見るために、ぼくは友人と2人で、3日前にロサンジェルスを旅立ち、サンフランシスコからインターステイトフリーウェイでソルトレークシティに向かっていた。25日の午後3時過ぎ、ネバダ州カーリンという町で遅いランチで腹を満たそうと立ち寄ったカフェで、ぼくたちはその古ぼけたレストランの女主人からいきなり声をかけられた。「あんたらもあの気の狂ったインディアンに会いに来たのか? 天気を変えるとかいっているようだけれど、わたしは信じませんからね」

そして彼女が「気の狂ったインディアン」と吐き捨てるように言った存在こそが、カーリンの町外れに家族で暮らしていたローリング・サンダーその人だった。2月25日の夕方、ぼくたちはなんとかローリング・サンダーの家を探し出してその家の門の前に立っていた。ドアが開いて出てきたのはひとりの体格の立派な女性だった。あとでそれがセージの匂いだとわかったのだが、家のなかから薬草を炊き込めたような香りが流れ出した。彼女はぼくたちを招き入れた。一目見た瞬間ぼくは彼女の発している大いなる優しさと強さに包み込まれた。それがローリング・サンダーの奥さんでショショーニ一族のスポッテッド・フォーンとの最初の出会いだった。というよりぼくがはじめて直接顔を見合わせて話を交わした最初のアメリカ・インディアンだった。じきにわかったのだが、彼女はローリング・サンダーの一族から「ビック・ママ」と呼ばれ、すべての人から尊敬されていた。スポッテッド・フォーンは一族のクランマザーであり、その権力は絶対だった。ローリング・サンダーですら彼女の言葉には従わざるを得なかった。チェロキーに生まれて放浪の旅にあったローリング・サンダーを、結局最後までショショーニの土地につなぎ止めたのは彼女の尽きることのない魅力だった。ローリング・サンダーのメディスンのひとつの大きな源が彼女という存在だったことは間違いない。80年代半ばに彼女がスピリットの世界に旅だって以後のローリング・サンダーの落胆ぶりは誰の目にも明らかだった。

「ローリング・サンダーは仕事で外出しており、帰るのは今夜遅くになると」彼女はむだのない英語で言った。ぼくたちが明日の日蝕をユタの沙漠で見るつもりだと伝えると、彼女は真顔になり、こちらに向き直った。その瞬間彼女の身体がさらに大きくなったような気がした。「ローリング・サンダーは日蝕は見てはいけないと言っているわ」と彼女がおもむろに言った。「あなたたちは今夜はここに泊まりなさい。ローリング・サンダーもきっとあいたがると思うから。毛布はあるの? お腹はすいていない?」

そうやってぼくらはスポッテッド・フォーンに受け入れられ、ローリング・サンダー・ファミリーの客人になった。カーリンの町はずれの沙漠の中に作られたウィグアムという土まんじゅうのような寝ぐらを与えられ、たくさんの毛布とともに眠りについた。夜中に1度目をさまして外に出てみると頭上に満天の星がひろがっていた。翌26日の早朝、まだくらいうちにウィグアムの入口の布のフラップが音をたてて開き、ローリング・サンダーが独特の物腰で入ってきた。この時の話は、まだ印象が鮮明だったころに『ネイティブ・マインド』(地湧社刊)という本の前編に詳しく書きとめてあるので、興味があればお読みいただきたい。「日蝕を見ると、ブレーン・ダメージを受けるので、日蝕は見るべきではない」と彼も言った。「あらゆる動物たちはそのことを知っている」とも。「日蝕はなにかが死ぬ時であり、新しく生まれる時である。自分はこれからひとりで山の中に入り、日蝕を一族の者たちが見なくてよいようにしてくるつもりだ。日蝕のはじまる時間までには帰ってくるので、おまえたちはここにとどまりなさい」

その日、ちょうど30年前の今日、2月26日、午前11時ごろ、ネバダの沙漠の中にぽつんとうち捨てられて錆び付いた小さなキャンパーのなか、小さな薪ストーブが勢いよく燃えて、そのうえに載せられた黒く焼けたヤカンから沸きたつ蒸気で曇る窓ガラスのむこう側の世界を、ローリング・サンダーとぼくらは、パチパチとはねる薪の音を耳にしながら眺めていた。窓の外の沙漠には、さっきからしきりと雪が降り続き、それはもうかなり積もりはじめている。「みなが日蝕を見ないですむように、あの雪はわたしが降らせた」ローリング・サンダーがおもむろに言った。

30年前の今日は、アメリカ・インディアンの目で世界を見るその見方を学びはじめた日。スポッテッド・フォーン(ショショーニ)、ローリング・サンダー(チェロキー)、デイビツド・マニャンギ(ホピ)、マッド・ベア・アンダーソン(タスカローラ、イロコイ)、ジョン・ファイアー・レイム・ディアー(ラコタ)、アーチー・ファイアー・レイム・ディアー(ラコタ)。そうしたぼくを導いてくれた名だたる偉大な人たちはみなこの間に、地球の旅を終えてスピリットの世界に旅立たれた。そしてぼくはまだやらなくてはならないことがあるので、ここで地球の旅を続けている。学びは、どこまでも続く。




A Hard Rain's A-Gonna Fall
Bob Dylan,the Rolling Thunder Revue. 1976

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Comments

20日に福岡でお話を聞かせていただいた者です。当日、以前より持っていた「ネイティブ・マインド」にサインをいただきました。この本は私を亀の島の旅へ行かせた、という自分にとっては大事な本です。
 北山さんとお会いできたことをきっかけに、また最近忘れかけていた多くの大切なことを思い出すべく、数日前より気持ち新たに「ネイティブ・マインド」を再読し始めました。で、昨晩はローリングサンダーに会ったあたりまで読んで寝床に入りました。で、今日北山さんのブログを拝見すると......。なぜ?って感じです。単なる偶然ですかね〜?不思議で思わずコメント書いてしまいました。
九州でいつか、ワークショップ「風をひらく」の開催もお願いします。

Posted by: takla | Thursday, February 26, 2009 12:56 PM

taklaさま 福岡から今日に至るエネルギーの流れを見てみると、やはりRSのスピリットが教えを与え続けていることを感じます。正しい時と正しい場所で、またお会いしましょう。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Thursday, February 26, 2009 01:48 PM

今朝の夢でのこと。数百人とチェロキーモーニングソングを大合唱しました!楽しかった♪感動でしたよ♪

Posted by: ユリッチ。 | Friday, February 27, 2009 12:04 PM

最勝寺のイベントに参加させていただきました。
以前から北山さんのお話をお聞きしたいと思いながら、やっとお会いすることができました。
交流会では、このブログの内容(ローリング・サンダーとの出会い)を反復させるような質問をしてしまいましたが、そこに至るまでのエピソードもお聞きできてうれしかったです。思えば、私がアメリカ・インディアンの存在が気になるようになったのも‘砂漠が好き’だったからでした。砂漠とサボテンのあるところに行きたい!と、アリゾナに飛び立った日から随分月日がたちますが、いつしか帰りたい場所になっていました。
楽しい時間をありがとうございました。またお会いできますように。

Posted by: akemi | Sunday, March 01, 2009 02:48 AM

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Tracked on Friday, March 06, 2009 12:56 PM

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