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Friday, February 06, 2009

煙草から神聖さをとりあげたのは誰なのか?

日本たばこ産業(JT)が市販されているタバコの添加物リストを昨年ようやくすべて公開した。タバコを吸っている人は目の玉をぐりぐりさせてよく見てみることをおすすめする。もうやめたという人も一度自分が吸っていたものの中身を見ておくとよい。これを見てみると、市販のタバコが「純粋のタバコ」となにが違っているのかよくわかる。ここに挙げられている百種類を超える化学物質などは、意図的に吸う人をタバコ中毒にさせるために、そのことによってたばこ産業が巨額の利益を得るために加えられているものなのだ。

arrow2 紙巻たばこの製造工程において葉たばこに添加されている物質リスト

よくアメリカ・インディアンの話をすると、インディアンの人たちはみんな昔から煙草を吸っていたと思っている人がたくさんいるが、じつはそうではない。もちろん煙草は北米大陸原産で、数千年前から栽培されてきたものであるわけで、自分たちの育てた煙草の葉を自分たちで乾燥させて、それを薬草として利用する部族がないわけではないが、彼らはそれをあくまでも聖なる薬草(メディスン)と認識しており、ぼくが知るかぎり昔のネイティブの人たちが煙草を吸ったのはあくまでも癒しの儀式のためで、それはだいたい1ヶ月に一度あるかないかだったという。だから当然煙草は明確に意識に変化を与える効果を持っていたわけ。そしてそれはむさぼるように吸うことが目的であったわけではない。多くの場合は、創造主からの贈り物でありきわめて神聖なものと認識されていた煙草の葉は、これを細かくして大地にまいて浄化をしたり、あらゆるいのちを祝福するためのものとして、きめられた神聖なやり方で使われた。北カリフォルニアのカルクなどの部族では長老たちがなんとかタバコを大地を創造された偉大な存在にたいするささげもののための神聖な薬草として留めようと奮闘努力している。

kinnikinnick

また、いわゆるピースパイプとしてみんなで輪になってパイプを巡らしている光景をよく映画などで見るが、ラコタの人たちがピースパイプにつめてくゆらしていたもののほとんどは煙草ではなく、キニキニック(kinnikinnick)と呼ばれ、薬草を扱う専門の人によって何種類かの薬草[赤柳の皮、コケモモの葉、ラズベリーの葉]などが微妙にブレンドされたものである。そこに煙草がくわえられることもないではなかったが、それが必ず必要とされたわけではないことは覚えておくといい。

とにかく、煙草は数時間おきに吸うようなものではないことをこの機会に理解してほしいと思う。神聖なものに化学物質を混ぜ込むことによってその神聖さを取りあげている企業により、気がついたときにはいつのまにか中毒にされてしまって、ただなんとなくこれを吸っているのなら、それはまったくもって正しい煙草とのつきあい方ではない。

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Comments

こんばんは。
いつも読み応えのある文章ありがとうございます。

たばこの添加物リストは絶句してしまいました。
できればどんな人間にもこんなもので命を縮めてほしくないですね。
そして、僕らが口にするものは全て自然のものであってほしいと切に願います。
僕らが自分の身体を大切にできたときに初めて
他の誰かを大切にできるのではないかとも思いました。

そういえば、ネイティブマインドを読んでいたときに
気になったのですが、ローリングサンダーは
よく煙草を吸われていたのですか?
(そんなシーンが多かったように思いました)

そして彼が糖尿病だったという記述も
偉大なるインディアンといえど70年代では
本来のネイティブな食生活からは
はるか遠いところにいたのかなと少し残念に想像してしまいました。

最近ネイティブジャパニーズに戻るためのひとつアプローチとして、
はたして日本人にとってネイティブな食生活とは何かと考えています。

食について(本だけではなく)、
いつかのふさわしい場でお話をお聞かせ頂いたら大変ありがたく思います。
よろしくお願いします。

Posted by: rainbow cloud | Friday, February 06, 2009 at 11:17 PM

rainbow cloud さま

食に関しては、世代を超えていく問題だから、なかなかうまいこと言えません。なぜならその人間の食を決定づけるのは幼児期の食の体験だからです。この意味からいうと、ぼくらは戦後学校給食の最初の世代で、クジラ肉に動物性タンパク質のある部分を担ってもらいつつアメリカンフードやコーラやチョコレートに憧れた最初の味の素ジェネレーションだったわけで、といって当時の母親も父親も、それを悪いものだとは認識しておらず、ただひたすら栄養のあるおいしいものを子どもたちに食べさせたい一心だったと思います。今になって、というより20代後半になって以降、なんとか正しい食に帰ろうと努力はしつつあるものの、すでにある意味では手遅れの感もなきにしもあらず。またローリング・サンダーらの世代の幼年期の食は、おそらくもっと悲惨だったと思う。生き残るためにはなんだって食べた人たちでしょう。白人到来以前の生活スタイルを完全に否定されたリザベーションやその周辺の食事情は、政府から与えられる非人間的な食べ物とアメリカンファーストフードに囲まれて育つわけで、口に入るものも選べるような状況ではなかった。ネイティブの人たちが古来の食生活について意識を向けはじめるようになったのは80年代になってからです。すでにその頃のリザベーションは大人から子どもまで糖尿病に侵されていたわけ。人間というのは、地球のどこにいても、その人の置かれた環境をそのまま食べているわけです。環境のなかにあるものが全部体のなかに入っていっている。RSだって50代以降は食べるものにずいぶん気を使っていたことは間違いありません。ぼくだってお米が雑穀のひとつの位置に戻される食生活を夢見ているのですが、現実には理想からは遠く離れた食のありさまです。しかし、どこに戻ればよいのかについては、なんとなく見えている地平があり、この地平にむかって自分の子どもたちの世代がすすんでいけるようになればよいと思っているのですよ。食べ物について確かなことがぼくに言えるとしたら、人間はほんとうに食べたものになるというのが結論かな。

追伸 RSは煙草に関しては特別に栽培された混じりけのない乾燥煙草を吸っていましたが、スポッテッド・フォーンが亡くなった後めっきり力が消えて、最後のほうになると巻き煙草のマルボロもくわえるようになっていました。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, February 07, 2009 at 12:15 AM

偉大なるローリング・サンダーといえど、そのようにして力が消えてしまうことがあるのですね。
物悲しくも興味深いお話をありがとうございます。

そして食に関して―――
なるほど「食」においても幼児期の体験というのは、その後の人生を左右するインパクトのあるものなのですね。
(ファーストフードや甘いものをあまり食べさせてくれなかった自分の母親に感謝します。)

インディアンに興味を持つ者にとって、「肉を食べること」は感謝の念を忘れなければ良いのかなと思ったりしますが、
牛の放牧地が熱帯雨林を侵食しているという現実や「いのちの食べ方」という映画に描かれていたような
鳥、豚、牛たちの機械的な扱われ方、化学物質等による汚染度の高さを考えると
「ナチュラル・ハイジーン」のような生命力や酵素、身体のリズムを重視した
果物、生野菜、豆類や種子類をベースとする食の意識が今の人類には求められているのかなと感じております。
もちろんそれには砂漠化された大地を緑に戻す(海水を淡水化するような)テクノロジーが
解放されなければいけないとも思います。

地球上の動植物が豊かだった時代のネイティブの多くは肉を食べることもなく、
他の部族を襲うこともなかったのではないかと先日「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を鑑賞した際に感じました。

いづれにしても北山さんのおっしゃる「地平」を個々人が自分の身体と対話しながら探すことが大切そうですね。
「人間はほんとうに食べたものになる」とはシンプルながら深淵なる言葉だと思いました。

Posted by: rainbow cloud | Monday, February 09, 2009 at 09:15 PM

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