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Saturday, January 24, 2009

ドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」のプロモーション用で製作の途中経過を伝える映像が公開された

rockart02友人の映像作家であり、ネイティブ・ピープルの世界に造詣の深い森谷博氏が監督・撮影・編集をして現在も制作中のドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」のプロモーション用映像が YouTube で公開された。「TOKYO アイヌ」映像製作委員会が2010年の3月完成をめざしているこの映画は、まとまった元手となる制作資金もないなか、2007年の春から関東圏に住むアイヌの方の呼びかけにより、ヴィジョンを同じくする人々が集い製作を開始したもの。現在首都圏には5千人とも1万人とも言われるアイヌが暮らしているが、「どこであれ、自分の生きていける場所でアイヌであり続けようとする人々」の姿を映像は追いかけていく。

映画の製作経過を伝えるサイトにはこう書かれていた。「首都圏アイヌの活動の歴史、それはアイヌ伝統社会から離れた都市生活の中で、一人ひとりのアイヌが民族の記憶を受け継ぎながら、新しいアイデンティティを模索した歴史でもあります。映画は、アイヌであり続けようとしてきた一人ひとりの心にしまい込まれていた物語によって編み込まれる一枚のタペストリーとして完成されるはずです。▼その織物に向き合い、目と耳を澄ます。▼そのことは、私たち日本人が多文化社会を、これからどう生きるかを模索する大切な契機となるはずです。」

仲間たちよ さあ立ち上がって踊りましょう
絶対的な資金難と世界をとりまく経済的試練のなかで、偉大なるカムイの加護の元、この映画は今も撮影が続いている。日本列島に生きるわれわれは、他の国の誰よりも、今まさに映像として紡がれ続けているこのタペストリーと対面する必要があるだろう。この映画が資金難という大きな壁を越えて完成し、われわれが日本人という千年続いている夢から覚めて、多文化社会・国家という地球を守るためのウェイ・オブ・ライフを共有するために、ぼくとしてもこのブログの心ある読者の支援をお願いするものである。

arrowhead_small ドキュメンタリー映画 TOKYO アイヌ 公式サイト

    youtubeyoutube「TOKYO アイヌ」プロモーション映像

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ボブ・ディランが70年代初期に寓話詩(バラッド)として歌っていたアイラ・ヘイズというひとりのインディアンの青年のことを知っておいてください

Ira Hayesアイラ・ヘイズ(左写真)というネィティブ・アメリカンの人を知っていますか? アリゾナの南に広がるソノーラという美しい沙漠をわが家と呼ぶいくつかのネイティブの部族のひとつアキメル・オーダム一族、英語でピマ族と呼ばれる一族に生まれた青年でした。じつは彼はもういません。今日は彼の命日です。1955年の今日1月24日に33歳であの世に旅だったのです。第二次世界大戦直後の1950年前後数年間のアメリカで、彼は最も有名なアメリカ・インディアンの1人であり、国家の英雄として祭り上げられていました。彼が有名になったのは、太平洋戦争における武勲でした。

硫黄島という激戦地のことをあなたがどのくらい知っているかわかりませんが、大日本帝国軍とアメリカ軍が想像を絶する壮絶な闘いをした太平洋上小笠原諸島の外れにある小さな島で、大日本帝国軍の守備隊はこの島で玉砕しました。そういえば数年前に映画にもなりましたね。日本語のウィキペディア(Wikipedia)「硫黄島の戦い」の項目の一部を引用します。

「硫黄島の戦いで、日本軍は守備兵力20933名のうち20129名(軍属82名を含む)が戦死した。捕虜となった人数は3月末までに200名、終戦までにあわせて1023名であった。アメリカ軍は戦死6821名、戦傷21865名の損害を受けた。硫黄島の戦いは、太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であり、また、上陸後わずか3日間にて当時のD−デイを含むアメリカ軍の各戦場での戦死傷者数を上回った。」

WW2_Iwo_Jima_flag_raising

硫黄島の摺鉢山の上にアメリカの6人の海兵隊兵士たちが星条旗を掲げている有名な写真(上)が残されていて、このジョー・ローゼンタールという写真家が撮影した写真は、太平洋戦争を象徴する写真の1枚としておそらくあなたも知っていると思う。写真には4人の兵士しか写っていないかのように見えるが、写真をクリックすればわかるように、実はそこには6人の海兵隊員がいる。この6人のうち一番左側で旗をおさえているのが南アリゾナにあるギラ・インディアン居留地で生まれて育った心優しい普通の青年のアイラ・ハミルトン・ヘイズです。もちろん太平洋戦争で兵隊となったインディアンは彼ひとりではありません。インディアンの志願兵はいつの戦争でも激戦地に送られました。(ぼくも過去にナバホのリザベーションで硫黄島の戦闘に加わっていた人とあいました。日本軍の日章旗と武器をいくつか彼はまるで博物館のようにきれいに家のなかに飾っていました。ディネ(ナバホ)の彼は「日本兵はとても勇敢だったと」心からほめ讃えていました。)そしてアイラ・ヘイズ、彼はこの1枚の目に焼きつく写真のために「さすがは死を恐れないインディアンの戦士じゃないか」ということで一夜にして「偉大な海兵隊員」とアメリカの国民的英雄に祭りあげられます。インディアンでも戦争で立派な働きをすればアメリカ人として有名になれると、アメリカの軍隊は彼を宣伝に使ったのです。

その後の人生については、カントリーシンガーで自らもネイティブの血を引き継ぐのあのジョニー・キャッシュが思い入れをこめて歌った美しくて悲しい歌(作詞作曲 Peter LaFarge)があり、それがいくつも YouTube にあげられているので聞いてみてください。リザベーションなのかネイティブの年寄りを前にして歌っているものもあります。ちなみにぼくはというと、73年にリリースされたボブ・ディランの13枚目のアルバム(『ディラン』[Dylan])でカバーしたものを最初に70年代の後半に聞いて驚きました。オリジナルを作詞作曲したピーター・ラファージ(Peter Lafarge)とディランはディランも加わっていた60年代前半のニューヨークにおけるグリニッチ・ヴィレッジのフォークソング・ムーブメントの重要なメンバーのひとりで、才能のあるプロテストソングの歌い手であり画家でありましたし、彼自身ネイティブの血を引き継いでいますが、65年に34歳の若さで夭折しています。彼はディランに拳銃をプレゼントした人として知られていますが、ディランが70年代半ばにローリング・サンダー・レヴュー・ツアーに出る直接のきっかけを与えた存在だったかもしれません。寓話詩(バラッド)の歌詞は、小生がディランの歌った「バラッド・オブ・アイラ・ヘイズ - The Ballad of Ira Hayes 」から試みに翻訳したものを以下に掲載しておきます。これは残念ながら YouTube では聞けないようですが。

youtubeyoutube The Ballad of Ira Hayes

結局彼は、もてはやされたあげく、リザベーションでは誰にも相手にされなくなって、酒浸りとなり、やがてアメリカの社会からゴミのように捨てられてしまいます。1955年の1月24日、寒い朝、ギラ・インディアン居留地の彼の生家の近くの廃屋の脇を流れるドブのような川にうつぶせに倒れ、口から血を流して死んでいるアイラの死体が発見されました。前夜にインディアンの仲間たちと酒を飲みながらポーカーをして喧嘩となり、暴行を受けたあげく寒い野外に放置されたことが死んでしまった原因でした。硫黄島で共に旗を立てた同僚の白人兵によれば「いつの日にかインディアンが白人のようにアメリカ国内を自由に歩いてあちこちと旅出来るようになればいいと言う小さな夢」を抱いていた彼は、その夢を抱えたまま、32歳で生涯を終えました。

彼は今、バージニア州にあり、アメリカ軍が管理するアーリントン国立墓地で、ひとりのアメリカ人海兵隊員として眠っています。



The Ballad of Ira Hayes


バラッド・オブ・アイラ・ヘイズ by ボブ・ディラン
Bob Dylan The Ballad of Ira Hayes

お集まりのみなさんにわたしがひとつお話しを聞かせましょう
ひとりの勇敢なインディアンの若者のお話です
どうかその青年のことを忘れないようにしてください
青年はピマ族の出身 ピマと言えば誇り高き平和の一族
千年も前からアリゾナはフェニックス渓谷の土地を耕し
灌漑のための用水を設けて あふれる泉の水を流してきたけれど
それも白人たちが水利権を奪い取って 水を独り占めにするまでのこと
アイラの一族は腹をすかせ 畑には雑草しか育たなくなった
ところが戦争がはじまって 彼は志願兵となり
白人の欲のなか 忘れ去られた

「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく
「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく

彼は仲間と共に硫黄島の山を登りはじめた
仲間は最初250人
だが生きて山を下りてきたのはわずかに27名の兵士のみ
戦いが止んで 山の頂に星条旗がたてられた
その星条旗をたてた兵士のひとり
それがインディアンのアイラ・ヘイズ

「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく
「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく

アイラは英雄として帰還した 国中がみんな誉め讃えた
ワインをふるまわれ スピーチを求められ ほめそやされ
顔を合わせる人全員が握手を求めてきた
だが アイラはただのピマ族のインディアン
金になる作物があるわけでなく チャンスもなかった
故郷に戻れば誰も彼の武勲などに鼻もひっかけず
ただ風がインディアンダンスを踊るだけ

「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく
「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく

やがてアイラはまた酒浸りに
そして牢屋は彼の家がわりに
あそこではたてさせてもらえた旗を
まるで犬の食べてる骨を遠くに投げ捨てるように引き下ろす
ある朝彼は酔っぱらったまま死んでいた
命をかけて彼が守った国でひとりぼっち
5センチほどの水が流れているだけのただのどぶ川
そこがアイラ・ヘイズの墓場だった

「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく
「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく

そうさ「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼べばいい
彼の故郷では今だに酒は禁制品
あのどぶ川には彼の幽霊が喉を渇かして横たわる

「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく
そうさ「酔いどれのアイラ・ヘイズ」と呼んでも 彼はもう返事はしない
ウイスキーで酔っぱらってるインディアンとしてでなく
あるいは戦争をしにいった海兵隊員としてでもなく

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Thursday, January 22, 2009

21000年まえから現在までのベーリンジアをとりまく古環境

Beringia_land_bridge-noaagov

後にネイティブ・アメリカンと呼ばれることになる人たちの最初の先祖の集団は、17000年から15000年前にこの地図のエリアを越えて今のアメリカ大陸に渡っていったという。最新の遺伝子の研究では集団はふたつあり、ひとつは海水の引いていた太平洋沿岸を岸伝いに渡る海ルートで北西部太平洋岸に、もうひとつは北東シベリアからアラスカの北部ロッキー山脈へ陸塊を伝う山ルートらしい。地図は米国海洋大気庁(NOAA)製作のもので、ベーリング海峡の環境の21000年前から現在までを、23枚のgif画像で連続して見せてくれるもの。想像力が刺激されるでしょ。

Source :

First Americans Arrived As Two Separate Migrations, According To New Genetic Evidence, ScienceDaily (Jan. 21, 2009)

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Tuesday, January 20, 2009

ついにマヤの暦の謎が解明されたということでいいですかね :-)

mayan calendar

マヤ人A 「いったいなんで2012年で終ってるんだよ?」
マヤ人B 「続きを彫るスペースが石版になくなっちまったんだもの」

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Monday, January 19, 2009

北山耕平が2月に出没する講演会・イベントのおしらせ

paw next 2月20日に九州の福岡でトークの場を持ちます paw

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Sunday, January 18, 2009

「ecocolo」という雑誌に UA さんとの対談記事が掲載されています

ecocolo #34エココロ(ecocolo)というエコロジカルなライフスタイルを提案する女性向けの雑誌の2009年2月号(通巻34号)「特集:空が教えてくれること」のなかで、ミュージシャン(シンガーソングライター)のウーア(UA)さんと久しぶりにあって話をした記事が「ネイティブアメリカンが見上げた空」として掲載されています。空を見あげるのが好きな人にぜひ読んでもらいたい特集です。新しい生き方にたいする強い関心を持ち実践しているウーアさんとは、これまで八ヶ岳や富士山の山麓のイベントで何度か顔をあわしたことがあり、そのせいで昔からの知りあいのように話ができました。彼女のような生き方をする女性たちが増えているのがこの国の希望でしょうか。書店で見かけたら手にとってみてください。

arrow2 雑誌『ecocolo』No.34

アマゾンで購入する

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Wednesday, January 14, 2009

パレスチナとアメリカ・インディアン

「第2次世界大戦で米国が日本に行ったのと全く同じようにハマスと戦うべきだ」

イスラエルの極右政党「わが家イスラエル」のリーバーマン党首の言葉  

「アメリカ・インディアンは合衆国のなかのパレスチナであり、パレスチナ人は中東におけるアメリカ・インディアンだ」
アメリカン・インディアン・ムーブメントのラッセル・ミーンズの言葉  

Source :

米国の日本攻撃に倣え ガザ攻撃でイスラエル右派

Russell Means: Breaking the silence on Obama

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Tuesday, January 13, 2009

お知らせ◎2月は九州でメディスン・トークの場をもちます


Mana Burgers
MANA BURGERS Presents

北山耕平メディスン・トーク@福岡天神”

Tipi cloud

■「あなたのなかのインディアンを目覚めさせる」■
Wake Up the Indian Inside of You

・ネイティブ・ピープルから学べ      
  ・いまアメリカ・インディアンからなにを学ぶか?
・そこで日本人をやっているあなたは誰か? 

日時:2009年2月20日 金曜日
   OPEN 17:30 ~
   START 18:30 ~ 21:30
  (講演+質疑応答+書籍サイン会)

場所:アクロス福岡 1階 円形ホール
地図:http://www.acros.or.jp/access/index.html
駐車場あり

定員:108名(要予約)

料金:¥2500
(10%をテックヮ・イカチ・プロジェクト*に寄付)

企画 MANA BURGERS

予約・問い合わせ:MANA BURGERS
Mail aloha@manaburgers.com
Tel 092-986-0759

reddot 詳細


*テックヮ・イカチ・プロジェクト 『テックヮ・イカチ』とは、アメリカ先住民族のホピ国の言葉で「大地といのち」あるいは「大地と交わりいのちを祝う」という意味です。1975年~86年にかけて、当時ホピ伝統派と呼ばれたエルダーたちが10年間にわたって44号発行し続けた通信の名前が『テックヮ・イカチ』です。この通信『テックヮ・イカチ』44号を1冊の日本語版書籍にまとめ非売品として発刊するためのプロジェクトです。
arrow 『テックヮ・イカチ』日本語版サイト

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Monday, January 12, 2009

同志たちよ、あの偉大なるカタログがウェブサイトですべて公開されましたよ

Access to Tools and Ideas

microphoneこれがもっと大きな話題にならないのは、ぼくの前の世代があまりインターネットに主体的に参加していないからなのかと、少なからず考え込んでしまった。早晩いつか必ずこれが実現する日がくるだろうとは考えていたが、思ったよりも早く実現したと言うべきか、あるいは「遅すぎるよ」と文句のひとつでも言うべきか悩むところだが、でもひとつ気を取り直してこのニュースを伝えておかなくてはならない。

同志たちよ! 頭に栄養は足りていますか?

60年代後期から70年代をとおして、そして80年代も90年代すら、そしておそらくは21世紀になった今も、時代がまるごとその影響下にあり続ける偉大なカタログである「 Whole Earth Catalog 」の最初の68年秋号、69年春号、69年秋号、70年春号、70年9月号、71年1月号、71年6月の The Last Whole Earth Catalogとその補遺号、74年5月の The Last Whole Earth Catalog 改訂新版、74年10月 Whole Earth Epilog、80年春の THE ESSENTIAL Whole Earth Catalog、80年9月の THE NEXT Whole Earth Catalog、94年の THE MILLENIUM WHOLE EARTH CATALOG、98年冬の創刊30周年記念号の全部、およびそのファミリーマガジンのすべてが(完全にではないものの全体が!)デジタル化され、紙の呪縛から解放されてこのほど公開された。

おそらくインターネットの歴史のなかにおいても、これはもっと特筆されてしかるべきニュースにちがいない。80年代からインターネットの宇宙を旅してきた人間の一人として言わせてもらえば、少なくともぼくにとっては、これほど「暇つぶしと頭の訓練」に役に立つウェブサイトはインターネットのどこを探してもこれまで見つけることはできなかった。最近流行している自己啓発ノウハウサイトなどこのウェブサイトを見たあとでは完全に色あせてしまうだろう。 Whole Earth Catalog は一貫して「 Access to Tools 」というサブタイトルを掲げてきたが、ウェブサイトとして公開されるにあたって「 Access to Tools and Ideas 」と「道具」だけでなく「考え方」への「入口もしくは通過点」という言葉がそこに付け加えられている。

このままでいくとインターネットの世界もまたテレビ・メディアのように時と共に「悪貨が良貨を駆逐して」知性のレベルの低下もしくは、ニューエイジが辿ったような低次元での均一化はまぬがれないと思い込みかけていたのだけれど、有意義に時間をつぶせるウェブサイトがようやくひとつぼくのブックマークのなかに追加された。このサイトと共に地球の旅を続けるためにぼくがノートパソコンを手に入れるための資金集めをはじめる理由のひとつになるかもしれない。空から一台MacBookが降ってこないか知らん。\(^O^)/

最後に「全地球カタログ」のデジタル化を可能にしてくれたテクノロジーの進化とスタッフたちの献身的なエネルギーにひれ伏して感謝したい。

arrow2 Whole Earth Catalog: Access to Tools and Ideas

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Saturday, January 10, 2009

5年目に入った「Native Heart」ブログのまえがき

Native American & Native Japanese

このブログも5年目を迎えてもう一度帰るべき場所としての原点を確認しておきたい。アメリカ・インディアン、ネイティブ・アメリカンという言葉を耳にしてなにを思い描くかは人それぞれだ。それはわかっている。インディアン・ジュエリー、レザー・クラフト、ビーズ・ワーク、シルバー・クラフト、カチーナ人形・・・そうしたネイティブ・アメリカン・ガジェットをこのブログでは直接扱うことはこれまで意識的にしてこなかったし、これからもすることはないと思う。そうしたネイティブ・アメリカンの「アート・アンド・クラフト」の世界は、彼らの文化を外側から観ているたいていの人たちのイメージとは重なっているのだろう。もちろんぼくはそれらを頭から否定するものではない。

このブログが最初から目的にしてきたのは、そうしたアート・アンド・クラフトの向こう側に広がっているとてつもなく広い世界について共に学ぶことで、お金では売り買い出来ないものについての「つい500年程前まで自然のサイクルのなか地球とつながって調和と美のうちにバランスを保って生きてきて、その後いきなり西洋強欲文明の波にのみこまれて、人工的な時間で生きることを余儀なくされる事による壮絶な経験をした人たち」の現実に目を向け、この世界にはあくまでも別の世界で生きようとしてきた、今も懸命にその世界にとどまろうとしている人たちが存在するということに意識を向けるきっかけを作り、「かつてインディアンであった頃のことを忘れて虚構の日本人をいっしょうけんめいしている同胞たち」の目を覚まさせることだった。

ネイティブの人たちのことを語るとき、しばしば今の世界からかけ離れているがためにアナクロと受けとめられがちである。お前はもう一度原始時代に返れというのかと言われたことが何度もある。ぼくが伝えようとしているのはしかしそのようなことではない。ネイティブ・ピープルの問題は過去のことなどではないからだ。それは時間が直線を描かないで、過去と現在と未来が輪を描いて同時に存在する異なる時空間認識の世界だと言うことだ。

母なる地球が打ち鳴らすドラムにはいつでも大地のビートがある。それこそが地球とつながって生きる人たちの鼓動でもある。われわれが遠い昔に忘れたか、過去のどこかに置き忘れてきたもの、ネイティブ・ピープルの価値観、ヴィジョンと夢は、それを受けとめる人の心に届いたかどうかはともかく、これまでさまざまに言語化されてきた。その人たちの超自然的な力、神秘的な力、あるいはそれを「神」とも「グレイトスピリット」とも呼んでもいいのだが、そうした人間の理解を超えたものの存在にたいする絶対的な信頼は、ネイティブ・アメリカン・ピープルをはじめとして地球に生き続ける人たちの諸部族がかろうじて守りとおしてきたさまざまな儀式や祭りや祈りのなかに、今でも認識することができる。

だが、地球と共にあることを忘れた人たちによって大地は搾取され、資源は浪費され、あらゆるいのちが軽んぜられ続けた。自然は声もなく撤退し、ぼくたちは不自然なものを自然だと思い込まされた。この状況を母なる地球はレイプされ続けていると語る人たちが多くいる。これは日本列島だけの話ではない。偉大なる癒しの時の到来が地球の各地で求められているのは、その理由によるものだろう。

このブログは、そうした目には見えず、われわれが忘れようとしてきた(けれども忘れきることができずにいる)もうひとつの地球に生きる人としての生き方と世界の見方と円を描く時間を探求するための情報を可能な限り共有することを目的としている。

*写真は自著『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版刊)。このブログを読むための基本となる本の一冊。すでに1度読んでもらった記事も文章にかなり手を加えてあるし、書き下ろしも含まれていますので、ぜひ一冊と言わず何冊かご購入いただけると小生の生活が少しだけ楽になります。\(^O^)/

追伸 Hawai'i Book of Days の更新を忙しさにかまけて忘れてしまったことをお詫びします。来週か再来週には再スタートさせるつもりです。インディアン・タイムでお待ちください :-)

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Friday, January 09, 2009

I Love To Watch A Woman Dance

「The Earth is Our Mother(地球はわたしたちの母)」というダンスを踊るヒトたちが世界で増えているという。知っていましたか? 一種の「踊る宗教」あるいは「踊りそのものが教えであり学び」なんだろうけれど、この優美でしなやかな、そして自由と平和を感じる解放されたダンスは、スピリチュアリティーから言えばネイティブ・アメリカンのゴーストダンスとも似ているところがありますが、起源は、一心にぐるぐる回る回旋舞踏(Sufi whirling)によって神との一体化を求めたとされているスーフィにあるとする説もあるとおしえられた。下の映像の彼女がアメリカのデザート(沙漠)で、無心に舞っているのがその踊りによる表現である。まずは1度ご覧ください。


少し調べてみると、このダンスの基本形を作り出したのはヒンズー教やユダヤ教、仏教、ゾロアスター教、イスラム教、ネイティブ・アメリカンの信仰、中近東の先住民の教え、ケルト、ネイティブ・アフリカンの信仰、世界各地に残されている大地母神への信仰などを学んで、70年代の初めに向こう側の世界に旅だったサミュエル・L・ルイス[ Samuel L. Lewis ](1896-1971)というスーフィの教師で臨済宗のゼン・マスターだということがわかってきた。彼は、その生涯で500を超えるさまざまなボディ・ワークやダンスを試すなかから、地球を聖なる母とする「偉大なる女性性」の教えを核にして最終的にこのダンスを完成させたのだという。ダンスは「世界共通の平和のダンス(Dances of Universal Peace)」というのが正しいらしい。何人かの集団で踊っている光景は、以下のようなものだ。


もしあなたがこのダンスに、あらゆる宗教を超えた踊りに、関心を持ったなら、The International Network for The Dances of Universal Peace のサイトを見てみるといい。このダンスに、なにか特別なものを感じるのはぼくだけだろうか? これまで長い間ぼくはさまざまな平和を希求する集まりなどでダンスを舞う女性たちを見てきた。その誰もが内側から湧きあがってくる偉大な力に逆らうことなく自然に舞っていたのが印象的だった。地球という惑星の平和と、女性の踊るダンスあるいは舞いには、深いつながりがあるのだろう。

最初の動画の彼女の踊りを見ていると、ぼくは自分が、無心に踊る女性を見ることが好きなのだと言うことを、はっきりと自覚させられるのだ。

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Tuesday, January 06, 2009

ヨーコ・オノからの2009年最初のメッセージ

Imagin Peace

*なおヨーコさんは「IMAGINE PEACE」の日本語として公式には
平和な世界を想像してごらん」という日本語訳を採用しています :-)

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目を閉じると見えてくるもの

「目を閉じたときに見えるもの、それが大事なのだ」

---- ジョン・ファイアー・レイム・ディアー ラコタ


目を閉じて、頭と心を静めると、われわれの眼前に別の世界が展開される。ラコタの偉大なヘヨカ(道化・世界を逆さまに見る人)でメディスンマンであったレイム・ディアー翁の逆説的な言葉が伝えようとしているのは、そのことだ。頭と心が静まれば、われわれにはわかる。頭と心が静まれば、われわれの耳には聞こえる。頭と心が静まれば、われわれには見える。頭と心が静まれば、われわれは感じることができる。すべての人の内側の深いところに、囁くような小さな声がひそんでいるという。その声のくる場所を見るためには、時にはわれわれはふたつの目を閉じて、知覚を塞がなくてはならない。目を閉じて見ることを、ときどきわれわれはする必要があるのかもしれない。自分の子どもや、配偶者と話をしているときなど、目を閉じてその声に耳を傾けてみる。その声の響き方に耳をこらしてみよう。声のなかにある興奮に耳を傾け、声のなかにある痛みに耳を傾けてみる。そしてひたすらに聞くこと。

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Thursday, January 01, 2009

年のはじめに贈る言葉のささげもの

Offering


ツァラギ(チェロキー)に伝えられた
人と人との絆のための掟


汝の言葉が真実を語りますように。

とにかく他のものの良きところを語れ。

頼りがいがあり、寡黙な人であれ。

激しい怒りのもたらす内なる障害を押さえ込め。
それはすべての人たちの内なる美を見えなくさせる。

この世界の完全さを無駄にするな。
むさぼり求める力に警戒を怠るな。

目をこらしてすべての人に内なる光を見る人間たれ。
比較することなく、すべてをありのままに見よ。

いのちにむかうときは敬意を払え。
汝のハートから無知を排除せよ。

殺すな、そして激しい怒りを持ち運ぶな。
それは一本の矢のごとく平和を打ち砕く。

やらねばならぬことを悟ったときには
時をおかずしてそれをおこなえ!


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