母親の背中で世界を見ていたときの記憶
サイドバー巻頭のE・S・カーティス(1868-1952)の写真を久しぶりに入れ替えた。今回はホピの人たちを撮影した写真のなかから選んだもので、タイトルは「Hopi mother(ホピの母親)」となっている。サイドバーの写真をクリックすると、高解像度の写真になるのでできればそちらもご覧いただきたい。
オリジナルは1921年にマサチューセッツ州ケンブリッジのサフォーク銅版工房でグラビア印刷された。20世紀初頭にアリゾナのホピの国で暮らしていた母親と子どもだが、これをご覧になって気がつくと思うが、母親は子どもをおんぶしている。このようにして母親のいくところがどこであれ、子どもは母親の背中に乗っかったまま快適についていく。この「おんぶ」という風習もまた、「はちまき」や「あぐら」や「あやとり」と並んで、環太平洋のネイティブ・モンゴロイドの人たちに共通するものであるようだ。
あなたには母親や父親におぶられていた記憶があるだろうか? ぼくは、ある。温かい背中で布のようなものにくるまれたまま、世界を、そして人生のはじまりの期間を観察していたとても貴重な至福の時間の思い出。現代世界で生長する子どもたちの多くが、両親が一日中仕事などで出かけているために、こうした直接的な日々の肌と肌の暖かさを感じるふれあいをほとんど経験しないまま育つ。そればかりか両親が不在のためにその暖かさをまったく感じることもなく成長する子どもたちすらいる。
カーティスがホピの母と子をとらえたこの写真はとても有名なものなので、インディアン文化に関心を持つ多くの人が一度はどこかで見たことがある古典的な一枚と言えるだろう。子どもがまだ小さくて親の背中に乗ることができる期間、このようにしてふたりで多くの時間を過ごすことの大切さを、この写真は教え続けている。
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Comments
兄弟のみなさん、
私はこのカーティスさんの絵とても大切だと思いました。
このお母さんは母なる地球の体現者のようであり、おんぶされている子供は言葉以前のネイティブな世界の根源を深く感じているのではないでしょうか。
平和な世界をつくるためには、このような”おんぶ”という行為が、教育にも増して、人間の源にふれる重要なことではないでしょうか。
この場合、北山さんのコメントどおりで、肌の暖かさが感じられないのはNGで、キャリング・ギアや、キャリングカーでは絶対にダメではないでしょうか?お金がなかったので、キャリングカーには乗れず”おんぶ”だった、の方が遥かに幸福だと思います。
平和な世界とのつながりのために”おんぶ”は、絶対に大切です。
お父さんのおんぶでもいいと思います。ソプラノサックスプレーヤーの
ポール・ウインターさんがCanyon Lullabyというアルバムの中で、自分の子供をおんぶしてグランドキャニオンでサックスを吹いている
この絵と似た写真があるのですが、全く基本だと思いました。
繰り返しますが、私はキャリングカーより絶対も”おんぶ”の方がいいと思います。(笑)
Posted by: 岡田真吾 | Thursday, November 27, 2008 11:56 PM
おはようございます。
僕もおんぶの記憶はおぼろげながらしかししっかりと体で記憶しています。
お袋はベビーカーもたまに使ってたよと言っていましたが、そちらの記憶は全く無いんです。
親としては確かにベビーカーのほうが移動も楽で快適なんでしょうが、子供にはやはり繋がり、ふれあいがとても大切なのでは無いでしょうか?
この写真、記事を読ませていただき、ふと自分の赤ん坊のときの感覚が思い出されました。
ベビーカーも様々なものが世に送り出されているとは思いますが、おんぶや抱っこをして子供を歩いている親をめっきり見なくなりましたね。
親が子供を殺す、子供が親を殺す事件が相次いでいますが、本当に身近なことと認識し、家族とは何か?をそれぞれが考えていかなくてはいけませんね。
当たり前のことなんですけど。
Posted by: EQUALIZE | Friday, November 28, 2008 08:54 AM