植物の兄弟たちをいかに敬うべきかを教えにきたメニー・ウォークスという名前の乙女の話 (部族不明)
昔あるところに「たくさん歩く(メニー・ウォークス)」と名づけられたひとりの子どもがいた。女の子で、その名のとおりどこまでも歩いていく娘だったが、いつも自分が誰かすら思い出せなくなって帰ってきた。そういうときその娘は一番の年寄りや一番賢いものを探し出して、その人たちに、うやうやしく頭を下げ、自分が誰なのかを思い出すまで質問を続けた。たとえばこのように——
「わたしの兄弟とは誰のことでしょうか?」
聞かれて年寄りはこたえる。
「ありとあらゆるものはお前の兄弟であり姉妹だ。この世界を創られたお方が作り出したものはすべてみんなお前の家族なのだ。わしらはひとりだけでは生きてはいけない。調和のうちに暮らすには、家族みんなが必要だ」
するとメニー・ウォークスはたずねる。
「わたしは自分の家族のみんなをどのようにあつかえばいいのですか?」
年寄りはこたえる。
「お前はみんなからどのようにあつかわれたいのかね? ほかの家族からは尊敬されたいとは思わんのか? ひと言の挨拶もなしに、お前の持ち物のなにかを、いきなり持ち去られたりするのはたまらんだろう? お前さんはそのようにして自分の家族をとりあつかっているようなものだ。相手がなんであれ、いのちあるものからなにかをいただく時には、なにはさておきその前に、正しいやり方でお願いをしなくてはならない。おお、兄弟よ、あなたの一部をいただいてもよろしいですか、わたしにはそれが必要なのです、と。そうお願いしたら、兄弟が返事を返してくるのを待つ。返事を受けとめたら、そこではじめて兄弟から持っているものの一部をいただくのだ。ここでもし兄弟からなにもかもすべてを奪ってしまえば、その兄弟とはもう二度と会えまい。なにかを兄弟からいただくのなら、その代わりに、お前の方もなにかを贈り物としてお返ししなくてはならない。なにかを自分から差し出すことなしに相手のものを少しでも奪ってはならない。これがわれわれ一族の生き方だ。このようにすることで、兄弟にたいして敬意を表すことができる」
自分はこれまでたくさんの道を歩いてきたのでそれなりに年齢をとりましたとメニー・ウォークスが口を開く。自分がこのようにしてそうしたいくつもの道を歩いてきた理由は、あなた方にわたしたち一族のそうした生き方を思い出してもらう手助けをするためです。自分たちの生き方を思い出すためにわたしが力を貸さなくてよくなるには、あとどのくらい自分は歩かなくてはならないのでしょうか?
年老いたものは頭をさげてこたえた。すまなかった、メニー・ウォークスよ、われわれを許してほしい。われわれもまた一族の若者たちに自分たちの生きる道を教えることをすっかり忘れていたのだ。お前のかわりに、これからはわれわれが歩こう。歩いていって、若い連中に一族の生き方を教えることにしよう。だからお前はもう休んでよい。
そういわれてメニー・ウォークスはその場を立ち去りかけたが、立ち止まって振り返り、
「わたしたち一族の生き方が忘れ去られる時がきたら、このような機会はもう二度とこないでしょう」
との最後の言葉を残し、再び歩きかけた道を進んで、創造主の元へと立ちのぼる煙が雲になるごとく、いずこかへと姿を消した。
ホ!
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