スピリットたちは英語を話さない
10月中旬にオクラホマのカトゥーサで開催された国際チェロキー映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した映画のタイトルがすごい。
『われらがスピリットたちは英語を話さず:インディアン寄宿舎学校』
(“Our Spirits Don’t Speak English: Indian Boarding School”)
この映画を撮影したネイティブ・アメリカンのチップ・リッチー(Chip Richie)は同時に最優秀ドキュメンタリー映画監督賞も獲得している。
映画「われらがスピリットたちは英語を話さず」はサブタイトルからもわかるように19世紀後半から約100年以上続けられたアメリカ先住民の子どもたちにたいする教育という名の洗脳についてのドキュメンタリーであるが、ネイティブ・アメリカン・タイムズというテキサスから発信されているオンラインニュースによれば、それはまたインディアンの文化を破壊するという目的で作りあげられた教育システムそのものの過去と現在と未来を見つめる作品でもある。
インディアン寄宿舎学校というのは、アメリカ・インディアンの子どもたちを、4歳から5歳の時に強制的に親元から引き離して、数千キロ離れたところにある寄宿舎つきの学校に押し込み、10年以上をかけて徹底的にアメリカ人化教育を施すための施設で、われわれと同時代の今を生きている50歳代以上のほとんどのアメリカ・インディアンは女性も男性もこのネイティブの文化を徹底的に絶滅させるための教育システムの被害者であり、そこから精神的に深い傷を負って生還した生存者でもある。たとえばペンシルバニアのカーライルと言うところにあった代表的な寄宿舎学校(上の写真)「Carlisle Indian Industrial School」の1879年当時の教育哲学は「野蛮人を殺し、真人間を救え」というものだった。そうした先住民文化を粉々に解体して破壊しつくす非人間的な教育システムは、アメリカ・インディアンの権利回復運動が高まりを見せる1970年代中頃まで続く。
映画「われらがスピリットたちは英語を話さず」にも登場しているアンドリュー・ウィンディー・ボーイ(Andrew Windy Boy)のインタヴューが予告編と一緒に製作者のサイトで公開されていた。ウィンディー・ボーイはチペアとクリーの血を受け継ぐネイティブの人で、60年代後半から70年代前半にかけて寄宿舎学校に入れられていた。彼の言葉をひとつひろってみる。
彼らは私を寄宿舎学校へ連れて行った。そこでは自分が家で話していた言葉を話すのを許されず、ネイティブの道を実践することも禁じられた。私はほかに言葉を知らなかったので、なにか話そうとすれば自分たちの言葉、クリーの言葉が口をついて出てきた。そして私がクリーの言葉を話すと、そのたびに殴られた。幾度となく、大きな白い三角錐のトンガリ帽子を頭にかぶらされた。帽子には「DUNCE(劣等生)」と記されていた。その意味は私にはわからなかった。わたしは英語を知らなかったのだ。それでもあの人たちはその帽子を私にかぶせた。至るところでその帽子をかぶらされ、ほかの生徒たちの笑いものにされた。
この教育システムとの闘いは過酷だった。被害者はいたるところにいた。何百人という生徒が暴行を受けたりして絶望のうちにいのちを落とした。世代間の文化の断絶は決定的なものとなった。ほとんどの部族で伝統文化が瓦解した。二度と昔の日々は戻ることがなかった。
しかしもちろんその闘いを生き延びた者たちはいるのだ。彼らは自嘲気味に自らを「ボーディング・スクール・サバイバー」という。その彼らは、自分たちの文化を壊滅させるために設計された教育というシステムを用いて、精神的な瓦礫の中から立ちあがり、今は自分たちの文化の再生をめざすようにもなっている。
映画「われらがスピリットたちは英語を話さず」は11月11日にサンフランシスコで開催されるアメリカン・インディアン・フィルム・フェスティバルで上映されることがきまっているし、12月9日からサンタフェで開催される第9回サンタフェ・フィルム・フェスティバルでも1000本を超える応募作品の中から選ばれて上映される。
Source : Indian boarding school film named ‘Best Feature Documentary’ at ICFF
【参考サイト】
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Comments
とても辛い写真ですね。
こんなに沢山の子どもたちが・・・
でも同じようなことが
この星では何度も繰り返され
今も・・・
人間って何なんだろう。
Posted by: 眞司 | Friday, October 31, 2008 02:36 PM
戦後の日本と同じですね。
Posted by: m | Saturday, November 01, 2008 08:59 AM
眞司さん、mさん
教育というのが「武器」であるということをアメリカ・インディアンの知者はよく知っています。この「武器としての教育」を、国家の言いなりになる人間を作るためにのみ使うのではなく、失われた伝統を再生させるためにも利用できるのではないか、ひとつの世界でしかいきられない人間を作るのではなく、ふたつの異なる世界でバランスをとって生きれる人間を作り出せないかと、70年代以降考えはじめた(教育ある)世代がネイティブの人たちのなかにいます。また自らの子どもに自ら必要なことを教える人たちも現れています。
学生服というものとか、みんな同じにならなくてはいけないとする個性を殺す教育の見本が、寄宿舎学校にはあります。その意味では戦後にわれわれが受けた教育も同じものですが、日本帝国がアイヌの人たちや、東南アジアや、南の島々で現地の人たちにたいして行った日本人化教育もこれと同じでした。というより「日本国」そのものが「教育」によって想像された虚構なのかもしれませんが。
結局、スピリチュアルなネイティブの世界の住人であることも、野蛮な文明人の世界の住人であることも、いずれも教育の結果であることは間違いないわけで、その教育を行う主体が、大地から切り離された国家であるか、大地に根を生やした部族であるかによって、教育を受けるものの運命は変わらざるをえないと言うことですね。
少なくてもわれわれは、国家による教育の危うさをしかと認識しつつ、ふたつの世界で同時に生きる方法を学ばなくてはならないし、教えていかなくてはなりません。
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, November 01, 2008 10:55 AM
北山さまへ
正にその通りですね。
「教育」はこの地球や宇宙の為に
存在してほしいです。
PS
久々の「R・T」のお言葉有難う御座います。
いつの日か新作に
会える日がくることを
祈っております。
Posted by: 眞司 | Tuesday, November 04, 2008 10:02 PM
北山様
「ふたつの異なる世界でバランスをとって生きれる人間」とは
二つの異なる世界を認めるということでしょうか?
私には子供がおりますので、教育する立場にあるのですが、
もう少し詳しく知りたいと思いました。
参考になる文献などがありましたら教えていただきたいと思います。
Posted by: m | Wednesday, November 05, 2008 01:08 PM