彼らが太陽の動きを正確に知ろうとした理由はなんだろう
一万年以上前の縄文草創期から縄文時代が終わるまでのおよそ一万年間人間がカレンダーとして使ったと見られる痕跡のある巨石を組み合わせた巨石群の遺跡が岐阜県下呂市金山町にある。今では「下呂市金山町岩瀬の岩屋岩蔭遺跡」として知られているが、この遺跡で明日まで秋分の太陽観測会が開かれている。23日の中日新聞が写真入りで次のように簡単に伝えた。
古代人の智恵に関心 岐阜・金山巨石群で太陽観測会
古代人が造ったという岐阜県下呂市金山町の金山巨石群で22日、秋分の太陽観測会が始まり、訪れた人たちが石組みに差し込む光を眺め、古代の知恵を感じた。24日まで。
高さ9メートル前後の巨石の石組みが3カ所にある。地元の研究者が10年前から調査。3千−2千年前ごろの縄文人が設けた天文台と推測されている。
差し込む光で暦を測るが、神秘的な雰囲気に「古代人のパワーが伝わりそう」と光に手をかざし、御利益?を願う人も。
Source : 古代人の智恵に関心 岐阜・金山巨石群で太陽観測会(中日新聞 2008年9月23日 07時28分)
写真にまず惹かれ、すこし興味を持って調べてみたら、たちどころに「金山巨石群と太陽暦」という本格的な調査記録のサイトを見つけた。3人の金山巨石群周辺調査委員という人たちが十年前から調査を開始してきた記録を整理してわかりやすく紹介しているサイトで、どうも上記の記事に出てくる地元の研究者とはこの人たちであるようだ。その調査は綿密を極め、いくつかの巨岩に囲まれた空間と太陽の光の動きの関係や、巨石群と北極星や北斗七星との関連のデータが、冬至、春分、夏至、秋分にわけて記録され、解析されている。
これと似たような研究を、ぼくはかつてニューメキシコ州のチャコ・キャニオン国立公園の線刻画と巨石群のなかで見たことがある。そこでも冬至・春分・秋分・冬至の日のそれぞれの太陽と地球の関係を太陽光線の差し込み方で研究していくもので、前の世界の人たちが太陽の動きに異様な関心を払っていることに驚きと衝撃を受けた。今の世界の人たちがあずかり知ることのない前の世界の人たちが、知恵のありったけを総動員して可能な限り正確に太陽の動きを読み取ろうとした背景になにがあるのか、興味は尽きない。
一度訪れなくてはならない遺跡が出てきてしまったようだ。
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