日本列島の先住民だったニブヒの人たちのニュース
アムール川は黒竜江とも呼ばれているユーラシア極東の大河だが、この川の上流から下流にかけての両岸、河口付近の中国東北地方及びロシア・沿海地方地方に、そして古代の日本列島の北海道島や本州島の東北部にも暮らしてきた比較的背の低い漁労と狩猟のツングース系モンゴロイドのネイティブの人たちが「ニブフ」で、ロシア語で複数形になると「ニブヒ」と呼ばれてきた。ニブフは彼らの言葉で「人間」「ヒト」を意味し、彼らは長いこと近隣の別の部族からは「ギリヤーク」と呼ばれた。言語についてはかなり独特で、ネイティブ・アメリカンの言語との類似性を指摘する学者もいる。カラフトの南で生まれて暮らしていたニブフの人たちの一部は、同じツングース系のウィルタの人たちなどと一緒に戦後すぐ「日本人」として送還され、つい最近まで北海道島で暮らしていた。もともと日本列島の先住民の部族のひとつで、列島古代史のなかに登場する「粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)」と名づけられている部族の人たちがニブヒのことだと推測されているし、蝦夷(えみし)という名前で日本国の歴史に登場する人たちは、この粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)の末裔たちではなかったかと考える人もいる。アイヌの人たちとの関係が今ひとつはっきりしていない。
とまあこのぐらいの知識を持った上で、下の北海道新聞が昨日掲載したニュースを読んでほしい。
サハリン先住民族 ニブヒ語、日ロで研究を 専門家が来道(09/04 00:26)ロシアの言語学者が残したサハリンの先住民族ニブヒの貴重な録音テープがこのほど活用可能となったことを受けて、ロシア科学アカデミー言語研究所=サンクトペテルブルク=でニブヒ語を研究するアレクサンドル・ペブノフ主任研究員(59)が三日、来道した。「ニブヒ語の専門家は国外には日本にしかいない」として、日ロ共同で解読を進めたい意向を示した。協議はこれからだが、今回の来日を機に共同プロジェクトが実現しそうだ。
解禁された資料は、ロシアの言語学者イエロヒム・クレイノビッチが一九六〇年代に採録した貴重な民話類で、一時間テープ十三巻分。八五年に死去した時に「二十年間、開封してはならない」と言い残したため、サハリン州郷土博物館に眠ったままだった。今年、ようやく持ち出しがかない、ペブノフ氏が民族出身の言語学者ガリーナ・オタイナ(故人)が残した音声資料とともにデジタル化し、活用の道を開いた。
ペブノフ氏は三日、北大大学院文学研究科に北方言語を専門とする津曲敏郎教授(言語学)を訪ね、「私一人では解読作業は難しい。日本には千葉大の金子亨名誉教授や同大の中川裕教授、札幌学院大の白石英才准教授などの研究者がいる。将来は辞書を共同でつくることも考えていきたい」と構想を伝えた。津曲教授は「眠っていた資料が日の目を見るとすれば歓迎すべきこと」と歓迎した。
ペブノフ氏の滞在は一週間。六日午前十時から北大の人文・社会科学総合教育研究棟W202教室で開かれる公開シンポジウム「サハリンの言語世界」にこれらの研究者が一堂に会することから、ペブノフ氏はその場を利用して協議を進めたい考え。自身も「ロシア・日本共同によるウイルタ語・ニブヒ語の記録と研究」と題して講演する。入場無料、一般の参加も可。
Source : サハリン先住民族 ニブヒ語、日ロで研究を 専門家が来道北海道新聞(09/04 00:26)
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Comments
10年ほど前から、ニヴフに興味を持っています。
列島のニヴフは、60万年前に西安の東40km藍田で、東洋象等の狩りをしていた藍田原人の末裔という、木下博士(地質学)の説を信じています。
この100万年間に列島が大陸と地続きになったのは、63万年前と42万年前の2回の氷河期だけです。初めは東洋象が、2回目はナウマン象が九州に渡来し、各地から化石が出土します。動物たちは、氷河期の飢饉で餓死したか、南か東へ移動しました。藍田原人は、動物の猟を続けながら、渡来したはずだが、まだ遺骨が確認されていません。北京原人がナウマン象と来たアイヌだが、同様、未確認です。
ナウマンは、台湾から宮古島へも来ました。アイヌは日本全土の海幸彦になり、地名の祖語を残しました。ニヴフ系の地名も残っています。
Posted by: 疋田 久雄 | Wednesday, March 10, 2010 01:03 AM