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Monday, September 15, 2008

縄文時代にマメ栽培か 九州出土の土器に痕跡

九州各地で出土した約3600−3000年前の縄文土器の表面に、栽培種とみられる大豆や小豆の痕跡があることが熊本大の調査で分かった。定説では豆類の栽培は弥生時代以降とされるが、調査した小畑弘己(ひろき)准教授らは「縄文後期には九州地方にマメ科植物の栽培技術があった可能性がある」と指摘している。

azuki bean縄文期の豆類は出土例は多いもののことごとくが炭化しているため、豆の種類や、その豆が野生種か栽培種かの特定は困難とされてきた。熊本大では「土器の作製過程で粘土に混入したマメ科種子が焼け落ちてできたとみられるくぼみにシリコーンを流し込んで型を復元、電子顕微鏡で調べる『レプリカ法』を採用」し、「九州の遺跡から出土した5万点以上の土器片から豆類とみられる痕跡について分析した」と記事は書いている。写真は「縄文土器の表面の痕跡からシリコーンで復元された小豆を電子顕微鏡で見た」ところ。記事はさらに続ける。

その結果、長崎県の大野原(おおのばる)遺跡や熊本県の三万田(みまんた)遺跡から出土した縄文土器計4点に残っていた跡を、豆の「へそ」と呼ばれる部分の形状などから大豆と特定。福岡県の大原(おおばる)D遺跡や鹿児島県の柊原(くぬぎばる)貝塚など10遺跡の土器15点でも、大豆形の跡を確認した。いずれも長さ十数ミリと、野生の大豆に比べ大きく、形も現代の大豆と似ていることから栽培種と考えられるという。

共同研究者の仙波靖子さん(熊本大)は「豆類は田畑のあぜなどで粗放栽培できる。大陸から伝わったコメやムギと複合的に栽培されていた可能性が高い」と話している。

さまざまな植物の種をもって人々はかなり自由に大陸と往き来していたと言うことになるようだ。

Source : 縄文時代にマメ栽培か 九州出土の土器に痕跡(2008年8月16日 中日新聞夕刊)

約3600−3000年前を小生の『ネイティブ・タイム』(Version 4)では以下のように記録している。よければお読みください。なお書籍版の『ネイティブ・タイム』(地湧社刊2001年)に書かれていない部分があれば、それは刊行後に新しく追加された部分である。

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日本列島において抜歯の風習がこのころまでに関東地方へ南下する。溶岩の噴出によって芦の湖をふくむ箱根の山が現在のような形になったのはこのころのことであるらしい。埼玉県岩槻市の真福寺遺跡からソバの種子が出土。東京都品川区大森の貝塚からこの時代の縄で文様をつけた土器が出土した。滋賀県長浜市の福満寺遺跡では縦穴住居の跡から子供たちの足跡に混ざって犬の足跡が確認されている。西日本各地の海岸に面した遺跡からは、貝殻で文様をつけた似たような土器が出土する。岩手県の大向上平【4字ルビ・おおむかいうわだいら】遺跡(二戸市)では新潟県糸魚川産の翡翠【2字ルビ・ひすい】の大きな珠ふたつと、現在では房総半島以南の大平洋岸にしか生息しないアマオブネガイという貝の殻で作った小さな玉が七十点ほど発見されている。

南の島々から九州島北部や南部、瀬戸内海沿岸地域を船でつなぐ海人族のネットワークができていたようだ。中国東南沿岸の百越【2字ルビ・ペーヴェト】族中の一小族が、貨幣として使われていたタカラガイ(宝貝)を求めて琉球列島の南のある一島に来往し定着した可能性もある。鹿児島県の屋久島では、この間の三百年間ほど安定して定住したと見られる百五十軒ちかくの住居跡が見つかっているが、海岸に近いにもかかわらず釣り針や重りなどの漁労具はなく、石の矢じりなどの狩猟道具もなく、かわりに石皿や穀物や木の実を粉にする磨石【2字ルビ・すりいし】など植物調理具が大量にあった。ノミ形石器など木工用の道具も豊富にあり、農耕定住がおこなわれていたと推測される。鹿児島県屋久町の屋久島横峰遺跡の三千平米内に竪穴式住居跡四百基があって、石皿、すり石等で収穫した植物性食料を採取していたらしい。大陸から持ち込まれたものらしい大豆、小豆、稲、大麦などの栽培が九州島ではじまった。

対馬の佐賀貝塚遺跡(長崎県)から三棟の縦穴住居跡と、佐賀県伊万里市腰岳産の黒曜石で作られた矢じりや、猪の牙製の釣り針や銛【1字ルビ・もり】などの魚を捕る道具、朝鮮半島でしか使われていない石ノミや、石斧などが出土し、調査の結果そこでは海を越えて九州島や、朝鮮半島に渡るための舟を作っていたらしいことがわかってきた。

沖縄本島で胴のふくらんだ深鉢形の土器が使われはじめるが、日本列島で使われていた土器とは異なり、そこには縄目の文様は施されてはいない。本州島東部一帯でオオツタノハガイの腕輪にたいする需要が急激に高まる。江戸川河口と利根川の河口にはさまれた房総のあたりがこうした貝製品の製作地だった可能性があるといわれている。やがてこの貝のブレスレットは本州島東北部からさらに北海道へと広まっていく。

伊豆七島でも八丈島を除くほとんどの島で人が生活していた。八丈島は一時人が暮らしたが、この時期二千年ほどは無人島の状態が続く。また出羽富士と呼ばれている東北部日本海側の鳥海山の西裾、三崎山遺跡(山形県遊佐町)からは、このころのものと推定される一振りの青銅刀子が発見された。青銅製で、長さ二十六センチ、柄のところから峰にかけてゆるやかな弧線を描き、その内側に刃がついていた。刃渡りは十七センチ弱。刃は鋭利で実用に適するという。

日本列島の本州島中央部で隆盛していた土器とまったくよく似た土器が中米のグァテマラの西海岸に出現。この土器を伴う文化は、オルメカの文化に大きな影響を与え、大きな公共の作業を必要とする祭政一致の態勢が導入された。メソアメリカの人たちがゴム底のサンダルを使用しはじめる。南米ペルー北部太平洋沿岸に火を祀る祭壇を持つ寺院らしき建造物が粘土でつくられた。南北アメリカで最古の建造物か。同じ南米チリの太平洋岸に近い丘陵地に一年を通して太陽を観測するための十三の塔からなる観測場所が設けられた。

このころユーラシア大陸東部にあったのは、夏【1字ルビ・か】を滅ぼした殷(商)という国で、漢字の元となる−−甲骨文字などの−−文字がそこで誕生する。殷の王朝は七百年ほど続いたが、南方と西方の民族を束ねることに成功した周に滅ぼされた。このとき殷人の箕子が朝鮮の王位を継いだという言い伝えが残されている。『尚書大伝』という書物には「商はもと海東の夷【1字ルビ・えみし】で、扶余に属した」という興味深い記述がある。

中国東北の粛慎がその周に朝貢した。周の農業は殷のそれよりもさらに進歩していて養蚕も盛んだった。周は東方の、つまり現在の山東省と淮河【2字ルビ・わいが】流域にあった東夷と淮夷の住む地域に進攻して、鉱物資源の銅や、奴隷にするための人や家畜の略奪をくりかえした。そして後に周は夷にたいして朝貢を強要して布などを差し出させていた。

中国から台湾島に農耕民が移住した。中国で盛んになりつつあった農耕文化の影響を受けて、朝鮮半島北西部では畑作農耕が、中西部の金浦【2字ルビ・きんぽ】平野では最初の稲作もはじまっていた。部族というひとつの共同体が持っていた土地や耕作地や漁場や猟場などのよいところや家畜などを、超権力【3字ルビ・スーパーパワー】にまかせて独り占めにして、富とはものを持つこととしてシステムを正当化し、財産を失った弱い人々を奴隷として扱うような、自然の秩序に挑戦し続けるパワー・トリップとそれにドライブされる生き方、文化が、このころから次々と勃興しはじめた中華帝国を中心にして、同心円的に四方に広まりはじめる。このころにはすでに日本列島の九州島にも、水田稲作農耕を伝える人たちが到来しはじめた。

本州島西部の三瓶【2字ルビ・さんべ】山(島根県大田市)が盛大に噴火して、火砕流が周辺の川をせき止めて杉の巨木の林が水没した。

世界規模でいうならば、精神革命が引き金となって「前の世界」から「今の世界」への移行がはじまったのがこのころと想像される。西半球で煙草の儀式における使用が広範囲に拡大した。巨大哲学や巨大宗教の萌芽が各地に見られた。南米大陸ではトウモロコシが、北米大陸においても各種の食用作物の栽培が本格化しはじめる。

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