ラコタの精神的指導者で長であるデイビッド・スワローがリザベーションにおける危機的状況を語る
われわれの子どもたちは死につつある
デイビッド・スワロー
ラコタ・精神的指導者そしてラコタ国ヘッドマン
編集発行 ステファニー・M・シュワーツ
ネイティブ・アメリカン・ジャーナリスト協会(NAJA)会員
Text and Photo © July 09, 2008 Porcupine, South Dakota
われわれの子どもたちが死につつある。われわれラコタのリザベーションの中では、記録的な数のわれわれの子どもたちが、自らいのちを絶っていっている。悲しみにうちひしがれ、混乱と絶望のなか、子どもたちは自殺だけが唯一の答だと理解している。
デイビッド・スワロー 多くの研究が子どもたちの抱えるそうした絶望は、連邦政府による過去の対インディアン政策がもたらした、何世代にもおよぶ大量虐殺の結果であると指摘する。だが現在とられている政策もまた、まさるとも劣らないほどのダメージをインディアンに与えつつあるのである。それらの政策は結果的に「同化かもしくは死を」というシステムを作り出しており、これは大量虐殺がかたちを変えたものに過ぎない。
わたしは人種差別主義者ではない。この話も、憎悪や人種差別についてのものではない。ラコタではない人たちの中にも、良い人たちはたくさんいる。だが、今の政府および文化の本流によってもたらされるダメージと、なんでも買えてしまう万能のお金が、ラコタ、ダコタ、そしてナコタの国々の子どもたちを殺していっている。主流の文化から解決策を探すことは、つまるところさらなる混乱をもたらすのみであり、さらに多くの人たちの虐殺と、われわれの文化と一族のものたちのさらなる破壊に、つながるだけである。
われわれの子どもたちは助けを必要としている。それは間違いない。だが必要なのはそれだけではない。子どもたちには仕事が必要だ。子どもたちは働く必要がある。そして自分たちは生き残れるのだとする希望を持つ必要がある。ほんとうの市民のように扱われ、誰もが自分のなりたいものになれる自由を必要としている。
現行のプログラムは機能していない。われわれのリザベーションでは酒類の持ち込みが禁止されているが、われわれ住民の60パーセントから70パーセントが、にもかかわらずアルコール中毒やドラッグ中毒の影響下にある。わずかではあるけれど、非営利の団体の中にも、われわれのリザベーションにおいて良い仕事をしてくれている組織はある。彼らはなんとか力になろうとしてくれてはいる。だが、われわれの名前を使って金儲けだけをもくろむ、さらにたくさんのグルーブが存在するのだ。その人たちにとっては、われわれは商品に過ぎない。その連中はわれわれを使って、われわれの子どもたちが苦しんでいるまさにそのときにも、さらにもっと、自分たちの利益のためにたくさん金を稼ごうとしている。部族会議や政府がおこなおうとしているプログラムのいくつかもまた、同じようなものだ。お金はけして人々のところには届かない。そうしたお金は誰も助けることにはならない。
われわれの子どもたちはいま混乱と混沌の世界に暮らしている。われわれは自分たち自らの文化の内側でわれわれ自身が与えうるあらゆる助けを必要としている。ラコタの文化に無知な暴力集団やカルトやプログラムでは答にもならない。ラコタの子どもたちは、自分たちがラコタであることを知ってはいるが、知っているからといってどうなるものでもなく、役に立つのはその自らのアイデンティティーを破壊するときだけである。連中はわれわれの子どもたちを洗脳し、自分たちを尊敬し理解させるよりは、同化させようと仕向ける。子どもたちは主流のものとされる偽りの考え方や価値によって汚染される結果、さらに自暴自棄の度合いを深めることになる。
われわれにはわれわれの病を治療することができる。われわれはわれわれの病を治療する必要がある。
祖父の時代にも、自殺はあった。だがそれも今日ほどではない。今では、自殺はどこにでもある。われわれの子どもたちが、孫たちが、姪っ子や、甥っ子たちが、われわれに泣きながらいのちを助けてほしいと言っている。しかしその子どもたちは、われわれの助けもないままに死んでいくのだ。
伝統的な精神生活があればそれなりに効果をもたらすこともできたかもしれない。だが文明化した世界とキリスト教によってわれわれの手は縛りあげられている。われわれの一族のメディスンマンやメディスンウーマン、精神的指導者たちはすでになんの役にも立たない。もはや誰も相談にすら来ることがなくなっている。
けれども、伝統的な精神生活がもはやまったく無力なわけではない。
伝統的なスウェットロッジの儀式なら、そうした、社会によって傷つけられた子どもたちの頭のなかを浄化するぐらいの力にはなるかもしれない。その人間の内側に留まるスピリットの目を覚ますこともできる。頭と、体と、スピリットとに癒しをもたらして、家族をまるごと癒す力にもなれるかもしれない。しかしそのためには、その儀式はリアルなもの(ほんもの)でなくてはならない。いくつかの素敵な言葉が交わされるサウナなどではなく、正当な、伝統的精神指導者によって導かれる儀式でなくてはならない。
食べるものを伝統的なやり方で調理することを学ぶだけでも子どもたちを救えるかもしれない。良きやり方で準備された食事が良き家族を育てることを理解するのは重要なことである。怒りや憎しみと共に調理された食べ物は、結果的に病気をもたらすものであることを彼らは知らなくてはならない。
そうした子どもたちに癒しと希望をもたらすのに効果的な伝統的な方法はほかにもたくさんある。そうしたものなら彼らに、アイデンティティーを回復させ、人生の道をたださせることもできる。いかにすれば良き暮らしをおくれるか、良き道のうえを進んでいけるかを、子どもたちに教えることもできる。子どもたちにどちらに進めばよいのかその方角を示し、理解を与えることができる。
しかしそのためにはまず、われわれは、われわれの仲間内の争いに終止符をうたねばならない。解決方法を求めて本流とされる文化の中を探し回るのを止める必要がある。治療をしてくれる部外者を捜すのを止めなくてはならない。われわれがすべきなのは、われわれの祖先たちの道を眺めて、そこに導きを見つけることだ。われわれラコタ、ダコタ、ナコタのものたちは自分たち自身の孫たちのいのちを救うのに力を発揮しなくてはならない。
わたしはここで金銭を要求しているのではない。われわれの自由にさせよといっているだけで、ほかには政府やBIAになにかをしてもらおうつもりもない。われわれの自由にさせてくれるだけでいい。どうかわれわれに本流の生き方を無理強いしないでいただきたい。同化を強制するのを止めてもらいたい。われわれが自分たちの生き方で生きられるように、そしてわれわれが自分たちとわれわれの子どもたちや孫たちを癒せるように、好きにさせてほしい。
ホ・ヘ・チェトゥ・イェロ。 わたしはこれらの言葉を口にした。
デイビッド・スワロー、ウォウイタン ユハ マニ
サウスダコタ州ポーカパイン、パインリッジ居留地
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Source : Our Children Are Dying
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