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Tuesday, July 22, 2008

わたしにつながるすべてのものたちよ!

「昔、あらゆるいのちあるものたちが人間の言葉を話し、人間たちもその言葉を理解したはるかな昔のこと・・・」そんなはじまり方をする昔話が北米大陸の先住民や、世界中のネイティブ・ピープルの間には伝えられている。われわれの知っている民話などにも動物たちが人間の言葉を話す物語がたくさんある。

動物だけでなく、植物や鉱物たちまでもが、ありとあらゆるいのちが人間の言葉を話していた時代とは、いったいどんなものだったのだろうか? これは想像するとかなり楽しい世界のようにも思える。しかし、誤解をおそれずに言うのなら、動物たちも、植物たちも、石たちですら、今なお人間の言葉を話せるのであり、問題があるとすれば、ほとんどの人間が昔の言葉を喪失し、そうしたものたちの発する言葉の聞き方を忘れてしまっていることの方にある。

われわれが子供のころから学ばされている西洋近代文明は、常に人間以外のいのちあるものと人間とを区別し、その間に線を引くことを教え続けてきた。人間と動物、人間と植物、人間と鉱物。人間以外のいのちあるものたちと人間の間の違いは、その用語にも端的に表現されている。人間だけが特別なのである。西洋の文明はなによりもまずその違いを明確にするところからはじまるからだ。

ところが、南北アメリカ大陸に暮らすネイティブ・ピープルの世界においては、その違いはそれほどはっきりとはしていない。自分と自分以外のいのちあるものたちとのあいだに、彼らは明確な線を引くことがない。このように、ほかのいのちあるものと自分とのあいだに線を引かないと言うことが、自分を浄化するさまざまな儀式などに参加するときに、「わたしにつながるすべてのいのちたちへ」「わたしにつながるすべてのものたちへ」「オール・マイ・リレーションズ」「ミタクェ・オヤシン」という挨拶の言葉を送ることとつながってくる。

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ぼくが学び続けているアメリカ・インディアンのストーリーテリングにおいては、しばしばすべての登場するいのちが「ヒト」として人間の言葉を話す理由もそこにある。4本足のヒト、羽根を持つヒト、根を生やしたヒト、水のなかを泳ぐヒト、地を這うヒト。アニマル・ピープル、バード・ピープル、プラント・ピープル、フィッシュ・ピープル、スネーク・ピープル、ストーン・ピープル。ネイティブの人たちの耳には、そうした人たちが自分たちが話していた昔の言葉を話しているように聞こえているのである。

アメリカ・インディアンの多くの部族の言語には「動物」を表す言葉がないという。今から70年ぐらい前、ジェイム・デ・アングロという言語学者で物語の研究家が、北カリフォルニアのピットリバー・インディアン(現在では彼らの言葉で「Achumawi[アチュマウィ]と呼ばれる)の人たちと共に暮らしながら、彼らの言葉と、その言葉で表現される物語世界を学んでいたことがある。彼が一族の人たちに「動物」についてたずねたところ、ピットリバー・インディアンの人たちの言葉には「動物」を表す言葉がないことを教えられたという記述を読んだことがある。ピットリバー・インディアンの物語世界においては、人間と動物が渾然一体としていてそのいのちの間に一切の線が引かれていなかったのである。ただ、強いてあげるならば、「この世界に存在するすべてのいのちあるもの」を意味する「qaade-u'ade toolol aakaadzi(クァアデ・ウアデ・トゥーロル・アーカズィ)」という言葉が「動物」もしくは「生きもの」のことを言い表しているらしいと言うことであった。そしてその「この世界に存在するいのちあるすべてのもの」のなかには、「人間」も「石(鉱物)」も「植物」も当然ながら含まれており、ピットリバー・インディアンの人たちは「いのちのあるすべてのもの」とのつながりを大切にしていたという。アングロは、ピットリバー・インディアンの友人の言葉として、貴重な言葉を書きとめているので紹介しておく。

ありとあらゆるものにいのちは宿っている。木々にはいのちがある。岩にもいのちがある。山にも、水にも、そうしたものにはいのちがみなぎっている。あなたは岩のことを死んでいるものだと思っているだろうが、それはまったくちがう。岩は少しも死んではいない。それにはいのちが満ちあふれている。わたしはあなたに会いにここに来る道すがら、まわりにあるありとあらゆるものたちと話をし機嫌をうかがいながらきたし、わたしはそうしたすべてのものたちのために煙を送る。そうすることであらゆるものたちと友だちになるためだ。夜の闇の中でそっとわたしをうかがっているものたちがたくさんいることが自分にはわかっている。彼らは彼ら同士でなにごとかを語りあっているのだ。石たちは石たちで、わたしたちのように互いに話しあっている。木と木も、山と山も、互いに話しあっている。注意深く耳を傾けてみれば、その話し声が聞こえることもある。とくに夜、表にいるときになど、話が聞こえてくる。わたしはだから彼らのことを忘れたりはしない。わたしは彼らの世話をするし、彼らもまたわれわれの世話をしてくれる。

ピットリバーの人たちが、いわゆるヨーロッパ人(白人)のことを指して言うときに「inallaaduwi」という言葉を使うが、この「イナルラドウィ」という言葉は「大地から切り離されている」「根無し草」の意味であるという。それは「ほかのいかなるいのちともつながりのない存在」「ほかのいのちの存在を信ずることなく勝手に死んでいる存在」のことだ。そしてその言葉の意味するものの世界[勝手に死んでいる存在の世界]のなかを、ほかならぬ現代のぼくたちも暮らしている。

そろそろ、すべてのいのちあるものたちが人間の言葉を話していた時代に帰る道を探すときではないだろうか?

わたしにつながるすべてのものたちよ!

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Comments

初めまして。友達のblogのリンクからこちらを発見して一昨日から読ませてもらっています。あの、このトピックに使われている絵がすごく気になってしまって(狼とかライオンとか、地球?を表した絵)ずっと見てしまうのです。これは出展は何なのでしょうか?ぜひ教えてください。なぜかすごく惹き付けられるのです。

Posted by: 毛利幸隆 | Thursday, July 24, 2008 at 01:52 AM

これはアメリカ・インディアンの世界観をまんだら風に描いたもので、送られてきた絵はがきの絵です。申し訳ないが、そのぐらいしかわかりません。こういう絵はがきは、ニューエイジの書店などで多く扱われています。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Thursday, July 24, 2008 at 09:47 AM

Smiling Cloudさま、こんにちは!
イナルラドウィ、都市文化に暮らしている私たちすべてがきっとそうですね。自覚していたいけど、毎日の忙しさに流されていると難しいです。「勝手に」死んでる、っていう「勝手に」っていうのがよかったです。ほかの生き物から命を授かっていながら、勝手に死んでいる私たち・・・。

Posted by: CW | Saturday, July 26, 2008 at 07:10 AM

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