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Thursday, July 31, 2008

8世紀(1300年前)ごろ、大和朝廷による東部の開拓が着々と進みフロンティアが北上する本州島東北部に、竪穴住居が400軒以上も建ち並ぶ開拓者と征服者たちのブームタウンが存在か

東北最大級の集落か 400超す竪穴住居跡 仙台

河北新報 2008年07月31日木曜日

仙台市太白区のJR長町駅東側で整備が進む「あすと長町」地区は1300年前、竪穴住居が400軒以上ある大集落だったことが30日、仙台市教委の「長町駅東遺跡」発掘調査で分かった。7—8世紀の竪穴住居の集落としては、東北最大級とみられる。

地区東側の国史跡、郡山遺跡で見つかった官衙(かんが、役所)の造営にかかわる人や、役人の集落とみられる。

2008年度調査の対象は、長町駅から太子堂駅の東側約5100平方メートル。遺跡の北東に長さ40メートル、幅2—3メートル、深さ1.5—2メートルの溝の跡を発見した。南には川が流れていた跡を見つけた。溝と川はほぼ平行で、約200メートル離れている。集落を守る機能があったという。

今回の調査で見つかった住居跡は50軒。1998年度からの調査で発掘した分を含めると、300軒以上に上る。集落ができた時期は、7世紀前半から8世紀初めとみられる。

あすと長町地区ではほかにも、郡山遺跡の一部と、長町駅東遺跡北東側の西台畑遺跡の一部で計170軒の竪穴住居跡を発掘した。地区全体で発掘された住居跡は400軒以上になる。

市教委文化財課は「役所関係者の集落で、計画的につくられたようだ。これからも発掘を続けるので、集落の規模は大きくなる可能性がある」と話している。

8世紀には現在の仙台に大和朝廷の出先機関というか「砦」があり、蝦夷との北方物産交易などもかねた相当なブームタウンができていたということかな。あるいは東部開拓にともなう蝦夷掃討作戦を展開する兵士たちの住居用か。竪穴住居は、簡単に作れて便利だったのだろうね。

ちなみにどういう時代だったのかの雰囲気をつかむために、小生の本「Native Time」(地湧社刊)から「724 年」のところを以下に引用しておく。[なおここに引用するのは Native Time の Version 4 デジタル版のもの]

724

 女帝が退位してその皇子が天皇になった。犯罪人を島流しにする場合の、配流地の遠近の規定を改訂し、伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐の六国は遠とされて、諏訪・伊予は中に、越前・安芸は近とされた。本州島東北部、陸奥の海道(太平洋沿岸)の蝦夷がはげしい戦いを起こして、帰降した蝦夷【2字ルビ・えみし】で天皇の親衛隊として登用されていた佐伯児屋麻呂【6字ルビ・さえきこやまろ】が殺された。藤原宇合【2字ルビ・うまかい】(不比等の三男)が持節大将軍に、高橋安麻呂が副将軍に任命され派遣された。七道の諸国に数を決めて軍器と幕と釜などを造らせた。坂東九国の軍三万人に乗馬と射術の訓練をさせるなど特別軍事教練がおこなわれた。陸奥鎮所に軍事用品としての布や綿などが運びこまれた。さらに出羽国の蝦夷が蜂起したので、小野牛養【4字ルビ・おののうしかい】が鎮狄将軍に任じられて鎮圧に出向いた。陸奥国から宮城郡が分権され、対蝦夷戦争の前線の要塞となる鎮守府を置くための多賀城が築かれはじめた。この年の太政官の奏上に「大昔は人間が淳朴で、冬は土中に居室を作り、夏は樹上をすみかとしました」とある。陸奥国の鎮守軍の屯田兵たちを陸奥国の住人として戸籍に入れ、家族を呼び寄せることも認められた。


Source : 東北最大級の集落か 400超す竪穴住居跡 仙台

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Monday, July 28, 2008

お知らせ

ショップ・ネイティブ・ハートにはやばやと2009年のカレンダーコーナーを設置しました next 詳細

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もしもクマに襲われたときはどうすればよいか?

いろいろな状況下であなたのいのちを救うことになるかもしれない12の応急救命処置の仕方をリーダース・ダイジェスト(Reader's Digest)でパメラ・F・ガリン医師が図入りで解説してくれています。すっかり忘れてしまっているかもしれないし、あるいはまったくそんなことは知らされていないかもしれないので伝えておきますが、日本列島は元々どこもかしこもクマの国であったわけですから、いまもなおクマと遭遇することがないわけではないので、そのなかから「クマの攻撃に対処する方法」をとりあげて紹介しておきます。

クマに不意打ちを食らったときは、いきなり走って逃げたりしないこと。いきなり走って逃げると、かえって攻撃を招くことになります。そのかわりに、仁王立ちになって、ゆっくりと後ずさりしてください。そのときにクマの目をのぞきこんではいけません。おだやかな声で話しかけましょう。けして怒鳴ったりしないこと。もしクマがあなたに向かってくるそぶりを見せたなら、できるだけ身体を大きく見せかけるようにします。胸を突き出して、両手を高く上げ、足を左右に大きく広げます。そしてそこでいきなり熊に向かっておもいきり大声で叫び、相手を威嚇します。

BEAR ATTACK
クマに逢うと本能的に走って逃げ出したくなりますがそれは最悪の結果を招きます

もしクマが攻撃をしてきた場合には、地面にうつぶせに寝ます。両手を首の後ろで組み、死んだふりをします。クマがどこかにいなくなったと自分で確信できるまでは、絶対に立ちあがったりしないこと。そしてクマがいなくなったら、クマが戻ってくることもあるので、すみやかにその場を退散します。

もしあなたがクマの国に入り込むのなら、クマを撃退させる唐辛子の粉入りスプレーを携帯してください。スプレーを噴射する場合は、風が自分の方に向かって吹いていないかを確かめ、クマのいる場所が10メートル以上離れていることを確認の上、1秒から2秒間噴射します。

Source : Save Your Own Life By Pamela F. Gallin, MD

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ニシン、数の子、アラスカ、日本

インターネットを介しての友人のひとりにハマンダ君がいる。アメリカで学ぶ人類学者のたまごである。その彼が東南アラスカのシトカ(Sitka)という町で開催された学会に出席し、そこで北部太平洋沿岸地域における「ニシン漁」について発表したと彼のブログ「Current Hamandaology」で報告している。

start_quoteハマンダの先生がシトカにおける鰊漁の復興について研究してまして、その脇役として、というか、太平洋の反対側ではどうか、というのにリンギットの人々が興味があるということで、ハマンダがちっくり勉強して、とりあえずわかったことを発表したわけです。end_quote

ニシンは漢字で「鰊」と書く。ぼくが乳飲み子だったころはまだ北海道ではニシン漁がかろうじて続けられていた。母親が「かっちゃん数の子、ニシンの子」と歌うのを聞いた記憶がかすかにある。それほどニシンは日本人になじみのある魚だった。しかし1957年を境にニシンは日本の海岸から姿を消す。そして50年が過ぎた最近では少量ながらニシンたちも北海道に帰ってきつつあるらしい。「リンギット」とは、アラスカの太平洋岸に暮らす先住インディアンの部族の名前で、ぼくはたいてい「クリンギット」あるいは「クリンキット」と書くが、最初の「ク」はほとんど耳には聞こえないので、ハマンダ君は「リンギット」と書いている。

herring

「アラスカの宝は日本の宝」とタイトルをつけられた昨日のブログの記事のなかで、数の子というのは、「日本人のおかげで、猟師にとってはとてもお金になる海の宝のようだ」とハマンダ君は指摘している。「日本で売られている数の子のほとんどは、輸入品です」と。そして該当記事はこう続く。

start_quoteシトカでは、鰊を捕って、
  腹を割いて、
  卵だけとって、
  残りを海に投げ捨てる、
  という漁がされています。

「鰊(ニシン)は我々にとってバッファローみたいなものだ」、というリンギットの人々にしてみれば、これは許されない行為。

そのような漁をしているのは、裏に企業規模の海洋漁業の展開があるようです。
数の子は、利益が高いから、それだけを狙う。

日本人がそのような漁をシトカでしているわけではありません。
しかし、日本が数の子という「海の宝」の終着点です。

リンギットの人々は、日本人に数の子を食べるのを辞めろ、なんていう文化否定をする気は全くない、と言っています。彼らも数の子食べますので。

しかし、シトカから日本に輸出される数の子の多くが、そのような酷いやり方でされているということを日本人は知っているのか? それによって我々リンギットや多くの地元猟師家族が苦しんでるのを日本人は知っているのか?

というのが、リンギットの人々の質問です。

知ってくれたら、次は日本は何をしてくれるか? できるか?
というのも、リンギットからの質問でした。end_quote

ここでリンギットの人が「鰊(ニシン)は我々にとってバッファローみたいなものだ」といっているが、これは、いのちをいただくかぎりそのすべてを、皮や骨に至るまで無駄にすることなくすべてをいただく」という地球に生きる人間としての基本的な生き方の伝統的伝承技術を意味する。

われわれはこの問いかけになんと応えるだろうか?

Source : 「アラスカの宝は日本の宝」Current Hamandaology 2008/7/27

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Sunday, July 27, 2008

ナバホの国の議会が公共の場所におけるタバコを一切禁止する法律を成立させた

Last Modified Monday, July 28, 2008

news広大な沙漠の大地を抱えるナバホ国は25日に首府のアリゾナ州ウィンドウロック市で開かれたナバホ国議会で、ロデオ競技会やカントリーフェアーの会場をも含むすべてのリザベーション内の公共の場所におけるタバコの喫煙並びに噛みタバコを噛むことを42対27で禁止する法案を通過させた。カジノ推進派などの反対も根強いものがあるものの、議決の結果はナバホ国会議議長ジョー・シャーリーJr(Joe Shirley Jr.)の手元に回され、10日以内の承認か拒否権の発動を待つことになる。

追記:当然のことだが、この法律は、儀式や宗教活動におけるタバコの使用にまで影響を及ぼすものではない。

Source : Navajo Tribe Bans Commercial Tobacco Use
    : Navajo Nation bans tobacco use in public

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ぼく自身の著書のための広告●自然のレッスン

自然のレッスン(新装版)

自然のレッスンこの本は
とりあえず今の生活を
もうすこしましな方に
変えたいと考えているひとの
役に立つことを願って
つくられました。



「自然のレッスン」は、あらゆる価値が崩壊して、信じられるものがなくなってしまった時代に、なにを道しるべにして生きればよいのかを、さまざまな知者や賢者からの教えを、いちど自分のなかに取り込んで、それらをあらためて自分の言葉による短い詩あるいは散文として、提示したものです。アメリカ・インディアンの考え方、東洋哲学に基づいた生き方、さまざまな宗教の教え、自然のなかで生きる人たちの叡智、そうしたものがまざりあっています。今もときどき読者の方から「北山さんはこの本に書かれているような生き方をしているのですか?」という質問をもらうことがありますが、ぼくにとってこの本は今もなお自分の生活という人生の旅の旅の仕方を教え続けているものです。大きな輪を描いているぼくのメディスン・ホイールの上の旅はこの本に記されていることを求めて旅に出たときからはじまり、何度も何度もぐるぐると輪を巡りつつ、そのたびにこの本に還るものです。それは出発点であり、目的地でもあります。1986年にニューヨークのプッシュピンスタジオのデザイナーであるシーモア・クアスト(Seymour Chwast)氏が特別にこの本のために描いてくれたカバーイラストを用いた角川書店版が刊行されてから22年、21世紀になって太田出版が、長崎訓子氏の赤いリンゴのイラストをカバーにして、軽便な簡装版を刊行してくれてからでもすでに丸7年が経ちました。この本が、生きることが困難になるこれからも、あらかじめ価値観を奪われたままこの国に生まれ落ちた世代の道しるべになることを、願ってやみません。

    単行本: 190ページ
    出版社: 太田出版; 新装復刻版 (2001/07)
    ISBN-10: 4872335805
    ISBN-13: 978-4872335804
    発売日: 2001/07
    商品の寸法: 18.4 x 11.4 x 1.6 cm

自然のレッスン 第一部 こころのレッスンからの引用

ときどき自分に問いかけてみるとよい
人生についての四つの偉大な質問

一、こんなことをしている自分は幸福(しあわせ)だろうか?

二、自分がいましていることで、余計にものごとがややこしくなりはしないか?

三、平和と満足をもたらすために、自分はなにかやっているだろうか?

四、自分が、どこかに行ってしまうとか、死んでしまうとかで、もしここにいなくなったそのときに、いったいどんなふうにみんなの記憶に残るだろうか?


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Saturday, July 26, 2008

人生における究極の価値とははなにか?

われわれインディアンには、人間のためのいのちの哲学としか言いようのないものが備わっている。われわれインディアンならこの国にいかに人間としてふるまえばよいかを見せてあげることができるだろう。いつの日にかこの国は、その憲法や法律を、財産を守るためのものから人間を守るものに修正するときがくるだろう。もしインディアン・パワーがこの国における真の力のひとつになるのなら、理由はそれが観念的だからである。人生における究極の価値とははなにか? それが問題である。
ヴァイン・デロリアJr ラコタ出身の大学教授、歴史家、2005年没

経済システムを維持するためだけを目的に構築された統治体制には、おそかれはやかれ必ずほころびが見えてきて、終わりがくるとぼくは信じている。資本主義、共産主義、社会主義といったイデオロギーはどれも西洋の産物であり、経済原理の上に形作られてきた。

資本というか、富というか、マネーというか、そうした経済的な価値に基づいたもので判断したりしない、精神的な価値の上に形作られた社会がもし可能だとしたら、いったいそれはどういうものになるだろうか? 労働や政治や自然資源、生産や教育や宗教といったものの見方をあらためて、精神的な価値をもとに生きはじめるには、われわれは自分の世界の認識の仕方のみならず、行動の形態をもシフトさせる必要があるのだが。

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あなたはどこにいるのか

newsアメリカの航空宇宙局(NASA)が「NASA Images」として歴史的な画像やムービーをインターネット上に無料で公開した。今後さらに何百万もの画像や、数千時間分の映像や音声を公開していく予定だという。日本国であればそうした画像や映像などは特定の機関が抱え込んで進んで公開せずに金儲けを考えるのであろうが、世界人類のあり方に貢献するとしたこうした姿勢は、日本国の公共機関を自任する組織は見習うべきものだろう。ともかく百聞は一見にしかずで、地デジなどに踊らされずに、宇宙から撮影された地球の画像や動画をインターネットで見ながら、しばし深く思索しようではないか。

下に掲載した写真は火星の地表からわれわれの星地球を見たところだという。

our_home_planet

arrow2 NASA Images

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Wednesday, July 23, 2008

西日本で最大の大型竪穴住居跡発見

和歌山県文化財センターが同県かつらぎ町の中飯降遺跡から、西日本最大となる縄文時代後期前半(約4000年前)の大型竪穴住居跡を発見したと発表している。直径約14メートルの円形状で、もし復元したとすれば面積は150平方メートル以上になるそうだ。写真を見ると、この円形の遺跡の残り半分は舗装道路によって分断されている。

以下部分引用。

京奈和自動車道(紀北東道路)建設に伴い、同センターは2006年度から発掘調査をしている。中飯降遺跡の発掘は今年5月からで、6月に大型竪穴住居跡を確認した。

big_circle_house北側を町道が遮っているため、確認できるのは全体の半分ほど。しかし、通常の竪穴住居は、直径4〜5メートルで20平方メートルに満たないため、面積は10倍近くなる。縄文時代を通しても、面積が100平方メートルを超えるものは少ない。全国でも最大級の規模という。

竪穴住居跡内に3つのすり鉢状の柱穴があり、上面の直径は約2メートル、最下層が直径約0・5メートル、深さ1・1メートル。柱穴の一部には柱を固定するための石が残っている。穴の大きさから直径40センチ前後、長さ約4メートルの柱を用いていたと推定している。円形状の場合、調査区外にあと1、2本程度の柱穴があるはずという。中央には一般的な竪穴住居同様、炉の跡が残っている。

調査地区は川と川の間で、背後に山があり、人が暮らしやすい立地。周辺100メートルほどの範囲でほかにも、竪穴住居跡や縄文土器などが発見されている。大型竪穴住居跡から西に50メートルほどの地点では、墓の存在を示す、石を並べた「配石」や骨を入れて埋めていたつぼなども確認した。今後、大型竪穴住居跡の町道を越えた北側も調査予定で、一般的な竪穴住居跡が見つかる可能性が高いという。

同センター埋蔵文化財課の内田好昭主任は「遺跡の集落はそれほど大規模ではない。巨大な竪穴住居はこの1つの村だけで使用したと考えにくい。周囲に何カ所か縄文時代の集落が見つかっているので、それらも含めた共同の建物である可能性がある」と話している。

Source : 大型竪穴住居跡を発見 かつらぎ・中飯降遺跡(紀伊民報 2008/07/24)

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Tuesday, July 22, 2008

わたしにつながるすべてのものたちよ!

「昔、あらゆるいのちあるものたちが人間の言葉を話し、人間たちもその言葉を理解したはるかな昔のこと・・・」そんなはじまり方をする昔話が北米大陸の先住民や、世界中のネイティブ・ピープルの間には伝えられている。われわれの知っている民話などにも動物たちが人間の言葉を話す物語がたくさんある。

動物だけでなく、植物や鉱物たちまでもが、ありとあらゆるいのちが人間の言葉を話していた時代とは、いったいどんなものだったのだろうか? これは想像するとかなり楽しい世界のようにも思える。しかし、誤解をおそれずに言うのなら、動物たちも、植物たちも、石たちですら、今なお人間の言葉を話せるのであり、問題があるとすれば、ほとんどの人間が昔の言葉を喪失し、そうしたものたちの発する言葉の聞き方を忘れてしまっていることの方にある。

われわれが子供のころから学ばされている西洋近代文明は、常に人間以外のいのちあるものと人間とを区別し、その間に線を引くことを教え続けてきた。人間と動物、人間と植物、人間と鉱物。人間以外のいのちあるものたちと人間の間の違いは、その用語にも端的に表現されている。人間だけが特別なのである。西洋の文明はなによりもまずその違いを明確にするところからはじまるからだ。

ところが、南北アメリカ大陸に暮らすネイティブ・ピープルの世界においては、その違いはそれほどはっきりとはしていない。自分と自分以外のいのちあるものたちとのあいだに、彼らは明確な線を引くことがない。このように、ほかのいのちあるものと自分とのあいだに線を引かないと言うことが、自分を浄化するさまざまな儀式などに参加するときに、「わたしにつながるすべてのいのちたちへ」「わたしにつながるすべてのものたちへ」「オール・マイ・リレーションズ」「ミタクェ・オヤシン」という挨拶の言葉を送ることとつながってくる。

Imagename

ぼくが学び続けているアメリカ・インディアンのストーリーテリングにおいては、しばしばすべての登場するいのちが「ヒト」として人間の言葉を話す理由もそこにある。4本足のヒト、羽根を持つヒト、根を生やしたヒト、水のなかを泳ぐヒト、地を這うヒト。アニマル・ピープル、バード・ピープル、プラント・ピープル、フィッシュ・ピープル、スネーク・ピープル、ストーン・ピープル。ネイティブの人たちの耳には、そうした人たちが自分たちが話していた昔の言葉を話しているように聞こえているのである。

アメリカ・インディアンの多くの部族の言語には「動物」を表す言葉がないという。今から70年ぐらい前、ジェイム・デ・アングロという言語学者で物語の研究家が、北カリフォルニアのピットリバー・インディアン(現在では彼らの言葉で「Achumawi[アチュマウィ]と呼ばれる)の人たちと共に暮らしながら、彼らの言葉と、その言葉で表現される物語世界を学んでいたことがある。彼が一族の人たちに「動物」についてたずねたところ、ピットリバー・インディアンの人たちの言葉には「動物」を表す言葉がないことを教えられたという記述を読んだことがある。ピットリバー・インディアンの物語世界においては、人間と動物が渾然一体としていてそのいのちの間に一切の線が引かれていなかったのである。ただ、強いてあげるならば、「この世界に存在するすべてのいのちあるもの」を意味する「qaade-u'ade toolol aakaadzi(クァアデ・ウアデ・トゥーロル・アーカズィ)」という言葉が「動物」もしくは「生きもの」のことを言い表しているらしいと言うことであった。そしてその「この世界に存在するいのちあるすべてのもの」のなかには、「人間」も「石(鉱物)」も「植物」も当然ながら含まれており、ピットリバー・インディアンの人たちは「いのちのあるすべてのもの」とのつながりを大切にしていたという。アングロは、ピットリバー・インディアンの友人の言葉として、貴重な言葉を書きとめているので紹介しておく。

ありとあらゆるものにいのちは宿っている。木々にはいのちがある。岩にもいのちがある。山にも、水にも、そうしたものにはいのちがみなぎっている。あなたは岩のことを死んでいるものだと思っているだろうが、それはまったくちがう。岩は少しも死んではいない。それにはいのちが満ちあふれている。わたしはあなたに会いにここに来る道すがら、まわりにあるありとあらゆるものたちと話をし機嫌をうかがいながらきたし、わたしはそうしたすべてのものたちのために煙を送る。そうすることであらゆるものたちと友だちになるためだ。夜の闇の中でそっとわたしをうかがっているものたちがたくさんいることが自分にはわかっている。彼らは彼ら同士でなにごとかを語りあっているのだ。石たちは石たちで、わたしたちのように互いに話しあっている。木と木も、山と山も、互いに話しあっている。注意深く耳を傾けてみれば、その話し声が聞こえることもある。とくに夜、表にいるときになど、話が聞こえてくる。わたしはだから彼らのことを忘れたりはしない。わたしは彼らの世話をするし、彼らもまたわれわれの世話をしてくれる。

ピットリバーの人たちが、いわゆるヨーロッパ人(白人)のことを指して言うときに「inallaaduwi」という言葉を使うが、この「イナルラドウィ」という言葉は「大地から切り離されている」「根無し草」の意味であるという。それは「ほかのいかなるいのちともつながりのない存在」「ほかのいのちの存在を信ずることなく勝手に死んでいる存在」のことだ。そしてその言葉の意味するものの世界[勝手に死んでいる存在の世界]のなかを、ほかならぬ現代のぼくたちも暮らしている。

そろそろ、すべてのいのちあるものたちが人間の言葉を話していた時代に帰る道を探すときではないだろうか?

わたしにつながるすべてのものたちよ!

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Monday, July 21, 2008

ミタクェ・オヤシン

Turtle soup

ラコタの人たちはスウェットロッジなどさまざまな儀式が終わるときに、伝統的に「わたしにつながるものたちよ」という言葉を口々にとなえる。英語では「オール・マイ・リレーションズ」といい、ラコタ語では「ミタクェ・オヤシン」という。

1年前のクリスマスの時、あるラコタの年寄りが息子や娘や孫たちから電子レンジを一台贈られた。しかしその冬のあいだじゅう、爺さまはけしてそのレンジを使おうとはしなかった。年が明けて、少し寒さが緩んでくると、爺さまは亀のスープが飲みたくてたまらなくなったのだが、しかし捕まえた亀を殺してきれいにさばいたりするのを考えるだけで食欲も萎えた。

あるよく晴れた朝、表に散歩に出た爺さまは一匹の亀を見つけ、その亀を家に持ち帰った。

「うーん、亀のスープか、たまらんなぁ」と爺さまは独りごちた。「しかし、殺してさばくとなると、こりゃあ大ごとだ、どうしたものか・・」

そのとき爺さまの目があの電子レンジをとらえた。「そうだ!」爺さまの頭にひらめいたことがあった。爺さまは捕まえてきた亀を持ちあげるとそのまま電子レンジのなかにほうりこみ、タイマーを1時間にセットしてスイッチを押した。

25分に一度、爺さまはレンジの扉を少し開けてなかの亀の焼け具合を確認した。かっきり1時間たって、チンと音がしてレンジがとまった。「どれ、できたかな」と爺さまがレンジに近づいて、その扉を開きかけたとき、なかから亀がのっそりと現れ出て、こうつぶやいた。

「ミタクェ・オヤシン」「ミタクェ・オヤシン!」


Native jokesインディアンは笑う』北山耕平編・構成。(おそらく)世界で初めてのネイティブ・アメリカン・ジョーク・コレクションの本。笑うことで世界をひっくり返す書。笑いの百連発! 当ブログから生まれた本。マーブルトロン発行 中央公論新社発売 ブックデザイン グルーヴィジョンズ。好評発売中

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寝ぼけた女子中学生がキックでヒグマを撃退したというニュース

女子中学生、テント押すヒグマ撃退 知床、妹と思い蹴る

20日午前4時ごろ、北海道羅臼町にある羅臼温泉野営場にヒグマが現れ、北見市の女子中学生(12)らが寝ていたテントを襲った。ヒグマはテントを外から押し続け、中学生が内側からキックで応戦すると、ささやぶに逃げたという。テントは約50センチ裂けたが、中学生にけがはなかった。

同町などによると、家族5人でキャンプに来た中学生は寝ぼけていて、テントを押すヒグマを妹(10)のいたずらと勘違い。手で押し返していたが、あまりにしつこいのでキックしたという。そばにいた母(40)の目には、テントのシートの向こうにヒグマの影が見えていたという。

当時はテント二十数張りに約50人がおり、目撃者もいた。体重70キロ前後の若いヒグマとみられる。最初はシカの親子を追っていたが、においをかぐようなしぐさでテントに近づいたという。若いと人間の怖さを知らず、対処を誤れば非常に危険。町職員は「ヒグマだと思って大騒ぎしていれば危ないところだった」と話した。(神村正史)

「ヒグマが女子中学生(12)らが寝ていたテントを襲った」とあるが、記事を読むかぎり「襲った」という表現は言い過ぎではないだろうか。襲われたのはヒグマの方だし。ともあれ、クマたちの国(テリトリー)のなかのキャンプにおいては、一切の食料や匂いを出すものをテントに持ち込んで野営してはならないということを、人間にたいしてもっと徹底しなくては。新聞もそういうことも書いてくれよな。彼らのテリトリーに侵入しているのは人間たちなんだから、クマたちと人との共存のためにも、最低のエチケットとして。

Source : 女子中学生、テント押すヒグマ撃退 知床、妹と思い蹴る(asahi.com ニュース 朝日新聞社 2008年7月21日3時0分)

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Saturday, July 19, 2008

アイヌ文化の歴史を探る上で極めて貴重なお墓から

【厚真】アイヌの実力者か 副葬品に刀8本

厚真町幌内のオニキシベ2遺跡で、400—500年前のアイヌ文化期の墓から、日本刀を含め刀8本が出土した。町教委は「一つの墓からこれだけの刀が見つかるのは異例。とても裕福だったのでしょう」といい、銀と銅の円盤をあしらった矢筒の装飾も同じ墓から見つかり、「(矢筒は)道内でも最古のもの。アイヌ文化の歴史を探る上で極めて貴重」としている。

imagename遺跡調査は厚幌ダム建設事業の一つ。1370平方メートルを調査し、遺物は1万4000点にも及ぶ。5月にアイヌ文化期の墓4つが見つかり、うち3号墓から副葬品が集中して見つかった。地層は1667年よりも古い。

刀8本納められており、内訳は日本刀1本、小刀2本、蝦夷太刀2本、ナイフ3本。町教委の乾哲也学芸員は「道内でアイヌ文化期のお墓は400カ所以上見つかっているが、刀は多くても3、4本」という。交易で手に入れたらしい。「裕福で力のある方のお墓だったことがうかがえる」と町教委。

矢筒は、一回り大きな円盤を中心に整然と並ぶ「九曜文(図版)」で構成し、木材部分は漆でコーティングされていた。このほか鉄製の鍋も同じ墓から見つかった。

町教委は「貴重な資料」とし、保存処理のため岩手県立博物館へ出土品を送った。

疑問点 こういうお墓の発掘にアイヌの人たちを立ちあわせていないのだろうか? アイヌの人たちは当然の権利として一族の祖先の墓を発掘するのに立ちあう権利があると思うのですが。あるいは発掘そのものに反対する権利とか。彼らの土地でおこなわれていることだから。

Source : 【厚真】アイヌの実力者か 副葬品に刀8本(苫小牧民報2008年7月18日)

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今日われわれはここであなたのお慈悲を求めています

Longest Walk 2008
photo by Nobutoshi Mizushima


偉大なる曾祖父よ、
今日、わたしはあなたの前に立っています。
もしわたしが弱ければ
どうかお許しください。
今日われわれはあなたのお慈悲を求めています。

偉大なる曾祖父よ、
あなたはおつくりになりました。
赤い人間を、黄色い人間を、
黒い人間を、そして白い人間を。

そしてそれぞれの人間たちに、
なすべきことと目的とを授けられました。

今日赤い人間として、われわれは、
黄色い人たち、黒い人たち、
白い人たちの前に立って祈ります。

偉大なる曾祖父よ、
その人たちがわれわれの目的を理解するように、
あなたがそれぞれの人たちのハートに直接触れられんことを。

ザ・ロンゲスト・ウォーク2の最終目的地ワシントンDCで
出された宣言の冒頭に掲げられた祈りの言葉の部分訳

*写真はニューヨーク在住の写真家水島伸敏氏が12日、13日にワシントンDCでひらかれたザ・ロンゲスト・ウォーク2の終了を告げるパウワウ(祝祭会)で撮影したもの。

8,000-Mile Walk for Native American Rights, Environmental Protection, and to Stop Global Warming Reaches Destination in DC

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Friday, July 18, 2008

ショップ・ネイティブ・ハートに来年のカレンダーの部屋を設置しました

shop NATIVE HEART 2009 calenderAmazon.co.jp のなかで開いている「shop NATIVE HEART」に来年のカレンダーのセレクションのページをつくった。たくさんあるカレンダーの中から、ネイティブ系、自然系、スビリット系のものを基本的に集めたが、なかには個人的な趣味のものも入っている。:-)

自分がほしいと思う翌年のカレンダーは、とくにネイティブ・アメリカンを扱ったカレンダーは、アマゾンでは毎年たいてい11月頃までには売り切れてしまうので、後で後悔しないように早めに手を伸ばしておいてください。またカレンダー以外にも、音楽や絵本や写真集、部族的な暮らし、非電化、お薦めの本などのページもときどき更新されていますので、そちらものぞいてみてください。

なおショップ・ネイティブ・ハートの売り上げは、当方のアフリエイトに反映され、このブログの管理維持費の一部になります。ご協力を感謝します。

next shop NATIVE HEART 2009 Calendar Section

next shop NATIVE HEART powered by Amazon

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この夏の「映画・ホピの予言」上映会のおしらせ

「現代は自然とひとつになる道と、物質文明を追いかける道の別れ目だ。私たちは平和へと続く道を歩かねばならない。」
—— ホピ族長老の言葉より

* 以下のインフォメーションはランド・アンド・ライフのブログ「ランド・アンド・ライフからの風」から部分転載したものです。

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『ホピの予言2004年版』上映会
アースブックス in 千葉

日時 2008年7月27日(日)28日(月)

   27日13:00~、 16:00~、 19:00~、 3回上映
   28日11:00~、 17:00~、 2回上映  
    
  ・開場は毎回30分前
  ・毎回定員20名ほど 満員になり次第締め切ります。   

場所 アースブックス Tel 043・204・1177
   千葉市美浜区高浜1-10-1

http://www.earth-market-place.co.jp/earth_books/earth_books.htm

参加費 大人500円(中学生以下無料)

お問い合わせ  080・5056・3623 坂井まで

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『ホピの予言2004年版』上映 in 加古川・兵庫
辰巳玲子トーク + 「ヘルマンハープ」ミニライブ

 2008.8.1(金) 

場所 : Cafe 花茶茶花 (カチャチャカ)
     加古郡播磨町南大中3-2-11
     Tel 079-437-7774

時間 : 1部  10:30~13:00
     2部  14:30~17:00
     3部  20:00~22:30
         開場はいづれも30分前

参加費 : 1,700円 (ドリンク&スコーン付き)
      ペアチケット 3,000円 (大人1名+高校生までのお子様)

申し込み : (1)氏名 (2)メールアドレス (3)電話番号
       (4)人数 (5)参加希望の時間
 以上を明記の上、メールかFAXで 7月27日 までにお申し込みください。
       Mail : nra37623@nifty.com
       Fax : 079-427-7812

お問い合わせ : わこころ 070・6684・3173

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●映画『ホピの予言2004年版』
北アメリカ大陸最古の民族といわれるホピ族から世界へ呼びかける平和のメッセージ。
 ランド・アンド・ライフ2004年制作100分
 本編 『ホピの予言』監督:宮田雪 1986年75分
 補遺版 『浄化の時代を迎えて~ホピの伝統に生きるマーチン・ゲスリスウマ氏に聞く~』撮影・構成:辰巳玲子 2004年25分

●辰巳玲子 『ホピの予言2004年版』を製作し、アメリカインディアン・ホピ族のメッセージを伝える「ランド・アンド・ライフ」の活動している。

 http://www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/

☆「ヘルマンハーブ」ミニライブ
ダウン症を背負ってこの世に生まれた息子のために、ヘルマン・フェー氏が生み出したバリアフリー楽器。この楽器は今、ヨーロッパなどで障害者のみならず、高齢者・子供・健常者へと広がり、まさに音楽のバリアフリーの世界を実現させている。演奏:渡辺幸子(日本へルマンハーブ協会講師)・渡辺楽・花田葵

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Monday, July 14, 2008

ニッポンを笑おう

kiss my ass日本国がアイヌの人たちから奪い取った大地でおこなわれたサミットが終わった。自分勝手なお祭り騒ぎに、日本の自民党政権が、アメリカ・インディアンの世界でいわれる「部族会議」「部族議会」であることをあらためて確認させられて、なんだかなーの思いに囚われた。今回のサミットをきっかけに、地球温暖化やエコの問題がいつの間にか気がつけば「原子力発電所のセールストーク」に使われるようになったことを、覚えておこう。化石燃料の使用を減少させるライフスタイルに人間の生き方の舵を切るべき時がきているのに、「太陽熱、風力、原子力」の3つを同じように「クリーン」なエネルギーとして宣伝するなんて、とても姑息なやり方であるし、悪い冗談としか思えない。結局アル・ゴアの宣伝した「不都合な真実」は地球規模の原子力発電所の拡散に道を拓いたようだ。日本国が、自民党部族会議が支配する一種の巧妙な奴隷国家であることを改めて確認したサミットの終わった夜、「ネットゲリラ」というサイトに「アメリカ様が大変だ!」という記事が掲載され、そこに名無しの読者による書き込みで、久々に笑えるジョークを読んだ。このジョークは、小生がコレクションしている「インディアン・ジョーク」と通底する精神を伝えているので、ここに収集しておく。こういうジョークがもっと出てくるといいなあ。では笑ってください。なお「空を見あげよ!」というタイトルは小生がつけたもの。


空を見あげよ!

普通なら上を見れば空が見える。

日本で空を見上げると、アメリカ様のケツが見える。
日本政府は国民にアメリカのケツを舐めろという。

暫くは国民は黙ってアメリカ様のケツを舐めていたが、
そのうちアメリカ様のケツから糞が降って来た。

国民は汚れて困り果てた。

そして日本政府が国民に言った。

「アメリカ様のケツが糞で汚れている!一致団結してアメリカ様のケツから糞を舐め取ろう!!」

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Saturday, July 12, 2008

南北アメリカで最古、5500年前の建造物が出てきた

古代アンデス文明に光、5500年前の円形広場跡…ペルー

【リオデジャネイロ=小寺以作】ドイツとペルーの考古学チームは11日、ペルー中部にある古代アンデス文明のセチン・バホ遺跡で、約5500年前の紀元前3500年ごろ造られた円形広場の跡を発見したと発表した。

米州大陸最古の人工建造物となる。スペイン国営EFE通信が報じた。

古代アンデス文明は、ペルーを中心に祭祀(さいし)を行う共同体として発展。紀元前3000〜2500年ごろには文明が形成され始めたとされるが、正確な起源はわかっておらず、同チームは今回の発見が、文明の起源を解明する上で極めて重要としている。

ペルー文化庁などによると、広場は直径10〜12メートルで、社交の場だった可能性がある。紀元前2100〜1600年に建造された建物の下から見つかった。(2008年7月12日21時23分 読売新聞)

Source :  古代アンデス文明に光、5500年前の円形広場跡…ペルー

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6000年前の石の笛が貝塚から出土したと共同通信が伝えている

縄文時代の貝塚から石笛 熊本県宇土市、西日本で初

stonewhistle

縄文時代前期の轟貝塚(熊本県宇土市)から人が加工したとみられる石笛が見つかったことが12日、同市教育委員会の調べで分かった。縄文時代のものは全国でも数例しか確認されておらず、西日本では初めて。日本の音楽史の上でも貴重な発見で、当時の風習を知る手掛かりにもなるという。

石笛は黒色石灰岩で、長さ6センチ、幅2・9センチ、厚さ1・6センチ、重さ44グラム。人が研磨したとみられ、平たい長方形状で内側がくりぬかれている。

上面中央部の穴から息を吹き込むと甲高い音が鳴る。両端の穴を親指と人さし指で押さえて使ったとみられる。

宇土市教育委員会は「神聖な儀式で使用された可能性があり、神楽や能にも通じるものがある」としている。これまでは東北地方を中心に発見されている。

轟貝塚は約6000年前に形成され、轟式土器や貝の腕輪など約2万点が出土している。

2008/07/12 17:06 【共同通信】

Source :  縄文時代の貝塚から石笛 熊本県宇土市、西日本で初

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ネイティブ・アメリカンになにを求めているのか? ネイティブ・アメリカンはなにを求めているのか?

Last Modified Monday, July 14, 2008


End of Trailネイティブ・アメリカンに関心を持つ人が世界的に増えてきていることは間違いないのだが、その関心の向かう先がどこにあり、なにを目的にしているのか、とても見えにくくなってきている。町を歩くと、インディアン・グッズを扱う店も良く目にするようになったし、ネイティブ・アメリカンをテーマにした書籍の数も増加してきていることがわかるし、スウェットなどのインディアンの儀式を自己啓発のツールとして使ったり、ネイティブ・アメリカン・スピリチュアリティーをエゴトリップに利用するビジネスはあいかわらず盛んなようだ。

つい先日も、土屋アンナ(24)という女性タレントが、ネイティブ・アメリカンに関係してNHKとトラブルを起こしていたと、「週刊現代」が報じた。それによれば、アンナさんはNHK・ハイビジョンで放送された「宿坊ココロとカラダ満ツル旅」という精神世界を扱うドキュメンタリー番組(昨年7月放送)に出演して好評を博し、第2弾をネイティブ・アメリカンでという運びになったらしい。以下、内部関係者の言葉を引用する。

「今度は舞台をアメリカに移し、ネイティブ・アメリカンと触れ合いながら彼女が神秘体験をするという企画がうまれ、スタッフとともにロケに行ったんです。ところが、ロケ中にディレクターが出した指示が気にくわなかったのか、アンナさんがそのディレクターに一発食らわせてしまった。しかも、そのパンチが目に入ったようで、撮影はすぐに中止され、ディレクターは病院に直行するハメになったんです」
「ネイティブ・アメリカンと触れ合いながらの神秘体験」などという台詞は、まさしくネイティブ・アメリカン・スピリチュアリティをビジネスにする人たちが好んで使う表現であり、そのような企画を立てるメディアのあり方そのものを疑わざるをえないものではある。幸いアンナさんに殴られたそのディレクターの怪我の程度は軽いものだったようだが、撮影はそのまま中止となり、一行は日本へと帰国したという。その後のNHKと土屋サイドのトラブルについて、同記事のなかで別のNHKスタッフは語っている。
「結局番組はお蔵入りになり、アンナさん側にはギャラも支払われなかった。NHKとの仕事がしばらくできない、いわば“出入り禁止”状態になったという話もあります。この番組はドキュメンタリーだったので、トラブルの最中もカメラは回っており、事件の一部始終を収めた映像はいまも残っているそうです」

いったいネイティブ・アメリカンの大地でどんな騒動があったのか、この記事からは見えてこない。なんとなくわかるのは、ロケ中にディレクターが、「出してはいけない指示を出した」ということぐらいのもの。指示の中身は想像できるが、想像の域を出ないので省く。

昔も今もぼくのところにときどき、ネイティブ・アメリカンの取材をしたいのだがと日本のテレビ局やテレビ番組の製作会社の人から連絡が来ることがある。ぼくはそういうとき遠回しにであれ、あなた方が望むような番組を撮影することはおそらく出来ないと伝えてきた。

四年間ほど通って気心が知れてからならまだしも、なにも友好的な関係を作りあげていないインディアンの人たちのところにいきなり撮影機材を持ち込むなんて、リスペクトを第一義に考える人たちにとっては、およそ考えられないことだからだ。しかも「ネイティブ・アメリカンと触れ合いながら(テレビで)神秘体験」となると、さらに困り果ててしまう。神秘体験なんていうものは、超個人的な神聖な体験であり、マスメディアでおもしろおかしく見せるエンタテインメントではないのだから。常識ある人であればまずそんなことは考えたりはしないものだが、考えられないことをするのが、しかしえてして自分勝手なメディア関係の人間だということも、ぼくはよく知る人間である。

この人たちがどのインディアンの国に取材に訪れたのかなどということすら、記事からはうかがい知ることができない。アメリカ・インディアンとされる人たちが今どのような状況にあるのかなどということは、日本のメディアの人間にはどうでもいいように思われているようだ。おりしも、昨日はロンゲスト・ウォーク2が3600マイルもを歩き通し、道中で3800袋もにのぼったゴミを拾い集めつつ、サンフランシスコからワシントンDCに到達した日であった。このウォークに参加したネイティブやノン・ネイティブの人たちがアメリカ大陸を太平洋から大西洋まで歩くことでなにを世界に問いかけたのかについては、かなりの数の「日本人」が自発的に参加したにもかかわらず日本のメディアからはまったくと言っていいほど無視された。

たいていの日本の人たちがアメリカ・インディアンと聞いて頭に思い描く平原インディアンのスー族、正しくはラコタ、ナコタ、ダコタの人たちの居留地で、今子どもたちが大量に自殺していっているという現実を世界に訴えかける一族のチーフの言葉が、これも一昨日友人から送られてきた。なんとか全文をここに訪れる人たちに伝えるべく、翻訳をしてつぎの記事「ラコタの精神的指導者で長であるデイビッド・スワローがリザベーションにおける危機的状況を語る」として立てておいた。ぜひその声をハートで聞いていただきたいと思う。

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ラコタの精神的指導者で長であるデイビッド・スワローがリザベーションにおける危機的状況を語る

われわれの子どもたちは死につつある

デイビッド・スワロー
ラコタ・精神的指導者そしてラコタ国ヘッドマン

編集発行 ステファニー・M・シュワーツ
ネイティブ・アメリカン・ジャーナリスト協会(NAJA)会員
Text and Photo © July 09, 2008 Porcupine, South Dakota


David_Swallow
デイビッド・スワロー
われわれの子どもたちが死につつある。われわれラコタのリザベーションの中では、記録的な数のわれわれの子どもたちが、自らいのちを絶っていっている。悲しみにうちひしがれ、混乱と絶望のなか、子どもたちは自殺だけが唯一の答だと理解している。

多くの研究が子どもたちの抱えるそうした絶望は、連邦政府による過去の対インディアン政策がもたらした、何世代にもおよぶ大量虐殺の結果であると指摘する。だが現在とられている政策もまた、まさるとも劣らないほどのダメージをインディアンに与えつつあるのである。それらの政策は結果的に「同化かもしくは死を」というシステムを作り出しており、これは大量虐殺がかたちを変えたものに過ぎない。

わたしは人種差別主義者ではない。この話も、憎悪や人種差別についてのものではない。ラコタではない人たちの中にも、良い人たちはたくさんいる。だが、今の政府および文化の本流によってもたらされるダメージと、なんでも買えてしまう万能のお金が、ラコタ、ダコタ、そしてナコタの国々の子どもたちを殺していっている。主流の文化から解決策を探すことは、つまるところさらなる混乱をもたらすのみであり、さらに多くの人たちの虐殺と、われわれの文化と一族のものたちのさらなる破壊に、つながるだけである。

われわれの子どもたちは助けを必要としている。それは間違いない。だが必要なのはそれだけではない。子どもたちには仕事が必要だ。子どもたちは働く必要がある。そして自分たちは生き残れるのだとする希望を持つ必要がある。ほんとうの市民のように扱われ、誰もが自分のなりたいものになれる自由を必要としている。

現行のプログラムは機能していない。われわれのリザベーションでは酒類の持ち込みが禁止されているが、われわれ住民の60パーセントから70パーセントが、にもかかわらずアルコール中毒やドラッグ中毒の影響下にある。わずかではあるけれど、非営利の団体の中にも、われわれのリザベーションにおいて良い仕事をしてくれている組織はある。彼らはなんとか力になろうとしてくれてはいる。だが、われわれの名前を使って金儲けだけをもくろむ、さらにたくさんのグルーブが存在するのだ。その人たちにとっては、われわれは商品に過ぎない。その連中はわれわれを使って、われわれの子どもたちが苦しんでいるまさにそのときにも、さらにもっと、自分たちの利益のためにたくさん金を稼ごうとしている。部族会議や政府がおこなおうとしているプログラムのいくつかもまた、同じようなものだ。お金はけして人々のところには届かない。そうしたお金は誰も助けることにはならない。

われわれの子どもたちはいま混乱と混沌の世界に暮らしている。われわれは自分たち自らの文化の内側でわれわれ自身が与えうるあらゆる助けを必要としている。ラコタの文化に無知な暴力集団やカルトやプログラムでは答にもならない。ラコタの子どもたちは、自分たちがラコタであることを知ってはいるが、知っているからといってどうなるものでもなく、役に立つのはその自らのアイデンティティーを破壊するときだけである。連中はわれわれの子どもたちを洗脳し、自分たちを尊敬し理解させるよりは、同化させようと仕向ける。子どもたちは主流のものとされる偽りの考え方や価値によって汚染される結果、さらに自暴自棄の度合いを深めることになる。

われわれにはわれわれの病を治療することができる。われわれはわれわれの病を治療する必要がある。

祖父の時代にも、自殺はあった。だがそれも今日ほどではない。今では、自殺はどこにでもある。われわれの子どもたちが、孫たちが、姪っ子や、甥っ子たちが、われわれに泣きながらいのちを助けてほしいと言っている。しかしその子どもたちは、われわれの助けもないままに死んでいくのだ。

伝統的な精神生活があればそれなりに効果をもたらすこともできたかもしれない。だが文明化した世界とキリスト教によってわれわれの手は縛りあげられている。われわれの一族のメディスンマンやメディスンウーマン、精神的指導者たちはすでになんの役にも立たない。もはや誰も相談にすら来ることがなくなっている。

けれども、伝統的な精神生活がもはやまったく無力なわけではない。

伝統的なスウェットロッジの儀式なら、そうした、社会によって傷つけられた子どもたちの頭のなかを浄化するぐらいの力にはなるかもしれない。その人間の内側に留まるスピリットの目を覚ますこともできる。頭と、体と、スピリットとに癒しをもたらして、家族をまるごと癒す力にもなれるかもしれない。しかしそのためには、その儀式はリアルなもの(ほんもの)でなくてはならない。いくつかの素敵な言葉が交わされるサウナなどではなく、正当な、伝統的精神指導者によって導かれる儀式でなくてはならない。

食べるものを伝統的なやり方で調理することを学ぶだけでも子どもたちを救えるかもしれない。良きやり方で準備された食事が良き家族を育てることを理解するのは重要なことである。怒りや憎しみと共に調理された食べ物は、結果的に病気をもたらすものであることを彼らは知らなくてはならない。

そうした子どもたちに癒しと希望をもたらすのに効果的な伝統的な方法はほかにもたくさんある。そうしたものなら彼らに、アイデンティティーを回復させ、人生の道をたださせることもできる。いかにすれば良き暮らしをおくれるか、良き道のうえを進んでいけるかを、子どもたちに教えることもできる。子どもたちにどちらに進めばよいのかその方角を示し、理解を与えることができる。

しかしそのためにはまず、われわれは、われわれの仲間内の争いに終止符をうたねばならない。解決方法を求めて本流とされる文化の中を探し回るのを止める必要がある。治療をしてくれる部外者を捜すのを止めなくてはならない。われわれがすべきなのは、われわれの祖先たちの道を眺めて、そこに導きを見つけることだ。われわれラコタ、ダコタ、ナコタのものたちは自分たち自身の孫たちのいのちを救うのに力を発揮しなくてはならない。

わたしはここで金銭を要求しているのではない。われわれの自由にさせよといっているだけで、ほかには政府やBIAになにかをしてもらおうつもりもない。われわれの自由にさせてくれるだけでいい。どうかわれわれに本流の生き方を無理強いしないでいただきたい。同化を強制するのを止めてもらいたい。われわれが自分たちの生き方で生きられるように、そしてわれわれが自分たちとわれわれの子どもたちや孫たちを癒せるように、好きにさせてほしい。

ホ・ヘ・チェトゥ・イェロ。 わたしはこれらの言葉を口にした。

デイビッド・スワロー、ウォウイタン ユハ マニ
サウスダコタ州ポーカパイン、パインリッジ居留地


*著者とソースをあきらかにしたうえで、いっさいの手を加えないかぎり、利益を求めることなく、教育のため、ニュースのため、あるいは資料とするための目的で本記事の複製、再利用、または再配信を認めるものである。

Source :  Our Children Are Dying

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Wednesday, July 09, 2008

ローリング・サンダーが感謝を捧げるときに口にしていたシンプルな祈りの言葉


To the East where the Sun rises.
To the North where the cold comes from.
To the South where the light comes from.
To the West where the Sun sets.
To the Father Sun.
To the Mother Earth.


--- Rolling Thunder


たいようの のぼる ひがしへ
さむさの やってくる きたへ
ひかりの やってくる みなみへ
たいようの しずむ にしへ
ちちなる たいようへ
ははなる ちきゅうへ


—— ローリング・サンダー


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Tuesday, July 08, 2008

なに、ノース・アメリカン・コンチネントだって? そんなものはないのだよ

North America?大統領が頂点に君臨するアメリカ合衆国の子どもたちは、学校で「北米大陸」があると教わる。その場合の北米大陸は、「北」からはじまるのである。北は地図上では常に上部に当たる。この上の部分はかつては氷でわけられていて、アジアやヨーロッパと向かいあっていたのだが、北極の氷が融けはじめて、ここのところ上の境界もはっきりしなくなってきた。地図の上でカナダと呼ばれるグレイに塗り分けられたエリアを抜けると、そこにいきなり、活気にあふれ、さまざまに色分けされた50の州が出現する。そして南のリオグランデ川を越えた途端に、また色が褪せはじめる。だから合衆国の子どもたちは両親によく「北米大陸の南の境界はどこなの?」とたずねるらしい。両親も南の境界がどこかわかっていないから、たいていは肩をすぼめるだけだという。

一方、メキシコでは子どもたちは学校で、北アメリカと南アメリカはひとつの大陸だと教わるのだという話を聞いた。メキシコの子どもたちの頭のなかではアメリカとは南北アメリカ大陸をあわせたひとつのつながりとして認識されているのだと。彼らにとってはだから「アメリカ人」という言葉は意味をなさない。南北アメリカに暮らすすべての人が「アメリカ人」なのである。ボリビア人も、チリ人も、ペルー人も、ブラジル人も、ベネズエラ人も、エルサルバドル人も、グアテマラ人も、コスタリカ人も、エクアドル人も、その他すべてのラテンアメリカの国々の人たちも、それぞれの土地に暮らす先住民たちも、そして当然ながら合衆国の人たちも、みんなアメリカ人なのである。

ぼくはメキシコのノリが好きだなあ。

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Monday, July 07, 2008

ハワイの自然がもたらす魔法・アロハの体験



Messages of Aloha

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日本のイネ・ジャポニカの故郷は遺伝子によればはるか南方の島々に

日本のイネ・ジャポニカ「南に源流」 遺伝子研究で解明

日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかった。農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井澤毅・主任研究員らが、もみの大きさを決める遺伝子の変異を手がかりに突き止め、6日付の米科学誌ネイチャー・ジェネティクス(電子版)に発表する。

もみの幅が広くて米粒が大きいジャポニカは、これまでの考古学的な調査によると、約1万年前の長江中・下流域が起源との説が有力だ。

研究チームは今回、ジャポニカの「日本晴」とインディカの「カサラス」の2品種を比べ、米粒の大きさの変化にかかわる遺伝子(qSW5)を発見。この遺伝子が変異してジャポニカのもみが大きくなったことを確かめた。

この変異と、もみを穂から落ちなくする遺伝子変異、もちもちした食感にする遺伝子変異の計3種類について、アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。

その結果、フィリピンやインドネシアの品種で、三つの遺伝子に変異のないものと、もみを大きくする変異のみをもつものが見つかった。このため、この地域でイネの遺伝子が変異してもみが大きくなり、その後、インドシナ半島や中国大陸で他の二つの変異が組み合わさって現在のジャポニカができたという。

総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)の話 もみの幅を広げる遺伝子の変化をとらえたことは大きな発見で高く評価できる。ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。考古学資料とのすり合わせが必要だろう。(米山正寛)

Source :  日本のイネ・ジャポニカ「南に源流」 遺伝子研究で解明(asahi.com ニュース 2008年7月7日3時0分)

日本米の起源は東南アジア?米の大きさ決める遺伝子を発見

農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井沢毅主任研究員らのグループは、古いイネ品種の遺伝子変化を調査した結果、日本米(ジャポニカイネ)の起源がインドネシアやフィリピンなど東南アジアであると発表した。7日、英国の科学雑誌「ネーチャー・ゲネティックス」オンライン版で公開した。

井沢主任研究員らは、コメの粒の幅を細くすることに関与する遺伝子を世界で初めて発見。ジャポニカイネの米粒の幅が広いのは、この遺伝子が栽培化の過程で、次第に機能を失ったためだと結論づけた。

さらに、約200種のイネの在来種の遺伝子を調査。(1)コメの粒を細くする遺伝子(2)イネの脱粒性に関する遺伝子(3)炊いたコメのモチモチ感を決める遺伝子−の3点を比較したところ、ジャポニカイネの原型が、インドネシアやフィリピンの在来種(インディカイネ)に多く見つかった。

ジャポニカイネの起源をめぐっては「中国長江説」や「アッサム(インド)雲南(中国)説」がある。今回の調査では、中国のイネもジャポニカイネと同じような遺伝子変化をたどっていることが判明。

井沢主任研究員は「現在、東南アジアで栽培されている『熱帯ジャポニカイネ』が中国に伝わり長江付近で水田化され、『温帯ジャポニカイネ』が誕生し、さらに日本に伝わったと考えられる」としている。

Source : 日本米の起源は東南アジア?米の大きさ決める遺伝子を発見(産経ニュース 2008.7.7 02:03)

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The Longest Walk 2 - URGENT MESSAGE



The Longest Walk 2 - URGENT MESSAGE

*ロンゲスト・ウォーク2はこれまでに4800キロ以上を歩き抜いて昨日ボルチモアを通過した。11日にはワシントンDCに予定どおりはいる。これはモチベーションを鼓舞するために数日前に公開された緊急ビデオ。

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Wednesday, July 02, 2008

人々を幸福な気分にさせる理髪店

ある日、花屋の主人がヘアカットに出かけた。散髪が無事に終わり、料金を支払おうとすると、理髪店の主がこたえた。

「もうしわけないがそのお金は受け取れない。こっちは社会奉仕でやっているのでね」

花屋の主人はなんだか幸福な気分になってその店を後にした。

翌朝、理髪店の店主が店を開けると、店のドアの前に山のようなバラの花束が積まれ、そのうえにカードが1枚添えられていた。

この日も、ひとりの警官が散髪にやってきた。散髪を終えて支払いの段になると、理髪店の主がこたえた。

「もうしわけないがそのお金は受け取れない。こっちは社会奉仕でやっているのでね」

警官は幸福な気分につつまれて店を出て行った。

そして翌朝、理髪店の店主が店を開けると、感謝状の添えられたたくさんのドーナッツ入りの箱が店のドアの前に置かれていた。

この日は珍しくインディアンが店を訪れた。散髪をしてほしいという。理髪店の店主が散髪をすませると、そのインディアンも料金を支払おうとした。理髪店の店主はこたえた。

「もうしわけないがそのお金は受け取れない。こっちは社会奉仕でやっているのでね」

その翌朝、理髪店の店主が店をオープンしたら、ドアの前でいったいどんな驚きが彼を待っていたと思う?

わかるかな? インディアンのように考えてみるのさ。


・・・・?・・・・・


そう。ドアの前には何十人ものインディアンたちが列を作って散髪の順番を待っていたんだ。

ホ!


Native jokesインディアンは笑う』北山耕平編・構成。(おそらく)世界で初めてのネイティブ・アメリカン・ジョーク・コレクションの本。笑うことで世界をひっくり返す書。笑いの百連発! 当ブログから生まれた本。マーブルトロン発行 中央公論新社発売 ブックデザイン グルーヴィジョンズ。好評発売中

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ロンゲスト・ウォーク2はいよいよ最終ストレッチに

Longest Walk 230年ぶりのロンゲスト・ウォーク2に参加して徒歩でアメリカ大陸を西の外れから東の外れまで横断中のみんなが、多くの困難を乗り越えて最終目的地であるワシントンDCに近づいている。アメリカン・インディアン運動(AIM)の活動家(75歳)であるデニス・バンクスが先導役を務めて、今年の2月11日にカリフォルニア州サンフランシスコ市のアルカトラズ島を出発した一行は、このまま予定どおり7月11日にアメリカの首府に到着するという。

デニス・バンクスとその一行は先週末の日曜日にはヴァージニア州に入り、環境問題とアメリカ先住民の聖地について人々に訴えかけた。北回りルートの参加者は昨日1日にペンシルバニア州カーライルに残されているカーライル・インディアン工業専門寄宿学校(1879年設立ー1918年廃校)の歴史的建造物を訪問している。

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