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Friday, May 09, 2008

NATIVE TALK : Spectator interview with Kohei Kitayama(北山耕平インタヴュー完全収録)

昨年の夏に刊行された雑誌のスペクテイター vol.17 特集「日本放浪旅〜VAGABONDING IN JAPAN〜」所収の小生のインタビューを、あらためて同誌編集長の青野氏に許可を得ることができたので、当ブログが4年目の今月に100万アクセスを通過した記念として、ここに全文をそのまま一挙掲載しておきます。長文ですので、覚悟を決めて時間があるときにでもお読みくだされば幸いです。なおすでにお読みの方はスルーしてください。

関連する過去記事:
reddot 長い旅の話をさせてください(Native Heart, Thursday, May 24, 2007)

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spectator #17地球の上で生きるとは
取材・構成/青野利光(スペクテイター編集部

 日本国内を長い時間をかけて旅しながら、行く先々の土地のことを理解しようと考えるなら、地図と一緒に携えていくべき欠かせないもののひとつに「歴史に対する認識」が挙げられる。たどりついた先で出会った人々の暮らしや建物が、どのような時間や経緯を経て、その地に存在するに至ったか。それを知るのと知らないのとでは、旅の中味も景色の見え方さえも違ってくるし思うからだ。ところが、学校で習った日本史を手がかりに日本を理解しようとしても、わからないことだらけなのは何故だろう?

 今回、九州を車で旅してみて改めて実感したことの一つが、この国には創世にまつわる異なる神話というものが存在し、そのいずれかが日本の起源という仮定のもとに国家というものが存在しているという事実だった。僕たちは、自分たちが暮すこの国の起源については極めて曖昧な情報しか持たされていないのだ。

 あらゆるものや情報の移動が容易に可能となり、全ての局面において地球規模での思考が求められる時代に生きる僕たちは、新しい枠組みで国家や世界というものを捉え直していかなければならない。「グローバルに思考し、ローカルに活動する」というのは、バックミンスター・フラーの教えだが、その第一歩として、まずは一切の偏見やコダワリを捨て、足下に広がる「日本と呼ばれる土地」の成り立ちについて理解することから、新しい旅を始めるべきではないか? 願わくば僕たちを真実へと導いてくれる賢者の教えを携えながら…。そう思いたって、真っ先に頭に浮かんできたのが北山耕平さんだった。

 ロングセラーとなった『ネイティブ・マインド』、『ネイティブ・タイム』(ともに地湧社刊)をはじめ『虹の戦士』(河出書房新社刊)『ローリング・サンダー』(平河出版社刊)『自然のレッスン』(太田出版刊)など、数多くの著書や訳書を持ち、先住民族の文化や歴史を口承で伝えるストーリーテラーとしても活動されている北山さんの名前を知る読者も少なくないだろう。

 北山耕平さんは1949年、神奈川県生まれ。大学在学中に片岡義男氏との出会いをきっかけに雑誌『ワンダーランド』に編集部員として参加、75年からは約1年半に渡り『宝島』四代目編集長を歴任され、その後は『別冊宝島』『GORO』、『Bepal』、『写楽』、『ポパイ』など、日本のサブカルチャー史を語るうえで欠かせない数多くの雑誌に編集や執筆というかたちで参加されている。
76年に渡米し、その旅の途上でチェロキー出身のメディスンマンであるローリング・サンダーと出会ったのをきっかけに、環太平洋の先住民族とその精神世界の探求を現在も続けられている。

 最近の活動は三年以上に渡って日々更新され続けているブログに詳しい。「NATIVE HEART」と名付けられたこのブログは、ネイティブ・ピープルとその文化にまつわる情報を体系的に網羅した、いわば電子版『ホールアース・カタログ』とでも言うべきもので、地球の上でバランスを保って生きるための知恵と心構えを授けてくれる貴重な情報源として目を通すのが僕の日課になっている。

 僕が北山耕平さんの存在を強く意識するようになったのは、今から10年ほど前、たまたま古本で入手したペーパーバック・サイズの『宝島』という雑誌に掲載された『ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ』という記事がきっかけだった。サリンジャーというアメリカの作家が書いた小説『ライ麦畑でつかまえて』とビートルズを題材に書かれた、シティ・ボーイ世代によるマニフェストとも言える独白調の文章に、僕の脳ミソは大きく揺さぶられた。

「平凡な人間」とは、ぼくに限っていうならば、けっしてその時代にそうなるのがあたりまえであったように、一流の大学を出て、一流企業につとめ、五年後には課長になり、家庭的な嫁さんをもらい、子供は二人、狭くてもマイホームを、といった、安っぽい〈マイ・ペース〉主義であろうはずがなく、それらの価値観をいっさい無視したうえでより人間的なものを求める人生が、ぼくにとっての、「普通」で「平凡」な「あたりまえ」の、だからこそより「人間的な」人生なのだった。
(『宝島』1975年1月号「シティ・ボーイ」)

 まるで楽器を奏でるように繰り出される言葉の数々は、文字によるロックンロールとでも形容したくなるようなパワーと魅力に満ちあふれ、メッセージが直接ハートに突き刺さってくる感じがした。それからというもの、暇を見つけては古本屋へ通い、中古レコードを掘り当てるような感覚で北山さんが様々な雑誌に書かれた原稿を読みふける日々を過ごすとになった。

無目的で、しかも楽しい作業に没入しているときは、しかし意識だけははっきりと目覚めている。はっきりと目覚めた意識は、ぼくもここで生きて生活しているのだということを教えてくれるのだ!
(『ポパイ』1977年7月号「フリスビーは時間を静止させるための小さな道具だ!」)
生活を遊びにすること、ぼくはそのなかからしか新しい文化は生まれないと思います。なによりもそれをはじめようではありませんか。
(『宝島』1976年3月号 「ビューティフルアメリカ」編集後記)
日常はハイではないのか? そんなことはない。いつのまにか、得体の知れないなにものかによって、ハイではないものにされてしまったのだ。
(『宝島』1975年12月「君は石である」)
統合国家(政府+大企業)は、自らの言葉と肉体を持った人間を恐れるあまり、さまざまな手段をもちいて押しつぶしにかかるだろう.逃げてはならない。なぜなら、ぼくたちは、個人的な力の王国をつくりつつあるのだから。
(『宝島』1975年3月号「全都市カタログ」)
法律がいけないといっているものすべてが悪だときめてかかることほど、恐ろしいことはありません。なぜなら、本文中でミスタ・ナチュラルも言っていますように、法律が人間を縛るべきものではなく、人間が法律を縛るべきものだからです。
(『宝島』1975年10月号「マリワナについて陽気に考えようーーー」編集後記)
平均的人間が最高であるといった、まったく誤った考え方に支配されてしまっていると,やりたいことをやりたいようにやるひとは、異端というレッテルをべたりと貼られて、仲間はずれにされてしまう。もしも、時代を動かす基本理念として、平均的人間の創造があるのだとしたら、ぼくはそんなところからは逃げ出してやる!
(『宝島』1975年1月「気楽にいこうよ」)

 圧倒的な文章力も去ることながら、何よりも驚かされたのは書かれてから30年もの時を経ているにも関わらず、微塵も古さを感じられなかったことだ。その理由をボクなりに分析してみた結果、どれもが「地球人としての感覚」をもとに発せられた言葉だからではないかという結論に達した。それは例えば、有人宇宙船のカメラがとらえた地球の映像をテレビで見たときの印象について書かれた、こんな一文を読んでみても明らかだ。

地球は一個の生命体であるとの確信はそのときぼくの内部に生まれた。地球が生きているからこそ、いっさいの生物は生命を保ち続けることができるのであって、生物が存在するから地球が生きているのではない。人間が地球を支配しているのでは断じてなく、およそ人間では考えられないなにものかによって地球と呼ばれる惑星は生命を吹き込まれ、その生命を維持するという同じ目的をもたされてバランスよく生物が創り出されてきたにすぎないのではないだろうか、とぼくは考えるようになった。
(『宝島』1976年5月号「日本のなかで育つには」)

 インターネットやグーグル・アースのようなメディアの出現によって世界をダイレクトに、より身近に感じられようになった今の時代を予見していたかのごとく、30年以上も前から「地球に生きる人」としての意識の重要さを問い続けてこられた北山さんなら、正しい感覚を持って日本を旅するための視座を与えてくれるに違いない。

 そんな確信を持って僕たちは、ある晴れた春の日に、インタビューにのぞんだ。

【インタビュー本文】

聖なるものとの出会い

Spectator:北山さんが過去に手がけられてこられた仕事のなかで僕が最も影響を受けたのが、編集長を歴任されていた74、5年前後の『宝島』です。発売当時は子供だったので、後から古本で購入したわけですが『シティボーイ』とか『全都市カタログ』とか、新しいヴィジョンや生き方を提示し続けた特集に共感しながら読みました。
Kitayama Kohei :けっこう良い値段がついているよね。特にマリワナの号(『宝島』1975年10月号「マリワナについて陽気に考えよう」)なんかは高いみたいね。いろいろ逮捕事件が起こるたびに(その家から)出て押収されるいわく付きの号だったけど。

Spectator:あれは画期的な号だったと思います。
Kitayama Kohei :「陽気に考えよう」とは、なにごとか!って非難されたこともあったけどね。

Spectator:本誌でも過去にマリファナに関する特集を組んだことがあるのですが、すごく参考にさせてもらいました。一般的には否定的に捉えられているマリファナを、偏見なく正面から論じてみようという発想の斬新さが。
Kitayama Kohei :あの時代はあれしか無かったからね。あそこまでまじめにやった本って、後にも先にも。マトモにやった本はいっぱいあるよ。でも価値観をひっくり返すくらいの力をもって出てきた本っていうのは未だに無いんだよね。それが、この国の限界を示しているというか。やっぱり時代は何も変わってないじゃないかと思うところでもあるんだけど。ある意味ではジャーナリストの怠慢でもあると思うよ。おカミに逆らわないというところだけでやっている。僕は逆らう、逆らわないじゃなくて、世界で何が起きているのかということをきっちり知るべきだと思うけどね。ドウプについて言いたいことは他にもあったけど、こればっかりは本で水泳を教えるようなもので土台無理がある。泳ぎ方の本を読んだって泳げるようにはならないし、その部分で争うことはあまり意味がない。アメリカだったらビート・ジェネレーションみたいな人達がぞろぞろっと出てきて、そういう意識の流れを文学的に表現したり、絵や詩として表現してきたけども、この国には未だにビートに匹敵するジェネレーションって生まれてきていないよね。個人個人ではいるのだけれど。そういう人達が次々と出てきたときに初めて「時代は変わる」んだけどね。いくらクサを吸ったからって全ての人がストーンするわけじゃない。そのことに気がついたのが20年、30年経ってからだよね。ハッパを吸っている人たちは大勢いるけれども、キマっている人は少ない。「それは一体何のために吸ってるの?」というような人もゴチャマンといてさ。昔はアメリカでも、よく「本当にストーンして、価値観がシフトするくらいのキマり方をした人とは500マイル走って旅しないと出会えない」って言われたけど、日本だったら出会うまでに、もっと遠いかもしれないよね。いないわけじゃないんだよ。キマっている人はいるんだけど、キマっている人とキマっていない人の距離は長いままだよね。

Spectator:「キマる」というのは、ただトんでいるだけではなくてってことですか?
Kitayama Kohei :ただトんでいるだけだと、その人の人生に決定的な影響を与えない。逮捕されたりすると「ヒエーッ!」って言って、みんなで謝っておしまい! というところで落ちつくわけだよ。「大人になります!」「これからは、まじめにお酒を飲みます!」みたいな世界になって終わるわけ。それでは明らかに意識の変容には至っていないし、危険なだけであって。だったらやらないほうが良い。レイム・ディアーというラコタ(スー族)のメディスンマンの話のなかに、何十年もペヨーテを食べ続けたあげく、さいごはそれを「自分の進むべき道ではない」と気がついたという部分がある。何十年もやり続ければ充分だろうと思うのだが、そこでそれが自分の道ではないと判断できることがすごいことだよね。

20代の後半の頃は、確かにハッパを吸っていない人とはつき合いきれないと思っていたこともあった。でも本当は、どうでも良いことなんだよ。意識が変わったかどうか、その人間が意識の変容に対処できるまでに至っているかどうかが重要なのであってね。あの時代は世界中がせっぱつまっていて、みんなで吸えば何か時代が変わるんじゃないかと誰もが思っていたわけだけど。

Spectator:当時はポットを吸えば世の中を変えられるという期待感があったんですか?
Kitayama Kohei :あったよね。世界中であったんじゃないかな。(ボブ・)ディランが唄った「エヴリィバディ・マスト・ゲット・ストーンド」って歌があったじゃない? みんなが、そういう感覚を持っていたんじゃないかな。じゃあ「ストーンド」というものは、いったい何か? ということが次に問われるよね。ただハッパ吸ってりゃ良いってもんじゃない。聖なるものとして、どうやってそのものを取り扱うかってことが、ストーンドをストーンドたらしめている原型になるものであってさ。

あの時代にはバッドトリップする人も大勢いたけれど、ドウプにかぎらずあらゆるバッドトリップというものは、ものの扱い方を間違えたために起こるんだよ。それをどうやって取り扱うか、その「セット」と「セッティング」を間違えているために引き起こされる。例えば誰かから買ったクサを吸った場合、買ったときにまとわりついてくる色んなものも一緒に吸いこむわけだよ。そこについてくるものによってパラノイアが引き起こされる。買ったものではなく、そこにあったものを吸っただけなら、そんなことは起こらない。

Spectator:買ったものには不安な要素が一緒についてくるということですか?
Kitayama Kohei :そう。必ずね。それはドラッグだけじゃなくて、全てのものに言えるわけ。あらゆるものは、そこに来るまでの状況を記憶している。その記憶と一緒に人間は食べたり飲んだり吸ったりして自分のものにしているわけ。宝石もそうだし、鶏肉だってそうだよ。殺されたときの記憶と一緒に食べるわけだよ。誰が殺したのか? どうやって生きていたのか? そういうことを全く知らない鶏肉を食べても、それは力にも何もならないのよ。最近ブームのパワーストーンも同じ。石だって記憶装置として掘り出され削られ売られてきた記憶を持っている。それはクサも同じ。はっきり言えるのは本当に好きな人が作ったクサが一番良く効くということじゃないかな。リンゴだって何だってそうだよ。本当にそれを好きな人が作ったものが一番美味しいわけだよ。作った人の色々なものが、そこに入るから。アメリカ・インディアンの伝統派の人たちは生活の全ジャンルにおいてそういう扱い方をするわけ。自分のところに置いておくものに関しては、「これは、この先どうなるのか?」「どこから来たのか?」というところも、ちゃんと考えるわけ。あらゆる物への接し方のなかで、それはすごく勉強になったよね。マリファナだって聖なるものとして取り扱わなければ、そこにあること自体が危ないものだよね。薬として役に立つ部分もあるし、反対に傷つける部分もあるから扱い方には気をつけなくてはいけない。それは全ての口にするものや身につけるものにも同じことが言える。誰が、どこで作ったのか。きちっと考えて食べているか、身にまとっているかどうかが、その人の人生に影響を与えてくる。

Spectator:最近はスーパーや道の駅で売られている食材にも生産者の名前が記されていますね。
Kitayama Kohei :それは当たり前の礼儀だよね。自分の身体の中に入れるものに対する最低限の礼儀。なにしろ身体こそがいちばん神聖なものなわけだから、その中に入れるものは何であれケアしないといけない。
ちょうど僕がアメリカに住み始めた77年頃、アメリカ国内でマリファナが大流行して、みんなが吸っていた。夕方会社が終わると会社の前でみんなで固まって何人かで吸ったりしていた。そのころメキシコの国境を越えて大量のマリファナがアメリカに流れてきたんだけど、それを撲滅しようとしたアメリカ政府がDEA(合衆国麻薬取締局)と一緒に手を組んで、メキシコのマリファナ畑にパラクワットという除草剤をまいたわけ。そうしたら、その化学薬品のかかったマリファナが全米に流通してしまった。メキシコの人達は自分では吸わないし金になるから、白人の奴ら(グリンゴのガキたち)が吸いたいというなら出せばいいって送り出したパラクワットのかかったマリファナが全米に広まってしまった。これってすごく危険なことでさ。

その時代にマリファナを吸った人達の中には、その除草剤のたっぷりかかったマリファナを吸わざるをえなかった人が沢山いたわけ。それを止めさせるための運動がアメリカ各地でおこり、ホームグロウン(自家栽培)のムーヴメントが起きたりした。アメリカでの大人たちは「政府は自分たちの息子を殺そうとしているんじゃないか?」という議論が交わされたりして社会問題になっていくんだけど、えせ民主主義の日本では、そうならない。自業自得だと言う人たちがいるわけよ、社会構造上ね。

Spectator:覚せい剤もマリファナも同じ扱いをするような国ですから。
Kitayama Kohei :すべて同じ麻薬だと人々に思いこませておけばコントロールしやすいと考えているんだろうけれど。でも本当は全部別々なんだよね。ペヨーテにしてもマリファナにしても、神聖なものとして扱う人達が地球のどこかにいれば、神聖なものとして見ざるをえない人たちがいるわけで。もちろん毒だって言う人たちもいるけれども、あらゆるものが毒になりえるし、あらゆるものが薬になり得るんだよ。メディスンっていう考え方はそういうことだから。クサでも食べ物でも、それを力として変えていく方法というものがアメリカ・インディアンのところにはある。最終的には自分の身体が一番聖なるものなんだよ。彼らは「自分の子供たちの世代が身体を売って、お金にかえるようになったとき。それは自分のまわりから一切の聖なるものが消えたことの警告だ」と言うわけ。日本では70年から80年頃に子供達が身体を売るということが起こっているから、その時代に明らかに聖なるものが消えたんだよ。その警告に従うとすればね。この国には、このように昔から聖なるものを消すための構造というものがあって、自分達の周りから聖なるものをとりあげて人民をコントロールするという形をずっと取り続けている。

Spectator:それは、どれくらい前から始まったことなんですか?
Kitayama Kohei :相当昔からだと思うよ。土地の値段が高くなったのは最後のほうであって、もっと早い時期から意識の問題とか、そういうものに対して値段がつくようになっていた。一番はやっぱり、麻薬としてのお酒でしょう。もともとお酒を作るために、この土地をコロニーとして選んだ人達がいるわけだよね。だから酒米のほうが普通の米よりも位が高くて、この国では酒米のとれる土地が優れた土地とされている。日本の裏の常識としてはね。お米って、もともとお酒を作るために存在していて、それを食べるというのは付帯品だったの。

Spectator:それはいつ頃の話ですか?
Kitayama Kohei :最初からだよ。プランテーションとしての弥生時代が始まったとき、たぶん彼ら(弥生人)は、お酒を作ることを目的に北海道島をのぞく日本列島に入って来ていた。そういう意味ではドラッグ工場だよね。

Spectator:酒の文化も大陸から入ってきたということですか?
Kitayama Kohei :それ以前からお酒を飲んでいたと主張する人達もいるけれど、酔い方が全然違うんだと思う。たとえば濁り酒のレベルから清酒のレベルになったとき、そこから文化は急激に変わったんじゃないかと思うよ。ヨーロッパでウイスキーができあがったとき。ロシアでウォッカとか強い酒ができてきたとき。結局、今はお酒を造っている国が世界を支配している。地球的規模で見ればわかるけど、アルコール文明がアルコール文明じゃないところを構造上完全に支配しているわけ。そういう意味で言うとアルコールが一番強いドラッグなんだよ。

Spectator:それは何となく判ります。酒は自分でコントロールできなくて、つい飲んじゃいますから。
Kitayama Kohei :アルコールが世界を支配したんだよ。日本も当然そのプロセスにあったわけだけど、いつのまにか「お神酒」になって「酒は百薬の長」とか言われるようになっていった。実際アルコールっていうのは、自分達に今なにが起こっているかを見えにくくさせるために使われるんだよ。その意味では武器だよね。最初は与えないで、みんなに欲しがらせる。一時的に意識を変えるから神聖なものだと思っちゃうネイティヴの人達もいるわけだよ。アメリカ・インディアンもそうだった。けど、神聖なものとしてつきあえる範囲を超えて、自分がコントロールされちゃう。神聖なものっていうのは、本来は自分がコントロールするもので、コントロールされると神聖なものを超えちゃうんだよ。そのものの奴隷になってしまう。「酒のためだったら何でもする」っていう人が出てくる。酒を作る人にとっては、人が飲めば飲むほど金になるという世界だから。酒にしてもタバコにしても昔は国がコントロールしていたよね。聖なるものとしてではなく、金として扱っていた。みんなが欲しがるものを与えれば金になるというかたちでコントロールしてきたわけだよ。

つまり聖なるものが消えて行くプロセスが、この国の歴史と重なっているわけ。国家ってそういうものだと言われれば、そういうものなんだけど。それと拮抗するためには、聖なるものとは何か? 聖なるものがどういう扱いを受けているか? 自分達にとって聖なるものって何か? ということを僕たちは個人的に学び直す必要がある。そのことで自分達の歴史を見直すという作業がされない限り、この国から聖なるものを取り戻すというのは至難の技だよね。富士山がゴミ捨て場所や自殺の場所になったりする理由も、誰もそこを聖なる山と考えていないからだよね。世界遺産にならないのも当然であって。ああいう扱いをしていて、なおかつ世界遺産にしたら金儲けできるんじゃないかと思っている人がいる限り世界遺産なんかにはならないよ。

Spectator:富士山はだいぶ奇麗になったという話を聞きますが。
Kitayama Kohei :なってないよ。富士山に向かって自衛隊が、自分たちの国の軍隊が、大砲を打ち込んでいるんだよ。自分たちの聖なる山の山腹に、聖なるものの象徴に大砲を打ち込んでいる国なんて、他にはないよ。先ずそれを止めるべきであって。それに夏になればみんな登るわけだけど、一合登るたびに金をとるような課金システムになっているわけだよ。高度が上がるにつれてだんだん飲み物の値段も上がっていく。焼き印ひとつ押させるのに金をとる。そうやって金儲けのために富士山を使っている人が大勢いるシステムのなかで、聖なるものになんてなりっこない。そういうのを全部廃止して、入り口にビジターセンターを一つ作って、そこから先は容器がゴミになるような飲み物は持ち込ませない、残していいのは足跡だけということぐらいやらない限り、正しいお山の扱い方にはならないんじゃないのかな? 

この国はすごく早い時期から貨幣というものを導入して物の価値を金銭で計るようにしたわけ。なぜならお米があったから。税金を多くの場合お米で徴収してきた。お金としてのお米という価値観が早い時期からみんなの意識に焼きついていた。お米を作ってるんじゃなくて、お金を作っている。為政者にとってはお百姓さんって造幣局職員のようなものなんだよ。自分達は食えない。一般の人が米を食うようになるのは江戸時代の末期から明治に入ってからのことで。教育される価値観の中心のところに米があるように思えるから、もともと日本にお米があったと錯覚する人がいっぱいいるけど、お米って外の世界から持ち込まれたものだからね。そのお米と一緒に何が持ち込まれたのかということを、お米を食べながらでも良いから考えて欲しいと思うんだよね。

クニのはじまり

Spectator:この特集を組もうと思ったのは、自由化やグローバル化の影響で完全に違う国に変わってしまう前の日本を、この目で見ておきたいと思ったからです。それで僕たちも九州を放浪体験してみたんですけど。
Kitayama Kohei :どこへ行ったの?

Spectator:福岡から別府、九重、日南、鹿児島、長崎と巡ってきました。わずか一週間と短い時間でしたけど。
Kitayama Kohei :なぜ九州を選んだの? 

Spectator:日本の古い歴史や自然に触れたいと思ったからです。九州は歴史的建造物も多く、建国にまつわる神話などに触れられる土地だと考えたので。
Kitayama Kohei :九州っていうのは最初に日本ができたところだからね。

Spectator:宮崎県の日向では神武天皇が船出したという神話も聞きました。
Kitayama Kohei :神武天皇とされる人たちがいた頃、北九州に別の国があったんだよ。だから北九州に入れずに九州を回り込んで日向に入った人達がいたってことだよね。そこから彼らの旅、つまり大和朝廷を作る旅が始まるのであって。九州には縄文の頃から人も大勢住んでいたわけだけど、非常に早い時期から今の福岡あたりに別の国が出来上がっていた。海峡を挟んで向こう(朝鮮半島の南側)とこっち(九州の北側の国)に二つでひとつの海峡国家が存在していたわけだよね。南朝鮮に住んでいた人たちの集団が九州に国を造り、行ったり来たりしながら一つの文化圏を作り、そこでは日本の原型となるような色々な試みがなされていた。それを無視することのできなかった人達が南九州に別の国を作ろうと(半島か大陸から)渡ってきて、その子孫が九州島から大和へ向かう旅を始めたんだよ。若狭や出雲のまわりにも、吉備のあたりにも同じように国があった。海流で行き来できる距離だからね。

そういうかたちで彼らが来たとき、すでに(日本列島には)先住民がいたわけだよ。それはもっと昔に海を渡ってきた海の人かもしれないし、毛むくじゃらの人だったかもしれない。あるいはもっと別の部族がいたかもしれない。いくつ部族の国があったかなんてわからない。縄文土器の分類から五つくらいの文化的な違いがあったと言われるけど、いちばん最初にどういう人たちがいたのかというのは正確にはわからない。僕たちの歴史から消されてしまっているからね。最初に国造りを始めた渡来系の人たちの歴史が、そのまま日本の歴史になっているだけであって、それ以前の、数万年あった地球に生きる人たちの口から耳へ伝えられた歴史は消えているわけ。なぜ神武がそこから建国の旅に出たのかということだって判っていないわけ。(文献には)戦争をしていたという記述があれだけ残っているわけだから、大和にも別の国があったんだと思う。「鳥のような人」とか「尻尾がある人」とかが、日本国の歴史書のところどころに出てくるわけだけど、そういう人たちはいわば全部先住民だよね。インディアンの世界には誰が見たって「この人は羽の生えた人だ」としか表現せざるを得ない人が、儀式の場などでは大勢いるわけだよ。日本の歴史には(半島から渡って来た人達が)先住民をどうやってやっつけたかということは載っているけれど、先住民とは誰か? ということはほとんど書かれていない。その人たちは危険な自然の一部であり、人間としては見えていなかったんだよ。それが、この国の持っている歴史の一面でしかないってことの証だよね。自分たちのこと、いかにして自然を征服したかしか語ってない。

Spectator:それは国家が縄文人を抹殺した歴史を残したくなかったということですか。
Kitayama Kohei :理由はいろいろあると思うよ。アメリカの歴史がアメリカ・インディアンのことを喋ってないのと全く同じで、眼中になかったわけ。彼らにとっては野蛮の一部。野生の一部。要するに動物と同じなわけ。抹殺するとか虐殺するとかいう意識はなかったと思う。そこに熊がいればやっつける。危険な生き物がいればやっつけるという、自然を開拓するプロセスの中で始まったわけだから。そこに先にいた者に対してリスペクトを払うようなことをしたら、そんなことはできないわけでさ。ある意味でいうと国家を造った人たちが自然や自然なるものを異常に恐れていた。恐れなきゃいけないことをしてきた人たちかも知れない。敵という概念が発達しているから塀を作るし堀を作る。
九州から瀬戸内海ルートを通って大和に入る海の道というのは、のちの日本国にとっては非常に早い時期から開拓されてきた文明のハイウェイで、ものすごく重要なルートなんだよ。そのまわりに暮らしていた先住民族が最初に追い出されて、そのルートを拠点として海の道が管理された。
ほかにも南朝鮮から若狭、出雲へ直接やって来る人たちや北から入ってくる人たちと別れるけど、文化的な中継地点としては太宰府と出雲と能登のあたりが最初の開拓地だよね。アメリカで言うとニューヨークでありボストンであり。

Spectator:それは弥生の頃の話ですか?
Kitayama Kohei :そう。

Spectator:その時代に、日本が統治していた国が朝鮮半島にあったと聞いたことがあります。
Kitayama Kohei :さっきも言った通り両方が同じ国だったんだよ。持っていたわけではない。その二つを自分たちの国と認識していた。百済(くだら)、新羅(しらぎ)、任那(みまな)の前に馬韓(ばかん)、弁韓(べんかん)、辰韓(しんかん)という三韓の時代があって、その三韓の国々が植民地化するために、先住民のことは無視する形で日本列島を取り合った。もともと半島で起こっていた代理戦争が日本で行なわれたわけ。それが弥生文化の大きな始まりだよね。
Spectator:弥生以前の縄文の頃にも争いの文化はあったんでしょうか?
Kitayama Kohei :あったと思うよ。でも、そこまで戦争がビジネス化していなかった。縄文時代が争いの無い平和な時代だったという感覚は間違っていると思う。アメリカを見て気づいたのは、北太平洋文化圏———北海道島、千島列島、カムチャッカ半島、アリューシャン列島、アラスカ、カナダの太平洋岸、アメリカの北西太平洋岸を結ぶ地域———の大きな特徴は、奴隷制のようなものがあったということだよね。男たちが隣の部族と戦争をして殺されると、残った女と子供たちは奴隷とされて、家事に従事させられていたし、そうやって空いた時間に勝ち組はトーテムポールを作ったりする芸術的な創造作業をおこなっていた。ただ、奴隷という言葉をそこにあてて良いかどうかはわからない。なぜなら身分として永遠に固定するものではないから。連れてこられた女性が部族の人と結婚した場合は部族の人になるし、子供は部族の子供として育つ。つまり同じ一族になる道がたくさん残されていた。男の人が死んでしまうと、残った女と子供を食わせなきゃいけないわけだからね。

Spectator:家族として受け入れていくわけですね。
Kitayama Kohei :そう、拡大家族としてね。だからそれを奴隷としてよぶかどうかは疑問なのだけど、そうやって残された人間を勝者の集団が自分たちのために使役するという価値構造が日本の文化の根幹にあるんじゃないかと僕は思っているわけ。それに対して身分制度として確定するだけの力を与えたのが大陸から入ってきた仏教だった。後に攻めてきた人たちが持ち込んできた全く新しい信仰(生き方)としての仏教。インドのカースト制度みたいなものをそのまま持ち込んだ可能性があって、その時から一度奴隷になったら死ぬまで奴隷っていう風にカーストとして身分が確定されちゃうわけ。僕の時代感覚では、21世紀になったとはいえ今はまだ弥生時代だからね。それは「前の世界(生き方)」が終わった時点と、「今の世界(生き方)」が始まった時点のことを言っているだけであって、「今の世界」の中に奈良や平安から鎌倉も室町も戦国も江戸もあれば、大正も昭和も平成もあるわけよ。前の世界が終わって以後、長期軍事政権の支配時代(サムライ・エイジ)もその後も、欲に支配される人間の生き方は基本的には変わってない。「前の世界」が終わって「今の世界」が始まるときに、いったい何が起きたのかということに僕はすごく関心を持っているし、この国にとってすごく重要なことが、そこにはたくさんあるのではないかと思っている。なぜなら「今の世界」っていうものがいずれ終わるかもしれないから。「始まりがあるものは終わりがある」という宇宙の法則があるように、始まったものは終わらざるをえないんだよ。そのときに僕たちは「時が数千年のサイクルで輪を描いている前の世界」に帰る手段を失っているから、その知恵を持っている世界中の少数民族といわれている人たちから、どうやって「前の世界」と「今の世界」のバランスをとって橋をかけるかということを、きちっと評価し、見つめ直し、学ぶ必要がある。彼らは儀式や祈りの言葉やさまざまな物語の中に(知恵を)溜め込んで持ち続けているわけよ。そのことによって「今の世界」が終わるときのカタストロフィを最小のものにしなくちゃいけないわけだよね。倒れるときに激しく倒れたら、人類ともども地球が終わっちゃうみたいな終わり方をするんじゃなくてね。

ネイティヴとの出会い

Kitayama Kohei :話を放浪に戻せば、アメリカ・インディアンは、10代後半から20代になると、言葉も通じない遠くの部族を訪ね歩いて、老人の世話をしながら言葉や祈りの方法や、祈りの言葉を学んで、また別の部族を訪ね歩いてというように、点々と移り住んで行く時期があるのよ。ラコタの人たち(スー族)は「オユムニ」と呼ぶんだけど、これは「放浪の時」という意味なんだ。この放浪の時は、いつ終わるか判らない。だから放浪なんだよ。いつ帰って来なきゃいけないっていうのは放浪でもなんでもない。帰りの切符を持っていたら、それはただの「旅」なわけ。放浪がいつ終わるかは本人にしか判らない。周りの人が「あの人の放浪は終わったね」なんて言うものではない。いろんなところを巡って、もとの部族に帰ってきたときに初めて自分がどれだけ成長したかということを自分で理解できるわけ。それは言うなれば見えない学校みたいなもので。そういう時期を色んな部族がもっているんだ。

僕がアメリカに渡ったときも、片道切符でスーツケース一つしか持っていなかった。それまで25年間ぐらい貯めてきたものをスーツケース1個の中に集約するのはすごく大変なことだったけど、出ると決めて翌々日くらいまでに必要なものを選んで、とりあえず出てしまうというところから始まって…。そうすると行く先々で、いろんな人に出会うよね。出会って、「あそこにこういう人がいて、面白いから話を聞いてきたら良い」って言われる。そのときに放浪の人たちは行けるけど、帰りのスケジュールを持っている人はそこで終わっちゃうわけ。スケジュールにのっとった旅では本当に出会うべき人とは出会えない。出会うべき人と最終的にどこで出会うかなんてわからないんだから。それが続いていって、僕はたまたまローリング・サンダーと出会うことができた。ローリング・サンダーは僕に「あそこへ行って、あの人に会いなさい」と教えてくれるわけだけど、そのときに「東京で仕事がありますから」というわけにはいかないところまで自分を追い込んでおかないと旅は続かない。放浪の旅を続けていく中で色んな出会いがあって初めて「なるほど放浪ってこういうものか」「オン・ザ・ロードとは、こういうことか」と確認できる。そのプロセスが必要なわけだよね。そういう放浪ができるのは、きっと人生の中でいっぺんきりだと思うけど。

Spectator:北山さんは、どうして荷ひとつでアメリカへ行くことになったんですか?
Kitayama Kohei :僕は日本の国が行かせてくれた、と勝手に解釈しているけれど。要するに僕に逮捕令状が降りたんだよ。「北山さんと一緒にマリファナを吸いました」って言った人がいたわけ。『宝島』で、あれ(『マリファナ特集』)をやったときから(警察から)電話がかかってきて「いつかパクる」と言われていた。そういう時代だから。厚生省へのインタビューで「タイのあたりへ行って吸うのは勝手です」という発言をそのまま記事にしたら向こうにとっては問題だったみたいで、厚生省からも直接電話がかかってきた。そこで「いつか必ずパクってやるぞ」みたいなことを言われるわけだよね。そうやって僕は日本国から追い出されたわけ。

それが僕にとっての放浪の始まりなわけ。はじめは帰るつもりなんてなかった。別に帰らなくてもいいや。向こうで誰かと結婚でもすりゃいいやって思っていたんだよね。だけど旅の途中でローリング・サンダーと出会って、話をしているうちに彼は僕が警察から——国家権力から——逃げ回っていると見抜いたわけよ。「日本に帰って捕まって、入るべきところに入ってこい。そのとき初めてアメリカ・インディアンが、どういうところから世界を見ているかがわかるだろう」と言われた。(政府や警察から)逃げて、逃げ回って、大立ち回りを繰り返して、刑務所に入れられてというのをアメリカ・インディアンは現実的に長い間やってきているわけだよ。彼らは常になにかから身を隠そうとしてきている。「その留置所みたいなところに入って初めて見える世界がそこにある。それがアメリカ・インディアンが見ている世界なんだ」そう言われて、数年経ってから僕は帰ることにした。帰ってきて捕まって、30日くらい留置所に入れられて、裁判やって、そこでわかったのは留置所の内と外って、そんなに違いがないんだなってこと。鍵を内側からかけるか外側からかけるかの違いだけみたいなもの。時間はいっぱいあるから、罪を犯して入っていた人から色々な話を聞いてみたけれど、もし自分が同じような状況にあったときに同じことをしなかったと言える保証はどこにもないってことだよね。じゃあ何がそれを裁くのかっていうことだけど、裁判をやってみて良く判ったのは、誰も僕の人生のことなんて本気で考えていないってこと。国家ですら、弁護士ですら、検事ですら、裁判長ですら、親ですら、そう。こっちには言いたいことがいっぱいあるのに、全てが建前でしか進行していかないわけ。「そんなことで自分の人生が決められちゃうのか。冗談はよしてくれよ!」って世界だよね。

そうして、やるべきことをやってローリング・サンダーに再び会いに行って報告をして、日本に戻ってきたときに、やっと自分の放浪の時が終わったと思えた。それから「俺を裁いた日本っていう国は、いったいどういうシステムなのか?」ということを、きちっと見ようと考えた。何故こんなシステムができあがって、神聖なものをぐちゃぐちゃにするのが平気な国になったのか。浜辺は汚れ放題だし、森は汚れ放題だし、世界で一番高い値段を土地につけている。もともとがモンゴロイドとして同じインディアンでありながら、そういうことがなぜ可能になったのか。それを自分の中で考えたいし、できれば、そのことを次の世代に伝えたいと思ったわけ。そして今度は僕が日本に対する落とし前をつける。別に革命を起こそうなんて思っているわけじゃない。日本人をやっている人には悪い人はいないと確信しているから。警察の人たちだって話してみりゃ普通のひとたちだし。ただ、システムがそうなっているから、そうならざるを得ないだけであって、「システムだから変えられない」って、みんな言うんだよ。でも本当に変えられないのかどうか、だれも検証したことはない。世間はこう言ってる。こうなっているから従わなくてはいけないって、みんなそれで動いているわけじゃない? じゃあ、この国という仕組みがどうやって、いかなる理由からできたのか? それが自分にとってすごく大きな問題になったわけ。

ゴーストダンス

Kitayama Kohei :19世紀末に北アメリカ各地でゴーストダンスという、一種の「千年王国運動」が起こった。みんなで輪を作って踊りを踊る、いわば西部開拓史の時代の最後に全米のインディアンを巻き込んだ最後の非暴力抵抗運動なんだけど、その祈りのともなった踊りをすると、なかにはトランス状態に入って「死者の国に行ってきた」と言う人が出てくる。その人間に「死者の国はどうだった?」と聞くと「そこには白人の作ったものは一切なくて、これまでに死んでいったインディアンの人たちと姿を消した動物たちが、まっさらの自然のなかで仲良く幸せそうに暮らしていた」と答えたりする。そういうヴィジョンを見た人たちが何人も出てくる。踊りを踊るとヴィジョンが見えて、あの時代が帰ってくると信じ込んだ人たちがいて、その踊りが野火のように全米に広がった。とりわけ絶望の深かった平原インディアンのスー族やシャイアン族なんかが熱心にやったんだけど、いろんな所で集会を開くと、トランス状態に入った人の中から「俺は夢のなかで、こういうシャツを着て踊っているやつを見た」とか「こういうパターンのシャツを着て踊ると白人が撃った弾が避けて通った」と言い始める人が出てくる。それをゴーストダンス・シャツって言うんだけど、そのパターンのシャツが一気に広まるわけ。そのシャツを着てゴーストダンスを踊ると、大地がまくりあがってそういう時代が帰ってくるという信仰があった。あるときゴーストダンス・シャツを着て踊っていた300人近くの老若男女をアメリカ陸軍の第7騎兵隊が襲撃して虐殺する事件が起きた。『ウーンデッドニーの大虐殺』という有名な事件なんだけど、その事件がきっかけでゴーストダンス運動は終わり、同時にアメリカ・インディアンの武力闘争も終わった。19世紀末の最後の武力闘争。それ以後は全てがリザベーションのインディアンになるわけ。だけどね、いまだにあのときのゴーストダンス運動は誤解されていると言い続けているインディアンの賢者たちがいたりする。「いつか地球が病んで本当に甦りを必要とするときが来る。そのとき初めて人々が伝統的なアメリカ・インディアンのように大昔からの知恵や儀式や祈りや物語を守っている人たちの教えを必要とする時代が来るだろう」って。本来はそのことを伝えなきゃいけなかったものを、ある種のトリップの仕方が偏っている人たちが出てきた影響で、結局あのときには皆殺しで終わっちゃうんだけど。ゴーストダンス運動というのは今も続いていると言っている年寄りの人たちがいる。それがアメリカで70年代頃から起こったアメリカ・インディアンの権利と人間の復興運動の引き金となるわけだけど、たとえば環境問題とか人間性回復運動とかあらゆるもののベースにアメリカ・インディアンの運動がある。その頃のアメリカには、「白人によって教育されなかったアメリカ・インディアン」の最後の世代がまだ残っていた。でも僕がいたときから10年くらいの間に、その世代がまるで海の潮が引くようにみんないなくなって、それ以後は「アメリカ人として教育されたインディアン」の人たちが出てくるわけ。その人たちが頭を使って、もう一度アメリカ・インディアンのことを再生させようじゃないかと動きの先に、今のアメリカの色んな運動があるんだよ。

僕はたまたま日本から飛び出して、巡りめぐってアメリカ・インディアンのところに入ってしまったけど、そこで起こっていることをいろいろ見たわけだよね。ちょうど、あるものは終わり、あるものは始まるという境目の時に現場にいることができたから、その二つを見ている。たとえばローリング・サンダーのような、「コロンブスが来たときに始めた戦いを、自分の代では終わらせないんだ!」って言っているような人たちが、まだアメリカにはいたわけ。信じられないだろうけど、現在のカリフォルニアでは18世紀末まで、日本の考古学の言葉で言う「縄文時代」が続いていたんだよ。

神道の誕生

Kitayama Kohei :日本列島の縄文時代が完璧に終わらされるのは紀元前3世紀くらい。あるいは、もうちょっと前かもしれない。「日本」という国が建国されるのは西暦にして700年代くらい。奈良の大仏なんかの時だよ。要するに僕たちは、前の先住民族の時代が終わって、新しい国だと言い始めた700年以降の歴史を「日本の歴史」として教わっているわけだよね。僕たちは、それ以前の歴史を一切持っていない。なぜなら歴史を口で伝えるという風習が、そのときに終わらされちゃったから。それを辿るためには、あらゆる情報を駆使して時空の旅に出なくてはいけないわけ。世界のことを見たり聞いたりすることと同じように、自分がなぜそこにいるのかを学び直す必要がある。空間を動き回る横の旅と、過去と未来を移動する縦の旅。その二つができないと完全な円にはならない。それができて初めて自分がどこにいるかという座標軸を手に入れることができる。

僕はアメリカから帰ってきてから、そういうことを知りたくて日本を回った。それは放浪ではなくて、自分にとっては「確認するための旅」だった。色んな神社も訪ねていくし、ご神体とは何か? 神道っていったい何なのか? ということに興味を持った。最初は神道に興味を持ったわけ。「日本で一番古い宗教は神道だよね」って、みんなが簡単に言うから最初はそう思い込むじゃない? でも、神道とは何か? なぜ人の道ではないのか? それを勉強すればするほどもしかしたらイカガワしいものじゃないかとも思えてくるんだよ。

19世紀後半から20世紀にかけて、アメリカではインディアンをアメリカ人化するための寄宿舎制度というものが設けられた。子供たちを非常に早い時期から親元から強制的に引き離して、三、四千キロ離れたところにある学校へ連れていって、十二年間くらいかけてアメリカ人にならせるための教育をする。それで17、8歳くらいになったときに返すわけだけど、帰ってきたときには言葉は喋れない。言葉を奪われ、土地を奪われ、文化を奪われ、宗教上のあらゆることを嘲笑させられる。「メディスン・マンなんてイカサマだ」とか笑い者にするわけ。徹底的に教育するから、文化の断絶ができるよね。そうやって「アメリカ人」になったアメリカ・インディアンがいっぱい出てくるわけ。この人たちがどうしたかと言うと兵役に就いて戦地に赴き、そこで運良く生き延びた人たちはアメリカに帰って、その対価として市民権や授業料を与えられて大学に行く。でも大学を卒業したからって仕事があるわけじゃない。アメリカ・インディアンなんてリザベーションに帰っても仕事なんてないんだよ。農業もできないような荒れ地に産業なんて全くないわけさ。彼らの多くが生き延びる道として選んだのは大学教育の先生になることだった。アメリカ・インディアンとしてのアイデンティティを回復させようという教育を受けた人達が学校の先生になって、アメリカ・インディアンとは何か? ということを子供たちに教えるための学問をつくりはじめるわけ。そういう学問がアメリカに広まっていくのが20世紀の後半。アメリカ・インディアンの若い世代は、いずれにしてももう自分たちが誰かということを学校で勉強しなきゃいけないわけ。親は教えられないから。そうやって大学で学んだ世代と、彼らの周りにいたインディアンの文化に憧れたり理解を示す白人とが一緒になってアメリカ・インディアンの本を書き始めるのが80年代、90年代。その時代に書かれた本が、どのように使われるかというと、アメリカ・インディアンの信仰や宗教とは何か? ということを勉強するときの拠り所になるんだよ。しかし、その時期に書かれた本の多くは、明らかに白人的価値観のバイアスをもって作られている。伝統的な香りはするんだけど、実際そこで行われていることは80年代になって再生したものだから。はっきり言うとアメリカ・インディアンの信仰は80年代になってから新しいカタチを与えられちゃったわけだよ。この違いってかなり決定的だけど、これ以後の人たちはアメリカ・インディアンのことというと、この時代のものしか参考にできない。これは、ローリング・サンダーなどが伝えようとしていたこととは、かなり違う部分がある。ローリング・サンダーはアメリカ・インディアンという「異なるたくさんの人たちを一括りにした」かたちで宗教(生き方)を勉強することに疑問をもっていた。なぜなら自分たちはチェロキーであり、チェロキーとして教育を受けたから。チェロキーの信仰というかたちで残るのならともかく。例えば南のナバホの人たちが北の平原の人たちのサンダンスをやるとか、知らない人が見たら「あぁ、それはインディアンの儀式ね」って言うような、それ以前にはあり得なかった儀式が、いっぱいあるわけよ。

そうやって80年代頃に、ニュー・エイジ系の人とか新しい意識を持ったインディアンの人たちによって作りあげられた新しいインディアンの宗教が、言ってみれば日本では神道にあたるものなんではないだろうか、と僕は思っているのね。平安時代の日本列島でも同じことが起こった。これは僕の確信だけど。ニュー・エイジのキリスト教徒がインディアンの信仰を作ったのと同じように、仏教徒が日本列島の先住民たちの信仰をひとまとめにして漢字で書いたものが神道なわけ。だから実は神道ってさほど古いものではないわけよ。

Spectator:それが書かれたのは平安時代ですか?
Kitayama Kohei :一番古くて平安だと思う。神道の教典とされてるものって全て文字(漢字)で書かれているからね。お祈りの言葉も、祝詞も、すべてが。

Spectator:つまり神道とは原初から日本に存在していた信仰ではないということですね。
Kitayama Kohei :神道ってすごくクセ者でね。先住民の信仰(生き方)を勉強すればするほど「これはクセ者だよな」と思えてくる。先住民の人たちはスピリットのある場所に行くと、力のある石に直接触ったり、捧げものをしてそれとともにそこで4日間を過ごしてスピリットと直接交流をしたりするけど、神道っていうのは「あなたの言葉を神様に伝えますよ」という人が必ず間に入ってきて、そのスピリットのあるものに直接は触らせないような仕掛けになっている。その代わりに、もともとスピリットのあったものと違うもの、たとえば鏡とか刀を、「こちらが本当の神様ですよ」と言って、本来そこにあった大地のスピリットと人間が直接コミュニケーションしていたものを全部隠していった。

それに気がついたのが東北地方を旅行して古い神社を見て回ったときだったっけ。西の方の神社は征服が早かったから完成されちゃっていて、なかなか御神体と出会えないけど、東北のほうはその締め付けが徹底されていなくて、最後の頃まで抵抗した部分があるために、最初の信仰の対象にあったものが、むき出しに残っていた。管理する人もいないような荒れ果てた祠でご神体と一緒に夜を過ごしたりさせてもらった。巨大な岩とか、アメリカ・インディアンの人だったら、これを神社と呼ぶだろうなと思うようなものがあるのだよね。それが西の方の神社では、御神体の岩石や湧き水の上にこれみよがしな神社を建てたりして隠しているから秘密にされている。でも本当は直接神秘的な力の存在と話せなきゃいけないのよ。

なんで自分の言葉を伝えるのに特殊な言語を使う人を間に入れなきゃいけないの? そこに煙草でも花でも食べものでも捧げて三日三晩過ごしてみることのほうが本質的には重要かもしれないじゃない。神社へ行って賽銭投げてパンパンって柏手打っておしまい。それで本当にその土地のスピリットと話ができたの? 日本列島の神様は、どうして縄で縛られてるの? 神社っていうのは座敷牢じゃないの? 格子戸というのは構造上、牢屋の中から見た世界とよく似ている世界だよね。僕は東北を旅行して「あれはスピリットの牢屋じゃないか?」と見たわけ。

スピリットと出会う

Kitayama Kohei :宗教というものが、どのように作られて、人間に対して何をしてきたのか? 時空間を旅するときにそれは注意しなきゃいけないところだよね。「スピリットとは何か?」とかいう疑問がわいて、そのとき初めてスピリットがどういう扱いをされてきたか見えてくる。それを探すための旅を十代、二十代のときにする必要があると思うわけよ。

Spectator:そのスピリットに触れる旅に今の僕らの関心は向いている気がします。日本を旅していると神社や寺に足を運ぶ機会が多いのですが、それが元来どんな意味を持つのが知りたい欲求に駆られることも多いのです。
Kitayama Kohei :僕が東北を薦める理由は、そこなわけ。すべての神社のなかでも西へ行けば行くほどガードが固くなる。神主さんというのは本来「向うの世界」へのゲート・キーパーなわけだけど、自然が厳しいとゲート・キープも大変だから、東北には神主さんすらいない神社もたくさんある。逆に西へ行けば行くほどゲート・キーピングも強固になってくる。「御神体に触るなんて、とんでもない!」みたいな神社もいっぱいあるわけ。京都なんて見事なものだよね。かろうじて触れられるのは熊野の山の中ぐらい。それは日本の歴史と密接に関係していて、先住民的な抵抗が強かったエリアのほうが、神道も仏教も表面的にしか入れなかったところが多く残っているわけだよ。

Spectator:ということは神道や仏教が伝えられる前の日本列島には、鳥居も神社もなかったのですか?
Kitayama Kohei :なかったと思うよ。たとえば岩とか木とか、滝であったり巨大な穴であったり。

Spectator:それに向かって祈っていた?
Kitayama Kohei :そう。そこで直接祈っていた。というより会話をしていた。人間はスピリットと直接話しをすることができるんだから。我々は、その能力を失っちゃったわけだよ。その能力を回復する必要があるよね。そのためには先ず自然の中に身を置くことが重要なわけよ。ただ街でブっとんでいるだけじゃなくて、ストーンするならそういうところでストーンする。そのことによって観察力がすごく増す。河原の石が全て違って見えるくらいまで見なきゃいけない。森の中に入って木の一本一本、葉っぱ一枚一枚が全部違って見えると認識するようになるまで、そこに通わなきゃいけないわけ。自然の中に同じものが二つとして存在しないということを確信しないといけないんだよ。どんな石だって葉っぱだって同じものは二つとしてない。その違いがはっきりと見えたときに初めて自分が話しかける相手が見える。スピリットが見える。ただの石とか、ただの木って言っている段階ではスピリットは見えない。スピリットが見えるようになるためには、そこを見て、見て、見て、全部が違って見えたときに初めて、自分はこの存在に向かって話をしているんだというものが見えるわけだよ。それには学習だよね、個に対する学習。学校では絶対に教えてくれない。しかもスピリットとの話しかたみたいな本が何冊あろうと学べないのよ。部族社会だと、それを年寄りとかメディスンマンとか、そういう人が非常に早い時期から子供達にそのことを教えていくわけだよ。

Spectator:それにはヴィジョン・クエストのような体験をする必要があるということでしょうか?
Kitayama Kohei :ヴィジョン・クエストというよりも、自然の中に一人でいる時間を重ねていくことだよね。自然のなかに一人でいることを恐れない。自然の中には危険がいっぱいあると思っている人達が大勢いるよね。これには大きな誤解があって。アメリカ・インディアンの人から言われたのは「自分が入っていく自然を神聖なものとして取り扱うことができれば危険は一切ない」ということ。熊と出会えば熊を神聖なものとして扱う。ヘビと出会えばヘビを神聖なものとして扱う。そこで起こっているあらゆることを聖なるものとして認識できれば、そこに危険はないわけ。そこにあるもの全てだよ。そうじゃないものが少しでも入ってきたときに危険なことが起こる。そのためには何が聖なるものかを知る準備を早い時期から始めておく必要があるんだよ。本当は親が子供に伝えなきゃいけないことなんだけど、僕たちは自然に学ばなきゃいけなかったことを一切学ばされずに育ってきているから、自然や聖なるものの扱い方を間違える可能性が強い。勉強しなきゃいけないことだよね。10年かかるかも知れないし、20年かかるかも知れないけれど。それを聖なるものとして扱うことができなかった結果は何十年経とうと、どこかで出てくるから。

神社に行って聖なるものが見えたときに初めて、それに向かって直接会話をすることが可能になる。自分と、その土地のスピリットとの関係が出来上がる。そこからがネイティヴとしての旅の始まりで、それが本当の巡礼の旅だよね。その土地のネイティヴになれて初めて、その土地とスピリットをつないだ人間になれる。それができなければ何千年経とうと、「日本人」にはなれても「日本列島に住む普通の人」にはなれない。半分しか完成されていない、常に半人前の人間のままい続けるということだよね。人間として完成されるためには、その土地のスピリットと出会わなければいけない。出会って、スピリットから学ばないと人間にはなれない。

アメリカ・インディアンは、よく「自分たちは普通の人間である」ということを言うよね。そう呼ばれるのがいちばん嬉しいと。アイヌという言葉が「人間」を意味するように、先住民の多くは自分のことを「地球に生きる普通の人」と考えている。人間であるというのは、そういうことで。「あなた誰?」と言われて「私は日本人です」と答えている限りは半分しか出来上がっていないということだよね。生まれてから「良い日本人であれ」と教育され続けて育ってきた人が、この「地球に生きる人」という感覚を取り戻すのは至難の技だけど、本当の人間になるために僕たちは巡礼の旅をして、スピリットのあるところまで行かなければいけない。そしてスピリットから直接話を聞いてこなくてはならない。しかも、それをやるには最終的には独りじゃなきゃいけないのさ。ヴィジョン・クエストと同じで、誰かがそばにいて出来ることじゃないんだよ。独り対スピリットの関係のなかで初めて、特殊なことが起こるわけ。

自分の場所を持つ

Spectator:特殊なこと…。
Kitayama Kohei :誰かが一緒に行っていたら、それはいつまで経っても起こらない。独りになるのを恐れないということを、ネイティヴの世界では子供たちに徹底してそれを教える。14、5歳までは甘やかされて育つけれども、15、6になると独りになるということを教え始める。四日四晩をここで過ごしなさい、みたいな場所があって、そこでは色んなことが起こるわけだよ。それが何かということを、その子に教える係の人が必ずいる。僕たちの世代は大学を出るまで独りになるなんてことはできないからね。ある時期、そういうことができるようになったときに、自分がそこでどうやって生き延びるかっていうことの最低の知識くらいは予め勉強しなきゃいけない。どういう植物があるかとか、どこに水があるとか、人間は何日間ぐらい食べなくて大丈夫なのかとか。そういうことを知った上で独りになる体験を進めないと。日本人は独りになることを恐れすぎているんだと思う。神事(カミゴト)っていうのは1対スピリットなの。正月に沢山の人達とお参りに行くことが神事じゃないんだよ。

Spectator:その場所は、どのようにして探せば良いのですか?
Kitayama Kohei :自分がそこにいて、本当に居心地が良いかどうか。それを基準に判断するしかないわけよ。たとえば、ある場所を自分で見つけたとするよね。そこに10年後あるいは20年後に帰ってきたときに、最初にその場所を見つけたのと同じ風景が、そのまま残っているかどうかということが重要なんだよ。その場所に何度も通って、その場所を知っていく作業が先ずあるよね。そこで四日間過ごしてみるとか。東西南北にはどういう世界が見えていて、どこに、どういう木が生えていてというのを全部身体に憶えさせる。世界のどこにいても、東西南北にあわせて座って目をつぶれば、その場所の光景が歴然として現れるくらいまで身体に憶えさせるわけ。そこに自分がそこに来たという証拠を、そこにあるものを使って残しておく。建物を建てろといってるんじゃないよ。石でメディスン・ホイールを作るのでも良いよ。例えば36個の石で輪を作って、その中心に座ってみて気持ちが良い場所を作ってみるとする。その二年後に同じ場所に行って同じことをやり、今度は一週間滞在してみる。キャンプの道具を持って行って、その周りで生活して、そこをきれいにして、また何ごともなかったように出てきて、二年経ってまた行ってみる…そうやって何度か通うことによって、その場所が自分の身体に入ってくるよね。たとえ生活する環境が変わって遠くへ行っちゃったとしても、同じ場所に行ったら20年前に自分が作った石の輪がそこにあって、全く昔と変わらない光景がある。そのときに初めて、自分がこの二十年間何をやってきたのか鏡を見るようにはっきり見える。そんな場所が必要なわけだよ。アメリカの砂漠のなかには20年経っても変わらないと確信を持てるような場所がいっぱいあるわけ。アメリカじゃなくても良いよ。ただ、日本でそういう場所を探すのは至難の技だよね。日本の場合は必ず誰か、その土地の所有者がいたりするから。たとえば富士山のなかでそのような場所を見つけたとしても、四ヶ月後に行ったらブルドーザーが走っていて、気づいたらその上をブンブン自動車が走っていたというように。自分の場所を見つけようとすると、ある種の絶望感を必ず味わわざるを得ない状況がある。御神体だからと言って安心していられない。日本はスピリットを極めてラディカルに扱って変形させていく国だから。

森はどこへ消えた?

Spectator:日本列島には本来の自然というものは数パーセントしか残っていないとブログで書かれていましたよね。
Kitayama Kohei :森ね。今の日本に残っている森は、ほとんどが人工林だから。北カリフォルニアに巨大なレッドウッドの森があるでしょう。その中に入っていくと自分が小人になったような錯覚をする。それくらい巨大な木が日本列島にはいっぱいあったんだって。かつて山尾三省さんが聖老人と呼んだ木だよね。それが、開発が始まってから500年ぐらいの間に全部なくなったわけ。それは何に使われたかというと、神社仏閣と建物を作るためだよね。巨大建築に対する信仰というのが文明と一緒に入ってきたから。いまだに「御柱祭」と言って、デカい木を切り倒して伊勢神宮を作るのに使わせるっていうのをやらせているじゃない? あれも悲しい祭りだよね。

Spectator:悲しい祭ですね。
Kitayama Kohei :縄文の名残りをとどめる祭りだと言われている。儀式があって、いちおうスピリチュアルな体裁は整っているんだけど、悲しい祭だよね、聖老人としての木を切り倒すって。七、八百年前に、そうやって日本列島から木が消えて無くなっていた可能性が強いよね。

Spectator:神社仏閣のシステムが日本から自然を抹消させたということですか?
Kitayama Kohei :ある意味ではね。その神社仏閣のシステムが今になってみれば辛うじて最後の自然を保っているということだよね。スピリットというものを、どうやってゆっくり殺すか。頭を使った人達がいたんじゃない? もしも今の世界が、「始まりがあって終わりがある世界」なんだとしたら、その前の世界に還るときに、自分達のなかに聖なるものをどうしたら回復できるかが問われ始めると思うんだよね。だって自分達の周りから消えたわけだから。
マリファナという神聖な薬草との接し方ひとつとってみても、われわれはそれにふさわしい扱いをしているか? それに対する扱いや見方は間違っていないのか? それは神聖なものである限り、神聖なものとして扱わなければ因果応報じゃないけど何かが巡り巡ってくる。その意味でも、世界の先住民の世界の見方や考え方を勉強するのって、すごく役に立つと思うわけ。

時代は変わる

Kitayama Kohei :基本的に言っていることは70年代から同じなんだよね。リアリティがともなっているかは、ともかくとして。ただ、時代は変わってきた。あの時代は四方敵ばっかりっていう感じだったけれど、敵ばかりではない時代が来た気はするね。でも、本当に時代は変わってくるのかな? 間に合えばいいなっていう感覚があるけどね。日本列島から自然が全部無くなる日が先に来ちゃうんじゃないかという恐怖があるんだよ。ここで起こっていることは、六ヶ所も先住民の問題も、差別の問題も含めて、世界から見ると異常に見えると思う。世界には日本なんて無くても困らないという人たちが大勢いる。このままいくと無くなったほうが良いという選択をされることだってありうるんだから。そうならないためにも、もう少し自然と向かい合うという価値観を回復していかないとね。リュックサック持って旅に出るっていうことが、そう簡単に出来ない国になっちゃったわけじゃない? ふらっと旅に出て、知らない人の家に泊めてもらいながら旅ができたのは70年代ぐらいが最後だよね。最近は、違うでしょう。どこに泊まるかっていうのも全部決まっているわけでしょう。九州で、旅して歩いている人と出会った?

Spectator:自転車で旅している若い子たちは見かけましたけど。
Kitayama Kohei :それは昔からいたんだよ。自転車で富士山を登ってみるとか、日本を縦断してみるとか、ある種の目的を持って旅をするタイプ。そうじゃなくて、例えばバックパック背負って何ヶ月かかけて人の家をブラブラ訪ねていって、お話して手伝って…要するに「食客」というやつだよね。屋根の修理なんかしながら仲良くなって、また次のところへ行くというような、そんな旅をして九州にたどり着いたような人とは出会わなかった?

Spectator:いえ、出会いませんでした。
Kitayama Kohei :やっぱり距離が遠いんだよね。そういう人達との間の距離が。最初に言ったように500マイル旅しないと出会えないくらいの距離だから。それが400マイルになって、100マイルになって、全ての街にそういう人達が住む時代になれば、状況は変わるかも知れないけど。
60年代頃はヒッピーのような連中がコミューンを作って、二十代のある時期を田舎で過ごし、そこで農業を勉強して、自立する方法を探していくというようなことをやっているわけだけど、今はそういうことすらしなくなっている感じがするんだよね。〈レインボー〉みたいな祭りに行ってみると、キレイになったヒッピーは大勢いるわけ。お洒落で、かわいい女の子を連れて昔風のファッションをしている。けれども、その子達がそういう生き方にまで至るかというと、まだ道が遠い。あの時代はサンフランシスコの山に行っちゃえば、そういうのを学べるような場所があって、そういうところでコミューンの作りかたを勉強した人達とかがいたけど、最近はいなくなっちゃっているじゃない。

Spectator:そうですね。ほんの一部の人達に限られている。
Kitayama Kohei :60年代のヒッピーがどんな生活を送ってきたのか。コミューンの生活で何を得て、何を失って、どうやって世界中を旅して来たのか。その過程が重要なわけで。あの動きは、原点に返れば40年代末のビートニクから始まって、リュックサック一つで世界中を旅して回って、何事かを学び、みんなを幸せにし、教えを広め、まるで雲水のような生活をしていた連中がいたんだよね。奔放で快活で、ある意味ストイックに自分は一体何者かを探す努力を常にして。20〜30年経って自分がホームといえるところに帰って、そこでもう一度やりなおすという作業をしていた。アメリカ・インディアン流にいうと、みなメディスン・ホイールの上を旅していたわけだよね。東西南北をぐるりと旅して、世界の見え方を学んでいつかは帰るべきところへ帰り、そのあいだに見たり聞いたり学んだことを次の世代に伝えてゆく。それは当たり前のことだけど、この国ではそういう生き方が可能だと言うことが無視され続け、きちんと伝えられてこなかった。

Spectator:僕らは今ようやく、そういう旅を始められるんじゃないかと思っているんです。新しい意識を持った連中が、この国にも増えて、70年代が今ようやく始まった感があるというか。
Kitayama Kohei :20年くらい遅れて、やっとね。ただ、聖なるモノが身のまわりから完璧に無くなりつつある今の状況の中で、それをもう一度復活させるという作業は恐ろしく大変なことだと思うよ。みんなが考えている以上にね。でも、いつか誰かが、どこかで始めないと永遠に失ったままになってしまうからね。取り戻す作業をしたいよね。原発の問題にしたって、核の問題にしたって、真剣に考えたことなんかない人の方が多いんだから。気づいたら六ヶ所だって出来ちゃって、動いちゃっているわけだよ。

地球とつながる場所

Kitayama Kohei :ローリング・サンダーやスー族のメディスンマンも良く言っていたのが「国家というのは、大地の上に敷かれた絨毯だ」ということ。絨毯をまくりあげると、その下には手つかずの自然が残っていて、死んでいったバッファローたちが姿をあらわすと、アメリカ・インディアンの人たちは言うわけだよ。僕たちもゴーストダンスじゃないけれども、日本という絨毯の下にあるものに、もう一度触って、その声を聞いて、その上にあるものと下にあるものを繋ぐ作業をしないといけないと思うんだ。この千数百年間のあいだに失われたものを取り戻すのは至難の技。でもそれをやらないと、本当に自然が全く無くなる可能性がある。ただでさえ日本にはないんだから。自然の声を聞く世代なんて生まれてこないよ。「美しい日本」って言ったときには、美しい絨毯の話をしているんであって、その絨毯の下にあるものの美しさの話はしていないんだよ。この国にはゴーストダンスみたいなものが起こったことがない代わりに、「ええじゃないか」みたいなものが二百年に一ぺんとか起こっているわけだけれど、ヴィジョンがともなっていないところが悲劇的なものであって。その下にあるものに触ろうという運動を、旅を続けていくなかで見つけることができれば良いと思うんだよね。そのための旅をして欲しいと思うし。でも、この国には、それをブロックするための力が働いているから。道路で旅するのに金がかかるし、電車で旅するのにも金がかかる。オーストラリア往復が6万円の時代に九州に行って帰ってくるのに、いったいいくらかかるのよ? というくらいのお金をとるわけじゃない。ヒッチハイクもままならないような時代になっちゃってさ。

Spectator:けれども、だからってオーストラリアに行けばいいのかっていうと違う気がするんです。日本の絨毯の下にあるものを見てみたい。
Kitayama Kohei :それには、まず自分がどこで地球とつながっているかという接点を持つ必要があるよね。それを持って初めて絨毯の下のことに興味を持つのは分かるけれども、捲りあげたは良いけれど、地球が本当に病気になって、息も絶え絶えで、こういうことを伝えてくれって言っているのに、その言葉を理解できないということもあり得るわけじゃない。そのことだけに満足しちゃって、絨毯をめくった、めくった、みたいなことを世界に言いふらしたって、それはあまり意味のある行為じゃないかも知れない。何を伝えようとしているか。理解する耳とハートを持ってそこへ行かないと。そのための準備として、自分がここで地球とつながっていると確信をもって言える場所を、まず一ヶ所持つことだよね。それが日本で無理だったら、中国に行くなり、ロシアに行くなり、アメリカに行くなり、アフリカでもどこでも良いから、そういう場所を探しに行く旅をまず一度やって、自分だけのセンターポイントを先ず見つけて、そこから時空を辿る旅を始めないと。縦横の両方に向かっての旅というものがあって初めて球体が完成する。ヘッドの旅ではなくてハートの旅にしてほしいわけ、どうせやるんであれば。

絨毯の下の真実

Kitayama Kohei :日本列島が縄文時代だった頃に日本というものは無かった。当然日本人もいなかった。僕は基本的な概念として、日本人というものは存在しないと思っている。アメリカ人というものがもともとはいないように、日本人もいなかった。あるとき、その絨毯の上に乗っかっている人を日本人と呼ぶと言い始めた勢力がいて、乗りたくない人は滅ぼしちゃったのかも知れないし、差別を巧みに操ることで、いてもいないようにしてきた。日本国は、日本という絨毯を維持するために日本人じゃない人を常に必要としているみたいなところがある。「日本人じゃない奴」をどうやってコントロールするかということにおいて、日本は差別というものを使ってきたんだよ。「あいつは日本人じゃない」って指でさせる人間が、長いことそこにいる必要があった。だから明治時代になるまで戸籍にのったことがない人が数万から数十万人いたわけ。

Spectator:それは例えば山窩(サンカ)と呼ばれた人達ですか?
Kitayama Kohei :山窩なんて生やさしいものじゃない。山窩というのは最近になって作られた概念なわけであって。不定住の遊民であったり、もっと端的に言ってしまえば穢多(エタ)、非人(ヒニン)だよね。この人達は一体なんだったのかということが、これまでほとんど検証されていないし、戦後世代には知らされていない。物理的には死体の処理とか、お墓の埋葬をさせられてきた人達だけど、精神的に「日本人じゃないと、ああなりますよ」という見本を常に目に見える形で置いておく必要があったんだろうと思う。「そんなことやるヤツは、日本人じゃねぇよ」って言い方をする人達がいまだにいるよね。それは日本というシステムが、常に差別をシステムの維持のために使ってきたからでね。この国では差別というものが当たり前のものとして歴史の始まりからあり続けているわけ。今の日本は差別があるにも関わらず、国際関係上問題があるから「無い」と言っているけど、親や政府が使う言葉の端々に歴然と差別がある。この差別が無意識のうちに世代を超えて伝わっていっているわけだよね。あらゆるイジメとか、そういうものの原因も、その最初の差別と密接に関係している。アイヌの人たちにたいする差別もふくめてね。これは突き詰めていくと「自然なるもの」に対する差別というのが一番近いかも知れない。

アメリカ・インディアンの所にいたときに、アメリカ・インディアンというのは被差別民族だということに気がついた。いくら美しい話をしても彼らはアメリカのマジョリティにとっては被差別民族に過ぎないわけだよ。そもそもインディアンという呼び名がそうだからね。国家というのは、そういうものを常に必要としているのよ。

差別される側から日本というものを見直した歴史を作ってみる必要があると思って『ネイティブタイム』という本をまとめたんだけど、あれは差別された側、自然の側から見た日本列島史なわけ。差別の歴史から日本の歴史を見直すと、また違う日本という姿が見えてくるんだよ。(日本は被差別民族を)「平民」というかたちで明治になってようやく組み込んだけれど、それで差別が消えたわけじゃない。厳然として残り続けてる。千年以上続いた差別が簡単に消えるとは思えない。関西のほうへ行けば行くほど差別がキツくなっていく。そんな理由もあって、僕は関西から九州のほうへ行くのはあまり好きじゃないわけ。言葉の使い方自体にもそれを含んでいるし、差別を是認したかたちで出来上がった価値観だから旅するたびにケツがムズかゆくなるのね。東北の人達は差別に対して鈍感だって良く言われるんだよ。それは都の人たちにとっては、そこが全部が部落だったから。それが東北に部落が少ない理由なんだよ。部落問題って、きちっと見なおさなきゃいけないんだよ。部落はどうやってできたのかということだって、きちっと歴史を見ていけばわかるのに、それを例えば「江戸時代の産物」だとか「身分制度」というところで押しとどめちゃいけないと思うわけ。新しい生き方をしようとしてコロニーというかプランテーションを作ろうとした人達が領土を拡大する過程のなかで、そこにいた人達を集団で移住させて、自分達の土地のなかに囲い込んだんだよ。だから関西、中国、四国、九州に部落が圧倒的に多いわけ。それは半ば強制連行や強制移住させられた人達の末裔だよね。その人達に動物の屍骸の処理とか墓守とかを全部やらせていた。この仕事が中世になると弓矢や武具を扱う軍需産業に転嫁していく。動物の革で鎧や紐を作ったり、武器の修復を請け負ったり。それらの仕事は、おそらく先住民的な血を引き受けた人達がやっていたんだよ。そういう人達を軍需産業として囲い込むわけ。だから源氏が動いた土地には必ず部落があるんだよ。源氏が戦争に出かけるときは部落ごと連れて移動したから。

Spectator:…う〜ん。
Kitayama Kohei :日本の歴史を勉強するって実はヘヴィなわけよ。ヘヴィだけれど、その部分を避けると見えなくなっちゃう。源氏や平家や公家や皇家が軍需産業を必要としているというところまでは、みんな理解するんだけど、じゃあ、その軍需産業って一体なんだったの? っていうと、中世の歴史のなかで、そういうことをやらされていた人達がいたということだよね。公家さんも自分達が戦をしなきゃいけないときには、そういう職能を持った人達を必要としたわけで。だから京都、大阪、奈良っていうのは圧倒的に部落が多いわけよ。この部落問題を解決しようと思ったら、日本をひっくりかえさなきゃいけないくらいの問題なんだね。だからとりあえずは「差別は無くなったんだ」ということにして覆い隠そうとしているわけで。

この国のイジメも同じ構造上で起こっている。すべては、この国には先住民なんかいなかったというような歴史の捏造のもとに始まっている。日本人が最初からいて、ずっと日本人なんだよっていうことを歴史で教えようとしているけれど、それは嘘なんだよね。日本人なんていなかったということから始まれば、自分達が何をやってきたのかを考えるきっかけになるんだけど、日本人は最初からいたとか、縄文人は日本人だったみたいなことを言っちゃうから、それを正統化していくための理由が必要になってくる。そもそもの歴史の始まりに嘘があるという悲劇だよね、この国があらかじめ持っている悲劇。だから僕たちは日本という絨毯が敷かれた日本列島を旅するなかで、スピリットから直接話を聞き、自分達のスピリットが納得するような歴史の見方というものを学び、自分達の子供にもそれを教育し始める必要があるんだと思う。学校は絨毯の上の問題しか扱っていないから自然の問題も扱えない。自然の問題も深くやれば「不都合な真実」も、いっぱいあるわけだよ。都合の良い真実だけで生きるには、「美しい国」っていうところで止めておかなきゃいけないわけだよ。

偉大なる目覚めの日

Kitayama Kohei :でも、いつかそんな「美しい国」も終わるんだと思う。なぜなら、それは始まりがあったから。いつ終わるっていうことは言えないけど、始まりがあったものは必ず終わるんだよ。アメリカも終わる。そして、もともとの「始まりもなければ終わりもない世界」へ、もう一度帰っていく。まっさらな自然というか、大地や海洋のよみがえり。それがたぶん全地球規模で起こるんだと思う。文明というものが何らかのかたちで終わろうとしている。その次に起こることが、すごく大きなカタストロフィであることを先住民の人たちはみんなうすうす感じているわけだよね。これだけ母親としての地球を痛めつけてきたわけだから、それに対するしっぺ返しって凄く大きいだろうって。そのときに慌てず、少しでも被害を少なくするための準備を僕たちは始めなければいけないよね。
ほんとうは日本列島というものを見たりするだけでもそういうことが解るんだけど、日本という絨毯の下にあるものに触れるということが、なかなかこの国ではできないから。それをしていくには、やっぱり自分で旅をするしかないよね。例えば東北にある巨大な石に捧げものをして、その場で三日間を過ごし、その石から話を聞く。インディアンには石から聞いた話っていうのがいっぱい伝えられているわけだよ。あらゆるものが記憶装置だし、石なんか最大の記憶装置だからね。石の話した歴史というものを聞くジェネレーションが生まれてくれば、日本列島で何が起こったのかを話して伝えられる存在も再び現れる。文字で書かれたものじゃなくてね。それってすごくスピリチュアルなことで、しかも今流行りのスピリチュアルではなくて、次元の違うスピリチュアリティを必要としている。天草四郎の生まれ変わりとか、そういうレベルの問題ではなくて、個とスピリットの関係をはっきりと作りあげる必要があるんだよ。それにはハートで石の話を聞き、木の話を聞けば良いだけなんだけど、自分じゃなくて歴史上の誰かが生まれかわってそれを聞いているというように理解すれば、そこにはバイアスがかかるわけよ。素直に石の話を聞くという人のハートが必要なんであって、そういう意味でのスピリチュアリティの時代なんだと思うわけ。それがいつのまにか低俗な霊的なものへ移し替えられていってしまうと悲劇が起こる。それは偉大なる目覚めのときではないわけよ。本当にグレイト・アウェイキング・デイ(偉大な覚醒の時)が来て、「日本列島に生きる普通の人」とは何かっていうことを、きちっと知った世代が現れるのを僕は期待しているけどね。「日本人」として世界を見るんじゃなくて、「地球に生きる人」として世界を見る世代。そういう人達が出現してくる日のために、そろそろ準備を始めたほうが良いんじゃないかという気がするんだよ。僕たちは、そのための教育をやってきたわけだし、種はすでに蒔かれていると思う。そういう人達が発動したときに、また同じように「あんなことをやっているのは日本人じゃない」とかいう発想のもとに切り捨てて、どこかに閉じ込めちゃうとかいう事態だけは避けたいよね。この国は、そういう人達を、ともすると病院や牢屋などに押し込めるということを、平気で行う国だから。

電気を止める世代

Kitayama Kohei :僕が旅したときの東北には、まだ自然がむき出しで残っていたけれど、それは六ヶ所ができるまでであって。今の東北を旅すると、見たくないものを、たくさん見なきゃいけないかも知れない。六ヶ所が果たしている役割というのは、象徴的に、ある意味スピリットのジェノサイド(大量殺人)みたいな部分があるから。僕が東北を長く旅して回ったのは〈むつ〉という原子力船を陸奥港につけるかどうかで反対闘争が起こっていた時期で、まだ六ヶ所っていうのは机上の計画で、海をこれほど汚したりすることが現実に起こる前だから。

Spectator:僕も映画(『六ヶ所村ラプソディ』)を見て初めて知りました。あんなことが起こっているなんて。
Kitayama Kohei :そうでしょう。あれが出口だからね。

Spectator:出口…?
Kitayama Kohei :ニュークリアの鎖の輪の入り口のところには必ず先住民がいるからね。いまぼくたちの国の日本は世界の少数民族の土地から採掘されたウラニウムを使って電気をおこしているわけ。真ん中の美味しいところだけを自分達のモノにしておいて、マズい部分をどこかに押しつけるわけにはいかないのであって。その部分は、いつか必ず自分たちに帰ってくるわけだから。「どうせ私たちは死んじゃうから、この土地がどうなってもいいや」って感覚で土地を売っちゃった人が大勢いる。いつの時代でもそうなんだよ。そういうサイクルを終わらせなきゃいけない時がきてるんだけど、どうやって終わらせるかという手続きが、なかなかできない。本当に「ラプソディ」だよね。ほんとは、みんなに六ヶ所ができる前の青森を見て欲しかったと僕は思うわけ。東北縦貫自動車道も新幹線もない、三内丸山の遺跡も見つかっていなかった時代の青森をね。青森が最後の土地だったんだよ。本州の中で一番神聖な場所だと思っていたの。そこに核燃みたいなモノが作られて。終わらせたからといっても終わるものじゃなく、「なくならないモノ」として対応していかなきゃいけない状況にまで追い込まれてしまっている。

アメリカ・インディアンの年寄りが良く言っていたのが「電気を止める世代が必ず現れる」というこということだよね。彼らは高圧線の鉄塔のことを冗談めかして「白人の神」と呼ぶんだ。実際遠くから見ると高圧線の鉄塔は鉄の人間のように紐でつながれて並んでいる。白人の神を信仰する大人たちは怖くて電気を止められないだろうけど、子供たちの世代のなかから喜んで止める者たちが現れるだろうって。僕もそう思うわけ。ビクビクしながら「これで電気が消えたらどうしよう?」って思う世代ばかりじゃなくて、それを「平気だよ!」って楽しみとしてやれる世代を作らなきゃいけない。進んで電気を消す世代を作ることが、今こういう動きをやっている人たちの大きなテーマになると思う。そういう世代が現れない限り、この文明のバッド・トリップを終わらせることができないから。そうしないと、出口と入り口のところで被害をこうむっている人たちがいる核の連鎖(ニュークリア・チェーン)を断ち切ることができないんだよ。核の平和利用なんてはじめからまやかしなのだから、日本なんて世界に先駆けて、それをやる国になればいいと思うんだけれどね。もともとインディアンみたいな人たちが作った国なんだからさ。科学立国というのならば、電気がなければ使えないものばかりを作るんじゃなくて、太陽熱のような、いわゆるマイクロ・エネルギーで動くようなコンピューターを作ったりして欲しいんだよな。地球をもとに戻すためのもうひとつの技術とか。そういうヴィジョンがないと、生きていて楽しい国にならないじゃない? この惑星の人間たちに対して胸張って生きられるような価値観を、そろそろぼくたちの国は創出しないとね。

日本のなかで育つことは、とりもなおさず惑星「地球」のうえで生きていくことに他ならないのだ。
(『宝島』1976年5月「日本のなかで育つには」)
■終了■

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Comments

一時期下北半島が幽霊のメッカ的な扱いを受けてましたが、それはあながち誇張ではないようですね。ネイティブ的なものを恐れた(恐山?)人々の心理がそういう化け物を作り出したのかなあとちょっと思いました。

仙台以北には行ったことがないのであくまで想像ですが。

ところで、いわゆるヤクザとか暴力団とか呼ばれている人々のルーツは、ネイティブ的なものに関係してはいないのでしょうか?最近それが気になっていて、かといって直に接するのはちと怖いし(笑)、触りたくても触れない領域であります。あの暴力性は実はとても大事なものなんじゃないか、いわゆる「フツーの」人々が放棄したものを一手に請け負っているんじゃないかという気がしています。

何にせよ、「怖い/恐い」と思われているものは、違った世界への入り口のようですね。

Posted by: がんちゃん | Tuesday, May 13, 2008 at 01:50 AM

がんちゃん

どうも

警察とヤクザは政治力学の構造上は同じものかもしれないね。持ちつ持たれつの関係だし。江戸時代はヤクザが警察だったようだし。

「怖い・恐い」と思われているものが別世界の入口というよりは、その怖さのリアリティを知ることが別世界の入口なんだろうね。恐いというものに出来るだけ近づいてその本質を見ることがさ。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Friday, May 16, 2008 at 10:13 AM

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