昨年の夏に刊行された雑誌のスペクテイター vol.17 特集「日本放浪旅〜VAGABONDING IN JAPAN〜」所収の小生のインタビューを、あらためて同誌編集長の青野氏に許可を得ることができたので、当ブログが4年目の今月に100万アクセスを通過した記念として、ここに全文をそのまま一挙掲載しておきます。長文ですので、覚悟を決めて時間があるときにでもお読みくだされば幸いです。なおすでにお読みの方はスルーしてください。
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長い旅の話をさせてください(Native Heart, Thursday, May 24, 2007)
地球の上で生きるとは
日本国内を長い時間をかけて旅しながら、行く先々の土地のことを理解しようと考えるなら、地図と一緒に携えていくべき欠かせないもののひとつに「歴史に対する認識」が挙げられる。たどりついた先で出会った人々の暮らしや建物が、どのような時間や経緯を経て、その地に存在するに至ったか。それを知るのと知らないのとでは、旅の中味も景色の見え方さえも違ってくるし思うからだ。ところが、学校で習った日本史を手がかりに日本を理解しようとしても、わからないことだらけなのは何故だろう?
今回、九州を車で旅してみて改めて実感したことの一つが、この国には創世にまつわる異なる神話というものが存在し、そのいずれかが日本の起源という仮定のもとに国家というものが存在しているという事実だった。僕たちは、自分たちが暮すこの国の起源については極めて曖昧な情報しか持たされていないのだ。
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あらゆるものや情報の移動が容易に可能となり、全ての局面において地球規模での思考が求められる時代に生きる僕たちは、新しい枠組みで国家や世界というものを捉え直していかなければならない。「グローバルに思考し、ローカルに活動する」というのは、バックミンスター・フラーの教えだが、その第一歩として、まずは一切の偏見やコダワリを捨て、足下に広がる「日本と呼ばれる土地」の成り立ちについて理解することから、新しい旅を始めるべきではないか? 願わくば僕たちを真実へと導いてくれる賢者の教えを携えながら…。そう思いたって、真っ先に頭に浮かんできたのが北山耕平さんだった。
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ロングセラーとなった『ネイティブ・マインド』、『ネイティブ・タイム』(ともに地湧社刊)をはじめ『虹の戦士』(河出書房新社刊)『ローリング・サンダー』(平河出版社刊)『自然のレッスン』(太田出版刊)など、数多くの著書や訳書を持ち、先住民族の文化や歴史を口承で伝えるストーリーテラーとしても活動されている北山さんの名前を知る読者も少なくないだろう。
北山耕平さんは1949年、神奈川県生まれ。大学在学中に片岡義男氏との出会いをきっかけに雑誌『ワンダーランド』に編集部員として参加、75年からは約1年半に渡り『宝島』四代目編集長を歴任され、その後は『別冊宝島』『GORO』、『Bepal』、『写楽』、『ポパイ』など、日本のサブカルチャー史を語るうえで欠かせない数多くの雑誌に編集や執筆というかたちで参加されている。
76年に渡米し、その旅の途上でチェロキー出身のメディスンマンであるローリング・サンダーと出会ったのをきっかけに、環太平洋の先住民族とその精神世界の探求を現在も続けられている。
最近の活動は三年以上に渡って日々更新され続けているブログに詳しい。「NATIVE HEART」と名付けられたこのブログは、ネイティブ・ピープルとその文化にまつわる情報を体系的に網羅した、いわば電子版『ホールアース・カタログ』とでも言うべきもので、地球の上でバランスを保って生きるための知恵と心構えを授けてくれる貴重な情報源として目を通すのが僕の日課になっている。
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僕が北山耕平さんの存在を強く意識するようになったのは、今から10年ほど前、たまたま古本で入手したペーパーバック・サイズの『宝島』という雑誌に掲載された『ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ』という記事がきっかけだった。サリンジャーというアメリカの作家が書いた小説『ライ麦畑でつかまえて』とビートルズを題材に書かれた、シティ・ボーイ世代によるマニフェストとも言える独白調の文章に、僕の脳ミソは大きく揺さぶられた。
「平凡な人間」とは、ぼくに限っていうならば、けっしてその時代にそうなるのがあたりまえであったように、一流の大学を出て、一流企業につとめ、五年後には課長になり、家庭的な嫁さんをもらい、子供は二人、狭くてもマイホームを、といった、安っぽい〈マイ・ペース〉主義であろうはずがなく、それらの価値観をいっさい無視したうえでより人間的なものを求める人生が、ぼくにとっての、「普通」で「平凡」な「あたりまえ」の、だからこそより「人間的な」人生なのだった。
(『宝島』1975年1月号「シティ・ボーイ」)
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まるで楽器を奏でるように繰り出される言葉の数々は、文字によるロックンロールとでも形容したくなるようなパワーと魅力に満ちあふれ、メッセージが直接ハートに突き刺さってくる感じがした。それからというもの、暇を見つけては古本屋へ通い、中古レコードを掘り当てるような感覚で北山さんが様々な雑誌に書かれた原稿を読みふける日々を過ごすとになった。
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無目的で、しかも楽しい作業に没入しているときは、しかし意識だけははっきりと目覚めている。はっきりと目覚めた意識は、ぼくもここで生きて生活しているのだということを教えてくれるのだ!
(『ポパイ』1977年7月号「フリスビーは時間を静止させるための小さな道具だ!」)
生活を遊びにすること、ぼくはそのなかからしか新しい文化は生まれないと思います。なによりもそれをはじめようではありませんか。
(『宝島』1976年3月号 「ビューティフルアメリカ」編集後記)
日常はハイではないのか? そんなことはない。いつのまにか、得体の知れないなにものかによって、ハイではないものにされてしまったのだ。
(『宝島』1975年12月「君は石である」)
統合国家(政府+大企業)は、自らの言葉と肉体を持った人間を恐れるあまり、さまざまな手段をもちいて押しつぶしにかかるだろう.逃げてはならない。なぜなら、ぼくたちは、個人的な力の王国をつくりつつあるのだから。
(『宝島』1975年3月号「全都市カタログ」)
法律がいけないといっているものすべてが悪だときめてかかることほど、恐ろしいことはありません。なぜなら、本文中でミスタ・ナチュラルも言っていますように、法律が人間を縛るべきものではなく、人間が法律を縛るべきものだからです。
(『宝島』1975年10月号「マリワナについて陽気に考えようーーー」編集後記)
平均的人間が最高であるといった、まったく誤った考え方に支配されてしまっていると,やりたいことをやりたいようにやるひとは、異端というレッテルをべたりと貼られて、仲間はずれにされてしまう。もしも、時代を動かす基本理念として、平均的人間の創造があるのだとしたら、ぼくはそんなところからは逃げ出してやる!
(『宝島』1975年1月「気楽にいこうよ」)
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圧倒的な文章力も去ることながら、何よりも驚かされたのは書かれてから30年もの時を経ているにも関わらず、微塵も古さを感じられなかったことだ。その理由をボクなりに分析してみた結果、どれもが「地球人としての感覚」をもとに発せられた言葉だからではないかという結論に達した。それは例えば、有人宇宙船のカメラがとらえた地球の映像をテレビで見たときの印象について書かれた、こんな一文を読んでみても明らかだ。
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地球は一個の生命体であるとの確信はそのときぼくの内部に生まれた。地球が生きているからこそ、いっさいの生物は生命を保ち続けることができるのであって、生物が存在するから地球が生きているのではない。人間が地球を支配しているのでは断じてなく、およそ人間では考えられないなにものかによって地球と呼ばれる惑星は生命を吹き込まれ、その生命を維持するという同じ目的をもたされてバランスよく生物が創り出されてきたにすぎないのではないだろうか、とぼくは考えるようになった。
(『宝島』1976年5月号「日本のなかで育つには」)
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インターネットやグーグル・アースのようなメディアの出現によって世界をダイレクトに、より身近に感じられようになった今の時代を予見していたかのごとく、30年以上も前から「地球に生きる人」としての意識の重要さを問い続けてこられた北山さんなら、正しい感覚を持って日本を旅するための視座を与えてくれるに違いない。
そんな確信を持って僕たちは、ある晴れた春の日に、インタビューにのぞんだ。
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