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Saturday, May 31, 2008

写真に撮影されたアマゾン熱帯雨林の未接触部族

newsブラジルとペルーの国境近くのアマゾンの熱帯雨林のなかで「未だ文明と接触したことのない先住民の部族」が低空飛行する飛行機から写真に撮られたというニュースが飛び込んできた。すでにナショナルジオグラフィックやCNNでも公開されているが、ぼくはイギリスの新聞であるテレグラフ紙のサイトで確認した。以下の写真はブラジル国立インディアン財団(Brazil's National Indian Foundation)によって公開されたもの。

Uncontacted-Amazonian-tribe 1

Uncontacted-Amazonian-tribe 2

Uncontacted-Amazonian-tribe 3

Uncontacted-Amazonian-tribe 4

最後のシーンで全身を絵の具で赤と黒に塗ったネイティブの人たちのうち、赤く身体を塗ったふたりの戦士が、それぞれ上空にむかって矢をつがえた弓を構えているのが非常に印象的な写真だ。狙われているのはわれわれである。欲にまみれた文明社会と接触することなく、祖先伝来の前の世界の生き方を信じ、それを生きている人たちが、このように今われわれと同じ地球を共有して存在していることを知ることは驚きであると同時に、うれしくもあるが、こういう光景を目の当たりにすると「見ろよ、いまだに野蛮人がいる」と考える人もいるのだろう。「なにが野蛮か」「誰が野蛮人か」は、見る側の意識と知性の有り様によっているのだが。

部族をあげて警戒状態にあるこの一族の人たちが、今なにを思い、なにを感じているのか、しばし想像してみてください。

サバイバル・インターナショナルのディレクターであるステファン・コーリー氏の言葉を引用しておく。

「世界はこの現実を知る必要がある。そして彼らのテリトリーが国際法に基づいて保護されることを保証しなくてはならない。さもなければ、彼らはあっという間に絶滅させられてしまうだろう」

Source : Uncontacted Amazonian tribe photographedTelegraph

Source : "Uncontacted" Tribe Seen in AmazonNational Geographic News

Source : Uncontacted tribe photographed near Brazil-Peru borderSurvival International

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Friday, May 30, 2008

「ホピ」とは誰のことなのか?

rockart09ホピとは北アリゾナの沙漠のなかにあるホピの国に暮らしている人たちのことで、「平和の人」を意味し、その平和を貫く質素で精神的な生き方からすべてのアメリカ大陸先住民から一目置かれている人たちである。もちろんホピの人たちだって今の世界と無関係に暮らしているわけではない。

70年代にしばしば耳にした言葉に「ホピには3種類いる。伝統的(トラディショナル)なホピ、進歩的(プログレッシブ)なホピ、塀の上にいるホピの3種類だ」というものがあった。

ホピにとって「伝統」とは「自分たちがグレイトスピリットによってその沙漠のなかの大地に置かれたときに守るように言われ、それぞれが口頭で語り継いできた質素で精神的ないのちと大地はひとつとする聖なる謙虚な生き方」を意味する。世界のすべての人類の生存のために、人類がそれを必要とする日のために、この生き方からぶれないように自分や家族や共同体の生き方を律するのが伝統派の長老の人たちだとされてきた。

しかしホピは長い歴史のなかでいろいろなことを契機に分裂を繰り返してきた。3つのメサに分かれて暮らしているといわれるが、本来はそれぞれの村が独立した自治体だった。便利なものの到来によって生き方に意見の相違が生まれるたびに、進んでその暮らしを受け入れる進歩派の人たちと伝統派は対立して分裂し、伝統を重んじる人たちは村から出て自分たちで新しい村をつくってきた。ホピの国のなかではいちばん新しくできた村ホテビラに最も伝統的な人が集まっているのはその理由による。

現在のホピはその大半が進歩派の人たちで、伝統派のホピは片方の手で数えられるほどになってしまった。70年代は、伝統派と進歩派のホピの人たちの内部対立が最も激化し、伝統派の長老たちがまだかなり大きな力を持って、全米で起こっていたアメリカ・インディアンの権利回復運動にも影響を与えていた。ホピ部族会議という進歩派の権力をまったく認めなかった伝統派の長老たちの目が黒いうちは、塀の上でどっちつかずを決め込んで様子をうかがって、都合のいいときに都合のいい方に塀から降りていた中間派のホピの人たちもたくさんいたのだ。しかし90年代になり、21世紀に入って、伝統派の人たちが「偉大なる浄化の日」と呼ぶ日々が続くにつれて、100歳を超えてもなおかくしゃくとしていた長老たちの多くがつぎの世界に旅立たれると、長いものには巻かれろで多くのホピの人たちが進歩的生き方を是としてアメリカ人化していった。今では部族会議派の人たちはかつての伝統派の長老たちの存在をあからさまに無視し、そのようなものは存在しなかったのだとばかりの主張を展開してはばからない。

『テックヮ・イカチ』はホピの伝統派の人たちが70年代から80年代にかけて部族会議派との対立が高まるなかで、有形無形の攻撃から身を隠しながら世界に向けて発表し続けた「伝統派ポピの人たちの大地といのちの見方を世界に伝える機関誌」で、1号から44号まで刊行され、現在はそのすべてが(英語でも日本語でも)インターネットの上で読むことが出来る。『テックヮ・イカチ』はこれまでいくつかの書籍などには部分的に引用されてきたけれど、全体が一冊の書籍としてはまだ残されていない。進歩派の部族会議派はこれを徹底的に無視することになるだろう。この『テックヮ・イカチ』をなんとか伝統的なホピの生き方を学ぶために繰り返して読める教科書として、たとえ電気がなくなって世界のすべてのコンピューターが停止してもみんなの役に立つように、質素なしかし世代を超えて伝えていける形ある紙の書籍として残そうという動きが、永峰秀司(『テックヮ・イカチ』の日本語訳者)氏や辰巳玲子(ランド・アンド・ライフ主宰)氏らの肝いりではじまっている。

このホピの教えを伝える『テックヮ・イカチ』を一冊の書籍として世界に送り出す力を集めるために自分に出来ることとして、必要な資金となる寄付金集めをかねて、ぼくは「連続講座」を来月からおこなうことにした。もとより書籍や雑誌の出版の世界で育ってきた小生にとって、一冊の書物を世の中に出すためにどのくらいの資金やエネルギーが必要なのかを知らないわけではない。しかし、世の中にはどうしても活字にしておかなければならないものが確かに存在する。この本を必要とする人はけしてひとりやふたりではないだろう。かつてぼくは「ホピの教えを売ることは、自分の母親を売ることに等しい」と聞かされたことがある。20年以上も昔に残された伝統派の世界の見方を学ぶための44号分のニュースレターを「売り物」ではないかたちで書籍化するというほとんど不可能を可能にするために、今後いくつものイベントが各地で企画されるだろう。より多くの平和を愛する個人やアーティストたちの自主的な参加をこころより望むものである。

swirly_border
「平和の人」とは誰なのか
-ホピ伝統派が残した『テックヮ・イカチ』に学ぶー

hopi_flyer_mark


連続講座&発刊・予告編
日時:2008年6月14日(土)
場所:神戸学生青年センター
(阪急神戸線・阪急六甲駅下車歩4分)
http://www.ksyc.jp/
神戸市灘区山田町3-1-1 Tel 078-851-2760

講師:北山耕平 (作家、翻訳家、編集者、講演家)


『テックヮ・イカチ(TECHQUA IKACHI)-大地と生命ー』とは、ホピ国の伝統派と呼ばれた長老たちが、70年代~80年代にかけて、44号にわたり発行し続けたニューズレターです。

そこには、この地球の上で生きていくための知恵と知識、そしてグレイトスピリットから授かった教えが示されており、同時に、さまざまな困難な中にあっても、決して揺らぐことのない信念と、この世界をどう捉えるかの視点を私たちに伝えてくれています。

ホピの大地から発信されて約30年。さまざまな時を経て、日本語訳が成され、インターネットで広く公開されるようになった今、『テックヮ・イカチ』を通して、いかにして私たちが調和とバランスのとれた世界を取り戻せるのか、そして、ほんとうの「平和の人」とは誰なのかをみなさんとご一緒に学ぶ時が来たように思っています。

2008年5月新月
ランド・アンド・ライフ
辰巳玲子 拝

プログラムの詳細は、ランド・アンド・ライフからの風へ。

*当日はお茶などの飲み物をご用意いたしますので「マイカップ」をご持参ください。また、交流会にご参加の方は、「マイ箸」もお願いいたします。

*尚、参加ご希望の方は、あらかじめ『テックヮ・イカチ』第1~4号をお読み下さってご出席ください。

reddot 『テックヮ・イカチ』日本語翻訳サイト

reddot 今回のイベントのフライヤー

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Wednesday, May 28, 2008

巨大な岩山の上の7人の娘たち(カイオワ一族の言い伝え)

animal constellation

だれも思い出せないぐらい昔のこと、カイオワの人たちの一団が広大な草原のなかを旅して横断している途中、大きな川の岸辺で野営をすることになった。野営地の近くには熊をやっている人たちがたくさん暮らしていた。熊のなかの人たちはカイオワの人たちの匂いをかぎつけた。

熊をやっている人たちはとてもお腹をすかせていた。熊のなかの戦士たちのなかに、仲間とともにカイオワの人たちを狩りに出かけるものたちがいた。

カイオワの人たちの野営地から7人の娘たちが連れ添うように出てきて川の上流に向かって歩きはじめた。娘たちはイチゴ狩りに出かけたのだった。野営地から遠く離れるのを待って、熊たちはうなり声をあげて娘たちに襲いかかった。

広い草原の只中を娘たちは走って逃げた。どこまでも、どこまでも、走って逃げた。そうやってしばらく走ると、草原のなかに巨大な灰色の岩がひとつ見えてきた。

娘たちはみんなで力をあわせてその岩の上によじ登った。ところが後を追ってきた熊たちも娘たちに続いてその岩をのぼりはじめた。

やがてだれからともなく、娘たちがその岩にむかって、熊をやっている人たちから守ってくれるようにと、祈りの詩を歌いはじめた。

そのときまでただの一度も、だれ一人としてその岩を讃える詩を歌いかけたものなどいなかった。生まれ落ちてはじめて娘たちの祈りの歌を聞いて、岩のなかの人は娘たちを救う決心をした。

何千年も黙ったままそこでじっと座ったままでいた岩のなかの人は、よいしょとばかり立ちあがると、空に手を伸ばした。岩がぐいぐいと大きくなるのにあわせて、うえに載っかっていた娘たちも高く高く昇り続けた。

Devils Tower

熊のなかの戦士たちも熊の神々に向かって歌いかけた。すると岩が大きくなるにつれて熊たちも背が高くなっていった。

岩はさらにいっそう高く険しくそびえ立つように成長を続けた。熊たちは何度も何度も大きな鋭い爪を岩にかけて険しい壁のような岩を登ろうとしたが、しかし足をかけるたびにガラガラと岩は崩れ落ちた。

それでも執拗に岩を登ろうとした熊たちは、巨大になった岩のすべての岩肌の手の届くところに爪痕を残し、岸壁は何千という岩のかけらとなって四方の麓に散り落ち山をなした。大きくなった熊たちが懸命によじ登ろうとすればするほど、岩肌のあちこちに無残な傷が残された。

だがついに熊のなかの戦士たちは人間を狩るのをあきらめた。熊たちはきびすを返して自分たちの家に戻ることにした。家路を辿りながら、熊たちは自分たちが次第に最初の大きさに戻っていくのを感じていた。

とてつもなく大きくなった熊たちは草原を越えて帰るにつれてもとの背格好の熊に姿を変えていった。カイオワの一団は遠くから熊たちが集団で歩いてくるのを見て恐怖に駆られあわててキャンプをたたんだ。彼らは熊たちの背後に巨大な、見あげるほどの岩山がそびえ立っていることにはじめて気がついた。そしてその岩山は、あの大きな熊たちの住み家に違いないと思いこんだ。

「ツォ・アイ」

その岩山はカイオワ語で今もそう呼ばれている。それは「熊たちの住み家」という意味だ。

岩山の上に取り残された娘たちははるか高みから下界を眺めておそろしくなった。一族の人たちが野営地をたたんで移動しはじめているのが見えたからだ。みんなは娘たちがあの熊たちに食べられたものと思いこんだに違いない。

娘たちはそこで再び詩を歌った。今度は岩にむかって歌ったのではなく、空の星たちに向かって歌った。星たちは娘たちの歌う詩を聞いて幸せになった。すると歌声を聞いた星たちが空から降りてきて、岩山の山頂にいた7人の娘たちを空に連れ帰った。

カイオワの人たちはプレアデスのことを「7人の姉妹たち(セブン・シスターズ)」と呼んでいる。そして毎晩、彼らが「熊の住み家」と呼ぶ岩山の上を7つの星が通過するとき、岩山のなかのスピリットに感謝を捧げて微笑む。

(注)「熊たちの住み家」は「デビルズタワー」と英語で呼ばれている岩山のこと。


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Friday, May 23, 2008

あなたは小さな人たちの姿を見たことがあるだろうか?

paw

環太平洋のネイティブ・ピープルにほぼ共通しているもののひとつに「小さな人たち」の言い伝えがある。ハワイ諸島にも、ポリネシアの人たちがやってきたときに出会った小さな人たちの言い伝えがたくさん残っていたし、日本列島の北海道島のアイヌの人たちにも、コロボックルの話が伝えられている。個人的な話だが、ぼくは小学生の頃に、佐藤さとるという人がコロボックルを題材にして書いた『だれも知らない小さな国』という魔術的な本を読んで以来、いろいろな局面で小さな人たちの通り過ぎていく影や後ろ姿を見るようになり、その後も小さな人たちの存在を忘れることなくそのまま大人になった。アメリカ大陸に渡ってからも小さな人たちの影は消えることがなく、ぼくは以後その実在を大きな声では言えないが信じ続けている。さてアメリカ・インディアンにも、小さな人たちの言い伝えが残っているので紹介しておく。

チェロキーの人たちの話によれば、小さな人たちを明るい昼間に見ることはなかなかにむずかしいらしい。その人たちは太陽のまぶしい光のなかに隠れるようにしているので、人間の目には見えにくいのだ。しかし彼らの方は太陽の光を通しても世界がはっきりと見えているという。かといって夜暗くなれば姿が見えるかというとそれがそうでもない。夜間に小さな人たちを見るためには月の明かりが必要だというのである。夜に森のなかに行くと、人間の通る道を少し外れたところに、小さな人たちの灯す明かりの灯が木々の間を縫うように動いているのが、ぽつぽつと地面のすぐ近で、いくつも見えたりすることがある。これもまた小さな人たちが意図的に姿を見せようとしているときにだけ、わたしたちの目に見ることが出来るらしい。最もよく小さな人たちの姿が見受けられるのは日没後のたそがれ時か、夜明け前の頃だという。小さな人たちはその時間、いろいろな動物たちと一緒にいて食事をしているのだ。鹿たちとともに草や木の実を集めたり、熊たちと一緒に魚を釣ったり、ビーバーたちと一緒に薪を集めたり、狐をつれて近くのネイティブの人たちのもとを訪れたりする。

チェロキー・プリンセスという名のハナミズキ

小さな人たちは歴史のはじまるはるかずっと前からチェロキーの人たちとは同じテリトリーを分けあってきた。フルブラッドのインディアンのような顔つき、浅黒い肌の色、ふたつの黒い瞳、地面に触りそうになるぐらい長くのばした黒い髪。みななかなかにハンサムで、屈強そうで、身長は3フィート(1メートル)にみたない。着ているものは、いつの時代にも、ネイティブのチェロキーと同じような衣装で、言葉は古代のチェロキー語を巧みに操る。今のチェロキー語とは発音がだいぶことなるので、エルダーのなかの数人だけが今ではその言葉の意味をかろうじて理解するだけだという。年寄りのなかには、その言葉はすでに消滅した古代のチェロキーの「エラティ語」だというものもいる。小さな人たちは、自分たちの共同体というか、コミュニティーというか、氏族を山の中のあちこちに形成しているらしい。チェロキーの人たち同様に、それぞれのコミュニティーにはコミュニティーならでは人たちがいるのだという。道化のごとくみなを笑わせるもの、一本気のきまじめな人たち、指導者になる人たちと彼らに従う人たち、問題を起こす人たちに、思慮深く考える人たち、夢を見る人たち、病を癒す人たち、狩人たち、果樹や木の実を集める人たちもみんないる。

またハナミズキの木の森のなかに暮らしている特別な小さな人たちのグループというのもいる。彼らはハナミズキ一族と呼ばれている。彼らが涙を流すと、その涙がハナミズキの花になるのだといわれている。肉体的にも感情的にもおそろしく繊細なひとたちで、この人たちはいつだってすべての人やありとあらゆるもののなかに「善」と「美」を探しだそうとしているのだ。ハナミズキの花たちが咲いていて、彼らが自ら意図したときにだけ、その姿を見ることが出来るという。そして花が咲く季節が過ぎ去ると、あとはかれらは「すべての人たちと、すべての動物たちと、すべての植物たちと、すべての水のなかを泳ぐものたちと、すべての地を這うものたちと、すべての空を飛ぶものたち」のためにひたすら「良きことのみを夢見続ける」のだ。ハナミズキ氏族の小さな人たちは、母なる地球の子どもたちすべての世話をする人たちなのである。

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大地の至るところで人々を助ける人

featherアメリカ・インディアンはいろいろな部族が「養子縁組」の儀式を持っている。ラコタの人たちが「フンカ」と呼ぶ、「縁を結ぶ儀式」もそのひとつであるだろう。平原インディアンにとってこの養子縁組のための儀式は非常に古くからあるもので、彼らの文化においてきわめて重要なものであり、けして軽々におこなわれるべきものではないとされている。誰かを養子として迎え入れるということは、その人間は以後自分が死ぬまで生涯を通して責任を負うことになるからだ。いっさいの疑問をはさむことなく、必要とあらばいついかなるときにも、相手の世話をし、面倒をとことん見なくてはならない。

通常、部族以外の人間をその人の養子として受け入れると決めたときには、養子となる人間は、養子に迎え入れてくれた相手にたいし、応分の捧げ物をすることになっている。養子に迎え入れるに値する人間として選ばれることは、当人にとってたいへんな誉れであり、いずれその人間は、相手の家族の一員となり、一族の国の一員となることを認められることにもなる。彼もしくは彼女は、養子に入った先の一族の人間となり、一族のものたちからもそのように扱われる。

聞いた話では、その昔は、戦の時に拉致した敵の部族の人間を、相手が自分たちの風俗や習慣や生き方を学んだあかつきには、新しい人生を送らせるために養子として迎え入れることも珍しいことではなかったという。養子として迎え入れる方も、養子として新たに相手の家族の一員になった人間も、儀式の後は非常に親しい友人となり、以後幾度となくふたりでヴィジョン・クエストに出かけて互いの絆を確かめあったりしたという。養子縁組の儀式を交わしたものたちは、象徴として自分たちだけのおそろいのパイプが一組与えられ、以後そのパイプと共に生涯を送った。

ラコタの養子縁組の儀式については、ブラックエルクという著名なメディスンマンがラコタの儀式を解説し、それをジョセフ・エプス・ブラウンが書きとめた『聖なるパイプ』という書物に詳しく書かれているが、なんで今こんな時に「養子縁組」の話を書いているかというと、アメリカの大統領選の民主党の候補者であるバラク・オバマが、先日モンタナのクロー一族の国を訪れた際に、クロー一族のある家族に養子縁組されることをうけいれ、クロー国の名誉一員になったというニュースが昨日一斉に流されたからだ。

オバマ大統領候補を個人的に養子にしたのはクロー国の住人であるハーフォードとメアリーのブラック・イーグル夫妻。バラク・オバマはハーフォード・ブラック・イーグルと、メアリー・ブラック・イーグルのふたりの義理の子どもとなり、バラク・ブラック・イーグルという名前になった。のちに YouTube にあげられたニュースを見ると、オバマ候補は「こんなにありがたいことはない。バラク・ブラック・イーグルはいい名前だ」とうれしそうに語っているから、よほど気に入ったと見える。



Barack Obama in Crow Agency, MT

バラク・ブラック・イーグルはこの結果正式にクロー・ネーションの一員として迎え入れられることとなり、クロー・ネーションから正式なインディアンネームも与えられている。バラク・ブラック・イーグルは、正しくはクロー族の言葉で「アウェ・コォーダ・ビラクパック・クウークシシ(Awe Kooda Bilaxpak Kuuxshish)」という名前になった。それは「大地の至るところで人々を助ける人(One who helps people throughout the land)」という意味に翻訳されるのだ。

アメリカのこれまでの歴史のなかで唯一白人でない大統領候補の登場は、クロウ・ネーションのみならず、これまでのほとんどすべての「偉大なる白人の父・大統領」から消えゆくものたちとして無視され続けてきた、アメリカのすべてのインディアンたちにとって、予言が成就するプロセスの目撃であり、おそろしく重要な出来事であることは間違いない。

Source : Play of the Day: Obama's new name

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Wednesday, May 21, 2008

インディアンの若い世代がこよなく愛する歌



NDN Kars - Keith Secola

ネイティブ・アメリカンの音楽というと、インディアン・フルートを考える人は多い。ただし、当然だが、インディアン・フルートの音は「眠くなって困る」というラディカルな世代ももちろんいる。そういう人たちにお勧めしたいのがキース・セコラとワイルド・バンド・オブ・インディアンズというインディアン・ロック・バンドだ。キース・セコラはアニシナベ出身のロック・ブルース・フォーク・ミュージシャン(シンガー/ギタリスト)として2年連続してナミー賞(NAMMY AWARDS)を受賞するなど評価も高く、とりわけ彼の作詞作曲した「NDN Kars」はコンテンポラリー・ネイティブ・アメリカンにとっては「これぞ現代アメリカン・インディアンの国歌」とさへ評価する人がいるほど親しまれている名曲中の名曲だ。「NDN Kars」とは「インディアンの車」のことで、ドアガラスなんて数枚なくなって、扉も半開き状態、ラジエターから吹き出す蒸気、期限切れのナンバープレート、ほこりだらけのダッシュボード、やたら甲高い音のするカーラジオ、傷だらけのボディ、点灯しないヘッドライトといった具合に、ぼろぼろだがそれでも必死にでかい音をたててリザベーションの内外を疾走している彼らの愛車のことをいう。インディアン・カーズは、そうした車をいとおしむための切れのいいロックであり、生きることを肯定し、聞くものを勇気づける力を持っている。何度も聞いて口ずさめるようになっておくと、いいかも。YouTube には彼らのライブもあがっているのでそちらも紹介しておく。こっちもなかなか(ぼくとしてはこつちが好きなのだが、最初に聞くには刺激が強いかなと思ってさ)。Ho!

NDN Kars
Music and Lyrics by Keith Secola

Wild Band Of Indians
Drum Sequence - Andy Kern
Vocal/Guitar - Keith Secola
Guitars - Kerry Jackson

ndnradio

Been driving in my indian car
hear the pound of the wheels
drumming in my brain
Dash is dusty
plates are expired
please mr. officer let me explain

Gotta make it to a pow wow tonight
sober 49, down by the riverside
looking for a sugar
riding in my Indian Car

My car is dented
the radiator steams
headlight don't work
radio can scream
got a sticker says
"Indian Power"
on my bumper
holds my car together

We're on a circuit on an Indian dream
we don't get old
just get younger
flying down the highway
riding in r NDN Cars

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Tuesday, May 20, 2008

今年いちばん小さくて遠い満月

Full Moon満月ですね。種植月。北半球の今月の満月は、2008年の1年間でいちばん小さくて遠い満月。なぜなら月は赤道を越えて南半球にあるから。月が北半球に帰ってくるのは、今月の29日。これからある今年の満月で一番近くにあって大きい満月は12月13日(土曜日)の満月。来月の満月は6月19日(木曜日)、夏至の日の2日前。

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Monday, May 19, 2008

その先に「アイヌ・ネーション」は見えているか?

アイヌ民族、先住民族認定へ 今国会決議サミット前政府声明
北海道新聞 2008年5月15日

自民、民主、公明、共産などの各党は十四日、アイヌ民族を先住民族として認め、権利の確立を求める国会決議を今国会中に行う方針を固めた。国会決議を踏まえ、政府も七月の北海道洞爺湖サミット前に、アイヌ民族を先住民族と認める声明を正式に発表する方向で調整に入った。

Source : アイヌ民族、先住民族認定へ 今国会決議 サミット前政府声明

「アイヌ民族は先住民族」 国会決議へ超党派で文案作り
朝日新聞 2008年05月15日

アイヌ民族を先住民族として認め、その権利を尊重することをうたった国会決議の採択を目指し、北海道選出の超党派国会議員らによる「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」の世話人会(代表・今津寛自民党衆院議員)が15日、衆院議員会館で会合を開き決議文案づくりを始めた。

Source : 「アイヌ民族は先住民族」 国会決議へ超党派で文案作り

首都圏のアイヌ民族署名3300人に 首相に20日提出
北海道新聞 2008年5月16日

アイヌ民族を先住民族と認めるように政府に求める初の署名活動を行っていた首都圏在住のアイヌ民族四団体でつくるアイヌウタリ連絡会(丸子美記子代表)は二十日、約三千三百人分の署名と要請書を福田康夫首相らにあてて提出する。

三月下旬の活動開始から三千人以上の署名が集まったことについて、同連絡会は「予想以上に多くの首都圏在住者が共感してくれた」と評価する。

要請書では《1》アイヌ民族を先住民族であることを認め、謝罪する《2》社会的、経済的支援−などについて政策の実現を求めている。

Source : 首都圏のアイヌ民族署名3300人に 首相に20日提出

アイヌ民族の権利確立 超党派議連が協議機関設置要請へ
北海道新聞 2008年5月16日

超党派の北海道関係国会議員でつくる「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」(代表・今津寛自民党道連会長)は十五日、世話人会を開き、政府に対してアイヌ民族の権利確立に関する協議機関の設置を求める方針を決めた。

今国会で行うアイヌ民族を先住民族として認める国会決議にも同機関設立を盛り込む。

協議機関はアイヌ民族に詳しい有識者らで構成し、社会的、経済的な地位を向上させる措置を検討することを想定。一九九五年に当時の五十嵐広三官房長官がアイヌ民族の権利向上に関する私的諮問機関を設置し、アイヌ新法(現アイヌ文化振興法)制定を柱とする答申をまとめた経緯がある。

世話人会では、七月の北海道洞爺湖サミットの開催に合わせ、国際社会に向けアイヌ民族の存在をアピールする内容も決議に盛り込む方針で一致した。

会合後、今津氏は記者団に対し「アイヌ民族が先住民族であることは明快。国会決議できちんと宣言したい」と述べ、世話人の民主党の鳩山由紀夫幹事長も「当然のことを当然と認める勇気を政府も持つべきだ」と強調した。

Source : アイヌ民族の権利確立 超党派議連が協議機関設置要請へ

北海道ウタリ協会:「北海道アイヌ協会」に名称を来春変更
毎日新聞 2008年5月18日

北海道ウタリ協会(約3500人)は、来年4月から名称を「北海道アイヌ協会」に変更することを決めた。長く差別されてきた「アイヌ」という民族呼称への拒否感が薄れたことに加え、昨年9月、国連総会で「先住民族の権利に関する宣言」が採択されたのを受け、アイヌを先住民族と認めていない政府に方針転換を迫る狙いがある。

Source : 北海道ウタリ協会:「北海道アイヌ協会」に名称を来春変更

アイヌ民族を先住民族として認めるよう、政府に対し求めている「北海道ウタリ協会」が、新ひだか町で要求の実現を祈るための儀式を行いました。
NHK 2008年5月18日

新ひだか町の真歌公園にあるアイヌ民族の英雄シャクシャインの像の前で行われた儀式には、「北海道ウタリ協会」のメンバーらおよそ70人が出席しました。儀式では、さけなどが供えられた祭壇に出席者ひとりひとりがお神酒をささげ、政府がアイヌ民族を先住民族として認めるよう祈りました。北海道ウタリ協会は、去年9月の国連総会で先住民族の権利の保護などをうたった宣言が採択されたことを受けて、政府に対する働きかけを強めています。今月15日には、超党派の国会議員らが今の国会でアイヌ民族を先住民族と認める国会決議を行うよう求めることを決め、北海道ウタリ協会は今月22日に東京の国会周辺を行進し、運動に弾みをつけることにしています。北海道ウタリ協会の加藤忠理事長は「これまで長年にわたり、先住民族として認められるよう取り組んできた。政府にはわれわれの思いをぜひくみ取ってもらいたい」と話していました。

Source : アイヌを先住民族に 認定祈願

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Friday, May 16, 2008

女性と性と聖

「聖なる命を贈り物として産む、この地球というものの上に存在するすべての種のフィーメールとしての力を理解して、これを敬わなくてはならない。」

オノンダガのあるエルダーの言葉

すべてのものが売り物にされるようになった社会においては、男性による「女性の見方」が大きく変化してしまう。すべてのものが売り物とされ、あらゆるものに値札がついている今のような社会では、男性の多くが女性を「聖なるもの」として見る能力を喪失してしまっていると、ネイティブのエルダーたちの集会でエルダーたちが言うのを聞いたことがある。現代を生きる男たちは、女性を見るときはその身体(フィジカルな部分)をしか見なくなってしまっていて、彼女の本質的な「聖性」を認識する能力を失ってしまっているのだと。エルダーたちはさらに「目に見えない世界において女性は力のある地位を与えられている。女性には神聖なるいのちをもたらす特別な力があるのだ」とも話した。これはなにも人間に限ったことではなく、あらゆる種の「フィーメール(雌)」に与えられている「神聖ないのちを産む力」をしっかりと認識しなくてはならないということでもあるだろう。こういう一切の聖なるものが身のまわりから消えていきつつある狂気じみた状況のなかで、ぼくたち男はなにからはじめればよいのだろうか? この疑問にエルダーたちはこうこたえた。

「女性という性に向かって敬意を表すことをとりあえずはじめ、すべてのフィーメールを神聖なものとして見ることを学んでいくこと。今この時からそれをはじめるといい」

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Thursday, May 15, 2008

アイヌ民族、先住民族認定へ 今開かれている国会で決議

news北海道新聞が今朝流したニュース。国会で決議して多数決できまっても、政府がそのまま認めるとは限らないらしいけれど。

アイヌ民族、先住民族認定へ 今国会決議 サミット前政府声明

自民、民主、公明、共産などの各党は十四日、アイヌ民族を先住民族として認め、権利の確立を求める国会決議を今国会中に行う方針を固めた。国会決議を踏まえ、政府も七月の北海道洞爺湖サミット前に、アイヌ民族を先住民族と認める声明を正式に発表する方向で調整に入った。

三月に発足した超党派の北海道関係国会議員による「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」(代表・今津寛自民党道連会長)が、政府や各党と水面下で調整をしてきた。

「議員の会」は十五日に各党代表による世話人会を開き、決議案の文案調整に着手する。決議案は、

    《1》先住民族として認める
    《2》名誉や尊厳、権利の確立を図る
    《3》政府にも先住民族の認定を働きかける

−ことが軸になる。

二十二日にはアイヌ民族の代表が官邸を訪れ、福田康夫首相や町村信孝官房長官らに権利の確立を要請する。政府は国会決議後に、首相自らによる声明文か、官房長官談話の発表を検討している。

国連は昨年九月の総会で「先住民族の権利に関する宣言」を採択した。しかし、政府は「アイヌ民族の権利を認めると財政措置が必要になる」(首相周辺)などの理由から、国内での適用に難色を示していた。


Source : アイヌ民族、先住民族認定へ 今国会決議 サミット前政府声明(北海道新聞 05/15 06:41)

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Wednesday, May 14, 2008

5月18日のむすびまつりに参加します(再掲)

rockart09映画『六ヶ所村ラプソディ』(鎌仲ひとみ監督 2006年作品)の上映会もある「むすびまつり」(企画こたね)で、先住民とウラニウムとわたしたちの暮らしについて、大切なお話をしたいと思います。日曜日の午後に会えるといいですね。以下は「イベントのお知らせ」の転載です。

六ヶ所村ラプソディ上映会 むすびまつり

 5月18日(日) @森のテラス  12:00〜16:20

 場所:森のテラス

 (開場/受付 11:30〜)

    緑に囲まれた一軒家「森のテラス」
    (京王線 仙川駅徒歩10分)
    東京都調布市若葉町1-32-13
    TEL 03-3307-1987

駐車場はありません。お車でのご来場の際は仙川商店街駐車場(有料)をご利用下さい。

 第一部 12:00〜14:05
     『六ヶ所村ラプソディー』上映

 第二部 14:30〜
     北山耕平さんのお話とおむすびをいただく会
     ゲストに北山耕平さんをお迎えし、六ヶ所村の近く
     十和田で穫れたお米(苫米地ヤス子さん作)で結ん
     だおむすびを頂きつつお話をまじえます。

     16:00〜16:20
     心を見つめ、むすびの時間とします

 料金:¥2,000円(第一・二部通し)
    ¥1,000円(第二部〜)
   (中学生以下〜未就学児 ¥500円)
    託児スペースあり

※おむすびとお茶をお出しします。マイ小皿・箸・カップをご持参下さい。(上映とお話の会は、畳もしくは床にお座り頂くことになります。必要な方は座布団もお願いいたします)※お子様連れの方も来場されます。上映会と託児のスペースは分けておりますが、多少の賑やかさをお許し下さい。※アルコールを飲まれた方のご来場は出来ません。

 申込み/問合せ cotane2008*gmail.com
         (*を@に変えてメール送信して下さい。スパム防止のため)

 <予約制>
メールに お名前/電話番号/メールアドレス/参加部分/複数の場合の人数、お子様連れの場合の人数・年齢/この会を知るきっかけ を記入下さい




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原子力について覚えておくべき呪文(改訂版)

 ・原子力はクリーンエネルギーじゃない。
 ・原子力は安いエネルギーじゃない。
 ・原子力は地球温暖化への解答じゃない。
 ・原子力は安全なものじゃない。
 ・ウラニウム採掘には危険がいっぱい。
 ・核兵器の投げかけた脅威は終わってない。
 ・核廃棄物の問題はずっと未解決のまま。
 ・核施設の誘致はその土地を豊かにしない。



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関連記事:

next 歴史を繰り返さないときめたナバホ国のあり方と、今のわたしたちの便利すぎる暮らし

next ナバホの土地で今なにが起きているのか

next 原子力はクリーンで安全なエネルギーかどうかもう一度よく考えよう

next 世界先住民ウラニウム・サミット宣言

参考サイト:

arrow2 六ヶ所村ラプソディー オフィシャル・ウェブサイト

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この惑星におけるわたしたちの生き方を改めること

技術的に進んだ文化はどれも先住民による貢献を拒絶してしまう。自分は、われわれ先住民がこの惑星に暮らすあらゆる人の生き方を劇的に変えることに貢献できると信じるものだ。世の人々がネイティブ・ピープルと彼らの属する別の社会のもうひとつのリアリティを理解することは急務である。

ダグラス・カーディナル( Douglas Cardinal )1934年生まれ。
カナダ先住民ブラックフットとオジブワの血を受け継ぐ著名な建 
築家、作家、芸術家。カナダ文明博物館、カナダ・ファーストネ 
ーションズ大学など、彼が設計した建築物は多い。アメリカ合衆 
国のワシントンDCに先年開館した国立スミソニアン・インディ 
アン博物館も、もともとは彼のデザインによるものだったが、建 
設途中で協会と意見の対立を見て計画から降りているが、国立イ 
ンディアン博物館は建築設計家として彼の名前をいまだに掲げて 
いる。彼は自分の設計した建物を人々が空間を使いやすい「生命 
体」として考えるように一族のエルダーたちから言われたという。

少なくとも自分の人生に照らし合わせてみるかぎり、ここに引用したダグラス・カーディナルの言葉は真実である。北米大陸のさまざまな部族の先住民の人たちとつきあうことで、ぼくの生き方も人生も劇的に変化した。それ以前とそれ以後はまるで別の人生を生きているように思えることもある。彼らのリアリティを学ぶことで、ぼくは自分のものの見方(見え方)がそれ前に比較して問題にならないぐらい広がったと思う。それまでは思いもよらなかったような視点から世界が見れるようになったし、自分が日ごろ考えていたり、行っていたり、話していたりすることが、物理的精神的に生きることや働くことのすべてに影響を与えていることも気がついている。だがそうしたもうひとつのセパレート・リアリティを学ぶことは、結局のところ終わりのない道であり、ぼくはまだその入口あたりをうろうろしているにすぎないのだ。ようやく聞く準備が出来たといったところだろうか。

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Monday, May 12, 2008

自分たちを自由にするための笑い

わたしたちハワイアンは、お腹が一杯になるまでは食べないのよ。わたしたちはね、疲れるまで食べるの。だから、へとへとになるまで食べたあとは、ゆっくりとやすむわけ。
ネイティブ・ハワイアンのある女性の言葉

80年代にハワイの島々の聖地を半ば野宿をしながら巡ったことがある。そのときカフナの娘というジャガーのような身のこなしのネイティブ・ハワイアンの女の子と知りあいになった。この言葉はみんなで食事をしているときに、どうしてポリネシアの人たちはみな身体がはち切れそうに巨大なのかという話題になった際、彼女から聞いたものだ。そういって彼女は大きな声で笑った。

ハワイの人たちに限らず、ネイティブの人たちはとてもよく自分たちのことを笑う。パウワウのようないろんな祭りや集会ではそうしたジョークが飛び交う。ネイティブの文化においてはジョークは空気のようにあたりまえのものなのだ。このブログにも、わざわざ「インディアンは笑う Indian Humor / Indian Jokes」のカテゴリをたてている。そればかりか、すでに逆境や困難を笑いでひっくり返す力強いジョークを集めて『インディアンは笑う』(マーブルトロン)という本までぼくは上梓している。ネイティブの人たちの笑いやジョークは、彼らの日常生活の一部に組み込まれているようだ。彼らにとっては笑いは、ともすればシリアスになりがちな厳しい現実を生き延びるための必需品であり、お互いのことをそれによってより良く理解するためのものなのである。

目に見えない牢屋から自由になるためには、笑いがとりあえず必要なのだな。自分たちを笑える人は、自殺なんてしない。

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Sunday, May 11, 2008

古代に朝鮮半島から来た鉱山技術集団とは何者なのか?

rockart07[msn.産経ニュース 2008.5.11 00:21]が、その墓の写真と共に伝えている。当然出雲大社そのものの起源とも関係がありそうだけど、そこまでは記事は踏み込んでいない。この渡来系鉱山技術集団が俗に「出雲族」と呼ばれることになる人たちの祖先なのだろうか? 出雲は、古代に朝鮮半島との「交易(人・もの・情報)」の要衝だった。渡来人による日本建国の拠点のひとつなのだな。

縄文晩期から弥生中期にかけて、九州北部で造られていた支石墓とみられる遺構2基が、島根県出雲市大社町の鷺(さぎ)銅山跡で見つかった。支石墓は数個の支石の上に巨石を乗せる特異な墓。中国から朝鮮半島を経て国内に伝わったが、本州での出土は初めて。大塚初重・明治大学名誉教授(日本考古学)は「(朝鮮半島からの)鉱山技術集団が、北九州経由のほかに、ダイレクトに山陰地方に渡ってきた可能性もある」と注目している。

Source : 本州初の支石墓? 出雲の銅山跡で発見

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Saturday, May 10, 2008

スピリットの家(スピリット・ホーム)

Chief Joseph

グレイトスピリットは見たり聞いたりされたことをけしてお忘れになることはないと、われわれは信じるように教え込まれてきた。であるから、来世においては、グレイトスピリットはすべての人にその生前の行いに応じてスピリットの家をお与えになるのだと。良き人間には良き家を、悪しき人間には悪しき家をおあたえになるのだ。わたしはこれを信じ、わが一族のものたちもみなおなじことを信じている。

チーフ・ジョセフ(1840−1904)
ネスパースのチーフ 本名は「山々を転げ落ちる雷」

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Friday, May 09, 2008

NATIVE TALK : Spectator interview with Kohei Kitayama(北山耕平インタヴュー完全収録)

昨年の夏に刊行された雑誌のスペクテイター vol.17 特集「日本放浪旅〜VAGABONDING IN JAPAN〜」所収の小生のインタビューを、あらためて同誌編集長の青野氏に許可を得ることができたので、当ブログが4年目の今月に100万アクセスを通過した記念として、ここに全文をそのまま一挙掲載しておきます。長文ですので、覚悟を決めて時間があるときにでもお読みくだされば幸いです。なおすでにお読みの方はスルーしてください。

関連する過去記事:
reddot 長い旅の話をさせてください(Native Heart, Thursday, May 24, 2007)

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spectator #17地球の上で生きるとは
取材・構成/青野利光(スペクテイター編集部

 日本国内を長い時間をかけて旅しながら、行く先々の土地のことを理解しようと考えるなら、地図と一緒に携えていくべき欠かせないもののひとつに「歴史に対する認識」が挙げられる。たどりついた先で出会った人々の暮らしや建物が、どのような時間や経緯を経て、その地に存在するに至ったか。それを知るのと知らないのとでは、旅の中味も景色の見え方さえも違ってくるし思うからだ。ところが、学校で習った日本史を手がかりに日本を理解しようとしても、わからないことだらけなのは何故だろう?

 今回、九州を車で旅してみて改めて実感したことの一つが、この国には創世にまつわる異なる神話というものが存在し、そのいずれかが日本の起源という仮定のもとに国家というものが存在しているという事実だった。僕たちは、自分たちが暮すこの国の起源については極めて曖昧な情報しか持たされていないのだ。

 あらゆるものや情報の移動が容易に可能となり、全ての局面において地球規模での思考が求められる時代に生きる僕たちは、新しい枠組みで国家や世界というものを捉え直していかなければならない。「グローバルに思考し、ローカルに活動する」というのは、バックミンスター・フラーの教えだが、その第一歩として、まずは一切の偏見やコダワリを捨て、足下に広がる「日本と呼ばれる土地」の成り立ちについて理解することから、新しい旅を始めるべきではないか? 願わくば僕たちを真実へと導いてくれる賢者の教えを携えながら…。そう思いたって、真っ先に頭に浮かんできたのが北山耕平さんだった。

 ロングセラーとなった『ネイティブ・マインド』、『ネイティブ・タイム』(ともに地湧社刊)をはじめ『虹の戦士』(河出書房新社刊)『ローリング・サンダー』(平河出版社刊)『自然のレッスン』(太田出版刊)など、数多くの著書や訳書を持ち、先住民族の文化や歴史を口承で伝えるストーリーテラーとしても活動されている北山さんの名前を知る読者も少なくないだろう。

 北山耕平さんは1949年、神奈川県生まれ。大学在学中に片岡義男氏との出会いをきっかけに雑誌『ワンダーランド』に編集部員として参加、75年からは約1年半に渡り『宝島』四代目編集長を歴任され、その後は『別冊宝島』『GORO』、『Bepal』、『写楽』、『ポパイ』など、日本のサブカルチャー史を語るうえで欠かせない数多くの雑誌に編集や執筆というかたちで参加されている。
76年に渡米し、その旅の途上でチェロキー出身のメディスンマンであるローリング・サンダーと出会ったのをきっかけに、環太平洋の先住民族とその精神世界の探求を現在も続けられている。

 最近の活動は三年以上に渡って日々更新され続けているブログに詳しい。「NATIVE HEART」と名付けられたこのブログは、ネイティブ・ピープルとその文化にまつわる情報を体系的に網羅した、いわば電子版『ホールアース・カタログ』とでも言うべきもので、地球の上でバランスを保って生きるための知恵と心構えを授けてくれる貴重な情報源として目を通すのが僕の日課になっている。

 僕が北山耕平さんの存在を強く意識するようになったのは、今から10年ほど前、たまたま古本で入手したペーパーバック・サイズの『宝島』という雑誌に掲載された『ホールデン・コールフィールドと25%のビートルズ』という記事がきっかけだった。サリンジャーというアメリカの作家が書いた小説『ライ麦畑でつかまえて』とビートルズを題材に書かれた、シティ・ボーイ世代によるマニフェストとも言える独白調の文章に、僕の脳ミソは大きく揺さぶられた。

「平凡な人間」とは、ぼくに限っていうならば、けっしてその時代にそうなるのがあたりまえであったように、一流の大学を出て、一流企業につとめ、五年後には課長になり、家庭的な嫁さんをもらい、子供は二人、狭くてもマイホームを、といった、安っぽい〈マイ・ペース〉主義であろうはずがなく、それらの価値観をいっさい無視したうえでより人間的なものを求める人生が、ぼくにとっての、「普通」で「平凡」な「あたりまえ」の、だからこそより「人間的な」人生なのだった。
(『宝島』1975年1月号「シティ・ボーイ」)

 まるで楽器を奏でるように繰り出される言葉の数々は、文字によるロックンロールとでも形容したくなるようなパワーと魅力に満ちあふれ、メッセージが直接ハートに突き刺さってくる感じがした。それからというもの、暇を見つけては古本屋へ通い、中古レコードを掘り当てるような感覚で北山さんが様々な雑誌に書かれた原稿を読みふける日々を過ごすとになった。

無目的で、しかも楽しい作業に没入しているときは、しかし意識だけははっきりと目覚めている。はっきりと目覚めた意識は、ぼくもここで生きて生活しているのだということを教えてくれるのだ!
(『ポパイ』1977年7月号「フリスビーは時間を静止させるための小さな道具だ!」)
生活を遊びにすること、ぼくはそのなかからしか新しい文化は生まれないと思います。なによりもそれをはじめようではありませんか。
(『宝島』1976年3月号 「ビューティフルアメリカ」編集後記)
日常はハイではないのか? そんなことはない。いつのまにか、得体の知れないなにものかによって、ハイではないものにされてしまったのだ。
(『宝島』1975年12月「君は石である」)
統合国家(政府+大企業)は、自らの言葉と肉体を持った人間を恐れるあまり、さまざまな手段をもちいて押しつぶしにかかるだろう.逃げてはならない。なぜなら、ぼくたちは、個人的な力の王国をつくりつつあるのだから。
(『宝島』1975年3月号「全都市カタログ」)
法律がいけないといっているものすべてが悪だときめてかかることほど、恐ろしいことはありません。なぜなら、本文中でミスタ・ナチュラルも言っていますように、法律が人間を縛るべきものではなく、人間が法律を縛るべきものだからです。
(『宝島』1975年10月号「マリワナについて陽気に考えようーーー」編集後記)
平均的人間が最高であるといった、まったく誤った考え方に支配されてしまっていると,やりたいことをやりたいようにやるひとは、異端というレッテルをべたりと貼られて、仲間はずれにされてしまう。もしも、時代を動かす基本理念として、平均的人間の創造があるのだとしたら、ぼくはそんなところからは逃げ出してやる!
(『宝島』1975年1月「気楽にいこうよ」)

 圧倒的な文章力も去ることながら、何よりも驚かされたのは書かれてから30年もの時を経ているにも関わらず、微塵も古さを感じられなかったことだ。その理由をボクなりに分析してみた結果、どれもが「地球人としての感覚」をもとに発せられた言葉だからではないかという結論に達した。それは例えば、有人宇宙船のカメラがとらえた地球の映像をテレビで見たときの印象について書かれた、こんな一文を読んでみても明らかだ。

地球は一個の生命体であるとの確信はそのときぼくの内部に生まれた。地球が生きているからこそ、いっさいの生物は生命を保ち続けることができるのであって、生物が存在するから地球が生きているのではない。人間が地球を支配しているのでは断じてなく、およそ人間では考えられないなにものかによって地球と呼ばれる惑星は生命を吹き込まれ、その生命を維持するという同じ目的をもたされてバランスよく生物が創り出されてきたにすぎないのではないだろうか、とぼくは考えるようになった。
(『宝島』1976年5月号「日本のなかで育つには」)

 インターネットやグーグル・アースのようなメディアの出現によって世界をダイレクトに、より身近に感じられようになった今の時代を予見していたかのごとく、30年以上も前から「地球に生きる人」としての意識の重要さを問い続けてこられた北山さんなら、正しい感覚を持って日本を旅するための視座を与えてくれるに違いない。

 そんな確信を持って僕たちは、ある晴れた春の日に、インタビューにのぞんだ。

Continue reading "NATIVE TALK : Spectator interview with Kohei Kitayama(北山耕平インタヴュー完全収録)"

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Wednesday, May 07, 2008

The Lakotah Medicine Wheel

メディスン・ホイール(世界の見え方に関する伝統的な価値とそのシンボリズム)の考え方は部族によってさまざまに異なります。ここに紹介するのは、オグララ・ラコタ出身で、スタンフォードとハーバード大学で西洋医学を学んで博士号などを得たうえで、伝統的な聖なる薬草を使う「ペジュタ・ウィカサ」というヒーラー/メディスンマンにもなったドン・ワネ(Don Warne)という医学博士が、大学教育の一環として、伝統的なラコタの人たちのメディスン・ホイールの見方を解説し、それをどのように現代生活に当てはめるかを伝えるために製作された動画で、3つに分けて YouTube に公開されているものです。


The Medicine Wheel - 1 of 3


The Medicine Wheel - 2 of 3


The Medicine Wheel - 3 of 3

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Longest Walk 2008 Today

St+Louis+Pow+wow

現在地点:

南ルート オクラホマ州 パーキンズ
北ルート ミズーリ州 ノブ・ノスター

5月10日、北ルート巡り ミズーリとイリノイの州境近くのカホキア遺跡にて歓迎パウワウ

詳細 Native For Life

関連記事:

next ネイテイブ・ノース・アメリカ(亀の島)最大の農耕文明遺跡

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Friday, May 02, 2008

亀の島(先史アメリカ)のサウスウエストの住民にとってイヌは友だち以上のスピリチュアルな存在だった

newsアメリカ南西部一帯の先史古代遺跡から、大人や子どもの人骨と共に埋葬されたと思われる古代のイヌの骨がこれまで数百体出土しているという調査結果が4月27日に発表された。しかもその埋葬されているところからは一緒に宝石類も出土するのだという。

イヌの種類ははっきりしないが、南西部アメリカに太古に暮らしていた人たちの精神生活においてイヌたちの果たしていた役割はことのほか重要だったのではないか、とニューメキシコ州サンタフェにあるインディアン芸術文化博物館( Museum of Indian Arts and Culture )の副館長ドディ・フゲイトさんは、ナショナルジオグラフィック誌の記者に語っている。

ドディさんはこの地域におけるイヌの埋葬の調査研究を続けてきた研究者だが、これまでの埋葬の実体を見る限り、イヌは単なるペットの域を超えて埋葬者にとりとてもスピリチュアルな意味を持っていたようだと彼女は言う。

wolflft「新世界のアメリカ南西部においてはイヌたちは、つぎの世界へ入っていくときの護衛のように考えられていたように推測されます。場所によっては儀式のなかでもイヌたちが役割を与えられていたことは間違いありません。埋葬が古くなればなるほど、イヌが一緒に埋められているケースも増えていきます。これまで700ぐらいイヌたちの埋葬されたところを調査しデータベース化してきましたが、イヌたちは儀式の行われた場所にまとめて埋葬されているか、特定の個人と共に埋葬されています」

彼女のデータベスによれば、イヌの埋葬が最も広く行われていたのは紀元前400年頃からはじまり、西暦1100年ぐらいまでの間だとか。そしてイヌの埋葬が行われていた地域は、ニューメキシコ州の北西部からアリゾナとニューメキシコの州境の間に大半が集中している。

Source : Ancient Americans believed dogs to be divine escorts for next life

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先住民の権利を大切にしない国で相継いで行われるオリンピック

newsこのところの内外の圧力の高まりを受けて、2010年の冬季オリンピックの開催国であるカナダでは、国会で先ごろ(4月8日)「先住民の権利に関する国連宣言」を承認するための投票を行った。先住民や人権団体はこれを歓迎しているものの、しかしカナダ政府は頑なに宣言の承認に抵抗している。

「政府が宣言の承認を拒み続ければ続けるだけ、結果としてカナダは人権を大切にしない国という評価に苦しみ続けることになる」とカナダの先住民の代表は語る。「政府の反対にもかかわらず、今回の投票は宣言の履行にむけた重要な一歩となるだろう」

北京オリンピックの開催が迫るにつれて、世界の目はいやがうえにも主催国の人権や正義と伝統的オリンピック精神に注がれるようになっている。2007年に国連が世界で3億7000万人以上いるとされる先住民の自決・自治権や固有の文化、資源を保障する「先住民の権利に関する宣言」を圧倒的多数で採択したときに、これに真っ向から反対をした——つまり公然と先住民の権利を侵し続けている——4つの国、アメリカ合衆国、オーストラリア、中国、カナダのうちのふたつの国で、これから相継いでオリンピック大会が開催されるのは、けして偶然などではないのだろう。

Source : An Olympic opportunity for Declaration

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Thursday, May 01, 2008

独立派のネイティブ・ハワイアンがホノルルにある旧王宮イオラニ宮殿を占拠して暫定政府宣言

Hawaii Flag Upside Downnewsハワイ王国運動を主導し、ハワイがアメリカの領土であることを認めないネイティブ・ハワイアンの独立派の集団が昨日、ホノルルにあり、1893年にアメリカがクーデターによってハワイを占領するまでハワイ王国の宮殿だったイオラニ宮殿の建物を占拠し、自分たちはハワイ王国暫定政府としてこの宮殿に留まって王国の事務を続行すると宣言した。彼らは武装はしておらず、現在のところ占拠後も平穏を保っているが、宮殿にたてこもった独立派のネイティブ・ハワイアンたちを、ハワイ州当局は最終的には強制的に退去させるつもりでいるらしい。今後の動向が注目される。右の図版は逆さまになっているハワイ州の旗。

Source : Native Hawaiians blockade historic palace
Hawaiian sovereignty seekers take over palace in Honolulu

next Hawaiian Kingdom Government Portal

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北山耕平の講演・トーク・ワークショップなどの出没予定

6月14日(土)Learning Hopi way「平和の人」とは誰なのか ランド・アンド・ライフ主催 at 神戸学生青年センター pfeil7x7 詳細 pfeil7x7 参考

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