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Thursday, April 24, 2008

死刑判決の報道を見て思うこと




われわれはどうして、

人を殺すことが間違っていることを世界に示すために、

その人間を殺さなくてはならないのだろうか?




*昨年12月7日にもおなじことを書きましたが、あらためてもう一度。

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Comments

すごくタイムリー・・・。これからの裁判員制度導入を考えるとこの言葉のもつ意味がより深く自分の中に入ってくるのがわかります。
誰が最初に植物を、動物を、自然を殺すことを思いついたのだろうか?
古代にさかのぼれば、シュメールも縄文人も(年に数回の特別な祭事を除けば)「殺す」なんて考えなかったのに・・・。

Posted by: 瑞兆 | Thursday, April 24, 2008 01:56 PM

ひとが、ひとを裁くなどということが、できるはずはない。ひとは実際、なにものをも裁くことはできないのだと思う。

縄文時代のひとびとは、野生のいきものと同じく、殺されるものとの付き合い方が大地(自然)の約束にのっとったものであったはず。ことばを替えれば、それは“おきて”と言った。いのちのはじまりと同じくらい時を重ねている、置きて有るもの(イングリッシュよりはるか昔から有る“law”ということぱも、おなじものを指すようですね)。

野生の世界においては、殺すこともおきてのひとつであることがある。自分を生かすために、殺したもののいのちを貰う。

われわれにできることは、おなじこの大地のものとして、よりよい道を生きることを一緒に考え、お互い導きあっていくことだけではないだろうか。

最近丁度死刑判決の報道を視て考えていたことなので、コメントしたくなりました。

裁判員制度というものも、人が人の生きかたをわからなくなっている末世のようなこの現在に、はたしてなにを目的として導入するのか、恐れすら感じています。

Posted by: 山竒 | Thursday, April 24, 2008 05:21 PM

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