今の大阪のあるところは、日本がつくられる前「豊かな狩り場」だった
キャンプ(野営地)で狩りに用いる石器を加工しながら、水場に集まる獲物を狙う——。そうした、後期旧石器時代(約2万3000〜約2万年前)の日本列島先住民の暮らしの痕跡が、大阪市平野区の瓜破(うりわり)北遺跡で見つかったと、YOMIURI ONLINE(読売新聞)が伝えている。
縄文時代中期(約6000〜5000年前)までの間の石器が、破片も含めて2000点以上出土したのだそうだ。ここが長期間にわたる「豊かな狩り場」だったことがわかり、専門家も「大阪市内で、1か所から大量に見つかるのは珍しい」と言っているほど。記事はつぎのように続ける。
後期旧石器時代の石器は、ナイフ形石器(長さ3〜9センチ)約50点など。薄くはがれた破片や石の芯の部分なども、まとまって見つかった。縄文時代は、石の矢尻(長さ1〜3・5センチ)約50点など。いずれの時代も石器製作跡と確認できた。使われた石は、大阪、奈良府県境の二上山産サヌカイトが大半。近畿北部産チャートや瀬戸内産凝灰岩、府外でしか採れない黒曜石もあり、交流の広さがわかる。また、調理用とみられる焼けた石が見つかったが、住居跡などは確認できず、野営をしていたらしい。
大阪平野南部の丘陵地から北に延びた、台地の先端に立地。調査地東側に南北に延びる谷跡があり、多数の木の根が残っていたことから、当時は水場が近い森で、多くの動物などの獲物がいた可能性が高い。田中清美・市文化財協会担当課長は「後期旧石器時代と縄文時代の石器製作技術の違いや、当時の生活の様子が具体的にわかる」と話す。
Source : 古代の大阪「豊かな狩り場」旧石器〜縄文時代平野・瓜破北遺跡 2000超す石器出土
このニュースを読みながらまず頭に浮かんだのは「幸福な狩り場」という言葉だった。これはアメリカ大陸先住民のなかの、イロコイ、チェロキー、アルゴンキン、ラコタ(スー)といったいくつかの部族が「死者の(スピリット)赴くところ」として用いている概念である。彼らがいつごろからこの言葉を使っているかははっきりしないのだが、「獲物がいくらでもある豊かな狩り場」が日常のなかから消えた後につくられたものかもしれない。
たとえば平原インディアンにとっては、バッファローが白人移住者たちの皆殺しによって姿を消した後、バッファローたちが生活圏に共存していた平和で美しかった時代のことを「幸福な狩り場」として忘れないようにしたとも考えられる。
狩猟・最終・農耕を組み合わせて生活の基盤にしていた人たちにとっては、「豊かな狩り場」はそのまま楽園のような自分たちの世界の一部だった。「幸福な狩り場」は現実の「豊かな狩り場」そのままであり、違っているところはほとんどなく、あるとすれば雨が降らずつねに良い天気で、うさぎや鹿やバッファローたちも、人間を見てもまったく逃げる気配を見せないところだという。ラコタの人たちの死生観によれば、人は死ぬと、その人間が生きているあいだに髪の毛を切る(しばしばこれを「頭の皮をはぐ(スカルピング)」と表現された)ことさへなければ、そのスピリットはその幸福な狩り場に行くことになっている。戦において勝者が敗者の髪の毛を切り取るのは、その敵のスピリットを幸福な狩り場に行かせないためなのだろう。余談ではあるが実際に頭の皮を戦利品としてはぐことを教えたのは白人の入植者だった可能性がある。
ラコタの人たちの「幸福の狩り場」にたいする深い思い入れは、英語のウィキペディアに掲載されていたオグララ・ラコタのメニー・ホースィズ(Many Horses)のつぎの言葉にもうかがえるだろう。
わたしは白人の道を進むことになるだろう。白人を自分の友にするだろうが、白人の役に立つようなことをするつもりはない。コヨーテのように、ずる賢く生きるだろう。白人の道を理解するのに助力を求め、そして自分の子どもたちのための道を整えてやることになる。子どもたちはきっと自分の靴を履いて白人を追い越していくはずだ。
われわれにはふたつの道しかない。餓えて死に通じる道か、白人の貧乏人たちが暮らすところへ通じる道のふたつの道だ。いずれにせよその道の先には、白人の行くことのできない幸福の狩り場が待っている。
メニー・ホースィズ、オグララ
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