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Monday, March 31, 2008

アメリカ・インディアンとチベット

Last Modified Tuesday, April 1, 2008

news過去50年間におよぶ中国政府のチベットの人たちにたいするやり方は、アメリカ合衆国政府がネイティブ・アメリカンの人たちにたいして20世紀の前半におこなってきたこととおそろしく似ているように思える。

たとえば中国政府は自国民を鼓舞してチベット人の土地に移住するように仕向けそこで商売をはじめさせてきたが、これはアメリカ政府が白人移住者をインディアン領に送り込む政策をとったことと重なっている。

中国の共産党政権は宗教を「過去の遺物」のように認識していて、現代を生きる人間にとってそんなものは必要ないというふうに考えているようだが、これもまたアメリカ政府が「インディアンの宗教とその実践」を「野蛮なもの」として信仰の自由を認めようとしなかったこととそっくりである。

しかしながら、デザートのなかのリザベーションであれ、ヒマラヤ高地であれ、そうした土地に——鉄道という文明の象徴を使って——訪れる征服者側からの観光客が興味を持つのは、そこに暮らす人たちの伝統的な文化なのだな。インディアン・リザベーションを訪れた好奇心旺盛な人たちが先住民の伝統文化を求めたように、経済発展で旅をする余裕のできた中国の人たちも、チベットの伝統文化に興味を露わにする。

アメリカ先住民の視点から言えば、1950年代から60年代にかけて、大量のアメリカ人ツーリストが大挙してインディアンリザベーションを訪れ、文化的遺産の大半がお金を代価にして持ち去られてしまったことを思い出させる。今チベットで起こっているのは、そうしたことと同時に、多方面から中国への同化への圧力が強まり、政策が実施され、子どもたちに中国語の学習が徹底されていることもまた、そして民族差別を巧みに使っているところもまた、アメリカ・インディアンの各部族の文化や言葉が辿った厳しい道を彷彿とさせる。

チベットの人たちも、アメリカ・インディアンと同様に、文化的宗教的な抑圧にたいして不満をつのらせてきている。中国政府は、「良いチベット人はみな中国人の一部となった」ことを世界に知らしめるために今年のオリンピックを政治的プロパガンダに利用しようとしていることは、ハリウッド映画をプロパガンダに使って「良いインディアンはアメリカ人の一部になったこと」を世界にしろしめたことと重なる。中国もアメリカも自国の内部で起こっている先住民の蜂起を「国内問題」として世界に知らせないためにメディアを強力に操っていることもまた同じである。

忘れてはならないのは、先住民の問題を内側に抱え込んでいるという点からすれば、今回のチベット問題にシカトをきめこんでいる日本とても例外ではないということだろう。

追記 さらにチベットとアメリカ・インディアンに共通しているのは、地下に膨大な鉱物資源が埋蔵されていることが、支配国政府によって発見されてしまったところにもある。たとえばナバホやラコタの人たちの国には石炭やウラニウムが眠っていることがアメリカ政府によって発見されているし、中国政府は21世紀になってチベットの大地に銅、亜鉛・鉛、鉄鉱石の鉱床を発見し、それを独り占めして運搬するための手段として青蔵鉄道を建設した。

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Saturday, March 29, 2008

地球に生きる人にとって大事なこと 2.0

pawこのブログをはじめたのは2004年の3月だった。最初の数回は手探りで、半ばおそるおそる、それまでにぼくが個人的に収集してきたいろいろな部族に残されていたおとぎ話のようなものを紹介していた。そして4年前の3月27日に「地球に生きる人にとって大事なこと」という記事を書いたのが、ネイティブの人たちの考え方を伝えるための最初の文章だった。ひとつの節目を通過した今回は、その文章にもう一度手を加えて、さらなる4年間のための意思表示として、もとの文章を今という時点でアップデートしたものを再度掲載する。この4年間で、正確な数はわからないものの、総アクセス数はまもなく100万回を、訪問者の数も60万人を越えようとしている。少数民族の世界の動きや考え方という、狂気の時代にあって地球のバランスをとるのに不可欠な対抗文化を扱うサイトとしては、よくここまで生き延びているなと思わないわけでもない。ここまで続けてこられたのもそれだけ通い続けてくれた読者のみなさんのおかげだと思っている。それでは「地球に生きる人にとって大事なこと」の2008年バージョンをお読みください。

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地球に生きる人にとって大事なこと 2.0

インディアンの人たちの祈りが、多くの場合「All My Relations」という3つの英単語で終ることに気づかれた方も多いと思う。「オール・マイ・リレーションズ」とは、ラコタの人たちの言葉「ミタクエオヤシン」の英語への翻訳で、日本語にすると「すべてのわたしにつながるものたちよ」という呼びかけである。今ではラコタの人たちのみならず、実にたくさんの部族の人たちがこの言葉を用いている。これは、すべてのいのちあるものがひとつの大きな輪をえがいてつながっていると見るネイティブ・ピープルの世界観の提示であるだけでなく、そのことをことのほか大事に思う気持ちのあらわれ以外のなにものでもない。地球に生きる自然な人たちにとって、そのいのちの輪こそが、かけがえのないほどに大切なものなのである。重要なのは、そうしたなにかを大事なものと思い、いとおしいものと感じる気持ち、大切ななにか、あるいは大切な存在を、心から敬い、そのようなものとして接し扱うこと、敬意を払うこと、よく英語で言われるところの「リスペクト」ということだ。なにかを大事だと感じたり、大切だと思ったりすることが悪いことではないとわかっている人はかなりの数にのぼるのだろうが、実際に「敬意を払う」「尊敬する」「リスペクトする」というのが意味しているもの、あるいはそれがどのようなものなのかについて、明確にイメージできる人は数えるほとしかいない。リスペクト、それはお金で買えるようなものではない。リスペクトというのは、存在の仕方であり、それはこの世界に存在することごとくすべての種のためのものであり、赤い人、黒い人、白い人、黄色い人の世界の四つの肌の色の人たちのためのものであり、そしてその対象は人間のみにとどまることなく、わたしたちにつながるありとあらゆるすべてのいのちのためのものである。リスペクトを示すことを、ネイティブ・ピープルは「生きていくための基本」と考えている。リスペクトということをわかりやすく解説した詩文があるので、紹介しておこう、

リスペクト、バランス、ハーモニー

リスペクト、それは妨害をしないこと。
リスペクト、それは対立をしないこと。
リスペクト、それは非難をしないこと。
リスペクト、それはあざけらないこと。
      とくに年寄りをからかわないこと。

リスペクト、それはわれわれのあいだに嘘のないこと。
リスペクト、それは信頼を裏切らないこと。
リスペクト、それは「ぶったくり」のないこと。
リスペクト、それは「ひとりじめ」のないこと。

リスペクト、それは「誰かを支配しようとしない」こと。
リスペクト、それは命令をしないこと。
リスペクト、それは怒りにまかせて叫んだりしないこと。

リスペクト、それは悪い言葉づかいをしないこと。
リスペクト、それは誰かの悪口を言わないこと。
リスペクト、それは自分をコントロールしておくこと。

リスペクト、それは「人格に」ではなく、
「問題点に」焦点をあてて事の解決をはかること。

リスペクト、それは「誰が正しいか」よりも
「なにが正しいか」に焦点をあてること。

リスペクト、それは自らの否定的な面を自覚し、他人に責任を転嫁しないこと。他人に責任を転嫁する人間は、自らの否定的な面を他の人間に投影しているにすぎないのだから。それはやがて偏狭な考え、それに基づいた戦争、そして皆殺しへと移行していく。

リスペクト、それは異なる意見を持っている人たちとのあいだに意思疎通のための回線を持ちつづけ、誠実に相手に語りかけて理解してもらおうと努力すること。

リスペクト、それはみんなの声が聞こえてそれぞれがなにを言っているかを理解するまで、じっくりと耳を傾けること。そうしたときにのみインディアンの霊性の到達地点である「均衡と調和(バランスとハーモニー)」がもたらされる。

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Wednesday, March 26, 2008

Cherokee Morning Song - I am of the Great Spirit

歌詞は以下のようになっている。

ウェン ディ ヤ ホ、ウェン ディ ヤ ホ、ウェン ディ ヤ、ウェン ディ ヤ、ホ ホ ホ ホ、ヘ ヤ ホ、ヘ ヤ ホ、ヤ ヤ ヤ

ワレラ(Walela)は、リタ・クーリッジと姉のプリシラ・クーリッジ、ローラ・サターフィールドの3人のチェロキーの血を引く女性たちが結成したコーラスグループ。そのワレラが歌う「チェロキーの朝の歌(チェロキー・モーニング・ソング)」には、太古より伝えられたチェロキーの偉大なる精霊を讃える祈りの言葉が使われている。

デイビッド・マイケル・ウォルフ(David Michael Wolf)という東部バージニア・チェロキーの歴史学者によればimagename「ウェン ディ ヤ ホ」とはとても古いチェロキーの言葉で、

  ウェン (A we n') わたしは
   ディ (de) 〜のもの
    ヤ (Yauh) 偉大なる精霊
    ホ (ho) そのとおり

となり、この歌は「わたしは 偉大なる精霊の もの、そのとおり(ホ!)」と翻訳することができるフレーズの魔術的な繰り返しだという。きっと古代のチェロキー語にはメディスンが宿っているに違いない。

この歌は彼女たちのファーストアルバム「Walela」に収録されている。

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Tuesday, March 25, 2008

いかに泣くかを学びなおすべし

「われわれはいかに泣くかを学びなおさねばならない。強い男は泣く。ぐっと涙をこらえるなどと言うのは、弱い男のすることだ」
アーチー・ファイアー・レイム・ディアー

ラコタの聖者だったオールドマンことジョン・ファイアー・レイムディアーの息子がアーチー・レイム・ディアー。10代中頃にローズバッド居留地から出て、朝鮮戦争に従軍し、兵役を終えた後はハリウッドで俳優としてインディアンの役を演じていた。父親の本のおかげで豊かなインディアンの仲間入りをして、父親のレイム・ディアー亡き後もカリフォルニアで暮らし、80年代には仲間だったネイティブたちから、インディアンの精神的な教えを金に換えていると非難されることもないわけではなかったものの、「人はヴィジョンによって自分が辿りたくはなかった道を歩まされることもある」として自らのおかれた環境のなかで精一杯やるべきことをやっていたような印象も受けた。数年前にスピリットたちの世界に赴く。この言葉は彼がリチャード・アードスと共に書いた『Gift of Power』という書物からの一節。

いい大人が泣くなんてと、よくしたり顔で言われるが、アーチーが言うように、これは本質的に間違っているような気がする。感情の起伏を露骨に顔に表すのは子供じみていると世間的には認識されているのかもしれないが、ネイティブ・ピープルのエルダーはしばしば「涙にはふたつの種類がある」という。ひとつは「しょっぱい涙」で、もうひとつは「甘い涙」である。

前者は物理的精神的な「痛み」からくる涙であり、後者は「喜び」からくる涙だ。この2種類の涙を同一視してはならない。強い人間というのは、男であれ女であれ、自分を知り、自分と自分を創られた偉大な存在とのつながりを確信しているものであるから、彼女、もしくは彼は、スピリチュアルな行為のひとつとして涙を流すことができる。人間の身体の仕組みからいうなら、それは泣くように設計されている(誰によって?)ものなのだな。

人間の身体をデザインされた存在を讃え、その作品のひとつであるおのれの身体を讃えて、当初の意図通りに肉体を使いこなすことは、われわれの義務のひとつではないだろうか?

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Wednesday, March 19, 2008

『雲のごとくリアルに』の刊行を記念してトークショーをおこないます

『雲のごとくリアルに』刊行記念 北山耕平トークショー
  聞き手:青野利光(スペクテイター編集長)

 「自分たちのメディアをつくらないか」

 日時:2008年4月11日(金)19:00 ~ 20:30(開場 18:45 ~)
 会場:青山ブックセンター本店内 洋書コーナー
 住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 5-53-67
      コスモス青山ガーデンフロア(B2F)

 定員:50名様(50席は予約で一杯になりました。立ち見席は入れます)

 入場料:無料 要電話予約

※店内での開催となりますので立ち見でよろしければご自由にご観覧いただけます。

 ■お問い合わせ電話&予約■

 青山ブックセンター本店  03−5485−5511
 予約受付時間:10:00〜22:00

(※受付時間は、お問い合わせ店舗の営業時間内となります。)

▽詳細は:『雲のごとくリアルに』(Pヴァイン・ブックス)刊行記念トークショー・インフォメーション・サイト

参考記事:雲のごとくリアルに −− 長い距離を旅して遠くまで行ってきたある編集者のオデッセイ 青雲編

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世界中のネイティブ・ピープルは「8,000 Drums」の儀式に参加せよとのメッセージ

featherもう時間があまりないのですが、メキシコ中央時間の2008年3月21日の正午(東京地方時間3月22日午前3時)に、世界中の大地とつながった人たちが「ドラムを叩いて」くれるように、アメリカやカナダのいくつもの部族のメディスンマンやメディスンウーマンたちが求めているという報せを受け取りました。

ぼくのところへは、カナダのモントリオールにいるモンタグナイス・インディアンのメディスンマンでありヒーラーのギルス・ノバクス氏の友人である人物から「聖なる太鼓の音で母なる地球を癒す日」のニュースが届けられました。彼らもまた一族のヒューロン氏族のふたりのグランマ(グランドマザー)から、世界中のインディアンたちに広く伝えてほしいと求められたのだそうです。

その日「8,000 Drums」と名づけられた母なる地球を癒すための世界規模の儀式が行われます。

参加する人がおこなうべきことは、どんな種類の太鼓でもよいので、正しい時刻に、1人でも、集団でも、部族全員が参加してでも、太鼓を打ち鳴らすこと。この太鼓を鳴らす目的は、オトミ一族(マヤ族のなかの、オルメカとトルティックの子孫)が洞窟のなかに岩絵として500年前から神官たちの間でのみ秘密裏に伝えられてきた「オトミの予言」を成就させるためだそうです。まさにその日そのときに、世界中のインディアンたちが8000の聖なる太鼓を打ち鳴らせば、この世界のあらゆるものを創られた存在がその音を聞きつけて、さまざまな国の人たちによって傷つけられ破壊されている母なる地球の病を癒すことに力を貸してほしいというわれわれの祈りをかなえてくれるのだそうです。

おもしろいのは、ここでも「八」という数字が「八百万(やおよろず)」とおなじように「とてつもなくたくさんの数」を象徴していることです。「8000の太鼓」が一斉に叩かれる地球でどんな音がするのか想像もできませんが、そのことがわたしたちの祈りの力を増幅させてくれる可能性をぼくは否定するものではありません。亀の島が昼の時、日本列島では真夜中ですので、太鼓を叩く場所を選ばなくてはなりませんな。

動画による呼びかけもご覧ください。

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Monday, March 17, 2008

すべてのアメリカ・インディアンたちの6人の母

DNAアメリカ・インディアンの95%が2万年前にアジアからアメリカに渡ってきた6人の母親の子孫であることがわかったと遺伝子研究の専門家が発表した。15日のUPI電が伝えたもの。

この事実を報じたCNNなど他のいくつかの報道をまとめてみると、今回の遺伝子調査は母から娘へと伝えられるミトコンドリアDNAの研究に基づいたもので、今までにおこなわれたどの調査よりも総合的なものであるそうだ。そして、この6人の女性たちのデオキシリボ核酸(DNA)の形見が北米・中米・南米のすべてのインディアンの95%から発見されるのだという。

ただしこの6人の女性たちだけが、アジアからアメリカに渡ってきたインディアンのすべての祖先であるというわけではないらしい。研究者によれば、この6人の女性は、1万8000年から2万1000年前のあいだのどこかで別々に生きていたのであって、全員が同じ時に生きていたわけではないからだ。そしてこの6人がどこにいたのかというと、それは今のアジアのどこかではなくて、かつてアジア(シベリア)と北米(アラスカ)をつないでいて今は海のなかに没している陸橋ベーリンジア、橋とはいえ幅1400キロの大平原のなかのどこかであったらしい。CNNはこう書いていた。

この時代には、もっと多くの女性が生きていたはずだが、現在のアメリカ大陸で暮らす先住民に引き継がれたミトコンドリアDNAの由来は、この6人だったとしている。

アメリカ大陸へどのように人類が居住したかを研究している米フロリダ大学のコニー・マリガン氏は、先住民の祖先が6人に集約されることは、驚くことではないと話す。現在の先住民の人数を考えれば、6人は妥当な数だという。

しかし、この研究からは、この6人の女性が「どこで」暮らしていたかはわからず、また「どれぐらいの人数」がベーリング海峡付近を離れてアメリカ大陸へ移動したかがはっきりしないため、さらに詳しく研究する必要があると話している。

ぼくとしては、残りの5%の母親のことも気になるのだが・・・

next Genes link 95 percent of American Indians

next アメリカ大陸の先住民、2万年前の「女性6人」が先祖

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Give Peace A Chance, Free Tibet


tibet flag



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Friday, March 14, 2008

地球で生き残るために、正しい食べ物を味わい、地球の旅の仕方を学ぶ あたまと心と体の栄養となるセミナーの案内

Last Modified Friday, March 21, 2008

microphone3月16日(日曜日)に仙台市で「海に空に放射能を捨てないで!―STOP!再処理本格稼働―」(三陸・宮城の海を放射能から守る仙台の会/わかめの会)というギャザリングがおこなわれる。ぼくの若い友人たちもこれにかなり深く関わっている人たちがいる。そのひとり冨田貴史(トミタタカフミ)くんは、巡礼のように放射能汚染のない世界というヴィジョンと共に日本列島を旅して歩くスーパー・トラベラーのひとりだ。2月3日に神戸のモダナークカフェで彼とぼくはジョイントでトークライブを行った(主催ランド・アンド・ライフ)。

意識波動医学研究会その彼が、この3月23日(日曜日)に、彼の友人たちと東京の恵比寿で、「物理的精神的な旅のしかた」についてのトークライブをオープンセミナーという形で行うことになり、1年程前に『spectator vol.17』(エディトリアル・デパートメント発行/幻冬舎発売)で自分の長い旅の話をしたぼくも、当日講師の1人としてこれに参加することになっている。

主催は、意識と人間の健康を研究する意識波動医学研究会。会場はクシマクロビオティックアカデミィのセミナースペースで、マクロビオティックの原理にのっとったランチをはさんでのほぼ半日のセミナーである。この学びの場の定員は40名ほど。(*21日現在若干の空席があるそうです)

地球で生き残るために、正しい食べ物を味わい、正しい考え方、地球の歩き方を学ぶ「あたまと心と体の栄養となるセミナー」に興味があるかたは、ぜひ足を運んでみてください。

イベントの詳細:

arrow2 2008年春季セミナー "Have A Nice Travel" 意識波動医学研究会

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「植民地化」についての個人的なメモ

植民地化という言葉は英語では「コロニアリズム(colonialism)」という。このコロニアリズムは「コロン(colon)」という英語の単語と関係がある。コロンとは「消化器官のひとつである大腸」のことだ。つまり植民地化とは「消化してしまうこと」「ひとつの国をまるごと食べ尽くすこと」であり、植民地にされることは「一族の土地といのちとその人たちの富や伝統がことごとく消化されていくプロセス」ととらえることができる。

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フランク・アウトローの教え

自分の考えていることに注意せよ、それがあなたの言葉になる。

自分の口にする言葉に注意せよ、それがあなたの行動になる。

自分のとる行動に注意せよ、それがあなたのくせになる。

自分のくせに注意せよ、それがあなたの性格になる。

自分の性格に注意せよ、それがあなたの運命になる。

フランク・アウトロー

じつは「フランク・アウトロー」なる人物は存在しないという。それでも、この五行の言葉がインターネットの上で引用される時は、たいていいつも著者として「フランク・アウトロー」という名前が使われていると、インターネット的なQ&Aサイトであるウィキ・アンサーには書かれている。

2003年ぐらいまでに編集されたいろんな有名人の言葉を集めた引用句の本にはまだ収録はされていないので、それ以降のものであるかもしれない。とある都市伝説では、2003年にこれを書いたのは自分だと名乗りをあげた「エリザベス・C」なる女性がいて、彼女によれば1998年に彼女が膠原病(こうげんびょう)と闘う人たちのメーリングリストでそのメンバーにEメール配信したものであるとされる。伝説によれば「このわずか五行の言葉は以後インターネットのなかで水を得た魚のごとく勢いを増して、一気にみんなのデスクトップのうえで話題となり、今ではそこらじゅうに出回っている」とされているが、あまり顔が広くないぼくがこれを聞いたのは今回が初めてだったので、ここに翻訳して引用しておく。

arrow2 WikiAnswers - Who is frank outlaw

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Thursday, March 13, 2008

抱きしめられたい?

女性土偶

埼玉県の久喜インターから15分ほどの菖蒲(しょうぶ)町役場前の小林八束(おばやしはっそく)1遺跡で発見された縄文後期(約3500〜4000年前)のユニークな表情をした女性土偶。高さ4・7センチ、顔の直径は3・5センチ程度で、胸にふくらみがある。鼻から口にかけてゆがんでいるのが特徴で、叫んでいるようにも見える。文様や土質などから縄文後期のものと推定されている。読売新聞(YOMIURI ONLINE)埼玉版 3月13日より。

Source : 菖蒲では女性土偶 小林八束1遺跡 18、19日公開

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Wednesday, March 12, 2008

今宵、西の夜空でなにか素敵なことが起こる

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今夜、晴れているところなら、青い夜が降りてくる夕方7時(19時)頃には月齢5日目の月とプレアデス星団(すばる 六連星)が西の空で接近し、やがてゆっくりと一緒に連れ添うように沈んでいく神々しい天体のショーが見れるはずです。両者の距離は夜が更けるにつれていよいよ近くなり、このショーは西北西に月とプレアデスが沈んで姿を消す23時ごろまでつづきます。双眼鏡があればなおきれいに見れます。図版は AstroArts 2008年の天文現象ガイドより、本日の22時の月とプレアデス。


プレアデスへの歌 パウニー


見よ
あの人たちがのぼってくる
のぼってくる
大空と大地の接する向こう側から
プレアデスよ!

ご覧
あの人たちが上昇する
われらを導くために
われらを無事にまとめるために

プレアデスよ
われらがあなたがたのごとく
ひとつにつながることを
どうか、教えたまえ。

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Saturday, March 08, 2008

今の大阪のあるところは、日本がつくられる前「豊かな狩り場」だった

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キャンプ(野営地)で狩りに用いる石器を加工しながら、水場に集まる獲物を狙う——。そうした、後期旧石器時代(約2万3000〜約2万年前)の日本列島先住民の暮らしの痕跡が、大阪市平野区の瓜破(うりわり)北遺跡で見つかったと、YOMIURI ONLINE(読売新聞)が伝えている。

縄文時代中期(約6000〜5000年前)までの間の石器が、破片も含めて2000点以上出土したのだそうだ。ここが長期間にわたる「豊かな狩り場」だったことがわかり、専門家も「大阪市内で、1か所から大量に見つかるのは珍しい」と言っているほど。記事はつぎのように続ける。

後期旧石器時代の石器は、ナイフ形石器(長さ3〜9センチ)約50点など。薄くはがれた破片や石の芯の部分なども、まとまって見つかった。縄文時代は、石の矢尻(長さ1〜3・5センチ)約50点など。いずれの時代も石器製作跡と確認できた。

使われた石は、大阪、奈良府県境の二上山産サヌカイトが大半。近畿北部産チャートや瀬戸内産凝灰岩、府外でしか採れない黒曜石もあり、交流の広さがわかる。また、調理用とみられる焼けた石が見つかったが、住居跡などは確認できず、野営をしていたらしい。

大阪平野南部の丘陵地から北に延びた、台地の先端に立地。調査地東側に南北に延びる谷跡があり、多数の木の根が残っていたことから、当時は水場が近い森で、多くの動物などの獲物がいた可能性が高い。田中清美・市文化財協会担当課長は「後期旧石器時代と縄文時代の石器製作技術の違いや、当時の生活の様子が具体的にわかる」と話す。

Source : 古代の大阪「豊かな狩り場」旧石器〜縄文時代平野・瓜破北遺跡 2000超す石器出土

このニュースを読みながらまず頭に浮かんだのは「幸福な狩り場」という言葉だった。これはアメリカ大陸先住民のなかの、イロコイ、チェロキー、アルゴンキン、ラコタ(スー)といったいくつかの部族が「死者の(スピリット)赴くところ」として用いている概念である。彼らがいつごろからこの言葉を使っているかははっきりしないのだが、「獲物がいくらでもある豊かな狩り場」が日常のなかから消えた後につくられたものかもしれない。

たとえば平原インディアンにとっては、バッファローが白人移住者たちの皆殺しによって姿を消した後、バッファローたちが生活圏に共存していた平和で美しかった時代のことを「幸福な狩り場」として忘れないようにしたとも考えられる。

狩猟・最終・農耕を組み合わせて生活の基盤にしていた人たちにとっては、「豊かな狩り場」はそのまま楽園のような自分たちの世界の一部だった。「幸福な狩り場」は現実の「豊かな狩り場」そのままであり、違っているところはほとんどなく、あるとすれば雨が降らずつねに良い天気で、うさぎや鹿やバッファローたちも、人間を見てもまったく逃げる気配を見せないところだという。ラコタの人たちの死生観によれば、人は死ぬと、その人間が生きているあいだに髪の毛を切る(しばしばこれを「頭の皮をはぐ(スカルピング)」と表現された)ことさへなければ、そのスピリットはその幸福な狩り場に行くことになっている。戦において勝者が敗者の髪の毛を切り取るのは、その敵のスピリットを幸福な狩り場に行かせないためなのだろう。余談ではあるが実際に頭の皮を戦利品としてはぐことを教えたのは白人の入植者だった可能性がある。

ラコタの人たちの「幸福の狩り場」にたいする深い思い入れは、英語のウィキペディアに掲載されていたオグララ・ラコタのメニー・ホースィズ(Many Horses)のつぎの言葉にもうかがえるだろう。

Many Horsesわたしは白人の道を進むことになるだろう。白人を自分の友にするだろうが、白人の役に立つようなことをするつもりはない。コヨーテのように、ずる賢く生きるだろう。白人の道を理解するのに助力を求め、そして自分の子どもたちのための道を整えてやることになる。子どもたちはきっと自分の靴を履いて白人を追い越していくはずだ。

われわれにはふたつの道しかない。餓えて死に通じる道か、白人の貧乏人たちが暮らすところへ通じる道のふたつの道だ。いずれにせよその道の先には、白人の行くことのできない幸福の狩り場が待っている。



メニー・ホースィズ、オグララ

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Friday, March 07, 2008

おい、君はジャマイカでもマリファナが非合法だったって知っていたか?

5日程前にAP電がジャマイカのキングストンから「ジャマイカはマリファナの合法化を模索する」というニュースを流した。そこにはこう書かれていた。

ジャマイカはマリファナの合法化を模索する

Rastafarianジャマイカはマリファナの合法化を考慮中だ。マリファナは島の人口の多くを占めるラスタファリの人たちによって崇拝されているドラッグである。ラスタファリの人たちは、マリファナを吸うことは自分たちの宗教の一部だという。

政府の委託を受けた7人の委員からなる特別委員会が、カリブの国の反麻薬法の変更の可能性を研究している。政府の関係者が先週の金曜日に語ったことにによれば、警察の一部から、法廷や刑務所がマリファナ関連の事犯で手一杯だと不満の声が出ていたからだという。

ジャマイカのケネス・ボー副首相は「議論はすでに終えていて、われわれは首相への答申を用意しているところだ」と言う。

2003年、政府の委任を受けた委員会は、個人使用の少量のマリファナの合法化を勧告したものの、議員たちは、マリファナの合法化はせっかくジャマイカが受けているアメリカの反麻薬法認証を失いかねないとして、かたくなに合法化へは動こうとはしなかった。これを失った国は、経済制裁に直面するからだ。

同じ金曜日に出されたアメリカ国務省の報告には、ジャマイカはカリブ諸国の中で最大のマリファナ生産国であり、アメリカに向かう麻薬の主要な中継国であると記されていた。

ラスタファリアン運動は1930年代に黒人への弾圧にたいする怒りのなかから出現したもので、彼らはこれまで長い間マリファナというドラッグを神聖なものに近づけてくれるものとして合法化のロビー活動を続けてきている。

世界には推定で70万人のラスタファリアンがいるとされる。その大多数が、人口260万人のジャマイカのなかに存在している。

Source : Jamaica Explores Legalizing Marijuana

このニュースを読んだ時、「なに、ジャマイカではマリファナはとっくに合法じゃなかったの!?」と驚いて椅子から滑り落ちそうになったのは、おそらくぼくだけじゃないだろう。調べてみたら、マリファナを合法化するように21世紀になってからも2度、2001年、2003年に答申が議会に提出されてはいるけれど、あのガンジャ大国で、国民の多くが自らの宗教行為の一部としてマリファナを鬼のようにフカしているあのジャマイカでもマリファナはいまだに非合法なのだった。結局、アメリカににらまれて経済制裁を食らったら困るという理由で、合法化に踏み切れなかったのだね。3度目の正直はあるのだろうか?

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『雲のごとくリアルに』(北山耕平著)が本日発売されるので、そのまえがき全文を掲載

news『雲のごとくリアルに −− 長い距離を旅して遠くまで行ってきたある編集者のオデッセイ 青雲編』(ブルース・インターアクションズ刊)が本日発売される。ブルース・インターアクションズ社のサイトには『ビート・ジェネレーション ジャック・ケルアックと旅するニューヨーク』(ビル・モーガン 著 今井栄一 訳)という本と同時発売というお知らせが掲載され、日本のアマゾンでも数日前から予約は可能になっていた。売文の徒にとって、本が形になるのは無上の喜びではあるが、とはいえ印刷される部数の関係で、すべての書店で並べられるとは限らないから、興味のあるかたは、そんなことで書店に文句を言う前に、こういう本を扱ってくれるニュータイプの書店にさっさと行くか、通販書店でご購入ください。:-)

これは、インターネットがまだ想像の範囲にとどまっていた頃、運命的に昭和の御世の帝都 TOKYOで「若者雑誌編集者」という職業に就くことになってしまった有機ワードプロセッサーであるぼくが70年代の前半に目にすることになったイノセントな時代の、若者がかろうじて汚れなき夢を持つことができたおそらく最後の時代の、紙の雑誌の文化が落日の夕日のなかで一瞬きらめくことになる前夜の有様を描いたノンフィクション・ノベル(?)。ここに託されたメッセージがそれを必用としている人たちの手に届き、必用としない人たちの目に触れないことを切に祈るものである。以下はそのまえがきの全文。


ほんとうのことを伝える文体(スタイル)が必要だった


いこと活字の世界を生きてきた。活版印刷の時代が終わる直前に活字の世界に飛び込み、原稿用紙の四角い桝をひとつひとつ手書きの文字で埋めていく作業をあたりまえのように受け入れた昔から、輪転機とインクの香り漂う写植オフセット印刷の時代を経て、デスクトップ・パブリッシングを可能にするパーソナル・コンピュータのワードプロセッサーという道具で個人が活字を自在に操れるようになって、インターネットの網の上でブログの時代がはじまる以前から、活字で自己表現をすることをぼくは生業としてきた。

活字は今もかわることなくぼくを世界とつなげる媒介の働きをしてくれている。音楽少年にとってエレキギターが武器であったように、コンピュータ(とその機能の一部であるワードプロセッサー)は(かつて活字少年だった)ぼくにとっては自己を解放するための武器であり続けている。自分には伝えなくてはならないことがあると、いつのころからか信じ、口から耳へと声で伝えることの大切さに気がついた今でも、映像の力を教えられた今でも、それでも活字をぼくは必要としている。自分がどのようにして活字の世界のなかに足を踏み入れ、その世界のなかで生き延びる方法を獲得してきたのかについて、なんとか次世代に伝えたいものだとかねがね考えてきた。

文字はもともとはそれを読む人間を支配するための道具として発明されたとぼくは考えている。グーテンベルグが活版印刷を発明して以来、これ見よがしに活字にされた文字は、紙に話をさせて人を操るための道具として使われてきた。二十世紀後半に活版印刷の時代が終焉を迎え、タイプライターによって、あるいはパーソナルコンピュータによって活字が個人に解放されると、印刷機から解放された活字の不思議な力もまた特別な人たちのものからすべての人のものへとゆるりと転換された。




がつけば誰もが活字を自己表現の媒介として使えるようになった時代をぼくたちは生きている。手書きの文字が力を得る反面、活字は解放に向かう途上にある。ぼくたちは活字との新しいつきあい方を求められはじめた時代を生きつつある。パーソナルなメディアの時代をだ。そうした時代に活字の世界に求められるのは、活字を操る能力と、活字によって表現されたもの全体を再構成していく編集の能力であることは間違いない。メジャーな古いタイプの雑誌が、大物作家と著名人の名前が目次に並べられた雑誌が、インターネットの時代に押されるように衰退していく直前、パーソナルなメディアを予見させるようにさまざまな「若い雑誌」がいくつか花を咲かせた七十年代に、時代の子としてのぼくは結果的に等身大のメディアを作る作業に悪戦苦闘しつつ没頭していた。

世界が大きな変化にのまれつつあった時代、活字が解放されて個人のものとして利用できるようになる少し前の時代、新しい意識の波に乗り自分たちの世代のことを自分たちの言葉で語る最初のメディアを模索しはじめたぼくたちがどのようにして時代の波に危ういバランスで乗っていたのかを、インターネットで自己表現が解放されて以後を生きる君に話しておきたいと思った。そしてそうした自分のことを語るのにもっとふさわしいスタイルで書こうと考えた。ぼくはこの「雲のごとくリアルに」を「自然発生的散文」と個人的に分類している。別の言葉でいえば、その時の意識の流れにできるだけ正直に逆らわないようにして、一度書くべきことが決まったら句読点や文の切れ目などに気をとられずに一気に書けるだけ書いて言葉を積み上げていく「無作為の散文」というスタイルで、このさながらジャズやロックのインプロビゼーションように現実を取り込む正直な文章のスタイルを創り出したのは、記憶に間違えがなければかのジャック・ケルアックである。

アメリカの七十年代の友人のひとりが「書くことは宇宙とファックすることだ」とぼくに言ったことがある。自然発生的な、書きはじめたら成りゆきに逆らわない散文とは、まさしくそれではないかと思っている。この文章のスタイルはじきにニュージャーナリズムを生み、ゲイ・タリーズ、トム・ウルフ、ハンター・S・トンプソン、ノーマン・メイラーらのジャーナリストや作家らによってノンフィクションと小説の壁に穴があけられ、そこからあふれ出した言葉のスタイルが時をおかずして若き報告者たちによって、リアルなもののあふれる現場に持ち出されて、アメリカではやがてローリング・ストーン誌など新時代の雑誌のライティング・スタイルへと結晶化していく。活字の世界で生きるようになって以来、書くことの快感に引きずられるように、ぼくはさまざまな雑誌メディアで、広告という危険な匂いのするところには用心深く立ち入らないようにしつつ、自分たちの世代の言葉を語る文体を模索してきた。書く人間の意識がどのように文体に載って活字の並びを通して読む人間の頭や心に届いていくのかを、たとえば「自由」や「差別」についてを政治的な文脈ではなく詩のように伝えられる文体を探してきた。




十一世紀になって、再び自分たちの言葉で話そうとするフリーペーパーやインディーズ・パブリッシングやファンジンといったニュータイプの既成概念に囚われない媒体の萌芽も見られる。活字の持つ力を信じる新しい世代が生まれつつあるような印象も受ける。なによりもまず、その世界で生きようとするものは伝えるべきものを獲得し、それを表現する自分たちの、時代を切り開いていくための意識の乗り物としての文体を作りあげなくてはならない。そして時代の息吹を—「今」と「ここ」とを—胸いっぱいに吸い込んでおもいきりハイになり、自分たちが没入できる媒体を誕生させ、そのなかを意識の流れにしたがってキーボードからあふれ出す活字で満たしてやる必要がある。

七十年代というイノセントな時代にぼくたちが産み出そうとしたものが、欲に目をくらませた薄汚れた大人たちの手でゆっくりとその向かう方向を変えられてしまったことは否定できない。しかしそれでもなにかが残された。感性に正直になって自分たちにとってほんとうだと思えることを活字に託して伝える若者らしい行為が、結果としてゴミではないなにかを残すことを、ぼくは信じる。自分たちが自由になるための道具としてデジタルな活字たちを使う日のために、あの時代というものをぼくの頭がどのように感じ取っていたのかを正直な意識の流れで話すことは、けして無駄ではないことのように思える。いくら映像が主流の時代となり、映像しか見ない人たちが増えたとしても、ハートからあふれ出す言葉で自分たちを自由にできなければ、時代を変えることなどできるわけがないのだから。キーボードを叩け。そしてあふれ出す活字で時代を編集してみせてほしい。

ぼくはいまだに正直なメディアの登場を夢見ている。

Real as a Cloud 雲のごとくリアルに
長い距離を旅して遠くまで行ってきた
ある編集者のオデッセイ 青雲編

著者: 北山耕平
ブックデザイン: 加藤雄一
価格: ¥ 1,680 (税込)
出版社: ブルース・インターアクションズ
ハードカバー: 200ページ
ISBN-10: 486020266X
ISBN-13: 978-4860202668
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Thursday, March 06, 2008

縄文人・倭人・弥生以降の日本人を巡るアサヒコム関西のトリップにつきあう

asahi.com 関西版が「九州大ミニミュージアム・倭人(わじん)の形成」を紹介する記事を掲載していた。

日本人の起源 探る第一歩に

日本列島に先住していた縄文人と弥生期に渡来した人々との混血で、日本人が成立したとみるのが定説になっている。その渡来人が最初に足を踏み入れた北九州発の「九州大ミニミュージアム・倭人(わじん)の形成」が、日本人の起源を探る第一歩にふさわしい。

九大では地の利を生かし、遺跡から発掘された古人骨の研究が盛んだ。「縄文人と弥生人」中の「身長・遺伝」を見ていただこう。面長の渡来系と彫りが深い縄文人の頭骨の違いは印象的。さらに頭骨の形態小変異から縄文人、アイヌ、古墳人、現代本州人、中国人、タイ人からハワイ人、北米先住民まで類縁関係を整理した図は圧巻。

「縄文人と弥生以降の日本人は同系統の集団とは考え難い」のだが、縄文人の血を消し去るほど大量の渡来人が来たのか。「今日の学説」で「弥生人の人口増加」は「稲作農耕の定着とともにおこった人口の急激な増加によると考える方が自然」とする。縄文人も急速に農耕技術を身につけ移行したのだろう。

約半々であった縄文人と弥生人」は最近のY染色体の研究を引いて縄文人由来の多さに驚く。民族学者の梅棹忠夫さんが「日本人の物づくりが得意な体質は縄文期から続いている」と言われたのを思い出す。

Source : 日本人の起源 探る第一歩に(asahi.com 関西 2008年03月03日)

この記事がなんのための物か非常にわかりにくいのだけれど、「縄文人と弥生以降の日本人は同系統の集団とは考え難い」という点について、「九州大ミニミュージアム・倭人の形成」が掲載している図がこれだ。

縄文人と弥生以降の日本人

読めばわかるけど正確を期すために書き写しておくと、「縄文人と弥生以降の日本人の間には非常に大きな違いがあり、同系統の集団とは考え難い」と「頭骨の形態小変異22項目に基づく東アジア、北アメリカ、オセアニア集団の類縁関係」のところに記されている。「非常に大きな違いがあり」の部分は消されている。

さらにこの記事はその直後に「約半々であった縄文人と弥生人」という九大とは関係のない別のサイトが掲載する論文にわれわれを誘っている。こちらは京都大学大学院理学研究科の蔵琢也という研修員の人が大衆の啓蒙活動として書いた『天皇の遺伝子』(廣済堂出版刊2006年)のなかの一部を自ら公開しているサイトであり、そこにつぎのような文章があった。

約半々であった縄文人と弥生人

日本人の由来はどうだったのだろうか。結論から言えば、ミトコンドリアでははっきり、縄文系と渡来系弥生人に別れなかった。それでも様々に推定されてはいるが、これが縄文系のミトコンドリア、これが弥生系渡来人のミトコンドリアとは単純に別れなかったのだ。

この理由は中国を含む近隣の地域のミトコンドリアが多様であり、日本も多様だったからである。ミトコンドリアは分岐して多様化した年代が古いので、縄文人と渡来人の区別がはっきり付かなかったのである。

しかし、多様化した年代が新しいY染色体は違った。縄文系と渡来系が、だいたいはっきり別れたのである(図3.2)。そして、縄文人由来のY染色体と渡来人のY染色体の比率は、だいたい半々であった。これは意外である。(中堀豊『Y染色体から見た日本人』岩波書店,2005、あるいは、最新の研究を参照)

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Y染色体から見ると日本人の三分の一から半分は中国で大多数の系統(中国や東南アジアで多数を占めるO型と)であり、渡来系弥生人が持っていたと思われるタイプである。しかしもう半分は、ほとんどチベットにしかないD型と、広く環太平洋に見られるC型の混合である。いわゆる縄文系である。

D型とC型に別れるのは縄文系もやはり二種類に分かれるという一部で言われていた説を、ある程度裏付ける結果である。フィンランド人や東シベリアのウラル語族に多いN型も数%ある。このN型は遺伝的にはO型の兄弟ではあるが分岐年代は1万年以前であり、これらの民族は北極近辺に集中している。もしかするとN型はO型に近くても「渡来人」系ではなくて、「縄文人」系なのかもしれない。

この結果からいえることは金属器と稲作を持ってきた弥生人が増えるのと併走して、なぜか縄文人の遺伝子も爆発的に増えてきたのである。

この原因は今後の重要な議論になるだろう。だが、縄文人は基本的に狩猟採集民の新石器時代人とはいっても、土器や石器のレベルが最も高度な部類だったし、簡単な農耕もしていた証拠が増えつつある。とりわけ西日本では焼畑農業を既に行っていたようだ。

そもそも農耕は、それに適した作物の種が手にはいらないとできないので、良い品種の米が伝来しないと本格的な農業には入れなかった。しかし伝来すると、ほぼ数十年で名古屋の方まで伝わったと推測されている。ヨーロッパやアメリカの農耕の拡大のスピードと比べて、驚異的に速い。縄文系の人々は金属や稲作農耕を見て、他の狩猟採集民ではあり得ないほど、すぐに学んだと考えるのが最も簡単な説明だろう。

Source : DNAから見た人種と日本人 −日本人の起源を遺伝子から探る−京都大学大学院理学研究科研修員/蔵琢也

そしてこの論文のなかで、著者が意外だといっている「縄文人由来のY染色体と渡来人のY染色体の比率」についての中堀豊という研究者の最新の研究に掲載されているイリノイ大学のサイトで見つけた最新のものという「世界のY染色体グループ」(J・D・マクドナルドという学者が2005年に作成)の図 (クリックで拡大)というのがこれである。いやー、なかなかのトリップだけど、やはりネイティブ・アメリカンのもっとたくさんの部族のY染色体グループを見てみたい気がするなぁ。日本とチベットに著しくある「Dグループ」のこととかさ。

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Wednesday, March 05, 2008

写真で綴る 萱野茂の生涯 アイヌの魂と文化を求めて

life_of_kayano_shigeru写真で綴る 萱野茂の生涯
アイヌの魂と文化を求めて

萱野 れい子 著
須藤 功 編

定価:2,900円 (本体2,762円、税138円)
ISBNコード:9784540072611
発行日:2008/02
出版社:農文協


■解説(農文協のサイトより)

「独自の言語と文化があれば誇りをもって民族と言える」といい、明治以来の同化政策に異を唱え、日本の先住民族、アイヌの復権と文化の復興にかけた生涯。55年間支えた妻が280余枚の写真から、その思いを回想。

■目次

序言/夫・茂と五五年/二風谷に暮らす/アイヌ文化の教え/映像で記録する/心を結ぶ資料館/一期の国会議員/先住民族アイヌ/文化交流の旅/未来に伝える

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Tuesday, March 04, 2008

どのように生きたかが、どのように死ぬかを決める

「団塊パンチ」(飛鳥新社刊)という雑誌から「サクセスフルエイジング」の特集をするので「生き方と死に方」についての3つの質問にたいするアンケートを求めるメールが送られてきたのはひと月程前のことだった。そのアンケートになにを書いたのは、今となつてはもうあまりよく覚えていないので、3月18日に雑誌の4月号が書店に並んだ時にでも読んでほしい。「サクセスフルエイジング」がなにを意味するのかぼくには良く理解できなかったがそれが「自分が望んだとおりの年齢の取り方」のことであることぐらいは推測ができた。

これまでぼくは生きることに夢中で自分の死に方について考えたことがあまりなかったのだが、どのように生きるかは、最終的にどのようにして死ぬかということであると、ずいぶん昔に聞かされた覚えがある。かつてこのブログでも「戦士として生きるとはどういうことか?」というアーティクルのなかで、テクムシェという偉大な戦士の「死にたいする恐怖を、けして自分の心に入らせないようにして、生きるべし」という言葉を紹介した。

一時ぼくがアメリカ南西部の沙漠を旅していたころの愛読書だったカスタネダの書いた一連の「ドン・ファンの物語」に登場するファン・マテウスという呪術師は「死はどこにでもある」といっていた。死は遠くにあるものではなく、恐れようが恐れまいが、つねに自分の近くにいて、一緒に旅をしていると。二十代、三十代、四十代と、いつ死んでもいいやと思えたことも何回かあったが、そのつどぼくは生き延びることを選択して今日に至る。地球に生まれてきた人間はこの地球でやるべきことをすべてやり終えるまでは地球の旅を終えることができないと、ローリング・サンダーというエルダーに言われたことがあるからだ。やらなくてはならないことをやり残すとまたこの地球に戻らなくてはならないらしい。それもつらいよな。やるべきことを全部やり終えると人間の体を脱ぎ捨ててスピリットの世界に帰れるのだ。Lame Deer人間のサイドから見るとそれは死なのだろうが、スピリットにとっては世界が変わるだけのことにすぎない。ネイティブのエルダーたちが昔からずっと「スピリットに死はない」と言い続けているのにはきっと理由があるのだろうとぼくは考えている。ラコタの偉大なメディスンマンだった先代のレイム・デイアー(ジョン・ファイアー)翁(写真)は、亡くなる時に息子のアーチー・ファイアー・レイム・ディアーにつぎのように語り残していた。

みんなには泣かないように伝えてほしい。悲しむ必要はないと。

わしらのエルダーたちは世界がふたつあることを知っている。形のある世界と、スピリットの世界のふたつだ。わしらがスピリットの世界に渡る前に、それこそ何度も、わしらの知人や親戚がわしらよりもまえにあちらの世界に入っていっている。その人たちが出迎えに来て、力を貸してくれるだろう。スピリットの世界は、エルダーたちにいわせれば、たいそう良いところだそうで、みんなハッピーで、調和がとれていると聞いた。われわれにとって死ぬことは、別の世界に入る程度の意味しかない。われわれはまたそこで、みんなともう一度会うことができるのだ。

ジョン・ファイアー・レイム・デイアー、ラコタ

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Sunday, March 02, 2008

人は考えていることにも責任を持たなくてはならない

人間は自分の考えていることに責任を持たなくてはならない。だから人間は自分の考えることをコントロールすることを学ばねばならないのだ。それは簡単なことではないかもしれないが、やってやれないことではない。
ローリング・サンダー、チェロキー

自分に向かって話しかけることをコントロールすることで、われわれは思考をコントロールできるということを、ぼくは教わった。人間というのはいつも自分に向かってさまざまに−−声に出すこともあれば声に出さないまでも−−話しかけているものなのだな。考えていることというのはたいていそれぞれに感情がつきまとっていて、気がつくとその感情と感情が対立しあう結果を生んでいたりする。

だから感情がおもいきり高ぶって、どうしても自分の手に負えなくなり、ああこのままでは危ないなと思えた時には、自分に向かっていい加減にそれを止めるように伝えることもできるのだ。深呼吸を何度かして気分を静め、万物を創られた存在にむかって、正しい思考、正しい決定、正しい行動を求めてみるのもひとつの手だろう。これをことあるごとに繰り返すようにしていくうちに、自分の考え方も違ってくるはずだ。毎朝目を覚ました時に、偉大なる存在に自分の考えることを導いてくれるように求めてみるのも効き目があると聞いた。目に見えない不思議な存在は、さまざまな形でわれわれに力を与えてくれるものなのだ。

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2008年アメリカの大統領選は楽しい

今年の大統領選挙が盛りあがっているのは、立候補している人たちがみんなあのマペットたちと似ているからなのかもしれないね。

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