「音楽が世界を変える時代は過ぎ去った」と話したニール・ヤングからの声明文
先週のベルリン映画祭における記者会見で「音楽で世界は変えられないのでは?」という記者からの質問にたいして、目をつり上げるようにして「音楽が世界を変える時代は過ぎ去ったのだ」と応えたニールのその発言はこの週末に世界中を駆けめぐったようだ。あまりの反響の大きかったことにあわてたのかどうかは知らないが、ニールはアメリカ東部時間11日午後1時51分に、真意を伝えるべく以下のような声明を出していると、RollingStone 誌のブログが伝えているので、とりいそぎ日本語にしておく。あわせてオリジナルの英語版も掲載しておく。
ただひとつの歌だけでは
文 ニール・ヤング
どんな歌であれ、ただひとつの歌だけで世界が変えられるわけではない。しかし、それは歌をうたうのをとめる時だということを意味するものではない。この地球のどこかでは科学者がひとりだけで研究している。彼、もしくは彼女がなにを今考えているかなど、誰も知るよしもない。秘密はただ手の届くところにあるのだ。もし自分がその答を知っていたなら、ぼくは歌をうたっていることだろう。今は革新の時代である。希望は大切だ。しかし大切なのは希望だけではない。革新の時代にあっては、人々を動かす燃料が見つからなくてはならない。これこそが最大の難関だ。誰がそれに挑戦しているのか? 今という日に、一日中、昼といい、夜といい、過ぎていく時間を追いかけるように、その答を探し求めているのは誰なのか? ぼくは、自分がそれをしていることを知っている。
友人たちが「あきらめるなよ」と手紙を送ってくる。ぼくはあきらめてなどいない。今が変化の時代であることがぼくにはわかっている。しかし、ぼくは知っているのだ。答が歌などではないことを。おそらく答が歌だったことがなかったわけではない。しかし、今いえるのは、それは歌ではないということ。答は、行動であり、なにごとかを成し遂げることであり、隠されていたものが明らかになることであり、新しい道(生き方)なのだ。ぼくは今も人々を動かす燃料となるものを探し続けている。ぼくにそれが見つけられるだろうか? できる。自分には見つけられると、ぼくは思う。この偉大な発見を可能にするのを支援するために自分が選ばれていたのかどうかは、ぼくにはわからない。ぼくにわかっているのは、答がもし見つかれば、自分にはそのことについての歌ぐらいは書けるだろうと言うこと。そのときがくるまでは、ぼくに書けるのは、自分の探求についての歌か、すべての時間を探すことについやしているという歌だけ。でも、ひとつの歌だけでは、世界を変えることなどできやしないだろう。しかし、たとえ世界を変えられなくても、ぼくはこれからも歌い続ける。
翻訳・北山耕平
Source : Neil Young: Music Can Actually Save the World, Sort Of
A Song Alone.
By Neil YoungNo one song can change the world. But that doesn’t mean its time to stop singing.
Somewhere on Earth a scientist is alone working. No one knows what he or she is thinking. The secret is just within reach. If I knew that answer I would be singing the song.This is the Age of innovation. Hope matters. But not hope alone. In the age of innovation, the people’s fuel must be found. That is the biggest challenge. Who is up to the challenge? Who is searching today? All day. All night. Every hour that goes by. I know I am.
My friends write to me don’t give up. I am not giving up. I know this is the time for change. But I know that it’s not a song. Maybe it was. But it isn’t now. It’s an action, an accomplishment, a revelation, a new way. I am searching for the people’s fuel. Will I find it? Yes. I think so. I don’t know why I may have been chosen to help enable a discovery of this magnitude. I know I can only write a song about it when I find it. Until then I can write a song about the search or spend all my time looking. But a song alone will not change the world. Even so, I will keep on singing.
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Comments
少し前のニール・ヤングのこの発言で、週末は、「Heart of Gold」を聞きながら、少し、ショックを受けていました。僕は、音楽活動をしているので、なおさらのショックでしたが、今回のニールの言葉を聞いて何かほっとした感じです。彼も「孤独の旅路」ですが、僕も「孤独の旅路」です。
でも、希望は持ち続けるつもりです。翻訳していただいた北山さんに感謝です。
Posted by: alone | Tuesday, February 12, 2008 09:28 PM
こんばんは。
今夜も冷えますね。
私は洋楽に詳しくはないので、二ール・ヤング
さんのことは、今回初めて知りました。
少し前の彼に関する記事と、今回のこの記事
を読み、共感や、科学に関して読んだ本があった
ので、書き込ませていただきました。
長文になってしまいましたが、意見・感想
をここに載せていただくこと、何卒お許し
くださいませ。
音楽について・・・。
人々に大きな影響を与えることができる時代
は去り、今となっては確かに過去のものに
なってしまっているかもしれせん。
ですが、やはり大きな力を持っていることに
変わりはないような気がします。
現代は音が溢れ、耳が麻痺してしまっている
だけかもしれません。音を選びさえすれば、人々
のハートが求めているものは、今も音楽の中に
あるように思います。
心にまっすぐに届き、響いてくる、自然と涙が
溢れてくる音楽は、現代にも確かにありますし・・・。
>革新の時代にあっては、人々を動かす燃料が
>見つからなくてはならない。これこそが最大
>の難関だ。
二ールさんのこの言葉、私も、今の世界に
(というか今の文明社会に)まず一番必要なもの
かもしれないと思っています。
燃料を得るというのは、自分自身に置き換えて
も、まさに難関と言えると実感します。
全てが満たされるようになった今、動かなけれ
ばならない動機がなかなか見つからないし、自分
が動かなくても、世の中が動かしてくれる、と
いう依存心が、この世の中の一面から、また
自分の中からも来ているように思います。
その燃料とは何か。私は、それは’情熱’では
ないかと思います。それに向かうための、胸の底
からふつふつと湧き上がる、滾って溢れてくる
ものです。
なぜその熱いものが今失われてしまっているか
といえば、自然から遠く離れてしまったからでは
ないか、と想像しています。
’情熱’とは、心からの感動であり、真の怒り
であり、深い悲しみであり、人各々、様々な形が
あると思いますが、何か自分を大きく揺さぶる
ものです。
そして、それは自分の中から生まれ出たもので
なければなりません。何かを形だけ真似たもので
あったり、他から与えられたものでは、きっと
すぐに尽きてしまうからです。
二ールさんは、自分の中に情熱を生み出すこと
と、保ち続けることの難しさを、おっしゃって
いるように感じました。
>「ぼくが思うに、今の世界はまるで別のものの
>ようだ。この世界に違いをもたらしたり、この
>惑星を救えるためのものがあるとするなら、
>それは科学や、物理学や、スピリチュアリティ
>の時代ではないだろうか」
もう一つのこの記事は、とても面白いなと
思いました。
今は科学技術の発展によって、世界が物質的に
満たされつつあります。近頃、伝統を守る生き方
をしてきていた発展途上と呼ばれる国々にも、
先進国に次いで、自然と伝統を捨てて発展を
求めるようとする姿勢が見られるようになり
ました。充分に発展の恩恵を受けてきた私達が、
それを止める資格があるかどうか分かりません
が、大切なものを見失わないでほしい、彼らの
生きている世界の中にこそ、それが在る、と言う
ことを伝えたいです。
ただ、この地球の状況を何とかする為に、先進
国にしかできないこともあります。それが、
ニールさんの言う、
「惑星を救えるためのものがあるとするなら、
それは科学や、物理学や、スピリチュアリティ
の時代ではないだろうか」という考え方だと、
私も思います。
今の時代、最も恐ろしい兵器は核だと北山
さんがおっしゃるように、核が一発発射され
たら、きっと世界中が同じように発射する
かもしれません。そうなったら、もう勝ち
負けなど意味が無くなるでしょう。
1940年代、核爆弾がアインシュタイン博士
によって発明されました。なぜアインシュタイン
博士はあんなに危険なものを発明したのか、
私は疑問に思いましたが、詳しいことは
知りませんでした。
今のこの時期になって、知りたいと思うように
なり、分かりやすい本を選んで読みました。
そこには、アインシュタイン博士の科学に
対する思いを見ることができました。
核兵器開発はアインシュタイン博士の望む
ところではなく、やはり、権力と利益を第一に
得ようとする大きな力が作用していたことを知り
ました。そして、博士は純粋に、美学を以って
科学を愛していたことが分かりました。
博士はこう語っています。
**********
(以下引用は「アインシュタイン切手博物館」
杉本秀樹・杉本賢治 に拠る)
アインシュタインの懺悔の言葉:
「ドイツが原子力兵器を開発していないことを
知っていたならば、私は原子爆発に何ら関与
しなかったでしょう。」
「神がどのようにして世界を創ったのか知り
たい。個々の現象やひとつひとつのスペクトルが
なぜそうなっているのかについては興味が
ない。私が知りたいのは、神の考え方で
ある。それがわかれば、あとは大したこと
ではない。」
「神は科学者であり、魔法使いではない。」
「私はヨット遊びが好きです。なぜならば、
それは最小のエネルギーですむスポーツだから
です。」
*********
そして、博士は1922年に、日本を訪れ、私達
日本人をこのように評価されたそうです。
*********
「厭味もなく、疑い深くもなく、人を真剣に高く
評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外
にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにも
いない。この国を愛し、尊敬すべきである。
(1922年12月10付 アインシュタインの日記
より)」
「日本人は西洋の知的業績に感嘆し、成功と大
きな理想主義を掲げて科学に飛び込んでいます。
けれども、西洋と出会う以前に日本人が本来
もっていた生活の芸術化、謙虚さと質素さ、純粋
で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、
忘れずにいてほしいものです。
(アインシュタインの「日本における私の印象」より)」
********
この時代の日本が、実際はどのような国内の
状況、風潮だったのかは詳しくは分かりません
が、博士の心の純粋な部分に触れた、当時の日本
人の中にある何かを、博士のその言葉の中に、
見たような気がしました。
私には、博士の発明は、もちろん核兵器開発の
ためではなく、博士自身が探究し続けた神
(真実・普遍性)を知るための手段だったの
だろう、ただ時代の流れで、悲しいことに、
一部の権力によって、間違った公式(E=mc2{二乗})
の使われ方をされてしまったのだろう、と
思いました。
これからの科学は宇宙空間にも向かっていま
す。博士の研究も宇宙に向けられていきました。
これから地球に起こることは、宇宙全体に起こる
ことの一部のように思えてきます。
もし博士がまだ生きていたら、きっと地球を
救うために、あの公式を、もっともっといい
方向に活用させていっただろうと思いませんか?
博士を尊敬して科学の道に進んだ研究者は
大勢いると、その本にも記されていました。
アインシュタイン博士は、その頭脳だけが
愛されていたのではなく、その人柄や思想
をも愛されていた、とも。
現在も、純粋な科学への愛を持って、活動され
ている研究者の方が、大勢いるかもしれません。
その大勢の科学者の方々は、この地球の状況を
どのように思われているのだろう。もしかした
ら、純粋な科学への思想を引き継いでいらっしゃ
る方々が、博士の遺志を継ぎ、今後、地球を救う
方法を見つけてくれるかもしれません。
そして、今はこうして本を読み、コメントを
書き、日々の生活の中でほんの少し、地球の
再生に繋がることをするだけしかできません
が、その才能と能力を発揮できる方々に学ん
で、毎日祈りを捧げることが、今の私にでき
ることです。
Posted by: Rin | Tuesday, February 19, 2008 12:14 AM
別れて咲いた 想いの花を
散らした波間に 夕日の陰り
好きでした 死ぬほどに 好きでした・・・
過ぎ去った今、今もなお・・
歌手 唖キラが唄う
過ぎ去った今
Posted by: 唖キラ | Friday, August 29, 2008 11:14 PM