弥生時代の墓23基、石のやじりも確認
弥生時代の大規模集落とされる愛知県豊田市の高橋遺跡で、弥生時代中・後期(紀元前2〜紀元2世紀)の有力者の墓とされる方形周溝墓計23基や竪穴住居3棟が見つかったという。産経ニュース(2008.1.15 21:45)が報じている。
以下に記事の一部を引用する。
市郷土資料館によると、高橋遺跡は矢作川左岸に帯状に伸びる幅70−80メートル、長さ800メートルの集落跡。方形周溝墓は各地で確認されており「口」型に溝が掘られ、中央に土が盛られている。今回見つかったのは1基の大きさが約3・5−7・5メートル四方、溝の深さが約15−80センチで、墓の大きさが階層差を表している可能性があるという。また、弥生時代中期の竪穴住居1棟からは石のやじり9点が出土。資料館は「弥生時代は鉄のやじりが主流と考えられており、1カ所から石のやじりが多数出土するのは珍しい。縄文時代と比べて大型で粗雑なため、戦争や儀礼的な目的で置かれていた可能性もある」と話している。
戦争や儀礼的な目的?
いわゆる日本列島の本州という小さな大陸に「環濠集落」がたくさん作られていった時代にあてはまる。かつて僕は『ネイティブ・タイム—先住民の目で見た母なる島々の歴史』(地湧社刊 2001年)という本のなかでこの時代のことを次のように書いた。
こうした環濠集落は、おそらくそれぞれが砦として点で存在し、いくつもの点が互いに、狼煙などで連絡を取り合いながら、ネットワークを構成していたようだ。環濠やその付近からは、数千個のつぶて石、黒曜石の矢じり、覗き穴のついた一メートルほどのスギの板を使った楯、焼け焦げた弓、打撃によって折れた銅剣、刃が鋭く研がれた石剣などが見つかったりしている。環濠集落について知れば知るほど、この時代が、平和とは程遠く、おそろしく不安定な侵略戦争の時代であることがわかってくる。
Source : 弥生時代の墓23基、石のやじりも確認 豊田市・高橋遺跡
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