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Thursday, January 31, 2008

縄文人を最初の日本人と教えたがる勢力の存在

rockart09このところ産経新聞は歴史における「縄文時代」にやけに力を入れている。今朝のmsn産経ニュースにも、小学6年生の歴史教科書に「旧石器・縄文時代」の記述がないことを憤慨しているような印象を受ける「『弥生以前』教える意義 4日にシンポ」という記事が出ていた。「自国の歴史を基礎から学ぶ必要はないのか」と。

記事によると2月4日に日本考古学協会(会長・西谷正九州大学名誉教授)が「弥生時代以前を教える意義」について討論する公開シンポジウム「歴史教育と考古学」を東京・小金井にある東京学芸大学で開催するのだという。

シンポジウムでは、「小学校教科書から消えた旧石器・縄文時代の記述」「学校教育と考古資料の活用」などのテーマで、岡内三真・早稲田大学教授、釼持輝久・元神奈川県横須賀市立長井小学校教諭らが基調報告をしたあと、考古学者ら専門家8人がディスカッションする。

同協会理事の大竹幸恵さんは「日本史を24時間にたとえると午後10時半まで占めるこの時代は、子供の人気が高い。自然との共生など多分野にかかわることを、単なる暗記ではなく、日常に引きつけて学ぶことができる。そういうことをきちんと伝えたい」と話している。参加無料。午後1時から6時まで。問い合わせは同協会(電)03・3618・6608。(牛田久美)

産経新聞が縄文時代にこだわるのは、それが「自国の歴史」と思いこんでいるからだし、縄文時代の人たちを「最初の日本人」と教える教育がこれから推進されていくことになるのだろう。「日本列島における人の営みの歴史を24時間にたとえると午後10時半まで占めるこの時代」と、「残りの1時間半しかない日本」がほんとうは連続性がなかったということを、語り継いでいく必要性を痛感する。

アメリカ・インディアンが「最初のアメリカ人」ではないように、「縄文人は最初の日本人」ではないのだから。日本列島における日本人の歴史は、1時間半しかないのである。

Source : 「弥生以前」教える意義 4日にシンポ

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先住民アボリジニにオーストラリア政府が公式に謝罪へ

Last Modified: January 31st, 2008 10:52 AM

newsオーストラリア政府が、親子強制隔離政策で被害を受けた先住民アボリジニに対し、新首相が議会で公式に謝罪すると明らかにした。読売オンライン(2008年1月30日22時47分 読売新聞)が伝えている。

昨年11月の総選挙で、政権の座についた労働党政府による歴史見直し政策の一環だという。謝罪は総選挙後初めて招集される議会の冒頭で行い、アボリジニ社会を支援するために金銭補償以外の各種政策を実施することになるらしい。おそらく、今後世界中の先住民を内包する国で、それまでの先住民にたいする政策の見直しがおこなわれるのだろう。アメリカも日本も例外ではない。

豪政府は、1890年から1970年前後まで白人とアボリジニとの間に生まれた子を親から引き離し、養護施設や白人家庭で養育させた。約10万人が対象になったとされ、「盗まれた世代」とも呼ばれる。豪政府が97年に発表した調査報告は、政府に対し、家族や文化を奪われ「心の傷」を負った被害者への謝罪と補償を勧告したが、当時のハワード首相(保守連合)は拒否していた。

Source : 先住民アボリジニの親子隔離政策、豪政府が公式謝罪へ

より詳しい記事が31日の New York Times のオンラインアジア面にも掲載されている。英語で良ければ以下へ。

Source : Australia to Apologize to Aborigines for Past Mistreatment

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Wednesday, January 30, 2008

「われわれは自由なラコタを再生させる産婆の役割を果たしている」とラッセル・ミーンズが解答

ラッセル・ミーンズとラコータ共和国は、自国のウェブサイトのうえに開設したフォーラムのなかで、さまざまな批判にこたえている。共和国に寄せられた質問のいくつかにたいする解答はFAQにまとめられているので、そのなかで印象的な言葉をふたつひろってみた。

Republic of Lakotah
われわれはただの臨時政府にすぎない。われわれは自由な人としてのラコータを再生させる産婆の役割を果たしている。自分たちがどのような政治形態をとるかはラコタの人たちが今後きめることになるだろう。いいかな、われわれはまったくなにもないところからはじめたわけではないということを忘れてもらっては困る。白人がやって来る前にも、数千年にわたってインディアンたちは自由に自分たちの政府を機能させてきた。白人はインディアンのやり方をモデルにしてアメリカ合衆国憲法を作りあげたのだ。
アメリカ政府はあの手この手を使ってラコタの人間たちを依存させるようにこれまで訓練してきた。われわれは現在移行期にあり、われわれが独立を取り戻すまでのあいだ、そうしたプログラムは続くだろう。これは太平洋にあった、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国、そしてミクロネシア連邦などの以前の信託統治領がその主権と自由を回復した時に、それぞれの国がアメリカ政府と交わした自由協定でおこなわれたことである。

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天界で素晴らしいショーがはじまろうとしています

eaglefthr.gif今週末からしばらく、夜明け直前の南東の空の低いところで、天界の素晴らしいショーが見れる。地平線に射手座がかかり、その斜め上でひときわ輝くふたつの惑星、金星と木星が大接近し、2月4日はそこに新月直前の細い月が入ってくる。金星も木星も、このところ夜明け直前に輝きながら東南の空にのぼってくるようになっているが、4日の日はふたつの惑星が最も近づき、月を頂点とする二等辺三角形を描く。いにしえの星と月を読む人たちであれば、このみっつの輝く星たちの大集合を息を呑んで見守ったに違いない。

つぎに金星と木星がこのように大接近するのは、秋も深まった今年の12月1日の宵の空ということになる。

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Tuesday, January 29, 2008

ロンゲスト・ウォークに旅立つ君に贈るポスター

Longest Walk 2008

ロンゲスト・ウォークがけして終わっていないものもいる

Longest Walk 2 - February 11, 2008 - July 11, 2008 - 4,400mi

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Monday, January 28, 2008

とてつもなく危険なものが地球に落ちてくるという笑えない話

Last Modified Monday, January 28, 2008

news「空が落ちてくる!」「空が落ちてくる!」と叫んでみんなを不安に陥れるコヨーテの話しを、むかし聞いたことがある。すでにコントロールを失っているアメリカの超大型スパイ衛星が、来月か再来月に地球に落ちてくることが明らかになったという。青天の霹靂という言葉があるが、ある日突然頭上に−−小型バスほどの(AP電)−−巨大な物体が迫ってくると言うことも、ない話しではないらしい。これもラコタの人たちのお話のなかに出てくる「空が落ちてくるという話を聞いて自分に出来ることをやろうとした小鳥」のごとく、なにが起こっても驚いてはいけない時代を、われわれは生きている。あまりにもくだらないけれど、ほんとうはおそろしいニュースのあらましは、Technobahn (1/27) によれば以下のようなものだ。

米国のスパイ衛星が2月か3月にも大気圏に再突入し地上に落下することが26日、米政府関係の証言により明らかとなった。米政府関係者によるとこの衛星は既に制御を失った状態にあり、地球への再突入が正確に何時起きるか、また、地球に再突入した場合、どこに落下することを判らないとしている。

米国家安全保障会議(NSC)のゴードン・ジョンドー(Gordon Johndroe)報道官は今のところ「しかるべき政府機関が状況を監視している」とした上で「これまでに多くの問題を起こすことなしに衛星が落下してきた。この衛星が落下した際に被害を与えるかどうか注意深く見守っている」と述べるに止まっている。

Source : 米国の超大型スパイ衛星が制御不能、近く再突入の見通し
    米スパイ衛星、地上に落下へ 有毒物質積載の恐れ

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世界の心臓で警告を発するコギの人たち

以下の二本の動画は南米コロンビアの山奥で暮らすコギの人たちをテーマにして現代文明がわれわれの惑星に与えている深刻な影響について伝えるために1990年に制作されたドキュメンタリー「エルダーの兄たちからの警告——世界の心臓部から(From the Heart of the World, the Elder Brothers' Warning)」の核心部分である。われわれもその一部である地球を破滅から救うためになにが可能なのかを、映像を見ながら考えてみてください。



The Kogi - Native American Warning Part 1




The Kogi - Native American Warning Part 2


関連記事:
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Sunday, January 27, 2008

ホピの予言 「時の終わり」についての故トーマス・バンヤッカによる解説など



Hopi Prophecy - The End of Times

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祈りが消えていく

「vanishing prayer(1)(2)」は半世紀以上にわたるディネ(ナバホ)の人たちの置かれた状況をレポートするもの。タイトルは「消えてゆく祈り」の意味。アメリカの政治に翻弄(ほんろう)される部族、ビックマウンテン強制移住の問題、母なる地球の内蔵である石炭やウラニウムの問題、汚染され続ける水の問題、アメリカ政府に都合良く作りあげられていくホピとナバホの問題、伝統派ホピと伝統派ディネの協力、文化と環境の問題、人間として生きる権利の問題、聖地と先住民の関係、アメリカのなかの少数民族問題などがディネの人たちの視点に立って美しく整理されている。ウラニウムの問題は、核のサイクルの始まりと終わりで先住民の人たちの生きる権利を徹底的に踏みにじることで成立していることを理解しなくてはなにもはじまらない。若き日の故トーマス・バンヤッカの顔も見れる。




vanishing prayer 1




vanishing prayer 2

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Saturday, January 26, 2008

ジュゴンが沖縄の海で生きる権利はぼくたちになにを教えているのか?

dugong非営利の環境保護団体「アースジャスティス(地球の正義)」がアメリカの国防総省を相手にジュゴンの保護を求めていた裁判で、カリフォルニア州の連邦地裁が24日、同省に対し、ジュゴンに与える影響などを調査し、90日以内に報告するよう命じたというニュースが流れた。共同通信は以下のように報じている。

原告側の事実上の勝訴で、原告の日本環境法律家連盟(名古屋市)の籠橋隆明弁護士は「日本政府も環境影響評価(アセスメント)の手続きをあらためてやり直す必要がある」と指摘した。

日本の天然記念物ジュゴンが、他国の文化財の保護義務も定めた米国の文化財保護法(NHPA)の対象になるかや、ジュゴンの生息域を脅かす基地建設がNHPAに違反するかどうかが訴訟の争点だった。

Source : ジュゴンへの影響考慮を 普天間移設で米地裁

沖縄タイムス紙は25日の夕刊で「米国防総省が敗訴/沖縄ジュゴン訴訟」としてさらに細かく報じている。一部を引用する。

同訴訟は二〇〇三年九月、県内外の自然保護団体が米国の団体とともに提訴した。原告にはジュゴンも含まれる。

国防総省は当初、同法の適用対象は建造物などに限られる上、米国は基地建設に直接関与していないとして却下を求めた。同地裁は〇五年に同省の主張を退け、実質審理入りしていた。

原告代理人で、環境法律事務所「アースジャスティス」のサラ・バート弁護士は、「判決は、国防総省は真剣な検討をする義務があると明示した。ジュゴンの保護措置が取られることになる」との見通しを示した。

日本環境法律家連盟事務局長の籠橋隆明弁護士は「国防総省は日本政府のアセス結果を地裁に提出するだろうが、その内容は米国で求められる水準には到底達しない。地裁が審査し、さらなる決定を出す可能性もある」と指摘した。

判決について名護市の島袋吉和市長は「現時点で、コメントできる立場にない」。県幹部は「外国での訴訟なのでまだ判決内容が分からない。普天間移設の事業主は国なので、動向を見守る」としている。

 原告の東恩納琢磨さんは「大勝利だ。米国政府に言われて見直すのは恥ずかしいことだが、日本政府はそれをやらないと、世界から大きな批判を浴びる。(基地建設に)高いハードルができたし、この判決を克服するには、相当の労力と時間がかかる。それよりは、辺野古への基地建設を見直した方が早い。ジュゴン保護区の設置を米国民にも訴えていきたい」と話した。

原告の一人で、米自然保護団体「生物多様性センター」のピーター・ガルビンさんは「地裁決定に基づく見直しと、基地建設の影響が広く知れわたることで、日米両政府がジュゴンを絶滅に追いやる計画を断念することを願う」と話した。

「市民アセスなご」の吉川秀樹さんは、「九十日以内に、ジュゴン保護の根拠を提出するよう求めるだけでなく、それを判断した米国防総省側の担当者の氏名の提出を求めるなど米国の法律の要求に、日本のアセスが適合しているかを求めている」と指摘。「こちらが望んでいた判断。ここまでやってくれたことに、感心している。ここから新たな基地建設反対の運動を積み上げることができる」と評価した。

Source : 米国防総省が敗訴/沖縄ジュゴン訴訟


日本政府(傀儡部族会議)が一手に握っている対アメリカ政策が、日本国民(リザベーションのなかで日本人をしている人たち)のためにならないもものだったとしたら、日本国民にできることは泣き寝入りしかないとこれまで思いこまされてきた菊のカーテンに穴をあけたのがジュゴンだったということになる。

arrow2 Federal Judge Rules Against U.S. Defense Department Plans for Airbase in Habitat of Okinawa Dugong

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Friday, January 25, 2008

昨日アラスカで地球の言葉がまたひとつ消えた

Native Village of Eyakアラスカで生き延びていたエヤク語を話す最後のエルダーが、昨日、老衰のためにアンカレッジの自宅で89歳でなくなった。亡くなったのは最後のフル・ブラッド・エヤクであったチーフ・マリー・スミス・ジョーンズさん。エヤク語はアラスカ中南部、コッパーリバーの河口周辺で1万年近く生き延びていた先住民エヤク族の言葉。彼女の死で事実上エヤク語を母国語として話せる人はいなくなったことになる。ジョーンズさんは1918年、日本でいう大正7年の生まれだった。

arrow2 Native Village of Eyak

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「神さまとのインタヴュー」という文書

風邪で寝ていた時、「The Interview With God」という著者不明(author unknown )の文書が届いた。ぼくにははじめて読むものであり、なかなか可愛らしい文章だったし、真実にやさしく迫っていたので、どこかで誰かがもう翻訳しているかもしれないが、ざっと日本語にしてみた。ご笑覧を。

神さまとのインタヴュー      著者不明




神さまにインタヴューしてる夢を見た。

「で、インタヴューをしたいって?」と、神さまがたずねてきた。

「もしお時間がおありなら」とぼく。

「わたしなら時間はある、永遠にね」神さまは微笑んだ。「で、どのような質問があるのかね?」

「種としての人間についていちばん吃驚(びっくり)したところは?」

神さまはこたえた・・・

「子どもであることに退屈して、いそいで大人になろうとしたあげく、もう一度子どもに帰りたいなどと言い出すところ」

「お金を作るために健康を損ない・・・その健康を回復するために、お金を失うところ」

「未来のことを心配するあまり、現在のことを失念し、その結果、現在にも未来にも、生きていないところ」

「まるで自分だけは死なないかのように生き、今までまるで生きていなかったかのごとくして死ぬところ」

そこで神さまがぼくの手を取ったので、ぼくたちはそのまましばらく黙っていた。

しばらくしてぼくはたずねた。「親のひとりとして、あなたは自分の子どもたちにどのような人生のレッスンを学んでもらいたいですか?」

「学ぶべきは、誰にも愛を強制させることなどできない相談だということ。できることはただ、その人たちが愛されるにまかせるだけ」

「学ぶべきは、自分たちと他の人たちとを比べるのはよいことではないということ」

「学ぶべきは、許しを実践しながら許すこと」

「学ぶべきは、愛する人を深く傷つけるのはわずか数秒で、その傷口を癒すには長い年月を必要とするということ」

「学ぶべきは、豊かな人とは最も多く持つ人でなく、必要とするものが最も少ない人だということ」

「学ぶべきは、心から愛してくれる人が、自分の感情を表に出したり、表現したりすることをまだ学んでいないということもありうるのだということ」

「学ぶべきは、同じものを見ているふたりが、まったく違う見方をしていることもあるのだということ」

「学ぶべきは、お互いに許し合うだけでは足りずに、お互いが自分自身を許さなくてはならないこともあるということ」

「貴重なお時間をありがとうございました」とぼくは申し出た。「ほかにまだ、あなたの子どもたちに、これだけは知っておいてもらいたいことがありますか?」

神さまは微笑んで最後にこう言われた。「そうだな、わたしはいつだってここにいると
みんなに知らせてほしい」

-author unknown

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やはり梅毒はコロンブス一行が旧大陸に持ち込んだらしいな

「梅毒はコロンブス一行が持ち込んだとの研究報告」とAFPが報じていた。持ち込んだ先はヨーロッパ大陸。記事の一部を引用する。

梅毒は1495年、イタリア・ナポリ(Naples)に上陸したフランス軍の傭兵の間で初めて確認され、その後、欧米全土に広まった。医学史専門家の中には、この傭兵らはコロンブスの船の乗組員で、米大陸を探す大航海中に先住民の女性から梅毒に感染し、1493年に欧州に戻って感染源となったとの説を唱えるものもあった。これまでこの説の信憑性は低いとされ、逆に、梅毒は欧州起源であり、コロンブスの船の乗組員によって米大陸に持ち込まれたとする説もある。

米エモリー大学のクリスティン・ハーパー氏らは、梅毒などの伝染病を引き起こす細菌「トレポネーマ」の異系統を世界中の26か所で採取、比較した。その結果、梅毒はトレポネーマから進化した最も新しい伝染病であることが判明したというもの。記事の結論は次のようになる。

遺伝学的には、梅毒は南米だけに分布する熱帯風土病「フランベシア」に近い病気だという。フランベシアは梅毒と同様、皮膚、骨、関節に影響を与えるが、梅毒ほど症状はひどくなく、性交渉による感染はない。ハーパー氏らの仮説は、「コロンブスの船の乗組員がフランベシアに感染。細菌は航海するうちに徐々に欧州の涼しく乾燥した気候に適応、後に梅毒を引き起こす病原菌に変化し、以来安定した状態にある」というもの。

つまり新大陸にずばり梅毒そのものがもともとあったわけでなく、梅毒の基となるような風土病が、ヨーロッパ大陸でパワーを得て強力な梅毒に「変異」したというわけ。

ちなみに梅毒が中国を経由して日本列島に到達するのはそれから17年後のこと。

Source : 梅毒はコロンブス一行が持ち込んだとの研究報告、哲学者ボルテールの説を裏付け

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Thursday, January 24, 2008

Earthrise and Earthset

昨年11月に撮影されたかぐやからの映像だね。「素晴らしき世界」を背景にどうぞ。

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Monday, January 21, 2008

個人的なお知らせをひとつ

2日ほど子どもが持ち帰ってきた風邪で寝込んで更新もなにもせずただ世界の移り変わりを見ていた。(風邪は熱を出し切るまで寝れば自然に治るという教えに従った)ようやく回復したのだが、たまった仕事があって、ブログの更新はなかなか元通りのペースには戻れそうもない。

というわけで埋め草として今日はひとつわたくしごとのお知らせを。

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■『雲のごとくリアルに[青雲編]』
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68309576
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【著者】北山耕平
【発行】ブルース・インターアクションズ
【定価】1,680円(税込み)
【発送時期】3月上旬

伝説の編集者が語る、若者文化が炸裂した時代の青春記。雑誌が最も熱か
った70年代。『ワンダーランド』『宝島』『ポパイ』の創刊に携わり、日
本のユースカルチャー文体を築き上げた著者は、あの時代に何を見て、何
を感じ、考えたのか?「リアルであり続ける」ために、長い旅をし続ける
著者が、はじめて語った70年代文化クロニクル。
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70年代の思い出のかけらを書き綴ったものです。アメリカ・インディアンと出会う以前のわたしはいったい誰だったのかと、今でもときどき思います。これは大学卒業から大判のワンダーランド編集部に入社し、大判の宝島から小型上質紙の宝島編集部員時代を経て、小型再生紙の宝島で編集長になった時までを思い出すままに無作為の散文として書かせてもらった「Dictionary」の連載に加筆したもの。念のために申し添えますが、「復刊」ではなく、あくまでも「新刊」です。本になるのはこれがはじめてということで。

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Friday, January 18, 2008

ユッカ・マウンテンの明暗をわける次期大統領選挙

north_portal_of_yucca_mountain
ご覧のように、すでにトンネルは
かなりできあがっているのだが・・
先日お伝えしたショショーニの人たちの聖地「スネーク・マウンテン」ことユッカ・マウンテンの地下深くに、とてつもないトンネルを掘って、全米の原発から回収する高レベル放射性廃棄物の最終処分場(核のゴミ箱)を作るというアメリカの国策計画が、次の大統領選の結果次第で変わる兆しが少し見えはじめた。これまで態度をはっきりさせないできた民主党のヒラリー・クリントンが16日、ネバダ州の予備選挙を前に「自分が大統領になればユッカ・マウンテンの高レベル放射性廃棄物処分場計画を永久に停止させる」という公約を口にしたからだ。「これはネバダの人たちだけの問題ではなく、アメリカ全体の問題なのだ。自分は原子力に極力頼らないエネルギー計画に力を入れる」と。同じ民主党から大統領選に出馬しているバラク・オバマはすでにユッカ・マウンテンを閉鎖すると約束しているので、いずれにせよ民主党から大統領が誕生すれば、事態は大きく変わるかもしれない。

Source : Clinton declares Yucca Mountain 'will be off the table forever'

関連記事:西ショショーニの国では警告を無視してご神体山の地下に高レベル放射性廃棄物処分場がつくられようとしている

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Thursday, January 17, 2008

ヤング・インディアン・チャイルド

young_indian_child

今から103年まえの1905年に撮影されたアメリカ先住民の子どもの写真。当ブログのサイドバーの一番上にほぼ月替わりで掲載しているエドワード・S・カーティスの写真で、「ヤング・インディアン・チャイルド」と題されているものだが、この一枚はノースウエスタン大学の電子図書館には収録されていない。カーティスが生涯に撮影した膨大な写真のなかで、とりわけネイティブ・アメリカンの子どもたちが被写体となったものは、被写体を包んでいるオーラといい、まったく汚れを知らないまなざしといい、どれもとても印象深い。ぜひ写真をクリックし、倍の大きでご覧ください。

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Wednesday, January 16, 2008

弥生時代の墓23基、石のやじりも確認

paw弥生時代の大規模集落とされる愛知県豊田市の高橋遺跡で、弥生時代中・後期(紀元前2〜紀元2世紀)の有力者の墓とされる方形周溝墓計23基や竪穴住居3棟が見つかったという。産経ニュース(2008.1.15 21:45)が報じている。

以下に記事の一部を引用する。

市郷土資料館によると、高橋遺跡は矢作川左岸に帯状に伸びる幅70−80メートル、長さ800メートルの集落跡。方形周溝墓は各地で確認されており「口」型に溝が掘られ、中央に土が盛られている。今回見つかったのは1基の大きさが約3・5−7・5メートル四方、溝の深さが約15−80センチで、墓の大きさが階層差を表している可能性があるという。

また、弥生時代中期の竪穴住居1棟からは石のやじり9点が出土。資料館は「弥生時代は鉄のやじりが主流と考えられており、1カ所から石のやじりが多数出土するのは珍しい。縄文時代と比べて大型で粗雑なため、戦争や儀礼的な目的で置かれていた可能性もある」と話している。

戦争や儀礼的な目的?

いわゆる日本列島の本州という小さな大陸に「環濠集落」がたくさん作られていった時代にあてはまる。かつて僕は『ネイティブ・タイム—先住民の目で見た母なる島々の歴史』(地湧社刊 2001年)という本のなかでこの時代のことを次のように書いた。

こうした環濠集落は、おそらくそれぞれが砦として点で存在し、いくつもの点が互いに、狼煙などで連絡を取り合いながら、ネットワークを構成していたようだ。環濠やその付近からは、数千個のつぶて石、黒曜石の矢じり、覗き穴のついた一メートルほどのスギの板を使った楯、焼け焦げた弓、打撃によって折れた銅剣、刃が鋭く研がれた石剣などが見つかったりしている。環濠集落について知れば知るほど、この時代が、平和とは程遠く、おそろしく不安定な侵略戦争の時代であることがわかってくる。

Source : 弥生時代の墓23基、石のやじりも確認 豊田市・高橋遺跡

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Tuesday, January 15, 2008

インディアン・リザベーションが禁煙になる日がくるのだろうか?

newsラピッド・シティ・ジャーナル紙によれば「今年1月からオグララ・ラコタ大学はキャンパスにおけるタバコを禁止した」という。大学施設におけるタバコ製品の使用を全面的に禁止したもので、これには噛みタバコもふくまれるが、「伝統的なタバコの神聖な使い方についてまでは規制の対象に含まれない」という。

大学の学長はその理由を「本学の学生たち、スタッフ、リザベーションの市民たちに、タバコの使用がインディアンの人たちの主要な健康問題の原因であるというメッセージを送る必要があると感じた」と発表した。

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カナダのファースト・ネーションズで急上昇する若者の自殺率

newsファースト・ネーションズにおけるネイティブの若者たちの自殺が急造しているとカナダ保健省がさきごろ発表したとグローバル・インフォメーション・ネットワークが報じた。それによるとファースト・ネーションズの若者の自殺率は、非先住民の若者の自殺率の5倍から7倍にのぼる。とりわけイヌイットの若者たちの自殺率は11倍と高いものの、先住民の集団のなかにはカナダの平均よりも800倍も高い自殺率を示す集団もあるという。

カナダのヘーズルトン地方にあるリンチ記念病院では昨年1月だけで自殺未遂が111件報告されたという。報告されなかった数を入れれば、実数ははるかに高いものと推測される。11月には一週間だけで7件もの自殺未遂が報告された週もあった。病院の関係者は「この8年間、わたしたちのコミュニティーの失業率は史上最高の90パーセントを記録し続けています。この地方は社会経済的な指標では最低最悪です。必要な保証はほとんど受けることができず、住民のほとんどが先住民で、唯一の産業だった林業の不況はずっと深刻なままです。コミュニティーを立て直し秩序を与え、ドラッグとアルコールを排除する必要があります」と語っている。

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Monday, January 14, 2008

ネイティブ・アメリカンと縄文人のつながり

paw産経ニュースに連載中の「試行私考 日本人解剖」〔第3章・ルーツ・縄文人のかたち(4)〕がアップロードされていた。今回は「北の影響」についてである。

記事によれば、縄文人がどこからきたのかついては、かつては南方説が支持されていた。ルーツは東南アジア(寒冷期に海面が下がって亜大陸となっていたスンダランド)方面が想定されたと。

しかし90年代以降に遺伝子によるルーツ研究が盛んになると、北方説(シノドント)が優勢になってきて、日本人が「縄文人と弥生系渡来人との混血」という論は現在も幅広く支持されてはいるものの、南方起源説には否定的な見解も多くなってきた、とある。

ここでいう北方の「シノドント」は日本人もそのなかにふくまれる北東アジア人で、上顎(じょうがく)切歯(上あごの前歯)の内側がシャベル状にくぼむなど大きく複雑な形の歯をもつ人たちで、アメリカ大陸先住民もシノドントに分類されている。

縄文人が特異な集団となっている理由は、「東アジア、恐らく大陸の広い範囲にいた集団がいろいろなルートで列島に入ってきて縄文人となった。その後、シベリアで寒冷地適応した、のっぺり面長、胴長、短足を特徴とする新モンゴロイド(北方系アジア人)と呼ばれる集団が東アジアに広がり、この地域にいた縄文人の祖先集団は駆逐されたが、日本の縄文人だけが残ったのだろう」(中橋孝博・九州大大学院教授)とされている。

中橋教授によれば、アメリカ北西太平洋岸、ワシントン州のケネウィックで1996年に発見された古人骨が縄文人と似ていると指摘するアメリカの研究者もいるとしたうえで、

「ケネウィックマン」と呼ばれるこの古人骨は約8400年前のもので、アメリカ先住民の古い祖先とみられる。アメリカ先住民の祖先は、2万年〜1万年前にシベリアから凍結したベーリング海峡を通って北米に渡った人々とされる。ケネウィックマンと縄文人のルーツが共通だとすると、消えた縄文人の祖先を探す手がかりになるかもしれない。

と語っているのが印象的だ。縄文人の祖先集団は、新モンゴロイドによって駆逐され、一部は日本列島に残ったものの、多くはアメリカ大陸に移動したということだろうか。

Source : 【試行私考 日本人解剖】第3章 ルーツ 縄文人のかたち(4)

関連記事:もしかして、この顔に見覚えがありませんか?

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西ショショーニの国では警告を無視してご神体山の地下に高レベル放射性廃棄物処分場がつくられようとしている

沙漠の民であるウエスターン・ショショーニの人たちが1000年以上もの長きにわたって聖なる山として信仰してきた山、儀式の場であり、薬草の採集場であり、数多くの物語のシンボルでもあった「蛇の山(スネークマウンテン)」ことユッカ・マウンテンは、カリフォルニアとネバダの州境近くのビーティというデスバレーのネバダ側の入口の町から核実験場に向かったところ、デスバレーの東わずか30キロ、ラスベガス市から北西に150キロほどのところにあり、地理的には巨大な断層帯のうえに位置する山である。

Snake Mountain

アメリカ合衆国のエネルギー省は大分前からこともあろうにその神聖な山の地下をまるごと、全米各地の原子力発電所にひたすらたまり続けていっている全部の高レベル放射性廃棄物処分場(核のゴミ箱)にしようと画策してきた。その前に立ちはだかっていたのが、母なる地球の守護者として人びとを集め教育し、核の鎖を断つことを目的として放射性廃棄物の投棄に至る核の鎖のあり方に徹底的に反対し続けたコービン・ハーネィという偉大なメディスンマンでエルダーでウエスターン・ショショーニ一族でも極めつけの反放射能(核)闘争の戦士だった。ショショーニ国はアメリカの人権を無視した強引なやり方をジュネーブの国連に提訴し、国連はアメリカにたいしてショショーニの人たちの訴えの正当性を認めて警告を発し、世界の世論もウエスターン・ショショーニの人たちが計画を止めるかもしれないとまで考えたのであるけれど、合衆国政府は国連の警告を無視し、年が明けるとすぐまるで彼が亡くなるのを待っていたかのように、これで邪魔者がいなくなったとでも考えたのか、当局はにわかにここにきて計画を前進させはじめた。

Snake Mountain
すでに彼らの国(「ニューイ・ソゴビア」といわれる)の広大な一部はアメリカによって40年代に強制的に取りあげられてネバダ核実験場とされている。ユッカ・マウンテンはウエスタン・ショショーニの人たちにとっては自分たちの聖なる中心のようなところだ。それはラコタの人たちにとっての「ベアビュート」、ホピやズニなどプエブロの人たちにとっての「サンフランシスコピークス」にも匹敵する。

蛇を信仰する人たちであるネイティブ・ショショーニの人たちの言い伝えでは、ユッカ・マウンテンが蛇の山と呼ばれるのは、巨大な蛇が北を向いたまま地中で遠い昔に固まっているからだとされる。そしていずれ時がきた時にその蛇が目を覚まして怒りと共にその尻尾の向かう先を変えるのだとされている。これは単なる言い伝えではなく、地質学者の調査では、ユッカ・マウンテンの地中には全部で13本の断層帯がそれぞればらばらに走っているとされているのである。ショショーニの人たちは言い伝えでこの山体が、蛇が急にその尻尾を動かすように、動くことを知っているのだ。コービン・ハーネイは生前、「地中に眠っている巨大な蛇がある時目を覚まして山を動かし大地を引き裂き、引き裂かれた割れ目から大量の毒が地表に流れ出すだろう」と警告していた。

Snake Mountain

これまでユッカ・マウンテンに高レベル放射性廃棄物の地下処分場施設を設けることは余りにも危険なことだと考えられてきた。そればかりか全米各地から危険きわまりない高レベル放射性廃棄物をわざわざトラックで長距離輸送してネバダの奥地まで運び込むことにともなうリスクも大いにある。高レベル放射性廃棄物地下貯蔵庫ができてしまったあとの地下水の放射能汚染は「地球のどこかで地下水が放射能に汚染されれば、結果的に地球すべての水が放射能に汚染される」としてコービンが最も危惧していたことのひとつだ。 実際、ショショーニの国がそのうえにあるグレイト・ベイスンというとてつもなく大きな沙漠は、その地中深くでひとつの帯水層でつながつているとされる。そうした声にはいっさい耳を貸そうとせず、さらにショショーニの人たちの人間としての生きる権利など無視した形で、地中深くを貫く巨大トンネル工事は再開され、高レベル放射性廃棄物地下処分場計画は動きはじめようとしている。

ここに掲載するのはウエスターン・ショショーニの人たちが1000年以上もの長きにわたって聖なる蛇の山と呼び、アメリカ大陸を植民地にしたヨーロッパ系の人たちが「ユッカ・マウンテン」と名づけている山の姿を撮影したものである。アメリカという国が先住民の聖地にたいする敬意を示さないのは今に始まったことではない。今世界で起きているさまざまな問題のほとんどが、地球を生きているいのちとしてみることができなくなり、地球の声に耳を塞いだままの、大地から切り離された人たちによって引き起こされている。願わくばこれらの写真のなかに、その神聖さをわずかでも感じていただけたらと思う。

Sunset Snake Mountain

関連する過去記事:

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Sunday, January 13, 2008

告知 2月3日に神戸で小生の出演するお話会があります

Land and Life & Modernark pharm cafe
Present


〜 Vision ビジョン 〜
ネイティブジャパニーズのまっさらな物語を紡ぐために
冨田貴史(核と暦のナビゲーター)+北山耕平(翻訳家・作家・編集者)
予約受付終了御礼

▼詳細は「続きを読む」に
 

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すべてのネイティブ・アメリカンの部族のリスト

すべてのネイティブ・アメリカンの部族のリストというものが「ここに」ありました。参考までに全部を「続きを読む」の下の段にコピーペーストしておきます。

* が頭についているのは州が認めている部族
^ が頭についているのはどこにも承認されていない部族
なにも頭についていないのが連邦政府の認めた部族

arrow2 All Native American Tribes

All Native American Tribes

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Saturday, January 12, 2008

このあたりで「青森県の下北半島に暮らす人たちとアメリカ・インディアンとの共通点」を理解しよう

友人のひとりがメーリングリストを通じて教えてくれたのだが、朝日新聞の青森県版にのみ11日に掲載された記事「下北よ! 原子力と私たち」のプロローグが、下北半島に暮らす人たちとアメリカ・インディアンとの共通点を伝えている。

下北よ! 原子力と私たち」という特集は今年の1月4日から連載されている青森県版の特集で、これがローカル版にしか掲載されなかったというもうひとつの壁と現実を心より惜しみつつ、日本国という国のあり方を考える意味でも、できるだけたくさんの人に読んでいただきたい全国版にこそふさわしい記事でもあるので、この縁を感じたらぜひ最初から通して読まれんことを請い願う。

imagenameそのプロローグに登場しルポを寄稿したのは鎌田 遵(かまたじゅん)という若いインディアンの研究家で、岩波書店から『ぼくはアメリカを学んだ』[岩波ジュニア新書 556]という本を刊行している若き研究者だ。その経歴は「1972年東京生まれ.日本女子大学,文化学院非常勤講師.カルフォルニア大学バークレー校ネイティブアメリカン学部卒業.同大学ロサンゼルス校大学院アメリカンインディアン研究科修士課程終了.同大学同校大学院都市計画研究科博士課程終了(都市計画Ph.D.).専門はアメリカ先住民研究,地域研究(アメリカ合衆国)」とある。この興味深い本の気になる中身については、岩波書店ジュニア新書編集部が用意した紹介ページを読んでほしい。このところ70年代に生まれてインディアンの研究を志す人たちが増えていることを心強く思うのは、ぼくがネイティブの世界に足を踏み入れたのがその世代が小学生だったからだろうか。あるいは単に年齢をとったからなのか :-)

arrow2鎌田遵さんのルポ「状況、米先住民と類似」のページ

next 朝日新聞マイタウン青森に掲載された「下北よ! 原子力と私たち」の7本の記事の総目次

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ラコタのエルダーのひとりが今回の独立宣言について口を開いた

450px-Lakotah_map

自由ラコタ代表団が先月、ラコタの人たちが合衆国政府とこれまでに交わしたすべての条約から撤退し、自分たちの独立した国としての主権を回復すると宣言したが、これらはラコタ伝統政府の条約評議会(トリーティ・カウンシル)の支援を受けた行動ではないことが明らかになったと、11日付のウィキニュースが報じているので、その主要部分を要約する。なお上記のラコータの国の地図をクリックするとより詳しく表示されるので参考までに。

記事の内容は、先の独立宣言はラコタのエルダーたちの合意を得たものではないということを伝えようとしたものだが、そのまま読み進んでいくうちにラコタのエルダーたちの考えていることが、けして宣言をした人たちを非難したり卑しめたり苦言をていするためのものではなく、むしろ今回の宣言と同じぐらいか、さらにそれよりもはるかにラディカルであることがわかってくる。アメリカにひたすら迎合して持てるものをすべて差し出すような屈辱的な外交をくりかえす精神のねじ曲がった品格のない国に暮らしていると、こういうスピリットのある年寄りたちがいる国は、なんかいいなと思わせるのでお読みください。

12月下旬の突然の条約からの撤退がラコタのエルダーたちの合意を得たものではないらしいことが、オグララ・ラコタの評議会代表で、エルダーであり、先住ラコタの信仰を守るスピリチュアル・リーダーでもあり、かつ作家でもあるフロイド“ルックス・フォー・バッファロー”ハンド氏と、ウィキニュースが話をして明らかにされたもので、同氏はまた自由ラコタ代表団メンバーであるチャヌパ・グルハ・マニ(英語名ドゥエーン・マーチン・サー)の血のつながった実の叔父でもあるという。

lakota_freedom_delegation自由ラコタ代表団(左写真は独立宣言の会場)は、自分たちはBIAに認められているラコタ部族政府の支持などはじめから求めてはいないものの、ラコタ伝統政府の条約評議会エルダーたちの支援を得、並びに1974年国際インディアン条約会議の合意にのっとっていると一貫して主張してきたが、オグララ条約評議会の合意と一族のチーフであるオリバー・レッド・クラウドの同意を得ているひとりとして言わせてもらえばと前置きしたうえで、ハンド氏はインタヴューの場で「条約からの撤退はなかった。あれは3人の人間のしたことだ」と話した。

「ラッセル・ミーンズ、ドゥエーン・マーチン(チャヌパ・グルハ・マニ)、それからあのご婦人(フィリス・ヤング)の3人。3人はラコタの国を代表して話してはいない。ラコタの国を代表して話をするためには、まずはラコタの8つの部族の合意を得なくてはならない。自由ラコタ代表団は、その合意を得てはいなかった」と。

ハント氏によれば3人がみせた「条約撤退イベント」は「宣伝行為にすぎない」という。1974年の国際インディアン条約会議はラコタ国の人間としてふるまうことを権威づけるものではないと。だが、ラッセル・ミーンズにも、チャヌパ・グルハ・マニにも、自由ラコタ代表団のほかの誰にでも「表現の自由は認められて」いるわけだし、彼らとて「ラコタのエルダー」なのであるから、ラコタの居留地に居住するものとして「エルダーとして自分たちを条約から撤退させることを表明する」というのなら、望み通りのことをすることはできる。そして「彼らはこここに住んでいるのだ」と。そして条約評議会全体の統一された意見を再度求められたとしたらとの質問にたいして、ハンド氏は「われわれはみな同じことをするだろう。なぜならわれわれはみなフルブラッドなのだ。われわれは自分たちの言葉を今も全員が話す」

ハント氏によれば、条約評議会は近いうちに合衆国政府とラコタとの条約を見直す計画があると続けた。ラコタを構成している8つの部族のすべてが今月の28日から30日に一堂に会することになっており、連邦政府を相手に「腰をすえて話しあうかどうか」をその場で考えることになるらしい。自由ラコタ代表団のメンバーもその会議に参加が予定されている。「ヨーロッパ系アメリカ人は、ラコタと合衆国をつないでいる1851年と1868年に交わされた条約を誠実に守ってはいない。合衆国が19世紀におこなった対インディアン戦争において『領土を征服すべき唯一の敵国』がラコタだったことを忘れてもらっては困る」

合衆国政府とラコタが交わした協約はハント氏の言葉を借りれば「連邦政府の与える計画によってわれわれに手錠をはめている契約」となるのだが、彼によれば自分たちの立場から言えば「われわれが主権を有するひとつの国としてもう少し自由によその国々に経済開発を頼れるのなら、われわれも生き残れるかもしれない」となる。ハント氏はひとつの可能性として、合衆国政府とラコタの土地にある飛行場の使用権利を協議する権利を力説した。他国の航空会社の支払う空港使用料を、自由裁量で決定できるようになればラコタは自国の大地の使用量として合衆国政府が現在要求している額を半分に減額すると。そして「それだけでもわれわれはかなり豊になれる」と。

自由ラコタ代表団が、その計画のなかでラコタの土地に企業の誘致や起業家の招聘を示唆している矛盾についても「実際は誰も自分たちの居留地のなかに工場などが来て欲しいとは思っていない」と話した。自分の主要な関心事は環境を保護することであると。ヨーロッパ人を先祖にもつ人びとは「母なる地球からあまりに多くのものを取り出しすぎた」といい、長く議論されてきているラコタ居留地におけるウラン鉱石の採掘に関する議論にも言及し、条約代表団の最終目的地点は「大地とそこに暮らす動物たちを守護し、そこから流れ出る清らかな水をいつまでも流れさせ続けることである」と語った。

ハンド氏はまた「肌の色が白くない人たちはヨーロッパ系の人たちの天下を終わらせるべきである」とも話した。彼らがヨーロッパ系の人たちを覆して自分たちの政府を樹立できるなら「世界のすべての肌の色の人たちが理解と平和と統一に向かうことになるだろう」と。

Source : "No treaty withdrawal", says Lakota elder (WIKINEWS January 11, 2008)

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Friday, January 11, 2008

ラコタの国のラジオ局

Kili Radio

ほぼこの1ヶ月、ここまでラコタのことで頭がいっぱいなら、当然聞くラジオもラコタの国で流されているものをということで、「Kili Radio -- The Voice of the Lakota Nation(ラコタ国の声)」という放送局を紹介しておきます。

ウェブのストリーミングで聴くこともできます。音楽はカントリーとカントリーロックが当然多いけれど、ラコータ共和国の中心地(?)であるサウスダコタのポーカパインからオン・エアされてる。キリ・ラジオのウェブサイトの中央にある「Listen to us on web」から。おっと高校のバスケットボールの中継になってしまった。ラコタ国の高校のバスケのチームは「レッド・クラウド」というのだね。偉大なチーフの名前を戴いたこのチームは現在ボーイズの部門でこの地区人気実力もナンバー1だ。

追記 四時間ほど外出してデスクに戻ってザ・ヴォイス・オブ・ザ・ラコタにチューンインしたら、先方はもう深夜なのだろう、さっきからずーっと伝統的なラコタの歌が流れ続けている。えんえんと終わらないドラム・ビートを聴いていると、心が静まってきて、なかなかいいね。

reddot KILI Radio - the voice of the Lakota Nation

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英語表記のラコタ語単語の読み方

Revised Tuesday, January 15, 2008

feather英語で書かれたラコタ語の読み方について、北九州市にお住まいのクレージー・ドッグ(シュンカ・ウィトコ)[仮名]さんよりご教授いただいた。小生は、もともとアメリカ南西部のレインダンスを踊る沙漠の人たちとの関係のほうが長く、草原のサンダンス・ピープルとはあまり縁がなかったために、といっても知りあいはいるものの、なかなかその言葉が身についていないので、今後もお気づきのことがあれば、遠慮せずに声をかけてください。ひとつ前の記事はそれにあわせて修正を加えました。で、今回お教えいただいたラコタの言葉の読み方についての一部を、読者の便に供する意味で以下に掲載させていただくことにした。

英語表記のラコタ語単語の読み方

英語表記のラコタ語単語の読み方に一般的な英語の読みとは大きく異なるものがあります。

その最たるものが“c”音です。
“ca”“ci”“cu”“ce”“co”は、通常の英語のように《キャ・カ・サ》《シ・キ》《キュ・ク》《セ・シェ・ス》《コ・クー》などと発音されることは100%ありません。

すべて例外なく、《チャ》《チィ》《チュ》《チェ》《チョ》と発声されます。(《チ》の発音は日本語の舌打ちに近い感じ)
例.canupa・cannunpa → チャンヌンパ(パイプ)、wicapi → ウィチャピ(星)、cante → チャンテ(ハート)、cik'ala → チカラ(小さい)、wasicu・wasitun → ワシチュ(白人)、oceti → オチェティ(火)、cekiya → チェキヤ(祈る)、wicoie →ウィチョイエ(ことば)など。

資料によっては、通常の《チ》音の英語表記のように“h”を補って“ch—”としているものもあります。

もうひとつ混乱するのが、単独の“s”が《シィ・シュ》、母音付きの“sa”“si”“su”“se”“so”が《シャ》《シュィ》《シュゥ》《シェ》《ショ》となる場合(空気が抜けるような音に近い)と、普通に《サ・シ・ス・セ・ソ》となる場合があることです。

詳しい文献の場合には、“s”の上にアクセントを付けて《シィ・シュ》音を表していたり、“h”を補って“sh—”と表記される場合もありますが、多くの場合特に注釈もなく両方が混在しています。

《シィ・シュ》の例.waste → ワシ(ュ)テ(良い)、sa → シャ(赤)、sakowin → シャコウィン(7)、sunka → シュンカ(犬・狼・馬)など

補足 “c”“g”“k”“p”“s”“t”“z”などが、上にアクセントを付けた表記をして特殊な発音となるようです。口先だけで短く切って発声する破裂音のような感じというか…。

単独の“n”は普通の《ン》と、“-ing”に近い発音(こちらが大半)の2種類、さらに資料によっては仏語の鼻にかかるような《ン》音もあるとしているものもあります。これも詳しい文献では、“-ing”の発音記号やアクセントなどで表現されますが、一般の文書では特に区別はされていません。

また、母音のつかない単独の“h”が、強いていえば痰を切る時の“カーッ”という声の“カ”に近い音です(笑)。例.mahpiwa(空、天、雲)、 wiyohpeyata(西)、tahca(鹿) カナ表記ならば、《マクッピワ》《ウィヨクッペヤタ》《タァチャ》とか、するしかないような…。

前記の“短く切る発音”もこの“h”音と関係しているようです。

その他にも英語や日本語にはなくて、カナ表記しがたい特徴的な発音などが幾つもあります。このような表記は、ラコタに最初に進出したヨーロッパ勢力がフランスだったことから来ているのではないかと思うのですが、どうなのでしょう?

ありがとうございました。これからはこの読み方にならうようにしていきます。今回、ラコタの人たちが合衆国政府との条約から撤退すると言うことがあって以来、次第に頭のなかがラコタ漬け状態になってきている気がします。

HO!

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Wednesday, January 09, 2008

死ぬには良い日?

LAKOTA OYATE

自由ラコタ代表団を表明する4人の人間が、ラコタの人たちが合衆国と交わしたすべての条約から撤退すると宣言してから、3週間がたとうとしている。この動きは、ここまでいくつかの論争をラコタの人たちのなかに引き起こしてきた。合衆国政府の認めるふたつのラコタの部族政府は、代表団の権威を完全に否定したものの、少なくともひとつの部族が「ラコタ・オヤテ」と呼び名を改めた代表団の提案には一考の価値があると述べた。残りの部族はひたすらに沈黙を守り続けている。

Canupa Gluha Mani
写真左、右奥がラッセル・ミーンズ
ラッセル・ミーンズと距離を置いたラコタ・オヤテの運動の中心にいるのはチャヌパ・グルハ・マニ(英語名ドゥエーン・マーチン・サー)で、彼もまたインディアン活動家としての長い経歴を持ち、幾度も逮捕投獄の憂き目を見てきた人物だ。つい最近では、昨2007年の6月、チャヌパ・グルハ・マニは、アルコールが禁酒となっている彼の居留地に持ち込まれるのを防ぐ目的で、ネブラスカから自分の居留地に通じる道路を集団で封鎖したという罪で逮捕されている。

チャヌパ・グルハ・マニはラコタの言葉で「聖なるパイプを守って歩く」という意味だ。彼はチャンテ・テンザという戦士のソサエティに属している。ソサエティの名前のチャンテ・エンザとは「強い心臓」を意味する。実はマニは、ラッセル・ミーンズと親戚関係、甥と叔父の関係にある。9日付のウィキニュースが、今回の行動とラコタ・オヤテについて、そのチャヌパ・グルハ・マニとのインタヴューを昨日掲載していた。そのなかから気になる言葉をいくつかひろってみた。

「ラッセル・ミーンズとのあいだには大きな断絶はない。問題はコミュニケーションにある。われわれはいつだってこうしたことを乗り越えてきた」

「わたしは叔父のラッセル・ミーンズとこれまで前向きに一緒にやってきたし、今だって彼の背後にいて、彼への愛情は失っていない」

ラコタのなかの人たちの意志決定の伝統的プロセスは、ラコタの女性たちの非公式な話し合いによるのであり、西欧型政府のような声明と宣言ではないとマニは『共和国』といった英語を引き合いに出した。そのような英語を用いたことがラッセル・ミーンズとチャヌパ・グルハ・マニのあいだに論争と誤解の両方を生んだ理由の一部であると。彼は言う。「インディアンの人たちが現代的な生活様式に適応するのは至難の業だ。インディアンに問題を引き起こしているのは白人の教えなのだから。だからわれわれをほおっておいてくれと言っている。この国はわれわれ最初の国の人たちのことをなにひとつ学んでいない」

「合衆国政府が背後にいる部族警察は、白人の騎兵隊の再来に過ぎない」

独立宣言直後、チャヌパ・グルハ・マニは記録されたインタヴューのなかで、合衆国から抜けることになれば「われわれは多分殺されるだろう」と発言していた。今回のインタヴューにおいてマニはより口を固く閉じた。合衆国政府との対立の可能性について問われると、「あるかもしれない」とのみこたえた。

「伝統的なライフスタイルがまったく西洋スタイルと共存できないかというとそうでもない。共存はできるが、そのためにはまずあらゆる傷が癒されなくてはならない」

Source : Canupa Gluha Mani speaks about Lakota Oyate, Lakota freedom

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小鳥

これはインディアン・ジョークではないのですが、ネイティブの友だちが送ってくれた話なので、聞いてください。

冬が来たので小鳥が南を目指して飛んでいました。しかし気温の低下はことのほか早くて、小鳥は寒さで体を凍らせて地面に落ちてしまいました。落ちたところは広大な牧場の草むらのなか。カチカチに凍った体を横たえて小鳥がじっとしていると、やがて一頭の大きな牛がやってきて、小鳥の上にでっかいうんこをしたのです。小鳥はうんこの下敷きになりました。

寒さで凍え死にしそうになっていた小鳥は、牛のうんこの山にくるまれてじっとしていました。やがてある時気がついたのです。大量の牛のうんこに包まれていると、なんて暖かくて気持ちがよいのでしょう。実際ゆっくりとうんこが小鳥の体をとかしてくれたのです。小鳥は横たわったままうんこのなかでぬくぬくと暖まりながら最高に幸せな気分を感じていました。あんまりうれしかったので、小鳥はうんこの山のなかで思わずピイピイピイと喜びの歌を口ずさみました。

とそのとき、草むらに落ちていた大きなうんこの山のすぐ近くを一匹の野良猫が通りかかったのです。little birdどこからか鳥の鳴き声が聞こえているではありませんか。小鳥の歌う声に興味を抱いた野良猫は、牛の落としたうんこの山をかき分けて、そのなかに小鳥が横たわっているのを見つけると、その小鳥を引き出して食べてしまいましたとさ。


人生の教訓

その1 あなたの上に糞をするものすべてが敵とは限らない。
その2 あなたを糞から引き出してくれるものすべてが味方とは限らない。
その3 もしあなたが大量の糞のなかにいるのなら、歌わずに黙っていろ。

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動画 大地と生命 警告する先住の民



techqua ikachi: aboriginal warning


ホピのエルダーたちに捧げられた動画。「テクァ・イカチ(大地と生命) 警告する先住の民」

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Tuesday, January 08, 2008

ホピ族が世に問う数千年の生き残りの知恵と知識と教え

Techqua Ikachi

70年代にさまざまな妨害を受けながらも刊行され続けたホピの国の伝統派の人たちの広報である「TECHQUa IKaCHI(テクァ・イカチ)大地と生命 伝統的な視点」のすべて、全44号分が「ホピの道」というサイトを作られている永峰秀司氏によって「テックヮ・イカチ 大地と生命 伝統に生きる人々が見たもの——ホピ族が世に問う数千年の生き残りの知恵と知識と教え」として日本語に飜訳され、英語版の「TECHQUa IKaCHI」とともにすべてがきわめて謙虚な形で公開された。

長く日本語化が待たれていたものであり、おそらくきわめて正しい時と場所で公開されたのだと思う。伝統派のホピの人たちの精神世界に触れたものにはすでにわかっていることなのかもしれないが、あらためて言わせてもらうならば、今のバランスを失ってしまった日本列島に暮らす、母なる地球の触り方を忘れてしまった人たちにこそ、ここに克明に書きとめられているホピの伝統派の教えと視点が絶対的に必要であるからだ。

テックヮ・イカチ 大地と生命 伝統に生きる人々が見たもの——ホピ族が世に問う数千年の生き残りの知恵と知識と教え」が、静かにインターネットの網の目をどこまでも辿って、多くの心ある人たちのハートに届くことを祈るものである。いつかこれら44の教えについての勉強会でも開きたいな。全44号のタイトルは以下のとおり。

 第01号…テックヮ・イカチとは
 第02号…なぜ伝統派の村は文明の利器を拒むのか
 第03号…収穫のこと
 第04号…最も神聖な季節
 第05号…パムヤとポワムヤ(浄化の月)
 第06号…春のセレモニー(儀式)
 第07号…春と夏にすること
 第08号…私たちが何者であるのか、誰に分かるというのか?
 第09号…収穫の季節(あるホピの詩)
 第10号…ジェームズ・ポンギャヨウマの証言
 第11号…ホピとは何?
 第12号…母なる地球を売るということ
 第13号…バランスを保つためにできること
 第14号…前の世界、今この時、そして未来への決意
 第15号…誰が正しくて、誰が間違っているか
 第16号…先祖たち、父たちのこと
 第17号…昔はどうだったのか
 第18号…ホピ伝統派の村がオランダ法廷に申し立て
 第19号…過去を見つめる
 第20号…時は過ぎ往く
 第21号…古い問題が、新たな問題に
 第22号…ホピの地での感謝祭
 第23号…季節ごとのお祝い
 第24号…再生と気候の変化
 第25号…ホピ、国連へ(ホピ、平和への祈り)
 第26号…ポワムヤ、浄化の月
 第27号…ホピの知恵
 第28号…悲しみと希望
 第29号…スピリチュアルに考える
 第30号…感謝の言葉
 第31号…収穫と国連への使節
 第32号…衰退する農業
 第33号…「ホピ国民」と「ホピ部族」の定義
 第34号…ホピ、国連を訪れる
 第35号…私たちの子供じみた行動と姿勢
 第36号…桜の木の物語
 第37号…予言の岩、生命の行方
 第38号…古い文化から新しいものへ
 第39号…全ての大地に通じるホピの聖なる石の銘板 
 第40号…嬉しい、そして悲しい出来事
 第41号…伝統派ホピとホピ族会議の存在の、根幹の違い
 第42号…ホテヴィラ村委員会の提案
 第43号…長老は議長に語った
 第44号…普遍の法則

arrow2 日本語化されたテックヮ・イカチのホームページ

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Monday, January 07, 2008

ラコータ共和国の国造りに力を貸したいというよくある質問への回答

大きくふたつに分裂したラコタの人たちの国造りで、あきらかにトーンを落とした感のある「ラコータ・オヤテ」のサイトに比べて、それでも元気いっぱいなラッセル・ミーンズをチーフとするラコータ共和国のFAQに、新たに「ラコータ共和国に力を貸すにはどうすればよいか?」という質問にたいする解答が掲載されているので、以下にざっと飜訳しておく。これを読むかぎりにおいて、ラコータ共和国の国造りは分裂を超えてすすんでいるようである。いったいどうなるのか、まったく予断を許さない。

Republic of Lakotah
ラコータ共和国のために働くにはどうすればいいですか?

力を貸したいと自発的に申し出てくれたすべての人たちに:

この生まれ変わったばかりの国の臨時政府を手助けするすべてのボランティアを代表して、まずはあなたの申し出に感謝したい。

政府を最終的に設置する場所はいまだ決定していない。臨時政府は現在パイン・リッジ居留地のポーカパインにあるトリーティ学校/牧場に暫定的におかれている。そのためにこの場所で働ける人間の数を、われわれはあらかじめ制限せざるを得ない。

共和国は国造りに取り組む人たちを多く求めるだけでなく、国の再建のために産業を興す起業家たちの心を惹きつける必要がある。ここポーカパインにあるものよりもよりはるかに大きなインフラが、政府としても商用としても近い将来必要になるだろう。われわれのもとに参じたいと望み、かつそれを必用とする人たちの数からかんがみ、われわれは現在その人たちを収容できる一時的な場所を確保しようとしている。じきにきまるその場所は、おそらくサウスダコタのラピッドシティ近郊になる予定だ。

それまでの間、われわれが力を貸しにやって来る人たちのための場所を確保するまで、われわれはその人たちのネットワークを構築しつつある。インターネットを用いることで、どこからであろうとやれることはたくさんあるからだ。

もしあなたが、すすんで、あなたが今いる所から共に働くことをはじめてくれるのなら、それはたいへんにありがたいことである。あなたが国造りのために貢献できるどのような才能や技術をお持ちかを、どうか、われわれに知らせてください。人はおのれの情熱を心から満たしているときに最もいきいきと生きていることを実感することをわれわれは知っている。さらにいえば、行政上の仕事など、普通なら余り情熱的になれないたぐいの仕事もままあるかもしれないが、そうした仕事をする人たちも必要となる。今現在われわれのほとんどが必要に迫られて一度にたくさんの仕事をこなしている。それはたいへんにエキサイティングなものである。

われわれはあなたやあなた以外の方が、個人的にここへ訪れて入れる場所の確保を心待ちにしている。いずれその日がくるまで、われわれはわれわれの共有された未来へのあなたの貢献を心より歓迎し、あなたを祝福するものである。

Source : How can I help the Republic of Lakotah (Republic of Lakotah)

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チェロキーのことわざ

昨日のことで今日という日を無駄に使うべからず

チェロキーのことわざ

kotowazabookcovers月に映すあなたの一日』北山耕平編・構成。ネイティブ・アメリカンの豊かな精神世界のなかから選び出した364のことわざが示す今日を生きる指針。1日ひとつのことわざで学ぶ彼らの生き方。黙想のお供に活用されたし。マーブルトロン発行 中央公論新社発売 ブックデザイン グルーヴィジョンズ。ただ今4刷好評発売中

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Sunday, January 06, 2008

自由ラコタ代表団が広報担当のラッセル・ミーンズに組織をハイジャックされたと声明

ウィキ・ニュースが5日付で伝えるところでは、ラコタの国をつくる動きは、インディアン活動家のドンであるラッセル・ミーンズが仕切るラコータ共和国と、ラッセル・ミーンズの動きに不安を抱くカヌンパ・グルハ・マニ(12月19日の建国に際しての記者会見で自らの免許証をはさみで切り裂いた人物)らエルダーたちをふくむ主要なメンバーとのあいだで、早くも対立が表面化してきた模様だ。

ラッセル・ミーンズはインディアン活動家としては筋金入りの人物だし、政治以外にも映画俳優を務めたり、76年には故アンディ・ワホールのアメリカン・インディアン・シリーズの肖像画のモデルになるなど話題作りには事欠かないのだが、ラディカルで過激な人にありがちな問題も多く、当初から「ラッセルを組織にいれるのは、ネコばっかりのグループに犬を放つようなもの」といわれていた。昨年12月中旬の独立宣言が世界からの関心を高めるなか、昨年末に活動がラコータ共和国構想として一方的にラッセル・ミーンズのひとり舞台になっていくことをよしとしなかった人たちが、年明け早々今度は自由ラコタ代表団としての理念を引き継ぐ形で、新たにラコタ国の自由と独立のための「ラコータ・オヤテ」という組織を立ちあげていた。

A FERR & INDEPENDENT NATION独立を目指した一群の人たちのなかにも、おそらく「共和国」という呼び方や考え方に、賛意を示さなかったラコタの人たちがいたようだ。ラコータ・オヤテ(オヤテとは「国」の意味のラコタ語)は「共和国」などではないと、彼らは主張する。「共和国の英語であるリパブリックはラテン語のコンセプトであり、ラコタにはなじまない。われわれにはわれわれの国のあり方が昔からあり、それがラコタの国、ラコタ・オヤテである」と。

ラコータ・オヤテが発表した自国の地図と、ラッセル・ミーンズの仕切るラコータ共和国は、地図の上ではまったく同じものである。しかもふたつのウェブサイトに使われている文章などの多くの部分が同一のものであるが、細かい部分がかなり決定的に異なっている。

ラコータ・オヤテのサイトにはラッセル・ミーンズの影も形もなくなっていて、「われわれは、すべてのラコタの人たち、エルダーたち、母親たち、父親たち、子どもたち、そして国の利益のために働く」とある。また「個人的な趣味のためにつくられた似たようなウェブサイトがあるけれど、ラコータ・オヤテはもう一度自由を求める人びとの声を表明する場として機能する」と記されている。そして決定的なことは、次の記述に読み取れる。

われわれは、植民地システムの恩恵を受けるBIAだとかIRAの政府を代表しないが、すべての人たちが自分たちの自由を取り戻すことを奨励するものである。われわれは「ラコータ共和国」を支持するものではないし、「臨時政府」なるものの押しつけもしない。そうしたものは人びとの意志のみならず、エルダーや子どもたちの内側で生き延びている動物たちの国の精神も示すものではないからだ。

こちらを読むかぎりにおいて、急進派のラッセル・ミーンズはラコタの国造りの本流から外されてしまったという印象を受けざるをえない。ラコータ共和国のサイトにはラッセル・ミーンズその人が YouTube を使って「なぜラコタに真の主権が必要なのか」を訴える動画があげられていた。実際のところは、ふたつの運動の流れを今しばらく追いかけなくてはわからないが、ラコタの人たちの独立の夢は、アメリカ合衆国政府の介入以前に、いきなり乗り越えなくてはならない大きな問題に直面したようだ。

アメリカのなかにある第三世界のこの動きが、血なまぐさい結末を迎えることなく、できうる限り多くのラコタの人たちの共感と参加と支持とを受けるような形で、続いていくといいのだが。

News source : Lakota Freedom Delegation says spokesman Russell Means 'hijacked' organization

ラコータ共和国のサイト:
http://www.republicoflakotah.com/index.htm

REPUBLIC of LAKOTAH

ラコータ・オヤテのサイト:
http://lakotahoyate.net/index.html

LAKOTA OYATE

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Saturday, January 05, 2008

ラコータ共和国関連で注目すべき発言を三本紹介

「わたしは最初から自分が砦の周辺にたむろするインディアンたちを代表するとはいっていない。そうした政府に取り入って、われわれの貧しさや悲惨さや病気を恒久化してきた、われわれの皆殺しに手を貸してきた協力者たちとは一線を画している。連中はその大量虐殺をする側の一部であるというか、一味なのだ」
ラッセル・ミーンズ ラコータ共和国臨時代理政府・主任進行役

「個人的にはあの人たちのやり方の多くに同意はできないものの、しかしその勇気は称えたい。ラコータ共和国を名乗るラコタの人たちのバンド(集団)は、主要なメディアがまったく無視しているにもかかわらず、今まさに歴史を作りつつある。BIA(合衆国政府内務省インディアン事務局)の介入があるときには主要なメディアはまず声をあげることはない。結果的に牢屋送りになるラコタを除いては、出来事はなかったことにされるのが常なのだ。」
バッファローヘアー ネイティブの作家・ブロガー、シャイアン一族

「ラコータ共和国を名乗ってるあいつらも、これまでに同じような独立を宣言した他の連中と同じように、結局は逮捕されて牢屋に送られることになるだろう。」
ゲイリー・ギャリソン BIAの広報担当官

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Thursday, January 03, 2008

ホビ伝統派最後の長老はなぜ秘密とされてきた聖なる教えを公開しはじめたのだろうか?

Grandfather Martin holding a *replica* of one of the Sacred Stone TabletsThe Dream Masters(TDM)」というサイトがある。一見すると、NewAge 的な雰囲気に満ちあふれたサイトであるが、そのなかでひときわ異彩を放っているのが、ホピの伝統派のおそらくは最後の長老で、グランドファザーであって、火一族の聖なる石版の守護者であるマーチン・ガシュウェスウマ(Martin Gashweseoma)氏のページである。余談だがグランドファーザーのマーチン・ガシュウェスウマは911の起こる5年前にこのような事件が起きることを予言していたとされる人物だ。

で、今回紹介するページは、北アリゾナのサードメサでつましく簡素な生活を送っている、1922年12月7日生まれで先月に85歳になったそのマーチン氏自らの手で送られてくる英語の原稿をそのまま〔なにも手を加えることなく〕毎月一度掲載する目的でつい先ごろ設置されたもので、TDM はインターネット上にその場を提供しているに過ぎないという但し書きがある。

したがってサイトは常に工事中の状態であり、そこに展開されるグランドファザーからのメッセージはホピに残されたいくつもの予言の解釈から解読、石版に描かれているメッセージ、実物ではないがその「石版そのものの複製」の写真(上写真)や図版、浄化の時代を生き抜くための教えと多岐にわたり、その量も驚ほど膨大なものになっている。

ここから読み解けるものは実にさまざまにあるのだが、ひとつはっきりしていることは、ホピの伝統派の世界で「ただならないなにか」が起こっているということであるだろう。いや、ただならないことが起きているのはホピのなかでだけではなく、われわれの暮らす世界でただならないことが、偉大なるサイクルの終わりが近づいているのかもしれない。おそらく、こうした古くから伝統を守る人たちのなかで伝え守られてきた神聖な予言に耳を貸す人たちの数が、ホピの部族のなかにおいてすら激減してしまったことが考えられる。(ホピで起こることは世界で起こるのだ)

インターネットの上にこうしてグランドファーザーがあえて自分の場所を確保して、そこに一族に残されてきた「神聖な知識」を公開することなど、かつては絶対になかったことなのである。グランドファーザー・マーチン・ガシュウェスウマは、その教えに耳を傾ける伝統派のホピの人たちが「ほんとうのホピ」と呼んでいた人たちのために、彼の頭のなかを公開しはじめたと見るべきだろう。

すべての人がこれを読む資格があるのかどうかぼくにはわからないが、こういう場所がインターネットの上にあることだけは「あなた」に伝えておかなくてはならないと感じた。おそらく、これだけの短い情報だけでも、心ある人はそのページの重要性に気がつくにちがいない。こうした情報を心から求めている人は、敬意を払いつつときどき訪ねてその中身を少しずつ読み進まれると良いと思う。

きわめて重要なことが公開されているのだが、しかしその重要性にすべての人が気づくとは限らない。

註:「Martin Gashweseoma」の読み方としては「マーチン・ゲスリスウマ」と書かれるときもあるが、ここでは「マーチン・ガシュウェスウマ」とした。「グランドファーザー・マーチン」だけでもいいと思うのだが。

arrow2 The Dream Masters - Grandfather Martin Gashweseoma

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ラコータ共和国で不動産取得を考えている人にむけての通告

news1月1日付で「アメリカ合衆国をふくむ外国の政府が所有する不動産に関する通達」をだしたラコータ共和国が、その翌日の本日2日には同じラコータ共和国臨時代理政府・主任進行役ラッセル・ミーンズの名義で「今後のラコータ共和国国内の不動産取得に関する通告」を不動産購入希望者に向けてだした。通達の内容は前日のものとほぼ同じもので、すでに個人所有されている土地以外は共和国が所有権を宣言するものとしたうえで、この日付以降、共和国内の不動産の売買や賃貸をする際には、その土地や家屋はラコータ共和国、もしくはラコータ共和国銀行が権利を有することになるかもしれないと、釘をさす記述が続いている。

「ラコータ共和国銀行(the Bank of the Republic of Lakotah)」という新しい名前が登場していることに着目したい。着々とラコータ共和国の国造りを開始した人たちは、ラコータ各地のスー・インディアン居留地を巡って伝統派のエルダーたちと話し合いを続けてきた/いると言われるが、それでもなお、「この人たちはラコタを代表などしていない」という批判的なラコタの人たちも相当数にのぼると見られる。この批判的な人たちが、共和国の設計をしている人たちのいう「すっかり植民地化されて自由になる意志のない人たち」と言うことになるのかどうかも含めて、今後の動きにさらに注目したい。

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Wednesday, January 02, 2008

ラコータ共和国の国境線が確定されました

Republic of Lakotah
Republic of Lakotah 2

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ラコータ共和国が同国内の外国政府所有の不動産に関して告知した

本年1月1日の日付で「ラコータ共和国内に不動産を有するすべての外国および個人の所有者への通告」がだされた。通告はラコータ共和国臨時代理政府・主任進行役ラッセル・ミーンズの名義で出されており、通達相手は、アメリカ合衆国、モンタナ州、ワイオミング州、ノースダコタ州、サウスダコタ州、ネブラスカ州、そしてラコータ共和国内に存在する郡および市の該当当局機関、ラコータ共和国国内に不動産を有する個人所有者たちへとなっている。

通達はまず新生ラコータ国がアメリカ合衆国とのすべての条約から撤退するための政府代表を任命したこと、そしてその代表を通してアメリカ合衆国とのすべての協定と条約から正式にすでに撤退した事実を伝える文句からはじまり、自分たちの自由と独立の再制定は法にかなうもので、現在はもうラコータは伝統的国土における主権を回復したと述べている。そしてつづけて:

start_quoteラコータの人たちに向けられた合衆国政府側の何年も繰り返された不誠実にもかかわらず、新生ラコータ国は、自国の政府の行動にほとんど加わることのなかったアメリカの人たちに向かう憎しみを全く持たない。われわれは、誠実に、かついずれにも有利な方法で、アメリカの人たちに対応したいと願う。

われわれには、われらが国土における先取特権を不動産のすべてに課す権利が本来はあるのだが、われわれはその方向に進むことのない解決策を、すべての人たちとのあいだにこうじることを望むものである。したがって、今現在の時点においては、われわれはラコータ共和国以外の国の政府所有不動産における先取特権のみを宣言し、個人的な財産としての不動産にたいして宣言するものではない。独立宣言、アメリカ合衆国憲法、および条約法に関するウィーン会議はこの自由を実証するものである。

ラコータは当問題に対処するための議論をする機会を歓迎する。われわれは現在ミィーティングの場を設定する予定を組みつつあり、参加者を一般に募ることになる。もしこのミィーティングの予定に望みがある場合は連絡されたし。end_quote.gif

Source: Republic of Lakotah Official Website

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Tuesday, January 01, 2008

アメリカでは主要なメディアが無視しているにもかかわらず

Lakota Freedom Delegation is news around the world日本ではフランス系のニュース通信社(AFP)がいち早くこれを報じたもののその後はしんぶん赤旗と地方新聞がいくつか伝えたぐらいだったし、アメリカでもメジャーのメディアは新聞(USAトゥディやニューヨーク・タイムス等)もテレビ(ネットワークテレビやCNN等)もこれまでのところ完全に無視している「部族会議派に属さない自由なラコタの人たちによる過去の条約からの完全撤退にともなう独立宣言」のニュースだが、地球規模に目を転じると事情はかなり違っているようだ。とりあえずこれまでの経過がインターネットの網の目を伝わってほとんどの主要な言語に翻訳され、あきらかに世界中に届けられていることが「ここ(左図)のページを見るとわかる。キリスト教原理主義者(ネオコン)たちによる武力解決という悲劇的な結末を呼び込ませないためにも、今なにが起きているのか、世界各地の友だちに伝えてあげてください。世界中がこの動きを見つめていること、そしてそのことをさらに広げて知らせることが重要になるのですから。

それから、カタカナで書くときには「ラコタ」ですが、ラコタ共和国は英語で書くときにはこれまでのように「Lakota」ではなく、より自分たちの発音に近い書き方の「Lakotah」を使うように変更されていました。「ラコータ(ァ)」と発言するのが正しいのです。ラコータ共和国ね。今後は当ブログでも「ラコータ共和国」を使うようにします。



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I Wish You A Happy New Year

tipi_night

It is time to speak your truth.

Kitayama Kohei

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