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Friday, December 28, 2007

ゴースト・ダンスは終わらない

lakota_freeブラック・エルクという、おそらくラコタで最も世界的に名の知られた聖者をして「国をまとめていた輪は壊れてばらばらになった。もはや中心はどこにもない。聖なる樹は死んだのだ」といわしめたウーンデッドニー渓谷の「大虐殺」の日が明日に迫りました。聖なる輪を修復する試みとしての、ラコタの人たちによる「対アメリカ政府とのすべての条約からの完全撤退と独立宣言」にいたる「ラコタの人たち、エルダーたち、母親と父親、そして子どもたちのために世界をまくり上げるための闘い」は、静かに、しかしはっきりと波紋を広げつつあります。

自由を愛するラコタの代表団のウェブサイトは一週間で50万ヒット記録しました。彼らの出す記者発表などでは、土地の名前も「サウスダコタ」の名前にかわって、すでに「ラコタ(以前のサウスダコタ)」と記述されています。そのラコタの土地で127年前にアメリカ軍によっておこなわれた大虐殺が、その後のラコタの人たちになにを与えたのかについて考えるための、美しくて悲しいビデオを、ロックのアーティストでありネイティブの血を引くロービー・ロバートソン(ザ・バンドの一員)が制作して公開しています。今回起こっていることは、あきらかにかつて19世紀末にはじまったこの「ゴースト・ダンス」の延長線上にあるものと認識することができるからです。以前このブログでその映像を紹介したサイトは「ここ」にあります。

arrow2 Ghost Dance

またゴースト・ダンスとはなにかということを教える「1890年のウーンデッドニー」というタイトルのビデオも YouTube にはあります。今日という日にご覧になるにはとてもふさわしい映像ですので、ぜひ。


WoundedKnee1890

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輪をつくろう
待ちつづけていた輪を
いにしへの長(おさ)たちが
夢みていた輪を

聖なる木を真ん中に
かつて手をつないでいたものたちと

足ぶみと 太鼓の音が一致する
ひとつの輪は ふとまにを生みだす
この大地のちからをかりて
このひとときの夢を生きよう

>>○++++●<<


縄文人の精神―――この大地を母、太陽を父とする、かつて地上の民すべてのものがもつ魂(それは「人」にかぎったはなしではなく)。すべての命も現象も、もちつもたれつ補い合って存在しているというひとつの掟(オキテ)。これが守られている時(とき)のなかでは、個々のいのちの喜び悲しみをゆるぎない真実としながらも、ゆるやかでまんべんのない幸せが世界を満たしていた。
弓の島に於いては二千数百年前、亀の大陸に於いては五百年前、ユーラシア大陸に於いては八千年もしくはそれ以上前・・・・・・すべてを占有し「所有する」という精神がやって来て、蔓延した。それまでのオキテを破り、打ち砕きながら。
以来、大地のオキテを守るものと、所有の精神を成すものとの間に、絶えることのない戦いがつづき、いまもって終結を見たものはいない。

一八九〇年十二月二十九日、聖地ウンデット・ニーの丘のふもとで「精霊(死者)たちを甦らせる踊り」を踊るために集まった350人あまりのラコタのひとびとは、その大半が女子供老人だったにもかかわらず第七騎兵隊の容赦ない標的となり、虐殺された。アメリカ合州国政府はこれをもって『インディアン戦争』の終結を宣言し、コロンブスの到着した一四九十二年来398年の間に先住民の数は二十分の一とも五十分の一とも推定される減少の挙句それまでの生きかたとまったく違う価値観で造られた堅固な檻の中で生きることを余儀なくされた。

この出来事は地上における自然の民にとって一例に過ぎず、二つの価値観の間にはつねに同様の戦いが起こっている。何故ならば「所有の精神」は、大地のオキテを破壊することでしか存在できないのだから。

若き日に、ウンデット・ニーで同胞が虐殺されるのを目の当りにし自分の民族が滅びていくさまを見たブラック・エルク青年は、後にいみじくもこう語っている。
「あの曲がりくねった峡谷に沿って、至る所に折り重なり、散らばった女たちと子どもたちの虐殺された死体が、ありありと瞼に浮かんで来る。あのとき血にまみれ泥の中で死に、風雪の中で葬られたものは、彼らだけではなかった。一つの民の夢があそこで死んだのだ。それは、美しい夢だった・・・・・・国の輪は壊れ、散り散りになってしまった。輪の中心は失われてしまった。聖なる木は死んだ。」(阿部珠理著 『アメリカ先住民の精神世界』から)
ウンデット・ニーの虐殺を境にして、インディアンはインディアンとして生きることを全面的に否定され、捨てさせられた。全てのひとはキリスト教徒になることを強要され、子どもは幼いうちに寄宿学校に取り上げられ、インディアンとしての習慣は垢ひとつも残さぬとばかり暴力と虐待によって漂白された。

いまのわれわれと、なにが違うのであろうか。家族の絆、他者との絆よりも数字を追って競い合うことばかり刷り込まれていくことで神経を圧迫された少年の頃のおれは、家族の元へ帰ろうと極寒の吹雪の中を何百キロも歩き続け力尽き倒れた寄宿学校脱走のインディアンの子どもたちにありし日の自分の姿を見ずにはおれない。
ラコタ(同胞)の魂が消え去っていくのをつぎつぎと目の当りにしたブラック・エルクに、晩年「聖なる木は死んだ」と言わしめたものは、はかり知れない底の見えぬ絶望だったろう。

しかし、彼の言葉に暗黒の絶望を感じながらも、その絶対的な失望をも払い去るかすかな、だが力強い火をともせる希望の種をたしかに読みとれる気がするのは、おれだけだろうか。

聖なる木は死んでいない。
おれたちのこころに大地のオキテを守る魂が生きているかぎり、誰かに支配されることを望まない気持ちが絶えないかぎり。
そして、その本当の野生の魂が自らの喜びとともにいきはじめる時、宇宙に輝く青い珠、地球という聖なる木は、眠りからさめ、ふたたび太古からのながい息吹を脈々と甦らせるだろう。

ミタクエ・オヤシン!

Posted by: 山竒 | Saturday, December 29, 2007 at 01:18 AM

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