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Tuesday, November 27, 2007

聖なるものが売り物にされるとき

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ネイティブの女性にたいする暴力を終わらせるために活動する非営利グループ「SACRED CIRCLE(聖なる輪)」のポスター。「女性は聖なるもの」であり、「想像のなかでも女性を敬うべし」と教えている。聖なる白いバッファローの娘の伝説にもあるように、「みだらなことを考えるだけでも偉大なる精霊は怒られる」のであると。

「あれは聖なるものだ」「ここは聖なる土地だ」とネイティブのエルダーたちが口にするとき、その「聖なるもの」に備わっているものは「なにものにも代え難いスピリチュアルな価値」である。「この地球には聖なる場所がある」とか「この儀式は聖なるものだ」とか「子どもはみな聖なるもの」とか「身体は聖なるものだ」「結婚は聖なるものだ」などと彼らはじつにしばしばいう。聖なるものには、それ以上の価値を加えることなど出来ない。聖なるものはそのままで絶対的な価値なのである。絶対的な価値のものは、売ることができるようなものではない。したがって、聖なるものをお金を払って買いたいと申し出ることは、およそ人間が考え得る最大の侮辱である。

これを別の観点から眺め直してみてみよう。聖なる土地がまるでなくなって、儀式から神聖さが消え、子どもが聖なるものとはされなくなり、結婚の神聖さは失われるなど、聖なるものがことごとく消えてしまうとどうなるか? 答はひとつである。いっさいすべてのものが売り物になるのだ。人びとの「聖なるものがある」という感覚が、聖なる空間を作りあげる。神聖さは、その感覚が醸し出す。聖なるものの存在を認めるとは、この世界を創られた偉大なる存在にたいして敬意を示すことに他ならない。「子どもたちが肉体をお金に替えるようになったとき、それは一切の聖なるものが消え失せたことを伝えている」と、ぼくはこの道の上で教わった。

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