竪穴住居でない掘立柱建物とはどんなものだろう?
宮城県教育委員会が、蔵王町曲竹の鍛冶沢遺跡で、太い柱を用いた縄文時代晩期の掘立柱建物跡と、弥生時代初めの再葬墓(土葬後に骨を掘り出し再び葬る方法)が見つかったと発表した。以下は河北新報の「蔵王鍛冶沢遺跡 縄文期の掘立柱建物跡 宮城県内初」というニュースの部分。
掘立柱建物跡は15棟を確認した。大きさは一辺が3—4メートルの四方形。柱の直径は最大で50センチと太く、柱を埋めた穴が1メートルに達するものも。縄文時代晩期前半から中ごろ(2800—2700年前)のものと推定されるという。再葬墓と見られる遺構からは、骨が入っていたと見られる3つのつぼと、ふたが1つ見つかった。つぼは高さ35センチ、最大径13センチ。
再葬墓近くの掘立柱建物は、何度か建て直された跡があった。この区域には当時の一般的な住まいである竪穴住居跡はなく、土地利用の在り方を探る上でも貴重という。
県教委文化財保護課の菊地逸夫技術主幹は「掘立柱建物跡からは生活に直接結びつく遺物は発掘されておらず、特別な意味を持つ建物だったと考えられる。共同体を維持するため、建物を造ること自体に意味があった可能性もある」と話した。
遺物も多数出土した。縄文時代後期後半から弥生時代初頭の約1000年間にわたる。赤い顔料(酸化鉄)が、くっきり残るすりつぶし用石皿、南方産の貝を模した石製品、天然アスファルトを接着剤に使い補修した土器などが見つかった。
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